実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

加茂神社(玉野市木目)〈『延喜式』鴨神社(かもの かみのやしろ)〉

加茂神社(かもじんじゃ)は 社伝には「児島 三宅の祖・東郷太郎・加茂二郎・稗田三郎の三児がいて まんなかの加茂二郎は 中の加茂の庄をもらい この加茂二郎を祀ったお宮であるから中世には 加茂善児宮または善児宮といった呼ばれたと云う 又 一説には延喜式内社 備前國兒嶋郡 鴨神社(かもの かみのやしろ)であると云う

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

加茂神社(Kamo shrine

【通称名(Common name)】

〈中世には〉加茂善児宮または善児宮といった

【鎮座地 (Location) 】

岡山県玉野市木目910

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》阿遅鉏高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)

※ 社伝には
《主》加茂二郎を祀った「加茂善児宮」とあり

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創 建 (Beginning of history)】

加茂神社 カモジンジャ 由緒

 当神社の創建年月不詳。中世は加茂善児宮または善児宮といったが、明治初年旧号に復した。一説に鴨神社は当社であるというが、何等証するものがない。以前は現社地より五町許り東方の山頂の御鎮座であったが、何れの頃か字摩奥谷という所に移転したが、宝暦十庚辰年更に現地に奉遷したという。

岡山県神社庁HPより
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/17102/

【由 緒 (History)】

『吉備群書集成』第七輯(昭和6年)に記される内容

『玉野の伝説』著者:河井康夫 発行:昭和53年には 

「加茂神社の社名は、昔、善児宮と云った
児島 三宅の祖・東郷太郎・加茂二郎・稗田三郎の三児が鬼と語らい 児島の人民を苦しめ 坂上田村麻呂が遣わされ 鬼を征伐した 鬼を埋めたのが鬼塚と云う 
鬼に味方した東郷太郎は東児島・稗田三郎(西郷三郎)は西児島・加茂二郎は中の加茂の庄をもらった まんなかの加茂二郎を祀ったお宮だから善児宮というと社伝にある」

【抜粋意訳】

善兒宮

〔吉田折紙に不祥とあり。祭體、同斷。〕木目村〔里民 是を疱瘡神 セセの宮といふ。

社司説に、此島に古へ、鈴鹿山の鬼の余類來りて、兒三人かたらひ橫行せし故、 田村将軍これを亡ぼし玉ふ。其兒の名を、東江太郞・加茂二郞・稈田三郞といひし由、依之此宮を加茂次郞を祭りて、延喜式の鴨神社といふ說あれどもたしかなる據なし、不審し。瑜伽山蓮臺寺、其外 本郡の宮寺に、三兒橫行の說あり、奇怪之談信ずるにたらざれども、本郡申所之説故に爰に記す。

【原文参照】

吉備群書集成刊行会 編『吉備群書集成』第七輯,吉備群書集成刊行会,昭和6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1913045

【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

加茂神社 本殿

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

加茂神社 社殿

Please do not reproduce without prior permission.

加茂神社 拜殿

Please do not reproduce without prior permission.

・〈境内社〉龍神社《主》豊玉比賣命

Please do not reproduce without prior permission.

・境内入り口

Please do not reproduce without prior permission.

・鳥居

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

 

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)備前國 26座(大1座・小25座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)兒嶋郡 2座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 鴨神社
[ふ り が な ](かもの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Kamo no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

備前国には延喜式内社として 鴨神が 赤坂郡・津髙郡・兒嶋郡に祀られています

備前国 延喜式内社の内 鴨神を祀る 式内社とその論社について

延喜式内社 備前國邑久郡 片山日子神社(かたやまひこの かみのやしろ)の論社

・片山日子神社(瀬戸内市長船町土師)

一緒に読む
片山日子神社(瀬戸内市長船町土師)〈『延喜式』片山日子神社〉

片山日子神社(かたやまひこじんじゃ)は 延喜式内社 備前國邑久郡 片山日子神社(かたやまひこのかみのやしろ)古来鎮座の神山から天喜3年(1055)現在地に遷座・社伝「片山日子神とは片山に坐す吉備津日子命の略称」・『吉備温故録』天日方奇日方命・『備前国志』『神社覈録』大山咋神・『神祇志料』賀茂片山御子神と祭神は諸説あり

続きを見る

延喜式内社 備前國赤坂郡 鴨神社三座(かもの かみのやしろ みくら)の論社

・鴨神社(赤磐市仁堀西)

一緒に読む
鴨神社(赤磐市仁堀西)〈『延喜式』鴨神社三座〉

鴨神社(かもじんじゃ)は 京都上加茂大明神の御分社として 明治初年迄は京都上加茂神社の社家松下氏 西池氏の両家が社務を統理し 本村で高百五十石を領し その収納で運営にあたっていた 延喜式内社 備前國赤坂郡 鴨神社三座(かもの かみのやしろ みくら)の論社です

続きを見る

・鴨布勢神社(赤磐市上仁保)

一緒に読む
鴨布勢神社(赤磐市上仁保)〈『延喜式』鴨神社三座〉

鴨布勢神社(かもふせじんじゃ)は 鍋谷・西中・下仁保・西仁保・上仁保・西窪田の六か村の大氏宮で 陰暦十月十七・十八日の祭当日は御輿六体が集まって御神幸の儀があったと云う 延喜式内社 備前國赤坂郡 鴨神社三座(かもの かみのやしろ みくら)の参考論社です

続きを見る

・鴨布勢神社(赤磐市多賀)

一緒に読む
鴨布勢神社(赤磐市多賀)〈『延喜式』鴨神社三座・宗形神社〉

鴨布勢神社(かもふせじんじゃ)は 中古 紫明現と云い『吉備群書集成』に「創造時代不詳。社司之說に、古來より延喜式 宗形神社と云傳ふ。不審。」とあり 式内社 備前國赤坂郡 宗形神社(むなかたの かみのやしろ)と社司は伝える 又 式内社 備前國赤坂郡 鴨神社三座(かもの かみのやしろ みくら)ではないかともされます

続きを見る

・片山神社(赤磐市由津里)

一緒に読む
片山神社(赤磐市由津里)〈『延喜式』鴨神社三座〉

片山神社(かたやまじんじゃ)は 孝霊天皇の御宇七十二年 吉備若日子建王子が播磨を征せられ 籠もって祈り給うて再営 天平二年(730)本社建替て迦毛大御神社として祀られ 延喜式内社 備前國赤坂郡 鴨神社三座(かもの かみのやしろ みくら)となる 永承四年(1049)山上より遷座 片山大明神と改名 明治二年 片山神社となる

続きを見る

延喜式内社 備前國津高郡 鴨神社(かもの かみのやしろ)の論社

・鴨神社(吉備中央町上加茂)

一緒に読む
鴨神社(吉備中央町上加茂)〈『延喜式』鴨神社〉

鴨神社(かもじんじゃ)は 明治以降の説では「弘仁二年(811)山城国愛宕郡加茂大明神を勧請」と云う『吉備温故秘録』など江戸時代の説は 祭神 鴨別命は京都 上賀茂神社からの勧請ではなく笠臣(笠臣国造)の祖 鴨別命を祀ったのに始まるとする説を挙げます 延喜式内社 備前國津高郡 鴨神社(かもの かみのやしろ)の論社です

続きを見る

延喜式内社 備前國兒嶋郡 鴨神社(かもの かみのやしろ)の論社

・鴨神社(玉野市長尾)

・加茂神社(玉野市木目)

一緒に読む
加茂神社(玉野市木目)〈『延喜式』鴨神社(かもの かみのやしろ)〉

加茂神社(かもじんじゃ)は 社伝には「児島 三宅の祖・東郷太郎・加茂二郎・稗田三郎の三児がいて まんなかの加茂二郎は 中の加茂の庄をもらい この加茂二郎を祀ったお宮であるから中世には 加茂善児宮または善児宮といった呼ばれたと云う 又 一説には延喜式内社 備前國兒嶋郡 鴨神社(かもの かみのやしろ)であると云う

続きを見る

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR宇野線 常山駅から南下して約4km 車での所要時間は10分程度

玉野市立荘内小学校の南側の丘陵沿いに南西方向に進んでいくと 溜池の方向へ道が続いています

狭い道ですが 道なりに進んでいくと鳥居が建っています

ここに車を停めて一礼をしてから鳥居をくぐり 参道へと進みます

Please do not reproduce without prior permission.

振り返ると 鳥居の先は北方向で 右手には谷があり 左手の山肌に今上がって来た参道があります

Please do not reproduce without prior permission.

参道の入口には 獣除けの柵があり 鉄筋のカギが掛かっていますので 開閉して 中に入ります

Please do not reproduce without prior permission.

参道は狭いので 車両の進入は危険です 左手は直ぐ溜池となっています

Please do not reproduce without prior permission.

溜池なのか 神池であるのか わかりませんが 池の端辺りが 境内となっていて 社殿が見えてきます

Please do not reproduce without prior permission.

正面に 北方向を向いて拝殿があります

加茂神社(玉野市木目)に参着

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿の向かって右手は岩肌が剥き出しになっていますので もしかすると磐座などがあるのかもしれません

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿の奥には本殿が鎮座します

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿の向かって左には〈境内社〉龍神社《主》豊玉比賣命が祀られています

Please do not reproduce without prior permission.

コンクリートの参道のようなものが南方向へと続ています
何処まで行けるのでしょうか?

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして 反対方向の北側〈行きに北方向〉へと戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

参道の右手は 神池のような溜池です

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

途中から コンクリートの参道になります 右側に池は続いています

Please do not reproduce without prior permission.

参道の入口の獣除けの扉まで戻ってきました

Please do not reproduce without prior permission.

鳥居をくぐり抜けます

Please do not reproduce without prior permission.

参道の先 北側に見えている三角錐の山には「常山城跡」があります

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 鴨神社について 所在は゛在所分明ならず゛不明であると記しています
諸説として
長尾村八幡宮゛〈現 鴨神社(玉野市長尾)〉
木目村善兒宮と云う゛〈現 加茂神社(玉野市木目)〉

【抜粋意訳】

鴨神社

鴨は賀茂と訓べし

〇祭神 賀茂別雷神

〇在所分明ならず

〇式考云、長尾村八幡宮、」備陽國誌、木目村善兒宮と云う、雨説未軌れかしらず

類社
 山城國愛宕郡 賀茂別雷神社の條見合すべし、當國赤坂郡 鴨神社三座、津高郡 鴨神社、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 鴨神社について 所在は゛ 賀茂郡長尾村にあり、゛〈現 鴨神社(玉野市長尾)〉と記しています

【抜粋意訳】

(カモノ)神社

賀茂郡長尾村にあり、〔備前式社考、備前式内書上、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 鴨神社について 所在は゛長尾村〔字 宮山〕(兒島郡荘内村大字長尾)゛〈現 鴨神社(玉野市長尾)〉と記しています

【抜粋意訳】

鴨神社

祭神 阿遅鋤高日子根神

祭日 十月五日六日
社格 郷社

所在 長尾村〔字 宮山〕(兒島郡荘内村大字長尾)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

加茂神社(玉野市木目) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

備前国 式内社 26座(大1座・小25座)について に戻る

一緒に読む
備前国 式内社 26座(大1座・小25座)について

備前国(びぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 備前国には 26座(大1座・小25座)の神々が坐します 現在の論社について掲載しています

続きを見る

 

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています