実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

天神神社(美濃加茂市下米田町西脇)〈『延喜式』中山神社〉

天神神社(てんじんじんじゃ)は 延喜式内社 美濃国賀茂郡 中山神社(なかやまの かみのやしろ)の論社の一つで 「下米田町エリアにある天神(てんじん)の名を持つ古い神社」として 諏訪神社(山本入会地)・中山神社(信友)とともに論社に挙げられ 比定地をめぐる見解は分かれています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

天神神社(Tenjin shrine)

【通称名(Common name)】

天神様(てんじんさま)

天神社(てんじんしゃ/あまつかみのやしろ)

【鎮座地 (Location) 】

岐阜県美濃加茂市下米田町西脇698番地

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天神大神(てんじんおほかみ)
   天照大御神(あまてらすおほみかみ)
   須佐之男命(すさのをのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

 

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社

【創 建 (Beginning of history)】

天神神社 (てんじんじんじゃ) 由緒由来  

創祀未詳なれども、棟札に、寛延四年六月奉修補天神一宇。宝暦十二年七月奉造立天神一宇。美濃神明帳に記載有り。天神社なり。祭神不詳なりと雖も、御王彦神と云ふ説あれ共、往古より該社を天満とは更に不云天つ神とのみ申す。
又 天神七代の神を奉斎なしたるものかとも古老の口碑之有り。隣村に至る迄古き宮と申し伝へ来る社にて、古来村社とす。

岐阜県神社庁HPより
https://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=2429

【由 緒 (History)】

『美濃国加茂郡誌』〈大正10年〉に記される内容

【抜粋原文】

【村社 天神神社】帳内

 下米田村大字西脇字田中浦〔境内三百九十八坪〕

祭神
 詳ならず。

由緖
 美濃國神名帳に賀茂郡從五位下 御玉彦明神とあり。祭神は詳ならずと雖も御玉彦神と云ふ説もあり。

往古より此社を 天満とは稱へず 天の神とのみ云ひ、里老の口碑に隣村に至るまで古き宮なりと云ひ傅ふ。 

【原文参照】

岐阜県加茂郡 編『美濃国加茂郡誌』,岐阜県加茂郡,大正10. 国立国会図書館デジタルコレクション  https://dl.ndl.go.jp/pid/965672

【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・〈境内社〉山神神社

【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

【この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)】

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています

・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)美濃國 39座(大1座・小38座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 9座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 中山神社
[ふ り が な ](なかやまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Nakayama no kaminoyashiro)

【原文参照】

[件名・細目]「延喜式 巻10」(特026-0001-0005)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/item/4028148

【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 美濃國賀茂郡中山神社(なかやまの かみのやしろ)の論社

延喜式内社「美濃國賀茂郡 中山神社(なかやまの かみのやしろ)」の論社は、次の3社です。

・諏訪神社(美濃加茂市下米田町山本入会地)

式内社「中山神社」の論社をめぐっては、当社が後身、とされる説が有力です

一緒に読む
諏訪神社(美濃加茂市下米田町山本入会地)〈『延喜式』中山神社〉

諏訪神社(すわじんじゃ)は 岐阜県美濃加茂市下米田町に鎮座 延喜5年(905)「中山社」として創祀 延喜式内社 美濃国賀茂郡 中山神社(なかやまの かみのやしろ)の後身と伝わります 戦国時代の兵火で焼失後 同じ場所で再建したと伝わり 信州諏訪明神を勧請して諏訪社と称し 現社名に改めたと云う 明治6年郷社に列せられました

続きを見る

・中山神社(美濃加茂市下米田町信友)

現在も「中山神社」の名を伝える神社ですが、(下米田町山本の諏訪神社)とは別の神社ですのでご注意ください。江戸時代には「天神社」とも呼ばれていたと伝わります。

一緒に読む
中山神社(美濃加茂市下米田町信友)〈『延喜式』中山神社〉

中山神社(なかやまじんじゃ)は、岐阜県美濃加茂市下米田町信友に鎮座 延喜式内社 美濃国賀茂郡 中山神社(なかやまの かみのやしろ)の論社の一つで 諏訪神社(山本入会地)・天神社(西脇)も論社に挙げられ 比定地をめぐる見解は分かれています 鍛冶の神・金山彦命を祀り 地名「信友」には鍛冶職人の伝承が伝わっています

続きを見る

・天神社(美濃加茂市下米田町西脇)※当記事でご紹介している神社です。

下米田町西脇に鎮座する天神社も、「下米田町エリアにある天神(てんじん)の名を持つ古い神社」として 中山神社の論社の一つとして挙げられています。

一緒に読む
天神神社(美濃加茂市下米田町西脇)〈『延喜式』中山神社〉

天神神社(てんじんじんじゃ)は 延喜式内社 美濃国賀茂郡 中山神社(なかやまの かみのやしろ)の論社の一つで 「下米田町エリアにある天神(てんじん)の名を持つ古い神社」として 諏訪神社(山本入会地)・中山神社(信友)とともに論社に挙げられ 比定地をめぐる見解は分かれています

続きを見る

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR高山本線 古井駅から北東方向へ約2.8km 車での所要時間5~8分程度

美濃加茂市立下米田小学校の北200m程の所 下米田町西脇に入って 東海環状自動車道(R475号)の高架下に「稲荷塚古墳」があります
説明板が無くよくわかりませんが 弥生土器の出土があったらしく 古くから人の息吹が感じられます

Please do not reproduce without prior permission.

この「稲荷塚古墳」は 天神神社(美濃加茂市下米田町西脇)のすぐ南隣にあります
天神神社 (てんじんじんじゃ)の由緒由来 には
「創祀未詳なれども、・・・〈中略〉・・・又 天神七代の神を奉斎なしたるものかとも古老の口碑之有り。隣村に至る迄古き宮と申し伝へ来る社にて、古来村社とす」とあります

つまり 「稲荷塚古墳」の存在は 「隣村に至る迄古き宮と申し伝へ来る」 との古老の口碑を裏付けるような 古くから栄えていたであろう この場所の歴史を語っています

天神神社(美濃加茂市下米田町西脇)は
延喜式内社 美濃国賀茂郡 中山神社(なかやまの かみのやしろ)の論社の一つで 「下米田町エリアにある天神(てんじん)の名を持つ古い神社」として 諏訪神社(山本入会地)・中山神社(信友)とともに論社に挙げられています

境内の西角には社号標があり「村社 天神社」とあります 由緒にある「天神七代の神を奉斎なしたるものかとも古老の口碑之有り」を考慮すると おそらく「あまつかみのやしろ」と考えられているのであろうと推測します

Please do not reproduce without prior permission.

天神神社(美濃加茂市下米田町西脇)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

社殿 境内 社頭は南向きです
一礼をしてから 鳥居をくぐり抜けて 境内へ進みます

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

境内の東側から 拝殿と幣殿を見ます

Please do not reproduce without prior permission.

さらに 幣殿の奥には 石垣で高く台座が造られていて その上に本殿が祀られています

Please do not reproduce without prior permission.

写真では 蔭になってしまって わかりづらいのですか 車と本殿の間の鎮守の杜の中(本殿の向かって右側の木立の中)に〈境内社〉の祠が一つ祀られています おそらく〈境内社〉山神神社であろうと思います

Please do not reproduce without prior permission.

真横から見た社殿です

Please do not reproduce without prior permission.

【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

祭神・位階・類社などについての具体的な記載はなく、鈴鹿連胤の考証段階では、この社がどの現存社にあたるかを特定するには至っていなかったことがうかがえます。

【抜粋(原文のまま)】

中山神社

考證、云中山祇、國帳云、仲山明神

【現代語訳(要旨)】

式内社「中山神社」について、考証によれば「中山祇」と呼ぶとされ、美濃国内神名帳(国帳)には「仲山明神」と記されている、という短い注記のみが載せられています。

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

※神社覈録(1870年)は比定地を明示していませんが、神祇志料(1876年)は中山神社の所在地を信友村と明記しています。
後の明治神社誌料(1912年)も、信友村の支村・中山にある天神社を式内「中山社」の候補の一つとして挙げています。

なお、ここに云う信友村の中山神社(中山天神)は、中山神社(美濃加茂市下米田町信友)です。

【抜粋(原文のまま)】

中山(ナカヤマノ)神社、

今 米田庄中山郷信友村に在り、中山天神と云ふ、『尾張藩申出書』

【現代語訳(要旨)】

中山神社は、現在の米田庄中山郷信友村(現在の美濃加茂市下米田町信友にあたる)にあり、「中山天神」と呼ばれている、としています。この記述は『尾張藩申出書』という史料に拠るものと注記されています。

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

神祇志料には「尾張藩申出書」、特選神名牒には「旧尾張藩神社取調帳」という、いずれも尾張藩に由来する書名が典拠として挙げられていますが、両者が同一の史料を指すかどうかは確認できていません。

なお、ここに云う中山神社は、中山神社(美濃加茂市下米田町信友)であり、「金山毘古命」はその御祭神「金山彦命」の異表記です。

【抜粋(原文のまま・試読)】

中山(ナカヤマノ)神社

祭神
祭日
社格

所在

 今按、舊今尾張藩神社取調帳に、米田ノ庄信友村にあり、中山天神と稱す、東は和知村中山の郷、西は信友村中山の郷にして 其中間にあり、里老の口碑に、古へ中山邨と稱し 中世 紀村となりしとき 東郷は和知に属して和知中山と云ひ 西の郷を信友邑に属して信友中山と云と云り、又、昔一人の鍛工あり、信友と云 中山金神に誓ひて 太刀を鍛ふの精妙を得たり 仍て村名とすと云り、もしくは祭神 金山毘古命ならんと云る由ありて聞ゆれば 此と定めて記せり

【現代語訳(要旨)】

中山神社は、旧尾張藩神社取調帳によれば米田庄信友村にあり、「中山天神」と称する。
もとは東を和知村中山の郷、西を信友村中山の郷とする、その中間にあった。古老の言い伝えによれば、古くは「中山邨」と呼ばれていたが、中世に村が分かれた際、東郷は和知に属して「和知中山」と呼ばれ、西郷は信友邑に属して「信友中山」と呼ばれるようになったという。

 また、昔ひとりの鍛冶職人がおり、信友という人物が「中山金神」に誓いを立てて太刀を鍛え、その技を極めたことから、これを村名にしたとも伝える。あるいは、祭神は金山毘古命ではないかという説が聞こえることから、それをもってここに定めて記す、としています。

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

天神神社(美濃加茂市下米田町西脇)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

美濃国 式内社 39座(大1座・小38座)について に戻る

一緒に読む
美濃國(みののくに)の 式内社 39座(大1座・小38座)について

美濃国(みののくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 美濃国には 39座(大1座・小38座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています