実践和學 Cultural Japan heritage

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恵那神社 前宮本社(中津川市中津川字正ケ根)〈『延喜式』惠奈神社〉

恵那神社(えなじんじゃ)は 恵那山伝説では「伊邪那伎神・伊邪那美神の夫婦神が神坂峠を越え美濃の地に入られ 天照大神を産んだ際 胞衣(えな 胎児を包んだ膜と胎盤)を納めたので恵那山〔胞衣山・胞山〕と云う」その山頂に奥宮本社・麓に前宮本社が鎮座しています 延喜式内社 美濃國惠奈郡 惠奈神社(えなの かみのやしろ)です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

恵那神社 前宮本社(Ena shrine Maenomiya

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

岐阜県中津川市中津川字正ケ根3786番地の1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神》
伊弉諾命(いざなぎのみこと)

 伊弉冊命(いざなみのみこと)

〈摂末社祭神〉
 天照皇大神(あまてらすすめおかみ)
 豊受姫大神(とようけひめのおかみ)
木花咲開姫大神(このはなさくやひめのおかみ)
速玉男命(はやたまのみこと)
天目一箇命(あめのまひとつのみこと)
猿田彦大神(さるたひこのおかみ)
一言主大神(ひとことぬしのおかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

農耕、鉱工業、商業、建築、安産等の守護神

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

延喜式内社 恵那神社の由緒

鎮座地
 奥宮本社 恵那山二、一九米の山頂(摂社社と共に)
 前宮本社 中津川市川上正三、七八六番地の

御祭神
 主祭神 伊邪那伎大神・伊邪那美大神の夫婦神
 摂社神
 一の宮神社(猿田彦大神)
 二の宮剣神社(天目一箇命)
 三の宮神明社(天照大神・豊受大神)
 四の宮熊野社(速玉男命)
 五の宮富士社(木花咲開姫大神)
 六の宮葛城社(一言主大神)

社格
延長年(九二七年)に完成した「延喜式神名帳」に恵那郡三座の内 恵那神社と記されて居る(奥宮)
天慶年(九四〇年)に作られた「美濃国神名帳」に従五位 恵奈明神とあるのが前宮
明治年(一八七一年)恵那郡の総鎮守総氏神と尊崇される
明治年(一八七三年)郷社に指定される
大正十四九月十九日一九二五年)岐阜県の県社に昇格
昭和二十三月十日一九四五年)宗教法人岐阜県金幣社に指定

例祭日
 山頂奥宮及び六摂社 毎年十九
 前宮本社 毎年 九二十九

御神宝
 木曾義仲奉納の伯耆国住貞綱の太刀(岐阜県重要文化財指定)

御神木
 樹齢千年と云われる夫婦杉(岐阜県天然記念物指定)

 
 古く元禄の頃より伝わる恵那文楽(岐阜県重要文化財)は例祭日と月元日に奉納される

恵那山
 美濃地方の最高峰、日本の百名山に数えられる

 恵那の地名は伊邪那伎・伊邪那美の夫婦神が峠を越されて美濃の地に入られた(神坂峠・神坂村の地名有り)時、天照大神をお産みになった際胞衣(えな)(胎児を包んだ膜と胎盤)を山に納めたと伝えられて胞衣山が恵那山に 
また、産湯をつかわれた湯が「湯船沢」、胞衣を洗ったとされる「血洗の池」「血洗神社」、出産を終え安らかな気分になり腰を掛けた岩「腰掛岩」
安らかな気・安気が「阿木村」等、言い伝えにまつわる地名が数多く残る。

記 恵那神社 第二五代宮司 梅村幸司 氏子総代会長 可児豊司

現地案内板より

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『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

〇岐阜縣 美濃國 惠那郡中津町大字中津川

郷社 恵那(エナノ)神社

祭神
 伊弉諾(イザナギノ)
 伊弊冉(イザナミノ)

