実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

堂山神社(利島村)〈神宮社・神明社・熊野三社・第六天社の四社の合祀社〉

堂山神社(どうのやまじんじゃ)は 元々は・神宮社を前田栄右衛門・神明社を前田嘉衛門・熊野三社を梅田三郎右衛門・第六天社を梅田太郎衛門がそれぞれ講元として各私邸に奉祀していたが この地に四社を総合し新規に合祀神社として明治初年代に創建されました 境内には 平安時代末期~室町時代末期にわたり築営が続いた祭祀遺跡があります

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

堂山神社(Donoyama shrine

【通称名(Common name)】

【鎮座地 (Location) 】

東京都利島村

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神
前田嘉衛門邸に奉斎されていた 神明社〉天照皇大神
前田栄右衛門邸に奉斎されていた 神宮寺社不祥
梅田三郎右衛門邸に奉斎されていた 熊野三社伊邪那伎命 伊邪那美命 櫛御気命
梅田太郎衛門邸に奉斎されていた 第六天社第六天神

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格 式 (Rules of dignity) 】

【創 建 (Beginning of history)】

堂山神社 どうのやまじんじゃ

神明社
 御祭神 天照皇太神

神宮社
 御祭神 不詳

熊野三社
 熊野本宮大社 御祭神 須佐之男命(別名 櫛御氣之命)
 熊野速玉大社 御祭神 伊邪那伎命
 熊野那智大社 御祭神 伊邪那美命

第六天社 御祭神 第六天神

祭礼 例祭 一月七日

由来沿革

 創立は明治初年代と伝わる。それまで、神宮社を前田栄右衛門、神明社を前田嘉衛門、熊野三社を梅田三郎右衛門、第六天社を梅田太郎衛門がそれぞれ講元として各私邸に奉祀していたが、この地に四社を総合し新規に合祀神社として創建された。これら四社の創建年代及び明治時代前の由来沿革は不詳である。
 元、この地には由緒年代不明であるが神宮寺があったと伝わる。又、この地に観音堂や薬師堂があったことが、「ドウノヤマ」と呼称される由来となった。

堂山神社境内祭祀遺跡

 祭祀遺跡は、平成四・五年に堂山神社境内祭祀遺跡学術調査団により調査され、境内地の社殿前から都道際のタブの大木の周囲に形成された祭祀遺構が検出された。遺構は、拳大の礫石や板石(板状節理の玄武岩)で構築された配石遺構六基と一条の溝状遺構がタブノ木の周囲に配置されていた。遺構からは平安時代末期から室町時代後半にかけての作と見られる銅製和鏡五面をはじめ、双孔儀鏡四十二点、目貫金具・笄(こうがい)各各一点、銭貨百十五点の銅製品や、平安時代末期から室町時代末期に比定される陶磁器二十二点などの遺物が出土した。

 遺跡は、鎌倉時代初期から室町時代末期に至る三百年余にわたり築営が続いたと想定される祭祀遺跡で、海岸で採取した板石や礫石で祭壇を設け和鏡や儀鏡、神鏡を盛った陶器を供える祭祀が、長い間の繰り返しによって形成された。遺跡の北端部は、都道の敷設・拡幅によって消滅している事から、当神社に所蔵されていた出土中世和鏡二十八面(現在郷土資料館、全鏡が東京都指定文化財)の大部分が、当遺跡から出土した可能性が強いと思われる。

平成十七年 利島村教育委員会

現地銘板より

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【由 緒 (History)】

堂山神社

集落内で一番山よりの都道沿いにあります。創建については不詳ですが、明治初期に、それぞれ私宅に祭ってあった神々を合祀して設立したのが堂山神社です。様々な神様を合祀していますが、この中に阿豆佐和気命が入っていないのが興味深いです。平成4年の発掘調査では四面の銅製和鏡や銅銭などが発掘されました。この和鏡については、12世紀後半か、13世紀前半から約300年に渡って祭祀のためにつかわれたと推定されています。これまでに発見された多くの和鏡などは、利島村郷土資料館で展示されています。

利島村役場 産業観光課HPより
https://www.toshimamura.org/tourism/watch/shrine.html

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

・阿豆佐和気命神社の御神体山「宮塚山」

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・山廻り

山廻り

正月三が日は、山廻りの日です。山廻りとは、米とお神酒を持って、一番神様、二番神様、三番神様の順に参拝して、お供えをします。南ヶ山貯水池の手前約100mのところにある阿豆佐和気命本宮が、一番神様。ここから少し歩いたところにある大山小山神社が二番神様。三番神様である下上神社はウスイゴウ園地の下にあり、阿豆佐和気命の妃を祀っています。正月三が日に行われる山廻りは、昔ながらの島の生活と素朴な信仰をたどる道ともいえるでしょう。昔はみんな歩いて廻ったものですが、今では自家用車でお参りする人がほとんどになりました。

利島村役場 産業観光課HPより
https://www.toshimamura.org/tourism/watch/shrine.html

利島阿豆佐和気命本宮境域

利島阿豆佐和気命本宮境域

東京都指定史跡

利島(としま)阿豆佐和気命本宮(あずさわけのみことほんぐう)境域

所在地 利島村南御神山

指 定 昭和六二年二月二四日

 島の中央に屹立する宮塚山(標高五〇七・五m)の南麓にある二つの神社のうち、西側の表登山口にあるのが阿豆佐和気命神社本宮、東側が大山小山神社、そして東麓の裏参道にあるのが下上神社です。
現在集落の西にある阿豆佐和気命神杜は、参詣に不便なため、またこの集落の鎮護のためここへ遷宮されました。御神体は宮塚山そのものです。

阿豆佐和気命本宮は、一番神と呼ばれ、小祠の後方には阿豆佐和気命(事代主の子)の墳墓との伝承をもつ積石遺構があります。のちにこれは中・近世の祭遺構であることが判明しました、大山小山神杜は、山と海をを支配する大山祇命(伊邪那岐命の子)で、二番神または山神様と呼ばれています、下上神社の祭神は下上御方(阿豆佐和気命の妃)で三番神であり、下山した者が安全無事であったお礼に参拝する習わしがあります。島民の信仰の歴史を知る上で、重要な史跡です。

平成二三年三月 建設 東京都教育委員会

阿豆佐和気命本宮 社頭案内板より

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     阿豆佐和氣命の陵墓(あずさわけのみこと みささぎ)
一番神様・阿豆佐和気命本宮(あずさわけのみこと ほんぐう)
二番神様・大山小山神社(おおやまこやまじんじゃ)
三番神様・下上神社(おりのぼりじんじゃ)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

東海汽船 利島港から阿豆佐和気命神社を経由して 約950m 行きの上り 徒歩での所要時間20~30分程度

・阿豆佐和気命神社(利島村)については こちらの記事を参照

一緒に読む
阿豆佐和気命神社(利島村一番地)〈『文徳實録』『延喜式』阿豆佐和氣命神社〉

阿豆佐和気命神社(あずさわけのみことじんじゃ)は 利島の山の南側に阿豆佐和気命〈本宮〉 東側に姫神の下上命が鎮座しています 参拝の不便から村落内に夫妻を祭神として分祀遷座したとされます 『文徳實録』には「阿豆佐和氣命神」『延喜式』に伊豆國賀茂郡 阿豆佐和氣命神社(あつさわけのみことの かみのやしろ)と所載されます

続きを見る

阿豆佐和気命神社からは150mぐらいです

集落内で一番山よりの都道沿い

堂山神社(利島に参着

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手前には案内銘板には「堂山神社境内祭祀遺跡」について 多量の銅鏡が出土した事が記されています

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○ 堂山神社の古鏡

 本社所蔵の銅鏡 18 面のうち 10 面は室町時代の古鏡といわれ、いずれも都の文化財に指定(昭和 33 年 10 月 7 日)されている。この一小島からこのような多数の古鏡が発掘されたことのうらには、何か歴史のなぞが秘められているようである。

『管内概要』令和2年版 東京都大島支庁p98より抜粋

向って左手に手水舎 正面に鳥居が建ちます

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手水舎です

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反対側には古い手水鉢「寛政元年」(1789年)の刻字があります

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一礼をして鳥居をくぐり抜けて参道を進みます

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境内の参道には 玉石〔海岸から運ばれた玉石〕が敷き詰められています

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社頭 参道は東向きですが 社殿は北向きです

拝殿にすすみます

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拝殿の扉を開くと 4つの本殿が並んでいました

前田嘉衛門邸に奉斎されていた 神明社〉
前田栄右衛門邸に奉斎されていた 神宮寺社
梅田三郎右衛門邸に奉斎されていた 熊野三社
梅田太郎衛門邸に奉斎されていた 第六天社第六天神

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿のすぐ右横に 玉石で円(サークル)が造られ その中央に御幣がたてられています
何を祀るものなのでしょうか?

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社殿に一礼をして 玉石の敷詰められた参道を戻ります

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参道の途中にある 円柱は 折れた鳥居の台座かと想いましたが 幟旗の台座のようでした

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社頭には 都道とは別に 南方向(宮塚山の方向)へと石畳みの道が伸びていて 何処に行くかは 地図にも載っていませんが もしかすると「山廻り」の道かもしれないと 進んでみることにしました

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阿豆佐和気命神社本宮へと向かいます

この続きは 下記の記事にて

・阿豆佐和気命神社本宮(利島村)については こちらの記事を参照

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『伊豆七島志』巻上1901年〉に記される内容

【抜粋意訳】

堂山神社

社域六百坪官有地

【原文参照】

秋山章, 萩原正夫 纂輯『伊豆七島志』巻上,萩原正夫,1901. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991431

堂山神社(利島 (hai)」(90度のお辞儀)

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