実践和學 Cultural Japan heritage

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筑前国 式内社 19座(大16座・小3座)について

筑前国(ちくぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 筑前国(ちくぜんのくに) 19座(大16座・小3座)の神社です

筑前国(ちくぜんのくに)について

筑前国(Chikuzennokuniは  令制国の一つ〈西海に属する
現在の福岡西部

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筑紫国(つくしのくに)の分割により 筑後国(ちくごのくに)とともに7世紀末までに成立したとされる

筑前国(ちくぜんのくに) 19座(大16座・小3座)

大社16は8〈いずれも名神大社〉
小社3は3
 19は11

※座は神の柱数 社は神社数

〈延喜式神名帳に記載〉
宗像郡(むなかたの こおり) 4座(並大)
那珂郡(なかの こおり) 4座(並大)
糟屋郡(かすやの こおり) 3座(並大)
怡土郡(いとの こおり) 1座(小)
御笠郡(みかさの こおり) 2座(並大)
上座郡(かみくらの こおり) 1座(小)
下座郡(したあさくら こおり) 3座(並大)
夜須郡(やすの こおり) 1座(小)

宗像郡(むなかたの こおり) 4座(並大)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

宗像神社 三座(並名神大)(むなかたの かみのやしろ みくら)

・宗像大社 沖津宮(沖之島)〈一般参拝は不可〉

・宗像大社 中津宮(宗像市大島)

・宗像大社 辺津宮(宗像市田島)

織幡神社(名神大)(をりはたの かみのやしろ)

・織幡神社(宗像市鐘崎)

那珂郡(なかの こおり) 4座(並大)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

八幡大菩薩 筥埼宮(名神大)(はちまんだいぼさつ はこさきのみや)

・筥崎宮の旧鎮座地 元宮とされる 大分八幡宮

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大分八幡宮(飯塚市大分)

大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)は 古代に神功皇后が三韓征伐から帰国して 当地で引率していた軍士を解隊し それぞれの故郷に返した時 その大分(オオワカレ)から大分(ダイブ)と称されるようになったと伝わります 筑前国一之宮の「筥崎宮(福岡市)」の元宮とされています

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・筥崎宮

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筥崎宮(福岡市東区箱崎)

筥崎宮(はこざきぐう)は 筑前国一之宮で『延喜式神名帳』所載の名神大社であり 別称を「筥崎八幡宮(hakozaki hachimangu)」とも呼ばれます 宇佐神宮(大分県宇佐市)・石清水八幡宮(京都府八幡市)の2社に鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)or筥崎八幡宮(当社)のいずれかを合わせて三大八幡宮とも呼ばれます

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住吉神社 三座(並名神大)(すみよしの かみのやしろ みくら)

住吉神社(福岡市博多区住吉)

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住吉神社(福岡市博多区住吉)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 延喜式神名帳に所載「筑前国那珂郡 住吉神社三座 名神大」とされ 筑紫国一之宮です 社伝には 伊弉諾尊が黄泉國から戻り祓い清めた地「筑紫の日向の橘の小戸の檍原の古蹟」〈住吉三神の御出生の地〉とされ神代より此地に鎮座 後に 神功皇后が三韓征韓の途中に祭祀を行ったので 住吉本社 又 日本第一住吉宮と伝えています

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若久住吉神社(福岡市南区若久

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若久住吉神社(福岡市南区若久)

若久住吉神社(わかひさすみよしじんじゃ)は 「御鎮座は 遠い遠い神代のことで年代を定めることは出来ませんが 全国的にも九州でも最も古いお宮様の一つです」と由緒にあり 式内社 住吉神社 三座(並 名神大)(すみよしの かみのやしろ みくら)とする説 筑前国福岡藩初代藩主 黒田長政によって江戸期前期頃の創建造営とする説もあります

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現人神社(那珂川市仲

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現人神社(那珂川市仲)

現人神社(あらひとじんじゃ)は 神功皇后が三韓征伐の時 神告により神田を定め 天神地祇に禱祈して 那珂川の水を引いた所 大和への御帰還に際し 霊験な現人神〈筒男三神〉をご奉持され 眞住吉之国(住よい国)〈摂津(大阪)〉に祀らた為に住吉三神と称され始めます 筑前国一之宮 福岡の住吉宮も後にここより御分霊された 故に 全国津々浦々にある住吉三神の本津宮とされます

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糟屋郡(かすやの こおり) 3座(並大)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

志加海神社三座(並名神大)(しかのうみの かみのやしろ)

・志賀海神社 沖津宮(志賀島 勝馬)

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沖津宮(福岡市東区勝馬)〈志賀海神社 摂社〉

沖津宮(おきつぐう)は 現在 志賀海神社の摂社です 古くは 志賀島北部の勝馬に・沖津宮〈底津綿津見神〉・仲津宮〈仲津綿津見神〉・表津宮〈表津綿津見神〉の三社が別々に鎮祭されていました 沖津宮の御祭神は 綿津見三神の中でも誕生が早く上位とされる゛底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)゛を祀っていました

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・志賀海神社 中津宮(志賀島 勝馬)

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仲津宮(福岡市東区勝馬)〈志賀海神社 摂社〉

仲津宮(なかつぐう)は 現在 志賀海神社の摂社です 古くは 志賀島北部の勝馬に゛表津宮゛゛仲津宮゛゛沖津宮゛の三社が鎮座し それぞれに゛表津綿津見神゛゛仲津綿津見神゛゛底津綿津見神゛が祀られていました 2世紀~4世紀の間に゛表津宮゛が 勝山の麓に遷座し 併せて゛仲津綿津見神゛゛表津綿津見神゛が奉祀され 現在の志賀海神社となったと伝わります

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・志賀海神社(志賀島)

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志賀海神社(福岡市東区志賀島)

志賀海神社(しかうみじんじゃ)は 志賀島に鎮座します 御祭神は〈伊邪那岐大神が禊祓をされて 住吉三神と共に御出現された〉 海の守護神 綿津見三神です ゛龍の都゛゛海神の総本社゛と称えられ 祭祀は 神裔 阿曇族によって奉斎されています 延喜式内社 筑前國 糟屋郡 志加海神社 三座(並名神大)(しかのうみの かみのやしろ みくら)です

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怡土郡(いとの こおり) 1座(小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

志登神社(しとの かみのやしろ)

・志登神社(糸島市志登)

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志登神社(糸島市志登)

志登神社(しとじんじゃ)は 『記紀神話』日向二代 彦火火出見尊〈山幸彦〉の妃 ゛豊玉姫命゛が 海神国より帰り 浮島であったこの地に上陸されたので 社殿は西方に向って建ち 昔は海上から参拝するようになっていたと伝わります 延喜式内社 筑前國 怡土郡 志登神社(しとの かみのやしろ)とされます

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御笠郡(みかさの こおり) 2座(並大)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

筑紫神社(名神大)(ちくし かみのやしろ)

・筑紫神社(筑紫野市原田)

竃門神社(貞・名神大)(かまとの かみのやしろ)

・竈門神社 上宮(筑紫野市大石)

・宝満宮 竈門神社(太宰府市内山)

・山家宝満宮(筑紫野市山家)

上座郡(かみくらの こおり) 1座(小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

麻氐良布神社(まてらふの かみのやしろ)

・麻氐良布神社 奥宮(朝倉市杷木志波)

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麻氐良布神社 奥宮(朝倉市杷木志波)

麻氐良布神社 奥宮(まてらふじんじゃ おくのみや)は 麻氐良山の山頂に鎮座します この山は『日本書紀』斉明天皇の条にある゛朝倉山゛とされ 『日本三代実録』元慶元年(八七七)九月廿五日の条に゛眞天良布神゛と記される古社で 『延喜式神名帳927 AD.』所載 筑前国 上座郡 麻氐良布神社(まてらふの かみのやしろ)です

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・麻氐良布神社 下宮(朝倉市杷木志波)

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麻氐良布神社 下宮(朝倉市杷木志波)

麻氐良布神社 下宮(まてらふじんじゃ しものみや)は 『日本書紀』斉明天皇の条にある゛朝倉の社゛とされ 『日本三代実録』元慶元年(八七七)九月廿五日の条には゛眞天良布神゛と記され 『延喜式神名帳927 AD.』所載 筑前国 上座郡 麻氐良布神社(まてらふの かみのやしろ)の里宮です

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下座郡(したあさくら こおり) 3座(並大)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

美奈宜神社三座(並名神大)(みなきの かみのやしろ みくら)

・美奈宜神社(朝倉市林田)

・美奈宜神社(朝倉市荷原)

夜須郡(やすの こおり) 1座(小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

於保奈牟智神社(をほなむちの かみのやしろ)

・大己貴神社 (筑前町弥永)

西海道に鎮座する 107座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

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西海道に鎮座する 107座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています 

このページは
「西海道」に鎮座する(107座…大38・小69)神社の一覧表です

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています