添川神明社(そえがわ しんめいしゃ)は 延喜式内社 出羽國山本郡 副川神社(そひかはの かみのやしろ)の論社とする説がある「杉生大明神」の地に 昭和3年6月11日 昭和天皇の即位の礼(御大典)を記念する事業の一環として 添川村内の神社(神明社 熊野神社 那智瀧神社 鹿嶋神社など)が合祀され神明社と改称されたものです
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
神明社(shinmeisha)
【通称名(Common name)】
添川神明社(そえがわしんめいしゃ)
【鎮座地 (Location) 】
秋田県秋田市添川(そえがわ)字古城廻り51
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)〈合祀 神明社〉
豊受姫大神(とようけひめのおほかみ)〈合祀 神明社〉
鹿嶋大神(かしまのおほかみ)〈合祀 鹿嶋神社〉
杉皇大神(すぎすめのおほかみ)〈杉生(すぎう)大明神〉
熊野大神(くまののおほかみ)〈合祀 熊野神社〉
那智滝大神(なちのたきのおほかみ)〈合祀 那智瀧神社〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・旧・杉生大明神を『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社とする説あり
【創 建 (Beginning of history)】
神明社 しんめいしゃ
由緒
添川神明社は、昭和3年御大典記念に同地に鎮座の杉生(すぎう)大神(明神社と呼ばれていた)に、神明社、熊野神社、那智瀧神社、鹿嶋神社を合祀して、村社となる。
以来、添川、濁川、湯沢等の地域の産土神として崇敬され現在に至る。
秋田県神社庁HPより
https://akita-jinjacho.sakura.ne.jp/tatsujin_etc/kennsaku/akita/064_shinmeisha_soegawa.html
『秋田県案内』〈明治44年〉に記される内容
昭和3年に添川神明社と改称される以前の「杉生(すぎう)大明神」について 記されています
【原文抜粋】
杉生大明神(すぎふだいみようじん)
添川村にあり大巳貴命を祭る 三輪大明神と一体にして 人皇十一代垂仁天皇 二十六年八月三日 神託にて國々に大社を建て 出羽九座の内 保呂波山、杉宮、杉生是なり 神領多く 今に田畑に祭禮田、宮の田と稱するありと古書に見えたり
世に副川神社の故趾不明なりといふは是ならずや 今は神官某の氏神として存せり
【現代語訳】
- 杉生大明神(すぎふだいみようじん)
この神社は添川(そえかわ)村にあり、大巳貴命(おおなむちのみこと)を祀っています。三輪大明神(みわだいみようじん)と一体(同じ神)とされています。
第11代 垂仁(すいにん)天皇26年8月3日、神託(神のお告げ)によって諸国に大社が建てられました。そのうち、出羽国(現在の秋田県・山形県)の「出羽九座(延喜式内社)」に含まれる保呂波山(ほろはさん)、杉宮(すぎのみや)、そしてこの杉生(すぎふ)がそれにあたります。
かつては多くの神領(神社の領地)を有しており、今でも田畑の中に「祭禮田(さいれいでん)」や「宮の田(みやのた)」と呼ばれる場所があると古書に記されています。
世間では「(式内社である)副川(そえかわ)神社の跡地(旧跡)はどこか分からなくなっている」と言われていますが、実はこの杉生大明神のことではないでしょうか。現在は、ある神官の氏神として存続しています。
【原文参照】
安藤和風 編『秋田県案内』,彩雲堂,明44.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/763203
【由 緒 (History)】
添川神明社
古城廻五一
祭神 天照大御神
例祭 六月十一日由緒
創始は不詳、この社に昭和三年六月十一日 濁川八幡神社と三本松羽黒神社を合祀した。
又、古川巳一郎氏の屋敷神であったという。杉生大明神は現在この境内に建てられている。この社の宝物として「まんだら弓」がある。
延宝五年(一六七七)添川村に於て、藩主 佐竹義處の前で火矢をば一町五反も射て、前矢後矢とも当たり、褒彰にあづかったと記している。古城廻りには、那智滝神社があったが、これも後に合祀された。
現地案内板より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・添川神明社 社殿
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・添川神明社 拝殿
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・〈拝殿向かって右〉杉生大明神〈式内社 副川神社の論社とする説あり〉
杉生大明神の神霊は神明社に合祀されているようです
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・石段脇の杉の木・その奥に拝殿・拝殿の右に杉生大明神
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・参道石段
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・参道
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・鳥居
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・社頭の横 グラウンド
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
【この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)】
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)出羽國 9座(大2座・小7座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)山本郡 1座(小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 副川神社
[ふ り が な ](そひかはの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Sohikaha no kaminoyashiro)
【原文参照】
[件名・細目]「延喜式 巻10」(特026-0001-0005)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/item/4028148
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『式内社調査報告第14巻』昭和59年に記される内容
式内社 副川神社の論社の所在地として 4つの説を紹介しています
①〈現 副川神社(南秋田郡八郎潟町浦大町小坂)〉とする説
②〈現 添川神明社(秋田市添川古城廻)〉とする説
③〈現 八幡神社(大仙市神宮寺)〉とする説
④〈現 嶽六所神社(大仙市神宮寺落貝)〉とする説
【抜粋原文】
出羽國山本郡 副川神社
【所在】
秋田縣南秋田郡八郎潟町浦大町字小坂四五。所蔵されてゐる江戸時代の社殿造営棟札などは、みな「出羽國山本郡高岳山副川神社」と記してゐるが、それは、この山頂が秋田・山本両郡境に當たる事實と、本神社が本來古代山本郡に鎭座してゐたことの縁によるものであらう。
『神名帳考證』には「三鞍鼻、高岳山ニ在」とあるが、三鞍鼻は現在名三倉鼻で八郎潟に突出してゐた小さな岬で、潟に八郎太郎を祀る洞窟祠がある。
なお、志賀剛氏に「式内副川神社新考」(『秋大史學』九號)あり、秋田市添川(舊秋田郡旭川村添川)の「神明神社」が副川神社であると論ずる。しかしこの説は、志賀氏孤獨の見解であるにすぎず、添川神明神社を、式内副川神社の論社と位置づけることはできない。添川の地は、古代秋田郡添川郷に屬して居り、神名式の言ふ副川神社所在の「山本郡」域には當たらない。
また古代副川神社の地は、神宮寺の八幡神社が秋田縣仙北郡神岡町神宮寺字神宮寺三三三であり、嶽六所神社が同郡神岡町神宮寺字落貝七である。
【現代語訳】
【所在地】
〈現 副川神社(南秋田郡八郎潟町浦大町小坂)〉とする説
秋田県南秋田郡八郎潟町浦大町字小坂45に鎮座しています。当社に所蔵されている江戸時代の社殿造営に関する棟札などには、いずれも**「出羽国山本郡高岳山副川神社」**と記されています。これは、高岳山の山頂が秋田郡と山本郡の境にあたること、また、この神社がもともと古代の山本郡に鎮座していたことに由来するものと考えられます。
『神名帳考證』には、「三鞍鼻、高岳山に在り」とあります。「三鞍鼻」は現在の三倉鼻にあたり、八郎潟へ突き出していた小さな岬です。そこには、八郎太郎を祀る洞窟の祠があります。
〈現 添川神明社(秋田市添川古城廻)〉とする説
なお、志賀剛氏は「式内副川神社新考」(『秋大史學』第9号)において、秋田市添川(旧秋田郡旭川村添川)の神明神社を『延喜式』神名帳に記載された副川神社であると論じています。しかし本文の著者は、この説について、志賀氏独自の見解にすぎず、添川神明神社を式内社・副川神社の論社として位置づけることはできないとしています。その理由として、添川の地は古代には秋田郡添川郷に属しており、『延喜式』神名帳が副川神社の所在地として記す**「山本郡」には含まれない**ことを挙げています。
〈現 八幡神社(大仙市神宮寺)〉とする説
また、古代の副川神社の鎮座地との関係で挙げられる神社として、神宮寺の八幡神社は秋田県仙北郡神岡町神宮寺字神宮寺333に、〈現 嶽六所神社(大仙市神宮寺落貝)〉とする説
嶽六所神社は同郡神岡町神宮寺字落貝7に所在すると記されています。
【原文】『式内社調査報告第14巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より
『式内社調査報告』にみる副川神社の鎮座地をめぐる諸説
『式内社調査報告』では、式内社・副川神社の鎮座地をめぐって、現在の副川神社(南秋田郡八郎潟町浦大町)、添川神明社(秋田市添川)、八幡神社(大仙市神宮寺)、嶽六所神社(大仙市神宮寺)に関係する説や記録について検討しています。
ただし、これら四社を同じ位置づけの「論社」として扱っているわけではありません。
とくに添川神明社については、志賀剛氏が「式内副川神社新考」において副川神社に比定する説を示したことを紹介したうえで、添川の地が古代の秋田郡添川郷に属し、『延喜式神名帳』が副川神社の所在地として記す山本郡には当たらないことから、『式内社調査報告』では「式内副川神社の論社と位置づけることはできない」としています。
そのため、本記事では「副川神社には四つの論社がある」と単純に整理せず、副川神社の鎮座地をめぐって挙げられてきた諸説・関係社として、それぞれの説と史料上の位置づけを紹介します。
文献名 支持する所在地(説) 根拠・内容
『明治神社誌料』 ③ 八幡神社(大仙市神宮寺) 『出羽国土記』などの記述を引き、玉川がかつて「副川」と呼ばれ雄物川に合流する地(神宮寺)にあるため、ここが式内社であると主張。源義家や源頼朝、戸沢氏、佐竹氏など歴代の武将から崇敬された歴史を持つ。
『式内社調査報告』 4つの説を併記 ①現・副川神社、②添川神明社、③八幡神社、④嶽六所神社の4説を紹介。ただし②の秋田市説は郡が違うため否定。神宮寺の八幡神社(③)と嶽六所神社(④)は本宮・里宮の関係にあると言及。
『神社覈録』
『神祇志料』
『特選神名牒』 ① 副川神社(八郎潟町) いずれも現在の南秋田郡八郎潟町浦大町にある「高岳山(三倉鼻)」の副川神社を式内社とみなしている。かつて土地の人々は「牛頭天王」と呼んでいたとも記載。
延喜式内社 出羽國山本郡 副川神社(そひかはの かみのやしろ)の論社
①・副川神社(南秋田郡八郎潟町浦大町小坂)
副川神社(そえがわじんじゃ)は 秋田の八郎潟に鎮座します 大和朝廷の延喜の制では官社とされる 「延喜式神名帳engishiki jimmeicho」(927年12月完成)所載の神社で 最北端の式内社とされています つまり当時の大和朝廷勢力の北限にあたります
副川神社(八郎潟町浦大町字小坂)〈最北の延喜式内社〉
②・添川神明社(秋田市添川古城廻)
添川神明社(そえがわ しんめいしゃ)は 延喜式内社 出羽國山本郡 副川神社(そひかはの かみのやしろ)の論社とする説がある「杉生大明神」の地に 昭和3年6月11日 昭和天皇の即位の礼(御大典)を記念する事業の一環として 添川村内の神社(神明社 熊野神社 那智瀧神社 鹿嶋神社など)が合祀され神明社と改称されたものです
添川神明社(秋田市添川古城廻)〈『延喜式』副川神社〉
③・八幡神社(大仙市神宮寺)〈嶽六所神社(大仙市神宮寺落貝)の里宮〉
八幡神社(はちまんじんじゃ)は 坂上田村麻呂が建立したと伝わる大仙市神宮寺の旧県社です 延喜式内社 出羽國山本郡 副川神社(そひかはの かみのやしろ)の論社の一つであり 源頼朝や佐竹氏ら歴代武将からも崇敬されていました 伝統的な奇祭「旗背負い」が伝わっています
八幡神社(大仙市神宮寺)〈『延喜式』副川神社〉
④・嶽六所神社(大仙市神宮寺落貝)〈八幡神社(大仙市神宮寺)の本宮〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR奥羽本線 秋田駅から北へ5.7km 車での所要時間14~15分程度
秋田市添川の集落を進みます
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古城廻方面へ 上がって行く道があり 進んでいくと右手にグラウンドがあり そのグラウンドの横に鎮座しています
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サッカーゴールが置かれているグラウンドの先に白い鳥居が 南向きに建てられています
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添川神明社(秋田市添川古城廻)に参着
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一礼をして 鳥居をくぐり抜けて 参道を戻ります
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拝殿の手前には石段があり その両脇には まるで注連柱のように 杉の木が植えられています
正面の拝殿の向かって右にある建屋は 杉生大明神〈式内社 副川神社〉の論社とする説があります 杉生大明神の神霊は神明社に合祀されているようです
拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿に一礼をして 参道を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 副川神社について 所在は「浦大町村三鞍鼻高岳山に在す」〈現 副川神社(南秋田郡八郎潟町浦大町小坂)〉と記しています
【抜粋原文】
副川神社
副川は曾比加波と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕秋田郡添川、
○祭神詳ならず、〔或云、播磨國廣峯神を徙し祭るとて、土俗 牛頭天王と稱す、〕
○浦大町村三鞍鼻高岳山に在す、〔祭考〕例祭 月 日、
【現代語訳】
副川神社
「副川」は「ソヒカハ」と読むべき名称です。『和名類聚抄』の郷名の項には、秋田郡の「添川」が記されています。
祭神については詳しく分かっていません。ある説では、播磨国の広峯神社の神を遷して祀ったといい、土地の人々はこの神を**牛頭天王(ごずてんのう)**と称していました。
神社は、浦大町村の三鞍鼻高岳山に鎮座しています。『祭考』例祭についての記載がありますが、月日は記されていません。
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 副川神社について 所在は「浦大町村高岳山に在り」〈現 副川神社(南秋田郡八郎潟町浦大町小坂)〉と記しています
【抜粋原文】
副川(ソヒカハノ)神社
今 浦大町村高岳山に在り、神名帳考、巡拜舊祠記、
【現代語訳】
副川神社
副川神社は、現在、浦大町村の高岳山に鎮座しています。
このことは、**『神名帳考』および『巡拜舊祠記(巡拝旧祠記)』**に記されています。
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 副川神社について 所在は「浦大町村〔今属 羽後國南秋田郡〕(南秋田郡内川村大字浦夫町)」〈現 副川神社(南秋田郡八郎潟町浦大町小坂)〉と記しています
【抜粋原文】
副川神社
祭神
祭日 六月八月並五日
社格 郷社所在 浦大町村〔今属 羽後國南秋田郡〕(南秋田郡内川村大字浦夫町)
【現代語訳】
副川神社
祭神
祭神についての記載はありません。
祭日は、6月5日および8月5日です。
社格 郷社です。
所在地
浦大町村に鎮座しています。現在の国郡区分では、羽後国南秋田郡に属します。(南秋田郡内川村大字浦大町)
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
添川神明社(秋田市添川古城廻)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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出羽国 9座(大2座・小7座)に戻る
出羽国(でわのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 出羽国には 9座(大2座・小7座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
出羽國 式内社 9座(大2座・小7座)について