実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について

大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです

大和国(やまとのくに)について

大和国(やまとのくに)は 令制国の一つ畿内に属する〉 現在の奈良県

国名に使用される「ヤマト」とは 元々は「倭(やまと)大倭(おおやまと/やまと)」等と表記された

都が京都に遷る前までは 大和(やまと)朝廷の都で在ったことに由来する
日本の都であったので 後に「日本(やまと)」として日本全体を指す名称にも使用された

Please do not reproduce without prior permission.

大和国 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)

添上郡(そうのかみのこおり) 37座(大9座・小28座)の論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

鳴雷神社(大 月次 新嘗)(なるいかつちの かみのやしろ)

・鳴雷神社〈春日神社境内 春日山林内〉(奈良市春日野町)

一緒に読む
鳴雷神社&高山神社〈春日大社末社〉(奈良市春日野町 春日山内)

鳴雷神社(なるいかづちじんじゃ)&高山神社(こうせんじんじゃ)は 佐保川と能登川の源流 春日山の分水嶺 香山(こうせん)に鎮座する水神様 水源祭祀の御神体として龍王池を祀る鳴雷神社は 明治8年(1875)までは香山龍王社とも呼ばれ 又『延喜式神名帳AD.927』所載 宮中神 36座 主水司坐神(もいとりのつかさにましますかみ)1座 鳴雷神社は 大和国の式内大社 鳴雷神社〈当社〉を遷座したものとされます

続きを見る

率川坐大神神御子神社 三座(いさかはにます おおみわみこの かみのやしろ)

・率川坐大神御子神社(奈良市本子守町)

一緒に読む
率川坐大神御子神社(奈良市本子守町)

率川坐大神御子神社(いさがわにます おおみわみこじんじゃ)は 大和国一之宮 大神神社の摂社で 「大宝令」〈大宝元年(701)制定〉に 国家の祭祀として 例祭 三枝祭(さいくさのまつり)は 既に規定されていました 鎮花祭〈大神神社 例祭〉と共に古くから疫病を鎮める祈りのお祭りです 『延喜式神名帳AD.927』にも記される古社です

続きを見る

狭岡神社 八座(さをかの かみのやしろ)

・狭岡神社(奈良市法蓮町)

漢国神社奈良市漢国町 

一緒に読む
漢國神社(奈良市漢国町)

漢国神社(かんごうじんじゃ)は 推古天皇 元年(593)大神君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が勅を賜いて 園神(そのかみ)〈大物主命〉を祀り その後 元正天皇の養老元年(717)藤原不比等公(ふじわらのふひとこう)が 更に 韓神(からかみ)の二座〈大己貴命(おほなむちのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)〉を相殿として祀りました 清和天皇 貞観元年(859)平安城宮内省へと 園神韓神は勧請されたと社伝は云います

続きを見る

率川阿波神社(いさかは あはの かみのやしろ)

・率川阿波神社(奈良市本子守町)〈率川神社 境内〉

一緒に読む
率川阿波神社(奈良市本子守町)

率川阿波神社(いさがわあわじんじゃ)は 創建について 社伝には「宝亀二年(771)藤原是公 夢のお告げ」によるとされ 当初は奈良市西城戸町に鎮座していましたが 時代と共に衰微し 大正9年に率川神社の境内に社殿を建立し その後 末社 春日社・住吉社と共に現在地に遷座 式内社の率川阿波神社とされます

続きを見る

宇奈太理坐高御魂神社(大 月次 相嘗 新嘗)(うなたりにます たかみむすひの かみのやしろ)

宇奈多理坐高御魂神社(奈良市法華寺町) 

一緒に読む
宇奈多理坐高御魂神社(奈良市法華寺町)

宇奈多理坐高御魂神社(うなたりにいますたかみむすびじんじゃ)は 創建年代は不詳ですが 奈良時代中期〈天平17年(745)〉法華寺(ほっけじ)が創建されるとその後 鎮守社になったと云われていて 江戸時代には楊梅神社とも云われていました 境内一帯は 第51代 平城天皇〈在位806~809年〉の楊梅宮址とか春日斎宮の斎院址とかの学説もあります

続きを見る

井栗神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町) 

一緒に読む
井栗神社・穴栗神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)

井栗神社(いぐりじんじゃ)・穴栗神社(あなぐりじんじゃ)は もとは奈良市横井町付近〈横井村〉に鎮座していた 井栗神社は 雨多利(ウタリ)と云う田畝にあり 式内社の宇奈太理坐高御魂(うなたりにますたかみむすひ)神社とされていました 保延元年(1135)八月三日 穴栗(穴吹)・井栗の二社を現在地の春日大社境内へ遷座したと伝わります

続きを見る

穴栗神社(奈良市横井) 

一緒に読む
穴栗神社(奈良市横井)

穴栗神社(あなぐりじんじゃ)は 元々は 横井村の北西に鎮座していたが 江戸時代初期の寛文年間〈1661~1673年〉に現在地〈古市村〉に遷座したと伝わります 二つの式内社「宇奈太理坐高御魂神社(うなたりにますたかみむすひの かみのやしろ)」「穴次神社(あなつきの かみのやしろ)」の論社とされています

続きを見る

和尓坐赤坂比古神社(大 月次 新嘗)(わににます あかさかひこの かみのやしろ)

・和爾坐赤阪比古神社(天理市和爾町)

一緒に読む
和爾坐赤阪比古神社(和爾町)

和爾坐赤阪比古神社(わににますあかさかひこじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の古社ですが 創建はさらに古く不詳です 鎮座する場所についての記述としては『日本書紀』〈養老4年(720)編纂〉に 第10代 崇神天皇(スジンテンノウ)〈在位 BC97~BC 37年頃〉10年の条に「忌瓮(イワイベ)〈儀式用の瓶〉を 和珥(ワニ)の武鐰坂上(タケスキサカノウエ)に鎮座(チンザ)」と 祭祀の場として記されています

続きを見る

穴吹〈次〉神社(あなつきの かみのやしろ)

穴栗神社(奈良市横井) 

一緒に読む
穴栗神社(奈良市横井)

穴栗神社(あなぐりじんじゃ)は 元々は 横井村の北西に鎮座していたが 江戸時代初期の寛文年間〈1661~1673年〉に現在地〈古市村〉に遷座したと伝わります 二つの式内社「宇奈太理坐高御魂神社(うなたりにますたかみむすひの かみのやしろ)」「穴次神社(あなつきの かみのやしろ)」の論社とされています

続きを見る

和尓下神社 二座(わにしもの かみのやしろ ふたくら)

・和爾下神社(天理市櫟本町)

一緒に読む
和爾下神社(天理市櫟本町)

和爾下神社(わにしたじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社です 古くは祭神を「櫟井臣(イチヒイノオミ)和珥臣(ワニノオミ)」〈大和国添上郡 春日郷を本拠地とした古代氏族〉の祖神「第5代 孝昭天皇の皇子=天足彦国押人命(アマタチシヒコクニオシヒトノミコト)」「第6代 孝安天皇=日本帯彦国押人命(ヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト)」の2柱を祀っていたとされます 明治初年には 延喜式内の和爾下神社に当たると考証があり 社名を和爾下神社と変更します 現在は 本社に3柱 若宮に1柱の神が祀られています

続きを見る

・和爾下神社(大和郡山市)

一緒に読む
和爾下神社(大和郡山市横田町)

和爾下神社(わにしたじんじゃ)は 二座あり 櫟本(イチノモト)と横田(ヨコタ)に鎮座します 横田に鎮座する当神社「和爾下神社」は 本来は 横田(ヨコタ)氏の氏神であると伝わり 横田氏の本姓は 物部(モノノベ)氏であり『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』にいう饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の降臨の際に 随従した天物部(アメノ モノノベ)25部の中に横田物部(ヨコタモノノベ)氏があり その苗裔(ビョウエイ)との説があります

続きを見る

・和爾坐赤阪比古神社境内社春日社」と「八幡社」の2座

一緒に読む
和爾坐赤阪比古神社(和爾町)

和爾坐赤阪比古神社(わににますあかさかひこじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の古社ですが 創建はさらに古く不詳です 鎮座する場所についての記述としては『日本書紀』〈養老4年(720)編纂〉に 第10代 崇神天皇(スジンテンノウ)〈在位 BC97~BC 37年頃〉10年の条に「忌瓮(イワイベ)〈儀式用の瓶〉を 和珥(ワニ)の武鐰坂上(タケスキサカノウエ)に鎮座(チンザ)」と 祭祀の場として記されています

続きを見る

奈良豆比古神社(鍬靫)(ならつひこの かみのやしろ)

・奈良豆比古神社(奈良市奈良阪町)

・楢神社(天理市楢町)

・神明神社〈楢神社 上の宮〉・春日神社〈奈良山の春日社〉〈楢神社の旧鎮座地〉

太祝詞神社(大 月次 新嘗)(ふとのりとの かみのやしろ)

森神社(天理市)

一緒に読む
森神社(天理市森本町)

森神社(もりじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載の式内社 京中 左京二条坐神 太詔戸命神(ふとのとの みことの かみ)(大月次相嘗新嘗)の旧鎮座地とも 大和国 添上郡 太祝詞神社(大月次新嘗)(ふとのとの かみのやしろ)であるともされます

続きを見る

髙橋神社(たかはしの かみのやしろ)

・高橋神社(奈良市八条町)

一緒に読む
高橋神社(奈良市八条町)

高橋神社(たかはしじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社です 内膳司(うちのかしわでのつかさ)として 朝廷の食膳を司る家柄「高橋氏(たかはしうじ)」が 当地「高橋邑(たかはしのむら)」に居住し 祖神を祀ったと考えられています

続きを見る

・和爾下神社(天理市櫟本町)の境内社 若宮社

論社
和爾下神社(天理市櫟本町)

和爾下神社(わにしたじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社です 古くは祭神を「櫟井臣(イチヒイノオミ)和珥臣(ワニノオミ)」〈大和国添上郡 春日郷を本拠地とした古代氏族〉の祖神「第5代 孝昭天皇の皇子=天足彦国押人命(アマタチシヒコクニオシヒトノミコト)」「第6代 孝安天皇=日本帯彦国押人命(ヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト)」の2柱を祀っていたとされます 明治初年には 延喜式内の和爾下神社に当たると考証があり 社名を和爾下神社と変更します 現在は 本社に3柱 若宮に1柱の神が祀られています

続きを見る

・月日磐

論社
月日磐(氷室神社の祭祀の始まり地)

月日磐(ツキヒノイワ)は 和銅3年(710)3月10日〈旧暦〉に藤原京から平城京に遷都した時に 若草山に近い「吉城川」上流の石〈日と三日月の陰刻がある〉「月日磐(ツキヒノイワ)」に「氷神(ヒノカミ)」をお祀りして 氷池(ヒイケ)〈冬に氷を製造〉と氷室(ヒムロ)〈氷を夏まで保存〉を設け 貴重な氷として春~夏に平城宮へ献上しました これが氷室神社の祭祀の始まりとされています 又 朝廷の食膳を司る家柄「高橋(タカハシ)氏」の氏神「高橋神社」の旧鎮座地とも云われています

続きを見る

神波多神社(鍬)(かむはたの かみのやしろ)

・神波多神社(山添村中峰山)

宅布世神社(いへふせの かみのやしろ)

・宅布世神社(奈良市鉢伏町)

大和日向神社(鍬靫)(おほやまと ひむかの かみのやしろ)

本宮神社奈良市春日野町)〈春日大社 境内摂社 一般参拝不可

夜支布山口神社(大 月次 新嘗)(やきふやまくちの かみのやしろ)

夜支布山口神社奈良市大柳生町

春日神社(かすかの かみのやしろ)

・榎本神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)

一緒に読む
榎本神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)

榎本神社(えのもとじんじゃ)は 春日大社の境内社で 本社廻廊の南西の角に鎮座します 式内社 春日神社(かすかの かみのやしろ)の論社です 春日大社が 現在地(春日野)に創建される以前からの 当地の地主神で 一時安倍山(現奈良県桜井市)にお遷りになったが 承平5年(935)再びこの場所へ御帰座になったと伝えられています

続きを見る

・春日神社(山添村春日)

一緒に読む
春日神社(山添村春日)

春日神社(かすがじんじゃ)は 平城京遷都に伴なって〈神護景雲二年(768)の「春日大社」創建の際〉鹿島神宮から武甕槌命の御神霊が奈良〈春日大社〉へ向かう際 立ち寄って一泊した所〈山添村春日〉と云う その跡地に春日神を祀った神社とされ 式内社 春日神社の論社でもあります

続きを見る

・宅春日神社(奈良市白毫寺町)

一緒に読む
宅春日神社(奈良市白毫寺町)

宅春日神社(やけかすがじんじゃ)は 社伝では 天児屋根命は神護景雲二年(七六八)河内国枚岡から大和添上郡高円山麓に移座〈高円山の社とは当社地のこと〉同年十一月九日に現 春日大社の社地に留まられたとあり かつて山の辺の道沿いの当地方は大宅郷と称し 物資豊かで古代豪族の大宅氏が北大和を領有していた要衝であったと伝えられている

続きを見る

・浮雲神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)〈参考〉

一緒に読む
浮雲神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)

浮雲神社(うきぐもじんじゃ)は もと興福寺の子院・四恩院の鎮守社として祭祀されていましたが 明治の廃仏毀釈により現在地に遷座し 春日大社境内社となっています 「御蓋山(みかさやま)の頂上 浮雲峰(うきぐものみね)」に鎮座する本宮神社(禁足地内 一般参拝不可)と同体とされます

続きを見る

・神明神社〈楢神社 上の宮〉・春日神社〈奈良山の春日社〉〈参考〉

賣太神社(ひめたの かみのやしろ)

・賣太神社(大和郡山市稗田町)

春日祭神四座(並 名神大 月次 新嘗)(かすかにまつるかみ しくら)

春日大社(奈良市春日野町

一緒に読む
春日大社(奈良市春日野町)

春日大社(かすがたいしゃ)は 社記によると 神護景雲二年(768)・武甕槌命〈常陸国 鹿島神宮〉・経津主命〈下総国 香取神宮〉・天児屋根命〈河内国 枚岡神社〉・比売神〈河内国 枚岡神社〉を併せ 御蓋山(みかさやま)麓に四殿の社殿を造営し 四座が鎮座して 春日大社が創建されたと伝えています

続きを見る

春日大社(奈良市春日野町)の・摂社・末社について

一緒に読む
春日大社(奈良市春日野町)・摂社・末社

春日大社(奈良市春日野町)の・摂社・末社について 記載しています

続きを見る

赤穂神社(あかほの かみのやしろ)

・赤穂神社(奈良市高畑町)

・紀伊神社(奈良市春日野町)〈春日大社境内摂社〉

嶋田神社(しまたの かみのやしろ)

・嶋田神社(奈良市八島町)

・紀伊神社(奈良市春日野町)〈春日大社境内摂社〉

御前社原石立命神社(みさきのやしろ はらいしたちのみことの かみのやしろ)

・御前原石立命神社(奈良市古市町)

・紀伊神社(奈良市春日野町)〈春日大社境内摂社〉

天乃石吸神社(あまのいはすひの かみのやしろ)

・六所神社(山添村峰寺)

・立磐神社(奈良市大柳生町)〈夜支布山口神社 境内摂社〉

・紀伊神社(奈良市春日野町)〈春日大社境内摂社〉

五百立神社(いほたちの かみのやしろ)

・五百立神社(奈良市雑司町)〈東大寺境内〉

天乃石立神社(あまのいはたちの かみのやしろ)

・天乃石立神社(奈良市柳生町)

添下郡(そふのしもの こおり) 10座(大4座・小6座)の論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

矢田坐久志玉比古神社 二座(並大 月次 新嘗)(やたのまします くしたまひこの かみのやしろ ふたくら)

・矢田坐久志玉比古神社(大和郡山市矢田町)

一緒に読む
矢田坐久志玉比古神社(大和郡山市矢田町)

矢田坐久志玉比古神社(やたにいます くしたまひこ じんじゃ)は 物部氏の祖神 櫛玉饒速日命(くしたま にぎはやひのみこと)が 天神御祖の詔により天孫降臨をされた時 天磐舩(あまのいわふね)に乗り 天乃羽羽矢(あめのははや)三本を射放たれ この地〈矢田〉に落ちたので゛矢落社(やおちしゃ)゛とも称される〈先代舊事本紀〉故事由来の延喜式内社です

続きを見る

添御縣坐神社(大 月次 新嘗)(そふのみあかたにます かみのやしろ)

・添御県坐神社(奈良市歌姫町)

・添御県坐神社(奈良市三碓)

菅田比賣神社 二座(鍬靫)(すかたひめの かみのやしろ)

・菅田比賣神社(大和郡山市筒井町)

・八幡神社(大和郡山市筒井町)

佐紀神社(さきの かみのやしろ)

・佐紀神社(奈良市佐紀町字亀畑)

・佐紀神社(奈良市佐紀町字西畑)

菅原神社(すがはらの かみのやしろ)

・菅原天満宮(奈良市菅原東)

登彌神社(とみの かみのやしろ)

・登彌神社(奈良市石木町)

・伊弉諾神社(生駒市上町)

菅田神社(すかたの かみのやしろ)

・菅田神社(大和郡山市八条町)

伊射奈岐神社(大 月次 新嘗)(いさなぎの かみのやしろ)

・伊弉諾神社(生駒市上町)

・登彌神社(奈良市石木町)

平群郡(へくりの こおり) 20座(大12座・小8座)の論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

龍田坐天御柱國御柱神社 二座(並 名神大 月次 新嘗)(たつたにます あまのみはしら くにのみはしらの かみのやしろ)

・龍田大社(三郷町立野南)

一緒に読む
龍田大社(三郷町立野南)

龍田大社(たつたたいしゃ)は 社伝によると 第10代 崇神天皇の御代に凶作が続き 天皇が夢で風神のお告げをうけて創建されたと伝わる 祭神は・天御柱大神(志那都比古神)・国御柱大神(志那都比売神)〈別名を龍田神・龍田風神とも云い〉第40代 天武天皇(675年)に始まる風鎮祭は今も毎年行われ 歴代の朝廷からも深く信仰された延喜式 名神大社に列した由緒ある神社です

続きを見る

龍田比古龍田比女神社 二座(たつたひこ たつたひめの かみのやしろ)

・龍田神社(斑鳩町龍田)

一緒に読む
龍田神社(斑鳩町龍田)

龍田神社(たつたじんじゃ)は 第10代 崇神天皇の御代 年穀の凶作が続いた時 帝自ら卜占をもって占い 天神地祇を龍田山の聖地に祀られたことに始まり 後 推古14年(606)2月25日 聖徳太子が 白髪の老人に化身した龍田大明神に「斑鳩(いかるが)の里こそ仏法興隆の地」とのお告げを受け 法隆寺を建立した  鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したと伝わります

続きを見る

龍田比古神社・龍田比売神社(三郷町立野南)
龍田大社の摂社 内陣に鎮座

一緒に読む
龍田大社(三郷町立野南)

龍田大社(たつたたいしゃ)は 社伝によると 第10代 崇神天皇の御代に凶作が続き 天皇が夢で風神のお告げをうけて創建されたと伝わる 祭神は・天御柱大神(志那都比古神)・国御柱大神(志那都比売神)〈別名を龍田神・龍田風神とも云い〉第40代 天武天皇(675年)に始まる風鎮祭は今も毎年行われ 歴代の朝廷からも深く信仰された延喜式 名神大社に列した由緒ある神社です

続きを見る

往馬坐伊古麻都比古神社 二座(並 大 月次 新嘗)(ゆくまにます いこまつひこの かみのやしろ)

・往馬坐伊古麻都比古神社(生駒市壱分町)

平群石床神社(大 月次 新嘗)(へくりの いはとこの かみのやしろ)

・石床神社旧社地(平群町越木塚)

・石床神社(平群町越木塚)

伊古麻山口神社(大 月次 新嘗)(いこまの やまくちの かみのやしろ)

生駒山口神社平群町檪原

平群神社 五座(並大 月次 新嘗)(へくりの かみのやしろ)

・平群神社(平群町西宮)

久度神社(くとの かみのやしろ)

・久度神社(王寺町久度)

平郡坐紀氏神社(名神大 月次 新嘗)(へくりにます きのうじの かみのやしろ)

・平群坐紀氏神社(平群町上庄)

・平群氏春日神社(平群町椿井)
〈『平群町史』によれば 旧鎮座地と推定 〉

猪上神社(ゐかみの かみのやしろ)

・猪上神社(平群町信貴山)

・朝護孫子寺 経蔵堂(平群町信貴山)
〈猪上神社 旧鎮座地〉

船山神社(ふなやまの かみのやしろ)

・船山神社(平群町三里)
・船山神社 旧鎮座地(平群町三里)

御櫛神社(みくしの かみのやしろ)

・御櫛神社(平群町椹原)

神岳神社(かんをかの かみのやしろ

・神岳神社(斑鳩町神南)

雲甘寺坐楢本神社(うんかんじにます ならもとの かみのやしろ)

・雲甘寺坐楢本神社(平群町梨本)

廣瀬郡(ひろせの こおり) 5座(大1座・小4座)の論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

廣瀬坐和加宇加乃売命神社(名神大 月次 新嘗)(ひろせにます わかうかめのみことの かみのやしろ)

・廣瀬大社(河合町川合)

一緒に読む
廣瀬大社(河合町川合)

廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は 鎮座地について゛大和盆地を流れる全ての河川が合流する地点に祀られ治水と五穀豊穣を司る゛と由緒にあり ここから大和川は 龍田を抜けて 奈良盆地から下り流れいく その創建は 崇神天皇9年(前89)と古く 『日本書紀』天武天皇4年4月の条には 風神を龍田の立野〈龍田大社〉に 大忌神を広瀬の河曲〈廣瀬大社〉を祀る と記されます

続きを見る

讃岐神社(さぬきの かみのやしろ)

・讃岐神社(広陵町三吉)

一緒に読む
讃岐神社(広陵町三吉)

讃岐神社(さぬきじんじゃ)は 大和朝廷に仕える讃岐(さぬき)国の斎部氏が 竹の豊富なこの地に移り住んだことから 竹取物語が生まれた舞台とも伝わり 鎮座地゛三吉(みつよし)゛は 江戸時代までは゛散吉(さぬき)゛と呼ばれ 讃岐の神を勧請し創建した地との説もあり 延喜式内社 大和國 廣瀬郡 讃岐神社(さぬきの かみのやしろ)の論社となっています

続きを見る

・廣瀬大社(河合町川合)
〈本殿に合祀 讃岐神社〉

一緒に読む
廣瀬大社(河合町川合)

廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は 鎮座地について゛大和盆地を流れる全ての河川が合流する地点に祀られ治水と五穀豊穣を司る゛と由緒にあり ここから大和川は 龍田を抜けて 奈良盆地から下り流れいく その創建は 崇神天皇9年(前89)と古く 『日本書紀』天武天皇4年4月の条には 風神を龍田の立野〈龍田大社〉に 大忌神を広瀬の河曲〈廣瀬大社〉を祀る と記されます

続きを見る

櫛玉比女命神社(貞)(くしたまひめのみことの かみのやしろ)

・櫛玉比女命神社(広陵町弁財天)

一緒に読む
櫛玉比女命神社(広陵町弁財天)

櫛玉比女命神社(くしたまひめのみことじんじゃ)は 本殿が前方後円墳の後円部に鎮座するという古墳信仰に基づく古代祭祀の遺跡とされ 古墳は 聖徳太子の築造とも伝わります 延喜式内社 大和國 廣瀬郡 櫛玉比女命神社(くしたまひめのみことの かみのやしろ)の論社です

続きを見る

・廣瀬大社(河合町川合)
〈相殿に祀られる 櫛玉比女命神〉

一緒に読む
廣瀬大社(河合町川合)

廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は 鎮座地について゛大和盆地を流れる全ての河川が合流する地点に祀られ治水と五穀豊穣を司る゛と由緒にあり ここから大和川は 龍田を抜けて 奈良盆地から下り流れいく その創建は 崇神天皇9年(前89)と古く 『日本書紀』天武天皇4年4月の条には 風神を龍田の立野〈龍田大社〉に 大忌神を広瀬の河曲〈廣瀬大社〉を祀る と記されます

続きを見る

穂雷命神社(ほのいかつちのみことの かみのやしろ)

・穂雷神社(広陵町安部)

