実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

天神多久頭魂神社(対馬 佐護西里)対馬固有の天道信仰の主要な神社

天神多久頭魂神社(あめのかみたくずたまじんじゃ)は 対馬固有の天道信仰の主要な神社です 天道信仰の中心地は 対馬島の南北対称の地〈・南部は厳原町 豆酘・北部は ここ佐護〉にあり 祭神「多久頭魂神」も 豆酘(ツツ)には「多久頭魂神社」が 佐護(サゴ)には「天神多久頭魂神社」が対をなし鎮座します 更に この両神社には 天道法師の母神を祀る神社として 豆酘は「 高御魂神社」 ここ佐護には「神御魂神社」が鎮座します 対馬固有の「天道信仰」は 天童法師という超人の伝承を中心として・霊山崇拝・穀霊崇拝・太陽信仰・母子神信仰・修験道・古神道などさまざまな要素が絡み合い形成されているようです

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

天神多久頭魂神社Amenokamitakuzutama Shrine)
あめのかみたくずたまじんじゃ

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市上県町佐護字洲﨑西里2864

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天神地祇Tenjinchigi)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

不詳

【由  (History)】

不詳

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋

あめのかみたくずだまじんじゃ
天神多久頭魂神社 

アクセス 上県町佐護(さご)を流れる佐護川河口部に鎮座しています。

周辺の雰囲気・環境など
 いくつも集落で形成される上県町佐護地区のうち、もっとも海岸部に面しているのが佐護湊(みなと)です。
 対馬では珍しい水田地帯であり、神社の多さから、古い時代から人が住み、栄えてきたことを計り知ることができます。環境省の対馬野生生物保護センターがあり、自然豊かな地域です。

神社のプロフィール
 天道山を御神体とし、社殿がなく、石積みで聖地を結界する古い信仰形態を残しています。対馬の古い神社の大半は、神籬磐境式といわれるこうした方式だったと考えられており、その原型にふれることができます。(P13コラム「山岳信仰と磐座」参照)

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋1
〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉
https://www.tsushima-net.org/wp-content/uploads/2020/08/tsushima_shrine_guidebook.pdf

【境内社 (Other deities within the precincts)】

・なし

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 天神多久頭麻命神社
[ふ り が な ]あめのかみたくつまのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Amenokamitakutsuma no mikoto no kaminoyashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
對馬嶋上縣郡 天神多久頭多麻命神社」の3つの論社

①・天神多久頭魂神社(対馬 佐護西里)

一緒に読む
天神多久頭魂神社(対馬 佐護西里)対馬固有の天道信仰の主要な神社

天神多久頭魂神社(あめのかみたくずたまじんじゃ)は 対馬固有の天道信仰の主要な神社です 天道信仰の中心地は 対馬島の南北対称の地〈・南部は厳原町 豆酘・北部は ここ佐護〉にあり 祭神「多久頭魂神」も 豆酘(ツツ)には「多久頭魂神社」が 佐護(サゴ)には「天神多久頭魂神社」が対をなし鎮座します 更に この両神社には 天道法師の母神を祀る神社として 豆酘は「 高御魂神社」 ここ佐護には「神御魂神社」が鎮座します 対馬固有の「天道信仰」は 天童法師という超人の伝承を中心として・霊山崇拝・穀霊崇拝・太陽信仰・母子神信仰・修験道・古神道などさまざまな要素が絡み合い形成されているようです

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②・天神神社(対馬 佐護北里)

一緒に読む
天神神社(対馬 佐護北里)

天神神社(てんじんじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載「對馬嶋上縣郡 天神多久頭多麻命神社(あめのかみたくつまのみことの かみのやしろ)」の論社です もともと天神(あめのかみ)と称する祭祀所であったとされます

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③・天神社〈小牧宿禰神社 境外末社〉

一緒に読む
小牧宿禰神社(対馬 三根)

小牧宿禰神社(おひらすくねじんじゃ)は 現在の御祭神を天菩比命(アメノホヒノミコト)の御子神「建比良鳥命(タケヒラトリノミコト)」であるとしています  一方 社号とされている神号「小牧宿禰命(ヲヒラスクネノミコト)」は 六国史『日本三代実録 901年成立』貞観12年(870)3月5日 丁巳の条に「小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)」とあり『延喜式神名帳』(927年12月編纂)には「小枚宿祢命神社(をひらすくねのみことの かみのやしろ)」と所載されています こちらが本来の神であろうとされています

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対馬の天道(テンドウ・テントウ)信仰について

日本では 太陽を天道様(オテントウサマ)として 天地を司り すべてを見通す超自然の神として 捉えられています

対馬の天道信仰は 伝承では7世紀が起源とされ 平安時代から中世にかけて神仏習合によって形成された対馬固有の修験道の一種とされています
その祭祀形式や行事には古神道の要素が多く伝承されていると伝わります

天道の祭りは 太陽を拝むと共に 天道山を崇拝し 米や麦の収穫感謝を願ったとされ 対馬の中部「・木坂・青海では 旧6月のヤクマの祭りで 石塔を立てて山を拝む習俗が天道信仰の名残りとしてあり それは麦の収穫祭でもあったとされます

ヤクマの塔

木坂・青海のヤクマ

解説文: 本件は、海岸にヤクマの塔と呼ばれる円錐形の石積みを築き、御幣を立てて供物を供え、子どもの無事成長や家内安全などを祈願する行事である。木坂では、天道社に参拝し、ヤクマの塔を1基作り、御幣や供物を供えて拝む。青海でも、ヤクマの塔を2基作り、天道地に参拝し、御幣や供物を供えて拝む

文化庁 国指定文化財等データベース より
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/312/00000887

対馬の天道信仰(テンドウシンコウ)の伝説について

天道の伝説によれば
673年天武天皇の御代対馬南部豆酘郡(ツツノコオリ)内院村(ナイインムラ)に 高貴な身分の女性が 虚船(ウツボブネ)に乗って漂着しました
その女性は 太陽お天道様に感精して太陽の光が女性の陰部に差し込んで孕み子供を産みます その子〈太陽の子=天童〉は 天童法師(テンドウホウシ)と名づけられまし 
神童の天童法師は聡明な子に育ち 人々の病をたちどころに治すという不思議な力を宿し太陽信仰の聖人となり 修行を積んで 嵐をまとって空を飛術を取得し 詔により上京し 病で苦しむ天子〈天皇〉のもとへ飛んでゆき 治癒した奇跡を起こし「宝野上人」の菩薩号を賜ったと伝えています

対馬固有の天道信仰は 天童法師という超伝承中心に霊山崇拝穀霊崇拝太陽信仰・母子神信仰・修験道・古神道などさまざまな要素が絡み合い形成されているようです

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋

天道信仰と天道法師 タクズダマ 

【日本神話】 なし(対馬固有の信仰)
【対馬の伝承・異伝】 

 7世紀後半、内院(ないいん。厳原町)に高貴な女性が虚船(うつろぶね)に乗って漂着し、太陽に感精して子を産みました。「太陽の子」は天道法師と呼ばれ、嵐をまとって空を飛び、天皇の病気を治すなどの奇跡をおこします。

 豆酘(つつ)の北東に広がる龍良山(たてらさん)中の八丁角(はっちょうかく。北と南の2ヶ所にある石積み)は、天道法師とその母の墓所とされ、多久頭魂神社境内の不入坪(イラヌツボ)とあわせて「オソロシドコロ」と呼ばれ、龍良山という聖域の結界を構成しています。

 対馬固有とされる天道信仰は、天道法師という超人と霊山・龍良山を中心に、太陽信仰・母子神信仰・修験道・古神道などの要素が複雑に絡み合い、平安時代ころに成立したと考えられています。

 多久頭魂(たくずだま)神社(番号21)の現在の祭神は天神・天孫系ですが、古くは龍良山を御神体として社殿はなく、対馬固有のタクズダマ(多久頭魂)を祭り、神仏習合時代にはタクズダマ=天道法師とされていました。天道信仰の南の中心部・豆酘には高御魂(たかみむすび)神社(番号22)が、北の中心部・上県町佐護には神御魂(かみむすび)神社(番号9 5)があり、多久頭魂神は、両社にまつられたタカミムスビとカミムスビの子神とされています。(P7)

 豆酘は対馬の南端に位置し、陸路による他地域との交流が少ない反面、航路の拠点として国内外の文化が流入する地域であり、亀卜や天道信仰、赤米神事など独自の文化・歴史が形成されてきましたが、近年は過疎・高齢化のため、伝承の存続が危ぶまれています。

 なお、龍良山はその強烈なタブーにより、標高120mの低域から山頂558mまで良好な照葉樹原始林(スダジイ・イスノキ・アカガシなど)が残り、国の天然記念物に指定されています。龍良山に入ると、「森の神が生きていた縄文時代の森の雰囲気を感じることができます。

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋2
〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉
https://www.tsushima-net.org/wp-content/uploads/2020/08/tsushima_shrine_guidebook.pdf

対馬の天道信仰の中心地に鎮座する 主要な神社について

対馬の南部・厳原町豆酘(ツツ)北部・上県町佐護(サゴ)は 天道信仰の中心地とされま

豆酘(ツツ)には「多久頭魂神社
佐護(サゴ)には「天神多久頭魂神社」が鎮座し 
この両神社には ペアの様に天道法師の母神を祀る神社として 豆酘は「 高御魂神社」があり ここ佐護には「神御魂神社」が鎮座しています

対馬の北部・南部の 天道信仰の中心地 天道信仰に深く関わる神社

対馬の北部・上県町佐護神御魂神社」 この神社以外 他の3社はすべて式内社です

神御魂神社(対馬 佐護北里)

一緒に読む
神御魂神社(対馬 佐護北里)

神御魂神社(かみむすびじんじゃ)は 対馬の北部・上県町 佐護に鎮座します 対馬の天道信仰の中心地とされる南部・厳原町 豆酘と ここ佐護は 対馬の南北での対称の地とされ 祀られている神社も対をなすように 豆酘には「多久頭魂神社」佐護には「天神多久頭魂神社」が鎮座し この両神社にもペアの様に天道法師の母神を祀る神社として 豆酘には「 高御魂神社」があり ここ佐護には当神社「神御魂神社」が鎮座しています かつては 赤米神事に深く関与し 司祭者がいたと伝わります 例祭は 旧3月3日です

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『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の3論社

対馬の北部・上県町佐護對馬嶋 上縣郡 天神多久頭多麻命神社

・天神多久頭魂神社(対馬 佐護西里)

一緒に読む
天神多久頭魂神社(対馬 佐護西里)対馬固有の天道信仰の主要な神社

天神多久頭魂神社(あめのかみたくずたまじんじゃ)は 対馬固有の天道信仰の主要な神社です 天道信仰の中心地は 対馬島の南北対称の地〈・南部は厳原町 豆酘・北部は ここ佐護〉にあり 祭神「多久頭魂神」も 豆酘(ツツ)には「多久頭魂神社」が 佐護(サゴ)には「天神多久頭魂神社」が対をなし鎮座します 更に この両神社には 天道法師の母神を祀る神社として 豆酘は「 高御魂神社」 ここ佐護には「神御魂神社」が鎮座します 対馬固有の「天道信仰」は 天童法師という超人の伝承を中心として・霊山崇拝・穀霊崇拝・太陽信仰・母子神信仰・修験道・古神道などさまざまな要素が絡み合い形成されているようです

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対馬の南部・厳原町豆酘對馬嶋下縣郡 多久頭神社

・多久頭魂神社(対馬 豆酘)

一緒に読む
多久頭魂神社(対馬 豆酘)対馬特有の天道信仰の中心地

多久頭魂神社(たくづだまじんじゃ)は 天神地祇を祀る神体山「龍良山」の遥拝所〈豆酘の里人が遠くからお祈りをする処〉で 古くは『延喜式神名帳』所載の由緒ある古社です 平安期より 神仏習合時して 対馬特有の天道信仰の中心地でした 中世以降は 豆殴御寺と称しましたが 明治に現社号に復しています しかし 境内には未だに神仏混合の名残りがあり 社殿も旧観音堂を使用しています

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対馬の南部・厳原町豆酘對馬嶋下縣郡 高御魂神社 名神大

・高御魂神社(対馬 豆酘)

一緒に読む
高御魂神社(対馬 豆酘)

高御魂神社(たかみむすびじんじゃ)は『日本書記』顕宗天皇3年条に「対馬の日神の託宣(タクセン)により 高皇産霊神に磐余(イワレ)の田14町を献上し その祠官として対馬下縣直がつかえた」という記載があり 『延喜式』の名神大社として大変立派な由緒を持つ古社です 元々は 豆殿浦の東側の海岸に鎮座しましたが 昭和32年(1957)豆酘中学校の建設により 現在の多久頭魂神杜の境内に遷座しました

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

対馬空港からR382号を北上 約56km 車80分程度
佐護から 佐護湾の方向へ道を折れ 佐護川に沿いながら 佐護川の河口付近

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東岸の嶽の麓の丘には神御魂神社(対馬 佐護北里)が鎮座し 西岸の雄嶽の麓に 天神多久頭魂神社が鎮座しています
参着時 満潮が河口に寄せている時間でした 簡単な動画です

天神多久頭魂神社Amenokamitakuzutama Shrine)に参着
境内は広々として 芝のように下草が刈り込まれていて 正面に鳥居 その奥には神体山の天道山〈雄嶽〉が聳えています

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南に向く鳥居に向かって 広々とした境内を歩みます

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鳥居の扁額には 佐護の神社で使われている天の文字は特殊ですが「天神多久頭魂神社」と彫られています 一礼をして 鳥居をくぐります
鳥居の先 右手には 境内の玉垣として 荒い削りの平らな石を平積みにして垣にして廻らせています
左手には 四角推石積みがあり これは 対馬の中部「・木坂・青海」のヤクマの塔同様の形式ですが とても高く大きいです
更に 目の前には ほぼ直角に交わるように鳥居が建っています

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神域に入ると 木製の鳥居も建っていました 木製の鳥居の先には 更に玉垣囲まれた場所があります 正面には 別の大きなヤクマの塔建っています 

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どうやら この場所が 拝所なっているようです
木製の鳥居の前で 一礼をして 拝所にすすみます 

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿 本殿はなく 拝所の奥は 両脇に小さな狛犬が 正面に石板の前に鏡が据えられています

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祈りの後 振り返ると 東側から真っ直ぐに参道が続いていました こちらが表参道なのだろうかと 一度表までと出てみますと 佐護湊漁港の端でした

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表参道から 境内へと進むと 背後の天道山へと参道が延びて その先に鳥居が二重に建ち 拝所は 天道山の遥拝所成している様子が良く判ります

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再度 拝所一礼をします 入ってきた南側の鳥居をくぐり出て 振り返り 神域に一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『万葉集(Manyo shu)』7世紀前半~759年頃 に詠まれる「多久夫須麻」の歌

新羅に派遣された使者に向けて 女性が呼んだとされる歌です

枕詞は 一般には 栲衾(たくぶすま)コウゾなどの繊維から作った白い夜具で新羅の「しら」にかかるとされています
ただ 新羅へ渡る最後の島 対馬の神「天神多久頭麻命神社」への祈りの気持ちを 掛け詞としているように感じましたので

万葉集15集 NO.3587

【詠み人】詠み人不詳

【読 み】多久夫須麻 新羅へいます 君が目を 今日か明日かと 斎ひて待たむ

【意 訳】新羅(シラギ)へお出かけになる あなたにいできることを 今日か明日かと 身を潔斎してお祈りしながらお待ちします

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『萬葉集』刊本 寛永20年[旧蔵者]紅葉山文庫 
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承

對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています
天多久都麻神(アメノタクツマノカミ)と記されます

意訳

貞観12年(870)3月5日 丁巳の条

詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに

對馬嶋(ツシマノシマ)の

正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下

従5位上 
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)
並びに 正5位下

大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アメノモロハノカミ)
天多久都麻神(アメノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)
並びに 従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

式内社の所在として 天神社〈小牧宿禰神社 境外末社〉(三根)を上げています

意訳

天神 多久頭麻命(タクツマノミコトノ)神社

三代実録 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上

信友云う 三代実録に天神の神の字なし 玉勝間に 引用には天神多久頭麻命とあり

〇今 三根に 天神と云う神あり この山 三根 第一の高山にて 今世 建立したる体に非(アラ)ず あまがみを 今 誤りて 音にて 天神と云うなるべし

下縣郡には 多久頭神社あり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承

式内社の所在として 当神社 天神多久頭魂神社(対馬 佐護西里)を上げています

意訳

天神多久頭{多}麻命神社

天神は 阿米乃加美(アメノカミ)と訓ずべし 多久頭多麻は仮字

〇祭神明らかなり

〇佐護郷湊浦村に在す 古蹟集
 今 主基宮と称す 玉勝間

神位 三代実録 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容

式内社の所在として 当神社 天神多久頭魂神社(対馬 佐護西里)を上げて
祭神は 『新撰姓氏録815年』から爪工連(ハタクミノムラジ)の祖(オヤ) 多久都玉命(タクツタマノミコト)であると記しています

爪工連(ハタクミノムラジ)
天智2年8月(663年10月)白村江の戦い戦死した 百済遠征軍の将軍 秦造多来津(ハタノタクツ)なども関連するのか?
関連があるとすれば「大和國 葛下郡 石園坐多虫玉神社二座 並大」との関連を
或いは 神魂命(カミムスヒノカミ)を通して 当神社と「神御魂神社(対馬 佐護北里)」との関連を示唆しているのかもしれません

意訳

天神多久頭麻命神社

祭神 多久都玉命
今 按〈考えるに〉
本社の祭神 多久頭麻命は 姓氏録〈『新撰姓氏録815年』〉爪工連(ハタクミノムラジ) 神魂命(カミムスヒノカミ)の子 多久都玉命 3世孫 天仁木命の後なりとみえたる 多久都玉命と同神にて 神魂命の御子神なる事 著しい故 今 定めて記す 

神位 清和天皇 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上

祭日 11月1日
社格 郷社
所在 湊村 天道山 〈佐護村とあり〉

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』明治45年(1912)に記される伝承

式内社の所在として 当神社 天神多久頭魂神社(対馬 佐護西里)を上げて
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』には 式内社の所在として 天神社〈小牧宿禰神社 境外末社〉(三根)を上げられていることを記しています

意訳

長崎県對馬国 上縣郡 佐須奈村 大字 佐護

郷社 天神多久頭(アメノカミタクヅノ)神社

祭神 建彌巳之命(タケシミミノミコト)

創建年代及び由緒等詳ならずといへども、
神名帳考証に、「天神多久頭麻命(アマカミタクツマノミコト)神社、今三根に天神と云ふ神あり、此山三根第一の高山にて、今世建立したる体に非す、アマカミを今誤て音にてテンシンと云ふなるべし、

拷幡千千姫命、日本紀云、高皇産霊尊 之女 拷幡千々姫、按 高魂尊者、津島縣直祖也、麻姫也、頭与千音通、非 多久都玉命也、姓氏録云、神魂命子多久都玉命」と云ひ、
神社覈録には、「天神多久頭多麻命神社、天神は阿米乃加美と訓べし、多久頭多麻は假字也、祭神明か也、佐護郷湊浦村に在す、今主基宮と称す、当国下県郡多久頭魂神社(頭注に、下の多字諸本なし、今按を以つて補ふ)」といひ、次に神位を挙げ、「三代實録、貞親1235日丁巳、授対馬島天多久郡麻神従5位上」とあり、

神紙志料によれば、天神多久頭多麻命(アメノタクヅタマノミコトノ)神壮
(按本書、天の下に神の字ありて、多麻の多字なし、今 三代實録に拠りて神字を削り、多字を補ふ、今縣郡佐護郷湊村天道山に在り、蓋神魂命の子 天多久豆玉命を祭る」と云ひ、末に貞観の叙位を挙げたり、而して共に対島國上縣郡16座の1に列せり、

太宰管内志に「天神多久頭麻命(アマツカミタクヅマノミコトノ)神社、
延喜式上縣郡 天神多久頭麻命神社あり、天神多久頭麻命は阿米乃加美太倶豆能美許登とよむべし(一本には多久頭多麻とあり)、此神の御名の義いまだ考へず(下縣郡 多久都神も是と同神なるを、文字の足らざるは落ちたるか、又 之より別神なるかしらず、
さて姓氏録 左京ノ神別に、爪工連は神魂命の子、多久都玉命三世、天仁木命 之後世とある是なるべし、又 今の二位郷といふ名も、元は仁伊にて、仁木の音便よりうつりたるにはあらぬか)、
さて三代實録十七巻に、貞観1235日(丁巳)詔 対馬島 天神多久都神 從五位上とあり(下縣郡 多久都神の事は別に見えたり)、
玉勝間に、天神多久頭麻神社は佐護郷湊村にあり、神階従5位上、また主基ノ社とも申す、
式ノ考証に、云々、又 対馬国に、天神多久頭麻神社は祭神 御魂御子神なり、佐護郷湊村にあり、いつれか正しからむ、なほよく考ふペし」とあり、共に本社の事を云へたるが如きも、社伝等の釈ぬべきなければ 姑く附記して後考を俟つ、明治76月郷社に列せらる。
社殿は殿のみにして、境内坪数1150坪(官有地第一種)を有せり

例祭日 6月23日

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』

天神多久頭魂神社Amenokamitakuzutama Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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