実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

梛神社(姫路市林田町下伊勢)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉

梛神社(なぎじんじゃは 11代 垂仁天皇26年 天から十二の幡が降り その地に石碑を建てた その一つが八町四方に繁茂する社地の梛の大木に掛かり 天照大神が現れたと云う 延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社の一つです

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

梛神社(Nagi shhrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

兵庫県姫路市林田町下伊勢字上ノ段492-1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天照大神(あまてらすおほかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・ 国史に記載される神社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

梛神社(村社)

祭神 天照大神

垂仁天皇二十六年に、天から十二の幡が降り、その地に石碑を建てた、その一つが八町四方に繁茂する社地の梛の大木に掛かり、天照大神が現れたと言われている。

梛の元には県主 葦原飯照が居住していた。

飯照十八代目飯粒が良田四十町を安閑天皇に献じ、勅を奉じ石碑の地に天神七代地神五を祀る。

この時、梛の大木を切り倒した跡に、天照大神を祀り梛神社と名づけられた。

現在(平成二十三年)も、樹令百二十年近いご神木を含め、梛が植えられている。

社殿に、明治時代製作の備前焼の狛犬一対あるのが珍らしい。

現地案内板より

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(なぎ)神社 略縁起

 (そもそも)当国 天坐の御座の始と申し奉るは 人皇十一 垂仁(すいにん)天皇 御宇(てんか)二十六 丁巳(ひのとみ)十 東天より光明赫奕として紫雲は七五三獄(しめがだけ)より窟山(いやさん)へたなびき 両峯一度に光明を放ち 天照(あまてらす)大神 顕れ給う その時 御幡(みはた)十二(りゅう)天より降り(七五三獄に (ふもと)

 窟山に 梛の大木有り 枝葉八町四方に繁茂せしが この梛に 北渓口の清岩に旒)

天照大神 梛の大木に移らせ給う 即ち(あがたぬし)葦原飯照(あしはら いいてる) この事を天皇に奏聞(そうもん) 十二旒の降りし各地へ碑を建て 之を表せしが十八世の後胤(しそん)葦原飯粒(あしはら いいぼ)に至り 大伴大連金村(おおとものむらじ かなむらの問を受け 良田四十町を二十七代安閑(あんかん)天皇に献じ(五三五 日本書紀巻十八に記載)勅を奉じて 石立碑の地に就て 十二宇(のきば)を構(かま)へ 天神七代地神五代の十二神を奉崇す 即ち 梛の大木を斬り その蹟に天照大神を祀る  今の梛神社の事なり
播磨古蹟考(はりまこせきこう) 伊勢神明(しんめい) 伊勢村に有り
延喜式(えんぎしき)(神祇(じんぎ)十)に記す 揖保に座す天照神社とは是なりと有り

梛神社

拝殿の案内板より

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【由  (History)】

由緒

 人皇第十一代 垂仁天皇の御宇26年、村の西南、七五三獄より東北、隅窟山に至り、十二旒の幡、天より降りし時、今の社地に梛の大木ありて8町四方に繁茂せしが、其一族の幡、此樹の枝にかかり、天照大神、顯れ給ひ、則ち縣主、葺原飯、此事を天皇に奉聞し、十二幡の降りし各地へ碑を立て、之を表せしが、十八世の後胤、飯粒に至り、良田四拾町を安閑天皇に献じ勅を奉じて右立碑の地に就て、十二字を構へ、天神七代、地祇五代の十二神を奉崇梛の大木を斬り、其跡に天照大神を祭る。是今の梛神社の事なり云々。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

由 緒

 伊勢の里は『播磨国風土記』の伊和大神の話の中で『伊勢野』の名で記され、神子の伊勢都比古、伊勢都比売二柱の神を祭り、おかげで漢人等との紛争も止み、静安を得たとあり、早くから外来文化の摂取も行われた豊かな里である。

 その下伊勢の地にあって、当梛神社は創立年代不詳だが古記によると、人皇第11代垂仁天皇26年丁巳10月、伊勢村の西南七五三嶽(しめがたけ)より東北隅、窟山にいたり十二旗が降った時、今の社地に梛の大木が八丁四方(約900平方メートル)繁茂しており、その一旗が此樹の枝にかかり、天照大神が現れになった。このことを時の縣主が天皇に奉聞し、石碑を建立した。18世の後胤、飯粒に至って良田40町を安閑天皇に献じ、勅を奉じ、十二流を讃えて天神七代、地神五代の十二神を奉崇し、梛の大木を切り、その後に天照大神を祀ったとされている古社である。

 境内には今も受け継がれた梛の樹が茂っており、拝殿前には珍しい伊部焼の狛犬一対も備わり、御神威あらたかな御社として、広く里人等より崇敬されている。

兵庫県神社庁HPより
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6316319.html

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

梛神社 本殿

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梛神社 幣殿

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梛神社 社殿〔本殿・幣殿・拝殿〕

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梛神社 拜殿

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・〈拝殿前〉狛犬

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・〈拝殿前〉石垣・石段

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・〈本殿向かって右 境内社〉二社相殿〔大歳神社 貴船神社〕の祠

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・〈本殿向かって左 境内社〉木ノ神社の石祠

・〈拝殿向かって左 境内社〉荒神社

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・石垣・石段

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・手水舎

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・境内

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・二の鳥居

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・一の鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『播磨國風土記(Harimanokuni Fudoki)〈和銅6年(713年)〉』に記される伝承

当地の地名「伊勢」の由来について記されています

【抜粋意訳】

伊勢野(いせの)

伊勢野と名付けられた所以は この野の民家を建てる度に静けさを得られないことが起こった
 そこで、衣縫猪手(きぬぬひのゐて)・漢人刀良(あやひと とら)らの祖が此処に住むことにし 山の麓に社を建てて山に居た神を敬い祀った
その神とは 伊和大神の御子神 伊勢都比古命(いせつひこのみこと)と伊勢都比賣命(いせつひめのみこと)である
これより後 家々は静かで安らかとなり 遂に里を成すことができた よって伊勢と云う

【原文参照】

『播磨国風土記』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2538170

『播磨國風土記(Harimanokuni Fudoki)〈和銅6年(713年)〉』に記される「粒丘(いひほのをか)」の伝承

中臣印達神社 鎮座地の丘(中臣山)は『播磨国風土記』揖保郡「粒丘(いひほのをか)」に比定されています

【抜粋意訳】

揖保里(いひほのさと)

粒(いひほ)と称される所以は 粒山(いひほやま)があった故に 山の名を この里名とした

粒丘(いひほのをか)と名付けた所以は 粒丘に天日槍命(あめのひぼこのみこと)が 韓国から渡来して宇頭川の辺に到り ここで宿を乞うた

葦原志舉乎命(あしはらのしこをのみこと)は「汝は国主である 我が宿を与えよう」と云い 海中に案内した

この時 客神(まらひとのかみ)〈天日槍命〉は 剣で海水をかき回して宿とした
すると 客神〈天日槍命〉の行いを見た主神(あるじのかみ)〈葦原志舉乎命〉は畏れ 先に国を占拠しようと欲して 国を巡り粒丘に到り ここで湌(みをし)〈食事〉をした その時 口から米粒が落ち 粒丘と名付けられた
その丘には小石があり 皆 米粒によく似ている また 杖を刺した地から冷水が湧き出て 遂に南北に流れた泉は 北は寒く 南は温い
ここには 白朮(おけら)が生える

【原文参照】

『播磨国風土記』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2538170

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

粒坐天照神と表記され 神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

卷二貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申

廿七日甲申

京畿七道諸神 進階及新叙 惣二百六十七社

奉授

淡路國 无品勳八等伊佐奈岐命一品
備中國 三品吉備都彦命二品

・・・
・・・

播磨國 從五位下勳八等 粒坐天照神 伊和坐大名持御魂神 並從四位下 從五位下 海神從五位上

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

【抜粋意訳】

巻3神祇 臨時祭 名神祭二百八十五座

園神社一座 韓神社二座〈已上坐宮内省〉

・・・
・・・〈中略〉
・・・

海神社三座 粒坐天照神社一座 中臣印達神社一座 家嶋神社一座 伊和神社一座〈已上播磨国〉

・・・〈中略〉

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)播磨國 50座(大7座・小43座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)揖保郡 7座(大3座・小4座)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 粒坐天照神社名神大
[ふ り が な ]いいぼにます あまてらすかみやしろ
[Old Shrine name]Iibonimasu amaterasu kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社名神大(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社

・粒坐天照神社(たつの市龍野町日山)

一緒に読む
粒坐天照神社(たつの市龍野町日山)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉

粒坐天照神社(いいぼにます あまてらすじんじゃ)は 古伝承に推古天皇2年(594)地元の有力者 伊福部連駁田彦(いふきべのむらじふじたひこ)がご神託を受け 五穀豊穣の神様 天照国照彦火明命を祀ったことが始まりと云う 延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社です

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・天祇神社(たつの市揖西町小神)
〈粒坐天照神社(たつの市龍野町日山)の奥宮(ご祭神の降臨の地)〉

・古宮神社(たつの市揖西町小神)
粒坐天照神社(たつの市龍野町日山)の中宮(旧鎮座地)〉

・粒坐天照神社(たつの市揖保町中臣)
〈中臣印達神社の境内〉

一緒に読む
中臣印達神社(たつの市揖保町中臣) 〈『延喜式』名神大神 中臣印達神社〉

中臣印達神社(なかとみ いだてじんじゃ)は 宝亀元年(770)創立と伝へ 延喜式内社 播磨国 揖保郡 中臣印達神社(名神大)(なかとみいんたちの かみのやしろ)とされ 又 式内社 阿波遅神社(あはちの かみのやしろ)を合祀します 更に鎮座地(中臣山)は『播磨国風土記』揖保郡「粒丘(いひほのをか)」に比定されます

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・梛神社(姫路市林田町下伊勢)

一緒に読む
梛神社(姫路市林田町下伊勢)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉

梛神社(なぎじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇26年 天から十二の幡が降り その地に石碑を建てた その一つが八町四方に繁茂する社地の梛の大木に掛かり 天照大神が現れたと云う 延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社の一つです

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・梛八幡神社(たつの市神岡町沢田)

・井関三神社(たつの市揖西町中垣内)

一緒に読む
井関三神社(たつの市揖西町中垣内)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉

井関三神社(いせきさんじんじゃ)は 社伝に第十代 崇神天皇二年(BC88年)播磨国揖保郡 亀の山に天照国照彦火明櫛玉饒速日命が勅命により鎮座されたと云う 仁安元年(1166)祭神を揖保郡 亀の山の奥宮から現在の井関山へ遷座 延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社

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・多賀八幡神社(姫路市林田町上伊勢)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

JR姫新線 東觜崎駅から県道724号経由で東へ約5.7km 車での所要時間は10~12分程度

下伊勢地区の集落南端辺り 「とんがり山」のいうユニークな名称を持つ 尖った山容を持つ山

現在は「とんがり山」という名称の この山は 奈良時代には「風早嶺」と呼ばれたといい 周囲の山の中で主峰扱いされていて 山頂直下の大岩・神岩や大黒岩などがあり 信仰の対象となっていたと云う

この東麓に鎮座しています

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社頭は 「とんがり山」東麓に西を向いています

梛神社(姫路市林田町下伊勢)に参着

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玉垣に囲まれた境内に入ると すぐに「梛神社」の社号標があり
一の鳥居が建てられています

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一礼をしてから一の鳥居をくぐり抜けると すぐ 屋根付きの両部鳥居のような形をしている門? 看板が外れているので 社号が取り付けられていたのか?

があり これを抜けると境内参道が続いています

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境内参道を進みます

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参道の向かって左手に「神木 の木 樹齢95年」(昭和63年元旦)の石碑と御神木 の木があります

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続いて 石燈籠があり すぐ先には手水舎があります その先には石垣があり 石段で上の境内へと通じています

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石段を上がると 正面に拝殿が建ちます

拝殿にすすみます

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拝殿前には 狛犬が座します

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拝殿に壁は無く 内部には たくさんの絵馬が奉納されています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿は山裾に沿うように拝殿 幣殿 本殿が 奥へと階段状に建てられています

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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社殿 境内 参道 社頭と西を向いています

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 粒坐天照神社(名神大)について 表記は゛揖保坐天照神社(名神大)゛と記し 所在は゛揖東郡岡野郷上伊勢村に在す、今伊勢宮と稱す、゛〈現 多賀八幡神社(姫路市林田町上伊勢)〉と記しています

【抜粋意訳】

揖保坐天照神社(名神大)

揖保は 郡名に同じ、和名鈔、〔郷名部〕揖保、〔伊比奉〕

天照は 阿麻弖留と訓べし、

〇祭神 伊勢都比古命歟

〇揖東郡岡野郷上伊勢村に在す、今伊勢宮と稱す、〔古跡便覧〕

〇式三、〔臨時祭〕名神祭二百八十五座、〔中略〕播磨國粒坐天照神社一座

〇播磨國風土記云、〔揖保郡〕

伊勢野(いせの) 伊勢野と名付けられた所以は この野に毎(ごと)有る人は 静けさを得ず そこで 衣縫猪手(きぬぬひのゐて)・漢人刀良(あやひととら)らの祖が 此処に住し山の麓に社を建て 峯の神を敬い祀った その神は 伊和大神の御子神 伊勢都比古命(いせつひこのみこと)と伊勢都比賣いせつひめのみこと)です これより後は 家々は静かで安らかになり 遂に里を成 よって伊勢と号した

 考證云、天照國照彦火明饒速日尊、
 比保古云、天照大神也と非也、

連胤〕按るに、風土記に據て見れば、此古跡なる事疑ひなきを、彼伊勢とだにいへば、天照大神の事に泥みて此故事を忘れ、はやく貞観の頃より、天照神社と唱へ來りしを、其ままに注進したるにこそあらめ、是を以て見れば、伊勢村伊勢宮の名のみ、千載を經てさやかなるぞ、いともいとめでたかりける、河内國 高安郡 天照大神高座神社も、伊勢都比古命といふによく符合ひて證とするに足れり、〔前にも、天照大神にはあらず、必ず山城國 葛野郡 木島坐天照御魂神社と同じく、天日神命なるべしと思へるも、今にて見れば臆断にして恐るるにたれり、返す返すも神號などは、穿ちて説をたつる事なかれ、つつしむべし〕

〇式社記云、下伊勢村八幡宮也、一説に上伊勢村伊勢宮といふ

播磨鑑には、伊勢村の地に社跡あり、大門の跡存すと云り、さては今廃亡ときこえたり、猶國人に尋ねて改むべし、

類社
 山城國 葛野郡 木島坐天照御魂神社の條見合すべし

神位
 三代實錄、貞観元年正月廿七日甲申、奉 播磨國 從五位下動八等 粒坐天照神從四位下、

 比保古に、續日本後紀、嘉祥二年十二月甲午、奉授に伴馬立(はりまいほ)天照神 從五位下、と云るは、社撰なる事、摂津國 島下郡 新屋坐天照御魂神社の條に辨へり、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 粒坐天照神社(名神大)について 表記は゛揖保坐天照神社(名神大)゛と記し 所在は゛ 揖東郡上伊勢村に在り、伊勢宮と云ふ、゛〈現 多賀八幡神社(姫路市林田町上伊勢)〉と記しています

【抜粋意訳】

揖保坐天照神(イホニマスアマテルカミノ)

〔〇按 三代実録、延喜式臨時祭式、揖保を粒に作る、並に同じ〕

 揖東郡上伊勢村に在り、伊勢宮と云ふ、〔伊保庄 日山村 天神山にあり飾麻縣神社調、播磨事始、古跡便覧、〕

盖 天照國照天火明命を祀る、五百木連の祖神也、〔参酌日本書紀、舊事本紀、新撰姓氏録、三代実録、延喜式〕〔〇按 三代実録、貞観四年、揖保郡人 伊福貞に本姓 五百木連を賜ふ、實に火明命の裔也〕

清和天皇 貞観元年正月甲申、從五位下勳八等 粒坐天照神に從四位下を授け、〔三代実録〕

醍醐天皇 延喜の制、名神大社に列らしむ、〔延喜式〕

凡 毎年九月廿二日祭を行ふ、〔神社明細帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 粒坐天照神社(名神大)について 祭神は゛天照國照彦天火明命゛

所在は゛伊保庄日山村〔天神山〕 (揖保郡東栗栖村大字日山 )、゛〈現 粒坐天照神社(たつの市龍野町日山)〉と記しています

その他に所在地の考証を重ねていて゛伊勢村八幡宮゛〈現 多賀八幡神社(姫路市林田町上伊勢)〉゛下伊勢村 梛神社是なり゛〈現 梛神社(姫路市林田町下伊勢)〉゛粒坐とある粒の地゛〈現 粒坐天照神社(たつの市揖保町中臣)〈中臣印達神社の境内〉〉を挙げています

【抜粋意訳】

粒坐天照神社(名神大)

祭神 天照國照彦天火明命

 今按 社傳 祭神 天照皇大神とあるは 天照神社とあるより云出たるものにて取かたし 古書の例 皇大御神を天照神とは云べからさる理なる事を思ふへし 神名式に大和城上郡 鏡作坐天照御魂神社 他田坐天照御魂神社 山城久世郡 水主神社十座の内 水主坐天照御魂神 葛野郡 木島坐天照御魂神社 攝津島下郡 新屋坐天照御魂神社の類 みな尾張連の支別の氏人の祭れる社にて 其祖神 天照國照天火明命なる事著きを 此國にも揖保郡人雅樂笛生無位 伊福部貞 復本社五百木部連火明命之後也と三代實錄に見えたれば 此 粒坐天照神社も其祖神 天火明命なるを 土人は大御神と思混へたるものなり 而るを神社覈録に伊勢村の伊勢宮を式社とし 播磨風土記伊勢野の條によりて 祭神 伊勢津彦命なりと定めて 天照御魂神と思へるは非なる由云れは却てあやまれり

神位
 清和天皇 貞親元年正月廿七日甲申 奉授 播磨國從五位下勳八等 粒坐天照神 從四位下

祭日
社格 縣社

所在 伊保庄日山村〔天神山〕 (揖保郡東栗栖村大字日山 )

 今按 神社覈録に 式社記云 伊勢村八幡宮也 一説に上伊勢村伊勢宮と云 播磨鑑には伊勢村の地に社跡あり 大門の跡存すと云り さてやは廃止すと聞えたりとみえ
 注進狀に揖東郡下伊勢村 梛神社是なりとあれど確誰なし 思ふに村名伊勢と云より 天照神に附會したるなるべし

播磨鑑に伊勢村の社をのせて 式社とし粒坐天照大神神社 上揖保庄樋山村にありとする從ふべし 日山村なるは伊保庄内にて天神山と云ふにあり 又 其社説に椎古天皇の御世 神ありて一つの稲種を牧田彦に授け玉ふ 其四至の中 一夜に千頃の水田となるとみえたるは 粒坐とある粒の地の故事をかく誤り傳へしものならん
播磨風土記 揖保郡揖保里所
粒(いひほ)と称される所以は 粒山(いひほやま)があった故に 山の名をこの里名とした

粒丘(いひほのをか)と名付けた所以は 粒丘に天日槍命(あめのひぼこのみこと)が 韓国から渡来して宇頭川の辺に到り ここで宿を乞うた 葦原志舉乎命(あしはらのしこをのみこと)は「汝は国主である 我が宿を与えよう」と云い 海中に案内した この時 客神(まらひとのかみ)〈天日槍命〉は 剣で海水をかき回して宿とした
すると 客神〈天日槍命〉の行いを見た主神(あるじのかみ)〈葦原志舉乎命〉は畏れ 先に国を占拠しようと欲して 国を巡り粒丘に到り ここで湌(みをし)〈食事〉をした その時 口から米粒が落ち 粒丘と名付けられた
その丘には小石があり 皆 米粒によく似ている

とあるに由あり

又 此村の伊保庄にある伊保は 粒にて揖保に同じ 又 社記に文明三年本社を小神村より今の地に移して齋き祭ると云り 此地に粒山など云山ありや猶よく考ふべし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

梛神社(姫路市林田町下伊勢) (hai)」(90度のお辞儀)

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