岩上神社(いわがみじんじゃ)は もとは二条堀川付近にあったが 徳川家康の二条堀川城築城時 岩上通六角へ 更に後水尾天皇の女御の御所へと移されると 小僧に化けるなどの怪異が絶えず 雲乗院と云う真言宗の僧が今の地に安置し寺としたと伝わります 延喜式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社(おほしはの かみのやしろ)の論社でもあります
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
岩上神社(Iwagami shrine)
【通称名(Common name)】
・岩神さん(いわがみさん)
【鎮座地 (Location) 】
京都府京都市上京区大黒町〈上立売通浄福寺東入〉689-3
〈旧住所〉京都府京都市上京區浄福寺通上立賣東入ル大黒町
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
・しめ縄をかけられた大石〈巌石の御神体〉
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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
岩上神社(いわがみじんじゃ)
伝えによれば、二条堀川付近にあった霊石が六角通(岩上通六角辺り)に遷(うつ)され、更に中和門院(ちゅうわもんいん)(後陽成(ごようぜい)天皇の女御の一人で後水尾(ごみずのお)天皇の母)の屋敷の池の畔に遷されると怪異な現象が起きたという。吼え出したり、すすり泣いたり、子供に化けたり、の類である。子供に化けたという伝説に因んで「禿童石(かむろいし)」と呼ばれたこともあったという。
持て余した女官たちが遂にたまりかねて蓮乗院(れんじょういん)という真言宗の僧を召したところ、彼はその石を貰い受け、現在地に遷して祀ったという。その際に「有乳(うにゅう)山 岩上寺」と称した。以降、授乳、子育ての信仰を集め、地元では「岩上さん」と親しみを込めて呼ばれている。
寺は享保(きょうほう)十五年(一七三〇)の大火事「西陣焼け」で堂舎が焼かれ、天明八年(一七八八)の「天明の大火」では荒廃の極みに達した。
明治維新の際には廃寺となったが、大正年間に織物業の千切屋(ちきりや)が敷地内に祠(ほこら)を構え、以降「岩上神社(岩上祠 いわがみし)となって今に至る。数奇な運命を経た霊石だけは昔の姿そのままで現在に伝わる。
京都市
現地立札より
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【由 緒 (History)】
『京都民俗志』〈昭和8年〉に記される内容
【抜粋意訳】
石〔祭石〕
岩神
西陣雨寶院の西方、工場内に東向にある。高さ六尺六寸、幅五尺餘、幾分赤味を帯び、胴に注連が張られてゐる。形はリンガの容であるとも云はれ、乳の出るを祈る信仰が徳川時代からある。
社殿は無く覆屋があるだけである。(一説に徳川時代に岩上神社と云ふ嗣があつたとも云ふ。 雍州府志卷四には同所に岩神寺(真言宗)と云ふ寺があつて、大岩石を本尊としてゐた由見え、山城名勝志卷五には蓮乗院が守ると見える。)
西陣の人は 北野へ参詣するには同地を通ってはならぬ、岩神の地は藤原時平の邸址であるからと云ってゐる。
永承五年始めて二條大宮に祀られたとか、二條御城の南にあつたのを内裏の築山に引かうとしたら吠えたので八條宮の築地の元に捨てたとか小僧に化けて神泉苑で怪をなした等傳へられてゐる。(洛陽名所集卷一には 元は内裏の傍にあつた由見える。)
昔二條堀川邊にあつたらしく近江園城寺の新羅明神にも關係があると云ふ。岩上通蛸藥師上る岩上町の中山神社は此の舊地であると傳へられてゐる。
名勝志に引く西陣岩神記には寛水に社頭を六角に移し石だけ残った。中和門院の池邊に曳き怪があつた云々と見える。
子供に化けた事があつたので一名を禿童石(かぶろいし)とも呼んでゐる。猶 石上明神に就ては黒川道祐の「神泉苑略記」に記事がある。
【原文参照】
井上頼寿 著『京都民俗志』,岡書院,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1442348
井上頼寿 著『京都民俗志』,岡書院,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1442348
上京区の史蹟百選/岩神祠(いわがみのほこら)
西陣の織屋街の奥まったところに,2メートル近い大きな石があります。これが岩神です。江戸時代,ここに有乳山岩神寺があり,授乳の神として信仰されていましたが,天明の大火後は衰微し,明治になって廃寺となり,石だけが放置されていたといいます。大正6年に芝居小屋の跡地になっていた今の土地を所有した会社が祠を建てて神事を行うようになりました。
もともと二条堀川付近にあった石ですが,徳川家康の二条堀川城築城により岩上通六角へ,さらに後水尾天皇の女御の御所へと移されますが,小僧に化けるなどの怪異が絶えないところから雲乗院という真言宗の僧が今の地に安置して寺としたと伝えられています。
京都市上京区役所HPより
https://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/page/0000012503.html
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・岩神
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・鳥居
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・案内立札
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・手水舎
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・全景
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈神社の移転先〉中山神社〈岩神社〉(京都市中京区岩上町)
中山神社〈岩神社〉は かつてこの地「岩上神社(京都市上京区上立売通浄福寺東入ル大黒町)」にあつたと云う
「石は大き過ぎて動かず旧地にとどまった」と伝えています
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)愛岩郡 21座(大8座・小13座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大柴神社
[ふ り が な ](おほしはの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ohoshiha no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社(おほしはの かみのやしろ)の論社について
・神明神社(京都市左京区大原草生町)
神明神社(しんめいじんじゃ)は 飛鳥時代に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられる天台宗の尼寺「寂光院(じゃっこういん)」の裏山中腹〈北西〉に鎮座します 延喜式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社(おほしはの かみのやしろ)の論社ともされます
神明神社(京都市左京区大原草生町)〈『延喜式』大柴神社〉
・岩戸落葉神社(京都市北区小野下ノ町)
岩戸落葉神社(いわとおちばじんじゃ)は 岩戸社 落葉社の2社が 堕川社の相殿社となり 現在地に遷座 岩戸落葉神社と称されるようになった
岩戸落葉神社〈『延喜式』堕川神社・天津石門別稚姫神社〔名神大月次新嘗〕・大柴神社〉
①式内社 山城國 葛野郡 堕川神社
②式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕
③式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社
三つの式内社の論社とも云う
・岩上神社(京都市上京区大黒町)
岩上神社(いわがみじんじゃ)は もとは二条堀川付近にあったが 徳川家康の二条堀川城築城時 岩上通六角へ 更に後水尾天皇の女御の御所へと移されると 小僧に化けるなどの怪異が絶えず 雲乗院と云う真言宗の僧が今の地に安置し寺としたと伝わります 延喜式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社(おほしはの かみのやしろ)の論社でもあります
岩上神社(京都市上京区大黒町)〈『延喜式』大柴神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
今出川駅から上立売通を経由して西へ約1.5km 徒歩での所要時間20~25分程度
法華宗総本山本隆寺の裏手〈北側〉にあります
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手水舎と鳥居の建つ覆い屋があります
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岩上神社(京都市上京区大黒町)に参着
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手水舎には「岩神」の扁額があります
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清めます
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すぐ隣に 覆い屋の中に巨石が祀られています
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正面には鳥居が建てられていて 由緒書きの立札があります
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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて
拝所にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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覆屋の中には しめ縄をかけられた大石〈巌石の御神体〉が鎮座しています 石の大きさは直径が1メートルほど 高さは2メーター弱(人の背丈ほど)で 石というよりも岩のように見え「岩神さん(いわがみさん)」と呼ばれているのが納得できます
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
延喜式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社について 祭神・所在は゛祭神在所等詳ならず゛〈良くわからない〉と記しています
一説として
゛下小野、俗稱ニ 落葉宮゛〈現 岩戸落葉神社(京都市北区小野下ノ町)〉
゛元祿五年 神樂岡の東に移されし芝藥師゛〈現 岩上神社(京都市上京区大黒町)〉
【抜粋意訳】
大柴神社
大柴は於保之波と訓べじ
○祭神在所等詳ならず
山城志云、在ニ 大原草生村、今稱ニ 神明宮、」
考証云、今在ニ 下小野、俗稱ニ 落葉宮是乎、」〔連胤〕按るに、落葉宮は志に葛野郡 堕川神社なるよし云り、抑今は洛中なる上立賣大宮に柴大宮町といふ小名あり、其邊の町々柴某と皆柴の宇を付たり、
名跡志に、元禄五年 神樂岡の東に移されし芝薬師も、往昔 此邊に在しといへり、中川親成が、彼邊一條より以北なれば、昔は洛外なりし事明らか也、されば彼邊に坐し故、大柴といふにやあらんといへるも一説也、猶考ふべし、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
延喜式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社について 社号のみを記しています
【抜粋意訳】
大柴神社
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815493
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
延喜式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社について 所在について 説をいくつか挙げています
゛大原草生村 今稱ニ 神明宮゛〈現 神明神社(京都市左京区大原草生町)〉
゛下小野 俗稱ニ 落葉宮゛〈現 岩戸落葉神社(京都市北区小野岩戸)〉
゛元祿五年 神樂岡の東に移されし芝藥師゛〈現 岩上神社(京都市上京区大黒町)〉
【抜粋意訳】
大柴(オホシバノ)神社
祭神
祭日
社格所在
山城志に在ニ 大原草生村 今稱ニ 神明宮
考證云 今在ニ 下小野 俗稱ニ 落葉宮 是乎
神社覈錄に 落葉宮は志に葛野郡 墮川神社なる由云り 抑今は洛中なる上立賣大宮に柴大宮町と云ふ小名あり 其邊の町は柴某と皆柴の字を付たり
名跡志に 元祿五年 神樂岡の東に移されし芝藥師も往昔 此邊に在しと云り 中川親成が彼邊一條より以北なれば 昔は洛外なりし事明らか也 されば彼邊に坐し 故大柴と云にやあらんと云るもー設なり 猶考べしと云り 附て参考に備ふ
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
岩上神社(京都市上京区大黒町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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山城国 式内社 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)について に戻る
山城国(やましろのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 山城国 の122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)の神社のことです
山城國 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)