実践和學 Cultural Japan heritage

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備前国 式内社 26座(大1座・小25座)について

備前国(びぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 備前国 26座(大1座・小25座)の神社です

備前国(びぜんのくに)について

備前国Bizennokuniは  令制国の一つ〈山陽に属する
現在の岡山県東南部香川県小豆郡 直島諸島兵庫県赤穂市の一部 福浦

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備前国(びぜんのくに)の成立は

7世紀後半
吉備国(きびのくに) 備前国、備中国、備後国に分割されて成立

和銅6年(713)4月3日 備前守 百済王南典と備前介 上毛野堅身の提案により 備前国から英多郡、勝田郡、苫田郡、久米郡、真嶋郡、大庭郡の六郡を分けて美作国設けられました

大和朝廷は 強大な吉備国(きびのくに)の解体〈分解〉を進め 美作国(みまさかのくに)の分立は その最終段階でした

要因としては 鉄資源を吉備氏から直接 大和朝廷の管轄下に置くことによる吉備氏弱体化の意図があったとされます

備前国庁跡

備前国(びぜんのくに) 26座(大1座・小25座)

大社1座1社
小社25は20
 26は21

※座は神の柱数 社は神社数

〈延喜式神名帳に記載〉
邑久郡(をほくの こおり) 3座(大1座・小2座
赤坂郡(あかさかの こおり) 6座(並小)
和氣郡(わけの こおり) 1座(小)
上道郡(かんつみちの こおり) 4座(並小)
御野郡(みのの こおり) 8座(並小)
津髙郡(つだかの こおり) 2座(並小)
兒嶋郡(こじまの こおり) 2座(並小)

邑久郡(をほくの こおり) 3座(大1座・小2座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

美和神社(みわの かみのやしろ)

美和神社長船町東須恵  広高山

一緒に読む
美和神社(長船町東須恵 字 広高山)〈『延喜式』美和神社〉

美和神社(みわじんじゃ)は 勧請年代は明確ではありませんが この地に7世紀前後に移住してきた須恵器の陶工集団と深い関係があり 鎮座する広高山は三和の峰とも呼ばれ 大神神社(奈良県桜井市)を勧請したと云う 延喜式内社 備前國邑久郡 美和神社(みわの かみのやしろ)の論社です

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・広高神社〈若宮八幡宮 境内社〉(瀬戸内市邑久町)
〈美和神社 (広高山)の本宮との説あり〉

一緒に読む
広高神社〈若宮八幡宮 境内社〉(瀬戸内市邑久町)〈『延喜式』美和神社〉

廣高神社(ひろたかじんじゃ)〈若宮八幡宮 境内社〉は 美和神社 (広高山)〈延喜式内社 備前國邑久郡 美和神社(みわの かみのやしろ)の論社〉の本宮との説があります 元は 神坂(みわさか)〔現 才崎〕の巨岩の上に 才崎宮として鎮座していましたが 現在は若宮八幡宮の境内に広高神社として祀られています

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美和神社〈多賀神社 境内〉(瀬戸内市長船町磯上
〈美和神社(瀬戸内市長船町福里)の寄宮〉

一緒に読む
美和神社〈多賀神社 境内〉(瀬戸内市長船町磯上)〈『延喜式』美和神社〉

美和神社(みわじんじゃ)〈多賀神社 境内〉は 寛文6年(1666)寺社整理令により式内論社 福里美和神社を含む52社が合祀された 磯上の多賀神社境内の寄宮です 寛延2年(1749)福里美和神社は地元の願いを受け再興され 多賀神社境内には「古の美和神社の古跡」〈延喜式内社 美和神社(みわの かみのやしろ)〉の碑が残ります

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・美和神社(瀬戸内市長船町福里)

一緒に読む
美和神社(瀬戸内市長船町福里)〈『延喜式』美和神社〉

美和神社(みわじんじゃ)は 延享3年(1746)寅12月18日 延喜式内社 備前國邑久郡 美和神社(みわの かみのやしろ)であると再興上願 延享4年(1747)3月御聞届 寛延2年(1749)社殿成神霊ヲ奉遷スとあり 福里へ奉遷 明治維新まで延喜式内社とされたが 後 明細帳編成の際 式外と改められました

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片山日子神社(かたやまひこの かみのやしろ)

・片山日子神社(瀬戸内市長船町土師) 

一緒に読む
片山日子神社(瀬戸内市長船町土師)〈『延喜式』片山日子神社〉

片山日子神社(かたやまひこじんじゃ)は 延喜式内社 備前國邑久郡 片山日子神社(かたやまひこのかみのやしろ)古来鎮座の神山から天喜3年(1055)現在地に遷座・社伝「片山日子神とは片山に坐す吉備津日子命の略称」・『吉備温故録』天日方奇日方命・『備前国志』『神社覈録』大山咋神・『神祇志料』賀茂片山御子神と祭神は諸説あり

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安仁神社〔名神大〕(あにの かみのやしろ)

・安仁神社(岡山市) 

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安仁神社(岡山市東区西大寺一宮)〈元 備前国 一之宮〉

安仁神社(あにじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の名神大社です 備前国の総鎮守とされ 備前国の 元 一之宮で(現 一之宮は吉備津彦神社)創建から2600年以上とも伝えられる岡山県内でも屈指の古社であり 格式の高い大社とされています

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赤坂郡(あかさかの こおり) 6座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

鴨神社三座(かもの かみのやしろ みくら)

・鴨神社(赤磐市仁堀西)

一緒に読む
鴨神社(赤磐市仁堀西)〈『延喜式』鴨神社三座〉

鴨神社(かもじんじゃ)は 京都上加茂大明神の御分社として 明治初年迄は京都上加茂神社の社家松下氏 西池氏の両家が社務を統理し 本村で高百五十石を領し その収納で運営にあたっていた 延喜式内社 備前國赤坂郡 鴨神社三座(かもの かみのやしろ みくら)の論社です

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・鴨布勢神社(赤磐市上仁保)

一緒に読む
鴨布勢神社(赤磐市上仁保)〈『延喜式』鴨神社三座〉

鴨布勢神社(かもふせじんじゃ)は 鍋谷・西中・下仁保・西仁保・上仁保・西窪田の六か村の大氏宮で 陰暦十月十七・十八日の祭当日は御輿六体が集まって御神幸の儀があったと云う 延喜式内社 備前國赤坂郡 鴨神社三座(かもの かみのやしろ みくら)の参考論社です

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・鴨布勢神社(赤磐市多賀)

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鴨布勢神社(赤磐市多賀)〈『延喜式』鴨神社三座・宗形神社〉

鴨布勢神社(かもふせじんじゃ)は 中古 紫明現と云い『吉備群書集成』に「創造時代不詳。社司之說に、古來より延喜式 宗形神社と云傳ふ。不審。」とあり 式内社 備前國赤坂郡 宗形神社(むなかたの かみのやしろ)と社司は伝える 又 式内社 備前國赤坂郡 鴨神社三座(かもの かみのやしろ みくら)ではないかともされます

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・片山神社(赤磐市由津里)

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片山神社(赤磐市由津里)〈『延喜式』鴨神社三座〉

片山神社(かたやまじんじゃ)は 孝霊天皇の御宇七十二年 吉備若日子建王子が播磨を征せられ 籠もって祈り給うて再営 天平二年(730)本社建替て迦毛大御神社として祀られ 延喜式内社 備前國赤坂郡 鴨神社三座(かもの かみのやしろ みくら)となる 永承四年(1049)山上より遷座 片山大明神と改名 明治二年 片山神社となる

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宗形神社(むなかたの かみのやしろ)

・宗形神社(赤磐市是里)

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宗形神社(赤磐市是里)〈『延喜式』宗形神社〉

宗形神社(むなかたじんじゃ)は 延喜式内社 備前國赤坂郡 宗形神社(むなかたの かみのやしろ) 社伝に10代崇神天皇の御宇勧請 『古事記』に仁徳天皇が吉備国を訪れ 寵愛した黒日賣が青菜を摘んだので「やまかたに まけるあをなもきひひとゝ ともにしつめはたぬしくもあるか」と御製あり 里人は「山方の大宮」と称したと云う

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・鴨布勢神社(赤磐市多賀)

一緒に読む
鴨布勢神社(赤磐市多賀)〈『延喜式』鴨神社三座・宗形神社〉

鴨布勢神社(かもふせじんじゃ)は 中古 紫明現と云い『吉備群書集成』に「創造時代不詳。社司之說に、古來より延喜式 宗形神社と云傳ふ。不審。」とあり 式内社 備前國赤坂郡 宗形神社(むなかたの かみのやしろ)と社司は伝える 又 式内社 備前國赤坂郡 鴨神社三座(かもの かみのやしろ みくら)ではないかともされます

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石上布都之魂神社(いそのかみのふつのみたまの かみのやしろ)

・石上布都之魂神社 奥の院 と 本殿

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石上布都魂神社(赤磐市石上字風呂谷)〈『延喜式』石上布都之魂神社〉

石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)は 神話で有名な八岐大蛇を退治した剣「十握剣」に宿る神霊「布都御魂」を祀っていました 現在の御祭神は 素盞嗚尊です この神剣は その後 第10代崇神天皇の御代に 石上神宮(奈良)に移されたとされていて 現在も 石上神宮(奈良)では 布都斯魂として祀られています

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布勢神社(貞)(ふせの かみのやしろ)

布勢神社赤磐市仁堀西

布勢巨神社赤磐市中勢実

和氣郡(わけの こおり) 1座(小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

神根神社(貞)(かんねの かみのやしろ)

・神根神社(備前市吉永町神根本)

上道郡(かんつみちの こおり) 4座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

大神神社四座(おほむわの かみのやしろ よくら)

・大神神社(岡山市中区四御神)

御野郡(みのの こおり) 8座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)

備前國 御野郡には式内社石門別神社が二社あり 論社も二社あるが いつれの式内社 どちらの論社に当るのか確定判別はできていません

・石門別神社(岡山市北区大供表町)

一緒に読む
石門別神社(岡山市北区大供表町))〈『延喜式』石門別神社〉

石門別神社(いわとわけじんじゃ)は 延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社ですが 備前國御野郡には式内社 石門別神社が二社あり どちらの論社とは確定判別できていません 『神社明細帳』に「御野郡伊福郷の大安寺山に祀られていたのを延喜6年(906)正月に現在の場所へ遷座した」と記されます

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・石門別神社(岡山市北区奥田南町)

一緒に読む
石門別神社(岡山市北区奥田南町)〈『延喜式』石門別神社〉

石門別神社(いわとわけじんじゃ)は 旧号「石神宮」中古「八幡宮」と称されました 延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)として 寛延三年(1750)十二月「石門別神社」に改号されました 備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あり いづれが どちらかは確定判別できていません

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尾針神社(をはり かみのやしろ)

・尾針神社(岡山市北区京山)

・岡山神社(岡山市北区石関町)

天神社(あまのかみのやしろ

・天神社(岡山市北区三野本町)

・天津神社(岡山市北区津島福居)

・天野八幡宮(岡山市北区青江)

伊勢神社(いせの かみのやしろ)

・伊勢神社(岡山市北区番町)

・内宮(岡山市南区浜野)

天計神社(あまはかりの かみのやしろ)

・天計神社(岡山市北区中井町)

國神社(くにの かみのやしろ)

・國神社(岡山市北区三門中町)

石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)

備前國 御野郡には式内社石門別神社が二社あり 論社も二社あるが いつれの式内社 どちらの論社に当るのか確定判別はできていません

・石門別神社(岡山市北区奥田南町)

一緒に読む
石門別神社(岡山市北区奥田南町)〈『延喜式』石門別神社〉

石門別神社(いわとわけじんじゃ)は 旧号「石神宮」中古「八幡宮」と称されました 延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)として 寛延三年(1750)十二月「石門別神社」に改号されました 備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あり いづれが どちらかは確定判別できていません

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・石門別神社(岡山市北区大供表町)

一緒に読む
石門別神社(岡山市北区大供表町))〈『延喜式』石門別神社〉

石門別神社(いわとわけじんじゃ)は 延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社ですが 備前國御野郡には式内社 石門別神社が二社あり どちらの論社とは確定判別できていません 『神社明細帳』に「御野郡伊福郷の大安寺山に祀られていたのを延喜6年(906)正月に現在の場所へ遷座した」と記されます

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尾治針名眞若比女神社(をちはりのなまわかひめの かみのやしろ)

・尾治針名眞若比女咩神社(岡山市北区津島本町)

・御崎宮(岡山市北区北方)

・岡山神社(岡山市北区石関町)

津髙郡(つだかの こおり) 2座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

鴨神社(かもの かみのやしろ)

・鴨神社(吉備中央町上加茂)

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鴨神社(吉備中央町上加茂)〈『延喜式』鴨神社〉

鴨神社(かもじんじゃ)は 明治以降の説では「弘仁二年(811)山城国愛宕郡加茂大明神を勧請」と云う『吉備温故秘録』など江戸時代の説は 祭神 鴨別命は京都 上賀茂神社からの勧請ではなく笠臣(笠臣国造)の祖 鴨別命を祀ったのに始まるとする説を挙げます 延喜式内社 備前國津高郡 鴨神社(かもの かみのやしろ)の論社です

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宗形神社(むなかたの かみのやしろ)

・宗形神社(岡山市北区大窪)

一緒に読む
宗形神社(岡山市北区大窪)〈『延喜式』宗形神社〉

宗形神社(むなかたじんじゃ)は 創建年代不祥ですが本殿の背後には古墳もあります 古代の山陽道での交通の要所 海が迫っていたこの地に 航海の守護神として 福岡県 宗像大社の神 道主貴(みちぬしのみち)を勧請したのであろうと云う 延喜式内社 備前國津高郡 宗形神社(むなかたの かみのやしろ)の論社です

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兒嶋郡(こじまの こおり) 2座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

鴨神社(かもの かみのやしろ)

・鴨神社(玉野市長尾)

・加茂神社(玉野市木目)

田土浦坐神社(たつちうらの かみのやしろ)

・田土浦坐神社(倉敷市下津井田之浦)

・高嶋神社(岡山市南区宮浦)

・高嶋神社 遥拝所(岡山市南区宮浦)

・廣幡八幡宮(岡山市南区阿津)

山陽道に鎮座する 140座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

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山陽道に鎮座する 140座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています 

このページは
「山陽道」に鎮座する(140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124)神社の一覧表です

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています