石田神社(いわたじんじゃ)は 社記に「神日本磐余彦尊 越園巡幸し石田に宿し給ひ懐中より玉串を出し 石田彦に授けて云はく 云々」とあり 神武天皇の頃と記します 延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社で 同じく式内社 越前國敦賀郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の参考論社とも云われています
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
石田神社(Iwata shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
福井県鯖江市石田上町44-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大日孁貴尊(おほひるめむちのみこと)
《配》誉田別尊(ほむだわけのみこと)
大己貴命(おほなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
鵜鵜葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
○福井縣 敦賀郡 郷社
〇福井縣 越前國 丹生郡立待村大字上石田
郷社 石田(イハタノ)神社
祭神 大日孁貴(オホヒルメムチノ)尊
相殿 鵜鵜葺不合(ウガヤフキアヘズノ)尊 大己貴(オホナムチノ)命
當社の創立は神鏡正に曰く、
「神日本磐余彦尊 越園巡幸し石田に宿し給ひ懐中より玉串を出し、石田彦に授けて云はく、朕 日向より起り東征し、亂神を誅夷す、時に爾ち石田彦なるものあり、朕に服従し逆賊を平定す、故に朕 今汝に石田郷を興へんと欲す、汝夫れ、朕か命に從ひ 之を無窮に傳へよと、石田彥喜んで之を拝受して曰く、臣 天威に因り僅に不服を誅す、何の功か之れ有らん、今 寵命を賤臣に賜ふ、臣 何を以てか之れに堪へん、真に天ッ神の詔命なるかと、神殿を築き玉串を奉安し、日々之を尊崇し、後世 此所を石田神社と號す、往時 上石田、下石田、小泉 三ヶ村の社家五十四人 神領を分領す、其後、後陽成天皇 慶長三年戊戌三月 豊臣秀吉の代官 井上新助下國の節、水帳改めの折 三千六百石と定められたり」と、以上は社記に載する所による、疑はしき廉多きも其儘記し置く、
今南越風土記を繙くに、飛鳥井雅緣 應永十三年二月二十三日都を出てけるに折柄雁のなけば「時しあれば我も愛しは古郷に連てぞ踊る春の雁金」と詠ず、同二十九日御社參有りて其儘籠らせ給ふ、先つ宮殿にて御神樂杯まゐらせ、祈念の次に法樂のためとて「幾春も天照神も是の神もあらはれまして世を守るらむ」「千代かけて八雲の道を守るべき我神垣に逢ふぞ嬉しき」等あり、斯くて七日間寺僧に仰せて、毎日 賽前にて大般若轉讀致さしめ、天下安全武運長久を祈念し奉る、初日より滿願の日迄 風雨の日なし、殊に天氣晴快なれば神の納受もあらはれ給ふ、秀吉天下一統の後 木村宗左衛門へ被仰付、地一町田五反御寄附被下 御朱印有り、其後 結城秀康 當園に移りてより、代々御朱印書有之云々」など見ゆ、其往古より著名にして且つ上下の崇拝の厚かりし事を知らるべし、明治九年郷社に列す。
社殿は本殿、拜殿、物置所等にして、境内五百六十九坪(官有地第一種)を有せり。
境内神社
稻荷神社 石戶別神社 春日神社 樂師神社 池鯉鮒(チリフノ)神社例祭日
九月二十五日神饌幣帛料供進指定年月日
明治四十一年四月二十六日
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278
【由 緒 (History)】
『式内社調査報告第15巻』昭和59年に記される内容
石田神社(鯖江市石田上町)は 二つの式内社の論社とされます
①延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社
②延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社
【抜粋】
越前國 敦賀郡 石田神社
【社名】
武田本に「石」に「イハ」と付訓し、吉田家本 には「イハタ」と付訓してゐる。
・・・〈中略〉・・・
なほ、同じ越前國の坂井郡三三座の中にも「石田神社」が見える。【所在】
『越前古名考』に、
或云、丹生郡石田村の社乎と云へ共、土地隔り、且今の石田村の社は坂井郡より遷奉りしと云へば、然らじ・・・・ とある。「坂井郡より遷奉りし」といふのはともかくとし て、「丹生郡石田村の社乎」と言つてゐるのは、今の鯖江市石田上町に鎮座する石田神社のことである。この地は神名式の丹生郡、今立郡より更に北に位置し、この二郡をも飛越えて この地が敦賀郡であつたとは到底考へられず、認められないであらう。不明としか言ひやうがない。
(粕谷興紀)
【抜粋】
越前國 坂井郡 石田神社
【所在】
古來當社に比定される神社は二社ある。
〔A〕丹生郡小和田村(現在は鯖江市石田)と、
〔B〕坂井郡石畠村(現在は福井市石畠町)とである。
ところで『大日本史』は、「舊在二石島村、後遷丹生郡石田村、稱二八幡宮」者蓋是」と記してゐるが、これに依れば元來は〔B〕の處に鎮座したのが、のちに〔A〕に遷座されたと言ふ事になる。
【祭神】
前述の如く所在地についても定説が無く、所謂る未詳社であるから、祭神についても定説なく多くの史料にも「祭神未詳」とされてゐる。
その中で『神名帳考證』(伴信友著)に「五十日足彥命石田君之祖(垂仁紀)・高志池之君祖(古事記)」とあるのは一つの參考意見にはならう。現に『越前國官社考』も此の説を踏襲してゐる。
ところで明細帳に依ると、
〔B〕坂井郡石島村七番地字村北に鎮座する村社 春日神社は、祭神 天津兒屋根命とある。
次に〔A〕現在の鯖江石田の石田神社は祭神大日婴貴命。前に所在地の條に記した八幡宮の社名と祭神は合はないやうに思はれるが如何がなものであろう。
【由緒】
前述の様な次第であるから、當社についての正確な由緒も残念ながら不明である。
明細帳に依ると、
〔B〕石畠村の春日神社は、慶長以前創立、明和三年(一七六六)九月十七日社殿建替、明治十年八月村社に列せらる。其餘不詳とある。そして明治四十三年九月 中山村三五番地字村北原の硲(ハサマ)神社に合併、のち再び現在地(石島部落の末端の丘陵地)に遷座されたが、既に「式内社石田神社」とのつながりを知る人は無かった。
〔A〕『大日本史』は「舊在石畠村、後遷丹生郡石田村稱八幡宮者蓋是。國內帳云從三位」とあり、
『神社誌料』には、當社の創立は神鏡正に曰く、「神日本磐餘彦尊越國巡幸し石田に宿し給ひ懐中より玉串を出し、石田彦に授けて云はく、朕日向より起り東征し、亂神を誅夷す、時に爾ち石田彦なるものあり、朕に服従し逆賊を平定す、故に朕今汝に石田郷を奥へんと欲す、汝夫れ、朕か命に從ひ之を無窮に停へよと、石田彦喜んで之を拝受して曰く、臣天威に因り催に不服を誅す、何の功か之れ有らん、今寵命を賤臣に賜ふ、臣何を以てか之れに堪へん、真に天神の詔命なるかと、神殿を築き玉串を奉安し、日々之を尊崇し、後世此所を石田神社と號す、往時上石田、下石田、小泉三ヶ村の社家五十四人神領を分頒す、其後、後陽成天皇慶長三年戊戌三月豐臣秀吉の代官井上新助下國の節、水帳改めの折三千六百石と定められたり」と、以上は社記に載する所による、疑はしき廉多きも其儘記し置く、
今南越風土記を経くに、飛鳥井雅緣應永十三年二月二十三日都を出でけるに折柄雁のなげば「時しあれば我も愛しは古郷に連てぞ歸る春の雁金」と詠ず、同二十九日御社參有りて其儘籠らせ給ふ。先づ宮殿にて御神樂杯まゐらせ、祈念の次に法樂のためとて「幾春も天照神も是の神もあらはれまして世を守るらむ」「千代かけて八雲の道を守
るべき我神垣に逢ふぞ嬉しき」等あり、斯くて七日間寺僧に仰せて、毎日寶前にて大般若轉讀致さしめ、天下安全武運長久を祈念し奉る、初日より満願の日迄風雨の日なし、殊に天氣晴快なれば神の納受もあらはれ給ふ、秀吉天下一
統の後木村宗左衛門へ被仰付、地一町田五反御寄附被下御朱印有り、其後結城秀康當國に移りてより、 代々 御朱印書有之云々 など見ゆ、其往古より著名にして且つ上下の崇拜の厚かりし事を知らるべし、明治九年鄉社に列すとある。
當社は元来は「八幡神社」として村人から崇敬されてゐたが、明治の初に氏子と相談して「石田神社」として奉齋する事となり、その頃は鬱蒼たる森であつたが、昭和三十八年臺風の大被害によつて社殿を建替へる際に樹木を伐り、その爲に境内の様子は一變した。なほ『丹生郡誌』(明治四十二年八月山田秋甫著)には、延喜式神名帳の敦賀郡石田神社と在るは丹生郡の誤記なりとして、當社の事とし、前述の三千六百石の神領もやがて没收せられて神祭次第に衰へ、大門通り南側の社家町は農家となり、諸末社の舊跡は田園と變じたが、明治四十一年四月廿六日福井縣告示を以て神饌幣帛料供進指定を受けとある。しかし此の説では坂井郡石田神社とは結び付かない事となる。
【神職】
・・・〈以下略〉
(平泉光)
【原文】
『式内社調査報告第15巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・〈本殿覆屋の左右 石祠が一つずつ〉春日神社 石戸別神社
・〈社殿の向って右 境内社〉稲荷神社
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
石田神社(鯖江市石田上町)は 二つの式内社の論社とされます
①延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社
②延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社
①延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)敦賀郡 43座(大7座・小36座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 石田神社
[ふ り が な ](いはたの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ihata no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
②延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)坂井郡 33座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 石田神社
[ふ り が な ](いはたの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ihata no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の「いはたのかみのやしろ」の類社は 6か所あります
①延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕
②延喜式内社 河内國若江郡 石田神社三座
③延喜式内社 伊勢國多気郡 石田神社
④延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社
⑤延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社
⑥延喜式内社 大和国吉野郡 伊波多神社
①延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕(いはたの かみのやしろ)の論社について
・天穂日命神社(伏見区石田森西)
天穂日命神社(あめのほひのみことじんじゃ)は 『三代實録』貞觀四年(862)六月に官社に預り・神階を正六位上から從五位下を授った 式内社 山城國宇治郡 天穂日命神社(あめのほひのみことの かみのやしろ) 又鎮座地は『万葉集』に多く詠まれた名所「石田の森」にあった式内社 山城國久世郡 石田神社〔大月次新嘗〕とも云われます
天穂日命神社(伏見区石田森西)〈『延喜式』天穂日命神社・石田神社〔大 月次新嘗〕〉
・石田神社(八幡市岩田里)
石田神社(いしだじんじゃ)は 承應年中(1652~55年)火災に罹り 創立由緒などは不明ですが 鎮座地 八幡市岩田には2座の石田神社 当社(八幡市岩田里)と(八幡市岩田茶屋ノ前)があり どちらも延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕(いはたの かみのやしろ)の論社となっています
石田神社(八幡市岩田里)〈『延喜式』石田神社〔大 月次 新嘗〕〉
・石田神社(八幡市岩田茶屋ノ前)
石田神社(いしだじんじゃ)は 社伝には 延暦六年(787)三月十一日 御神託「山科 石田神を久世郡石田に遷座せよ」があり当地に遷座したと云う 八幡市岩田には石田神社が当社と(八幡市岩田里)に2ヶ所あり どちらも延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕(いはたの かみのやしろ)の論社となっています
石田神社(八幡市岩田茶屋ノ前)〈『延喜式』石田神社〔大 月次 新嘗〕〉
②延喜式内社 河内國若江郡 石田神社三座(いはたの かみのやしろ みくら)の論社について
・石田神社(東大阪市岩田町)
③延喜式内社 伊勢國多気郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社について
・石田神社 舊跡(明和町養川)
〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉の舊跡〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉〉
畠田神社(はたけだじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)です 明治41年4月に下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を すべて北藤原の畠田神社に合祀 更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し現在に至ります 合祀前の下御系地区24座の中で12座が延喜式内社となっています
畠田神社(明和町大字中村)〈『延喜式』畠田神社三座&〈合祀〉式内社十座〉
・神垣神社(松阪市高木町)
神垣神社(こうがぎじんじゃ)は 元々は゛髙木村に座す彦神゛と云い 明治40年(1907)漕代神社(現 葉生田神社)に合祀 昭和28年(1953)旧社地の現在地に分祀されました 延喜式内社 伊勢國 飯野郡 神垣神社(かむかきの かみのやしろ)とされ 延喜式内社 多氣郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社でもあります
神垣神社(松阪市高木町)〈『延喜式』神垣神社・石田神社〉
④延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)〈廃絶とも云〉の論社について
・廃絶とされる 所在など不明
〈参考論社〉・石田神社(鯖江市石田上町)
石田神社(いわたじんじゃ)は 社記に「神日本磐余彦尊 越園巡幸し石田に宿し給ひ懐中より玉串を出し 石田彦に授けて云はく 云々」とあり 神武天皇の頃と記します 延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社で 同じく式内社 越前國敦賀郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の参考論社とも云われています
石田神社(鯖江市石田上町)〈『延喜式』石田神社・石田神社〉
・八幡神社(敦賀市三島町)
⑤延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社について
・石田神社(鯖江市石田上町)
石田神社(いわたじんじゃ)は 社記に「神日本磐余彦尊 越園巡幸し石田に宿し給ひ懐中より玉串を出し 石田彦に授けて云はく 云々」とあり 神武天皇の頃と記します 延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社で 同じく式内社 越前國敦賀郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の参考論社とも云われています
石田神社(鯖江市石田上町)〈『延喜式』石田神社・石田神社〉
・春日神社(福井市石畠町)
春日神社(かすがじんじゃ)は 慶長以前創立と伝わり 明治四十三年九月 中山村三五番地字村北原の硲神社(はさまじんじゃ)に合併 のち再び現在地(石島部落の末端の丘陵地)に遷座された 延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社です
春日神社(福井市石畠町)〈『延喜式』石田神社〉
⑥延喜式内社 大和国吉野郡 伊波多神社(いはたの かみのやしろ)の論社について
・伊波多神社(吉野郡天川村和田)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
福井鉄道 福武線 神明駅から 西へ約2.3km 車での所要時間は5~6分程度
県道186号 石田橋で日野川の西岸へ渡り 南へ入った辺りに境内があります
社殿 境内 社頭は南向きです
石田神社(鯖江市石田上町)に参着
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一の鳥居の扁額には「石田神社」
一礼をして 鳥居をくぐり抜けます
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続いて 境内の入口には 二の鳥居が建ちます
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二の鳥居の扁額には「八幡宮」
一礼をして 鳥居をくぐり抜けます
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境内に石畳みの参道が敷かれています
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石畳みの参道 左手に手水舎があります
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拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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〈本殿覆屋の左右 石祠が一つずつ〉春日神社 石戸別神社
社殿の向かって右には 鳥居と参道の付いた〈境内社〉稲荷神社
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社殿に一礼をして 境内を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
石田神社(鯖江市石田上町)は 二つの式内社の論社とされます
①延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社
②延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
①延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社について 所在は゛在所詳ならず゛〈所在は不明〉と記しています
【抜粋意訳】
石田神社
石田は伊波多と訓べし
○祭神 五十日足彥命歟
○在所詳ならず〔官社考に、疋田驛に坐すべし、疋と石田を疋田に改めしかといへり、今従はず、〕
〇日本紀、垂仁天皇三十四年條、五十日足彦命、石田君之始祖也、
〇當國坂井郡石田神社あり
官社考に、古事記云、五十日足彥命者、春日部君、高志池君之祖とありて、續日本後紀、承和十四年八月丁未、越前國丹生郡人 大學助数外從五位下春日部雄繼等二人、刑ニ 部字爲二 春日臣志かれば この五十日足彦命後胤、當國にある事 炳焉たり、其氏人たちの祭られしならむと云へるは然るべし、
類社
山城國久世郡 石田神社の條見合すべし
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
②延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社について 所在は゛小和田村〔舊名 石田といふ〕に在す、今 春日明神と稱す、゛〈現 石田神社(鯖江市石田上町)〉と記されています
【抜粋意訳】
石田神社
石田は伊波多と訓べし
〇祭神詳ならず〔官社考には五十日足彦命といへり〕
〇小和田村〔舊名 石田といふ〕に在す、今 春日明神と稱す、〔官社考〕
例祭 月 日
〇當國敦賀郡 石田神社もあり
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
①延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社について 所在は゛丹生郡石田村にあり、゛〈現 石田神社(鯖江市石田上町)〉と記されています
【抜粋意訳】
石田(イハタノ)神社
丹生郡石田村にあり、〔大野藩大社取調書〕盖 春日部君石田の祖 五十日足彦命を祀る、〔日本書紀、續日本紀 〇按 土人傳へて足仲彦命を祀ると云は、五十日足彦命と御名の似たるを以て誤れるものなる事著し〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
②延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社について 所在は゛今 丹生郡 小和田村゛〈現 石田神社(鯖江市石田上町)〉と記されています
【抜粋意訳】
石田(イハタノ)神社
今 丹生郡 小和田村〔舊名 所田〕にあり、〔越前古名考、神社覈録〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
①延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社について 不祥であるとした上で 二説を挙げています
゛丹生郡石田村の社か゛〈現 石田神社(鯖江市石田上町)〉
゛石田村の八幡宮なりと云り゛〈現 石田神社(鯖江市石田上町)〉
【抜粋意訳】
石田神社
祭神 五十日足彥命
今按 福井藩取調書に祭神 足仲彦命 譽田別命 息長足比賣命とあれど 足仲彦命は五十日足彦命と御名の似たるより誤り 又 足仲彦命と云より 二座を祭りて八幡宮と稱する事となりしものとみえたり さて五十足彦命なりと云故は 日本紀〔垂仁紀〕に五十日足彦命 石田君之古事記に五十日足彦命者 春日部君 高志君之祖とありて 高志は今の三越の地なれば 此國に由あり 且日 續日本後紀に承和十四年八月丁未 越前國丹生郡人從五位下 春日部雄継等二人刊部爲春日臣とあるは 五十日足彦命の御末と聞ゆれば 此氏人 當國に住る者の此命と祖神と祭られし事 炳焉をみるべし 故今之を訂す
祭日
社格所在
今按 註進狀に不詳とあれども 越前古名考 丹生郡石田村の社か されど土隔れるのみならず 坂井郡より遷奉りし社なリと云へば如何あらんとみえ
福井藩神社取凋書には猶 石田村の八幡宮なりと云り考へし
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
②延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社について 社名のみ 記されています
【抜粋意訳】
石田神社
祭神
祭日
社格
所在
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
石田神社(鯖江市石田上町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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越前国(えちぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 越前国には 126座(大8座・小118座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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