二宮・三宮(にのみや・さんのみや)は、それぞれの令制国で一宮に続く位置にあると認識され、そう称された神社です。大和朝廷が全国一律に定めた社格ではなく、成立時期や根拠史料は令制国ごとに異なります。本記事では国司神拝との関係、一宮・総社・式内社との違い、相模国・甲斐国の事例、調査上の注意点を解説します。
| 用語 | 二宮・三宮 |
|---|---|
| 読み方 | にのみや・さんのみや |
| 別表記 | 二之宮・三之宮、第二宮・第三宮 |
| 英語表記 | Ninomiya and Sannomiya/shrines regarded as second and third in a province(説明的表記) |
| 意味 | それぞれの令制国で、一宮に続く位置にあると認識され、二宮・三宮と称された神社 |
| 分類 | 神社制度・地方祭祀・歴史用語 |
| 対概念 | 特になし |
| 関連概念 | 一宮・四宮以下・総社・国司神拝・国府・国衙・式内社 |
第1章 二宮・三宮とは
1-1 二宮・三宮の基本的な意味
二宮・三宮とは、それぞれの令制国において、一宮に続く位置にあると認識され、二宮・三宮と称された神社です。「二之宮」「三之宮」とも表記されます。
ただし、二宮・三宮は、大和朝廷が全国の神社を同一の基準で審査し、一律に指定した社格ではありません。一宮までしか確認しにくい令制国、二宮まで伝わる令制国、三宮あるいは四宮・五宮以下まで伝わる令制国があります。同じ令制国のなかに複数の候補がある場合や、時代によって呼称の対象が変化したとみられる場合もあります。
1-2 現代的な順位表と同じではない
二宮を「その令制国内の全神社を比較した絶対的な第二位」、三宮を「絶対的な第三位」と理解すると、歴史上の実態を単純化するおそれがあります。神拝の順序、祭礼における位置、国衙との関係、地域の有力氏族による奉斎、社勢、社領、後世の由緒など、複数の事情が呼称に関係した可能性があります。
したがって、二宮・三宮を調べるときは、名称だけから固定した順位を推定せず、いつ、誰が、どの史料または祭礼でその呼称を用いたのかを確認する必要があります。
1-3 すべての令制国に存在したとは限らない
一宮・二宮・三宮という整った並びが、全国のすべての令制国に存在したことを示す一律の史料は確認されていません。後世に作られた一覧では空欄を補うように神社が挙げられることがありますが、呼称の初見年代や根拠史料が同じとは限りません。
第2章 読み方・表記・「宮」の意味
2-1 読み方
一般に、二宮は「にのみや」、三宮は「さんのみや」と読みます。固有の神社名や地名では異なる読み方が伝わる場合があるため、個別名称については神社や自治体が示す読みを確認します。
2-2 二宮・二之宮・第二宮
「二宮」「二之宮」「第二宮」は、史料や神社の表記によって使い分けられます。本記事では用語の総称として「二宮」を用い、個別神社の正式名称や由緒を示すときは、確認した表記を尊重します。
2-3 三宮・三之宮・第三宮
三宮についても同様に、「三宮」「三之宮」「第三宮」などの表記があります。表記の違いだけで成立時期や制度上の違いを判断することはできません。
2-4 神社名・称号・地名を区別する
「二宮」「三宮」は、令制国における呼称のほか、神社名や地名としても用いられます。地名が神社の称号に由来する例はありますが、同じ文字を持つ地名がすべて諸国一宮制の二宮・三宮に由来するとは限りません。荘園・郷・村など、より狭い範囲での呼称や、分祀・合祀に由来する社名も考慮します。
第3章 二宮・三宮を確認する史料
3-1 大和朝廷が諸国の二宮・三宮を一律に定めた法令は確認されていない
現在確認できる古代・中世の法令や史料には、大和朝廷が全国の令制国について、一宮・二宮・三宮を一律に指定した規定は見当たりません。そのため、二宮・三宮を古代から全国で統一的に運用された制度として説明することはできません。
『延喜式神名帳』は、大和朝廷の神祇制度のもとで官社として扱われた神社を令制国・郡ごとに記した帳簿です。各令制国の神社を一宮・二宮・三宮の順に並べたものではありません。式内社であることと、二宮・三宮と称されたことは、別の根拠によって確認すべき事項です。
3-2 国司神拝に関する史料
平安時代、国司が任国に赴任した際、その令制国内の神社を神拝したとされます。この国司神拝と一宮以下の成立を関連づける研究がありますが、大和朝廷が全国共通の巡拝順序を定め、その第一番を一宮、第二番を二宮、第三番を三宮とした、と直接示す一律の規定は確認されていません。
国司神拝との関係を論じる場合には、神拝の対象社、順序、国府からの経路、祭礼、国衙の文書など、その令制国に残る史料を個別に検討する必要があります。
3-3 中世文書に現れる呼称
一宮・二宮・三宮の呼称は、中世の文書、神拝次第、社領関係文書、荘園文書、祭礼記録などから確認される場合があります。呼称が史料に現れた年代は、その神社が創建された年代と同じではありません。古い神社であっても、二宮・三宮という称号の確認は後世になることがあります。
3-4 近世地誌・社記・棟札・神社明細帳
近世の地誌、神社の社記、棟札、縁起、近代の神社明細帳も、呼称の伝承を確認する資料になります。ただし、後世の史料が古代・中世の状態を記す場合には、同時代史料の存在と、その記述が成立した背景を確認します。
3-5 社伝の位置づけ
社伝は、神社が自らの由緒をどのように伝えてきたかを知る重要な資料です。一方、社伝に記された創建年代、称号の授与、勅命などが、同時代の公文書によって確認できるとは限りません。本記事では「社伝によれば」「神社ではこのように伝えています」と明記し、史実として確認された事項と区別します。
第4章 大和朝廷の地方統治と二宮・三宮の成立
4-1 大和朝廷による支配の拡大と各地の祭祀
大和朝廷の支配は、列島各地へ一時に、また同じ形で及んだものではありません。支配が及んだ時期や形態には地域差があり、それぞれの土地では、有力氏族や国造などが政治と神々の祭祀に関わっていました。
大和朝廷による地方統治が進んだ後も、それまでの祭祀が直ちに失われたわけではありません。各地の有力氏族が祀ってきた神々や祭祀は、大和朝廷との関係、国造制、のちの評制・郡制などの展開のなかで継承・再編されたとみられます。ただし、その過程は地域によって異なり、一つの説明を全国へ一律に当てはめることはできません。
4-2 令制国の整備と国司の派遣
大和朝廷は、地方統治の仕組みを整える過程で令制国を設け、中央から国司を派遣しました。国司は国衙を拠点として行政を担いましたが、その統治は、任国の郡司、有力氏族、寺社などとの関係を抜きにしては成り立ちませんでした。
令制国が成立したことによって、それ以前の政治的・祭祀的な秩序が一度に消滅したわけではありません。国司が向き合った神社のなかには、古くから地域の有力氏族が奉斎してきた神社もあったと考えられます。
4-3 国司神拝と令制国内の有力神社
大和朝廷から派遣された国司は、任国の神々に幣帛を奉り、神拝を行ったとされます。国司神拝の対象となった神社やその順序が、一宮以下の呼称の形成に関係した可能性はあります。しかし、国司神拝だけを唯一の起源とし、全国で同じ過程を経たと断定することはできません。
4-4 平安時代後期から中世における展開
諸国一宮制に関する研究では、一宮をはじめとする呼称が、平安時代後期から中世にかけて、令制国ごとの政治・祭祀・社会関係のなかで展開したことが論じられています。二宮・三宮についても、一宮が成立すれば自動的に同時成立したと考えるのではなく、各呼称の初見史料を確認する必要があります。
4-5 令制国ごとに異なる成立過程
国府に近い神社、古くから神階を受けた神社、式内社、広い崇敬を集めた神社、地域の有力者と深い関係を持つ神社など、二宮・三宮と称された神社の性格は一様ではありません。呼称の成立には、これらの事情が重なった可能性があります。
4-6 中世・近世における継承と変化
中世以後、二宮・三宮の呼称は、社領、祭礼、武士や領主の崇敬、地誌の記述などを通じて継承されました。一方、複数社が同じ呼称を伝える場合や、後世に呼称が明確になった場合もあります。現在の呼称をそのまま古代へ遡らせず、時代ごとの史料を区別して検討します。
第5章 二宮・三宮は何を示すのか
5-1 大和朝廷が全国一律に定めた社格ではない
二宮・三宮は、大和朝廷が諸国の神社を同一の基準で審査し、全国一律に指定した社格ではありません。また、『延喜式神名帳』に記載された式内社の区分や、明治時代以後の近代社格制度とも異なります。
5-2 神拝順序との関係
一宮以下の呼称を国司神拝の順序と関連づける見方があります。しかし、史料に「第二に神拝したから二宮となった」と明記されているとは限りません。神拝順序との関係は、令制国ごとの史料に基づいて示す必要があります。
5-3 祭礼における位置との関係
相模国の国府祭や甲斐国の神幸祭のように、一宮・二宮・三宮と称される神社が同じ祭礼に関わる例があります。現在の祭礼は呼称が地域で継承されてきたことを示す資料になりますが、その現在の祭礼形態だけによって、呼称が成立した年代や当初の順位を決定することはできません。
5-4 国衙・有力氏族・社勢との関係
二宮・三宮の成立を考える際には、国司・国衙との関係、国造や郡司を担った氏族を含む地域の有力氏族、社領、神階、祭礼、交通路、武士や領主の崇敬などを検討します。ただし、これらのうち一つを全国共通の決定基準とすることはできません。
第6章 諸国にみる二宮・三宮の形
6-1 二宮まで伝わる場合
一宮と二宮の呼称は確認できても、三宮以下が史料上明確でない令制国があります。この場合、三宮が必ず存在したと仮定して候補を補うべきではありません。
6-2 三宮まで伝わる場合
一宮・二宮・三宮が一組として伝わる場合でも、三社の呼称が同時に成立したとは限りません。それぞれの初見史料と、祭礼における関係を確認します。
6-3 四宮・五宮以下も伝わる場合
相模国のように四宮・五宮までの呼称が伝わる例があります。これは二宮・三宮が全国一律に三社だけで完結する制度ではなかったことを示します。
6-4 複数の候補社がある場合
同じ令制国に二宮・三宮の候補が複数ある場合、現在の知名度や社格だけで一社に決めることはできません。史料の年代、呼称が使われた範囲、祭礼との関係、後世の地誌・社伝を整理します。
6-5 認識が変化したとみられる場合
神社の盛衰、国府や交通路の変化、社領関係、武士の保護、祭礼の再編などにより、呼称の対象や理解が変化した可能性があります。変化を論じるときは、異なる時代の史料を並べ、推測を事実として示さないことが重要です。
第7章 一宮・総社・式内社などとの違い
| 用語 | 示すもの | 確認の中心となる史料 |
|---|---|---|
| 一宮 | それぞれの令制国で第一の位置にあると認識された神社 | 中世文書、神拝・祭礼記録、地誌、社伝 |
| 二宮・三宮 | 一宮に続く位置にあると認識された神社 | 中世文書、神拝・祭礼記録、地誌、社伝 |
| 総社 | その令制国の神々を国府付近などで併せ祀る神社・祭祀施設 | 総社神名帳、地誌、社伝、考古資料 |
| 式内社 | 『延喜式神名帳』に記載された神社 | 『延喜式』巻九・巻十 |
| 国史見在社 | 六国史に神階授与などが記録され、一般に式外社として扱われる神社 | 六国史 |
| 近代社格 | 明治時代以後に整えられた官社・諸社などの社格 | 近代の法令・公文書 |
| 摂社・末社 | 本社に付属する神社 | 神社由緒、境内図、神社明細帳 |
二宮は一宮の摂社、三宮は二宮の摂社という意味ではありません。一宮以下の呼称は令制国を範囲とする位置づけであり、摂社・末社は本社との付属関係を示す用語です。
第8章 二宮・三宮を伝える代表例
8-1 相模国―一宮から五宮・総社が祭礼に参集する例
相模国では、一之宮寒川神社、二之宮川勾神社、三之宮比々多神社、四之宮前鳥神社、五之宮平塚八幡宮、総社六所神社という呼称が伝わります。現在の国府祭では、これら六社が祭礼に関わります。
この例は、一宮・二宮・三宮が単独の名称ではなく、四宮・五宮・総社を含む祭礼上の関係として現在まで伝えられている点で重要です。ただし、現在の祭礼における各社の位置が、そのまま古代以来不変であったと断定することはできません。
相模国の六社と国府祭を詳しく確認する記事です。
URL: https://shrineheritager.com/sagaminokuni-ichinomiya-ninomiya/
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相模國の「一宮 二宮 三宮 四宮 五宮 総社」について
相模國の「一宮 二宮 三宮 四宮 五宮 総社」について 「相模國の一之宮争い」を今に伝える神事「国府祭」には 相模國の六社〔・一之宮 寒川神社・二之宮 川勾神社・三之宮 比々多神社・四之宮 前鳥神社・五之宮 平塚八幡宮・総社 六所神社〕が祭場である神揃山(かみそろいやま)・逢親場(おおやば)に 毎年五月五日に参集します
8-2 川勾神社―相模国二之宮
川勾神社は、相模国二之宮として伝えられる神社です。相模国府祭の「座問答」は、寒川神社と川勾神社の一宮争いを伝える祭儀として説明されます。ただし、祭儀の伝承を、特定の時代に実際に行われた争いの直接的な記録とみなすことはできません。
川勾神社の由緒と相模国二之宮としての伝承を紹介する記事です。
URL: https://shrineheritager.com/kawawa-shrine/
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川勾神社(中郡二宮町山西)相模国二之宮〈『延喜式』川勾神社〉
川勾神社(かわわじんじゃ)は 社伝に「縁起書によれば 第十一代垂仁天皇の朝 磯長国(しながのくに)の国宰たる阿屋葉造が勅命を奉じて当国鎮護のため創祀せらる」とあり 日本武尊東征の時 源義家東下りの時 奉幣祈願があったと伝わる 延喜式内社 相模國 餘綾郡 川匂神社(かはいいの かみのやしろ)です
8-3 比々多神社―相模国三之宮
伊勢原市三ノ宮の比々多神社は、相模国三之宮として国府祭に関わります。また、『延喜式神名帳』に記載される相模国大住郡の比比多神社に比定される神社の一つです。
伊勢原市上粕屋にも比比多神社があり、同じ式内社の論社とされています。したがって、「相模国三之宮としての位置」と「式内社比比多神社の比定」は、根拠の異なる問題として分けて扱います。
相模国三之宮として伝わる比々多神社の記事です。
URL: https://shrineheritager.com/hibita-shrine/
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比々多神社(伊勢原市三ノ宮)相模國三之宮〈『延喜式』比比多神社〉
比々多神社(ひびたじんじゃ)は 始源は今から約一万年以上前〔付近の遺跡等から推測〕とされ 鎮座は「社伝に初代 神武天皇六年 古くから祭祀の行われていた当地を最上の地と選定し神を祀る社を建立 霊峰大山を神体山とし 豊斟渟尊を日本国霊として祀始と云う」延喜式内社 相模國 大住郡 比比多神社(ひひたの かみのやしろ)です
8-4 甲斐国―一宮・二宮・三宮が神幸する例
甲斐国では、一宮浅間神社、二宮美和神社、三宮玉諸神社が、水防を祈る神幸祭に関わると伝えられています。現在行われる祭礼と各神社の由緒は、一宮・二宮・三宮という呼称が甲斐国でどのように受け継がれてきたかを考える手掛かりになります。
ただし、祭礼の創始年代や大和朝廷からの命令に関する説明には社伝を含むため、それぞれの根拠史料を確認し、伝承と確認できる祭礼記録を区別する必要があります。
甲斐国一之宮として伝わる浅間神社の由緒と、『延喜式神名帳』所載の浅間神社との関係を紹介する記事です。
URL: https://shrineheritager.com/asama-shrine/
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浅間神社(笛吹市一宮町一ノ宮)〈甲斐國一之宮・延喜式内社〉
浅間神社(あさまじんじゃ)は 社伝には 第11代 垂仁天皇8年(約2000年前)山宮神社の地に3柱の神を祀り創始されます その後〈富士山〉貞観大噴火時〈貞観7年(865)〉鎮火神として木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)1柱を現在地に遷座し創建されたと云う 国府も近く 甲斐國一之宮とされる延喜式内社 名神大社です
8-5 美和神社―甲斐国二之宮
笛吹市御坂町二之宮の美和神社は、甲斐国二之宮として伝えられます。神社の由緒では、一宮浅間神社・三宮玉諸神社とともに水防の祭儀を行ったとされています。称号の由来や授与年代については、神社由緒として紹介し、同時代史料による確認状況を別に示します。
甲斐国二之宮として伝わる美和神社の記事です。
URL: https://shrineheritager.com/miwa-shrine-3/
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美和神社(笛吹市御坂町二之宮)〈『三代實録』美和ノ神〉
美和神社(みわじんじゃ)は 景行天皇の御代 日本武尊の命にて甲斐國造 塩足尼が大和國 大三輪神社から勧請し奉ったと伝わる ゛美和ノ神゛として六国史『三代実録』に記されている国史見在社です 一条天皇の御宇 第二之宮の号を賜り その後も鎌倉家・足利家・武田家・徳川家の崇敬厚く 社殿造営の保護がありました
8-6 玉諸神社―甲斐国三之宮
甲府市国玉町の玉諸神社は、甲斐国三之宮として伝えられます。山梨県神社庁の由緒には、一宮・二宮・三宮とともに水防祭へ神幸したこと、その祭礼が中断を経て復興されたことが記されています。
玉諸神社の創建や神位に関する記述には社記に基づく内容が含まれます。そのため、神社の伝承として尊重しつつ、六国史や『延喜式神名帳』などから確認できる事項とは区別します。
甲斐国三之宮として伝わる玉諸神社の記事です。
URL: https://shrineheritager.com/tamamoro-shrine-2/
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玉諸神社(甲府市国玉町)〈甲斐国三之宮『延喜式』玉諸神社〉
玉諸神社(たまもろじんじゃ)は 社記に 甲斐国の上代 酒折宮の北方 三室山の山上に祀られ 日本武尊が東征の帰路 酒折の宮に滞り国中の反乱を鎮め 景勝の地に国玉神を祀られたのが創始と云う 又 一つの珠を埋め 上に杉一株を植ゑられた これを玉室杉と称し玉諸の名起ると云う 式内論社 玉諸神社(たまもろの かみのやしろ)です
8-7 二つの令制国の事例から分かること
相模国と甲斐国では、一宮以下の神社が同じ祭礼に関わる形が伝えられています。これらは、二宮・三宮の呼称が、祭礼の着座や神幸など、神社相互の具体的な関係のなかで保持される場合があることを示します。
一方、相模国と甲斐国の事例を、すべての令制国に共通する成立形態とすることはできません。ほかの令制国では、異なる史料と歴史的背景を確認する必要があります。
第9章 二宮・三宮を調べる方法と注意点
9-1 呼称の初見史料を確認する
最初に確認すべきなのは、神社の創建年代ではなく、二宮・三宮という呼称が確認できる最古の史料です。史料名、成立年代、記載箇所、原文を記録します。
9-2 異なる種類の根拠を混同しない
式内社、神階、一宮以下の呼称、近代社格、現在の神社名は、それぞれ異なる根拠に基づきます。「式内社だから二宮になった」「県社だから古代から三宮だった」といった結論は導けません。
9-3 社伝と同時代史料を区別する
社伝に記される古い年代を紹介するときは、社伝であることを明記します。同時代史料で確認できる場合には、その史料を併記します。確認できない場合には「伝えられます」「社記ではこのように記されます」と表現します。
9-4 祭礼上の順序と恒常的な順位を区別する
祭礼における着座、行列、神幸の順序は重要な資料ですが、その順序が常に令制国内の恒常的な神社順位を示すとは限りません。祭礼の目的、祭場、主催、記録年代を確認します。
9-5 地名だけで判断しない
「二宮」「三宮」という地名が残っていても、それだけで諸国一宮制の二宮・三宮が存在した証拠にはなりません。地名史料、神社の旧称、荘園や郷の範囲を確認します。
9-6 候補が複数ある場合
複数候補があるときは、現在の立場から「正しい一社」を選ぶことを急がず、各候補がどの時代のどの史料で二宮・三宮と称されたかを整理します。異なる時代や範囲で、それぞれの呼称が成立していた可能性も検討します。
第10章 よくある質問(FAQ)
Q1 すべての令制国に二宮・三宮がありますか
確認されていません。二宮まで伝わる令制国、三宮以下も伝わる令制国、候補が複数ある令制国、史料上の確認が難しい令制国があります。
Q2 二宮は必ずその令制国内で第二位の神社ですか
現代の順位表における第二位と同じとは限りません。二宮という呼称が用いられた時代、史料、神拝や祭礼の場面を確認する必要があります。
Q3 三宮は一宮の摂社ですか
通常は異なります。三宮は令制国における位置を示す呼称であり、摂社は本社に付属する神社を示します。
Q4 二宮・三宮は『延喜式』で定められましたか
定められていません。『延喜式神名帳』は官社を記した帳簿であり、諸国の神社を一宮・二宮・三宮に指定した一覧ではありません。
Q5 二宮・三宮は国司の巡拝順序ですか
国司神拝との関係を指摘する研究はありますが、すべての令制国で巡拝順序がそのまま呼称になったと断定できる一律の規定は確認されていません。
Q6 二宮・三宮という地名は神社の順位に由来しますか
由来する例はありますが、すべてではありません。個別の地名史料と神社の由緒を確認します。
Q7 候補が複数あるのはなぜですか
呼称の成立時期や使用範囲が異なること、神社の盛衰、国府・祭礼・社領の変化、後世の地誌や社伝による継承などが関係した可能性があります。原因は令制国ごとに検討します。
第11章 Shrine Heritager編集部考察
二宮・三宮を調べる意義は、一宮に続く神社名を一覧に追加することだけではありません。一宮以下の神社、総社、国府、国衙、祭場、神幸路を併せて確認することで、それぞれの令制国で神社祭祀がどのように結び付けられていたかを具体的に考えることができます。
一方、「一宮制」という一つの名称から、全国に同じ仕組みが完成していたと考えるべきではありません。大和朝廷による地方統治、各地の有力氏族が担った祭祀、国司神拝、中世以後の社領と祭礼、近世地誌による記録は、それぞれ異なる時代の事柄です。二宮・三宮の歴史は、それらを令制国ごとに重ね合わせ、確認できる範囲と推測の範囲を分けることによって明らかになります。
第12章 関連項目(See also)・内部リンク
| 項目 | URL | 関係 |
|---|---|---|
| 一宮 | 作成予定 | 一宮の意味、成立、令制国ごとの差を確認します。用語記事の公開URLを確認後に差し替えます。 |
| 総社 | 作成予定 | 一宮以下の順位名称と、諸神を併せ祀る総社の違いを確認します。用語記事の公開URLを確認後に差し替えます。 |
| 摂社 | https://shrineheritager.com/sessha/ | 令制国における位置と、本社への付属関係を区別します。 |
| 末社 | https://shrineheritager.com/massha/ | 二宮・三宮と本末関係の違いを確認します。 |
第13章 参考文献
| 著者・編者 | 書名・論文名 | 出版事項 |
|---|---|---|
| 中世諸国一宮制研究会編 | 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 | 岩田書院、2000年 |
| 一宮研究会編 | 『中世一宮制の歴史的展開 上―個別研究編』 | 岩田書院、2004年 |
| 一宮研究会編 | 『中世一宮制の歴史的展開 下―総合研究編』 | 岩田書院、2004年 |
| 岡田莊司 | 「平安期の国司祭祀と諸国一宮」 | 一宮研究会編『中世一宮制の歴史的展開 下―総合研究編』岩田書院、2004年所収 |
| 黒板勝美・國史大系編修会編 | 『延喜式』前篇、新訂増補国史大系 | 吉川弘文館、1965年 |
個別神社については、各神社の由緒、神社庁の掲載情報、自治体の文化財資料、祭礼保存会の資料を参照し、記載内容の性格に応じて史実・伝承・現行祭礼を区別しました。
第14章 External Links(外部リンク)
国立国会図書館サーチ「中世諸国一宮制の基礎的研究」
諸国一宮制の基礎研究となる研究書の著者、出版者、出版年、所蔵状況を確認できます。
URL: https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002923029
国立国会図書館サーチ「中世一宮制の歴史的展開 上―個別研究編」
各令制国における一宮制の個別研究を収録する研究書の書誌情報を確認できます。
URL: https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007645380
国立国会図書館サーチ「中世一宮制の歴史的展開 下―総合研究編」
国司祭祀と諸国一宮などを扱う総合研究編の書誌情報と収録内容を確認できます。
URL: https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007659883
山梨県神社庁「美和神社」
甲斐国二之宮として伝わる美和神社の祭神、由緒、祭礼などを確認できます。古代に関する記述は神社由緒として扱います。
URL: https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/1086
山梨県神社庁「玉諸神社」
甲斐国三之宮として伝わる玉諸神社の由緒と、一宮・二宮・三宮が関わる水防祭について確認できます。
URL: https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/1087
大磯町観光協会「相模国府祭」
現在の相模国府祭に参集する六社と祭礼の日程・構成を確認できます。祭礼の歴史的成立を直接証明する同時代史料とは区別して参照します。
URL: https://www.oiso-kankou.or.jp/?cat=19128&p=we-page-entry&pageno=3&spot=317850&type=spot
第15章 更新履歴(Revision History)
| 日付 | 版 | 状態 | 内容 |
|---|---|---|---|
| 2026年8月12日 | 旧版 | Superseded | 旧記事を公開 |
| 2026年9月3日 | Edition 1 Official Master | Current | SHM-0002 Version 5.5に基づき全面再作成。大和朝廷と令制国の用語を区別し、史実・社伝・研究上の見解を整理 |