実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

荏名神社(高山市江名子町)〈『三代實録』荏ノ神『延喜式』荏名神社〉

荏名神社(えなじんじゃ)は 「稻置森」と呼ばれた森に小祠があり 文化十四年1817)国学者の田中大秀翁が考証し 式内社として再建したものです 『三代實録』貞觀九年(八六七)・『延喜式飛騨國大野郡 荏名神社(えなの かみのやしろ)の論社です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

荏名神社(Ena shrne

通称名(Common name)

・〈中世には〉子安大明神

【鎮座地 (Location) 

岐阜県高山市江名子町1290番地

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》高皇産霊神(たかみむすひのかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・ 国史に記載される神社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

岐阜縣 飛騨 大野郡高町大字江名子

郷社 荏名神社

祭神 高皇産靈(タカミムスビノ)神 荏名之(エナノ)大神

創建年代詳ならずと雖も、廷喜の制式の小社に列す、
即ち神名帳考証に、「荏名神社、大屋津姫命、美濃國 恵奈神社同神」と見え、
飛騨國総社考に、「大野郡灘郷江名子村にまします、今 稲置森といひ、中世 子安大明神と申よし、長谷川氏の飛州志に見ゆ、大秀 按に、荏名を胞にとりて、安産を祈しなるべし、こは大和國吉野の水分(ミマクリ)神社をミコモリと訛て、つひに今は子守と申て、子をいのる神とまうすがごとし、
古事記 伊邪河宮開化天皇段に、日子坐王 聚山代荏 名津比云々と見え、斐太後風土記に、荏名は高山より行に、守屋と稻荷との社前を過て、江名子に入る村の口なり今も此里人 荏を多く作るに能榮え、又自然も生出づ、荏名は名は借字荏野なりと云、其を諸人の知らで社も衰廃たるを、飛州に、稻置森 子安神祠ありと記され、又 里俗の荏野(エノ)を胞衣(エナ)なりと思ひ違ひて安産を祈りしを、
田中大秀吾師荏野翁いたく糠慨て、文化十四丁丑年  荏野神社を再建て、社傍に家を建て、高山より引移り荏野翁と自號て、朝夕に神に齊仕てまつられしが、後其住れし家を高山へ引払ひぬ」と見え、
神祇志料にも「今 灘郷江名子村稻置森にあり、荒神宮と云ふ、清和天皇貞観9年10月庚子、從五位下荏名神に從五位上を授く』と載せだり、其他神社覈録、特選神名帳等悉く其説一致せり、今之を省く、是に由りて本社の概略を窺知すべし、明治四年九月郷社に列せらる。
社殿は一宇にして神門あり、境内坪数四百六十坪(官有地第一種〕を有す。

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

【由  (History)】

由緒由来

創祀未詳なれども、延喜式神名帳に曰く、飛騨國大野郡(三座の内)荏名神社是なり。三代実録に曰く、貞観九年十月五日授飛騨國従五位下荏神従五位上。
飛騨後風土記に曰く、荏名子村荏名神社祭神(高御産巣日神・愛那能御神)。田中大秀翁文化十四年此神社を再建して社傍に自宅を建て、移り住み荏名翁と自号せらる。和漢三才図会に曰く、荏名明神在大原郡(原は野の誤りならむ)。

岐阜県神社庁HPより
https://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=1717

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

荏名神社 社殿

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・境内入り口 鳥居 社号標

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・境内 大石

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・石の神橋

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

飛騨國 荏神として 神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

卷十四 貞觀九年(八六七)十月五日庚午

○五日庚午

地震

授ニ

讃岐國 正五位下 田村神 從四位下

伊賀國 從五位下 敢國津神
飛騨國 從五位下  荏神 槻本神 大津神 荒城神 栗原神 阿多由太神 高田神
越中國 從五位下 御田神 並從五位上

遠江國 正六位上 鴨神
飛騨國 正六位上 大歳神 走淵神 四天王神 遊幡石神 彦度瀬神 道後神等並從五位下

貞観九年十月五日庚子 授ニ 飛騨國從五位下 荏名神ニ 從五位上ヲ

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)飛騨國 8座(並小)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)大野郡 3座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 荏名神社
[ふ り が な ](えなの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ena no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の「えなの かみのやしろ」は二ヶ所あります

①延喜式内社 美濃國惠奈郡 惠奈神社
②延喜式内社 飛騨國大野郡 荏名神社

①延喜式内社 美濃國惠奈郡 恵奈神社(えなの かみのやしろ)の論社について

・恵那神社 奥宮本社(恵那山2,191mの山頂)
・恵那神社 前宮本社(中津川市中津川字正ケ根)

②延喜式内社 飛騨國大野郡 荏名神社(えなの かみのやしろ)の論社について

・荏名神社(高山市江名子町)

一緒に読む
荏名神社(高山市江名子町)〈『三代實録』荏ノ神『延喜式』荏名神社〉

荏名神社(えなじんじゃ)は 「稻置森」と呼ばれた森に小祠があり 文化十四年(1817)国学者の田中大秀翁が考証し 式内社として再建したものです 『三代實録』貞觀九年(八六七)荏ノ神・『延喜式』飛騨國大野郡 荏名神社(えなの かみのやしろ)の論社です

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・荒神社(高山市江名子町)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR高山本線 高山駅から東南方向へ約3.2km 車での所要時間は9~12分程度

江名子川の南岸に 東向きで鎮座しています

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荏名神社(高山市江名子町)に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて境内へ進みます
鳥居の中に 沈む夕日があります
参拝日は8/5 PM18:00頃

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参道の左手には 式内 荏名神社を再興した「田中大秀」について 記しています

 鈴屋門下の逸材 田中大秀翁は安永六(一七七七)年八月酉の日の酉の刻 高山一之町村の商家に生まれた。四十歳を過ぎて家を嗣子 寿豊に譲り、式内荏名神社を再興して傍らに移り住み、自ら荏野翁と称した。

 この地における日日の研鑽が名著「竹取翁物語解」その他かずかずの業績を生み、ここはまた、多数の門人を指導する教場ともなった。千種園の名は大伴家持の歌に由来し、東方乗鞍岳の上に出る月の眺めが格別なので、居宅を賞月射とも呼んだ。

 とこしへにたえせずもがと大前に
 御石の橋は仕へ奉りつ 大秀

 いま碑面に刻まれた歌は石の神橋を架け渡した時の翁の喜びの作、橋は江名子川の洪水にも落ちないよう工夫され、橋上から眺める雪景色は千種園の八勝の一景にも数えられた。

 弘化四(一八四七)年九月十六日翁は静かに七十一年の生涯を閉じ、南東松室岡の上に葬られた。

平成八年九月 田中大秀翁顕彰会

現地石碑文より

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石碑文に記されている 田中大秀が江名子川に架けた「石の神橋」を渡ります

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「石の神橋」を渡った境内には 「荏名神社」の社号標と鳥居が建ちます

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左手には 荏野文庫土蔵があります

岐阜県指定史跡 荏野文庫土蔵

 カラー鉄板葺、二階建
 桁行3.47メートル
 梁間3.47メートル

 国学者 田中大秀の文庫蔵で、火災と鼠害から守るために池の中に建てられている。

 大秀は、天保十年(一八三九)に土蔵の建築を思い立ったが、五年後の天保十五年(一八四四)六月になって手斧始め、翌弘化二年(一八四五)に完工した。壁土に京都神楽が岡の土を用い、飛騨国内 各神社の注連縄を集めてスサに使ったと伝えられる。

 二階前面明り窓の上には、「荏野文庫」の文字を浮彫りにした扁額が掲げられていた。橋も以前は簡単に取り外せる木橋であった。

 旧蔵書の大部分は、飛騨高山まちの博物館に保管されている。

 昭和三十一年二月二十四日指定 高山市教育委員会

現地立札より

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして境内を戻ります
鳥居の横には 大石があります

かつて「稻置(イナハギ)の森にあった小祠であった頃 森の中に大石あり」とあり その大石でしょうか?

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 荏名神社について 所在は゛灘郷江名子村に在す、國人 田中紀文云、今俗に稻置(イナハギ)の森と云ふに小社ありこれ也、又森の中に大石あり゛〈現 荏名神社(高山市江名子町)〉と記しています

【抜粋意訳】

荏名神社

荏名は假字也

○祭神詳ならず

○灘郷江名子村に在す、國人 田中紀文云、今俗に稻置(イナハギ)の森と云ふに小社ありこれ也、又森の中に大石あり、

類社
 美濃國恵奈郡 恵奈神社

神位
 三代實録、貞観五日庚午、授 飛騨國從五位下 荏名神 從五位上

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 荏名神社について 所在は゛ 灘郷江名子村稻置森にあり、荒神宮と云ふ、゛〈現 荒神社(高山市江名子町)〉と記しています

【抜粋意訳】

荏名(エナノ)神社、

 灘郷江名子村稻置森にあり、荒神宮と云ふ、〔飛州志、神名帳考、〕

清和天皇 貞観九年十月庚子、從五位下 荏名神に從五位上を授く、〔三代實録〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 荏名神社について 所在は゛奈太ノ郷ノ江名子村 (大野郡大名田村大字江名子 )゛〈現 荏名神社(高山市江名子町)〉と記しています

【抜粋意訳】

荏名(エナノ)神社

祭神

神位 清和天皇 貞観九年十月五日庚子 授ニ 飛騨國從五位下 荏神ニ 從五位上ヲ

祭日 九月七日八日
社格 郷社

所在 奈太ノ郷ノ江名子村 (大野郡大名田村大字江名子 ) 

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

荏名神社(高山市江名子町) (hai)」(90度のお辞儀)

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飛騨国 式内社 8座(並小)について に戻る

一緒に読む
飛騨國(ひだのくに)の 式内社 8座(並小)について

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