実践和學 Cultural Japan heritage

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伊波多神社(吉野郡天川村和田)〈『延喜式』伊波多神社〉

伊波多神社(いはたじんじゃ)は 延喜式内社 大和国吉野郡 伊波多神社(いはたの かみのやしろ)の論社です 又 神社の裏を流れる天ノ川の明神淵で 村人が光るものを見つけ相談して引き上げてみると一口の剣でした その剣を氏神のご神体としてお祀りしてきたが この剣は 後醍醐天皇の御用剣だったと伝えられています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

伊波多神社(Ihata shrine

通称名(Common name)

・〈江戸時代以前〉立和宮(たちわみや)

【鎮座地 (Location) 

奈良県吉野郡和田 天川村和田533

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》伊波多神(いはたのかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『奈良県名勝志』〈明治24年〉に記される内容

【抜粋意訳】

奈良県名勝志 巻中

伊波多神社

天川村大字和田ノ東方ニ在リ 境内四百五十八坪
里人 立和宮ト稱ス

【原文参照】

川井景一 編『奈良県名勝志』,川井希世,明24.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765849

『大和志料』下巻〈大正3年〉に記される内容

【抜粋意訳】

伊波多神社

天川村大字和田ニアリ、亦 延喜式内ナリ 今 立和宮卜稱ス、祭神不詳、

【原文参照】

奈良県 編『大和志料』 下巻,奈良県教育会,大正3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/950814

【由  (History)】

伊波多神社 いはたじんじゃ

道路から下がった川の近くに建つこの神社は、今から約1100年前の「延喜式(えんぎしき)」という書物に載る「式内社(しきないしゃ)」の吉野郡10座のうちの1つです。昔、神社の裏にある明神淵で、村人が光るものを見つけました。村人たちが相談して引き上げてみると、一口の剣でありました。そしてその剣を氏神のご神体としてお祀りしてきました。この剣は、後醍醐天皇の御用剣だったと伝えられています。後に、幕末の天誅組の変の際、この地域も武具の徴発が行われ、ご神体の剣も徴発されたと云われています。

奈良県吉野郡天川村 観光ページより抜粋
https://www.vill.tenkawa.nara.jp/tourism/spot/5174/

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

伊波多神社 本殿

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伊波多神社 鳥居

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・〈境内社〉稲荷神社

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・境内

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)吉野郡 10座(大5座・小5座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 伊波多神社
[ふ り が な ](いはたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ihata no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の「いはたのかみのやしろ」の類社は 6か所あります

①延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕
②延喜式内社 河内國若江郡 石田神社三座
③延喜式内社 伊勢國多気郡 石田神社
④延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社
⑤延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社
⑥延喜式内社 大和国吉野郡 伊波多神社

①延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕(いはたの かみのやしろ)の論社について

・天穂日命神社(伏見区石田森西)

一緒に読む
天穂日命神社(伏見区石田森西)〈『延喜式』天穂日命神社・石田神社〔大 月次新嘗〕〉

天穂日命神社(あめのほひのみことじんじゃ)は 『三代實録』貞觀四年(862)六月に官社に預り・神階を正六位上から從五位下を授った 式内社 山城國宇治郡 天穂日命神社(あめのほひのみことの かみのやしろ) 又鎮座地は『万葉集』に多く詠まれた名所「石田の森」にあった式内社 山城國久世郡 石田神社〔大月次新嘗〕とも云われます

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・石田神社(八幡市岩田里)

一緒に読む
石田神社(八幡市岩田里)〈『延喜式』石田神社〔大 月次 新嘗〕〉

石田神社(いしだじんじゃ)は 承應年中(1652~55年)火災に罹り 創立由緒などは不明ですが 鎮座地 八幡市岩田には2座の石田神社 当社(八幡市岩田里)と(八幡市岩田茶屋ノ前)があり どちらも延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕(いはたの かみのやしろ)の論社となっています

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・石田神社(八幡市岩田茶屋ノ前)

一緒に読む
石田神社(八幡市岩田茶屋ノ前)〈『延喜式』石田神社〔大 月次 新嘗〕〉

石田神社(いしだじんじゃ)は 社伝には 延暦六年(787)三月十一日 御神託「山科 石田神を久世郡石田に遷座せよ」があり当地に遷座したと云う 八幡市岩田には石田神社が当社と(八幡市岩田里)に2ヶ所あり どちらも延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕(いはたの かみのやしろ)の論社となっています

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②延喜式内社 河内國若江郡 石田神社三座(いはたの かみのやしろ みくら)の論社について

・石田神社(東大阪市岩田町)

③延喜式内社 伊勢國多気郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社について

・石田神社 舊跡(明和町養川)
〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉の舊跡〉

・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉〉

一緒に読む
畠田神社(明和町大字中村)〈『延喜式』畠田神社三座&〈合祀〉式内社十座〉

畠田神社(はたけだじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)です 明治41年4月に下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を すべて北藤原の畠田神社に合祀 更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し現在に至ります 合祀前の下御系地区24座の中で12座が延喜式内社となっています

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・神垣神社(松阪市高木町)

