実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

高野神社(岩美郡岩美町延興寺)〈『延喜式』髙野神社〉

高野神社(たかのじんじゃ)は 延喜式内社 因幡國 巨濃郡 髙野神社(たかのの かみのやしろ)の論社 因幡誌に「昔 二上山の南の尾髙野坂にありしを中古この地に遷す」とあり 近世まで「鐘撞大明神」と称した 明治元年〈若一王子 國常立尊〉〈神明宮 天照大神〉〈八幡宮 誉田別命〉〈神位社 倉稲魂命〉の4柱を合祀し高野神社と改称

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

高野神社(Takano shrine

通称名(Common name)

近世まで鐘撞大明神(かねつきだいみょじん)」と称した

【鎮座地 (Location) 

鳥取県岩美郡岩美町大字延興寺69

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)

明治元年(1868)合祀
《合》國常立尊〈合祀 若一王子
   天照大神〈合祀 神明宮
   誉田別命〈合祀 八幡宮
   倉稲魂命〈合祀 神位社

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

式内村社 髙野神社

 岩美町大字延興寺字宮村 鎮座

 例祭日 四月九日

祭神
 瓊々杵尊 国常立尊 天照大神
 誉田別命 倉稲魂命

由緒

 当社は延喜式(西暦九二七)所載の小社なり因幡誌に「鐘撞大神祭神 瓊々杵尊この神社は昔 二上山の南の尾野坂にありしを中古この地に遷すという」と記されてあり。

 持宮神官 家世代帳に「人皇二十五 仁賢天皇御宇壬申年(西暦四九二)鐘撞大明神 稲葉郡小田谷に勧請有、高野郷惣産土神。宮平太夫」とあるも この世代書の根拠は何によってか詳でない。併し鳥取県神社年表に白河天皇(七十二代)承暦年(〇八〇)月因幡高野神、大江神、(郷社)伯耆倭文神(官幣社)大神山神(官幣社)坂神(郷社)の社等過って神事を穢すにうに依て崇給う使を遣し中祓を科せらる」と記されてありこれを考えれば古くより名だたる神社の中に数えられていたものと思われる 神社棟札に貞享元年(一六八四)月新殿一宇建立のものあり是は本願住村長郷村、池谷村、円江寺村、外村、大坂村、村中に不残とあり。 また宝永七年(一七一〇)月上家作立のもの。 宝暦年(一七五四月一宇建立のもの等前記七ヶ村の氏子があげられ次の安永年(一七七六月一宇建立になると住長郷はなく延興寺外村大谷大坂池谷唐川ヶ村より別の寄附の寄進あり。

 合祭の常立尊は元摂社若一王子と称し同村字釜戸に鎮座せられたるが明治元年 釜戸神と改称され本社に合祀する。棟札に承応年(一六五三月若一王子建立元禄十二年(一六九九月若一王子権現新設一宇建立文政12年(一八二九月神再興建立等あり。また末社 神明宮(祭神 天照大神)八幡宮(祭神 誉田別命)神位社(祭神 倉稲魂命なども併せ明治元年本社に合祀し高野神社と改称する。

昭和45年9月9日

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

【由  (History)】

野神社 由緒

『延喜式』神名帳(927)所載の神社で、近世まで鐘撞大明神と称した。

『因幡誌』に「二上山の南の尾、高野坂にありしを、中古此の地に遷す」と記されている。「白河天皇承暦四(1080)年六月の条に因幡国高野神…」と記されている。「貞享元(1684)年九月新殿建立」の棟札が現存。

国常立命はもと摂社で若一王子と称し、棟札に「承応二(1653)年八月若一王子建立」とあるが、 明治元年、釜戸神と改称した。また末社神明宮(天照大神)、八幡宮(誉田別命)、神位社(倉稲魂命)を合祀して山ノ神と称していたが、同年8月あらためて右四柱を本社に合祀し高野神社と改称した。

鳥取縣神社廳HPより抜粋
https://tottori-jinjacho.jp/pages/839/

『因幡誌』巻七に記される内容

挿絵は 現在とほとんど同様の社殿 境内 鳥居が書かれています

【抜粋意訳】

高野神社

 鐘撞大明神

巨濃郡延興寺 條下に詳記

【原文参照】

[安倍惟親 著]『因幡誌』巻七,因伯叢書発行所,大正8-13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1185215

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

野神社 本殿

Please do not reproduce without prior permission.

野神社 社殿

Please do not reproduce without prior permission.

野神社 拜殿

Please do not reproduce without prior permission.

・参道石段

Please do not reproduce without prior permission.

・御手洗水

Please do not reproduce without prior permission.

・境内

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・鳥居

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・全景

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈旧鎮座地〉二上山の南の尾 高野坂

『因幡誌』に「二上山の南の尾、高野坂にありしを、中古此の地に遷す」と記されている

二上山の南面に 高野坂と云う地名が残っており 古墳公園があります

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)因幡國 50座(大1座・小49座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)巨濃郡 9座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 髙野神社
[ふ り が な ](たかのの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Takano no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「髙野神社」について

延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「髙野神社」は 五か所あります

①延喜式内社 山城國 愛宕郡 出雲野神社
②延喜式内社 近江國 栗太郡 野神社
③延喜式内社 近江國 伊香郡 野神社
④延喜式内社 因幡國 巨濃郡 野神社
⑤延喜式内社 美作國 苫東郡 野神社

各々の論社について

①延喜式内社 山城國 愛宕郡 出雲髙野神社(いつもの たかのの かみのやしろ)の論社について

・出雲高野神社(京都市左京区上高野西明寺山)〈崇道神社 境内社〉

・御蔭神社(京都市左京区上高野東山)

一緒に読む
御蔭神社(京都府京都市左京区上高野東山)〈下鴨神社 境外摂社〉

御蔭神社(みかげじんじゃ)は 太古 賀茂の大神が降臨された所〈御生山(みあれやま)〉と所伝があり 現在でも 葵祭に先立って 祭神を降臨地である御蔭山から賀茂社へ迎える御生(みあれ)神事が行われています 綏靖天皇の御代(BC581)に創建起源とされ 二つの式内社〈①出雲髙野神社②小野神社二座 鍬靫〉の論社でもあります

続きを見る

・上御霊神社(京都市上京区上御霊竪町)

一緒に読む
上御靈神社(京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町)

上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)は 平安時代 御霊の祟りを恐れ 貞観5年(863)御霊会が修せられたのが 両御霊神社の創祀と云う 元は愛宕郡出雲郷の出雲路にある出雲氏の氏寺・上出雲寺に祀られた鎮守社 二つの式内社〈出雲井於神社(いつものゐのうへの かみのやしろ)出雲髙野神社(いつものたかののかみのやしろ)〉の論社です

続きを見る

・猿田彦神社(京都市上京区上御霊前町)

一緒に読む
猿田彦神社(京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊前町)〈平安京遷都を託宣せる神〉

猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)は 桓武天皇が この神の託宣により平安遷都を決意され 延暦12年(793)勅願によって社殿を造営と伝えます かつての広大な境内も 応仁の乱以後 度々火災に遭い悉く焼失 寛政5年(1793)現在地に遷座 延喜式内社 山城國 愛岩郡 出雲髙野神社(いつもの たかのの かみのやしろ)の論社です

続きを見る

②延喜式内社 近江國 栗太郡 髙野神社(たかのの かみのやしろ)の論社について

・高野神社(栗東市高野)

一緒に読む
高野神社(栗東市高野)〈『延喜式』髙野神社〉

高野神社(たかのじんじゃ)は 社伝に天智天皇の御代以降 高野造が地域一帯を開墾開発し 高野郷と名付けられ 和銅年間(七〇八~七一四)和同開珍」の鋳師 高野宿彌道経一族が住み それ等の人々の氏神として 祖先を祀ったと云う 延喜式内社 近江國 栗太郡 髙野神社(たかのの かみのやしろ)です

続きを見る

③延喜式内社 近江國 伊香郡 髙野神社(たかのの かみのやしろ)の論社について

・高野神社(長浜市高月町高野)

④延喜式内社 因幡國 巨濃郡 髙野神社(たかのの かみのやしろ)の論社について

・高野神社(岩美郡岩美町延興寺)

一緒に読む
高野神社(岩美郡岩美町延興寺)〈『延喜式』髙野神社〉

高野神社(たかのじんじゃ)は 延喜式内社 因幡國 巨濃郡 髙野神社(たかのの かみのやしろ)の論社 因幡誌に「昔 二上山の南の尾髙野坂にありしを中古この地に遷す」とあり 近世まで「鐘撞大明神」と称した 明治元年〈若一王子 國常立尊〉〈神明宮 天照大神〉〈八幡宮 誉田別命〉〈神位社 倉稲魂命〉の4柱を合祀し高野神社と改称

続きを見る

⑤延喜式内社 美作國 苫東郡 髙野神社(かうやの かみのやしろ)の論社について

・高野神社 (津山市高野本郷)

一緒に読む
高野神社(津山市高野本郷)〈『三代實録』髙野神『延喜式』髙野神社〉

高野神社(たかのじんじゃ)は 古くは祭神は鵜葺草葺不合命一柱でしたが 中世に武家の勃興とともに 相殿に応神天皇 神功皇后をお祀りして 明治維新頃までは八幡宮と称していました 鎮座地が苫東郡高野郷に所在することから『三代實録』髙野神・『延喜式』美作國 苫東郡 髙野神社(かうやの かみのやしろ)の論社とされています

続きを見る

・高野神社(津山市二宮)〈美作國二之宮〉

一緒に読む
高野神社(津山市二宮)〈美作國二之宮『三代實録』髙野神『延喜式』髙野神社〉

高野神社(たかのじんじゃ)は 美作國二之宮 社伝に吉井川の河原 碫馭盧岩(おのころいわ)を磐境として祀ったのが始まりと伝え のち第27代安閑天皇二年(536)十一月社殿創建と云う 祭神一座 彦波限建鵜葺草葺不合尊で 『三代實録』髙野神・『延喜式』美作國 苫東郡 髙野神社(かうやの かみのやしろ)の論社です

続きを見る

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR山陰本線 岩美駅から県道37号経由で南下 約8km 車での所要時間は11~12分程度

県道37号経由で小田川を遡るように南下していきます

Please do not reproduce without prior permission.

延興寺の集落辺りで左手〈東側〉の山の裾野に鳥居が見えてきます

Please do not reproduce without prior permission.

高野神社(岩美郡岩美町延興寺)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

鳥居の扁額には「高野神社」と刻字されています
一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて 境内へと進みます

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

境内を進んでいくと 杉の木が注連柱のように参道を挟んで植えられています

Please do not reproduce without prior permission.

手水石が置かれていて 三段の境内地の上に社殿が建てられています
石段を上がり

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿内から幣殿の先に本殿が見えています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

本殿は覆い屋根の下に祀られています

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして 石段を下ります

Please do not reproduce without prior permission.

境内参道を戻り鳥居を抜けます

Please do not reproduce without prior permission.

社頭の前には 小田川に沿って 棚田が続いています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 高野神社について 所在は゛在所分明ならず゛〈所在は良くわからない〉と記しています

その上で諸説として
岩常村に在す、今 八幡宮と稱す〈旧鎮座地〉二上山の南の尾 高野坂
高野村延興寺村に在す、今 鐘撞大明神と稱す゛〈現 高野神社(岩美郡岩美町延興寺)〉と記しています

【抜粋意訳】

高野神社

高野は多加乃と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕法美郡高野、

祭神 大名草命歟

〇在所分明ならず〔稲葉民談云、岩常村に在す、今 八幡宮と稱す、因幡志云、高野村延興寺村に在す、今 鐘撞大明神と稱す、未孰れかしらず、

類社
 近江國 栗太郡 高野神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 高野神社について 所在は゛ 野、圓興寺村に在り、鐘撞大明神と云ふ、゛〈現 高野神社(岩美郡岩美町延興寺)〉と記しています

【抜粋意訳】

高野(タカヌノ)神社、

 野、圓興寺村に在り、鐘撞大明神と云ふ、〔因幡民談、因幡志〕

白河天皇 承曆四年六月 御卜に高野神の祭事を穢せる祟あるを以て、社司に中祓を科す、即是也、〔朝野群載〕

凡 九月九日祭を行ふ、〔神社明細帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 高野神社について 所在は゛岩井郡延興寺村〔字宮村〕 (岩美郡小田村大字延興寺)゛〈現 高野神社(岩美郡岩美町延興寺)〉と記しています

【抜粋意訳】

高野神社

祭神 天津日高日子番能邇邇藝命

祭日 一月九月九日

社格 村社

所在 岩井郡延興寺村〔字宮村〕 (岩美郡小田村大字延興寺)

 今按 稲葉に岩常村に八幡宮あり 之を高野社と云とあれど 因幡志に高野村延興寺村 鐘撞大明神とする是也 此神詞 往昔は二上山南尾高野坂にあり 中古 此に遷すとあるものとすべし 故今之に従ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

高野神社(岩美郡岩美町延興寺) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

因幡国 式内社 50座(大1座・小49座)について に戻る

一緒に読む
因幡國 式内社 50座(大1座・小49座)について

因幡国(いなばのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 因幡国には 50座(大1座・小49座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています