実践和學 Cultural Japan heritage

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御崎神社(甲府市美咲)〈『延喜式』宇波刀神社〈参考論社〉〉

御崎神社(みさきじんじゃ)は 初め甲斐の国主 武田家の居館のあった石和郷に鎮座 永正十六年(一五一九年)武田信虎公 つつじが崎に居城を構えた時 三の郭内に神殿建立し遷され 徳川時代 文禄三年(一五九四年)甲府城を築いた際 現在地に遷座 延喜式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)の参考論社です

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

御崎神社(Misaki shrine

【通称名(Common name)】

・おみさきさん

【鎮座地 (Location) 】

山梨県甲府市美咲2丁目10-34

【地 図 (Google Map)】

 

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大国主神(おほくにぬしのかみ)
   保食神(うけもちのかみ)
   稚産霊神(わくむすびのかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

氏子の家内安全 家業繁栄 安産の守り神 学問の守り神

【格 式 (Rules of dignity) 】

・ 国史に記載される神社〈参考論社〉
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社〈参考論社〉

【創 建 (Beginning of history)】

甲斐國 御崎神社 由来

 初め甲斐の国主 武田家の居館のあった石和郷に鎮座 今から四百数十年前 永正十六年(一五一九年)武田信虎公 つつじが崎に居城を構えた時 三の郭内に神殿建立ありて遷され 武田家の尊崇する神社にして 其の後 徳川氏の代になり 文禄三年(一五九四年)甲府城を築いた際 現在の地に御遷座 甲府城の守りと甲府北部一帯の氏神と定められる 當社は甲府における大社の一つで氏子の家内安全 家業繁栄 安産の守り神 学問の守り神として崇敬され今日に至っている

現地社号の碑文より

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【由 緒 (History)】

御崎神社(旧指定村社) ■由緒沿革:

 初め甲斐源氏 武田氏が石和へ居を構へた時に、その守護神として居館内に祀られ、次いで永正十六年六月武田信虎公 石和からつつじが崎に居を移し築城するに及んで三の郭内に神殿を建立されて御遷座、武田家代々の尊崇する神社となった。
天正三年四月 城外の西南、塔岩地内に再建された社殿も整ひしも 天正十年三月牛生の乱にて社殿は大破、其の後 徳川氏の代になり家康公 国内巡視の際 当社に参拝の折、御崎大相撲を上覧、それより御崎大相撲は甲斐国三相撲の一つとして有名になり今日に及んでゐる。降って文禄三年(一五九四)甲府城築城の際 現在地に神領を賜り御遷座、甲府城の守りと甲府北部一帯の氏神と定められた。当社は甲府における大社の一つで、氏子並に崇敬者の厚い信仰のもと今日に至ってゐる。

  幸ひ、社殿、随神門等も戦火をのがれ、現在の拝殿は昭和五年の改築である。

山梨県神社庁HPより
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/1038

【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

宇波刀神從五位上の神位を授ける と記されています

【抜粋意訳】

卷十二貞觀八年(八六六)三月廿八日甲辰

○廿八日甲辰

甲斐國
 從五位上勳十二等 物部神 美和神  正五位下
 從五位下 宇波刀神 從五位上

大和国平城京内の田地十六町三段百二十歩を 従四位下行山城権守 在原朝臣善淵に賜う

これ以前に 善淵が次のように奏上していた

「私は平城太上天皇のために その陵墓の近くに精舎(仏教寺院)を建立しました その維持修繕の費用に充てるため 旧平城京の荒廃した土地を買い取り 開墾して田地としました
ところが 内蔵寮は法令(格)の規定を理由として その土地を朝廷の『勅旨田』として没収してしまった
どうか天皇のご恩により この土地を永久に私有の田としてお認めくださいますようお願いいたします」
これに対し 天皇はその願いを認める詔を下したのであった

【原文参照】

「日本三代実録」(特025-0003)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/file/1272080

「日本三代実録」(特025-0003)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/file/1272080

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)巨麻郡 5座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 宇波刀神社
[ふ り が な ](うはとの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Uhato no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

式内社(うはとの かみのやしろ)の類社について

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載「宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)」は 甲斐國巨麻郡と美美濃國安八郡の二箇所に記されています

又 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)と云います

延喜式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)の論社

・宇波刀神社(北杜市明野町上手)

一緒に読む
宇波刀神社(北杜市明野町上手)〈『三代實録』宇波刀神『延喜式』宇波刀神社〉

宇波刀神社(うわとじんじゃ)は 社記には「創立は平城天皇 大同年中(806~810年)に在り」・『三代實録』に「貞觀八年九月甲辰従五位下 宇波戸神授ニ 従五位上」と神位の奉授あり・『延喜式』に記載 式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)と伝えています

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・宇波刀神社(甲府市宮原町)

一緒に読む
宇波刀神社(甲府市宮原町)〈『三代實録』宇波刀神『延喜式』宇波刀神社〉

宇波刀神社(うはとじんじゃ)は 堀河天皇 寛治年中(1087~1094年) 新羅三郎義光の再建された延喜式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)と伝わります 武田氏(信虎)全盛の頃 源氏の氏神 石清水八幡宮にあやかり 八幡宮と改称され 近世には宇波刀神社とも称していたと云う

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・宇波刀神社(韮崎市円野町)

一緒に読む
宇波刀神社(韮崎市円野町下円井宇波刀)〈『三代實録』宇波刀神『延喜式』宇波刀神社〉

宇波刀神社(うわとじんじゃ)は 第18代反正天皇の第2皇女 円比女が 封を此の地に受け 洲羽国 諏訪明神を勧請して守護神と崇め奉った その後 養老2戊午(718年)国守 社殿を造営し合祀 『三代實録』に宇波刀神『延喜式』に甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)と云う 宇波刀神社諏訪大明神と称されました

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・御崎神社(甲府市美咲)〈参考論社〉

一緒に読む
御崎神社(甲府市美咲)〈『延喜式』宇波刀神社〈参考論社〉〉

御崎神社(みさきじんじゃ)は 初め甲斐の国主 武田家の居館のあった石和郷に鎮座 永正十六年(一五一九年)武田信虎公 つつじが崎に居城を構えた時 三の郭内に神殿建立し遷され 徳川時代 文禄三年(一五九四年)甲府城を築いた際 現在地に遷座 延喜式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)の参考論社です

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延喜式内社 美濃國安八郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)の論社

・宇波刀神社(安八郡神戸町神戸)

・宇波刀神社(安八郡安八町森部)

延喜式内社 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)の論社

・表門神社(市川三郷町)

一緒に読む
表門神社(市川三郷町上野)〈『延喜式』表門神社〉

表門神社(うわとじんじゃ)は 第7代 孝霊天皇二年の鎭座 第72代白河天皇の永保元年(1081)官より社頭並に五十一の末社迄 御造営を受け 併せて市川の郷を神領に賜り勅願所と認められ それより市川明神とも称せられていたと云う 延喜式内社 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)と伝わります

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・熊野神社〈五社神社〉(右左口町)

・表門神社(甲府市白井町)

・浅間神社(市川三郷町)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR中央本線 甲府駅から北方向へ約1.7km 車での所要時間は5~6分程度

太宰治僑居跡が参道入口の50メートル東にあります

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参道入口は南向きです

御崎神社(甲府市美咲)に参着

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参道を進むと 石鳥居があり 鳥居を抜けると 立派な神門(楼門)があります

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住宅地の中にある神社の境内は 子供たちが楽しそうに遊んでいました

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楼門をくぐり抜けて
拝殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 宇波刀神社について 所在は゛ 上手村宇波刀山にあり諏訪明神と云、゛〈現 宇波刀神社(北杜市明野町上手〉と記しています

【抜粋意訳】

宇波刀神社

字波刀は假字也

〇祭神 建御名方命、名勝志

〇上手村に在す、今 諏訪明神と称す、同上例祭  日、

 惣國風土記六十三残欠云、巨麻郡 裏門神社、圭田三十八束三毛田、四畝田、所祭、〔虫食不見敏達朝行 式例、〔連胤云、裏門は表門の誤なるべし、

國八代郡 表門神社あり

神位

 三代実録、貞観廿八日甲辰、甲斐國從五位下 宇波刀神  從五位上、

社領
 當代御朱印高一石八斗余

【原文参照】

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『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 宇波刀神社について 所在は゛ 上手村宇波刀山にあり諏訪明神と云、゛〈現 宇波刀神社(北杜市明野町上手〉と記しています

【抜粋意訳】

宇波刀(ウハトノ)神社、

 上手村宇波刀山にあり諏訪明神と云、甲斐名勝志、甲斐國志巡拜奮祠記、神名帳打聞〕

清和天皇 貞観八年三月甲辰、從五位下 宇波刀神に從五位上を授く、〔三代実録〕

凡 其祭 四月十日 九月十五日を用ふ、〔山梨縣取調書〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 宇波刀神社について 所在は゛上手村 (北巨摩郡上手村)゛〈現 宇波刀神社(北杜市明野町上手〉と記しています

その他の説として
圓野村 諏訪明神゛〈現 宇波刀神社(韮崎市円野町)
宮原村 八幡宮゛〈現 宇波刀神社(甲府市宮原町)
を挙げています

【抜粋意訳】

宇波刀神社  諏訪明神

祭神 建御名方命

神位 清和天皇 貞觀八年三月廿八日甲辰 甲斐國從五位下 宇波刀神 授從五位上

祭日 三月十日 九月十五日
社格 郷社

所在 上手村 (北巨摩郡上手村)

 今按 宇波刀は上處の義にて 上處の地名ある處は必ず近傍に卑下の地あり これに對して呼ぴしものなり 今 上手村は藤井平とて八千石許の田圃平坦の耕地にて岡の上にあり 上手は即 字波刀なれば 是亦 證とすべし
一說に圓野村 諏訪明神 宮原村 八幡宮をも本社なりと云へど 何れも後に宇波刀神社と唱ひ出せしものと云へば從ひがたし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

御崎神社(甲府市美咲) (hai)」(90度のお辞儀)

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甲斐国 式内社 20座(大1座・小19座)について に戻る

一緒に読む
甲斐國 式内社 20座(大1座・小19座)について

甲斐国(かひのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 甲斐国には 20座(大1座・小19座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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