阿豆佐和氣命(あずさわけのみこと)本宮(ほんぐう)・陵墓(みささぎ)は 太古に陵墓を神社として祀る時代があり 命の陵墓が元々の阿豆佐和氣命神社旧跡であった 後 本宮の地に遷座し 更に 六百年程前この地が氏子の参拝に不便の為 現在の利島村一番地の阿豆佐和氣命神社(明神様)に遷座 この地は〔本宮〕となったと口碑に云う
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
・阿豆佐和気命〔本宮〕(Azusawake no mikoto Hongu)
・阿豆佐和気命〔陵墓〕(The Tomb of Prince Adzusawake no mikoto)
【通称名(Common name)】
・一番神社〈阿豆佐和気命〔本宮〕〉
【鎮座地 (Location) 】
東京都利島村南御神山
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》阿豆佐和氣命(あずさわけのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史に記載される神社
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇實録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
阿豆佐和氣命本宮 あずさわけのみことほんぐう
御祭神 阿豆佐和氣命
由来沿革
創立年代及び由来沿革不詳。本神社は、島民から一番神様と称され親しまれている。御祭神 阿豆佐和氣命は、伊豆諸島造立神 事代主神の王子。
本神社は、平安時代の斎衛元年(八五四)に正五位下叙位され、又康保四年(九六四)施行の延喜式神明帳に記載された式内小社 阿豆佐和氣命神社である。
口碑によると、六百年程前この地が氏子の参拝に不便と言う理由から現在の利島村一番地の阿豆佐和氣命神社(明神様)に遷座され、本神社は阿豆佐和氣命 本宮となった。祠より約百メートル北に、阿豆佐和氣命の陵墓(みささぎ)と伝わる阿豆佐和氣命神社旧跡がある。太古には、陵墓を神社として祀る時代があり、後にこの地に神社を遷祀したとつたえられている。
本宮境域(六千六百平方メートル)は「古代の神社地の選定状況を知る上で、貴重な史跡であると共に、境域のシイ、タブの原生林は数少ない照葉樹林の典型を残すもので、島民の信仰の歴史を知るためにも学術上貴重である」と言う理由で、昭和六十二年(一九八七)に東京都文化財に指定された。
平成十八年二月 利島村教育委員会
現地銘板より
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【由 緒 (History)】
『伊豆七島志』巻上〈1901年〉に記される内容
【抜粋意訳】
利島 神祠
郷社 阿豆佐和氣命神社〔〇阿豆氣明神〕
利島鎮座 祭神 阿豆佐和氣命
式内 阿豆佐和氣命神社也 元禄 享保等の上梁文に預(アヅケ)大明神と記し 島民 阿豆氣明神 阿豆加明神など稱し来れるは 共に阿豆佐和氣の轉訛なる可し
もと南御神山に鎮座して 今尚 旧址に小祠存す
文徳紀に嘉祥三年(八五〇)六月 伊豆國 阿豆佐和氣命 授ニ從五位下
仁寿二年(八五二)十二月 加ふ 加ふ從五位上
とあり古来 正月元日 社域にて流鏑馬を行ふを例とす
〇神職五人 卜部 梅田氏
【原文参照】
秋山章, 萩原正夫 纂輯『伊豆七島志』巻上,萩原正夫,1901. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991431
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・阿豆佐和気命〔陵墓〕
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・阿豆佐和気命〔本宮〕
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・阿豆佐和気命神社の御神体山「宮塚山」
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・山廻り
山廻り
正月三が日は、山廻りの日です。山廻りとは、米とお神酒を持って、一番神様、二番神様、三番神様の順に参拝して、お供えをします。南ヶ山貯水池の手前約100mのところにある阿豆佐和気命本宮が、一番神様。ここから少し歩いたところにある大山小山神社が二番神様。三番神様である下上神社はウスイゴウ園地の下にあり、阿豆佐和気命の妃を祀っています。正月三が日に行われる山廻りは、昔ながらの島の生活と素朴な信仰をたどる道ともいえるでしょう。昔はみんな歩いて廻ったものですが、今では自家用車でお参りする人がほとんどになりました。
利島村役場 産業観光課HPより
https://www.toshimamura.org/tourism/watch/shrine.html
・利島阿豆佐和気命本宮境域
利島阿豆佐和気命本宮境域
東京都指定史跡
利島(としま)阿豆佐和気命本宮(あずさわけのみことほんぐう)境域
所在地 利島村南御神山
指 定 昭和六二年二月二四日
島の中央に屹立する宮塚山(標高五〇七・五m)の南麓にある二つの神社のうち、西側の表登山口にあるのが阿豆佐和気命神社本宮、東側が大山小山神社、そして東麓の裏参道にあるのが下上神社です。
現在集落の西にある阿豆佐和気命神杜は、参詣に不便なため、またこの集落の鎮護のためここへ遷宮されました。御神体は宮塚山そのものです。阿豆佐和気命本宮は、一番神と呼ばれ、小祠の後方には阿豆佐和気命(事代主の子)の墳墓との伝承をもつ積石遺構があります。のちにこれは中・近世の祭遺構であることが判明しました、大山小山神杜は、山と海をを支配する大山祇命(伊邪那岐命の子)で、二番神または山神様と呼ばれています、下上神社の祭神は下上御方(阿豆佐和気命の妃)で三番神であり、下山した者が安全無事であったお礼に参拝する習わしがあります。島民の信仰の歴史を知る上で、重要な史跡です。
平成二三年三月 建設 東京都教育委員会
阿豆佐和気命本宮 社頭案内板より
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阿豆佐和氣命の陵墓(あずさわけのみこと みささぎ)
一番神様・阿豆佐和気命本宮(あずさわけのみこと ほんぐう)
二番神様・大山小山神社(おおやまこやまじんじゃ)
三番神様・下上神社(おりのぼりじんじゃ)
【この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)】
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本文徳天皇實録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
卷一 嘉祥三年(八五〇)六月庚戌〈四〉
○庚戌
伊豆國
阿米都和氣命 伊太豆和氣命 阿豆佐和氣命 佐岐多麻比咩命
伊賀國
佐佐神 津神等 並授從五位下壹岐嶋
角上神 列 於官社
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=
※齊衡元年六月己卯の條にも「加ふ 伊豆國 阿豆佐和氣命神 從五位上」と同文があります
【抜粋意訳】
卷四 仁寿二年(八五二)十二月丙子〈十五〉
○丙子
加ふ 伊豆國
三嶋大神 從四位下を阿波咩命神 物忌寸奈命神 伊古奈比咩命神 並に加ふ正五位下
阿米都和氣命神 伊太豆和氣命神 阿豆佐和氣命神 波布比咩命神 並に加ふ從五位上
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 阿豆佐和氣命神社
[ふ り が な ](あつさわけのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Atsusawake no mikoto no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
〈『三宅記』は 原本は鎌倉時代末期に完成したと見られています〉
三島大明神によって 焼き出された伊豆諸島 各々の島の命名 又 三島大明神によって 各々の島に置かれたとする「后(きさき)」と その「王子(みこ)」の名 又 「随身(貴人の側近)」の名が記されています
【抜粋意訳】
三島大明神〔三嶋大社の祭神〕は 考安天皇の二十一年に島を焼き始めました
・・・
・・・明神は この島々に名前を付けられた
一番の島を はじめの嶋(はしめの嶋)〈初島〉と名付けて この島にタミの種を植えた
二番の島を 島々の中に焼き出した そこに神達が集まり 島々を焼き出す話しをしたので 神あつめ嶋〈神津島〉と名付けた三番の島を 大きい島なので大嶋〈大島〉と名付けた
四番の島は 潮の泡を集め焼いた島の色が白かったので あたら嶋〈新島〉と名付けた
五番の島をば 家が三つ並ぶ様子に似ており 三宅嶋〈三宅島〉 と名付けた
六番の島をば 明神の倉にすると作り 御倉嶋〈御蔵島〉と名付けた
七番の島を はるかな澳にあるので 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉と名付けた
八番の島をば 小嶋〈八丈小島〉 と名付けた
九番の島をば 嶋の姿が王の鼻に似ており わ(お)うこ嶋〈青ヶ島〉と名付けた
十番の島をば としま〈利島〉と名付けた大明神は この島に通って遊ばれた 中でも 大嶋 三宅嶋 あたら嶋 の三所に 常におられました
さもあらんと 三宅嶋〈三宅島〉に宮造りをされて大明神と申された
そして見目(みるめ)〔火戸寄神社の祭神〕と若宮(わかみや)〔若宮神社の祭神〕に申された
「后を作ろう 島々に一人ずつ置くとしよう」見目と若宮は 申し上げて「天竺の「大明神のご子息の母御前〕はいかがですか」
「それは父の王の妻 できない 」「それでは」と見目と若宮は出かけた どういう方かはわからぬが 五人の后を伴い 帰ってきたので
大明神は 大いに喜悦された
一人を 大嶋〈大島〉に置かれ その后の御名を はふの太后 と名づけた〔波布比咩命神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人は 太郎の王子 おほひ所 と名付けた〔大宮神社の祭神〕
一人は 次郎の王子 すくない所 と名付けた〔波治加麻神社の祭神〕また 一人の后をば あたら島〈新島〉に置來らせ みちのくの大后 と申された〔泊神社の御祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人を 大宮の王子 〔大三王子神社の祭神〕
一人を 第三乃(ていさん)王子と申した〔大三王子神社相殿の祭神〕
この二人の王子には 剣の御子 を添わせた〔差出神社の祭神〕神あつめの嶋〈神津島〉におさまる后の御名は 長濱の御前 と申し〔阿波命神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人をば たたなひ 〔物忌奈命神社の祭神〕
一人をば たふたい と申した〔日向神社の祭神〕
この王子には 天竺から来た左大臣を付け置かれた 名前をば ぬく嶋の大別当 と申された その女房を ふとおまゑ(仏御前) と申した又 三宅嶋〈三宅島〉に置かれた后の名をば 天笠いま后 と申し 白濱神社(下田市白浜) 元宮〔富賀神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人をば あん祢ひこ(安寧子) 〔飯王子神社の祭神〕
一人をば まん祢いこ(満寧子)と申した〔酒王子神社の祭神〕又 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉に置かれた后をば いなはゑ と申し〔優婆夷宝明神社の祭神〕
その御腹に 王子が五人あって
その后が亡くなると 長男と次男は手に手を取り合って思い死に終り 石となり おとあにの御子 として立っておられる
あと二人は まだ幼い頃に亡くなってしまった
それで 五郎の王子のみが 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉におられます〔優婆夷宝明神社の祭神〕
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F1000000000000040542&ID=&LANG=default&GID=&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1画像利用
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
阿豆佐和気命神社(利島村一番地)に参着
阿豆佐和気命神社(利島村一番地)については こちらの記事を参照
阿豆佐和気命神社(あずさわけのみことじんじゃ)は 利島の山の南側に阿豆佐和気命〈本宮〉 東側に姫神の下上命が鎮座しています 参拝の不便から村落内に夫妻を祭神として分祀遷座したとされます 『文徳實録』には「阿豆佐和氣命神」『延喜式』に伊豆國賀茂郡 阿豆佐和氣命神社(あつさわけのみことの かみのやしろ)と所載されます
阿豆佐和気命神社(利島村一番地)〈『文徳實録』『延喜式』阿豆佐和氣命神社〉
阿豆佐和気命神社からは150mぐらいです
集落内で一番山よりの都道沿い
堂山神社(利島村)に参着
・堂山神社(利島村)の記事を参照
堂山神社(どうのやまじんじゃ)は 元々は・神宮社を前田栄右衛門・神明社を前田嘉衛門・熊野三社を梅田三郎右衛門・第六天社を梅田太郎衛門がそれぞれ講元として各私邸に奉祀していたが この地に四社を総合し新規に合祀神社として明治初年代に創建されました 境内には 平安時代末期~室町時代末期にわたり築営が続いた祭祀遺跡があります
堂山神社(利島村)〈神宮社・神明社・熊野三社・第六天社の四社の合祀社〉
阿豆佐和気命神社本宮(利島村南御神山)へと向かいます
社頭には 都道とは別に 南方向(宮塚山の方向)へと石畳みの道が伸びていて 何処に行くかは 地図にも載っていませんが もしかすると「山廻り」の道かもしれないと 進んでみることにしました
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道は 遊歩道のように整備されています
途中までは 緩やかな登坂なので 静寂な森の中を進んでいきます
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かなりの斜面を上がって行く為か 長い階段となってきました
距離はありませんが かなりの高低差があって けっこうキツイ
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石畳みの遊歩道のような道を上がり切ると 目の前に建物がありました
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ここは 利島浄水場です
宮塚山を中腹手前ぐらいまで登ったイメージでしょうか
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つまり都道は ぐるりと廻ってくるところを 堂山神社から ほぼ直線で利島浄水場に来ていますから ショートカットしています
かなりの時間短縮だと想います 大正解でした
利島一周道路を上り続けます
距離がある だらだらの上りで かなりしんどいです
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道路は 二又分岐があります
下の道が 南ヶ山園地の標識があり「阿豆佐和気命本宮(ほんぐう)」へは下を進みます
上の利島一周道路は「阿豆佐和気命陵墓」へ行けます 最初に「陵墓(みささぎ)」に行きたかったので上り続けます
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二又分岐から400~500m歩いていくと 道路沿いの山側に「陵墓(みささぎ)」が見えてきます
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阿豆佐和気命 陵墓(みささぎ)に参着
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陵墓(みささぎ)の入口には 大きな玉石に「阿豆佐和気命陵」と刻字された号標が 小さな玉石に囲まれていますので ちょっとしたストーンサークルのような 又 神祀り(積石遺構)を感じさせます
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一礼をして 参道を進みます
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ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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陵墓(みささぎ)は玉石で覆われていて 最上部は やはりストーンサークルのような形式(積石遺構)になっていて 中央の部分には 立石と壷のようなもの 御幣が捧げられています
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一礼をして 参道を戻ります
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そのまま利島一周道路を50~60m程 上がって行くと
利島一周道路〈上り〉の右手に 下って行く道が出てきます
ここを下ると 南ヶ山園地の標識があり「二番神様・大山小山神社(おおやまこやまじんじゃ)」二番神社の方角になります
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下り始めると すぐ右側の崖に降りていく階段があり 南ヶ山園地の方向への遊歩道となっています
「一番神様・阿豆佐和気命本宮(あずさわけのみことほんぐう)」一番神社を目指していますので 今度は下り道のショートカットしてみます
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ちょっと荒れていますが 遊歩道の様になっています
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斜面を下っていくと 南ヶ山展望広場と一番神社の分岐点があり 一番神社方面への立札と通りに進みます
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下の道まで下りきると 一番神社の東100m程に出ました
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阿豆佐和気命本宮(あずさわけのみことほんぐう)に参着
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社頭には 案内板が設置されています
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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて進みます
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参道の石段は 玉石(海岸から運ばれた石)で出来た石段です
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賽銭をおさめ 玉石の石段を上がります
拝殿にすすみます
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お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿に一礼をして 参道を戻ります
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「山廻り」は しませんので
鳥居を抜けて 阿豆佐和気命神社(利島村一番地)へと戻ります
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利島一周道路を下っていくと 行きに来た利島浄水場からの道の分岐点に戻ってきました 帰りは下りで楽なので 足元の良い利島一周道路を選びましたが なにせ距離があり 展望が楽しめるわけでもないので 利島浄水場から村落への遊歩道の方が良かったかも
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利島港に戻ってきました
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ちょうど 左右から着岸船があります
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向って 右が東海汽船のジェット船
向って 左が神新汽船のフェリーあぜりあ
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阿豆佐和気命神社の御神体山「宮塚山」に一礼をして 乗船します
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 阿豆佐和氣命神社について 所在は゛利島に在す、゛〈現 阿豆佐和気命神社〉と記しています
【抜粋意訳】
阿豆佐和氣命神社
阿豆佐和氣は假字也
○祭神明か也
○利島に在す、〔志〕例祭 月日、
神位
文徳實録、嘉祥三年六月庚戊、伊豆國 阿豆佐和氣命 授從五位下、
仁寿二年十二月丙子、加ニ 伊豆國 阿豆佐和氣命神 從五位上、
又 齊衡元年六月己卯、加ニ 伊豆國 阿豆佐和氣命神 從五位上、〔同位重出不審〕
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 阿豆佐和氣命神社について 所在は゛今 利島にあり、阿豆加明神といふ゛〈現 阿豆佐和気命神社〉と記しています
【抜粋意訳】
阿豆佐和氣命(アズサワケノミコトノ)神社
今 利島にあり、阿豆加明神といふ、〔豆州志、南方海道志〕
文徳天皇 嘉祥三年六月庚戌、從五位下を授け、齊衡元年六月巳卯、從五位上を加ふ、〔文徳実録〕
凡 十二月二十七日祭を行ふ、〔南方海道志〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 阿豆佐和氣命神社について 所在は゛(利島)゛〈現 阿豆佐和気命神社〉と記しています
【抜粋意訳】
阿豆佐和氣命(アズサワケノミコトノ)神社 稱 阿豆加大明神
祭神 阿豆佐和氣命
神位
文德天皇 嘉祥三年六月庚戌 伊豆國 阿豆佐和氣命 授ニ從五位下
仁壽二年十二月丙子 加ニ伊豆國 阿豆佐和氣命神 從五位上
〔今按 齊衡元年六月巳卯 同位階を授ることあるは何れか桁文なるべし 故今 本文を存して彼を冊る〕祭日
社格 (郷社)所在 (利島)
今按 豆州志 式社攻證ともに利島鎭座 阿豆加大明神とみえて異説なし
攻證に舊社地は南の御神山と云 山岳上にて小祠存在す 按に今稱の阿豆加は阿豆佐和氣の約と聞ゆるが 此神稱の訛り乍らも本稱の儘に唱へ來れるは珍しく貴とぶべきこと也かしと云るもの證とすべし
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
阿豆佐和気命本宮・阿豆佐和気命陵墓(利島村南御神山)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る
伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について