実践和學 Cultural Japan heritage

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片山日子神社(瀬戸内市長船町土師)〈『延喜式』片山日子神社〉

片山日子神社(かたやまひこじんじゃ)は 延喜式内社 備前國邑久郡 片山日子神社(かたやまひこのかみのやしろ)古来鎮座の神山から天喜3年(1055)現在地に遷座・社伝「片山日子神とは片山に坐す吉備津日子命の略称」・『吉備温故録』天日方奇日方命・『備前国志』『神社覈録』大山咋神・『神祇志料』賀茂片山御子神と祭神は諸説あり

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

片山日子神社(Katayamahiko shrine

【通称名(Common name)】

【鎮座地 (Location) 】

岡山県瀬戸内市長船町土師799

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》片山日子命(かたやまひこのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創 建 (Beginning of history)】

片山日子神社 カタヤマヒコジンジャ

由緒

 当社は延喜式神名帳に伊勢国鈴鹿郡片山神社と同神とある。

 備前国神名帳には従2位片山日子神社とある。往古現在の社地前方の神山に鎮座していたのを、後冷泉天皇、天喜3年(1055)乙未8月、勅により現在の地に遷座したと伝えられている。

 明治6年郷社に列格。明治40年1月、神饌幣帛料供進神社に指定された。

岡山県神社庁HPより
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/18069/

【由 緒 (History)】

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

○岡山縣 備前國 邑久郡國府村大字 土師(ハシ)

 片山日子神社

祭神 片山日子(カタヤマヒコノ)

備陽國志、神社覈錄に「大山昨神」神祇志料に「蓋 賀茂片山御子神を祀る、吉備温故録に「天日方奇日方命」とあり、傳云、此の地 往昔 吉備津彦命 備中兇賊温羅を討伐するに當假宮を設けし古跡なれば、片山日子とは片山に座す吉備津日子の略稱なるべしと(社傳)
神祇志料に曰く

「按、備前國志に傳説を載て大山咋神を祭るといへり、大山咋神は賀茂別雷神の御父神に坐して賀茂神に由縁あることいふまでもなし、片山御子神社は即ちその攝計なれど、神官祭ある毎に必ず 本社を祭るもの、或は大山咋神の故にやあらむ、本社既に此神を祭るといふ説あるが上に、片山日子 片山御子 音相近き時は、賀茂族類の神なること著し、附て考に備、」

創建年代詳ならす、延喜の制式内小社に列す、往時は社前なる國府山に座あり、後 山下に民家出來、この神名によりて片山家とせり、中世に至り 山麓即今の地に遷す(吉備温放録、備陽國志、神位は國內神名帳(山本氏本)に從二位 賀多山大明神とあり、明治六年郷社に列す。

社殿は本殿、幣殿、拜殿、釣殿、随神門、神庫等を具備し、境内地四百九十九坪(二百九十四官有地第一種、二百五坪民有地第二種)あり。

境内神社 稲荷神社

例祭日  十月十二日
氏子戶數 二百三十八戸

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313

【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

片山日子神社 拝殿

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瀬戸内市 指定重要文化財(有形民俗文化財)

 片山日子神社奉納の算額

 明治六(一八七三)年十月、笠加村箕輪(現在の邑久町)の入江信順翁がひらいた算学塾「萬春亭」の門下生十六名が各一題の幾何の問いについて解答し、算額絵馬として奉納したものである。一枚の算額絵馬に十六題も出ているものは珍しく、当時の和算の術を知るうえで貴重な資料である。

 また、額縁の龍の彫刻は玉津村尻海(現在の邑久町)の彫刻師 井上幽雪斉・井上幸治尺逸らの作であり、立体的な彫刻は秀逸である。

 縦一八〇センチメートル、横一八二センチメートル

 額縁の材質…欅〈けやき〉、板材…杉

平成二年三月三十一日 瀬戸内市教育委員会

現地案内板より

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・境内参道・狛犬

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・狛犬

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・境内全景・〈境内向って左右奥 境内社〉

・〈向って右奥 境内社〉稲荷神社
・〈向って左奥 境内社〉木野山神社

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・隋神門

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瀬戸内市 指定重要文化財

「片山日子神社だんじり」

 明治十五年五月十五日、備前国児島郡 北浦の大工 片山吉衛忠久により製作される。
 明治十五年、春祭りの五月十九日に巡行したが、翌年から秋祭りに巡行される。現在は、秋祭りの十月十日の夜に境内を巡行している。
 随所に施された彫刻は、秀逸のものといわれる。

 総欅造り、長さ三・四メートル、幅二メートル、高さ三・四メートル

平成十四年四月十六日 瀬戸内市教育委員会

現地案内板より

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・鳥居

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・社頭

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)備前國 26座(大1座・小25座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)邑久郡 3座(大1座・小2座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 片山日子神社
[ふ り が な ](かたやまひこの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Katayamahiko no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 備前國邑久郡 片山日子神社の御祭神と賀茂神との関係について

式内社 片山日子神社の祭神については諸説があります

吉備津日子命 社伝
大山咋神 『備前国志』『神社覈録』
賀茂片山御子神 『神祇志料』
天日方奇日方命 『吉備温故録』

『神祇志料』『特選神名牒』などには「賀茂族類の神なる事著し」とあり 賀茂神に由縁あると記しています 〔詳細は 当記事に 後述してあります〕

備前国 延喜式内社の内 鴨神を祀る 式内社とその論社について

備前国には延喜式内社として 赤坂郡・津髙郡・兒嶋郡に鴨神が祀られています

延喜式内社 備前國邑久郡 片山日子神社(かたやまひこの かみのやしろ)の論社

・片山日子神社(瀬戸内市長船町土師)

一緒に読む
片山日子神社(瀬戸内市長船町土師)〈『延喜式』片山日子神社〉

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延喜式内社 備前國赤坂郡 鴨神社三座(かもの かみのやしろ みくら)の論社

・鴨神社(赤磐市仁堀西)

・鴨布勢神社(赤磐市上仁保)

・鴨布勢神社(赤磐市多賀)

・片山神社(赤磐市由津里)

延喜式内社 備前國津高郡 鴨神社(かもの かみのやしろ)の論社

・鴨神社(吉備中央町上加茂)

延喜式内社 備前國兒嶋郡 鴨神社(かもの かみのやしろ)の論社

・鴨神社(玉野市長尾)

・加茂神社(玉野市木目)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

赤穂線 長船駅から東へ約850m 徒歩での所要時間は11~12分程度

千田川の北岸 県道83号に面して 南向きに鎮座しています
千田川の対岸〔南〕には 甲山(神山、国府山、164m)があります

元々は 現在地の南にある甲山(神山、国府山、164m)の山頂に鎮座していたと云う 後冷泉天皇 天喜3年(1055)乙未8月 勅により 麓の現在地に遷座したと云う

南を向く社頭には「片山日子神社」の社号標

片山日子神社(瀬戸内市長船町土師)に参着

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境内入り口には 車除けがあり すぐ右手には手水舎があります

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境内には 鳥居のすぐ脇に お百度石 その先には隋神門が建っています

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隋神門をくぐり抜けて

拝殿にすすみます

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参道の両脇に 陶器製の狛犬が座しています

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向って右手「阿」の狛犬 境内の奥には〈境内社〉稲荷神社

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向って左手「吽」の狛犬 境内の奥には〈境内社〉木野山神社

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 片山日子神社について 所在は゛土師村に在す、゛〈現 片山日子神社(瀬戸内市長船町土師)〉と記しています

【抜粋意訳】

片山日子神社

片山は加多夜麻と訓べし、日子は假字也、

○祭神 大山咋神、〔國志〕

〇土師村に在す、〔式社考〕

 備陽國誌に、古は國府山に鎭坐、後 山下に民家出來、いまだ村名なき時、此神名をとり片山家といひし由、今の土師村是也、後 今の處へ移すといふと云り、

神位
 國内神名帳、從二位 賀多山大明神、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 片山日子神社について 所在は゛ 土師村國府山の麓にあり、゛〈現 片山日子神社(瀬戸内市長船町土師)〉と記しています

【抜粋意訳】

片山日子(カタヤマヒコノ)神社、

 土師村國府山の麓にあり、備前國志、備前式社考、〕〔〇按 本村 舊名 片山家と云、

盖 賀茂片山御子を祀る、〔参酌延喜式、小右記、土人傳説、〇按 備前國志に傳説を載て、大山咋神は賀茂別雷神の御父神に坐して、賀茂神に由縁あることいふまてもなし、片山御子神社は即ち其 摂社なれど、神官祭ある毎に必ず 先 本社を祭るもの、或は大山咋神の故にやあらむ、本社 既に此神を祭ると云説あるが上に、片山日子、片山御子、音相近き時は、賀茂族類の神なる事著し、姑附て考に備ふ、

凡 正月八日、八月十九日祭を行ふ、〔備前式内書上〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 片山日子神社について 所在は土師村〔字 片山ノ森〕(邑久國府村大字土師)゛〈現 片山日子神社(瀬戸内市長船町土師)〉と記しています

【抜粋意訳】

片山日子神社

祭神 片山日子神

 今按 岡山藩神社書上に 當社 古へは今の社の前なる神山の峰に坐し 中世 今の地にさる 舊址は峰  廣平にして奇石多し 是地は大吉備津日子命 片宮と定玉ひ 湿降伏の謀々森彦と富玉臣に間玉ひ 茅査に發行し玉ふとて まし跡ならんと云り

 されど本 赤坂 鴨三島神社三座 津島郡 鴨神社みえ 山城賀茂神社の社領をかける 壽永三年月廿四日の文書中に備前國庄あり 賀茂別雷社の摂社に片岡神社ありて 一名を片山御子神と云 本社に由ありて聞ゆるを思ふに 鴨神の所にて 片山御子神を祭れるなるべく思はるれど 土人の傳説も捨かたければ姑く書して後考に

祭日 十月十日十一日

社格 

所在 土師村〔字 片山ノ森(久國府村大字土師)

  進状 往昔は今の社領の前なる神山の上に祭せしを 中古 山下の今地に遷座し奉れるなり

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

片山日子神社(瀬戸内市長船町土師) (hai)」(90度のお辞儀)

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備前国 式内社 26座(大1座・小25座)について に戻る

一緒に読む
備前国 式内社 26座(大1座・小25座)について

備前国(びぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 備前国には 26座(大1座・小25座)の神々が坐します 現在の論社について掲載しています

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