『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています
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「西海道」に鎮座する(107座…大38・小69)神社の一覧表です
大分類は 当時の行政区分ごと
「宮中・京中」「畿内」
「七道(東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道)」
中分類は 国 別(現在の県に近い分類)
小分類は 郡 別(現在の市町村に近い分類)
詳 細は 神社別 に網羅され記されています
筑前国 19座(大16座・小3座)
筑前国(ちくぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 筑前国(ちくぜんのくに)には 19座(大16座・小3座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
筑前國 式内社 19座(大16座・小3座)について
筑後国 4座(大2座・小2座)
筑後国(ちくごのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 筑後国(ちくごのくに) 4座(大2座・小2座)の神社です
筑後国 式内社 4座(大2座・小2座)について
豊前国 6座(大3座・小3座)
豊前国(ぶぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 豊前国 6座(大3座・小3座)の神社です
豊前国 式内社 6座(大3座・小3座)について
豊後国 6座(大1座・小5座)
豊後国(ぶんごのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 豊後国 6座(大1座・小5座)の神社です
豊後国 式内社 6座(大1座・小5座)について
肥前国 4座(大1座・小3座)
肥前国(ひぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 肥前国 4座(大1座・小3座)の神社です
肥前国 式内社 4座(大1座・小3座)について
肥後国 4座(大1座・小3座)
肥後国(ひごのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 肥後国 4座(大1座・小3座)の神社です
肥後国 式内社 4座(大1座・小3座)について
日向国 4座(並小)
日向国(ひむかのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 日向国 4座(並小)の神社です
日向国 式内社 4座(並小)について
大隅国 5座(大1座・小4座)
大隅国(おほすみのくに)の式内社は 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 大隅国の5座(大1座・小4座)の神社のことです 最南端の式内社として 益救神社(屋久島町宮之浦)もあります
大隅国 式内社 5座(大1座・小4座)について
薩摩国 2座(並小)
薩摩国(さつまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 薩摩国 2座(並小)の神社です
薩摩国 式内社 2座(並小)について
壱岐島 24座(大7座・小17座)
壱岐島(いきのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 壹岐嶋 24座(大7座・小17座)の神社です
壹岐嶋 式内社 24座(大7座・小17座)について
對馬嶋 29座(大6座・小23座)
對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています
對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について