大祭天石門彦神社(おおまつりあめのいわとひこじんじゃ)は 石見の国三之宮で 創立年代は不詳ですが 第十五代 応神天皇の朝 阿波忌部族が石見の山守部となった時に勧請と伝えられている延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社(おほまつり あめの いはかとひこの かみのやしろ)です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
大祭天石門彦神社(Omatsuri amenoiwatohiko shrine)
【通称名(Common name)】
・三宮神社(さんくうじんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
島根県浜田市相生町1571
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天石門別命(あめのいわとわけのみこと)
《配》建御名方命(たけみなかたのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・家内安全・厄除け・交通安全・病気平癒・諸願成就
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 石見國三之宮
【創 建 (Beginning of history)】
石見の国三宮
大祭天石門彦神社
御鎮座御由緒
大祭天石門彦神社 通称 三宮神社
御主祭神 手力男命
配祀 神 建御名方命石見の国三宮にして創立年代不詳なるも 阿波忌部族が第十五代応神天皇の朝 石見の山守部となった時に勧請と伝えられ 延喜式内社である 建御名方命は仁明天皇の承和二年十二月信濃国 諏訪神社より勧請 後鳥羽天皇 文治年間に正一位 三宮大明神の称を許されている。武将の祈願信仰もあり 朱雀天皇の朝 右近衛少将小野好古郷西下し藤原純友の乱を平定に際し 祈請奉幣の事あり 又 毛利吉川の祈請奉幣あり 社領も三十六石三斗六升があり 古来より信仰の篤い神社である、明治六年五月県社に定められ 三の宮として国司の巡拝の信仰から 庶民信仰が生まれたのは鎌倉時代の十二、三世紀の出来ごとである。現在島根県神社庁より特別神社に定められたいる。
石見の三宮
三宮で知られている浜田市黒川の大祭天石門彦神社は あめのいわと、主祭神、手力男命、配祀神 建御名方命 二神を祭祀する社で浜田川の河畔、三つ子山の麓にある。
神社でこの山には高さ四間、幅六間余りの大きな岩石があって、本殿はその前に建っている。又本殿の西側には烏帽子岩がある。
昭和六十二年七月吉日
石見の国三宮
大祭天石門彦神社
主祭日
例大祭 十 月 十九日
新嘗祭 十一月二十六日
贄狩祭 一 月二十五日
祈年祭 二 月二十六日特殊神事
贄狩祭 往古十二月一日から翌年一月二十五日迄山狩をなし 獲物の鹿を供え村内を始め近郷四十ヶ村の平隠繁栄を祈願した。ちなみに鹿足郡は鹿の足を供え 美濃郡は「みの」を献した慣習から その地名が生じたと伝えられている。
その後 氏子十ヶ村及び原井、浅井、長沢、両黒川、後野、小笹、伊木、七条、 細谷、旧浜田以東の区域で御狩を行っていたと伝えられている。
現在は一月二十五日を祭日とし、さざえの酢物、くわ形餅、あお木の箸、かづらの輪にしたもの 神饌に合わせ猪の肉を供えて、祭典を行い祝詞の次に万才楽を奏上する慣習がある。
昭和六十二年七月吉日拝殿の案内板より
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【由 緒 (History)】
由緒・特殊神事
石見国三宮であり、延喜式内社である。創立年代は不詳であるが第15代応神天皇の御世と伝えられている。特殊神事として贄狩祭があり、12月から1月までに狩猟で獲った鹿の肉を供えて地域の平穏弥栄を祈願した。
島根県神社庁HPより
https://www.shimane-jinjacho.or.jp/hamada/5a1d6d63cb21f7a47e630ebcf8312e9cf7de0580.html
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
〇島根驗 那賀郡 縣社
〇島根縣 石見國 那賀郡石見村大字黒川
縣社 大祭天石門彦(オホマツリ アメノ イハトヒコノ)神社
祭神 天石門別(アメノ イハトワケ)命
建御名方(タケミナカタノ)命創立由緒並に詳ならず、
神社覈録に「祭神明か也、又云 建御名方命云々當園三宮也」
又 式内神社在所考に「祭神は天石門別命にて、手力男神と同神なり、此所に祀られ給ふは、大麻山神社と共に、穀麻に由緒ありてなり、在所は黒川村にて、世に三宮といふ社なり、」又 神祇志料に「按 延喜式阿波國 大麻比古(オホマビコ)神社、天石門別八倉比賣(アメノイハトワケヤクラヒメ)神社,天石門別豊玉比賣(トヨタマヒメ)神社あり、安藝園 大麻天神、天磐門別神あり、當國に大麻山神社あり、天石門彦神社あり、天石門彦疑らくは天石門別同神乎、姑く附けて考に備ふ」
又 一書に「今按に、明細帳に天石門別命とあり、注進文に藤井宗雄云、大祭は詳ならす、若くは往昔 祭禮の最重なりし故に、オホマツり と唱へしが、遂に地名の如くなりし故に冠らせたるにや、是は穀麻のことによりて、大麻山神社を祀り、其縁にて當社を祀り給へるなり、此兩者の竝び祀られし例は、近く安藝國 大麻天神あり、天磐門別神あり、式内にはあらざれと共に三代實録に出でたり云々といへる、従ふべし、
八重葎に、社記に曰く石門彦とは、健南方命の別名なり云々とあるはいかが、こは相殿にや、宗雄が説に、相殿の健御名方命は、諏訪神なるが、是は頭注抄に依り、且以前 當社を、大己貴命と誤りたることあり、其時 大己貴命を、日吉権現とも、諏訪明神とも申奉るとありて、別名にあらざるよしいへり、是もさあらんか」と云へり。
明治六年五月、縣社に列し、同七年六月兼ねて郷社に定められしが、同八年七月兼郷社を廃せらる、合祭の建御名方命は、仁明天皇 承和二乙卯年十二月二十五日、信濃國諏訪神社より移されたるなりとぞ。
社殿は本殿、拜殿、廊下等にして、境内坪數四百八十二坪 (官有地第一種)を有せり、其後明治二十八年内務省指令第百七十六號を以て上地林反別四反一畝二十六歩を境内に編入せらる。
境内神社 稻荷神社 猿田彦神社 若宮八幡宮
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・〈境内社〉足王神社《主》猿田彦命
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・稲荷神社《主》倉稲魂命
・神明宮《主》天照皇大神
・高佐神社《主》大元神,地主大神,大物主神
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)石見國 34座(並小)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 11座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大祭天石門彦神社
[ふ り が な ](おほまつり あめのいはかとひこの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ohomatsuri ameno ihakatohiko no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「(いはとわけのかみ)」の呼称を持つ神社について
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に「いはとわけのかみ」の呼称を持つ延喜式内社は 12ヶ所あります
①延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕
②延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社
③延喜式内社 攝津國 嶋下郡 天石門別神社
④延喜式内社 近江國 伊香郡 天岩門別命神社
⑤延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社
⑥延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社
⑦延喜式内社 美作國 英多郡 天石門別神社
⑧⑨延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社
⑩延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別八倉比賣神社〔大 月次 新嘗〕
⑪延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別豊玉比賣神社
⑫延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社
各々の論社について
①延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕(あまつ いはとわけ わかひめの かみのやしろ)の論社について
・廃絶につき 所在不明ともされます〔式内調査報告〕
・嚴島神社(京都市北区雲ケ畑中畑町)
・岩戸落葉神社(京都市北区小野岩戸)
②延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社(あまつ いはとわけの かみのやしろ)の論社について
・天津石門別神社(高市郡高取町越智)
天津石門別神社(あまついわとわけじんじゃ)は 越智氏居館跡の西にあり元暦二年(1185)越智家の祖 親家が戦場守護神として創祀『越智氏系図』 古来 九頭神社と称した 明治八年(1875)奈良県示達により延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社(あまつ いはとわけの かみのやしろ)に治定され社名も改称されたが根拠は不明
天津石門別神社(高取町越智)〈『三代實録』天石戸別神『延喜式』天津石門別神社〉
・天太玉命神社(橿原市忌部町)
〈境内社〉杵築神社 又は天太玉命神社に合祀
天太玉命神社(あめのふとたまのみことじんじゃ)は この地に忌部宗家が斎部氏を称し土着 自らの祖先と斎部氏に縁故ある神霊を祀ったのが当社の起源 式内社 大和國 高市郡 太玉命神社四座〔並名神大月次新嘗〕(ふとたまのみことのかみのやしろ よくら)又 同じく式内社 天津石門別神社(あまついはとわけのかみのやしろ)の論社
天太玉命神社(橿原市忌部町)〈『延喜式』太玉命神社四座〔並 名神大 月次 新嘗〕〉
③延喜式内社 攝津國 嶋下郡 天石門別神社(あまの いはとはけの かみのやしろ)の論社について
・天石門別神社(茨木市元町)
茨木神社(いばらきじんじゃ)&〈奥宮〉天石門別神社(あめのいわとわけじんじゃ)は 大同2年(807)坂上田村麿が荊切(いばらき)里をつくった時 天石門別神社が今日の宮元町に鎮座 元和八年(1622)茨木神社の社殿修築の時 延喜式内社 攝津國嶋下郡 天石門別神社(あまのいはとはけの かみのやしろ)を奥宮として現在地に遷座
茨木神社(茨木市元町)&〈奥宮〉天石門別神社〈『延喜式』天石門別神社〉
④延喜式内社 近江國 伊香郡 天石門別命神社(あめ いはかとわけのみことの かみのやしろ)の論社について
・森本神社(長浜市高月町森本)
森本神社(もりもとじんじゃ)は 社伝に「往古は別大名の神と称し 本村坤の方に鎮座 天正の兵火に罹り社殿を焼失 村内大将軍の森へ合祀」と云う 明治元年を森本神社と改称 現在 近江國 伊香郡の二つの式内社①神髙槻神社(かむたかつきの かみのやしろ)②天岩門別命神社(あめのいはかとわけのみことの かみのやしろ)の論社です
森本神社(長浜市高月町森本)〈『延喜式』神髙槻神社・天岩門別命神社〉
⑤延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社について
・伊波止和氣神社(古殿町田口戸神)
伊波止和氣神社(いわとわけじんじゃ)は 江戸時代には゛戸隠大明神゛と呼ばれていましたが 慶應年中(1865~1868年)に 神主の鎌田光雄が 兼務の時 この松尾社〈境内社か?合祀社か?〉を伊波止和氣神社と云ったとあり 延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社となっています
伊波止和氣神社(古殿町田口戸神)
・白河神社(白河市旗宿関ノ森)
白河神社(しらかわじんじゃ)は 社伝によれば 第13代 成務天皇五年(135年)白河國造命と天太玉命を奉祀し 勅命により鎮座 のち白河の関設置に当たり 関所南北に住吉 玉津島明神を祀る と伝わります 二つの式内社①伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)②白河神社(しらかはの かみのやしろ)の論社となっています
白河神社(白河市旗宿関ノ森)
・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)
〈旧鎮座地とも云う〉
磐戸別神社(いわとわけじんじゃ)は 白河の関山に鎮座します 延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の旧鎮座地とも 三鎮座の鼎(かなえ)〈三本足の青銅器・土器〉のように・白河神社(白河市旗宿関ノ森)・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)・都々古和氣神社(白河市表郷三森都々古山)〉の三社を以て 伊波止和氣神社とも云うと伝わります
磐戸別神社(白河市関辺丸沢)
・都都古和氣神社(馬場)の奥宮 都々古別神社(表郷三森 都々古山)
《三鎮座の鼎(かなえ)〈三本足の青銅器・土器〉のように・白河神社(白河市旗宿関ノ森)・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)・都々古和氣神社(白河市表郷三森都々古山)〉の三社を以て 伊波止和氣神社とも云う》
都々古別神社(つつこわけじんじゃ)は 馬場都々古別神社の旧蹟 日本武尊(やまとたけるのみこと)が 都々古山(つつこやま)〈別名を建鉾山(武鉾山)江戸期までは入山禁足〉に「鉾(ほこ)」を立て地主神として「味耜高彦根命」を祀った創祀の地 山頂には梵天の祠があり 山麓には当社があり 延喜式の頃には祭祀が行われていた奥院と伝
都々古別神社(表郷三森 都々古山)〈『延喜式』都都古和気神社〔名神大〕〉
《参考》・石都々古和気神社(石川町)
石都々古和気神社は 約一万年位前から信仰されていたとされている古代の祭祀遺跡の跡地に鎮座しています これは全国的にも数少ない大変重要な遺跡といわれています その様子は 山には 全山に花崗岩の巨石が連なる多くの磐境が点在していて・屏風岩・船形岩・鏡岩(2基)・亀石・天狗石・石門(鳥居)更に 三種の神器と言われている・剣・玉(勾玉)・鏡岩等があります
石都々古和気神社(石川町)
⑥延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社(おほまつり あめの いはかとひこの かみのやしろ)の論社について
・大祭天石門彦神社(浜田市相生町)〈石見國三之宮〉
大祭天石門彦神社(おおまつりあめのいわとひこじんじゃ)は 石見の国三之宮で 創立年代は不詳ですが 第十五代 応神天皇の朝 阿波忌部族が石見の山守部となった時に勧請と伝えられている延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社(おほまつり あめの いはかとひこの かみのやしろ)です
大祭天石門彦神社(浜田市相生町)〈『延喜式』大祭天石門彦神社〉・石見國三之宮
⑦延喜式内社 美作國 英多郡 天石門別神社(あめいはとわけの かみのやしろ)の論社について
・天石門別神社(美作市滝宮)〈美作國三之宮〉
天石門別神社(あめのいわとわけ じんじゃ)は 第10代崇神天皇の御代 四道将軍 大吉備津彦命が 吉備地方平定報賽のため自ら鎮斎したと伝えられます 『三代實録』貞観5年 神階従五位下から従五位上に昇叙せられ 『延喜式』に美作國 英多郡 天石門別神社(あめいはとわけの かみのやしろ)とある式内社です
天石門別神社(美作市滝宮)〈『三代實録』天石門別神『延喜式』天石門別神社〉
⑧⑨延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社について
備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あるが いつれの式内社が どちらの論社に当るのか確定判別はできていません
・石門別神社(岡山市北区大供表町)
石門別神社(いわとわけじんじゃ)は 延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社ですが 備前國御野郡には式内社 石門別神社が二社あり どちらの論社とは確定判別できていません 『神社明細帳』に「御野郡伊福郷の大安寺山に祀られていたのを延喜6年(906)正月に現在の場所へ遷座した」と記されます
石門別神社(岡山市北区大供表町))〈『延喜式』石門別神社〉
・石門別神社(岡山市北区奥田南町)
石門別神社(いわとわけじんじゃ)は 旧号「石神宮」中古「八幡宮」と称されました 延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)として 寛延三年(1750)十二月「石門別神社」に改号されました 備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あり いづれが どちらかは確定判別できていません
石門別神社(岡山市北区奥田南町)〈『延喜式』石門別神社〉
⑩延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別八倉比賣神社〔大 月次 新嘗〕(あまの いはとわけ やくらひめの かみのやしろ)の論社について
・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)
天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)は 杉尾山(標高120m)の上に鎮座し 杉尾大明神と呼称されていました 明治3年(1870)に現号に改称していますが 地元では今でも「杉尾さん」と呼ばれて親しまれています 阿波一之宮とされる式内社「天石門別八倉比賣神社(大 月次 新嘗)」の論社でもあります
天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)〈阿波国一之宮〉
・上一宮大粟神社(神山町)
〈一宮神社(徳島市)の元宮とされる〉
上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)は 御祭神として 古事記に記載されている゛大宜都比売命(おほげつひめのみこと)゛を祀ります 粟国(阿波)を開かれた祖神で 五穀養蚕の神として 古代から農耕を守り生命の糧を恵みむ神で 式内社 天石門別八倉比売(あめのいわとわけ やくらひめの)神社(大月次新嘗)の論社です
上一宮大粟神社(名西郡神山町神領字西上角)〈阿波国一之宮〉
・一宮神社(徳島市)
一宮神社(いちのみやじんじゃ)は 元々は阿波国一之宮であった上一宮大粟神社(名西郡神山町)の分祠として 平安時代後期に国府の近くであったこの地に下一宮として祀られて 阿波国一之宮とされていました しかし 室町時代以降は 細川氏の台頭とともに 大麻比古神社が阿波国一之宮となっていきます
一宮神社(徳島市一宮町西丁)〈阿波国一之宮〉
⑪延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別豊玉比賣神社(あまの いはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)の論社について
・雨降神社(徳島市不動西町)
雨降神社(あまたらしじんじゃ)は 創建年代は不祥です 『延喜式神名帳(927 AD.)』に所載の 二つの式内社〈①天石門別豊玉比賣神社(あめのいはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)②和多都美豊玉比賣神社(わたつみとよたまひめの かみのやしろ)〉の論社です 近世では゛雨降大明神゛と称し 雨乞の霊験が伝わります
雨降神社(徳島市不動西町)〈延喜式神名帳所載 論社〉
・龍王祠〈廃社〉
徳島市の徳島中央公園(城山)〉にあった竜王祠は 徳島城の取り壊し時〈明治8年(1875)〉眉山麓にある国瑞彦神社に合祀
・竜王さんのクス(もと徳島城城山に鎮座した竜王祠〈廃社〉の付近)
・国瑞彦神社(徳島市伊賀町)
※式内社(阿波國名方郡 天石門別豊玉比賣神社)の論社二つ
①境内社゛龍王神社゛〈現在は 廃社 本殿に合祀されている〉
※国瑞彦神社の境内社゛龍王神社゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされていた
②竜王宮(もと徳島城城山に鎮座していた竜王宮)〈国瑞彦神社に合祀されていた時期あり〉
※元は徳島城内に鎮座した゛龍王祠゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされ 国瑞彦神社・忌部神社を経て 現在は 徳島城鎮護の社である春日神社の境内に遷座
国瑞彦神社(くにたまひこじんじゃ)は 文化3年(1806)藩祖 家政公を偲び゛国瑞彦゛の神号を受け この地に奉祀 式内論社の境内社 龍王神社〈現在 廃社 本殿に合祀〉と゛もと徳島城城山に鎮座の竜王祠゛を合祀した時期もあり 式内社 天石門別豊玉比賣神社(あまのいはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)の論社とされます
國瑞彦神社(徳島市伊賀町)〈式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社〉
・豊玉比賣神社(徳島市眉山町)〈春日神社 境内〉
竜王宮(もと徳島城城山に鎮座していた竜王宮)〈国瑞彦神社に合祀されていた時期あり〉
※元は徳島城内に鎮座した゛龍王祠゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされ 国瑞彦神社・忌部神社を経て 現在は 徳島城鎮護の社である春日神社の境内に遷座
春日神社は 慶長年間 藩祖 蜂須賀家政公が 渭の津に築城の際 名西郡入田の里より神霊を奉遷され創建 境内社 豊玉比賣神社(とよたまひめじんじゃ)は もと徳島城(城山)にあった゛竜王祠゛城の取り壊し時〈明治8年(1875)〉眉山麓にある国瑞彦神社に合祀 その後 ここに遷座された 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社です
春日神社& 境内社 豊玉比賣神社(徳島市眉山町)
・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)
天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)は 杉尾山(標高120m)の上に鎮座し 杉尾大明神と呼称されていました 明治3年(1870)に現号に改称していますが 地元では今でも「杉尾さん」と呼ばれて親しまれています 阿波一之宮とされる式内社「天石門別八倉比賣神社(大 月次 新嘗)」の論社でもあります
天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)〈阿波国一之宮〉
⑫延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまの いはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)の論社について
・天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)
天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんしゃ)は 棟札「天野岩戸分安國玉之天神社 天文九年・・・」が元禄5年(1692)巌穴より発見され 藩は式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社と正式認定したが 黒瀬村の社の棟札が「流れ着いた」新宮の扱となり 郷社 貴船神社を合祀 現在に至ります
天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)〈『延喜式内社』〉
・天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)
天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんじゃ)は 古老の口碑に 往古洪水ありて社地崩壊し 神寶神器流失し 棟札流下して神谷村に漂着したといふことで 元々はこちらが延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)であると伝えています
天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)〈『延喜式』天石門別安國玉主天神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR山陰本線 浜田駅から東へ約1.9km 車での所要時間は7~8分程度
山陰道 浜田三隅道路 相生ICから車ですぐ 毎週土曜日の夜は浜田の夜神楽週末公演の会場として使用されています
大祭天石門彦神社(浜田市相生町)に参着
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境内のすぐ右手〈北側〉には 浜田三隅道路の相生ICです
境内の北側には〈境内社〉足王神社《主》猿田彦命が祀られています
社殿〈割拝殿〉には多くの草鞋が奉納されています
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拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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拝殿の奥には 幣殿 渡殿 本殿が続いています
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本殿です
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 大祭天石門彦神社について 所在は゛黒川村に在す、゛〈現 大祭天石門彦神社(浜田市相生町)〉と記しています
【抜粋意訳】
大祭天石門彦神社
大祭は於保末都里、天石門彦は阿米乃伊波止比古と調べし、
○祭神明か也、又云 建御名方命、〔社説〕
○黒川村に在す、〔神社帳〕例祭 月 日、
〇當國三宮也
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 大祭天石門彦神社について 所在は゛今 小石見郷黒河村に在り、゛〈現 大祭天石門彦神社(浜田市相生町)〉と記しています
【抜粋意訳】
大祭天石門彦(アメノイハトヒコノ)神社、
今 小石見郷黒河村に在り、
凡 九月十九日 十二月朔、祭を行ふ、〔八重葎、神名帳打聞、神社明細帳、〕〔〇按 延喜式 阿波國 大麻比古神社、天石門別八倉比賣神社、天石門別豐玉比賣神社あり、安藝國 大麻天神、天磐門別神あり、當國に大麻山神社あり、天石門彦神社あり、天石門彦神 疑らくは天石門別同神乎、姑附て考に備ふ、〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 大祭天石門彦神社について 所在は゛黒川村(那賀郡石見村大字黒川)゛〈現 大祭天石門彦神社(浜田市相生町)〉と記しています
【抜粋意訳】
大祭天石門彥神社 稱 三宮
祭神 大祭天石門彥神
今按 明細帳に天石門別命とあり 注進文に宗雄云 大祭は詳ならず 若は往昔 祭禮の厳重なりし 故におほまつりと唱へしが 遂に地名の如くなりし 故に冠らせたるにや 是は穀麻の事によりて 大麻山神社を祀り 其縁にて當社を祀られ給へる也 此 兩社の竝び祀られし例は 近く安藝國 大麻大神あり 式内にはあらざど 共に三代實錄に出たり云々 と説へる從ふべし 其例 阿波國麻殖郡忌部神社 同村に天磐戸神社 又 名東郡に天磐戸神社あり これら式門ならねども みな古社なり 式内には天石門別八倉比賣 天石門別豐王比賣などの神社なり 大麻比古神社は板野郡に坐せどもかの穀麻の事によりて竝び祀られし例と見えたり 八重葎に社記曰く 石門彦とは健南方命之別名なり云々とあるはいかが こは相殿に宗雄が説に相殿の建御名方命は諏訪神なるか 是は頭注抄に依り 且つ以前 當社を大巳貴命と誤りたる事あり 其時 大己貴命を日吉権現とも諏訪明神とも申奉ることありて 別名にあらざるよし説へり 是もさあらんか
祭日 九月十九日
社格 縣社所在 黒川村(那賀郡石見村大字黒川)
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
大祭天石門彦神社(浜田市相生町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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石見国(いわみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 石見国には 34座(並小)の神々が坐します 現在の論社についても掲載しています
石見國(いわみのくに)の 式内社 34座(並小)について