高野神社(たかのじんじゃ)は 美作國二之宮 社伝に吉井川の河原 碫馭盧岩(おのころいわ)を磐境として祀ったのが始まりと伝え のち第27代安閑天皇二年(536)十一月社殿創建と云う 祭神一座 彦波限建鵜葺草葺不合尊で 『三代實録』髙野神・『延喜式』美作國 苫東郡 髙野神社(かうやの かみのやしろ)の論社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
高野神社(Takano shrine)〈美作國二之宮〉
【通称名(Common name)】
二宮さま(にのみやさま)
【鎮座地 (Location) 】
岡山県津山市二宮601
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主祭神》
彦波限建鵜葺草葺不合尊(ひこなぎさたけ うがやふきあえずのみこと)
《相殿神》
鏡作命(かがみつくりのみこと)〔中山神社の主祭神〕
大巳貴命(おほなむちのみこと)〔美作総社宮の主祭神〕
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史に記載される神社
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇實録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・〈美作國二之宮〉
【創 建 (Beginning of history)】
髙野神社
祭神 彦波限建鵜葺草葺不合尊(ひこなぎさたけ うがやふきあえずのみこと)
相殿 鏡作命(かがみつくりのみこと)(中山神)
大巳貴命(おおなむちのみこと)(総社神)
由緒
安閑天皇二年(西暦紀元五三四年)の鎮座にして延喜式内社である。美作国二宮として官民の尊崇厚く源頼朝は神門 を建立し、山名教清は社殿の修造神馬の奉献 毛利元就 及 小早川隆景は祭祀厳修を令し社殿を修造した。
国主 森忠政公は代々深く崇敬の誠を尽し社領八十石を献じ 寛文三年(紀元一六六三年)森長継公は現社殿を造営した。旧社格は県社である。
現地案内板より
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【由 緒 (History)】
由緒
謹んで案ずるに、我等の氏神 高野神社 発祥の地は吉井川原のONO馭盧岩と伝えられます。遠い祖先は此処を磐境として敬虔な祭祀を行っていたものと思はれます。
今から約1500年の昔安閑天皇2年(534)に山川の秀麗にして清浄な此の地を選んで社殿を営み神霊をお祀りしました。御神威は年と共にお栄えになり、早くから美作総鎮守三大社の一つとして、広く官民大衆の尊信するところとなったのであります。
また朝廷におかせられても、すでに平安時代に高い神位に進められ、延喜式内社として特別の崇敬を捧げられ、降って武家の世となってからも源頼朝、山名時治、毛利元就、小早川隆景等の諸将が社殿の造営や祭資の献納などにつとめ、森厳優雅な社叢宇那提森の雅名と共に、広く世にたたえられるようになりました。
そして戦国衰頽のあとをうけて美作国主となった森氏は、社領を寄進し社殿を修造して祭祀を盛んにし、松平氏もまた年々祭資を供進し、現在の社殿は、寛文3年(1663)森長継によって修造されたもので、県の重要文化財に指定されています。(注)文中のONOは「石」偏に「段」です。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
〇岡山縣 美作國 苫田郡二宮村大字高野原
縣社 高野(タカヌノ)神社
祭神
鵜葺草葺不合(ウガヤフキアヘズノ)尊相殿
大己貴(オホナムチノ)命
鏡作(カガミツクリノ)命安閑天皇二年十一月勧請、中世二宮と號し、美和村に在り、祭る所一座(作陽誌)延喜の制式内小社に列す(考證、覈録、志料)、
龜山天皇弘長二年、後圓融天皇承德三年、後小松天皇至德二年守護代時治、後花園天皇永享五年安藝守護持春、同文安元年守護山名敦清、後陽成天皇慶長十一年國主森忠政等社殿を修造し、靈元天皇寛文三年森長船亦之を造営す。中古二宮と稱せしは國幣中社 中山神社を一宮と稱せしに對したるにて、一宮二宮實に崗國の總鎮たり(作陽誌)。地名辭書高野郷の條に曰く、
「本郷に高野神社あるべきに、近世 苫西郡の二宮を以て高野神と爲すは疑ふべし、延喜式には高野神社 苫東郡と注すれば、苫西の二宮を以てこの神となすは誤れり、若くは後世此より彼に移轉したるにゃ」
と、追て考ふべし。三代實錄に曰く、
「清和天皇 貞觀六年八月十五日己巳、美作國從五位下 高野神 授ニ 從五位上」又曰く、
「貞觀十七年三月二十九日壬子晦、授ニ 美作國從五位上 高野神 正五位下、」社領は慶長九年三月森忠政三十石を寄附し、同年九月十七石に加増し、寛永十二年正月 森長繼更に十石を加増せり(作陽誌)、神體は木像とす、明治六年縣社に列す。
社殿は本殿〔唐破風造檜皮葺二十五坪、〕釣殿、拜殿、神楽殿、神饌所、装束殿、社務所、廻廊、随神門、神厩を具備し、境内地四千七坪(官有地第一種)あり、地は西北に神山を負ひ、南に久米の皿山を望み、又眼下に津山川の清流あり、眺嘱頗る佳なり、社側櫻馬場の東畔に一舊蹟あり、宇那提森(ウナデノモリ)といふ、萬葉集に「眞島すむ卯名手の森の菅の根を衣にかきつけ著せん兒もがな」と詠せし所にして、傍に椋あり數千年を歴たる古木にして中心朽腐胴席孔數人を容るべし、寶物の最も著名なるは境内末社 御先神眞筆と傳る和歌一首と、藤原行成眞筆の正一位高野大明神と記しし扁額一面とにして、扁額は明治三十四年八月國賓に指定せられたり。
境内神社
御先神社 國司神社 八幡神社 下關神社
龍神社 徳王神社 廣瀬神社 粟島神社例祭日 十月二十五日
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・高野神社 社殿
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・〈境内社〉御先神社《主》専女神
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・〈境内社〉八幡神社《主》応神天皇 神功皇后
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・〈境内社〉龍神社《主》髙麗神
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・〈境内社〉淡島神社《主》少名毘古名命
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・〈境内社〉末社殿
〔廣瀬神社 徳王神社 不開神社 漆若神社 國師神社〕
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・〈境内社〉荒神社《主》速素戔嗚尊
・宇那提森(うなでのもり)
宇那提の森 市指定天然記念物
萬葉集を始め数々の歌集に詠まれ歌枕として有名な宇那提の森である。昔は此のあたり一面うっ蒼とした水辺の森林であったが戦国の頃堡塁の用に供するため宇喜多氏によって伐採され此の一本の椋の木が残された。樹齢七百年と言われる
享保五年(一六八九年)森家の家老長尾隼人は石碑を建て之を顕彰した。
萬葉集巻七 真鳥住む宇那提の森の菅の根を衣にかきつけ着せむ児もがも
仝 巻十二 思はぬを想うと言はば真鳥住む宇那提の森の神し知らさむ現地案内板より
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・隋神門
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・社頭
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈境外社〉田町御先神社《主》専女神
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
高野神に神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
卷九 貞觀六年(八六四)八月十五日己巳
○十五日己巳
美作國 從五位下 長田神 兎上神 田神 加佐美神〈佐原神〉 形賣神 壹粟神 横見神 久止神 高野神等 並に授に從五位上を
是日 制す 筑前國 香椎廟司を 以て六年を爲に任限と
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=
【抜粋意訳】
卷二十七 貞觀十七年(八七五)三月廿九日壬子晦
○廿九日壬子晦
授に
伊豫國 從二位 大山積神 正二位 正四位上 礒野神
近江國 正四位下 三上神 並に從三位大和國 正五位下 天石戸別神 靈産魂命神 並に從四位下
美作國 從五位上 高野神 正五位下 從五位下 御鴨神 從五位上
因幡國 正六位上 神前神
伊豫國 正六位上 風伯神 並に從五位下
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)美作國 11座(大1座・小10座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)苫東郡 2座(大1座・小1座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 髙野神社
[ふ り が な ](かうやの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kauya no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「髙野神社」について
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「髙野神社」は 五か所あります
①延喜式内社 山城國 愛宕郡 出雲髙野神社
②延喜式内社 近江國 栗太郡 髙野神社
③延喜式内社 近江國 伊香郡 髙野神社
④延喜式内社 因幡國 巨濃郡 髙野神社
⑤延喜式内社 美作國 苫東郡 髙野神社
各々の論社について
①延喜式内社 山城國 愛宕郡 出雲髙野神社(いつもの たかのの かみのやしろ)の論社について
・出雲高野神社(京都市左京区上高野西明寺山)〈崇道神社 境内社〉
・御蔭神社(京都市左京区上高野東山)
御蔭神社(みかげじんじゃ)は 太古 賀茂の大神が降臨された所〈御生山(みあれやま)〉と所伝があり 現在でも 葵祭に先立って 祭神を降臨地である御蔭山から賀茂社へ迎える御生(みあれ)神事が行われています 綏靖天皇の御代(BC581)に創建起源とされ 二つの式内社〈①出雲髙野神社②小野神社二座 鍬靫〉の論社でもあります
御蔭神社(京都府京都市左京区上高野東山)〈下鴨神社 境外摂社〉
・上御霊神社(京都市上京区上御霊竪町)
上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)は 平安時代 御霊の祟りを恐れ 貞観5年(863)御霊会が修せられたのが 両御霊神社の創祀と云う 元は愛宕郡出雲郷の出雲路にある出雲氏の氏寺・上出雲寺に祀られた鎮守社 二つの式内社〈出雲井於神社(いつものゐのうへの かみのやしろ)出雲髙野神社(いつものたかののかみのやしろ)〉の論社です
上御靈神社(京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町)
・猿田彦神社(京都市上京区上御霊前町)
猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)は 桓武天皇が この神の託宣により平安遷都を決意され 延暦12年(793)勅願によって社殿を造営と伝えます かつての広大な境内も 応仁の乱以後 度々火災に遭い悉く焼失 寛政5年(1793)現在地に遷座 延喜式内社 山城國 愛岩郡 出雲髙野神社(いつもの たかのの かみのやしろ)の論社です
猿田彦神社(京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊前町)〈平安京遷都を託宣せる神〉
②延喜式内社 近江國 栗太郡 髙野神社(たかのの かみのやしろ)の論社について
・高野神社(栗東市高野)
高野神社(たかのじんじゃ)は 社伝に天智天皇の御代以降 高野造が地域一帯を開墾開発し 高野郷と名付けられ 和銅年間(七〇八~七一四)和同開珍」の鋳師 高野宿彌道経一族が住み それ等の人々の氏神として 祖先を祀ったと云う 延喜式内社 近江國 栗太郡 髙野神社(たかのの かみのやしろ)です
高野神社(栗東市高野)〈『延喜式』髙野神社〉
③延喜式内社 近江國 伊香郡 髙野神社(たかのの かみのやしろ)の論社について
・高野神社(長浜市高月町高野)
④延喜式内社 因幡國 巨濃郡 髙野神社(たかのの かみのやしろ)の論社について
・高野神社(岩美郡岩美町延興寺)
⑤延喜式内社 美作國 苫東郡 髙野神社(かうやの かみのやしろ)の論社について
・高野神社 (津山市高野本郷)
高野神社(たかのじんじゃ)は 古くは祭神は鵜葺草葺不合命一柱でしたが 中世に武家の勃興とともに 相殿に応神天皇 神功皇后をお祀りして 明治維新頃までは八幡宮と称していました 鎮座地が苫東郡高野郷に所在することから『三代實録』髙野神・『延喜式』美作國 苫東郡 髙野神社(かうやの かみのやしろ)の論社とされています
高野神社(津山市高野本郷)〈『三代實録』髙野神『延喜式』髙野神社〉
・高野神社(津山市二宮)〈美作國二之宮〉
高野神社(たかのじんじゃ)は 美作國二之宮 社伝に吉井川の河原 碫馭盧岩(おのころいわ)を磐境として祀ったのが始まりと伝え のち第27代安閑天皇二年(536)十一月社殿創建と云う 祭神一座 彦波限建鵜葺草葺不合尊で 『三代實録』髙野神・『延喜式』美作國 苫東郡 髙野神社(かうやの かみのやしろ)の論社です
高野神社(津山市二宮)〈美作國二之宮『三代實録』髙野神『延喜式』髙野神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR姫新線 院庄駅から出雲街道経由で東へ約700m 車での所要時間は2~3分程度
津山市内を西から東へ流れている吉井川の宮下橋を渡った北岸の出雲街道沿いです
高野神社(津山市二宮)〈美作國二之宮〉に参着
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重要文化財の一覧案内板
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隋神門をくぐり抜けて石段を上がります
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拝殿にすすみます
本殿は 改修工事中でした
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拝殿の前には 鬼瓦が置かれていました
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拝殿には 張り紙があり 本殿改修につき 神様は「仮御殿」に遷座しているとの事
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本殿の向かって 左脇には〈境内社〉八幡神社・龍神社が祀られています
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その横に〈境内社〉御先神社が祀られていて 3社が並んでいます
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この〈境内社〉御先神社が「御仮殿」となっていました
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿に一礼をして 境内を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 高野神社について 所在は゛今 西條郡神戸郷御岩村に在す、゛〈現 高野神社(津山市二宮)〈美作國二之宮〉〉と記しています
【抜粋意訳】
高野神社
高野は多加乃と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕高野、〔中古は音讀と見えて、印本カウヤと點せり、〕
〇祭神詳ならず〔高野氏の祖神歟〕
〇今西西條郡神戸郷御岩村に在す、〔作陽志、式社考、〕例祭 月 日、
〇當國二宮也
〇永萬記、髙屋社、
宇治拾遺物語云、美作國に力ウヤと申神おはします、カウヤハクチナハ云々とあれば、中古音讀に唱へしにや、類社
山城國 愛宕郡 出雲高野神社の條見合すべし神位
三代實錄、貞観六年八月十五日己巳、美作國從五位下 髙野神授ニ 從五位上、
同十七年三月甘九日壬子晦、授ニ 美作國從五位上 高野神 正五位下、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 高野神社について 所在は゛今西西條郡二宮村に高野大明神と云ふ、゛〈現 高野神社(津山市二宮)〈美作國二之宮〉〉と記しています
【抜粋意訳】
高野(タカヌノ)神社、
〔〇按 永万記に、高屋社に作り、宇治拾遺物語に、かうや とあるは、即本社の事也〕
今西西條郡二宮村に高野大明神と云ふ、〔作州記、作州風土略、神名帳打聞、〕
即美作二宮也、〔神名帳頭注、〕
清和天皇 貞観六年八月已巳、從五位下 高野神に從五位上を授け、十七年三月壬子晦、正五位下を加ふ、〔三代実録〕
凡古へは此神の祭に猪鹿を奉りき〔宇治拾遺物語〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 高野神社について 所在は゛二宮村(明細帳に高野本合村字西寺下) (苫田郡二宮村 )゛〈現 高野神社 (津山市高野本郷)〉と記しています
【抜粋意訳】
○苫東郡二座大一座小一座
高野神社
祭神
今按 社傳 祭神 鵜草葺不合尊とあれど由ありとも思はれす 又 新撰姓氏錄に高野大名草彦命之後也とあるにより て高野氏の祖と云説もあれとそれにもあらさるべし
神位
清和天皇 貞観八年八月十五日己巳 美作國從五位下 高野神 授從五位上
同十七年三月廿九日壬子 晦授 美作國從五位上 高野神 正五位下祭日 九月九日
社格 郷社 (縣社)所在 二宮村(明細帳に高野本合村字西寺下) (苫田郡二宮村 )
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
『今昔物語集 巻第二十六』に書かれている「中参(chiusan)・高野(koya)という二神」について
「美作國 神依猟師謀止生贄語 第七」
(みまさかのくにの かみれふしの はかりごとによりて いけにえを とどむること だいしち)
参照文献 「【今昔物語集 全4巻-日本古典文学全集 21~24】校注・訳:馬淵和夫/国東文麿/今野達 発行所 小学館」
今は昔
美作国(岡山県)に中参(chiusan)・高野(koya)という二神が鎮座していた その御神体は 中参(chiusan)は「猿」・高野(koya)は「蛇」でいらっしゃった
毎年一度のお祭りには 必ず 生贄(ike nie)を供える習わしであったが それには その国の未婚の処女を立てることになっていた
これは 昔から最近まで怠ることなくずっと続けられていた
さて その国に さしたる家柄の人ではないが 年のほど 十六・七ばかりの美しい娘を持っている人がおった 父母はこの娘をかわいがり 我が身にもかえて 大切なものに思っていましたが この娘が その生贄(ike nie)に割り当てられた
ところで この生贄(ike nie)というのは その年の祭の当日に名指しされると その日から一年の間 よく養い太らせて 翌年の祭の日に捧げるのである
この娘が名指しされてからというもの 父母は 身も世もなく 嘆き悲しんだが 逃れらようもないので 月日が経つにつれて 命はしだいに縮まっていく
こうして 親子が顔を合わせてることも だんだんと残り少なくなって行ったので その日を指折り数えては 互いに ただ泣き悲しむより外にはなかった
ちょうどその頃 東国の方から なにか用事がありて その国に来た人があった この人は 犬山(inu yama)ということをして 多くの犬を飼い 山に入りて その犬に猪や鹿を喰い殺させて猟をするのを生業にする男であった
なかなか勇敢な 物おじなどしない猛々しい者であった この男が その国にしばらく留まっているうち 自然のことのように この生贄(ike nie)話を聞いた
ある日 用があって この生贄(ike nie)の親の家へ行き 案内を乞うて待っている時 縁側に腰かけて 蔀戸(shitomi do)のすき間から 家の奥をのぞくと この生贄(ike nie)の女が一人うち伏しているのが目に入った とても清らかで 色も白く 容姿もかわいらしく 髪も長く とても田舎人の娘とは見えないほど上品である
その娘が もの思いに沈んだ様子で 髪を振り乱し 泣き伏すのを見ると この東国から来た男も 哀れにも言いようのない同情の念にかられてならなかった
やがて 女の親と会って いろいろと話をしていると その親は「たった一人の娘を このような生贄(ike nie)にあてられまして 嘆き暮らし 思い明かし 月日が経つにつれて 別れの近づきますのを 悲しくてしかたありません
世にはこのように情けない国もあるのでございます 前世にどのような罪をつりまして このような国に生まれて かくも情けない目をみるのでございましょうか」と嘆く
東国の男はそれを聞き「この世の人にとって 命に勝るものはありません また 人が宝とするものは 子に勝るものなどありません
それなのに たった一人の娘を 目の前で膾(namasu)に作らせて 手をこまねいて見ておられるなど 実に情けない親です そんなことなら あなたは いっそ死んでしまいなされ
だが 娘を取って食おうとする敵を目の前にして 無駄死にをする者が どこの世界にいるものですか
仏も神も 我が命の惜しさ故にこそ 恐ろしいものですし 子供のためならばこそ 身を惜しむものですよ
それに その娘さんは 今はない人も同じです どうせ死なせる人だったら 娘さんを私に下さりませんか その代りに 私が死にましょう それならば 娘さんを私に下さっても あなたにご異存はありますまい」と言う
親はこれを聞いて「それで あなたは一体どうなさろうとしているのですか」と尋ねると
この東国人は「いかにも 私には考えがあるのです ここの祓殿(harae dono)に わしがいるとは誰にもおっしゃらず ただ精進するのだと言って 注連縄を張っておいて下さい」と言う
親は「娘さえ 死なずにすむなら 私は どのようになってもかまいません」と言って この東国の人に 人知れずひそかに娘を娶せたのです
東国の人は この娘を妻として過ごすうち しだいに離れ難く思うようになっていった そこで 長年飼い慣らした猟犬の中から 二匹を選りすぐり「よいかお前たち わしの身に代わってくれよ」と言い聞かせて 念入りに飼いならした
こっそりと山から猿を生け捕りにしてきて 人目を避けて 犬に猿を喰い殺す練習をひたすら繰り返した もともと犬と猿は仲も悪いものであるゆえ このように教え慣らしたので しまいには 猿さえ見れば 夢中になり何度も飛び掛かっり飛び掛かっり 喰い殺してしまうようになった
このように犬をよく仕込んでおいて 自分は 刀を研ぎ澄まして待っていた
こうして東国の人は妻に「わしは お前の身代わりに死のうと思う 死ぬことは 前世からの決め事で仕方がないことながら 別れることは 悲しいことですねぇ」という
女は その訳はわからなかったが いいようもなく悲しい思いはおおきかった
さて 当日がおとずれた 神主を始めとして多くの人がやって来た 新しい長櫃(naga hitsu)を持って来て「この中にはいりなさい」といって その長櫃(naga hitsu)を寝室にさし入れた
男は 狩衣(kari ginu)と袴(hakama)だけを着て 刀を身に添えて その長櫃(naga hitsu)へ入り 二匹の犬を 男の両脇に入れて臥せさせた
親たちは 娘を中へ入れたように見せかけて 櫃(hitsu)をさし出したところ 鉾・榊・鈴・鏡などを持った者どもが 雲のように集まり並んで 大声で先ぶれをしながら進んで行った
妻は どういうことになるのかと恐れながらも 男が身代わりになってくれたことを気の毒に思った 親たちは「後は たとえどうなってもかまわぬ この先どの道死ぬことになろうとも 今はこうするよりはないのだ」と思っていた
生贄(ike nie)は 御社にかつぎこまれ 祝詞を唱えてから 玉垣の扉を開き 長櫃(naga hitsu)を結んでいた紐を切り 神前へ差し入れられた そして 玉垣の扉を閉じて 宮司たちは 神前の戸を閉ざして 外にずらりと座について居並んでいた
男は 長櫃(naga hitsu)を ほんの少しこじあけて 外を覗いてみると 身の丈 七・八尺ばかり(1.8m程度)の大猿(oo zaru)が 上座にすわっている 歯は真白く 顔と尻は真赤い
それにつづいて 百匹ばかりの猿が 左右に並び坐っており 顔は赤く 眉を吊りあげ ぎゃあぎゃあと大きく叫んでいる
前には 俎(mana ita)があり 大きな刀が置いてある 酢塩・酒塩などの調味料が みな並び置かれて まるで 人が 鹿の肉などを料理して食べようとするかのようだ
しばらくして 上座の大猿(oo zaru)が立ちあがり 長櫃(naga hitsu)に手をかけた 他の猿どもも みな立ちあがって来て 一緒になって開けようとする
その時 男がにわかに飛び出して 犬に「それっ 食いつけ 食いつけ」と犬をけしかけた すると 二匹の犬は走り出て やにわに大猿(oo zaru)を食い伏せてしまった
男は 氷のような刀を抜き放ち その大猿(oo zaru)を捕えて 俎(mana ita)の上に引き伏せ 首に刀をさし当てて「きさまが 人を殺して肉を食う時は こうするのだなと その首をたたき切って 犬どもの餌としてくれよう」という
大猿(oo zaru)は 顔を真赤くし 目をしばたたき 歯を白くむき出し 涙を流して 手を擦り合わせたが 耳も貸さず
「きさまが 長い年月 多くの人の子を喰った代わりに たった今殺してくれる だが きさまが神というなら このわしを殺してみろ」と言って 刀を首に押しつけたところ 二匹の犬も 他の多くの猿を喰い殺していくやっと 生き延びた猿どもは 木に登り 山に隠れて 多くの猿どもを呼び集めて 山も響くばかりにわめき叫びあったが なんのかいもありません
そのうちに 一人の神主に 神がのり移り「我は 今日より以後 未来永劫後々まで 生贄(ike nie)は求めず ものの命も奪うまい
また この男が我をかような目に合わせたからといって その男に危害を加えることがあってはならぬ
また 生贄(ike nie)の女をはじめ その父母や親類・縁者の罪を とやかく責めることがあってはならぬ どうにか わが身を許せ」
神主たちは みな社の内に入り 男に「御神(ohomu kami)が このように仰せです お許し申し上げられよ 恐れ多いことです」と男をひきとめるが
男は承知しない「いや わしの命は惜しくはない 多くの人に代わって こいつを殺してやるのだ そうして こいつと共に死んでやろう」といって許そうとはしなかった
神主は言いあぐみ 祝詞を唱えて 神が堅く誓約を立てたので 「それならばよい よいか これからはこの様な事をするなよ」と言って許してやったので 大猿(oo zaru)は山の中へ逃げ入っていった
男は家に帰り その女と末長く夫婦となって暮らした 父母も聟(muko)に対して 言葉をきわめ感謝した そして その後 この家には 少しもさしさわりがなかった それも前生よりの果報というものであろう
これ以後は 生贄(ike nie)を立てることはなく 国も平穏を保った
となむ語り伝へたるとや
『今昔物語集 巻第二十六』
【原文参照】
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000042818&ID=M2018061515413247961&TYPE=&NO= 国立公文書館デジタルアーカイブ 「今昔物語集 26巻」
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000042818&ID=M2018061515413247961&TYPE=&NO= 国立公文書館デジタルアーカイブ 「今昔物語集 26巻」
高野神社(津山市二宮)〈美作國二之宮〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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