実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

梛八幡神社(たつの市神岡町沢田)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉

梛八幡神社(なぎはちまんじんじゃ)は 創立は不詳ですが 和銅6年(713)に編された『播磨風土記』をはじめ『播磨国式内外神社記』『峰相記』『播磨名所巡覧図絵』等に記載があり 古くから大社とされた延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社の一つです

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

梛八幡神社(Nagi hachiman shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

兵庫県たつの市神岡町沢田38

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》足仲彦命(あしなかひこのみこと)

《配》品陀和気命(ほむたわけのみこと)
   息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・ 国史に記載される神社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

梛八幡神社 御由緒

祭神

御本社
 足仲彦命
 品佗和気命
 息長足姫命

摂社
 淡島神社 豊玉姫命 女人健康招福の神
 厄神社  武内宿祢命 厄除長寿延命の神

境内末社
 松尾神社  大山作命 醸造・建設の神
 梛山稲荷神社 宇賀魂命 荒れを治め目的達成の神
 金比羅神社 大物主命 生産・商売・家業繁栄の神
 阿菩神社  阿菩大神 治め鎮める神
 辻ノ木若宮神社 旬々廼馳命
 地神社   大地主命

祭神 八幡宮を勧請し 崇め奉る

 吹風のあらふる神のさはへをも
  祈りこそしるき なぎの宮ゐわ
  那祇山 宇野下野

 当神社の創立は不詳であるが、今からおよそ千二百年前の天平宝字七年に新羅の軍船が我が国に攻め来て家島に布陣した時、播磨の国司 藤原朝臣貞国、朝廷より追討の命を受け出陣に当り、当梛八幡宮外五社六寺に戦勝祈願をして出陣し大勝を得る。貞国御神威を深く感謝し、長く幣帛を泰献する。と、古書「峯相記」に記録されており、又、千年前の延喜の式内外社の制定に当り大社に列せられ代々領主の信仰厚く、常時 幣帛を献じ秋の大祭には領主、又は、寺社奉行が参拝され、毎年奉納する神事獅子舞、及び大相撲を近郷近在より参拝する里人と共に参観され、広く澤田の宮、獅子の梛の宮と慕われ、崇敬された古いお社です。

 この神岡の里は神代の昔、出雲の阿菩大神が畝火、香山、耳梨の三山の争いを諌めるため、大和に向う途中、この梛山に来た時争い止むと聞き、乗ってきた船をこのお山に覆して、御在所(座)とされたところから神の阜(神岡)と名付けられ、後年 御祭神の品佗和気の命が播磨の国を巡行の砌、紫雲たなびく神霊地を感受され、導主命をして尋ねしめ給う時、どこからともなく獅子が現れ、先導し榊の茂る中に生える霊木、白檀の木の下へ案内されたところから以後、梛の大神の御神威を畏み神恩に報いる為、秋祭には獅子舞を神事として奉納することとなり、毎年伝承され来て江戸時代中期に奉納順の当番制度を確立し、休む年無く継承奉納されて、昭和四十四年三月兵庫県重要無形文化財の指定を受け、昭和五十年二月神戸新聞社の推挙により日本神事芸能を代表してフランスニースカーニバル親善使節として参加し、「シャバニースゴッドライオン」と、称賛を博し無事大任を果して来ました。

 斯く、当社は獅子に寄させ給う神霊を似ってすべての悪魔を祓い退け清めて新生気を授け、幸を賜わる霊験あらたかな、神通力厳しい大神梛八幡神社です。

 寄贈 妹尾元和 平成元年十一月

現地案内板より

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【由  (History)】

梛八幡神社 ナギハチマンジンジャ

由 緒

 当梛八幡神社の創立は不詳でありますが、和銅6年(713)に編された「播磨風土記」をはじめ「播磨国式内外神社記」「峰相記」「播磨名所巡覧図絵」等に当社のことが記載されており、神社名も那祇八幡宮、那祇山八幡大菩薩、上岡明神那祇八幡宮として古くから広く里人等の信仰も篤く、明治7年(1874)梛八幡神社として郷社に列せられ、神岡郷幣帛供進の神社とされました。

 伝えによると神功皇后、三韓より凱旋の砌、北方に紫雲たなびき、霊香漂うを感ぜられ、道主命に尋ねしめ、何処からともなく獅子が現れ道案内をして榊の樹が繁茂している梛山に案内する。霊香はここより発しており、神を祀ったと云われております。

 また貞和年間(1340年代)成立の「峰相記」には、天平宝字7年新羅の軍船当国に攻め入り、家島、高嶋に陣を取り、国司藤原朝臣貞国、追討の命を承け出陣に当たり梛八幡社等5社6寺に異賊調伏を祈願し、永く幣帛を献じ篤く崇敬されたという。

 その後代々の領主をはじめ近郷近在広く衆庶に播州那岐の宮、上岡獅子舞の宮として崇められ、親しまれて、日々常に里人と共に存る御社であります。

2008 兵庫県神社庁HPより
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6318034.html

由緒

 当梛八幡神社の創立は不詳でありますが和銅6年(凡そ1367年前)に編された播磨風土記を始め播磨鑑、播磨国式内外神社記、峰相記微考、播磨名所巡覧図絵等に当社の名がでており、古くから大社として広く里人等の信仰厚く崇敬された神として鎮座されており、神社名も那祇八幡宮、那祇山八幡大菩薩、上岡明神那祇八幡宮、梛八幡宮そして明治7年2月梛八幡神社として旧社格郷社に列せられ、村より幣帛供進の神社とされました。

 社伝によると、神宮皇后三韓より凱戦の砒、北方に紫雲たなびき霊香ただようを感ぜられ附近に神霊地ありとおぼしめされ、道主命に命じ尋ねしめ給う、この時何処からともなく獅子が現らはれ道案内をして、無事この梛山白檀の木の下に案内する、霊香ここより発しており、山には榊の木が繁茂して神霊地であることを知りこのこと奏上する。この白檀の木御神霊木として崇へ神を祭る、これ当神社創立の始めで神事獅子舞の起因でもある。

 また播磨風土記には出雲国阿菩大神が大倭へ上られる途中、この地においてその乗られていた船を覆して坐し給う、この姿阜に似ているので神阜となづけ給うこの阿菩大神を上岡里上岡明神に祭る・・・とあって、神岡の郷名となり郷名も「加無都乎加」神阜、上岡、神岡と変っているように思はれる。

 天平宝字7年新羅軍船当国に攻め入り家嶋、高嶋に陣を取る。国司藤原朝臣貞国追討の命を承け出陣に当り当那祇八幡大神外五社六寺に戦勝祈願をして魚吹津より発向し大勝利を得る貞国神慮を感謝し長く幣帛を献じ厚く崇敬されたという凡そ1230年前のことであります。

 その後代々の国司地頭領主等の崇敬篤く、播州那祇の宮、上岡那祇の獅子舞の宮として近郷近在広く衆庶に崇敬され当社の例祭秋祭の翌日より稲刈りが始まるといはれ常に里人と共に日々が存った御祭神であります。

 元禄2年4月29日残念ながら火災に罹り書類一切焼失しており不詳となったのであります。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

梛八幡神社 本殿

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梛八幡神社 拜殿

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梛八幡神社 割拝殿〔絵馬殿〕

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・注連柱

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・〈割拝殿前〉狛犬

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・〈拝殿向かって右隣 境内社〉厄神社《主》武内宿禰

・〈拝殿向かって右奥 境内社〉松尾神社《主》大山咋命

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・〈拝殿向かって右奥 境内社〉金刀比羅神社《主》大物主命

・〈拝殿向かって右奥 境内社〉梛山稲荷神社

・〈拝殿向かって右奥 境内社〉阿菩神社《主》阿菩大神

・〈拝殿向かって左〉廻廊・社務所

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・〈拝殿向かって左 石像〉猿の神像 猿田彦神?

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・〈拝殿向かって左廻廊 境内社〉淡嶋神社《主》豊玉姫命

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・〈拝殿前〉御神木

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御神木の社傳

 梛八幡神の元宮と称える

 社伝によると神功皇后 播磨巡幸の砌(みぎり)北方に紫雲がたなびき、霊香のただようを感ぜられ神霊地なりとおぼしめされ、道主命に命じ尋ねしめ給う。この時 何処ともなく獅子が現らはれ、この那祇山 白檀の木の下に案内する。この霊木より霊香を発しており、山には榊(さかき)の木が繁茂しておりこれこそ神霊地であると奏上す。依って この白檀の霊木を御神木と称へ元宮と崇拝し祀き祭る。これ当神社創立の始めで神事獅子舞の起因でもある。
 古く阿菩大神もここに坐し給い神阜と名付け給い、上岡明神として崇へ奉り来る。

現地石碑文より

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・奉納品〔揖保乃糸・醤油・奉献樽酒〕

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・石段

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・社頭の鳥居

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・手水舎

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・社頭

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・二の鳥居

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・一の鳥居

写真では わかりづらいですが 鳥居の向かって右 すぐ後ろには 地神社《主》大地主命が祀られています

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『播磨國風土記(Harimanokuni Fudoki)〈和銅6年(713年)〉』に記される「上岡里(かむのをかのさと)」の伝承

梛八幡神社(たつの市神岡町沢田)の鎮座地周辺は『播磨国風土記』の「上岡里(かむのをかのさと)」とれています
境内には〈境内社〉阿菩神社《主》阿菩大神が祀られています

【抜粋意訳】

上岡里(かむのをかのさと)〔元は林田里(はやしだのさと)と云う〕

 出雲国の阿菩大神(あぼのおほかみ)が 大倭国の畝火(うねび)・香山(かぐやま)・耳梨(みみなし)の三山の神が相闘(あいあらそう) この事を聞いたので 闘(あらそい)を止(とめ)ようと 出雲からやってきた 此処に至った時 既に争いは止んだと聞いた 阿菩大神は乗ってきた船を覆し そこに鎮座することにした
故に神阜(かむつをか)と名付けられた 阜の形は覆した船に似ている

【原文参照】

『播磨国風土記』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2538170

『播磨國風土記(Harimanokuni Fudoki)〈和銅6年(713年)〉』に記される「粒丘(いひほのをか)」の伝承

中臣印達神社 鎮座地の丘(中臣山)は『播磨国風土記』揖保郡「粒丘(いひほのをか)」に比定されています

【抜粋意訳】

揖保里(いひほのさと)

粒(いひほ)と称される所以は 粒山(いひほやま)があった故に 山の名を この里名とした

粒丘(いひほのをか)と名付けた所以は 粒丘に天日槍命(あめのひぼこのみこと)が 韓国から渡来して宇頭川の辺に到り ここで宿を乞うた

葦原志舉乎命(あしはらのしこをのみこと)は「汝は国主である 我が宿を与えよう」と云い 海中に案内した

この時 客神(まらひとのかみ)〈天日槍命〉は 剣で海水をかき回して宿とした
すると 客神〈天日槍命〉の行いを見た主神(あるじのかみ)〈葦原志舉乎命〉は畏れ 先に国を占拠しようと欲して 国を巡り粒丘に到り ここで湌(みをし)〈食事〉をした その時 口から米粒が落ち 粒丘と名付けられた
その丘には小石があり 皆 米粒によく似ている また 杖を刺した地から冷水が湧き出て 遂に南北に流れた泉は 北は寒く 南は温い
ここには 白朮(おけら)が生える

【原文参照】

『播磨国風土記』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2538170

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

粒坐天照神と表記され 神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

卷二貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申

廿七日甲申

京畿七道諸神 進階及新叙 惣二百六十七社

奉授

淡路國 无品勳八等伊佐奈岐命一品
備中國 三品吉備都彦命二品

・・・
・・・

播磨國 從五位下勳八等 粒坐天照神 伊和坐大名持御魂神 並從四位下 從五位下 海神從五位上

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

【抜粋意訳】

巻3神祇 臨時祭 名神祭二百八十五座

園神社一座 韓神社二座〈已上坐宮内省〉

・・・
・・・〈中略〉
・・・

海神社三座 粒坐天照神社一座 中臣印達神社一座 家嶋神社一座 伊和神社一座〈已上播磨国〉

・・・〈中略〉

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)播磨國 50座(大7座・小43座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)揖保郡 7座(大3座・小4座)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 粒坐天照神社名神大
[ふ り が な ]いいぼにます あまてらすかみやしろ
[Old Shrine name]Iibonimasu amaterasu kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社名神大(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社

・粒坐天照神社(たつの市龍野町日山)

一緒に読む
粒坐天照神社(たつの市龍野町日山)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉

粒坐天照神社(いいぼにます あまてらすじんじゃ)は 古伝承に推古天皇2年(594)地元の有力者 伊福部連駁田彦(いふきべのむらじふじたひこ)がご神託を受け 五穀豊穣の神様 天照国照彦火明命を祀ったことが始まりと云う 延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社です

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・天祇神社(たつの市揖西町小神)
〈粒坐天照神社(たつの市龍野町日山)の奥宮(ご祭神の降臨の地)〉

・古宮神社(たつの市揖西町小神)
粒坐天照神社(たつの市龍野町日山)の中宮(旧鎮座地)〉

・粒坐天照神社(たつの市揖保町中臣)
〈中臣印達神社の境内〉

一緒に読む
中臣印達神社(たつの市揖保町中臣) 〈『延喜式』名神大神 中臣印達神社〉

中臣印達神社(なかとみ いだてじんじゃ)は 宝亀元年(770)創立と伝へ 延喜式内社 播磨国 揖保郡 中臣印達神社(名神大)(なかとみいんたちの かみのやしろ)とされ 又 式内社 阿波遅神社(あはちの かみのやしろ)を合祀します 更に鎮座地(中臣山)は『播磨国風土記』揖保郡「粒丘(いひほのをか)」に比定されます

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・梛神社(姫路市林田町下伊勢)

一緒に読む
梛神社(姫路市林田町下伊勢)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉

梛神社(なぎじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇26年 天から十二の幡が降り その地に石碑を建てた その一つが八町四方に繁茂する社地の梛の大木に掛かり 天照大神が現れたと云う 延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社の一つです

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・梛八幡神社(たつの市神岡町沢田)

一緒に読む
梛八幡神社(たつの市神岡町沢田)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉

梛八幡神社(なぎはちまんじんじゃ)は 創立は不詳ですが 和銅6年(713)に編された『播磨風土記』をはじめ『播磨国式内外神社記』『峰相記』『播磨名所巡覧図絵』等に記載があり 古くから大社とされた延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社の一つです

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・井関三神社(たつの市揖西町中垣内)

一緒に読む
井関三神社(たつの市揖西町中垣内)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉

井関三神社(いせきさんじんじゃ)は 社伝に第十代 崇神天皇二年(BC88年)播磨国揖保郡 亀の山に天照国照彦火明櫛玉饒速日命が勅命により鎮座されたと云う 仁安元年(1166)祭神を揖保郡 亀の山の奥宮から現在の井関山へ遷座 延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社

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・多賀八幡神社(姫路市林田町上伊勢)

一緒に読む
多賀八幡神社(姫路市林田町上伊勢)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉

多賀八幡神社(たがはちまんじんじゃ)は 『播磨国風土記』にみえる揖保郡林田里の「伊勢野」に比定される「上伊勢」に鎮座します 延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社の一つで『播磨名所巡覧図会』には伊勢村にあるとする説を載せています

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR姫新線 東觜崎駅から東方向へ約1.7km 車での所要時間は5~6分程度

西に揖保川・東に林田川が流れる平地の中央辺りに丘陵地帯があります

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この丘陵地帯は周辺は『播磨国風土記』の「上岡里(かむのをかのさと)」とされています

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梛八幡神社(たつの市神岡町沢田)の鎮座地は この丘陵の北西辺りに南を向いて鎮座しています

一の鳥居は南を向いて建ちます

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少し進むと 参道は左に折れていて 社号標と二の鳥居は東を向いています
鳥居の扁額には「梛八幡神社」とあります

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二の鳥居をくぐり抜けると 南向きの神社の正面の石垣と玉垣に沿うように東西に参道が続いています

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梛八幡神社(たつの市神岡町沢田)に参着

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社頭の前面には 南へと延びている道があり こちらが本来の表参道ではないでしょうか

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手水舎があり 清めてから 鳥居へとすすみます

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鳥居の脇には 由緒書きなどが掲示されています

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一礼をして鳥居をくぐり抜けて 石段を上がります

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石段を上がると 正面に社殿が建ちます

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狛犬 石灯籠 注連柱などが建ち 立派な構えです

拝殿にすすみます

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注連柱をくぐり抜けて 石段を上がると 絵馬の掲げられている割拝殿となります

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沢山の絵馬が奉納されています

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割拝殿を抜けて その先の拝殿へと進みます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿には 昭和38年(1963)伊勢神宮で奉納された「梛八幡神社神事獅子舞」の様子が 記念写真として掲げられています
「継ぎ獅子(つぎじし)」大人の上に子供が立っていて 踊っている様子が勇ましいです

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拝殿の向かって左手には回廊があります

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この廻廊に〈境内社〉淡嶋神社が祀られています

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拝殿の前には 梛八幡神の元宮と称える御神木があります

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社殿に一礼をして 割拝殿に戻ります

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境内参道を石段を下ります

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社頭の鳥居を抜けます

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南向きの社頭の石段を下ると 南へ一直線に道が続いています

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 粒坐天照神社(名神大)について 表記は゛揖保坐天照神社(名神大)゛と記し 所在は゛揖東郡岡野郷上伊勢村に在す、今伊勢宮と稱す、゛〈現 多賀八幡神社(姫路市林田町上伊勢)〉と記しています

【抜粋意訳】

揖保坐天照神社(名神大)

揖保は 郡名に同じ、和名鈔、〔郷名部〕揖保、〔伊比奉〕

天照は 阿麻弖留と訓べし、

〇祭神 伊勢都比古命歟

〇揖東郡岡野郷上伊勢村に在す、今伊勢宮と稱す、〔古跡便覧〕

〇式三、〔臨時祭〕名神祭二百八十五座、〔中略〕播磨國粒坐天照神社一座

〇播磨國風土記云、〔揖保郡〕

伊勢野(いせの) 伊勢野と名付けられた所以は この野に毎(ごと)有る人は 静けさを得ず そこで 衣縫猪手(きぬぬひのゐて)・漢人刀良(あやひととら)らの祖が 此処に住し山の麓に社を建て 峯の神を敬い祀った その神は 伊和大神の御子神 伊勢都比古命(いせつひこのみこと)と伊勢都比賣いせつひめのみこと)です これより後は 家々は静かで安らかになり 遂に里を成 よって伊勢と号した

 考證云、天照國照彦火明饒速日尊、
 比保古云、天照大神也と非也、

連胤〕按るに、風土記に據て見れば、此古跡なる事疑ひなきを、彼伊勢とだにいへば、天照大神の事に泥みて此故事を忘れ、はやく貞観の頃より、天照神社と唱へ來りしを、其ままに注進したるにこそあらめ、是を以て見れば、伊勢村伊勢宮の名のみ、千載を經てさやかなるぞ、いともいとめでたかりける、河内國 高安郡 天照大神高座神社も、伊勢都比古命といふによく符合ひて證とするに足れり、〔前にも、天照大神にはあらず、必ず山城國 葛野郡 木島坐天照御魂神社と同じく、天日神命なるべしと思へるも、今にて見れば臆断にして恐るるにたれり、返す返すも神號などは、穿ちて説をたつる事なかれ、つつしむべし〕

〇式社記云、下伊勢村八幡宮也、一説に上伊勢村伊勢宮といふ

播磨鑑には、伊勢村の地に社跡あり、大門の跡存すと云り、さては今廃亡ときこえたり、猶國人に尋ねて改むべし、

類社
 山城國 葛野郡 木島坐天照御魂神社の條見合すべし

神位
 三代實錄、貞観元年正月廿七日甲申、奉 播磨國 從五位下動八等 粒坐天照神從四位下、

 比保古に、續日本後紀、嘉祥二年十二月甲午、奉授に伴馬立(はりまいほ)天照神 從五位下、と云るは、社撰なる事、摂津國 島下郡 新屋坐天照御魂神社の條に辨へり、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 粒坐天照神社(名神大)について 表記は゛揖保坐天照神社(名神大)゛と記し 所在は゛ 揖東郡上伊勢村に在り、伊勢宮と云ふ、゛〈現 多賀八幡神社(姫路市林田町上伊勢)〉と記しています

【抜粋意訳】

揖保坐天照神(イホニマスアマテルカミノ)

〔〇按 三代実録、延喜式臨時祭式、揖保を粒に作る、並に同じ〕

 揖東郡上伊勢村に在り、伊勢宮と云ふ、〔伊保庄 日山村 天神山にあり飾麻縣神社調、播磨事始、古跡便覧、〕

盖 天照國照天火明命を祀る、五百木連の祖神也、〔参酌日本書紀、舊事本紀、新撰姓氏録、三代実録、延喜式〕〔〇按 三代実録、貞観四年、揖保郡人 伊福貞に本姓 五百木連を賜ふ、實に火明命の裔也〕

清和天皇 貞観元年正月甲申、從五位下勳八等 粒坐天照神に從四位下を授け、〔三代実録〕

醍醐天皇 延喜の制、名神大社に列らしむ、〔延喜式〕

凡 毎年九月廿二日祭を行ふ、〔神社明細帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 粒坐天照神社(名神大)について 祭神は゛天照國照彦天火明命゛

所在は゛伊保庄日山村〔天神山〕 (揖保郡東栗栖村大字日山 )、゛〈現 粒坐天照神社(たつの市龍野町日山)〉と記しています

その他に所在地の考証を重ねていて゛伊勢村八幡宮゛〈現 多賀八幡神社(姫路市林田町上伊勢)〉゛下伊勢村 梛神社是なり゛〈現 梛神社(姫路市林田町下伊勢)〉゛粒坐とある粒の地゛〈現 粒坐天照神社(たつの市揖保町中臣)〈中臣印達神社の境内〉〉を挙げています

【抜粋意訳】

粒坐天照神社(名神大)

祭神 天照國照彦天火明命

 今按 社傳 祭神 天照皇大神とあるは 天照神社とあるより云出たるものにて取かたし 古書の例 皇大御神を天照神とは云べからさる理なる事を思ふへし 神名式に大和城上郡 鏡作坐天照御魂神社 他田坐天照御魂神社 山城久世郡 水主神社十座の内 水主坐天照御魂神 葛野郡 木島坐天照御魂神社 攝津島下郡 新屋坐天照御魂神社の類 みな尾張連の支別の氏人の祭れる社にて 其祖神 天照國照天火明命なる事著きを 此國にも揖保郡人雅樂笛生無位 伊福部貞 復本社五百木部連火明命之後也と三代實錄に見えたれば 此 粒坐天照神社も其祖神 天火明命なるを 土人は大御神と思混へたるものなり 而るを神社覈録に伊勢村の伊勢宮を式社とし 播磨風土記伊勢野の條によりて 祭神 伊勢津彦命なりと定めて 天照御魂神と思へるは非なる由云れは却てあやまれり

神位
 清和天皇 貞親元年正月廿七日甲申 奉授 播磨國從五位下勳八等 粒坐天照神 從四位下

祭日
社格 縣社

所在 伊保庄日山村〔天神山〕 (揖保郡東栗栖村大字日山 )

 今按 神社覈録に 式社記云 伊勢村八幡宮也 一説に上伊勢村伊勢宮と云 播磨鑑には伊勢村の地に社跡あり 大門の跡存すと云り さてやは廃止すと聞えたりとみえ
 注進狀に揖東郡下伊勢村 梛神社是なりとあれど確誰なし 思ふに村名伊勢と云より 天照神に附會したるなるべし

播磨鑑に伊勢村の社をのせて 式社とし粒坐天照大神神社 上揖保庄樋山村にありとする從ふべし 日山村なるは伊保庄内にて天神山と云ふにあり 又 其社説に椎古天皇の御世 神ありて一つの稲種を牧田彦に授け玉ふ 其四至の中 一夜に千頃の水田となるとみえたるは 粒坐とある粒の地の故事をかく誤り傳へしものならん
播磨風土記 揖保郡揖保里所
粒(いひほ)と称される所以は 粒山(いひほやま)があった故に 山の名をこの里名とした

粒丘(いひほのをか)と名付けた所以は 粒丘に天日槍命(あめのひぼこのみこと)が 韓国から渡来して宇頭川の辺に到り ここで宿を乞うた 葦原志舉乎命(あしはらのしこをのみこと)は「汝は国主である 我が宿を与えよう」と云い 海中に案内した この時 客神(まらひとのかみ)〈天日槍命〉は 剣で海水をかき回して宿とした
すると 客神〈天日槍命〉の行いを見た主神(あるじのかみ)〈葦原志舉乎命〉は畏れ 先に国を占拠しようと欲して 国を巡り粒丘に到り ここで湌(みをし)〈食事〉をした その時 口から米粒が落ち 粒丘と名付けられた
その丘には小石があり 皆 米粒によく似ている

とあるに由あり

又 此村の伊保庄にある伊保は 粒にて揖保に同じ 又 社記に文明三年本社を小神村より今の地に移して齋き祭ると云り 此地に粒山など云山ありや猶よく考ふべし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

梛八幡神社(たつの市神岡町沢田) (hai)」(90度のお辞儀)

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播磨国 式内社 50座(大7座・小43座)について

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