一緒に読む
穂雷神社(広陵町安部)

穂雷神社(ほのいかづちじんじゃ)は 『日本三代実録』〈延喜元年(901年)〉に゛保沼雷神゛として 神階の奉授が記されていて 当社本来の神は 火の神゛軻遇突智命゛であろうとされ 廣瀬大社の相殿に祀られる穂雷神と並び 延喜式内社 大和國 廣瀬郡 穂雷命神社(ほのいかつちの かみのやしろ)の論社とされます

続きを見る

廣瀬大社(河合町川合)
〈相殿に祀られる 穂雷神〉

一緒に読む
廣瀬大社(河合町川合)

廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は 鎮座地について゛大和盆地を流れる全ての河川が合流する地点に祀られ治水と五穀豊穣を司る゛と由緒にあり ここから大和川は 龍田を抜けて 奈良盆地から下り流れいく その創建は 崇神天皇9年(前89)と古く 『日本書紀』天武天皇4年4月の条には 風神を龍田の立野〈龍田大社〉に 大忌神を広瀬の河曲〈廣瀬大社〉を祀る と記されます

続きを見る

於神社(鍬)(うへの かみのやしろ)

・於神社(広陵町大塚)

一緒に読む
於神社(広陵町大塚)

於神社(うえのじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 廣瀬郡 於神社(鍬)(うへの かみのやしろ)の論社とされますが 『大和志(江戸中期)』には「大塚村にあり、城宮と称す、已に廃す」とあり その頃には廃されていたと記されています 神社の沿革由緒は 元禄十年九月十日の失火のため日記 古文書等消失して不明であるが 口碑によると享保七年(1722)十月に再建と伝わります

続きを見る

・水分神社(河合町川合)
〈広瀬大社境外摂社 〉

一緒に読む
水分神社〈広瀬大社境外摂社 〉(河合町川合)

水分神社(みまくりじんじゃ)〈広瀬大社境外摂社 〉は 廣瀬神社 社傳には 水分神(みまくりのかみ)〈若宇加乃賣命の分身とも女子とも〉を祀り 水の分配を司るとあり 又 ゛延喜式神名帳ニ廣瀬郡 於(ウヘノ)神社ハ 卽チ 當社ナリト云ヘリ゛と 式内社である旨が記されています

続きを見る

葛上郡(かつしやうの こおり) 17座(大12座・小5座)の論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

鴨都波八重事代主命神社二座(貞改号・並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(かもことしろぬしのみこと かみのやしろ

・鴨都波神社(御所市宮前町)

一緒に読む
鴨都波神社(御所市宮前町)

鴨都波神社(かもつわじんじゃ)は 社伝によれば 第10代 崇神天皇の御代 勅命により大田田根子命の孫 大賀茂都美命(おおかもずみのみこと)が創建 『延喜式(927年編纂)』では 月次・相嘗・新嘗に宮中より官幣に預る名神大社に列した 大和国 葛上郡 鴨都波八重事代主命神社二座(かもつはやへことしろぬしのみことの かみのやしろ)です

続きを見る

葛木御歳神社(名神大 月次 新嘗)(かつらきの みとしの かみのやしろ)

・葛木御歳神社(御所市東持田)

一緒に読む
葛木御歳神社(御所市東持田)

葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ)は 葛城氏・鴨氏の氏神・高鴨神社〈高鴨社〉・葛城御歳神社〈中鴨社〉・鴨都波神社〈下鴨社〉で 全国の賀茂社・加茂社の総本社でもあります 又 御歳神(みとしのかみ)を祀る全国の御歳神社・大歳神社の総本社を称します『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和国 葛上郡 葛木御歳神社(名神大 月次新嘗)です

続きを見る

葛木坐一言主神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(かつらきにます ひとことぬしの かみのやしろ)

・葛城一言主神社(御所市)

一緒に読む
葛城一言主神社(御所市大字森脇)

葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)は 「葛城之一言主大神」を祀ります 境内には 推定樹齢1,200年の大イチョウがあり 古社であることが見事にわかります 里人は どの様な願い事でも 一言の願いならば叶う「一言さん(いちごんさん)」と信仰し続けています 『記紀神話』の伝承によれぱ 一言主神は 第21代雄略天皇の条に 雄略天皇と葛城山で狩りを競われた神として記され 大和朝廷の中心で大王家と対等ともされた最大の古代豪族「葛城氏」が 一極集中に向かう大王家(雄略天皇)との対立構図のように描かれているとも窺えます 『続日本紀』天平宝字8年( 764年)条では 雄略天皇と狩りを競った「高鴨神」が土佐国に流されていたが 天平宝字8年に元の地に祀ったとあります

続きを見る

多太神社(鍬靫)(たたの かみのやしろ)

・多太神社(御所市多田)

長柄神社(鍬靫)(なからの かみのやしろ)

・長柄神社(御所市名柄)

巨勢山口神社(大 月次 新嘗)(こせの やまくちの かみのやしろ)

巨勢山口神社御所市古瀬

葛木水分神社(名神大 月次 新嘗)(かつらきの みこまりの かみのやしろ)

・葛木水分神社(御所市関屋)

鴨山口神社(大 月次 新嘗)(かもの やまくちの かみのやしろ)

鴨山口神社御所市櫛羅

大穴持神社(おほあなもちの かみのやしろ)

・大穴持神社(御所市朝町)

葛木大重神社(かつらきの おほしげの かみのやしろ)

・駒形大重神社(御所市楢原)

高天彦神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(たかまひこの かみのやしろ)

・高天彦神社(御所市)

一緒に読む
高天彦神社(御所市)

高天彦神社(たかまひこじんじゃ)は 古代豪族の葛城氏が祖神を祀ります 鎮座地の地名は高天(たかま)で 日本神話に登場する高天原(たかまがはら)であったとの伝説が残ります 大和朝廷に敬われ延喜の制では最高の名神大社となった古社がここに坐ます

続きを見る

大倉比賣神社(貞改号)(おほくらひめの かみのやしろ)

・大倉姫神社(御所市戸毛)

・大倉姫神社(御所市古瀬)

高鴨阿治須岐託彦根命神社四座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(たかかもの あじすきたかひこねのみことの かみのやしろ

・高鴨神社(御所市鴨神)

一緒に読む
高鴨神社(御所市鴨神)

高鴨神社(たかかもじんじゃ)は 阿遅志貴高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)別名 迦毛之大御神〈かものおほみかみ〉を祀ります 記紀神話に 大御神と名のつく神は 天照大御神 伊邪那岐大御神と同神の三神のみ 死した神々をも甦えらせる御神力の強き神で『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の大和國 葛上郡 高鴨阿治須岐託彦根命神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗とされます

続きを見る

葛下郡(かつけの こおり) 18座(大13座・小5座)の論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

葛木倭文坐天羽雷命神社(大 月次 新嘗)(かつらきの しとりにます あめのいかつちのみことの かみのやしろ)

葛木倭文座天羽雷命神社奈良県葛城市

博西神社奈良県葛城市

片岡坐神社(名神大 月次 新嘗)(かたをかにます かみのやしろ)

・片岡神社旧地(王寺町元町)〈片岡神社の元宮〉

・片岡神社(王寺町本町)

長尾神社(大 月次 新嘗)(なかをの かみのやしろ)

・長尾神社(葛城市長尾)

石園坐多久虫玉神社二座(並 大 月次 新嘗)(いはそのにます たくむしたまの かみのやしろ)

・石園座多久虫玉神社(大和高田市片塩町)

調田坐一事尼古神社(大 月次 新嘗)(つきたのます ひとことねこの かみのやしろ)

・調田坐一事尼古神社(葛城市疋田)

金村神社(大 月次 新嘗)(かなむらの かみのやしろ)

・金村神社(葛城市大屋)

葛木御県神社(大 月次 新嘗)(かつらきの みあかたの かみのやしろ)

・葛城御縣神社(葛城市葛木)

・諸鍬神社(葛城市辨之庄)
〈葛木御縣神社 古社地〉

深溝神社(ふかみその かみのやしろ)

・鹿嶋神社(香芝市下田西)

・貴舟神社(上牧町上牧)

火幡神社(名神大 月次 新嘗)(ほはたの かみのやしろ)

・火幡神社(王寺町畠田)

志都美神社(しつみの かみのやしろ)

・志都美神社(香芝市今泉)

伊射奈岐神社(いざなぎの かみのやしろ)

・伊邪那岐神社(上牧町下牧)

當麻都比古神社 二座(たいまつひこの かみのやしろ)

・當麻都比古神社(葛城市當麻)
〈當麻山口神社の本殿脇〉

當麻山口神社(大 月次 新嘗)(たいまやまくちの かみのやしろ)

當麻山口神社葛城市當麻

大坂山口神社(大 月次 新嘗)(おほさかの やまくちの かみのやしろ)

大坂山口神社香芝市穴虫

大坂山口神社香芝市逢坂

葛木二上神社 二座(大 月次 新嘗)(かつらきの ふたかみの かみのやしろ)

葛木倭文座天羽雷命神社奈良県葛城市

・葛木坐二上神社(奈良県葛城市)

忍海郡(をしのうみの こおり) 3座(大2座・小1座)の論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

為志神社(いしの かみのやしろ)

・為志神社(葛城市林堂)

〈合祀先〉葛木坐火雷神社〈笛吹神社〉(葛城市笛吹)

葛木坐火雷神社 二座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(かつらきにます ほのいかつちの かみのやしろ)

・葛木坐火雷神社〈笛吹神社〉(葛城市笛吹)

宇智郡(うちの こおり) 11座(並小)の論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

宇智神社(うちの かみのやしろ)

阿陀比賣神社(あたひめの かみのやしろ)

荒木神社(あらきの かみのやしろ)

丹生川神社(にふかはの かみのやしろ)

二見神社(ふたみの かみのやしろ)

宮前霹靂神社(みやさきの かんとけ〈なるかみ〉の かみのやしろ)

・宮前霹靂神社(五條市西久留野町))

・火雷神社(五條市御山町)

火雷神社(貞四座)(ほのいかつちの かみのやしろ)

・火雷神社(五條市御山町)

髙天岸野神社(鍬)(たかまの きしの かみのやしろ)

落杣神社(鍬)(をちそまの かみのやしろ)

髙天山佐太雄神社(鍬)(たかまの やまさたをの かみのやしろ)

一尾背神社(ひとをせの かみのやしろ)

吉野郡(よしのの こおり) 10座(大5座・小5座)の論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

吉野水分神社(延・大 月次 新嘗)(よしのの みこまりの かみのやしろ)

吉野山口神社(大 月次 新嘗)(よしのの やまくちの かみのやしろ)

・吉野山口神社(吉野町山口)

・勝手神社(吉野町吉野山)

大名持神社(名神大 月次 新嘗)(おほなもちの かみのやしろ)

丹生川上神社(貞・名神大 月次 新嘗)(にふの かはすみの かみのやしろ)

・丹生川上神社〈上社〉(吉野郡川上村迫)

・丹生川上神社〈中社〉(吉野郡東吉野村小)

・丹生神社〈中社の旧跡〉(吉野郡東吉野村小)

・丹生川上神社〈下社〉(吉野郡下市町長谷)

金峯神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(かねのみたなの かみのやしろ)

髙桙神社(鍬)(たかほこの かみのやしろ)

川上鹿鹽神社(鍬)(かはかみかしほの かみのやしろ)

伊波多神社(いはたの かみのやしろ)

波寶神社(鍬)(はほの かみのやしろ)

波比賣神社(はひめの かみのやしろ)

宇陀郡(うたの こおり) 17座(大1座・小16座)の論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

宇太水分神社(大 月次 新嘗)(うたみこまりの かみのやしろ)

阿紀神社(鍬靫)(あきの かみのやしろ)

門僕神社(鍬靫)(かとのふさの かみのやしろ)

丹生神社(鍬靫)(にふの かみのやしろ)

御杖神社(みつえの かみのやしろ)

椋下神社(鍬)(むくもとの かみのやしろ)

高角神社 二座(鍬靫)(たかつのの かみのやしろ)

八咫烏神社(鍬靫)(やたのからすの かみのやしろ)

味坂比賣命神社(みそさかひめのみことの かみのやしろ)

御井神社(みゐの かみのやしろ)

御井神社宇陀市榛原檜牧 

皇太神社宇陀市菟田野平井

岡田小秦命神社(をかたの おはたのみことの かみのやしろ)

神御子美牟須比命神社(みわのみこ みむすひめのみことの かみのやしろ)

桜実神社(貞四座加)(さくらみの かみのやしろ)

剱主神社(つるきぬしの かみのやしろ)

室生龍穴神社(むろの りうけつの かみのやしろ)

都賀那木神社(つかなきの かみのやしろ)

城上郡(しきのかみの こおり) 35座(大15座・小20座)の論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

大神大物主神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(おほみわの おほものぬしの かみのやしろ)

・大神神社(桜井市三輪)大和国一之宮

一緒に読む
大神神社(桜井市三輪)

大神神社(おおみわじんじゃ)は 神社の社殿が成立する以前の祭祀の姿を今に伝えている 古来から本殿は設けず 拝殿の奥にある三ッ鳥居を通し 三輪山〈御神体〉に祈りを捧げる原初の神祀りで 我が国最古の神社と呼ばれています 『古事記』『日本書紀』の記紀神話には 創建に関わる伝承が記され 『延喜式』には名神大社とされる 大和国一之宮です

続きを見る

神坐日向神社(大 月次 新嘗)(みわにます ひむかひの かみのやしろ)

・高宮神社(三輪山 山頂)
 ※禁足地 語らずの山〈三輪山〉に鎮座するの為 詳細は書けません

・高宮神社(こうのみや)
 《主》日向御子神(ひむかのみこのかみ)

「三輪山」は 大神神社のご神体である
太古より 神さまの鎮まる神聖なお山とされ 禁足の山として 入山が厳しく制限されてきました

現在は 禁足地の中でも特別に登拝が許され 三輪山登拝には 摂社「狭井神社」での受付が必要撮影も飲食も禁止 何も持ち帰ってはならない
しかし 今でも
山中のことは他言無用 語らずの山であり すなわち 山中のことは おのれの心にとどめるのみ

・神坐日向神社(桜井市三輪)

一緒に読む
神坐日向神社(桜井市三輪)

神坐日向神社(みわにます ひむかい じんじゃ)は 大神神社の境外摂社です 「御子森」と呼ばれる小高い地〈大神神社の南 約250m〉に祀られています 太陽信仰とされる式内社 神坐日向神社の論社となっています

続きを見る

穴師坐兵主神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(あなしにます ひやうすの かみのやしろ)

・穴師坐兵主神社(桜井市穴師)

巻向坐若御魂神社(大 月次 相嘗 新嘗)(まきむくにます わかみたまの かみのやしろ)

・檜原神社(桜井市三輪)

一緒に読む
檜原神社(桜井市三輪)

檜原神社(ひばらじんじゃ)は 第十代 崇神天皇の御代 それまで皇居で祀られていた「天照大御神(あまてらすおほみかみ)」を 皇女 豊鍬入姫命に託し ここ檜原の地(倭笠縫邑)に遷し お祀りした〈元伊勢〉とされます 式内社 大和国 城上郡 巻向坐若御魂神社(大 月次相嘗新嘗)の論社でもあります

続きを見る

・穴師坐兵主神社(桜井市穴師)

他田坐天照御魂神社(大 月次 新嘗)(をさたにます あまてらすみたまの かみのやしろ)

・他田坐天照御魂神社(桜井市太田)

・春日神社(桜井市戒重)

志貴御縣坐神社(大 月次 新嘗)(しきみあかたのます かみのやしろ)

狭井坐大神荒魂神社五座(鍬靫)(さいにます おほみわあらみたまの かみのやしろ)

・狹井坐大神荒魂神社(桜井市三輪)

一緒に読む
狹井坐大神荒魂神社(桜井市三輪)

狹井坐大神荒魂神社(さいにますおほみわあらみたまじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇の御代〈BC29~AD70〉渟名城稚姫命(ぬなきわかひめのみこと)が勅を奉じて創祀されたと伝わり 『延喜式AD.927』に鎮花祭社(はなしずめのまつりのやしろ)と記され 通称 花鎮社とも呼ばれます

続きを見る

忍坂坐生根神社(大 月次 新嘗)(をしさかゐます いくねの かみのやしろ)

・忍坂坐生根神社(桜井市忍阪)

一緒に読む
忍坂坐生根神社(桜井市忍阪)

忍坂坐生根神社(おっさかにいますいくねじんじゃ)は 忍坂山(外鎌山)を神体山として遥拝する古い祭祀様式で 本殿を持ちません 天平二年(730)正倉院文書『大倭國正税帳(やまとのくにしょうぜいちょう)』の記録には「生根神」として載る古社で 式内社 大和國 城上郡 忍坂坐生根神社(大月次新嘗)(をしさかにゐます いくねの かみのやしろ)に比定されています

続きを見る

長谷山口坐神社(大 月次 新嘗)(はせの やまくちにます かみのやしろ)

長谷山口坐神社桜井市初瀬

等弥神社(とみの かみのやしろ)

殖栗神社(えくりの かみのやしろ)

忍坂山口坐神社(大 月次 新嘗)(おしさかのやまくちにます かみのやしろ)

忍坂山口坐神社桜井市赤尾

水口神社(みなくちの かみのやしろ)

桑内神社 二座(鍬靫)(くはうちの かみのやしろ)

曳田神社 二座(鍬靫)(ひきたの かみのやしろ)

宇太依田神社(うたなのたの かみのやしろ)

玉列神社(たまつらの かみのやしろ)

・玉列神社(桜井市慈恩寺)

一緒に読む
玉列神社(桜井市慈恩寺)

玉列神社(たまつらじんじや)は 『延喜式神名帳(927年編纂)』所載の大和国 城上郡 玉列神社(たまつらの かみのやしろ)です 御祭神の玉列王子神(たまつらみこのかみ)は 大神大物主神の御子神とされ 大神神社とは 古代から深い繋がりがあるとされています

続きを見る

伊射奈岐神社(いさなきの かみのやしろ)

・伊射奈岐神社(天理市柳本町)

・大己貴神社(宇陀市榛原柳)

綱越神社(つなこしの かみのやしろ)

・綱越神社(桜井市三輪)

一緒に読む
綱越神社(桜井市三輪)

綱越神社(つなこしじんじゃ)は 夏越(なごし)の社とも言われ 旧六月晦日の大祓「夏越祓(なごしのはらえ)」が厳粛に行われる古社 大神祭(おおみわさい)の奉仕に先立ち 大神神社の神主以下奉仕員が 当社において祓の儀を受けて はじめて本社の神事に携わることができました 『延喜式神名帳(927年編纂)』所載の大和国 城上郡 綱越神社(つなこしの かみのやしろ)です

続きを見る

稔代神社(なししろの かみのやしろ)

穴師大兵主神社(あなし おほひやうすの かみのやしろ)

・穴師坐兵主神社(桜井市穴師)

若櫻神社(わかさくらの かみのやしろ)

・若櫻神社(桜井市谷)

一緒に読む
若櫻神社(桜井市谷)

若櫻神社(わかざくらじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社で 第17代 履中天皇(リチュウテンノウ)〈在位400~405年頃〉の磐余稚桜宮(イワレ ワカザクラノミヤ)跡に充てる説もあります 東殿(若桜神社)西殿(高屋安部神社)の本殿があり 高屋安部神社は 近世(18世紀以前頃)に山崩れがあり 社殿が大破した為 安倍松本山(安倍文殊院の東)から 元々の若櫻神社の鎮座地 こちらに遷座したと伝わります 若桜部(ワカサクラベノ)氏や安倍(アヘノ)氏に所縁のある御祭神を祀ります

続きを見る

・稚櫻神社桜井市大字池之内

一緒に読む
稚櫻神社(桜井市池之内)

稚櫻神社(わかざくらじんじゃ)は 『日本書紀』第17代 履中天皇(リチュウテンノウ)〈在位400~405年頃〉の条にある 天皇が船遊びをされた「磐余(イワレ)の市磯池(イチシノイケ=磐余池)」や 物部長真胆連(モノノベノ ナガマイノムラジ)が 桜の花を捜し出した「掖上室山(イケノヘ ノ ムロヤマ)」が 隣接していたと伝わっていて 磐余稚桜宮(イワレノ ワカサクラノミヤ)の舞台とする説もあります

続きを見る

堝倉神社(なへくらの かみのやしろ)

髙屋安倍神社 三座(延・並 名神大 月次 新嘗)(たかやあへの かみのやしろ)

・高屋安倍神社〈若櫻神社に合祀〉

一緒に読む
高屋安倍神社(若櫻神社の西殿)

高屋安倍神社(たかやあべじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社です 東殿(若桜神社)西殿(高屋安部神社)の本殿があり 元々は 若櫻神社の鎮座地です 高屋安部神社は安倍松本山(安倍文殊院の東)から 近世(18世紀以前頃)に山崩れがあり社殿が大破した為 こちらに遷座したと伝わります 阿部氏に所縁の祭神を祀ります

続きを見る

宗像神社 三座(並 大 月次 新嘗)(むなかたの かみのやしろ)

・宗像神社(桜井市外山)

城下郡(しきのしもの こおり) 17座(大3座・小14座)の論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

村屋坐弥冨都比賣神社(大 月次 相嘗 新嘗)(むらやにます みふつひめの かみのやしろ)

村屋坐冨都比賣神社(田原本町蔵堂)

一緒に読む
村屋坐彌冨都比賣神社(田原本町蔵堂)

村屋坐彌冨都比賣神社(むらやにますみふつひめじんじゃ)は 祭神は大物主命の妻神 三穂津姫命で 大神神社の別宮とされます 壬申の乱(673)の時には 村屋神が 天武天皇を勝利に導く神託を下し 神社として初めて位階を皇室から賜りました《式内社》大和國 城下郡 屋坐彌冨都比賣神社(大月次相嘗新嘗)(むらやにます みふつひめの かみのやしろ)です

続きを見る

池坐朝霧黄幡比賣神社(大 月次 相嘗 新嘗)(いけにます あさきりきはたひめの かみのやしろ)

・池坐朝霧黄幡比賣神社(田原本町法貴寺)

鏡作坐天照御魂神社(大 月次 新嘗)(かかみつくりにます あまてるみたまの かみのやしろ)

・鏡作坐天照御魂神社(田原本町)

・鏡作神社(三宅町石見)

千代神社(ちしろの かみのやしろ)

・春日神社・千代神社(田原本町千代)〈旧 鎮座地〉

一緒に読む
春日神社・千代神社(田原本町千代)

春日神社・千代神社(かすがじんじゃ・ちしろじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和國 城下郡 千代神社(ちしろの かみのやしろ)の当初の鎮座地とされます 天長年間(830年頃)洪水によって社殿が流れ 大安寺に漂着し遷座 大正九年(1920)地元の崇敬が厚く 当地の春日神社の境内社として祭祀を行なっています

続きを見る

・森市神社・千代神社(田原本町大安寺)

一緒に読む
森市神社・千代神社(田原本町大安寺)

森市神社・千代神社(もりいちじんじゃ・ちしろじんじゃ)は 『磯城郡誌』には「千代村に鎮座の春日神社に境内摂社であった式内社の千代神社が 洪水の為に流失して下流に流れ着き 現在は大安寺の森市神社の境内に祀られている」と記され『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載 大和國 城下郡 千代神社(ちしろの かみのやしろ)とされます

続きを見る

・八阪神社・千代神社(田原本町阪手)〈合祀先〉

一緒に読む
八阪神社・千代神社(田原本町阪手)

八阪神社・千代神社(やさかじんじゃ・ちしろじんじゃ)は 式内社 千代神社は 千代村に鎮座 春日神社の境内摂社だったが 洪水の為に流失して下流 大安寺の森市神社の境内に祀られた 明治四十二年三月四日 同村 阪手村社 八坂神社〈現 八阪神社・千代神社(田原本町阪手)〉に合祀 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和國 城下郡 千代神社(ちしろの かみのやしろ)の現在の合祀先とされます

続きを見る

岐多志太神社 二座(鍬靫)(きたしたの かみのやしろ)

・岐多志太神社(田原本町伊与戸)

一緒に読む
岐多志太神社(田原本町伊与戸)

岐多志太神社(きたしたじんじゃ)は 社名の岐多志太は キタ氏の田という意味で キタ 即ち 鉄を鍛える鉄工の神とされます 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の大和国 城下郡 岐多志太神社 二座(鍬靫)(きたしたの かみのやしろ ふたざ)とされます

