実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

天神社(京田辺市松井向山)〈『延喜式』天神社〉

天神社(てんじんじゃ)は 社伝によると もとは松井交野ヶ原(かたのがはら)に創祀されたものを現在の地 松井向山に遷座したと云う 明応2年(1493)に社殿が造営された記録も残っています 延喜式内社 山城國 綴喜郡 天神社(あまつかみのやしろ)の論社です

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

天神社(Ten shrine

通称名(Common name)

松井天神社(まついてんじんじゃ)

【鎮座地 (Location) 

京都府京田辺市松井小字向山1番地

〈旧住所 京都府綴喜郡田辺町松井向山1〉

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》伊弉諾命(いざなぎのみこと)
   天照大神(あまてらすおほみかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

 ・厄除け開運・交通安全

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

天神社(てんじんじゃ)

 京田辺市松井向山一番地

伊弉諾命(いざなぎのみこと)と天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつる、式内社である。

社伝によると、もとは松井交野ヶ原(かたのがはら)に創祀されたものを現在地に移したという。長岡京に遷都の翌年の延暦四年(七八五)桓武天皇が天神を交野柏原にまつったことが『続日本紀(しょくにほんぎ)』にみえる。この交野は現在の枚方市樟葉の交野天神社であるとされるが、ここ松井にも交野ヶ原・柏原の地名があり、社伝との関係が注目される。江戸時代は、神宮寺の中性院によって管理されていた。

 現在の本殿(京都府登録文化財)は、江戸時代中期の享保二年(一七一七)に、それまで二棟であったものを一棟にしたもので、山城地方では例の少ない二間社として貴重である。装飾が堂々かつ奔放で庇(ひさし)・(つま)の虹梁(こうりょう)等の絵様の渦は幅が広く活気がある。

 平成四・五年(一九九二・九三)に屋根をもとの檜皮葺に戻し彩色の修理も行い、かつての姿がよみがえった。

例祭

 十月十五日
 宵宮は松井祭太鼓が奉納される。

京田辺市
京田辺市文化財保護審議

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

【由  (History)】

中性院跡ちゅうせいいんあと)

 京田辺市松井向山一番地

 本院は式内社天神社の神宮寺として建立されたものである。建立の時代、開基、沿革等明かにしないが、明応二年(一四九三)すでに天神社に付属していたという。

 天正六年(一五七八)竹島和泉が再興。万治三年(一六六〇)高雄山地蔵院の末寺となった。江戸時代の文書には龍王寺観音寺中性院あるいは龍王山中性院とみえ、真言宗に属していた。

 明治になって天神社の神宮寺から分離され、明治四年(一八七一)に廃寺になった。現在、天神社に不動明王、歓喜天、役行者等の諸造が残されている。

京田辺市教育委員会
京田辺市文化財保護委員会

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

天神社 本殿

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

天神社 拜殿

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

天神社 社殿

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・〈本殿向って右 境内社〉三社相殿〔(向って左から)熊野神社・松尾神社・稲荷神社〕

Please do not reproduce without prior permission.

・三社相殿〔(向って左から)熊野神社・松尾神社・稲荷神社〕

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・〈本殿向って左 境内社〉二社相殿〔(向って左から)八幡神社・春日神社〕

Please do not reproduce without prior permission.

二社相殿〔(向って左から)八幡神社・春日神社〕

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・〈境内社〉愛宕神社

Please do not reproduce without prior permission.

・〈境内社〉秋葉神社

Please do not reproduce without prior permission.

・〈境内社〉山神社

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・明治神宮遥拝所

Please do not reproduce without prior permission.

・〈境内社〉厳島神社・水分神社

Please do not reproduce without prior permission.

・〈社務所に張られていた〉服忌表(ぶっきひょう)

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)綴喜郡 14座(大3座・小11座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 天神社
[ふ り が な ](あまつかみのやしろ)
[Old Shrine name]Amatsukami no yashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 山城國 綴喜郡 天神社(あまつかみのやしろ)の論社について

・天神社(京田辺市松井向山)

一緒に読む
天神社(京田辺市松井向山)〈『延喜式』天神社〉

天神社(てんじんじゃ)は 社伝によると もとは松井交野ヶ原(かたのがはら)に創祀されたものを現在の地 松井向山に遷座したと云う 明応2年(1493)に社殿が造営された記録も残っています 延喜式内社 山城國 綴喜郡 天神社(あまつかみのやしろ)の論社です

続きを見る

・朱智神社(京田辺市天王高ケ峯)

一緒に読む
朱智神社(京田辺市天王高ケ峯)〈『延喜式』朱智神社・天神社〉

朱智神社(しゅちじんじゃ)は 社伝では 仁徳天皇のとき現在地より西方の西峰頂上に創建され 宣化天皇元年(五三五)天王号を付け「朱智天王」と称し 桓武天皇のとき神託に依り今の地に遷ったとされます 現在 二つの式内社〔山城國 綴喜郡①朱智神社(すちの かみのやしろ)②天神社(あまつかみのやしろ)〕の論社となっています

続きを見る

・棚倉孫神社(京田辺市田辺棚倉)

一緒に読む
棚倉孫神社(京田辺市田辺棚倉)〈『延喜式』棚倉孫神社〔大 月次新嘗〕・天神社〉

棚倉孫神社(たなくらひこじんじゃ)は 社伝に推古天皇31年(623)相楽郡棚倉ノ庄より高倉下命を勧請とあり 『三代實録』貞観元年(859)正月27日条「棚倉孫神」に従五位上を叙す 又二つの式内社 山城國 綴喜郡(①棚倉孫神社〔大月次新嘗〕(たなくらひこの かみのやしろ)②天神社(あまつかみのやしろ)の論社です

続きを見る

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR学研都市線 松井山手駅から府道735号経由で北へ約1.9km 車での所要時間は5~6分程

松井まつい集落の西端 山裾の小高い所にあります

西側の参道から進みます

Please do not reproduce without prior permission.

参道を進んでいくと 案内板があり 社殿の向かって右上に出ました

Please do not reproduce without prior permission.

天神社(京田辺市松井向山に参着

Please do not reproduce without prior permission.

東向きに建てられている

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿内には 拝殿の新築時の記念写真と思われる「拝殿」「本殿」の写真がありました

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

拜殿の奥に本殿が鎮座します

Please do not reproduce without prior permission.

本殿は それまで二棟だったものを享保二年(1717)一棟〔二扉〕にして建立したものと伝わります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

色 檜皮葺の二間社流造 鮮やかな彩色が施されています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして 拝殿から出ると 東方向へと参道が続いています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

延喜式内社 山城國 綴喜郡 天神社について 所在は゛普賢寺庄天王村に在す、゛〈現 朱智神社(京田辺市天王高ケ峯)〉と記しています

別説として゛各勝志云、土人稱ニ 菅原天神〈現 天神社(京田辺市松井里ケ市)〉を挙げています

【抜粋意訳】

天神社

天神は阿麻都加美と訓べし、下なる地祇神社に対へたるべし

○祭神詳ならず、比保古云、天照大神也といふは信がたし、

○普賢寺庄天王村に在す、

 各勝志云、土人稱ニ 菅原天神、疑  神名帳所載 天神社乎、」尤然り、

類社
 安房國 朝夷郡、備前国 卸野郡 天神社、(各一座)
 武蔵国 多摩郡 布多天神社、大麻止乃豆乃天神社、阿豆佐味天神社、穴沢天神社、同國 入間郡 物部天神社、
 土佐國 長岡郡 豊岡上天神社、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

延喜式内社 山城國 綴喜郡 天神社について 所在は゛ 松井村字交野原にあり゛〈現 天神社(京田辺市松井里ケ市)〉と記しています

【抜粋意訳】

天神社

 松井村字交野原にあり、〔山城式社考徴、式社考証、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815493

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

延喜式内社 山城國 綴喜郡 天神社について 所在は゛松井邑(綴喜郡大住村大字松井)゛〈現 天神社(京田辺市松井里ケ市)〉と記しています

【抜粋意訳】

天神社

祭神

社格 

所在 松井(綴喜郡大住村大字松井)

 今按 山城志在 天王村 普賢寺莊十村 相共祭とあるを

に在 松井之をアメノミヤと云なり其證は古今和歌集に あめの宮に衣笠を歩むと顔をかけて遅く仕りつるほどに神のしめし玉ひけるとなむにきく 衣笠 またみねば待つ ふるあめの宮には 之を以て考るに 松井と云名は アメノミヤの話にて アマツミヤと云ことの省かりしなるべし 邑人云 今神のす山の南を天の云ひ 北を天の山と云るにつき 猶よく問たるに古くよりかく云たること明な彌此神社になることを確定すと云ひ 土人は此の歌延暦四年十一月甲寅 天神於交野柏原 とあで天神社なりと云り 京都形式に上件の説 信用し難きたれど 此天神鎮座ノ岡 近く河内國交野郡に接し 此地 最秀景にしてに衣笠山を望めば所謂 あめの歌 茲に於て作れることを相像し  交野とするは河内交野より出たれと古今廣くを交野とせしと知られたれば 此地に天神祭れることすべしとみえ 當社祠掌の上申にも社地を交野原と云ひ 其一町西の方に往古より中田九畝九歩柏原と云慮あるあるもやや證すべし故今之に従ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

天神社(京田辺市松井向山 (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

山城国 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)

一緒に読む
山城國 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)

山城国(やましろのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 山城国 の122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)の神社のことです

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています