宇波刀神社(うはとじんじゃ)は 堀河天皇 寛治年中(1087~1094年) 新羅三郎義光の再建された延喜式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)と伝わります 武田氏(信虎)全盛の頃 源氏の氏神 石清水八幡宮にあやかり 八幡宮と改称され 近世には宇波刀神社とも称していたと云う
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
宇波刀神社(Uhato shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
梨県甲府市宮原町1265
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》應神天皇(おうじんてんのう)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史に記載される神社
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇實録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
市指定有形文化財
宇波刀(うわと)神社 神像群
所 在 甲府市宮原町一二六五番地
所有者 宇波刀神社
指定年月日 平成十三年三月三日男神立像(りゅうぞう)、女神立像、男神坐像(ざぞう)(以下平安時代)、男神坐像(鎌倉時代)、男神坐像(室町時代)、武装形神像(ぶそうがたしんぞう)(平安時代)、随神(ずいじん)坐像(二躯、室町時代)の計八躯が安置される。
男神立像と女神立像は、像高や目の表現に共通性があり、一対で制作されたと推定される。平安時代まで遡(さかのぼ)る女神像は県内では珍しい。また、武装形神像は、その力強い表現に古様が感じられ、十世紀の制作と推定できる。
宇波刀神社は、『甲斐国志(かいこくし)』に十一世紀末に新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)が建立し、保元(ほげん)元年(一一五六)に鎌田兵衛尉正清(かまたひょうえのじょうまさきよ)が再建したと伝えられる。
近世には鎌田(かまた)十二カ村(宮原(みやはら)・堀内(ほりのうち)・高室(たかむろ)・関口(せきぐち)・古市場(ふるいちば)・円満寺(えんまんじ)・窪中島(くぼなかじま)・極楽寺(ごくらくじ)・中盾(なかだて)・ 西新居(にしあらい)・紙漉阿原(かみすきあわら)・押越(おしこし))の総鎮守であった。
これらの神像は、平安時代から室町時代に至る歴史を伝える貴重な史料である。
平成十六年二月 甲府市教育委員会
現地案内板より
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【由 緒 (History)】
波刀神社(旧郷社) 由緒沿革:
創建年代は非常に古く、延喜式では甲斐国の式内社に列せられ、寛治年間に新羅三郎義光が再建、保元元年鎌田兵衛尉正清再建と、鎌田氏との関係を深め、鎌田庄十六七か村の惣社氏神とされてゐる。武田氏(信虎)全盛の頃 源氏の氏神石清水八幡宮にあやかり、八幡宮と改称 代々の徳川家将軍より朱印状を賜り、近世には宇波刀神社とも称してゐた。明治になり郷社に列せられた
山梨県神社庁HPより
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/1016
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
〇山梨縣 甲斐國 中巨摩郡鎌田村大字宮原組字鎌田
郷社 宇波刀(ウハトノ)神社
祭神
品陀和氣(ホムダワケノ)命
玉依比賣(タマヨリヒメノ)命
氣長足姫(オキナガタラシヒメノ)命創建は堀河天皇 寛治中 新羅三郎義光の勧請せる所にして、保元元年 鎌田兵衛尉正清 再建、其後永仁三年 享徳四年、大永六年、天文五年、慶長九年、同十年、同十一年、寛文四年、同十年等 改築加修の擧あり、各棟札 甲斐國志に詳なり、舊社領 拾四石二斗餘あり、
延喜式神名帳に載する所の社にして別稱を八幡宮と云ふ、甲斐國志には「八幡宮〔宮原村〕鎌田總社 宇波戸神社と稱す、宮原、堀内、高室、極樂寺、古市場、關ロ、円満寺、窪中島、押越、紙漉河原、中楯、西新居、十二村の鎮守なり、朱印宮領 七石九斗九升、宮地 四千九百六十四坪、一ノ鳥居場村東中條村境に在り、二ノ鳥居に至る間 長二百八十五歩、潔齋場 百二十坪餘、神主屋敷 二百七十坪、〔黒印地〕等なり、
永仁三乙未年 造營 大檀那左近吾禅門教願子息三郎左衛門尉行長、同七郎左衛門尉泰長、政所中立次郎紀景長、享徳四年造營 大檀那 武田彌九郎信永武田大津〔此間二三字摩滅〕信清其外鎌田八郷産子中、大永六甲申年上葺、天文五丙申年宝殿戸井縞幣殿等造營、檀那 中島住人白須神左衛門其外鎌田八郷産子中、慶長九甲辰年 庁屋建立、同十乙巳年 社壇造立、同十一丙午年 鳥居建立、檀那 齋藤加兵衡尉光正本願依田金左衛門中楯藤右衛門並鎌田八郷産子中 寛文四甲辰年 随神門造營 押越村石原半之丞家久、同十庚戎年 殿舎造立 本願 櫻田殿代官諸星庄兵衡及鎌田十四村産子中、以上皆棟札あり、祭禮は 正月四日御供始の神事 十五日的神事 八月朔標下し 十二日神樂 十四日子の刻に百八十五膳を供す、十五日流鏑馬、 十二月七月晦より正月八月十五日迄社中に参籠す、昔は正月七日田植祭ありしに中絶すと云ふ、
天正以前は社頒も多く 小林氏と稱する社家、数十戸あり、神領減じて後處々に沈淪し、陰陽師、舞大夫、巫女等に變じ、供僧國蔵坊も退轉し、宮鍛冶も地名に存するのみとなれり、掘内村の小地名に上別當、下別當、鳥居など云ふあり、
又 本村長願寺の境内等にて、地を掘つて土器を得る事多しと云ふ。是亦 當社に由緒ある事なるべし、社南に古梅樹ある處を鎧明神と云ふ、古櫻樹重用と云ふ者の著具を埋め神とし祀ると云ふ又 寶殿に獅々頭二個あり、墨質朱文なり、牡獅子は額上に紋を書き、(木窟の中に菱花)牝獅子は寶珠を頂けり、幕は黒麻布に白き子持筋あり、寛永十八辛巳年古様に擬して製すと云ふ、縁起に機山候治國の頃、正月元日極樂寺殿躑躅ヶ崎の屋形へ参賀の節、二日市場村に至りければ、件の獅々頭 天より降り下りぬ、乃ち屋形へ持参せられしかば、大守御悦斜ならす、獅々は獣中の王殊に菱花紋あるは當家開連の瑞祥と仰せられ、極樂寺殿へ御預けなされ、當社の宝殿に籠置かる、其年 信州大半御手に属しければ吉例となりて、是より毎年正月元日屋形へ召さる、今世 當國中 正月十四日幸神祭に獅々舞と云ふ事あるも 是に発起すと記し、
神主 櫻林義長の家記には其先甲斐源氏より出づ、鎌倉將軍家 創業の頃 重用と云ふ者、當社の神主職に補せられ、村西に住居す、宅地に櫻樹數十株を植ゑて愛翫せし所、又後世 櫻林を家號とすと記せり、〔此地今櫻町と呼べり〕
尚 永仁三年乙未年 當祝宮内左衛門尉当禰宜三郎大夫、小大夫、享徳四乙亥年 當禰宜二郎太郎、大永四甲申年 禰宜左衛門五郎、天文五丙申当禰宜兵部大夫左衙門太郎、慶長十一丙午年 掃部大夫等棟札に載せたり、天正十一年四月十八日 貫文御朱印以來都合八通、良純親王の書簡二通、百人一首一軸、〔筆者不知〕石決明形硯一面、唐銅水筒一個、唐木香箱一箇〔以上四通良純親王ノ賜モノ〕大久保岩見守書翰一通を蔵せる趣」を記せり、
又 諸社御朱印写巻上に「宮ノ原村八幡宮領、同所之内七石七斗九升。押越村之内二石八斗八升、紙漉村之内二石五斗二升余、山梨大津上今井村之内一石四斗七升都合十四石二斗余事、並宮廻竹木諸役等免除、任天正十一年四月十八日慶安元年十月二十四日両先判之旨 永不可有相違者也 寛文五年七月十一日」と見えたり、
又 鎌田氏の事は甲斐國志人物部第七に「中郡に鎌田庄あり、鎌田正清の釆地にて地名に呼ぷと云ふ、今 郷中所在の寺院にも多く其事を伝へたり、中略男子は無かりし趣、建暦三酉年五月 和田一門誅に伏する時、本州に在る關所を動功の賞に行はる、都留郡福智庄 鎌田兵衛尉とあり、此人 正清の女に贅する所か、承久三年 京合戦の時 鎌田平蔵〔甲斐のもの〕と見えたり、其後 鎌田次郎兵衛尉行俊同三郎左衛門尉義長あり、鎌田八幡宮棟札云々即ち鎌田氏の後なるべし、正清の時 本州に釆地ありし事は未だ詳ならす、下略」如上由緒歴然たる神社なれども、式社としては徴證の據るべき無きを恨とす。社殿は本殿、随神門等にして、境内千四十二坪(官有地第一種)あり、明治四年、社領上地し、同六年郷社に列す。
境内神社
大神(ダイジン)社
義清(ヨシキヨ)社
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
【この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)】
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
宇波刀神に從五位上の神位を授ける と記されています
【抜粋意訳】
卷十二貞觀八年(八六六)三月廿八日甲辰
○廿八日甲辰
甲斐國
從五位上勳十二等 物部神 美和神 並に授く 正五位下
從五位下 宇波刀神 從五位上を大和国平城京内の田地十六町三段百二十歩を 従四位下行山城権守 在原朝臣善淵に賜う
これ以前に 善淵が次のように奏上していた
「私は平城太上天皇のために その陵墓の近くに精舎(仏教寺院)を建立しました その維持修繕の費用に充てるため 旧平城京の荒廃した土地を買い取り 開墾して田地としました
ところが 内蔵寮は法令(格)の規定を理由として その土地を朝廷の『勅旨田』として没収してしまった
どうか天皇のご恩により この土地を永久に私有の田としてお認めくださいますようお願いいたします」
これに対し 天皇はその願いを認める詔を下したのであった
【原文参照】
「日本三代実録」(特025-0003)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/file/1272080
「日本三代実録」(特025-0003)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/file/1272080
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)巨麻郡 5座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 宇波刀神社
[ふ り が な ](うはとの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Uhato no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
式内社(うはとの かみのやしろ)の類社について
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載「宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)」は 甲斐國巨麻郡と美美濃國安八郡の二箇所に記されています
又 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)と云います
延喜式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)の論社
・宇波刀神社(北杜市明野町上手)
宇波刀神社(うわとじんじゃ)は 社記には「創立は平城天皇 大同年中(806~810年)に在り」・『三代實録』に「貞觀八年九月甲辰従五位下 宇波戸神授ニ 従五位上」と神位の奉授あり・『延喜式』に記載 式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)と伝えています
宇波刀神社(北杜市明野町上手)〈『三代實録』宇波刀神『延喜式』宇波刀神社〉
・宇波刀神社(甲府市宮原町)
宇波刀神社(うはとじんじゃ)は 堀河天皇 寛治年中(1087~1094年) 新羅三郎義光の再建された延喜式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)と伝わります 武田氏(信虎)全盛の頃 源氏の氏神 石清水八幡宮にあやかり 八幡宮と改称され 近世には宇波刀神社とも称していたと云う
宇波刀神社(甲府市宮原町)〈『三代實録』宇波刀神『延喜式』宇波刀神社〉
・宇波刀神社(韮崎市円野町)
・御崎神社(甲府市美咲)〈参考論社〉
延喜式内社 美濃國安八郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)の論社
・宇波刀神社(安八郡神戸町神戸)
・宇波刀神社(安八郡安八町森部)
延喜式内社 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)の論社
・表門神社(市川三郷町)
・熊野神社〈五社神社〉(右左口町)
・表門神社(甲府市白井町)
・浅間神社(市川三郷町)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR身延線 国母駅から南方向へ約2.9km 車での所要時間は5~6分程度
大里小学校入口の交差点角に鎮座します
宇波刀神社(甲府市宮原町)に参着
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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて境内へ進みます
すぐに隋神門があり 隋神門をくぐり抜けると 拝殿があります
社殿 境内 鳥居は東向きです
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拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿の南隣は 児童公園となっていて 社殿を見ることが出来ます
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 宇波刀神社について 所在は゛今 上手村宇波刀山にあり、諏訪明神と云、゛〈現 宇波刀神社(北杜市明野町上手)〉と記しています
【抜粋意訳】
宇波刀神社
字波刀は假字也
〇祭神 建御名方命、〔名勝志〕
〇上手村に在す、今 諏訪明神と称す、〔同上〕例祭 月 日、
惣國風土記六十三残欠云、巨麻郡 裏門神社、圭田三十八束三毛田、四畝田、所祭、〔虫食不見〕敏達朝行ニ 式例、〔連胤云、裏門は表門の誤なるべし、〕
○當國八代郡 表門神社あり
神位
三代実録、貞観八年三月廿八日甲辰、甲斐國從五位下 宇波刀神 授ニ 從五位上、
社領
當代御朱印高一石八斗余
【原文参照】
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『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 宇波刀神社について 所在は゛今 上手村宇波刀山にあり、諏訪明神と云、゛〈現 宇波刀神社(北杜市明野町上手)〉と記しています
【抜粋意訳】
宇波刀(ウハトノ)神社、
今 上手村宇波刀山にあり、諏訪明神と云、〔甲斐名勝志、甲斐國志、巡拜奮祠記、神名帳打聞〕
清和天皇 貞観八年三月甲辰、從五位下 宇波刀神に從五位上を授く、〔三代実録〕
凡 其祭 四月十日 九月十五日を用ふ、〔山梨縣取調書〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 宇波刀神社について 所在は゛上手村 (北巨摩郡上手村)゛〈現 宇波刀神社(北杜市明野町上手)〉と記しています
その他の説として
゛圓野村 諏訪明神゛〈現 宇波刀神社(韮崎市円野町)〉
゛宮原村 八幡宮゛〈現 宇波刀神社(甲府市宮原町)〉
を挙げています
【抜粋意訳】
宇波刀神社 稱 諏訪明神
祭神 建御名方命
神位 清和天皇 貞觀八年三月廿八日甲辰 甲斐國從五位下 宇波刀神 授從五位上
祭日 三月十日 九月十五日
社格 郷社所在 上手村 (北巨摩郡上手村)
今按 宇波刀は上處の義にて 上處の地名ある處は必ず近傍に卑下の地あり これに對して呼ぴしものなり 今 上手村は藤井平とて八千石許の田圃平坦の耕地にて岡の上にあり 上手は即 字波刀なれば 是亦 證とすべし
一說に圓野村 諏訪明神 宮原村 八幡宮をも本社なりと云へど 何れも後に宇波刀神社と唱ひ出せしものと云へば從ひがたし
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
宇波刀神社(甲府市宮原町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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甲斐国 式内社 20座(大1座・小19座)について に戻る
甲斐国(かひのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 甲斐国には 20座(大1座・小19座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
甲斐國 式内社 20座(大1座・小19座)について