続きを見る

倭恩智神社(鍬靫)(やまとをんちの かみのやしろ)

・倭恩智神社(天理市海知町)

比賣久波神社(鍬靫)(ひめくはの かみのやしろ)

服部神社 二座(鍬靫)(はとりの かみのやしろ)

・服部神社(村屋坐彌冨都比賣神社 境内摂社)

一緒に読む
服部神社(村屋坐彌冨都比賣神社 境内摂社)

服部神社(はとりじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される古社です 社記によれば 旧鎮座地は 現在地より西2kmばかりの所に 大安寺村 字 神来森(カキノモリ)という土地があり そこに鎮座して波登里(ハトリ)村・阿刀(アト)村の氏神であったが 天正中(1573年~1591年)社殿兵火に罹り後 村屋坐社の本殿横の瑞垣の中に遷座して現在に至ります

続きを見る

富都神社(鍬靫)(ふとの かみのやしろ)

糸井神社(靫)(いとゐの かみのやしろ)

村屋神社 二座(むらやの かみのやしろ ふたくら)

村屋神社(田原本町蔵堂)
〈村屋坐彌冨都比賣神社
境内摂社

一緒に読む
村屋神社〈村屋坐彌冨都比賣神社 境内摂社〉(田原本町蔵堂)

村屋神社(むらやじんじゃ)は 社伝に「元は大宮から200mほど東 初瀬川の川べり宮山と字する所に鎮座されていたが 天正の兵火後 今の地〈村屋坐彌冨都比賣神社 境内〉に遷し祭る」と伝わります《式内社》大和国 城下郡 村屋神社 二座(むらやの かみのやしろ ふたざ)です

続きを見る

鏡作伊多神社(かかみつくり いたの かみのやしろ)

鏡作麻氣神社(かかみつくり まけの かみのやしろ)

・鏡作麻氣神社(田原本町小阪)

久須須美神社(くすすみの かみのやしろ)

久須須美神社(田原本町蔵堂)村屋坐彌冨都比賣神社 境内摂社

一緒に読む
久須須美神社〈村屋坐弥冨都比賣神社 境内摂社〉(田原本町蔵堂)

久須々美神社(くずずみじんじゃ)は 社伝に「元は 今の蔵堂橋の南のたもとに鎮座 伊豫氏(伊与戸)の氏神であった」が明治初めに現在地〈村屋坐弥冨都比賣神社 境内摂社〉に遷されました《式内社》大和国 城下郡 久須須美神社(くすすみの かみのやしろ)とされます

続きを見る

髙市郡(たかいちの こおり) 54座(大33座・小21座)の論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

髙市御県坐鴨事代主神社(大 月次 新嘗)(たかいちの みあかたにます かものことしろぬしの かみのやしろ)

河俣神社橿原市雲梯町

一緒に読む
河俣神社(橿原市雲梯町)

河俣神社(かわまたじんじゃ)は 『出雲国造神賀詞』に「事代主命(ことしろぬしのみこと)の御魂を宇奈提(うなて)に坐(ましま)す」と記され《式内社》髙市御県坐鴨事代主神社 大月次新嘗(たかいちの みあかたにます かものことしろぬしの かみのやしろ)に比定されます また《式内社》川俣神社三座 並大月次新嘗(かわまたの かみのやしろ)の論社でもあります

続きを見る

飛鳥坐神社 四座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(あすかにます かみのやしろ)

飛鳥坐神社明日香村飛鳥 

一緒に読む
飛鳥坐神社(明日香村飛鳥)

飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)は 『延喜式927 AD.』巻八『出雲国造神賀詞』に「大穴持命が 賀夜奈留美命を飛鳥の神奈備に坐せて 皇孫命の近き守り神にした」とある伝承の社で『延喜式神名帳』所載の大和國 高市郡 飛鳥坐神社 四座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)(あすかにます かみのやしろ しくら)とされます

続きを見る

酒船石明日香村岡)〈飛鳥坐神社 旧酒殿跡

一緒に読む
酒船石(明日香村岡)〈飛鳥坐神社 旧酒殿跡〉

酒船石(さかふねいし)は 長さ約5.5m 幅約2.3m、厚さ約1mの大きさで 上面に丸いくぼみ それにつながる溝が直線で刻まれています 飛鳥坐神社の旧酒殿跡とも御旅所跡とも 飛鳥山口坐神社の旧鎮座地とも云われます 第37代 斉明天皇が 豊穣の祈願などさまざまな祭祀をここで行ったともされますが 用途は不明です

続きを見る

宗我坐宗我都比古神社 二座(並 大 月次 新嘗)(そかにます そかつひこの かみのやしろ)

飛鳥山口坐神社(大 月次 新嘗)(あすかのやまくちにます かみのやしろ)

・飛鳥山口坐神社(明日香村飛鳥)〈飛鳥坐神社 境内

一緒に読む
飛鳥山口坐神社(明日香村飛鳥)〈飛鳥坐神社 境内〉

飛鳥山口坐神社(あすかやまぐちにますじんじゃ)〈飛鳥坐神社 境内〉は 『延喜式』「第8巻 祈年祭祝詞」に「山口坐皇神 等能前白久 飛鳥 石村 忍坂 長谷 畝火 耳無 御名者白」とあり「大和六所山口神社」とされます 大和國 髙市郡 飛鳥山口坐神社(大月次新嘗)(あすかやまくちにます かみのやしろ)とされます

続きを見る

酒船石明日香村岡)〈飛鳥坐神社 旧酒殿跡

一緒に読む
酒船石(明日香村岡)〈飛鳥坐神社 旧酒殿跡〉

酒船石(さかふねいし)は 長さ約5.5m 幅約2.3m、厚さ約1mの大きさで 上面に丸いくぼみ それにつながる溝が直線で刻まれています 飛鳥坐神社の旧酒殿跡とも御旅所跡とも 飛鳥山口坐神社の旧鎮座地とも云われます 第37代 斉明天皇が 豊穣の祈願などさまざまな祭祀をここで行ったともされますが 用途は不明です

続きを見る

甘樫坐神社 四座(並 大 月次 相嘗 新嘗)(あまかしにます かみのやしろ)

稲代坐神社(大 月次 新嘗)(いなしろにます かみのやしろ)

牟佐坐神社(大 月次 新嘗)(むさにます かみのやしろ)

・牟佐坐神社(橿原市見瀬町) 

一緒に読む
牟佐坐神社(橿原市見瀬町)

牟佐坐神社(むさにますじんじゃ)は 中世の『五郡神社記』旧記によると 第20代 安康天皇の御代 霊夢を受けた 牟佐村主青(ムサノスグリアオ)が「生雷神」を祀り創祀し 子孫を祝部としたと記しています 『延喜式神名帳(927年編纂)』所載 大和国 髙市郡 牟佐坐神社(大月次新嘗)(むさにます かみのやしろ)とされます

続きを見る

・生國魂神社(橿原市大久保町) 

一緒に読む
生國魂神社(橿原市大久保町)

生国魂神社(いくくにたまじんじゃ)は 旧鎮座地《丸山宮址》は 畝傍山の北麓に近い中腹〈こちらが本来の神武天皇陵であるかもとの説あり〉に鎮座されていたが 大正9年(1920)現在地に遷座『延喜式神名帳(927年編纂)』に所載 大和国 髙市郡 牟佐坐神社(大月次新嘗)(むさにます かみのやしろ)の論社とされます

続きを見る

畝火山口坐神社(大 月次 新嘗)(うねひのやまくちにます かみのやしろ)

畝火山口神社橿原市大谷町

・東大谷日女命神社(桜井市山田)

髙市御県神社(名神大 月次 新嘗)(たけちのみあかたの かみのやしろ)

巨勢山坐石椋孫神社(こせのやまにます いはくらのひこの かみのやしろ)

鷺栖神社(靫)(さきすの かみのやしろ)

軽樹村坐神社 二座(並 大 月次 新嘗)(かろこむらにます かみのやしろ)

天髙市神社(大 月次 新嘗)(あめのたけちの かみのやしろ)

治田神社(鍬靫)(はるたの かみのやしろ)

太玉命神社 四座(並 名神大 月次 新嘗)(ふとたまのみことの かみのやしろ)

櫛玉命神社 四座(並 大 月次 新嘗)(くしたまのみことの かみのやしろ)

・櫛玉命神社(高市郡明日香村真弓)

加夜奈留美命神社(かやなるみのみことの かみのやしろ)

飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社(あすかかわかみにます うすたきひめのみことの かみのやしろ)

東大谷日女命神社(ひがしおほたにひめのみことの かみのやしろ)

・東大谷日女命神社(橿原市畝傍町)

・東大谷日女命神社(桜井市山田)

呉津孫神社(くれつひこの かみのやしろ)

川俣神社 三座(並 大 月次 新嘗)(かはまたの かみのやしろ)

・木葉神社(橿原市雲梯町)

一緒に読む
木葉神社(橿原市雲梯町)

木葉神社(このはじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年12月編纂)』所載 大和国 髙市郡 川俣神社三座(並大月次新嘗)(かわまたの かみのやしろ さんざ)(だい つきなみ にいなめ)とされています 創建・由緒は不詳ですが当初は この地に居住した「川俣氏」が 祖神を祀ったものだろうとされます

続きを見る

河俣神社橿原市雲梯町

一緒に読む
河俣神社(橿原市雲梯町)

河俣神社(かわまたじんじゃ)は 『出雲国造神賀詞』に「事代主命(ことしろぬしのみこと)の御魂を宇奈提(うなて)に坐(ましま)す」と記され《式内社》髙市御県坐鴨事代主神社 大月次新嘗(たかいちの みあかたにます かものことしろぬしの かみのやしろ)に比定されます また《式内社》川俣神社三座 並大月次新嘗(かわまたの かみのやしろ)の論社でもあります

続きを見る

氣都和既神社(けつのわきの かみのやしろ)

大歳神社 二座(おほとしの かみのやしろ)

波多神社(鍬靫)(はたの かみのやしろ)

御歳神社(鍬靫)(みとしの かみのやしろ)

於美阿志神社(おみあしの かみのやしろ)

鳥坂神社 二座(鍬靫)(とりさかの かみのやしろ)

瀧本神社(たきもとの かみのやしろ)

許世都比古命神社(こせつひこのみことの かみのやしろ)

天津石門別神社(あまついはとわけの かみのやしろ)

波多甕井神社(大 月次 新嘗)(はたみかゐの かみのやしろ)

・波多甕井神社(高取町羽内)

久米御県神社 三座(貞)(くめみあかたの かみのやしろ)

氣吹雷響雷吉野大國栖御魂神社 二座(並 名神大 月次 新嘗)(けふくいかつちの ひびきいかつちの よしのおほくにすみたまの かみのやしろ)

十市郡(とをいちの こおり) 19座(大11座・小8座)の論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

多坐弥志理都比古神社 二座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(たほのます みしりつひこの かみのやしろ)

十市御縣坐神社(大 月次 新嘗)(とをちみあかたにます かみのやしろ)

目原坐髙御魂神社 二座(並 大 月次 新嘗)(めはらのます たかみむすひの かみのやしろ)

天満神社(橿原市) 

耳成山口神社(橿原市) 

山之坊山口神社(橿原市) 

石村〈寸〉山口神社(大 月次 新嘗)(いはねのやまくちの かみのやしろ)

石寸山口神社桜井市谷

高田山口神社桜井市高田 字山口

畝尾坐健土安神社(大 月次 新嘗)(うねをのます はにやすの かみのやしろ)

・畝尾坐健土安神社(橿原市下八釣町)

・天香山神社(橿原市南浦町)

一緒に読む
天香山神社(橿原市南浦町)

天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)とされ 京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)(くしまちのみことのかみ)の本社に相当します 畝尾坐健土安神社(うねひのます たけはにやす かみのやしろ)の論社でもあります

続きを見る

・春日神社(橿原市戎外町)

・都祁山口神社(天理市杣之内町)

耳成山口神社(大 月次 新嘗)(みみなりやまくちの かみのやしろ)

耳成山口神社(橿原市) 

竹田神社(たけたの かみのやしろ)

坂門神社(貞改名・鍬靫)(さかとの かみのやしろ)

子部神社 二座(並 大 月次 新嘗)(こへの かみのやしろ)

・子部神社(橿原市飯高町)〈軒の宮〉

・子部神社(橿原市飯高町)

畝尾都多本神社(鍬靫)(うねをつたもとの かみのやしろ)

天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗・元名 大麻等乃知神)(あまのかこやまにいます くしまちのみことの かみのやしろ)

・天香山神社(橿原市南浦町)〈本社〉

一緒に読む
天香山神社(橿原市南浦町)

天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)とされ 京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)(くしまちのみことのかみ)の本社に相当します 畝尾坐健土安神社(うねひのます たけはにやす かみのやしろ)の論社でもあります

続きを見る

・国常立神社(橿原市南浦町)〈奥宮〉

一緒に読む
国常立神社(橿原市南浦町)

國常立神社(くにとこたちじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)の論社で 京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)(くしまちのみことのかみ)の奥宮に相当します

続きを見る

皇子神命神社(わうしのかみのみことの かみのやしろ)

姫皇子命神社(ひめみこのみことの かみのやしろ)

小社神命神社(をもりのかみのみことの かみのやしろ)

屋就神命神社(已上四神大社皇子神)(やつきかみのみことの かみのやしろ)

下居神社(貞)(しもゐの かみのやしろ)

山邊郡(やまのへの こおり) 13座(大7座・小6座)の論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

大和坐大國魂神社 三座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(おほやまとにます おほくにたまの かみのやしろ)

・大和神社(天理市新泉町)

石上坐布留御魂神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(いそのかみのます ふるのみたまの かみのやしろ)

・石上神宮(天理市布留町)

一緒に読む
石上神宮(天理市布留町)

石上神宮(いそのかみじんぐう)は 『古事記』『日本書紀』にも 石上神宮と記されています この当時「神宮(かみのみや)」と称されているのは 伊勢神宮と石上神宮だけです 記録の上では日本最古設立の「神宮」とされています 伊勢神宮の古名は「磯宮(isono miya)」で「isono kami」とは何らかの関係があるのかもしれません

続きを見る

都祁水分神社(大 月次 新嘗)(つけの みこまりの かみのやしろ)

・都祁水分神社(奈良市都祁友田町)

・都祁山口神社(奈良市都祁小山戸町)

山邊御縣坐神社(大 月次 新嘗)(やまへのみあかたのます かみのやしろ)

・山邊御縣神社(天理市別所町)

・山邊御縣神社(天理市西井戸堂町)

白堤神社(しろつつみの かみのやしろ)

・白堤神社(天理市長柄町)
・白堤神社 旧 鎮座地〈石碑のみ〉(天理市長柄町)

夜都伎神社(やつきの かみのやしろ)

・夜都岐神社(天理市乙木町)

・十二神社(天理市竹之内町)

・八剣神社(天理市田井庄町)

・龍王神社(天理市長滝町)

都祁山口神社(大 月次 新嘗)(つけの やまくちの かみのやしろ)

・都祁山口神社(奈良市都祁小山戸町)

・都祁山口神社(天理市杣之内町)

祝田神社(はふりたの かみのやしろ)

・祝田神社(天理市田部町)

石上市神社(貞)(いはかみいちの かみのやしろ)

・石上市神社(天理市石上町)

・姫丸稲荷大明神(天理市石上町)〈石上市神社古社地〉

下部神社(しもへの かみのやしろ)

・下部神社(奈良市都祁こぶしが丘)

出雲建雄神社(いつもたけをの かみのやしろ)

石上神宮(天理市)摂社
・出雲建雄神社(izumotakeo shrine)

一緒に読む
石上神宮(天理市布留町)

石上神宮(いそのかみじんぐう)は 『古事記』『日本書紀』にも 石上神宮と記されています この当時「神宮(かみのみや)」と称されているのは 伊勢神宮と石上神宮だけです 記録の上では日本最古設立の「神宮」とされています 伊勢神宮の古名は「磯宮(isono miya)」で「isono kami」とは何らかの関係があるのかもしれません

続きを見る

・葛神社(奈良市藺生町)

・雄神神社(奈良市都祁白石町)

畿内に鎮座する 658座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

一緒に読む
畿内に鎮座する 658座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています

このページは
「畿内」に鎮座する(658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427)神社の一覧表です

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています