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総社(そうじゃ)とは?国司神拝・一宮との違いを解説

総社(そうじゃ)とは、令制国内に鎮座する諸社の神々を一所で奉斎し、国司神拝や国府祭祀と結びついた神社です。大和朝廷から律令国家への展開、国司の赴任後の神拝、一宮・六所宮との違い、国内神名帳、各地の代表例を、史料と社伝を区別しながら解説します。

基本情報

用語 総社
読み方 そうじゃ
別表記 惣社・總社
英語表記 Sōja / Provincial aggregate shrine(説明的英訳)
意味 令制国内に鎮座する諸社の神々を一所で奉斎し、国司神拝や国府祭祀と結びついた神社
分類 神社制度・国府祭祀・国司神拝
対概念 特になし
関連概念 国司・国府・一宮・国内神名帳・六所宮・国魂神

第1章 総社とは

1-1 総社の基本的な意味

総社とは、武蔵国・尾張国・出雲国など、令制国内に鎮座する諸社の神々を一所で奉斎し、国司による神拝や国府の祭祀と結びついた神社です。「惣社」「總社」と表記されることもあります。

本記事でいう「国」は、現在の日本国全体ではなく、古代の地方行政区画である令制国を指します。したがって「令制国内」とは、武蔵国なら武蔵国の領域内、出雲国なら出雲国の領域内という意味です。現代の「日本国内」とは区別して用います。

総社は国府や国衙の近くに置かれたと説明されることが多く、国司が赴任後に行った神社への神拝と関係づけられています。ただし、総社の成立時期、奉斎された神々の範囲、祀り方は各地で異なります。全国の総社が同じ法令に基づいて一斉に設置され、同じ形式で運営されたと確認できるわけではありません。

1-2 総社にはどの神社の神々が祀られたのか

「令制国内に鎮座する諸社の神々を祀る」といっても、常にその令制国内の全神社・全祭神を漏れなく奉斎したという意味ではありません。総社の由緒には、諸社の神々を広く奉斎したとする例、その令制国で重視された神社の神々を祀った例、一宮以下の有力社や六社の神々を祀った例などがあります。

どの神々が祀られたかを確かめるには、祭神構成だけでなく、国内神名帳、神社の縁起・社記、古文書、地誌、棟札、国府跡との位置関係などを確認する必要があります。後世の遷座や合祀によって、現在の祭神構成が総社成立時と異なっている可能性もあります。

1-3 総社は「すべての神社を移した場所」ではない

総社は、令制国内の神社そのものを一か所へ移した施設ではありません。諸社の神々を勧請・配祀したと伝える例、神名を記した帳簿と祭祀を結びつける例、既存神社が総社として位置づけられた例などがあります。

「合祀」という語が由緒で使われる場合もありますが、現在の神社制度における合祀と、平安時代以降の総社における諸神奉斎とが、常に同じ方法だったとは限りません。本記事では、史料や各神社の由緒に即して「奉斎」「配祀」「勧請」「合祀」を使い分けます。

1-4 総社は『延喜式』に定められた社格ではない

総社は、『延喜式神名帳』に記載された式内社と、記載されなかった式外社という区分とは異なる位置づけです。総社とされる神社が式内社の論社でもある例はありますが、「総社」という名称や役割そのものが『延喜式』で定められた社格であるわけではありません。

第2章 総社・惣社・總社という名称

2-1 「総社」「惣社」「總社」の表記

現代では「総社」が一般的ですが、「惣社」「總社」という表記も史料、神社名、地名などに見られます。「總」は「総」の旧字体です。「惣」は中世・近世の文書や社名にも用いられました。

ただし、表記の違いだけで成立年代、祭神、祭祀方法の違いを判断することはできません。個別の神社では、その神社が公式に用いる社名と、史料に記された表記を尊重します。

2-2 「総」という語が表すもの

「総」には、複数のものをまとめるという意味があります。総社の場合は、令制国内に鎮座する諸社の神々を一所で奉斎する性格を示す名称と理解できます。

しかし、社名に「総社」が含まれることだけを根拠に、令制国を単位とした総社であったと断定することはできません。郡・荘園・村など、令制国より狭い範囲の神々をまとめて祀った社が「惣社」と呼ばれた可能性もあるためです。

2-3 総社が「六所宮」と称された例

一部の総社には、その令制国で重視された六社・六所の神々を祀ったことから「六所宮」と称された例があります。代表例は、武蔵国総社の大國魂神社です。同社の公式由緒では、中古以降に武蔵国の総社となり、著名な六社の神を配祀したため「武蔵総社六所宮」の社号を用いたと伝えています。

ただし、六所宮は総社一般の別名ではありません。また、六所宮・六所神社という名称を持つ神社のすべてが、令制国を単位とした総社とも限りません。六柱の神を祀る例、郡や荘園などの六社を祀る例も考えられるため、名称だけでなく祭神、対象範囲、国府との関係、史料上の呼称を確認します。

第3章 大和朝廷から律令国家へ―総社成立の歴史的前提

3-1 大和朝廷の支配はどのように広がったのか

古墳時代前期、大和朝廷の政治的基盤は大和・河内などの畿内にありました。その影響は、各地の有力者との結びつきを通じて、瀬戸内海沿岸、東海、北陸などへ次第に広がったと考えられています。

古墳時代中期から後期には、九州北部から関東地方にかけて、大和朝廷と関係を持つ有力者が各地に存在するようになりました。ただし、大和朝廷がこれらの地域を同じ時期・同じ方法で直接統治したという意味ではありません。地域の有力者が土地と人々を治めながら、大和朝廷と政治的関係を結ぶ形もありました。

飛鳥時代には、大化改新後の政治改革などを通じて、中央が地方の土地と人々を把握する制度の整備が進められました。七世紀後半から八世紀初めにかけて律令国家が形成されると、地方は令制国・郡・里に編成され、各令制国には中央政府から国司が派遣されるようになりました。

奈良時代には陸奥国・出羽国が置かれ、城柵の設置などを通じて、律令国家の支配領域が東北地方へ段階的に広げられました。平安時代初期の延暦二十一年(802)には、坂上田村麻呂が胆沢城を造営し、延暦二十三年(804)には胆沢郡が置かれました。これにより、現在の岩手県南部に当たる胆沢地方が律令国家の地方行政に組み込まれていったことが確認できます。

ただし、坂上田村麻呂の遠征によって、現在の東北地方全域が一度に大和朝廷の支配下へ入ったわけではありません。支配の及んだ時期と形態には地域差がありました。このように大和朝廷の支配が段階的に広がり、律令国家が令制国と国府を整えたことが、後の国司神拝と総社を理解する前提になります。

3-2 国造による支配から令制国への再編

律令制以前には、各地の国造などが土地や人々を治め、地域の祭祀にも関わっていました。律令国家の形成に伴い、地方は令制国・郡・里へ再編されていきます。

ただし、国造などの在地勢力が直ちに消滅したわけではありません。旧来の有力者が郡司や祭祀者として引き続き地域に関わる例もありました。中央政府による地方行政は、在地勢力との関係を組み替えながら形成されたとみる必要があります。

3-3 律令国家と令制国

律令国家は、地方を複数の令制国に区分し、その下に郡・里などを置きました。令制国は単なる地名ではなく、行政・徴税・軍事・交通などを運営するための地方区画でした。

本記事で「令制国内に鎮座する諸社」と記す場合は、一つの令制国の領域内に鎮座した神社群を指します。この説明によって、現代の「日本国内」と混同しないようにします。

3-4 国府・国衙という地方行政の拠点

各令制国には、地方行政の拠点として国府が置かれました。国府の中心には、国司が政務や儀礼を行う国庁をはじめとする官衙施設が整えられました。国府・国衙の所在地や整備時期は令制国ごとに異なり、考古学的に確定していない地域もあります。

総社の所在地を検討する際に国府跡との距離が重視されるのは、総社が国司神拝や国府祭祀と関係したと考えられるためです。ただし、現在の鎮座地が当初の所在地とは限らないため、国府跡との近さだけで総社と断定することはできません。

3-5 中央政府から派遣された国司

国司は、朝廷・中央政府から各令制国へ派遣された地方官です。行政、租税、司法、軍事などを担い、赴任後には令制国内に鎮座する神社への神拝にも関わったとされています。

したがって国司神拝は、国司個人の信仰だけで説明できるものではありません。中央政府から派遣された地方官が、その令制国で祀られてきた神々に奉幣・神拝する公的な側面を持っていました。

3-6 地方支配と令制国内の神々

律令国家の地方支配は、行政組織や租税制度だけで成り立っていたわけではありません。国司が令制国内に鎮座する諸社を神拝することには、その令制国の安寧を祈り、在地の神社や祭祀者との関係を築く意味もあったと考えられています。

ただし、これを「地方の神々を一方的に国家の支配下へ置いた」とだけ説明するのも十分ではありません。朝廷・国司、郡司などの在地有力者、神社の祭祀者の関係は、地域と時代によって異なりました。総社の成立も、こうした複数の関係の変化のなかで捉える必要があります。

3-7 総社は律令制成立と同時に置かれたのか

令制国・国府・国司の制度が整えられた時期と、各地の総社が成立した時期は同じとは限りません。総社は、律令国家の地方行政制度が成立した後、国司神拝や国府祭祀が展開・変化するなかで各地に成立したと考えられています。

したがって、総社を「大和朝廷が各地を平定した直後、中央政府の命令により一斉に設置した神社」と説明することはできません。総社は、令制国・国府・国司という制度を歴史的前提としながら、地域ごとの事情によって成立・展開したとみるのが適切です。

第4章 国司神拝と総社の成立

4-1 国司の赴任と神社への神拝

平安時代の国司関係文書を収める『朝野群載』巻二十二には、新任国司の赴任や政務に関する「国務条々事」が収められています。国司が赴任後に行う神拝は、地方官としての政務開始と関係する重要な行為だったと理解されています。

ただし、現在知られる史料から、すべての令制国における神拝の具体的手順を同じように復元できるわけではありません。史料が残る時代や地域に偏りがあることに注意します。

4-2 国司は赴任後にどの神社を神拝したのか

国司は赴任後、その令制国内で重視された神社を神拝したとされています。後世の一宮・二宮以下の序列と国司神拝を関係づける研究もありますが、その成立時期や神社の選定方法は令制国ごとに異なります。

一宮が最初に神拝され、続いて二宮・三宮以下を巡ったという説明は理解しやすいものですが、これを古代から全国で固定された制度として扱うことはできません。個々の令制国では、史料上の初見、神社の神階、国府との位置関係、祭祀の記録などを照合する必要があります。

4-3 国司神拝は何のために行われたのか

国司神拝には、赴任した令制国の神々へ着任を奉告し、その土地の安寧、五穀豊穣、行政の平穏などを祈る意味があったと説明されています。また、在地の有力者や祭祀者との関係を確認する機会でもあった可能性があります。

ただし、祈願内容や政治的機能は時代・地域・史料によって異なります。本記事では、確認できる記録と研究上の解釈を分けて記述します。

4-4 諸社を巡る神拝と総社での神拝

令制国内に鎮座する複数の神社を巡るには、日数、人員、交通、奉幣物などが必要です。そのため、平安時代後期頃には、国府付近などで諸社の神々を奉斎し、国司が一所で神拝する総社が成立したと一般に説明されます。

一方、巡拝が全国一斉に廃止され、総社での神拝へ完全に置き換えられたことを示す統一的な記録があるわけではありません。巡拝、国庁内の祭祀、総社での祭祀が、時期や地域によって並存・変化した可能性を考慮します。

4-5 総社成立を直接示す史料の限界

岡山県総社市が紹介する備中国総社跡の解説では、「総社」の文字が確認できる早い例として、『時範記』康和元年(1099)二月十五日条の因幡国総社が挙げられています。この記録は、十一世紀末には「総社」という呼称と祭祀の実態が存在した可能性を示す重要な例です。

ただし、この一例から全国の総社が同時期に成立したとはいえません。総社の初見史料は令制国ごとに異なり、後世の社伝しか残らない場合もあります。

4-6 国内神名帳―「国内」は一つの令制国を指す

国内神名帳(こくないじんみょうちょう)の「国内」は、現代の日本国内という意味ではありません。ここでいう「国」は令制国を指します。国内神名帳とは、それぞれの令制国に関係する神社名・神名・神階などを記した帳簿です。「神社帳」と呼ばれることもあります。

『延喜式神名帳』が神祇官に関わる全国的な神社名簿であるのに対し、国内神名帳は令制国ごとに作成・伝来した神名帳です。ただし、作成目的、成立年代、記載範囲、写本系統は史料ごとに異なります。

国内神名帳は、国司神拝や総社で奉斎された神々を検討する重要な手がかりになります。しかし、現存する写本が総社成立時の原本とは限らず、記載された神々がそのまますべて総社に祀られたとも断定できません。

4-7 中世以降の総社

律令制に基づく地方行政が変質し、国府の機能が衰えた後も、総社は地域の有力神社として存続した例があります。六所宮、国府宮、総鎮守などの名称・性格が重なり、近世には藩主や地域の人々から崇敬された神社もあります。

このため、現在の総社を調べる際には、古代・平安時代の国府祭祀と、中世以降に形成された由緒や信仰を区別して読む必要があります。

4-8 近世・近代の遷座・合祀・再編

総社のなかには、戦乱や災害、国府の移転、社地の変更によって遷座したと伝わる例があります。明治期の神社整理や合祀によって廃社となり、別の神社へ祭神が移された例もあります。

したがって、現在の神社名と所在地だけで古代・中世の総社を特定することはできません。旧社地、地名、石碑、合祀先、発掘調査の成果なども確認します。

図1
大和朝廷の支配拡大から律令国家・令制国・国府・国司神拝を経て総社成立へ至る歴史的背景を示した模式図

図1 国司神拝と総社の成立背景。大和朝廷の支配拡大から律令国家・令制国・国府・国司神拝を経て、総社が成立する歴史的前提を示します。全国一律の設置過程を示す図ではありません。

第5章 総社が担った祭祀上の役割

5-1 令制国内の諸社の神々への奉幣・神拝

総社は、国司が令制国内に鎮座する諸社の神々へ奉幣・神拝する場として機能したと考えられています。諸社を一所で奉斎することにより、国府における祭祀を集約する役割を担ったと説明できます。

ただし、実際にどの神々へ、どのような幣帛を奉り、どの祭式を行ったのかは、すべての総社について明らかなわけではありません。

5-2 国府祭祀の場としての総社

総社の多くが国府付近にあったと伝えられることは、国司の行政と祭祀が無関係ではなかったことを示します。国府に赴任した国司にとって、令制国内の神々を神拝することは、地方行政を開始・継続するうえで重要な儀礼だったと考えられています。

もっとも、総社が国庁内にあったのか、国府に隣接した既存神社を用いたのか、新たな社地を設けたのかは各地で異なります。

5-3 令制国の安寧を願う祭祀

国司神拝では、令制国の安寧、五穀豊穣、災害の鎮静などが祈られたと説明されます。総社は、こうした願いを令制国内の諸社の神々へ申し上げる祭祀の場であった可能性があります。

一方、具体的な祈願内容は各史料に即して確認する必要があります。後世の由緒に記された祈願内容を、総社成立当初から変わらないものとして扱いません。

5-4 既存の地域信仰との重なり

総社が新しく設けられた例だけでなく、国府付近に鎮座していた既存の神社が総社とされたと伝わる例もあります。その場合、総社は中央政府の地方祭祀だけでなく、それ以前から続く地域の神々への信仰とも重なります。

総社の祭神や由緒を読む際には、総社となる以前の信仰、国司祭祀、中世以降の地域信仰を時間的に分けて検討する必要があります。

5-5 国魂神信仰との関係

武蔵国の大國魂神社や尾張国の尾張大國霊神社のように、国魂・国霊に関係する神を祀る神社が総社とされた例があります。国土そのものの霊的な力を神として敬う信仰と、令制国の諸社を奉斎する総社の役割が重なったとみることができます。

ただし、国魂神を祀る神社が必ず総社であるわけではなく、総社が必ず国魂神を主祭神とするわけでもありません。

第6章 総社の成立形態

6-1 既存の有力神社が総社となった形態

国府付近に以前から鎮座していた神社が、国司神拝と結びつき、総社として位置づけられたと伝わる例があります。尾張大國霊神社や石部神社の由緒を検討する際には、この形態が手がかりになります。

6-2 令制国内の諸社の神々を一所に奉斎した形態

令制国内に鎮座する諸社の神々を、国府付近などの一所に奉斎したと伝わる形態です。「諸神を合祀した」と説明されることもありますが、御神体をすべて移したことを意味するとは限りません。

6-3 その令制国で重視された六社の神々を祀った形態

一部の総社には、その令制国で重視された六社の神々を祀り、六所宮と称された例があります。大國魂神社は、武蔵国の一宮から六宮までの神々を配祀する総社六所宮として知られます。

ただし、選ばれた六社や順位の成立時期には検討が必要です。全国共通の基準によって六社が選ばれたとは断定しません。

6-4 国内神名帳との関係が伝わる形態

上野国などでは、国内神名帳と総社祭祀との深い関係が伝えられています。国内神名帳に記載された神々を総社で奉斎した、あるいは神名帳自体を神体として扱ったとする伝承もあります。

国内神名帳の原本・写本の成立年代、記載内容、総社との関係は個別に確認する必要があります。

6-5 旧社地または合祀先に由緒が残る形態

安芸国総社跡のように、総社そのものは廃社となり、旧社地の石碑や地名、合祀先に由緒が残る例があります。この形態では、現存する社殿だけを探すのではなく、旧跡と祭祀の継承先を併せて調べます。

第7章 総社と関連する神社・制度との違い

7-1 総社と一宮の違い

総社は、令制国内に鎮座する諸社の神々を一所で奉斎し、国司神拝と関係した神社です。一宮は、その令制国で第一とされた有力神社を指します。

総社は「諸社の神々を一所で奉斎すること」、一宮は「令制国内の有力社として第一に位置づけられること」に重点があります。両者は国司神拝と関係しますが、単純な上下関係ではありません。また、一宮以下の序列は令制国ごとに異なり、成立時期にも差があったと考えられています。

7-2 総社と一宮・二宮以下の諸社との関係

一宮・二宮・三宮などの神々が総社に配祀された例があります。このため総社と一宮制は密接に関係しますが、すべての令制国で二宮以下が同じように定められたわけではありません。

また、一宮の神社そのものが総社を兼ねたとされる場合や、総社と一宮が別の神社として存在する場合もあります。

7-3 総社と六所宮・六所神社の違い

一部の総社は、その令制国で重視された六社の神々を祀ることから六所宮と称されました。一方、六所宮・六所神社という名称には、六柱の神を祀る神社や、郡・荘園・村などの範囲に関係する六社を祀った神社も含まれる可能性があります。

したがって、「総社」と「六所宮」は同義語ではありません。「総社六所宮」は、総社であり、同時に六社の神々を祀る六所宮でもある神社を表します。

総社・六所宮・総社六所宮の違い

名称 基本的な意味 注意点
総社 令制国内に鎮座する諸社の神々を一所で奉斎し、国司神拝と関係した神社 奉斎方法や祭神の範囲は一様ではありません。
六所宮・六所神社 六社・六所・六柱などの神々を祀る神社 すべてが令制国の総社とは限りません。
総社六所宮 総社であり、六社の神々を祀ったことから六所宮と称された神社 大國魂神社などが代表例です。

7-4 総社と国魂神を祀る神社の違い

国魂神は、国土や特定の地域の霊的な力と関係する神です。国魂神を祀る神社が総社となった例はありますが、国魂神を祀ることだけで総社と判断することはできません。

7-5 総社と総鎮守の違い

総鎮守は、一定の地域、寺院、城郭などを広く守護する神または神社を指す場合があります。総社と総鎮守が同じ神社の由緒に併記されることもありますが、両者は常に同義ではありません。

7-6 総社と鎮守社・氏神神社の違い

総社は、令制国を単位とする国司神拝や国府祭祀と関係した歴史的な位置づけです。鎮守社は特定の土地・施設などの守護、氏神神社は氏族や氏子との結びつきから説明されます。実際の神社では複数の性格が重なることもありますが、語の意味は分けて考えます。

7-7 総社と合祀・配祀の違い

総社は、神社の歴史的・祭祀的な位置づけです。これに対して合祀・配祀は、神を祀る方法や祭神相互の関係を表す語です。総社の由緒に「合祀」「配祀」が現れる場合もありますが、総社そのものと同義ではありません。

図2
令制国内の諸社の神々を奉斎する総社、第一とされた一宮、六社の神々を祀る六所宮の違いを示した模式図

図2 総社・一宮・六所宮の関係。総社と六所宮が重なる場合はありますが、同義ではありません。一宮と総社にも単純な上下関係はありません。

第8章 各地に伝わる代表的な総社

8-1 大國魂神社―武蔵国総社六所宮

東京都府中市の大國魂神社は、武蔵国総社の代表例です。同社の公式由緒では、もとは大國魂神社と称し、中古以降に武蔵国の総社となり、武蔵国で著名な六社の神を配祀したため「武蔵総社六所宮」と称したと伝えています。

現在の本殿には、大國魂大神のほか、一宮から六宮までの神々などが祀られています。総社、国魂神信仰、六所宮という三つの性格が重なる例ですが、それぞれの成立時期を同一とみなさない注意が必要です。

大國魂神社(府中市宮町)〈武藏總社六所宮〉の記事です。

URL:https://shrineheritager.com/ohokunitama-shrine-2/

武蔵国総社六所宮として伝わる大國魂神社
大國魂神社(府中市宮町)〈武藏總社六所宮〉

大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)は 景行天皇41年(111)大神の託宣によって創立と伝わり 武蔵国の守神として大國魂神が祀られます 平安時代には各諸神を合祀゛総社゛となり 平安時代末期頃 武蔵国の著名な六所の神社を合祀゛武藏總社六所宮゛と称されます 社伝には 延喜式内社 武蔵國 多磨郡 大麻止乃豆乃天神社(おほまとのつのあまつかみのやしろ)とも伝わります

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8-2 尾張大國霊神社―尾張国総社・国府宮

愛知県稲沢市の尾張大國霊神社は、尾張国総社とされ、一般に「国府宮」と呼ばれています。同社の公式由緒では、奈良時代に国衙に隣接して鎮座していたことから尾張国の総社と定められ、国司が祭祀を行ったと伝えています。

尾張大國霊神を祀る神社としての信仰、尾張国府との位置関係、総社としての由緒を分けて確認する必要があります。総社成立の年代については、社伝と現存史料の年代を区別して記述します。

尾張大國霊神社(稲沢市国府宮)〈尾張国総社〉の記事です。

URL:https://shrineheritager.com/owari-okunitama-shrine/

尾張国総社・国府宮として知られる尾張大國霊神社
尾張大國霊神社(稲沢市国府宮)〈尾張国総社〉

尾張大國霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)は 尾張地方の総鎮守神 農商業守護神 厄除神として広く信仰される神社です 奈良時代に国衛(こくが)に隣接して御鎮座していたので尾張国の総社と定められ 国司 自らが祭祀を執り行っていたので 一般には「国府宮神社」「国府宮」と呼ばれるようになり 通称「国府宮」として広く知られます

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8-3 六所神社―出雲国総社

島根県松江市大草町の六所神社は、出雲国府跡に近接する出雲国総社です。島根県の文化財案内では、同社が出雲国庁の政庁跡付近に位置することが示されています。

六所神社には、『出雲国風土記』所載の佐久佐社、『延喜式神名帳』所載の佐久佐神社の論社としての由緒もあります。風土記所載社・式内社論社としての位置づけと、出雲国総社としての位置づけを区別して検討します。

六所神社(松江市大草町)の記事です。

URL:https://shrineheritager.com/rokusho-jinja/

出雲国府跡に近接する出雲国総社・六所神社
六所神社(松江市大草町)

六所神社(ろくしょじんじゃ)は かつての出雲国府に鎮座して「出雲国総社(いづものくにそうじゃ)」とも呼ばれ高い格式を有して坐ます 社伝では もと「佐久佐社(sakusa no)yashiro」と伝わり『延喜式神名帳』にも『出雲國風土記』にも記載されている 由緒ある古社です 

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8-4 安芸国総社跡―旧社地と多家神社への合祀

広島県安芸郡府中町の総社跡は、安芸国府と関係する総社の旧跡です。府中町の解説では、後代の記録に大己貴命など五十三座を祀ったと伝えられ、明治七年(1874)に松崎八幡とともに廃社となり、多家神社へ合祀されたとされています。

現在の旧社地には石碑が残ります。この例は、総社が現存する神社だけでなく、旧社地、記録、地名、合祀先を通して確認されることを示します。創建年代や祭神数については、府中町の説明も「後代の記録」「伝え」としているため、確定事項とはしません。

総社跡(安芸郡府中町本町)の記事です。

URL:https://shrineheritager.com/ruins-of-the-soja-shrine/

安芸国総社の旧社地を伝える府中町の総社跡
総社跡(安芸郡府中町本町)

総社跡(そうじゃあと)は 安藝国 府中の在庁官人(ざいちょうかんにん)となった田所氏が平安時代終わり頃に創建した総社と思われます 江戸時代には『延喜式神名帳927 AD.』記載 多家神社〈名神大〉(おほいえの かみのやしろ)の所在をめぐり南部の八幡社と総社との争いが絶えず 明治7年(1874)創建した多家神社に合祀されて廃社となった総社の旧跡です

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8-5 石部神社―加賀国総社とする伝承

石川県小松市古府町の石部神社は、加賀国総社とする伝承を持つ神社です。小松市は、加賀国府の所在地が確定していないことを明記したうえで、石部神社周辺を有力候補地とし、同社を府南社とも呼ばれた加賀国総社の伝承地として紹介しています。

同社は『延喜式神名帳』所載の石部神社の論社でもあり、加賀国一宮とする説も伝わります。加賀国府の推定、総社伝承、式内社論社、一宮説は、それぞれ根拠が異なるため、同じ確実性の事実としてまとめません。

石部神社(小松市古府町)加賀国総社〈惣社〉の記事です。

URL:https://shrineheritager.com/isobe-shrine/

加賀国総社・府南社の伝承を持つ石部神社
石部神社(小松市古府町)加賀国 総社〈惣社〉

石部神社(いそべじんじゃ)は 加賀国の誕生にかかわる古社で 弘仁14年(823)3月 越前国から分割して加賀国ができた際には 国府庁の南に すでに当社が「府南社」と称して祀られていたと伝えられます ここから加賀国の一之宮であるとも 加賀国総社であるともされています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の論社です

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8-6 代表的な総社の比較

代表的な総社の由緒と形態

令制国 神社・旧跡 総社としての特徴 確認上の注意点
武蔵国 大國魂神社 六社の神々を配祀する総社六所宮 国魂神信仰・総社・六所宮の成立時期を区別します。
尾張国 尾張大國霊神社 国府宮と呼ばれる尾張国総社 公式由緒と確認できる史料を区別します。
出雲国 六所神社 出雲国府跡に近接する総社 風土記所載社・式内社論社の由緒も分けて確認します。
安芸国 総社跡 廃社後、旧社地と合祀先に由緒が残る例 後代の記録と明治期の合祀を区別します。
加賀国 石部神社 府南社・加賀国総社とする伝承 国府推定地、総社伝承、一宮説、式内社論社を区別します。

第9章 総社の調べ方と由緒を読む際の注意点

9-1 国府・国衙跡との位置関係を確認する

総社とされる神社の現在地と、国府・国庁・国衙跡との位置関係を確認します。古代道路、国分寺・国分尼寺、郡衙などの遺跡も、国府周辺の歴史的景観を考える手がかりになります。

ただし、国府所在地そのものが確定していない場合や、国府が移転した可能性がある場合もあります。

9-2 確認できる最古の史料を調べる

「総社」「惣社」「六所宮」などの名称が、いつの史料から確認できるかを調べます。創建伝承が古代に遡っていても、総社としての初見は平安時代後期以降という場合があります。

9-3 国内神名帳・地誌・棟札・古文書を確認する

国内神名帳、古文書、地誌、棟札、社記、神社明細帳などは重要な手がかりです。ただし、史料が書かれた時期、原本か写本か、誰が何の目的で記したかを確認します。

9-4 現在地と旧社地を区別する

遷座、災害、戦乱、国府の移転、合祀などにより、現在地と総社として祭祀が行われた場所が異なる可能性があります。現社地だけでなく、旧社地、石碑、字名、合祀先を調べます。

9-5 「総社」「惣社」という名称だけで断定しない

総社・惣社という名称を持つ神社であっても、令制国を単位とした総社とは限りません。郡・荘園・村など、より狭い範囲の神々を奉斎した可能性もあります。

9-6 「六所宮」「六所神社」という名称だけで断定しない

六所宮・六所神社という名称だけでは、令制国の総社であることの証明になりません。祀られている六社・六柱、対象地域、国府との位置関係、古文書上の呼称を確認します。

9-7 総社の候補が複数ある場合

総社の候補が複数ある令制国、所在地が確定していない令制国、総社が失われたと考えられる令制国もあります。一つの説だけを確定事項として示さず、それぞれの根拠、初見史料、発掘調査、異説を併記することが大切です。

図3
国府跡、最古史料、国内神名帳、祭神構成、旧社地、合祀先を照合して総社の由緒を調べる手順を示した模式図

図3 総社の由緒を調べる確認点。社名や現在地だけで断定せず、国府跡、最古史料、国内神名帳、祭神構成、旧社地、合祀先を照合します。

第10章 よくある質問(FAQ)

Q1 総社と惣社は同じ意味ですか

一般には同じ意味で用いられます。「總社」は「総社」の旧字体表記です。ただし、個別の神社名や史料を記すときは、そこで用いられている表記を尊重します。

Q2 総社は各令制国に必ず一社ありましたか

一国一社と説明されることがありますが、すべての令制国について総社の存在と所在地が確認できるわけではありません。候補社が複数ある例、総社が失われた例、史料が乏しい例もあります。

Q3 総社は『延喜式』に定められた社格ですか

いいえ。総社は国司神拝や国府祭祀と関係する歴史的な位置づけであり、『延喜式神名帳』の式内社・式外社という区分とは別です。

Q4 総社と一宮はどちらが上ですか

単純な上下関係ではありません。総社は諸社の神々を一所で奉斎する性格を持ち、一宮はその令制国で第一とされた有力神社です。

Q5 六所宮と総社は同じものですか

同義ではありません。一部の総社が六社の神々を祀るため六所宮と称された例はありますが、すべての総社が六所宮ではありません。

Q6 六所神社はすべて令制国の総社ですか

いいえ。六柱の神を祀る神社や、郡・荘園・村などの範囲に関係する六社を祀った神社も考えられます。社名だけでは総社と判断できません。

Q7 総社には令制国内のすべての神社の神々が祀られていますか

すべての総社について、全神社の神々が漏れなく祀られたと確認できるわけではありません。奉斎された神々の範囲は、神名帳、祭神構成、社伝などを個別に確認する必要があります。

Q8 現在の総社は古代と同じ場所にありますか

同じとは限りません。遷座、廃絶、合祀、国府の移転などによって、現在地と旧社地が異なる場合があります。

第11章 Shrine Heritager編集部考察

総社を「国司が神社を巡る手間を省くために設けられた神社」とだけ説明すると、大和朝廷から律令国家へ至る地方支配の変化、令制国と国府の成立、国司神拝、在地の祭祀との関係が見えにくくなります。

総社は、令制国・国府・国司という地方行政の仕組みを前提とし、国司がその令制国内に鎮座する諸社の神々と向き合う祭祀のなかから成立・展開したと考えることができます。ただし、中央政府が全国の総社を一斉に設置したことを示す統一的な法令は確認できず、成立事情は各地で異なります。

また、六所宮は総社一般の別名ではありません。その令制国で重視された六社の神々を祀った総社が、六所宮と称された例があるという関係です。総社を調べるときは、名称だけでなく、最古の史料、国府との位置関係、祭神構成、国内神名帳、旧社地を総合して判断する必要があります。

第12章 関連項目(See also)・内部リンク

一宮
令制国内で第一とされた神社と、総社との違いを確認できます。
https://shrineheritager.com/ichi-no-miya/

配祀
主祭神以外の神を併せて祀る配祀と、総社における諸神奉斎の関係を理解するための項目です。
https://shrineheritager.com/haishi/

合祀
合祀の意味と、総社という歴史的な位置づけとの違いを確認できます。
https://shrineheritager.com/goshi/

勧請神
神を請じ迎えて祀る勧請と、総社に諸社の神々を奉斎する説明との関係を確認できます。
https://shrineheritager.com/kanjo-shin/

第13章 参考文献

『朝野群載』巻二十二
三善為康編。平安時代後期に編纂された文書・詩文集です。巻二十二「諸国雑事」に、新任国司の赴任・政務に関係する文書が収められています。

佐藤信監修『朝野群載 巻二十二―校訂と註釈』
吉川弘文館、2015年。巻二十二所収の国司関係文書を校訂・註釈した研究書です。

木下良『国府―その変遷を主にして』
国府の成立と変遷、国司神拝、国府の神事、総社・一宮などを扱う研究書です。

三橋健『国内神名帳の研究』上・下
おうふう、1999年。各令制国に伝来した国内神名帳を総合的に扱った研究です。

一宮研究会編『中世諸国一宮制の基礎的研究』
岩田書院、2000年。一宮・二宮以下、総社、国府などの関係を各地の事例から検討した研究です。

『時範記』康和元年二月十五日条
因幡国総社に関する早い用例として参照されます。本文では総社市の文化財解説も参照し、用例の位置づけを慎重に扱います。

『延喜式』巻九・巻十「神名帳」
延長五年(927)に奏進された『延喜式』に収められる神社名簿です。総社を定めた名簿ではなく、式内社と総社を区別するために参照します。

第14章 External Links(外部リンク)

総社市「市指定 総社跡」

備中国総社跡と国司の職務を解説し、『時範記』康和元年(1099)条を「総社」の早い用例として紹介する総社市の文化財情報です。

URL: https://www.city.soja.okayama.jp/soshiki/26/2939.html

奥州市「古代I(奈良時代~平安初期)」

坂上田村麻呂による延暦二十一年(802)の胆沢城造営、胆沢郡の設置など、律令国家の支配が東北地方へ段階的に広がった過程を示す公的資料です。

URL: https://www.city.oshu.iwate.jp/web_museum/rekishi/1/4428.html

島根県「六所神社―出雲国庁」

出雲国庁跡と六所神社の位置関係を確認するための島根県文化財情報です。

URL: https://www.pref.shimane.lg.jp/life/bunka/bunkazai/izumo_fuudo/iseki/kokutyou/rokusyo.html

府中町「総社跡」

安芸国総社跡、後代に伝えられた祭神、明治七年(1874)の廃社と多家神社への合祀を解説する府中町の文化財情報です。

URL: https://www.town.fuchu.hiroshima.jp/site/shakaikyouiku/874.html

小松市「加賀立国千二百年」

加賀国府の有力候補地と石部神社、府南社・加賀国総社の伝承を紹介しています。小松市は国府所在地が未確定であることも明記しています。

URL: https://www.city.komatsu.lg.jp/soshiki/1052/kagarikkoku1200nensai_1/index.html

大國魂神社「由緒・歴史」

武蔵国総社となった由緒、六社の神を配祀して「武蔵総社六所宮」と称した伝承を確認するための神社公式資料です。

URL: https://www.ookunitamajinja.or.jp/yuisho/

尾張大國霊神社「神社のご案内」

尾張大國霊神、尾張国総社、国府宮という通称に関する神社公式の由緒です。

URL: https://www.konomiya.or.jp/about

石川県神社庁「石部神社」

石部神社を府南社・加賀の惣社とする由緒を確認するための神社庁資料です。

URL: https://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/shrine/j0664/

国立公文書館デジタルアーカイブ「朝野群載」

国司関係文書を含む『朝野群載』の書誌・所蔵情報を確認できるデジタルアーカイブです。

URL: https://www.digital.archives.go.jp/file/3689627.html

CiNii Books「国内神名帳の研究」

三橋健『国内神名帳の研究』上・下の書誌情報を確認できる国立情報学研究所の資料です。

URL: https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA41603714

第15章 更新履歴(Revision History)

更新履歴

日付 更新内容
2026年9月3日 Edition 1 Reviewed Draft 旧記事を全面再構成し、大和朝廷から律令国家への展開、令制国・国府・国司神拝、総社の成立形態、一宮・六所宮との違い、代表例を再検証しました。主要検索語句は実検索データの確認待ちです。
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