一緒に読む
神垣神社(松阪市高木町)〈『延喜式』神垣神社・石田神社〉

神垣神社(こうがぎじんじゃ)は 元々は゛髙木村に座す彦神゛と云い 明治40年(1907)漕代神社(現 葉生田神社)に合祀 昭和28年(1953)旧社地の現在地に分祀されました 延喜式内社 伊勢國 飯野郡 神垣神社(かむかきの かみのやしろ)とされ 延喜式内社 多氣郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社でもあります

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④延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)〈廃絶とも云〉の論社について

・廃絶とされる 所在など不明

〈参考論社〉・石田神社(鯖江市石田上町)

一緒に読む
石田神社(鯖江市石田上町)〈『延喜式』石田神社・石田神社〉

石田神社(いわたじんじゃ)は 社記に「神日本磐余彦尊 越園巡幸し石田に宿し給ひ懐中より玉串を出し 石田彦に授けて云はく 云々」とあり 神武天皇の頃と記します 延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社で 同じく式内社 越前國敦賀郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の参考論社とも云われています

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・八幡神社(敦賀市三島町)

一緒に読む
八幡神社(敦賀市三島)〈『延喜式』石田神社〉

八幡神社(はちまんじんじゃ)は 社伝に「第15代応神天皇が皇太子の時に武内宿祢を従えて 気比神宮に参拝されました折に 浦人が この地に砂を盛り 地を清めて 行宮を建立した」と伝わり 延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社で「石田君之祖 即ち 石田大神」を大宝4年(704)に奉祀された社です

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⑤延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社について

・石田神社(鯖江市石田上町)

一緒に読む
石田神社(鯖江市石田上町)〈『延喜式』石田神社・石田神社〉

石田神社(いわたじんじゃ)は 社記に「神日本磐余彦尊 越園巡幸し石田に宿し給ひ懐中より玉串を出し 石田彦に授けて云はく 云々」とあり 神武天皇の頃と記します 延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社で 同じく式内社 越前國敦賀郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の参考論社とも云われています

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・春日神社(福井市石畠町)

一緒に読む
春日神社(福井市石畠町)〈『延喜式』石田神社〉

春日神社(かすがじんじゃ)は 慶長以前創立と伝わり 明治四十三年九月 中山村三五番地字村北原の硲神社(はさまじんじゃ)に合併 のち再び現在地(石島部落の末端の丘陵地)に遷座された 延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社です

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⑥延喜式内社 大和国吉野郡 伊波多神社(いはたの かみのやしろ)の論社について

・伊波多神社(吉野郡天川村和田)

一緒に読む
伊波多神社(吉野郡天川村和田)〈『延喜式』伊波多神社〉

伊波多神社(いはたじんじゃ)は 延喜式内社 大和国吉野郡 伊波多神社(いはたの かみのやしろ)の論社です 又 神社の裏を流れる天ノ川の明神淵で 村人が光るものを見つけ相談して引き上げてみると一口の剣でした その剣を氏神のご神体としてお祀りしてきたが この剣は 後醍醐天皇の御用剣だったと伝えられています

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR和歌山線 五条駅からR168号経由で南下して約40.2km 車での所要時間は60~70分程度

太平洋側へ流れる新宮川水系の天ノ川が山間の渓谷を流れています

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弘法大師伝承地「仏棚」の標識
「仏棚」は 弘法大師(空海)が修行中に岩穴に籠もり 3体の仏像を彫ったという伝承が残る神秘的な霊跡とのこと

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「仏棚」の標識があった場所は 県道53号 天川西谷口(バス停留所)の辺りです

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県道53号 天川西谷口(バス停留所)から 東へ2km 程で到着します

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県道53号から崖を下りたところに境内があり 境内への入口階段は北側にあります

境内に下ります

伊波多神社(吉野郡天川村和田)に参着

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鳥居が建ち 扁額には「式内社 伊波多神社」とあり
一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて

殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿の右手 境内の端に〈境内社〉稲荷神社が祀られています

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伊波多神社の境内地は 天ノ川がU字型に湾曲する河岸段丘上にありますので
裏手には天ノ川の渓流があります

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この神社の裏にある明神淵には 後醍醐天皇の太刀が流れて来たとの伝承もあり 覗き込んでみると 水面に動くような感じが見えたので スームアップしてみると 大きな魚 イワナでしょうか 悠然と泳いでいました

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 伊波多神社について 所在は゛天川莊和田村に在す、今 立和宮と稱す゛〈現 伊波多神社(吉野郡天川村和田)〉と記しています

【抜粋意訳】

伊波多神社

伊波多は假字也

○祭神詳ならず

〇天川莊和田村に在す、今 立和宮と稱す、〔大和志、同名所圖會、〕

類社
 山城國久世那石田神社の下見企すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 伊波多神社について 所在は゛今 天川荘和田村にあり゛〈現 伊波多神社(吉野郡天川村和田)〉と記しています

【抜粋意訳】

伊波多(イハタノ)神社

今 天川荘和田村にあり、〔大和志、神名帳考証、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第8,9巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815494

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 伊波多神社について 所在は゛和田村字宮(吉野郡天川村大字和田)゛〈現 伊波多神社(吉野郡天川村和田)〉と記しています

【抜粋意訳】

伊波多(イハタノ)神社

祭神

祭日 六月十一月並四日
社格 村社

所在 和田村字宮(吉野郡天川村大字和田)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

伊波多神社(吉野郡天川村和田) (hai)」(90度のお辞儀)

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大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

一緒に読む
大和國 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)

大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです

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  • B!

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