創建年代詳ならすと雖も、延喜式内社の一なりと、
神名帳考に、「恵奈(エナノ)神社、今在 恵奈嶽、大屋津姫命、云々」と見え、
神社覈録に、「恵奈神社、恵奈は恵那に同じ、祭神詳ならず、恵奈嶽に在す、今 権現と称す、本國神名帳 從五位上 恵奈明神」と云ひ、
美濃國式社考に、「恵奈神社、在 恵奈郡恵奈山上、去 落合南三里許、今稱ニ 恵奈山権現、神名未考」と見え、
神祇志料 亦之に同じ、
今按ずるに、祭神 伊邪那岐命 伊邪那美命と云ふれど、なければ尚考ふべきにこそ、濃陽志略に
 「恵那嶽は是れ濃州第一の高山也、遠國より之を望めぱ形ち覆舟の如し、故に俗に覆舟山と名つく、其東麓は信州陽舟澤 及び飯田に接す、絶頂の宿雪 夏に至て滅せず、神祠あり、毎年九月十九日遠近の里民登山拝神す、按るに、延喜式 恵奈神社、本國帳從五位下 恵那明神 是なり、と云ひ、新撰美濃志に云ふ所と大同小異なり、
一宵話牧墨僊泰等が撰といふ書に、此山の祭に郡中の村々より馬を曳て登る、其日必ず、風雨す、是多人数の二便に山内を穢すを嫌ひ給ひて、雨を降らして不潔を洗ひ浄め給ふよし、土人言ひ伝へしよし志るせり、祠官は宮原氏つかさどる、賎の小手巻に、恵那山は天照大神産給ひ、胞衣を納めし故 恵那山といふ、山上に七社あり、恵那権現は九尺四面の社、其外は小祠なり、毎歳九月九日に登山す、絶頂までは五里、篠竹生茂り、常は道もなし、大勢踏わけて登り、前夜は川上(カホレ)に通夜、四十度水垢離をして、鶏鳴て山にのぼる、山上の木は風烈しき故 庭木の如く低し、四方を望む、富士、淺間、白山、伊吹、近江の湖、伊勢の海一瞬に見渡す、其夜は山上に小屋をさし通夜し、水垢離をして翌日下山す、其外七日精潔齊す、山上に池あり、此邊の笹を取来馬に飼へば、祈祷になると云と志るせり、」
とあり、
蓋し恵那の義は吉蘇志略の湯舟海の條に、「在
 恵奈山北麓岩石形如槽、里民云、是天照大神御降誕時所 浴也 村名是之由、且藏 胞衣於此山胞衣倭訓 恵奈、則恵奈山名亦 此、其山下所 出水温腹則所謂温川也」とあるに基けるものなるべし、
明治
月郷社に列せらる。
社殿は一宇にして、境内坪数一萬二千六百坪(官有地第一種)を有す。

境内神社
 葛城神社 富士神社 熊野神社 神明神社 劔神社 一宮神社

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

【由  (History)】

由緒

 神代の昔、天照大神御隆誕ありし時、血洗地にて産穢を洗い胞衣を恵奈嶽に納む胞山の名の起こりし故なり。日本書記に日本武尊御東征の帰途、恵那の大神を拝せられし事あり。延喜式神明帳 恵奈郡三座の内 恵奈神社 美濃国神明帳 従五位上 恵奈明神 従五位上 加上明神 中世までは神主・社僧・別当もあり恵那大権現・七所権現、又単に権現様と親しまれ、今にその名残を留む。明治4年までは恵那郡の総鎮守・総氏神として崇敬されて来たが、明治6年郷社に大正14年県社に列し、終戦後、宗教法人金幣社恵那神社として、神社本庁の包括する所となる。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

由緒由来  

創建は不詳ですが延長五年(九二七年)全国の神社の中で大社を官社と定められ、朝廷から幣帛料を賜った神社として、延喜式神明帳に登載された式内社です。社の古さを物語るように拝殿前には、樹齢推定千年と言われる夫婦杉(県指定重要天然記念物)が雄々しく並び樹勢今なお盛んです。太古天照大神の胞衣(えな)へその緒を納められた事から恵那と銘名されたと伝わり、この山の周辺地域を恵那市、近くの観光地恵那峡、中央自動車道恵那山トンネルなどの名称は全てこの恵那に由来する。

近くに血洗池、血洗神社があり、天照大神の胞衣を洗われたところからこの名が付けられた池の跡に腰掛け岩もあり、大神をお産みになり安気になって腰掛けられ、以来この地を安気村と名付けられ、後年阿木となった。更に恵那山麓の神坂地区に湯舟沢と称する谷が有り、この沢で天照大神の産湯をお使いになったので、この名が付けられたと言われます。

爾来、安産、子授け、初宮詣、家内安全に御神徳が高い神社です。

古くは信濃国木曽郡全域も氏子であり、木曽義仲が旗揚げの際、戦勝祈願を恵那神社で行った時の祈願詞も保存され、その時に木曽義仲が奉納した伯耆貞綱の名太刀(県指定重要文化財)が社宝として保管されています。

特殊神事 恵那文楽(岐阜県指定重要文化財)
文化財等 夫婦杉(岐阜県天然記念物指定)
太刀名 貞綱(岐阜県重要文化財指定)

岐阜県神社庁HPより
https://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=2210

恵那神社

 恵那神社の主祭神は、伊邪那岐大神、伊邪那美大神の夫婦で、仲良く一緒にお祀りされております。

 恵那山伝説では、天照大神(伊勢の神宮・内宮の御祭神)を、お産みになられた場所です。
 「恵那山」はその時に胞衣(えな:胎児を包んでいた膜や胎盤)を、山の頂上に納めたことから名づけられとのことです。

近くには、天照大神が産湯につかった「湯舟沢」、胞衣を洗った「血洗池」など、言い伝えにまつわる地名がたくさん残っています。

 御神木「夫婦杉」も主祭神の伊邪那岐・伊邪那美の夫婦のように仲良く連れ添ったお二人との縁が感じられます。

 恵那神社は、国つくりの神としてその御神徳は幅広く、恵那郡全体の産土神(うぶすながみ)であり、農耕、鉱工業、商業、建築、安産等の守護神として祀られ、子宝授かり、安産に特に御利益があるとされています。

現地張り紙より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

恵那神社 前宮本社 社殿〈本殿・幣殿・拝殿〉

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恵那神社 前宮本社 拜殿

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恵那神社の夫婦杉

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岐阜県天然記念物 金幣社 恵那神社の夫婦杉

所在地 中津川市中津川三七六八六ノ一

申請並に命名者
 岐阜県神社長 上杉一枝
 氏子総代会長 小木曽政一

指定年月日
昭和四十一年九月十四日

幹の周囲

目通り
 夫杉 六米八〇糎
 婦杉 五米三〇糎

高さ
 約四六米

樹令
 六〇〇年から八〇〇年を経ていると推定され 樹勢は旺盛である

恵那神社は元和六年九日(一六二〇年)恵那山頂にある祭神を此の地に祀り前社とした
祭神は伊邪那伎・伊邪那美の命外六社である
創立年次は明かでないが日本書記 其他古書によっても古代からの神社といわれてゐる

 昭和四十五年六月
 岐阜県教育委員会
 中津川市教育委員会
 中津川市ライオンズクラブ

現地案内板より

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・〈夫婦杉の前 境内社〉2祠

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・遥拝所

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・参道石段

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・文楽奉納殿

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・二の鳥居

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・一の鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・恵那神社 奥宮本社(おくみやほんしゃ)(恵那山2,191mの山頂)

実際には 登山道があります

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)美濃國 39座(大1座・小38座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)恵奈郡 3座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 奈神社
[ふ り が な ](えなの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ena no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の「えなの かみのやしろ」は二ヶ所あります

①延喜式内社 美濃國惠奈郡 惠奈神社
②延喜式内社 飛騨國大野郡 荏名神社

①延喜式内社 美濃國惠奈郡 惠奈神社(えなの かみのやしろ)の論社について

・恵那神社 奥宮本社(恵那山2,191mの山頂)
・恵那神社 前宮本社(中津川市中津川字正ケ根)

一緒に読む
恵那神社 前宮本社(中津川市中津川字正ケ根)〈『延喜式』惠奈神社〉

恵那神社(えなじんじゃ)は 恵那山伝説では「伊邪那伎神・伊邪那美神の夫婦神が神坂峠を越え美濃の地に入られ 天照大神を産んだ際 胞衣(えな 胎児を包んだ膜と胎盤)を納めたので恵那山〔胞衣山・胞山〕と云う」その山頂に奥宮本社・麓に前宮本社が鎮座しています 延喜式内社 美濃國惠奈郡 惠奈神社(えなの かみのやしろ)です

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②延喜式内社 飛騨國大野郡 荏名神社(えなの かみのやしろ)の論社について

・荏名神社(高山市江名子町)

一緒に読む
荏名神社(高山市江名子町)〈『三代實録』荏ノ神『延喜式』荏名神社〉

荏名神社(えなじんじゃ)は 「稻置森」と呼ばれた森に小祠があり 文化十四年(1817)国学者の田中大秀翁が考証し 式内社として再建したものです 『三代實録』貞觀九年(八六七)荏ノ神・『延喜式』飛騨國大野郡 荏名神社(えなの かみのやしろ)の論社です

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・荒神社(高山市江名子町)

一緒に読む
荒神社(高山市江名子町)〈『三代實録』荏ノ神『延喜式』荏名神社〉

荒神社(あらがみしゃ/こうじんじゃ)は 古昔は女人禁制 境内樹木の枝葉を採ることも禁じたと伝わり 「荒神講社」を持ち飛騨一円に多くの熱心な信仰がいる「荒神さまの甘酒祭り」は世に知られ 五穀・養蚕・殖産興業に霊験あり 『三代實録』貞觀九年(八六七)荏ノ神・『延喜式』飛騨國大野郡 荏名神社(えなの かみのやしろ)と云う

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR中央本線 中津川駅からR363号経由で中津川に沿って南下して約10.2km 車での所要時間は15~16分程度

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恵那神社まで4.3kmとあります

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中津川の上流に沿うようにR363号を上って行きます

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R363号から曲がり 宮前橋で中津川を渡ります 恵那神社まで2.0kmの表示があります

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山深い所ですが 棚田も耕され 田植えも終えています

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恵那神社まで 0.9km の表示板あり

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「式内 恵那神社」の社号標 駐車場の案内板です

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恵那神社 前宮本社(中津川市中津川字正ケ根)に参着

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一礼を志鳥居をくぐり抜けて境内へと進みます
鳥居の向かって左側の社号標は 明治以後の「郷社」「縣社」の昇格時のもの

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鳥居の向かって右側の社号標は「金幣社」とあり 昭和の戦後の社号標です

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石段を上がると 二の鳥居があります

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石段の途中に 杉の大木

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拝殿前の石段を上がって

拝殿にすすみます

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拝殿の前に 聳えるような二本の杉の大木は「夫婦杉」です

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中々の大木です

拝殿の扁額は 渋沢栄一の謹書です

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿 幣殿には壁は無く 一体となった社殿の奥に本殿が祀られています

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社殿に一礼をして 石段を戻ります

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二の鳥居あたりからは 眼下に里も見えています

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二の鳥居を抜けます

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一の鳥居は 東南を向いていて 中津川の上流方向になるでしょうか

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 奈神社について 所在は゛恵奈嶽に在す、今 権現と称す、゛〈現 恵那神社 奥宮本社(恵那山2,191mの山頂)〉と記しています

【抜粋意訳】

奈神社

恵奈は郡名に同じ、和名鈔、郷名部〕繪上、下、

○祭神詳ならず

〇恵奈嶽に在す、今 権現と称す、明細記

神位
 本國神名帳、從五位上 恵奈明神

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 奈神社について 所在は゛ 繪下郷中川村の東山上にあり、惠山権現と云ふ゛〈現 恵那神社 奥宮本社(恵那山2,191mの山頂)〉と記しています

【抜粋意訳】

(エナノ)神社

 繪下郷中川村の東山上にあり、惠山権現と云ふ、〔巌邑府志、美濃式社考、美濃明細帳、神名帳考証〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 奈神社について 所在は゛繪下郷中津川村惠奈嶽(恵那郡中津町大字中津川)゛〈現 恵那神社 奥宮本社(恵那山2,191mの山頂)〉と記しています

【抜粋意訳】

(エナノ)神社

祭神

 今按 里俗 伊邪那岐命 伊邪那美命と云傳れと據なければ信じがたし

祭日 九月十九日
社格 郷社

所在 繪下郷中津川村惠奈嶽(恵那郡中津町大字中津川) 

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

恵那神社 前宮本社(中津川市中津川字正ケ根) (hai)」(90度のお辞儀)

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美濃国 式内社 39座(大1座・小38座)について に戻る

一緒に読む
美濃國(みののくに)の 式内社 39座(大1座・小38座)について

美濃国(みののくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 美濃国には 39座(大1座・小38座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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