実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

一宮浅間神社(市川三郷町)

一宮浅間神社(いちみやあさまじんじゃ)は 地元の言い伝えによれば 貞観6年(864)に始まった富士山の大噴火の時に 浅間の神である 木花咲耶姫命を 現鎮座地の南方にある正体山に噴火の難を逃れるために遷ったのが始まりと伝わります 明治27年(1894)鳥居原狐塚古墳市川三郷町大塚から中国の呉の年号である赤烏元年(238年)の銘がある銅鏡「神獣鏡」1面が出土し奉納され 国の重要文化財に指定(現在東京国立博物館展示)されています

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1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

一宮浅間神社Ichimiya asama Shrine)
いちみやあさまじんじゃ

 [通称名(Common name)]

いちのみや

【鎮座地 (Location) 

山梨県西八代郡市川三郷町高田梅ヶ入3696

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》木花咲姫命Konohanasakuyahime no mikoto)

相殿
《合》瓊瓊杵尊Ninigi no mikoto)
   彦火火出見尊Hikohohodemi no mikoto)
   事解男命Kotosakao no mikoto)〈昭和46年 熊野神社より合祀〉
   速玉男命Hayatamao no mikoto)〈昭和46年 熊野神社より合祀〉
   伊邪那美命Izanami no mikoto)〈昭和46年 熊野神社より合祀〉

【御神格 (God's great power)】

・火防 Fire protection
・安産 Healthy childbirth
・厄祓 Prayer at an age considered a milestone in life
・家内安全 Pray to God that the home is peaceful
・商売繁昌 Pray to God that the business will flourish
・操の神さま God of chastity

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社(名神大)〈論社〉

【創  (Beginning of history)】

神社配布紙より抜粋

由緒

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平安時代の貞観(じょうかん)6年(864)富士山が大爆発した時と、その麓のかくれみやにおいでになった木花咲邪姫命は、急いで女神や武士を従えて西北の方へ逃げられ難をのがれ 小高い山を宿にされた。

高田村旧誌によると、「正体山は隔絶した山にして、大明神、また神官の御衣(みそ)祭の所、御衣壺等いたく各所これにあり、高さおよび78町望遠自山の地にして神木(さかき)相生し・・・」

また『景行天皇の時、富士山の亥(いぬい)の方角に当たり、浅間大神、その山に出現、光彩を発し給う。この山に大神を祀(まつ)り正体山と称す』とあります。 人々は、それ以後、小高い山を正体山と言うようになった。
姫をさがしていた人々は、早速 麓の丘にお連れして神社を建てお祠りをしたのが一宮浅間神社です。
・・・・・・
・・・・・・

【由  (history)】

由緒沿革:清和天皇の貞観七年(八六七年)十二月富士山噴火の翌年、勅命により 現在の社殿の南の正躰山に大社を祀ると伝へられ
棟札に延長二年十月とあり、天正の乱を経て一時廃絶に近きこともあったが 徳川時代は社領、助光の古刀などの寄進があり末社六十余社に及んだ。
現在の社殿(楼・拝殿・本殿)は元禄五年に計画を立て同十七年(一七〇四年)に完成遷宮した旨の棟札が残されてゐる。
一、 銅鏡「神獣鏡」・・・・・国指定の文化財(現在東京国立博物館展示)
一、 銅鏡「内行花文鏡」・・・県指定の文化財
一、 アカマツ林 ・・・・・・県指定の自然記念物があり、
境内には県内十三ヶ所の生祠(せいし)が確認されてゐる うちの三人(荒井寄与兵衛顕道・依田十左得門安清・伴秋吉)が神と崇められ祀られてゐる。

山梨県神社庁HPより

一之宮 浅間神社(あさまじんじゃ)

旧村社の浅間神社は、貞観6年(864)富士山大噴火の翌年12月、勅命により、正体山に浅間大社を祀り官社に列せられたのを 延長2年(924)10月現在地に遷宮しました。

西面する表参道に添って、室町時代の作と伝えられる木像を配する随神門、多くの絵馬が奉献されている拝殿、その奥に木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を中心に瓊々杵尊(ににぎのみこと)、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)を配祀する流し造りの本殿が直列式に並んています。

2.7ヘクタールの境内には、県指定の自然記念物の根上がりの松を含めてのアカマツが聳(そび)え、ツツジの名所でもあります。

境内には、高田村名主 依田重左衛門安清の「宣旨浄徳霊祥」。市川代官 荒井清兵衛顕道の二体の生祀をはじめ多くの社が合祀されていて、高天原(たかあまはら)の伝説の高台もあります。

社宝には、「赤烏(せきう)元年5月25日」銘記の国の重文「四神四獣」の銅鏡、県指定の和鏡 徳川家康奉納の助光の太刀などがあり、祭典の11月3日には盛大な御神興の渡御があり、5月の第2日曜日には、つつじ祭が行なわれます。   山梨県・市川三郷町

現地案内看板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

名主 依田重左衛門安清を祀った生祠 など

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(engishiki jimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐国 20座(大1座・小19座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)八代郡 6座(大1座・小5座)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 ] 淺間神社
[ふ り が な  ](あさまの かみのやしろ)
[How to read ]Asama no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)の論社について

甲斐国Kai no kuni) 八代郡Yashiro no kori)
 淺間神社Asama no kamino yashiro)名神大社 の論社

文献記録に残る富士山噴火のうちで最大規模とも言われる「富士山の貞観大噴火」貞観6年(864年)~貞観8年(866)の噴火活動の中で
『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』(延喜元年(901年)成立)によれば 貞観7年12月9日(865)朝廷は 甲斐国司に対して 浅間神社の神を奉じて 鎮祭するよう命じています
12月9日の条では 八代郡に「浅間明神 祠一」とあり

12月20日の条では 山梨郡に「浅間明神一」を八代郡と同に祀るとあります

この解釈は 様々な説があり それに伴って 式内社の論社が多数あります

浅間神社 (笛吹市)  &山宮神社(旧鎮座地 

論社
浅間神社 (笛吹市)&山宮神社(旧鎮座地)

浅間神社(あさまじんじゃ)は 社伝によれば 第11代 垂仁天皇8年(約2000年前)山宮神社(現摂社)の地に3柱の神を祀り創始し 後に富士山の貞観大噴火の時に 鎮火の神「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」1柱を現在地に遷座して創建〈貞観7年(865)〉と伝 国府も近く 甲斐國一之宮とされ『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の 名神大社の論社でもあります

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河口浅間神社富士河口湖町 

論社
河口浅間神社(富士河口湖町)

河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)は 貞観6年(864)に始まった富士山の大噴火〈貞観の大噴火〉を鎮めるために 勅命により 甲斐国に浅間名神を祀ることになったのが創始とされています この大噴火では 富士山の北麓にあった広大な湖「剗の海(セノウミ)」の大半(現在の青木ヶ原樹海)が 溶岩で埋め尽くされて 西湖と精進湖が僅かに 現在に残ったとされています

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・一宮浅間神社市川三郷町 

論社
一宮浅間神社(市川三郷町)

一宮浅間神社(いちみやあさまじんじゃ)は 地元の言い伝えによれば 貞観6年(864)に始まった富士山の大噴火の時に 浅間の神である 木花咲耶姫命を 現鎮座地の南方にある正体山に噴火の難を逃れるために遷ったのが始まりと伝わります 明治27年(1894)鳥居原狐塚古墳(市川三郷町大塚)から中国の呉の年号である赤烏元年(238年)の銘がある銅鏡「神獣鏡」1面が出土し奉納され 国の重要文化財に指定(現在東京国立博物館展示)されています

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青沼浅間神社(甲府市) 

論社
青沼浅間神社(甲府市)

青沼浅間神社(あおぬませんげんじんじゃ)は 社伝によれば「貞観7年 平安初期 西暦865年に山梨郡 稲門東青沼村 現在地に建立す」とあります 延喜元年(901年)成立の『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』に記されている「山梨郡に祀られた浅間明神」とされています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社でもあります

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

市川大門駅から 県道4号経由南下 約1km 徒歩15分程度
一宮浅間神社Ichimiya asama Shrine)に参着

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正面の社号標には「一宮淺間神社」とあり 朱色の両部鳥居からは 階段状に参道が杉の大木の中を続いています
一礼をして 鳥居をくぐります

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社殿は西を向いて建てられていて この参道は北西方向から南東へ向かっていて 社殿の前に建てられている神門に通じています

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神門の建つ境内地の後ろは 更に一段高くなっていて 社殿が建っています

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社殿正面の西からの参道もあり こちらから神門方向を見ると 社殿の右手には 朱色の鳥居が建ち 階段の上に境内社の祠が一つ見えています

一礼をして神門をくぐり
拝殿にすすみます 

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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先程の見えていた社殿向かって右手の朱色の両部鳥居から階段を上がり境内社にお詣りをします 本殿よりも高台に祀られていますが 御祭神などはわかりません

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社殿の奥に見難いのですが 本殿が建っています
社殿の周りには 沢山の石祠などが並んでいます

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中でも「生祠」とされる2つの祠にお詣りをします
依田重左衛門安清を祀った生祠

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荒井清兵衛顕道を祀った生祠

境内を戻ると 神門の先には 西方面の山々(南アルプス)が望めます

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神門をくぐり抜けて 振り返り一礼をします

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』に記される 富士山の貞観大噴火伝承

貞観6年(864)に始まった富士山の大噴火を鎮めるために 甲斐国に浅間名神(Asama myojin)を祀ることになる経緯が記されます

・貞観6年5月25日(864年7月2日)には  駿河国の報告
・貞観6年7月17日(864年8月22日)には 甲斐国の報告

双方ともに 富士山の貞観大噴火の凄まじさが伝わってきます

・貞観6年8月5日(864年9月9日)には 国司の報告を受けて

朝廷が 富士山の噴火を占ったところ 駿河国 浅間神社の禰宜等が勤めを怠ったためと出ます これによって甲斐国の国司に対して 浅間名神を祀って神の怒りを解けと命じます

これが 勅命により鎮火の神として 浅間名神(Asama myojin)を この甲斐国に奉斎した「浅間名神の祠」が起源となります

意訳

貞観6年5月25日の条 駿河国言へらく駿河国の報告

富士郡の正三位 浅間大神の大山(富士山)に火があり
その勢いは甚だ激しく 1~2里四方の山を焼き尽くしました 光炎(火炎)は20丈の高さに及び 雷が有り 地が震えること(地震)が3回あった
10日余り経過しても 火の勢いは不滅です 巌(岩)を焦がし峰を崩し 砂や石が雨が降るごとし 煙や雲が鬱々と立ち込めて 人は近づくことができません
大山(富士山)西北にある 本栖水海(本栖湖)に 焼けし巌石(溶岩)が流れ込んで海の中に埋もれ 焼け石(溶岩)の流れは長さ約30里あまり 広さ3~4里 高さ2~3丈に及びます やがて火焔は遂に 甲斐国との境に達しました

貞観6年7月17日の条 甲斐国言へらく甲斐国の報告

駿河国の富士大山が たちまち爆火(大噴火)しました
峰を焼き砕き 草木は 焦がれて死にました(焼かれて死んだ)
土や石くれが溶けて流れて 八代郡の本栖(本栖湖)と剗の海を併せて埋めました 海水(湖水)は 熱湯の如くなり 魚や亀は 皆 死にました

百姓の居宅(民家)は 海(湖)と共に埋まり 或いは 家が有っても人は無く そのような数は 書き難いほどです

両方の海(湖)より東にも海があります 名は 河口海(河口湖)というが 火焔は 河口海(河口湖)に赴いています

本栖(本栖湖)剗などの湖が 焼け埋まる前には 大振動(大地震)して 雷電と暴雨 雲や霧が毎度あり 山と野も判然とせず しかる後に このような災異変が終焉とした

貞観6年85の条 甲斐国司に下知云ひけらく甲斐国司への命令)

駿河国 富士山に火ありて(噴火があり)彼の国が言上したので

これを蓍龜(シキ・亀卜)に決めると 云はく〈次の通りであった〉
「浅間名神(駿河国)の禰宜祝等が 斎敬を勤めざるの致しし所(祭祀の勤めを怠ったため)なり」と よって(神に)鎮謝すべき状況です
国(甲斐国)に告げ訖(オワ)んぬ
宜しく 亦 弊を奉りて(奉幣)解謝すべきなり(お詫びして神の怒りを解きなさい)

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

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一宮浅間神社Ichimiya asama Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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甲斐国Kai no kuni) 八代郡Yashiro no kori)
 淺間神社Asama no kamino yashiro)名神大社 の論社

浅間神社 (笛吹市)  &山宮神社(旧鎮座地 

論社
浅間神社 (笛吹市)&山宮神社(旧鎮座地)

浅間神社(あさまじんじゃ)は 社伝によれば 第11代 垂仁天皇8年(約2000年前)山宮神社(現摂社)の地に3柱の神を祀り創始し 後に富士山の貞観大噴火の時に 鎮火の神「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」1柱を現在地に遷座して創建〈貞観7年(865)〉と伝 国府も近く 甲斐國一之宮とされ『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の 名神大社の論社でもあります

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河口浅間神社富士河口湖町 

論社
河口浅間神社(富士河口湖町)

河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)は 貞観6年(864)に始まった富士山の大噴火〈貞観の大噴火〉を鎮めるために 勅命により 甲斐国に浅間名神を祀ることになったのが創始とされています この大噴火では 富士山の北麓にあった広大な湖「剗の海(セノウミ)」の大半(現在の青木ヶ原樹海)が 溶岩で埋め尽くされて 西湖と精進湖が僅かに 現在に残ったとされています

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・一宮浅間神社市川三郷町 

論社
一宮浅間神社(市川三郷町)

一宮浅間神社(いちみやあさまじんじゃ)は 地元の言い伝えによれば 貞観6年(864)に始まった富士山の大噴火の時に 浅間の神である 木花咲耶姫命を 現鎮座地の南方にある正体山に噴火の難を逃れるために遷ったのが始まりと伝わります 明治27年(1894)鳥居原狐塚古墳(市川三郷町大塚)から中国の呉の年号である赤烏元年(238年)の銘がある銅鏡「神獣鏡」1面が出土し奉納され 国の重要文化財に指定(現在東京国立博物館展示)されています

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青沼浅間神社(甲府市) 

論社
青沼浅間神社(甲府市)

青沼浅間神社(あおぬませんげんじんじゃ)は 社伝によれば「貞観7年 平安初期 西暦865年に山梨郡 稲門東青沼村 現在地に建立す」とあります 延喜元年(901年)成立の『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』に記されている「山梨郡に祀られた浅間明神」とされています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社でもあります

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甲斐国 式内社 20座(大1座・小19座)について に戻る       

一緒に読む
甲斐国 式内社 20座(大1座・小19座)について

甲斐国(かひのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 甲斐国の 20座(大1座・小19座)の神社です

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています