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陸奥国 式内社 100座(大15座・小85座)について

陸奥国(むつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 陸奥国 100座(大15座・小85座)の神社です

陸奥国(むつのくに)について

陸奥国Mutsunokuniは  令制国の一つ〈東山に属する
現在の青森県岩手県宮城県福島県秋田県北東部

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平安時代以前は道奥(みちのおくみちおくと呼ばれていました

陸奥国(むつのくに) 100座(大15座・小85座)

大社15は15〈すべて名神大社
小社85は85
 100は100

※座は神の柱数 社は神社数

〈延喜式神名帳に記載〉
白河郡(しらかは こおり) 7座(大1座・小6座)
苅田郡(かりたの こおり) 1座(大)
名取郡(なとりの こおり) 2座(並小)
宮城郡(みやぎの こおり) 4座(大2座・小2座)
黒川郡(くろかはの こおり) 4座(並小)
賀美郡(かみの こおり) 2座(並小)
色麻郡(しかまの こおり) 1座(大)
玉造郡(たまつくりの こおり) 3座(並小)
曰理郡(わたりの こおり) 4座(並小)
信夫郡(しのぶの こおり) 5座(大1座・小4座)
志太郡(したの こおり) 1座(小)
磐城郡(いはきの こおり) 7座(並小)
標葉郡(しねはの こおり) 1座(小)
牡鹿郡(をしかの こおり) 10座(大2座・小8座)
桃生郡(ものの こおり) 6座(大1座・小5座)
行方郡(なめがたの こおり) 8座(大1座・小7座)
栗原郡(くりはらの こおり) 7座(大1座・小6座)
膽澤郡(いさはの こおり) 7座(並小)

白河郡(しらかは こおり) 7座(大1座・小6座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

都都古和氣神社(名神大)(つつこわけの かみのやしろ)

・都都古和氣神社(馬場)

一緒に読む
都都古和氣神社(馬場)

馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に所載される 又「陸奥国一之宮」とされる由緒ある神社です 歴史は古く 「日本武尊(yamatotakeru no mikoto)」が「都々古山(Tsutsukoyama)(江戸期までは入山禁足)」に鉾を立てて味耜高彦根命を祀ったことが創祀で その後 大同2年(807年)に坂上田村麻呂が 日本武尊を相殿に配祀した後 現在地(馬場)に遷座したのは寛永2年(1625年)と伝わります

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・都都古和氣神社(馬場)の奥宮 都々古別神社(表郷三森 都々古山) 

奥宮
都々古別神社(表郷三森 都々古山)

都々古別神社は 馬場都々古別神社の旧蹟です 第12代景行天皇の皇子「日本武尊(yamatotakeru no mikoto)」が 都々古山(福島県白河市表郷三森の建鉾山)に「鉾(hoko)」を立てて「味耜高彦根命(ajisuki takahikone no mikoto)」を地主神として祀った創祀の地です 「建鉾山(武鉾山)」別名を「都々古山(Tsutsukoyama)(江戸期までは入山禁足)」の山頂には梵天の祠があります 当社は 山麓にあり 延喜式の時代には 祭祀が行われていた奥院と伝わります

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・都々古別神社(八槻) 

一緒に読む
都々古別神社(八槻)

八槻都々古別神社(やつきつつこわけじんじゃ)は 縁起では「日本武尊(yamatotakeru no mikoto)」が 八溝山の蝦夷を討った際に 守護として示現した3神が 建鉾山(福島県白河市表郷三森)に隠れた時に東方に矢を放ち 矢(箭)の着いた地を(箭津幾:やつき)として神社を創建したと伝わります 江戸時代頃には 「近津三社」〈上宮〉馬場都々古別神社〈中宮〉八槻都々古別神社〈下宮〉下宮近津神社(久慈川沿いに3社が並び鎮座)と呼ばれました 

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・都々古別神社(玉川村南須釜)

論社
都々古別神社(玉川村南須釜)

都々古別神社(つつこわけじんじゃ)は 第40代天武天皇の御代に常陸國の国司に任じられた 藤原鎌足(ふじわらのかまたり)公〈698-720年〉が この地に赴いた際に創建したとされ 往時には「奥州一の宮」と称され 48社の末社を四方に持ち 神領12ヶ村 氏子85ヶ村を誇ったと伝わります

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伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)

・伊波止和氣神社(古殿町田口戸神)

一緒に読む
伊波止和氣神社(古殿町田口戸神)

伊波止和氣神社(いわとわけじんじゃ)は 江戸時代には゛戸隠大明神゛と呼ばれていましたが 慶應年中(1865~1868年)に 神主の鎌田光雄が 兼務の時 この松尾社〈境内社か?合祀社か?〉を伊波止和氣神社と云ったとあり 延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社となっています

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・白河神社(白河市旗宿関ノ森)

一緒に読む
白河神社(白河市旗宿関ノ森)

白河神社(しらかわじんじゃ)は 社伝によれば 第13代 成務天皇五年(135年)白河國造命と天太玉命を奉祀し 勅命により鎮座 のち白河の関設置に当たり 関所南北に住吉 玉津島明神を祀る と伝わります 二つの式内社①伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)②白河神社(しらかはの かみのやしろ)の論社となっています

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・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)

〈旧鎮座地とも云う〉

一緒に読む
磐戸別神社(白河市関辺丸沢)

磐戸別神社(いわとわけじんじゃ)は 白河の関山に鎮座します 延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の旧鎮座地とも 三鎮座の鼎(かなえ)〈三本足の青銅器・土器〉のように・白河神社(白河市旗宿関ノ森)・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)・都々古和氣神社(白河市表郷三森都々古山)〉の三社を以て 伊波止和氣神社とも云うと伝わります

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・都都古和氣神社(馬場)の奥宮 都々古別神社(表郷三森 都々古山)
《三鎮座の鼎(かなえ)〈三本足の青銅器・土器〉のように・白河神社(白河市旗宿関ノ森)・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)・都々古和氣神社(白河市表郷三森都々古山)〉の三社を以て 伊波止和氣神社とも云う》

奥宮
都々古別神社(表郷三森 都々古山)

都々古別神社は 馬場都々古別神社の旧蹟です 第12代景行天皇の皇子「日本武尊(yamatotakeru no mikoto)」が 都々古山(福島県白河市表郷三森の建鉾山)に「鉾(hoko)」を立てて「味耜高彦根命(ajisuki takahikone no mikoto)」を地主神として祀った創祀の地です 「建鉾山(武鉾山)」別名を「都々古山(Tsutsukoyama)(江戸期までは入山禁足)」の山頂には梵天の祠があります 当社は 山麓にあり 延喜式の時代には 祭祀が行われていた奥院と伝わります

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《参考》・石都々古和気神社(石川町) 

一緒に読む
石都々古和気神社(石川町)

石都々古和気神社は 約一万年位前から信仰されていたとされている古代の祭祀遺跡の跡地に鎮座しています これは全国的にも数少ない大変重要な遺跡といわれています その様子は 山には 全山に花崗岩の巨石が連なる多くの磐境が点在していて・屏風岩・船形岩・鏡岩(2基)・亀石・天狗石・石門(鳥居)更に 三種の神器と言われている・剣・玉(勾玉)・鏡岩等があります

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白河神社(しらかはの かみのやしろ)

・白河神社(白河市旗宿関ノ森)

一緒に読む
白河神社(白河市旗宿関ノ森)

白河神社(しらかわじんじゃ)は 社伝によれば 第13代 成務天皇五年(135年)白河國造命と天太玉命を奉祀し 勅命により鎮座 のち白河の関設置に当たり 関所南北に住吉 玉津島明神を祀る と伝わります 二つの式内社①伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)②白河神社(しらかはの かみのやしろ)の論社となっています

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・鹿嶋神社(白河市大鹿島)

一緒に読む
鹿嶋神社(白河市大鹿島)

鹿嶋神社(かしまじんじゃ)は 社伝によれば 光仁天皇の御代 宝亀年間(770~780)この地に祭られ 弘仁2年(811)坂上田村麻呂が東夷征伐の際 改めて常陸国鹿島大明神を勧請した神社〈白河以北を守る武神〉とされます 延喜式内社 陸奥国 白河郡 白河神社(しらかはの かみのやしろ)の論社でもあります

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八溝嶺神社(やみそみねの かみのやしろ)

・八溝嶺神社(八溝山 山頂)

一緒に読む
八溝嶺神社(八溝山)

八溝嶺神社は ・栃木・福島との県境にそびえ・茨城県内の最高峰(1,022m)を誇る「八溝山(Yamizosan)」の山頂に鎮座しています その歴史は古く 第12代景行天皇40年 日本武尊が東征軍を率い 当山の賊を打ち払い ここにおいて二神を祀られたと伝えられています 又 大同2年(807年)には 弘法大使が神殿を修営し 霊場とした際に山頂に立ち見渡すと 谷が8つに分れ 八方に湧水が流れ落ちる様を見て「八溝の嶺」と名づけられたと伝わります

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飯豊比賣神社(貞)(いひとよひめの かみのやしろ)

・飯豊比賣神社(白河市大信豊地日向)

一緒に読む
飯豊比賣神社(白河市大信豊地日向)

飯豊比賣神社(いいとよひめじんじゃ)は 創建年代 由緒ともに不詳です 江戸時代には鹿島大明神と称されていたようです 大正十四年(1925)建立の社号標には 神名に鎮座地の飯土用村の名を用いて゛奉納 延喜式 飯土用姫命゛と刻字があります 延喜式内社 陸奥國 白河郡 飯豊比賣神社(いひとよひめの かみのやしろ)の論社です

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永倉神社(貞)(なかくらの かみのやしろ)

・永倉神社(西郷村長坂)

一緒に読む
永倉神社(西白河郡西郷村長坂)

永倉神社(ながくらじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 六国史『日本文徳天皇實録』の斉衡二年(855)官社に列したと記される゛陸奧國 永倉神゛又 延喜式内社 陸奥国 白河郡 永倉神社(なかくらの かみのやしろ)の論社とされています 江戸時代には神明宮と呼ばれていましたが 明治五年(1872)永倉神社に改称されました

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石都都古和氣神社(貞)(いはつつこわけの かみのやしろ)

・石都々古和気神社(石川町) 

一緒に読む
石都々古和気神社(石川町)

石都々古和気神社は 約一万年位前から信仰されていたとされている古代の祭祀遺跡の跡地に鎮座しています これは全国的にも数少ない大変重要な遺跡といわれています その様子は 山には 全山に花崗岩の巨石が連なる多くの磐境が点在していて・屏風岩・船形岩・鏡岩(2基)・亀石・天狗石・石門(鳥居)更に 三種の神器と言われている・剣・玉(勾玉)・鏡岩等があります

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・(論社)近津神社(下野宮) 

論社
近津神社(大子町下野宮)

下野宮近津神社は 奥久慈大子地方が 陸奥國 依上郷と呼ばれていた頃 久慈川沿いに並び鎮座する3神社を゛近津三社゛と総称していました・〈上宮〉馬場都々古別神社・〈中宮〉八槻都々古別神社・〈下宮〉下宮近津神社(当社)の三社で〈上宮〉〈中宮〉の2つの都々古別神社は 陸奥国一宮です 当社〈下宮〉は「石都々古別神社」であると自認し 陸奥国一宮を主張します 又 式内社 常陸國 稲村神社であるとする説もあります

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苅田郡(かりたの こおり) 1座(大)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

苅田嶺神社(名神大)(かむたみねの かみのやしろ)

名取郡(なとりの こおり) 2座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

多加神社(たかの かみのやしろ)

佐具叡神社(さくちの かみのやしろ)

宮城郡(みやぎの こおり) 4座(大2座・小2座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

伊豆佐賣神社(いつさひめの かみのやしろ)

志波彦神社(名神大)(しはひこの かみのやしろ)

・志波彦神社(塩竈市)

一緒に読む
志波彦神社(塩竈市一森山)

志波彦神社(しはひこじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の名神大社として由緒ある國幣神社でしたが 社地狭隘の為に もとの鎮座地〈仙台市岩切の冠川〉から〈明治7年(1874)鹽竈神社の境内に〉遷座 現在は「志波彦神社・鹽竈神社」として1つの宗教法人となっています 御祭神は「鹽竈神(しおがまのかみ)」にご協力されたと伝わる「志波彦神(しはひこのかみ)」をお祀りします

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・志波彦神社(塩竈市)の旧鎮座地 冠川神社(仙台八坂神社  境内社)

旧 鎮座地
冠川神社(境内社)& 仙台八坂神社

冠川神社(かんむりがわじんじゃ)は 明治7年(1874)に塩竈市鎮座 一之宮 塩竃神社 の境内に遷座した国幣中社「志波彦神社」の元宮です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に名神大社として列する 朝廷から篤い信仰のある由緒ある古社です 御祭神「志波彦大神」は 記紀神話には登場せず この土地の土着神ともされている謎深き神です

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鼻節神社(貞・名神大)(はなふしの かみのやしろ)

多賀神社(貞)(たかの かみのやしろ)

黒川郡(くろかはの こおり) 4座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

須伎神社(すきの かみのやしろ)

石神山精神社(いはかむやまつみの かみのやしろ)

・石神山精神社(大和町吉田麓)

一緒に読む
石神山精神社(大和町吉田麓)

石神山精神社(いわかみやますみじんじゃ)は 七ツ森(ななつもり)山裾に鎮座します おそらくは 太古 蝦夷(えみし)が この大岩を石神として祀ったであろう聖地で その後に 蝦夷征伐 坂上田村麻呂将軍が植えた御手植え杉とともに 大和朝廷が崇める式内社 石神山精神社(いはかむやまつみの かみのやしろ)として この地を祀り治めてきたのでしょう

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・鹿島天足別神社富谷市大亀

一緒に読む
鹿島天足別神社(富谷市大亀)

鹿島天足別神社(かしまあまたりわけじんじゃ)は 二つの式内社〈・鹿嶋天足別神社・石神山精神社〉の論社となっています これは 明治42年(1909)同じ敷地内に鎮座していた吹上社を合祀しましたが この吹上社が 式内社〈鹿島天足別神社〉であり 本社は式内社〈石神山精神社〉であるとする説がある為です

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鹿島天足別神社(貞)(かしまあまたりわけの かみのやしろ)

・鹿島天足別神社富谷市大亀

一緒に読む
鹿島天足別神社(富谷市大亀)

鹿島天足別神社(かしまあまたりわけじんじゃ)は 二つの式内社〈・鹿嶋天足別神社・石神山精神社〉の論社となっています これは 明治42年(1909)同じ敷地内に鎮座していた吹上社を合祀しましたが この吹上社が 式内社〈鹿島天足別神社〉であり 本社は式内社〈石神山精神社〉であるとする説がある為です

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行神社(貞)(ゆくの かみのやしろ)

賀美郡(かみの こおり) 2座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

飯豊神社(いひとよの かみのやしろ)

・飯豊神社(加美町麓山)

・賀美石神社(加美町谷地森根岸)

賀美石神社(かみいしの かみのやしろ)

・賀美石神社(加美町谷地森根岸)

・飯豊神社(加美町麓山)

色麻郡(しかまの こおり) 1座(大)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

伊達神社(名神大)(いたちの かみのやしろ)

玉造郡(たまつくりの こおり) 3座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

温泉神社(ゆのいつみの かみのやしろ)

荒雄河神社(あらをかはの かみのやしろ)

温泉石神社(貞)(ゆのいしの かみのやしろ)

曰理郡(わたりの こおり) 4座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

鹿嶋伊都乃比氣神社(かしまいつのひけの かみのやしろ)

・鹿島緒名太神社亘理町逢隈小山 

一緒に読む
鹿島緒名太神社(亘理町逢隈小山)

鹿島緒名太神社(かしまおなたじんじゃ)は 当初は三門山山頂に『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 曰理郡の三社〈①鹿嶋伊都乃比氣神社(かしまいつのひけの かみのやしろ)➁鹿嶋緒名太神社(かしまをなたの かみのやしろ)➂鹿嶋天足和氣神社(かしまあまたりわけの かみのやしろ)〉が 鹿島神の苗裔神(びょうえいしん)として祀られていたとされ 当社は①➁の論社で 後に現在地に遷座されたと伝わります

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鹿島天足和気神社亘理町逢隈鹿島 

一緒に読む
鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島)

鹿島天足和気神社(かしまあまたらしわけじんじゃ)は 当初は三門山山頂に祀られていたとされ 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 曰理郡の三社〈①鹿嶋伊都乃比氣神社➁鹿嶋緒名太神社➂鹿嶋天足和氣神社〉の論社で 創祀は 武甕槌神だけであったが 稜威雄走神(鹿島伊都乃比気神社)を左殿に 猿田彦命(鹿島緒名太神社)を右殿に奉斎して鹿嶋三社大明神と称し 後に現在地に遷座と伝わります

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月山神社亘理町吉田作田
亘理町吉田字作田鎮座の鹿島社合祀

一緒に読む
月山神社(亘理町吉田作田)

月山神社(つきやまじんじゃ)は 以前は月山大権現と称し下大畑の龍光寺〈現 亘理町立吉田小学校の地〉に祀られていた 文久元年(1861)6月に現社内に移転し 明治2年(1869)月山神社と改称 明治43年2月 作田の民有地に祀られていた小祠の鹿島社〈延喜式内社 鹿島伊都乃比気神社の論社〉と八幡神社を合併奉祀し現在に至ります

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鹿嶋緒名太神社(かしまをなたの かみのやしろ)

・鹿島緒名太神社亘理町逢隈小山 

一緒に読む
鹿島緒名太神社(亘理町逢隈小山)

鹿島緒名太神社(かしまおなたじんじゃ)は 当初は三門山山頂に『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 曰理郡の三社〈①鹿嶋伊都乃比氣神社(かしまいつのひけの かみのやしろ)➁鹿嶋緒名太神社(かしまをなたの かみのやしろ)➂鹿嶋天足和氣神社(かしまあまたりわけの かみのやしろ)〉が 鹿島神の苗裔神(びょうえいしん)として祀られていたとされ 当社は①➁の論社で 後に現在地に遷座されたと伝わります

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鹿島天足和気神社亘理町逢隈鹿島 

一緒に読む
鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島)

鹿島天足和気神社(かしまあまたらしわけじんじゃ)は 当初は三門山山頂に祀られていたとされ 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 曰理郡の三社〈①鹿嶋伊都乃比氣神社➁鹿嶋緒名太神社➂鹿嶋天足和氣神社〉の論社で 創祀は 武甕槌神だけであったが 稜威雄走神(鹿島伊都乃比気神社)を左殿に 猿田彦命(鹿島緒名太神社)を右殿に奉斎して鹿嶋三社大明神と称し 後に現在地に遷座と伝わります

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安福河伯神社(あふかはの かみのやしろ)

鹿嶋天足和氣神社(かしまあまたりわけの かみのやしろ)

鹿島天足和気神社亘理町逢隈鹿島 

一緒に読む
鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島)

鹿島天足和気神社(かしまあまたらしわけじんじゃ)は 当初は三門山山頂に祀られていたとされ 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 曰理郡の三社〈①鹿嶋伊都乃比氣神社➁鹿嶋緒名太神社➂鹿嶋天足和氣神社〉の論社で 創祀は 武甕槌神だけであったが 稜威雄走神(鹿島伊都乃比気神社)を左殿に 猿田彦命(鹿島緒名太神社)を右殿に奉斎して鹿嶋三社大明神と称し 後に現在地に遷座と伝わります

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八雲神社亘理町
鹿島天足和気神社の旧鎮座地 三門山に祀られていた石祠が境内に祀られている 

信夫郡(しのぶの こおり) 5座(大1座・小4座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)

・鹿島神社(福島市鳥谷野宮畑 

一緒に読む
鹿島神社(福島市鳥谷野宮畑)

鹿島神社(かしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 信夫郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)の論社です 社伝には 天明元年(1781)4月火災により 同2年鳥谷野羽田喜三郎氏が拝殿を建立し 同年7月光格天皇の御世 勅宣奉授し「正一位」を授けられたとあり この時古記録は焼失したとのこと

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・鹿島神社(福島市小田鹿島山 

一緒に読む
鹿島神社(福島市小田鹿島山)

鹿島神社(かしまじんじゃ)は 社伝に その昔篠生(信夫)郷が湖沼であった時わずかに水上に出ていた鹿島の丘上に常陸国の鹿島神宮より蝦夷地経営の為分祀勧請されたと伝えられ 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 信夫郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)の論社でもあります

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・鹿島神社(福島市岡島竹ノ内 

一緒に読む
鹿島神社(福島市岡島竹ノ内)

鹿島神社(かしまじんじゃ)は 社伝に 第13代成務天皇の御代〈130~190〉 信夫国造 久麻直命(しのぶのくにのみやつこ くまのあたいのみこと)が東北開拓祈願の爲 常陸の鹿島大神宮を高松山に勧請し 後年 社地を源氏山に遷したとあり『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 信夫郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)の論社でもあります

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・鹿島神社(伊達郡国見町藤田町尻二

一緒に読む
鹿島神社 & 医薬神社(国見町藤田町尻二)

鹿島神社(かしまじんじゃ)は 縁起に「常陸国より守護神として鹿島明神を勧請し当地〈古鹿島〉に安置す」とあり 享保十年(1725)古鹿島の地から現境内に遷座と伝わり 医薬神社(いやくじんじゃ)は 明け薬師縁起に「天長の頃 空海上人巡礼のおり 眼病流行に苦しむ里人を救わんと 霊石に薬師如来を刻し 現在地に祀った」とあり 明治元年(1868)明け薬師の名称を医薬神社と改称 鹿島神社に合祀されました

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黒沼神社(くろぬまの かみのやしろ)

東屋沼神社(貞・名神大)(あつまやのぬま かみのやしろ)

東屋國神社(貞)(あつまやくにの かみのやしろ)

白和瀬神社(貞)(しらわせの かみのやしろ)

志太郡(したの こおり) 1座(小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

敷玉早御玉神社(しきたまはやみたまの かみのやしろ)

磐城郡(いはきの こおり) 7座(並小)

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大國魂神社(をほくにたま かみのやしろ)

二俣神社(ふたまたの かみのやしろ)

温泉神社(貞)(ゆのいつみの かみのやしろ)

佐麻久嶺神社(さまくみねの かみのやしろ)

住吉神社(すみよし かみのやしろ)

・住吉神社(いわき市小名浜住吉)

一緒に読む
住吉神社(いわき市小名浜住吉)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 社伝に第12代 景行天皇の時に武内宿弥が勅命を奉じて東北を巡視した折 海陸共に要害の地であったこの地を東北の関門 総鎮守として航海安全と国家鎮護として祀ったとあり 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される”住吉神社 七社”の一つ 式内社 陸奥国 磐城郡 住吉神社(すみよし かみのやしろ)であり 東北一社とも称しています

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鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)

・鹿島神社いわき市常磐上矢田町

一緒に読む
鹿島神社(いわき市常磐上矢田町)

鹿嶋神社(かしまじんじゃ)は 神護景雲二年(七六八年)創建と伝わり 古より鬼人が出没し 人畜に被害を及ぼし 庶民は大いに苦しんでいた時 武甕槌命が天より現れ 鏑矢で悪鬼を退治し 国家安泰となり 以来 鹿島明神として この山上に鎮座と伝わる 『延喜式神名帳927 AD.』所載 磐城郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)とされます

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子鍬倉神社(こくはくら かみのやしろ)

標葉郡(しねはの こおり) 1座(小)

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芻野神社(くさの かみのやしろ)

牡鹿郡(をしかの こおり) 10座(大2座・小8座)

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零羊埼神社(名神大)(ひつしさきの かみのやしろ)

香取伊豆乃御子神社(かとりいつのみこ かみのやしろ)

・香取伊豆乃御子神社(石巻市折浜竹沢)

一緒に読む
香取伊豆乃御子神社(石巻市折浜竹沢)

香取伊豆乃御子神社(かとりいづのみこじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 牡鹿郡 香取伊豆乃御子神社(かとりいつのみこ かみのやしろ)とされます 御祭神は 香取神宮の苗裔神(びょうえいしん)〈香取伊豆乃御子神(阿佐比古命)〉とされます

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・和渕神社(石巻市和渕町)

一緒に読む
和渕神社(石巻市和渕町)

和渕神社(わぶちじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 牡鹿郡 香取伊豆乃御子神社(かとりいつのみこ かみのやしろ)の論社です 大古 香取神社の神船が 常陸より牡鹿郡 和渕山の西辺(船島)に着き その東方に船を留め(船澤)山頂に宮柱を立て神様を祭祀したとも 坂上田村麿将軍が 大同二年(806)遠田郡箆岳へ十一面観音を建立の節に和渕山本宮に「木船明神」を勧請したのがはじまりとも伝えられる

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伊去波夜和氣命神社(いさりはやわけのみこと かみのやしろ)

曽波神社(そはの かみのやしろ)

拝幣志神社(名神大)(をかみへしの かみのやしろ)

鳥屋神社(とりや かみのやしろ)

鳥屋崎神社石巻市山下町 

羽黒山鳥屋神社石巻市羽黒町

大嶋神社(おほしま かみのやしろ)

鹿嶋御兒神社(かしまのみこの かみのやしろ)

・鹿島御児神社石巻市日和が丘

一緒に読む
鹿島御児神社(石巻市日和が丘)

鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)は 太古 関東の鹿島 香取の両神宮祖神の御子が共に命を受けて海路奥州へ下向し その乗船がたまたま石巻の沿岸に到り 停泊して錨を操作した際 石を巻上げたことから 石巻という地名の発祥をみたのだとの言い伝えがあり 石巻に上陸されたと伝わります

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久集比奈神社(くすひなの かみのやしろ)

計仙麻神社(けせまの かみのやしろ)

桃生郡(ものの こおり) 6座(大1座・小5座)

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飯野山神社(いひのやまの かみのやしろ)

日髙見神社(ひたかみの かみのやしろ)

二俣神社(ふたまたの かみのやしろ)

石神社(いはかみのやしろ

計仙麻大嶋神社(名神大)(けせまおほしまの かみのやしろ)

小鋭神社(をとの かみのやしろ)

行方郡(なめがたの こおり) 8座(大1座・小7座)

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髙座神社(たかくら かみのやしろ)

日祭神社(ひまつりの かみのやしろ)

冠嶺神社(さかみねの かみのやしろ)

御刀神社(みとの かみのやしろ)

鹿嶋御子神社(かしまみこの かみのやしろ)

・鹿島御子神社南相馬市鹿島区鹿島町 

一緒に読む
鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町)

鹿島御子神社(かしまみこじんじゃ)は 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)祭神 武甕槌命の御子神 天足別命(あめのたらしわけのみこと)を祀ります 奥州の地を統御する為 この地で〈鹿島の稚児沼に仮宮された時〉賊徒が ...

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鹿島御子神社旧蹟碑南相馬市鹿島区鹿島町

一緒に読む
鹿島御子神社旧蹟(南相馬市鹿島区鹿島町)

鹿島御子神社旧蹟(かしまみこじんじゃ きゅうせき)は 大同元年(西暦806)に現在の社地に社殿を造営し遷座するまでの旧鎮座地です 社伝に「日本武尊命御東征の時 此の鹿島御子神社に武運長久の祈願ありて、其の霊験に依り、乱臣賊子は速やかに征服し得て、其后益々 御子神社は特に軍神として武人崇敬の神となれり」とあるのはこの旧蹟地になります

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益多嶺神社(ますたみねの かみのやしろ)

多珂神社(貞・名神大)(たかの かみのやしろ)

押雄神社(貞)(をしをの かみのやしろ)

栗原郡(くりはらの こおり) 7座(大1座・小6座)

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表刀神社(うへとの かみのやしろ)

志波姫神社(名神大)(しはひめ かみのやしろ)

雄鋭神社(をとの かみのやしろ)

駒形根神社(こまかたねの かみのやしろ)

和我神社(わかの かみのやしろ)

香取御兒神社(かとりみこ かみのやしろ)

・香取御児神社〈旧鎮座地〉(栗原市築館久伝)

一緒に読む
香取御児神社(栗原市築館久伝)〈旧鎮座地〉

香取御児神社(かとりみこじんじゃ)〈旧鎮座地〉は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 栗原郡 香取御兒神社(かとりみこかみのやしろ)の論社地です 『観跡聞老志區別帳』『登米縣の注進』に「所在は築館村 二尺程の石をたてて 香取神社と彫付ありと云る」と記されています

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・香取御児神社〈鹿島神社に合祀〉(栗原市築館黒瀬後畑)

一緒に読む
鹿島神社〈香取御兒社を合祀〉(栗原市築館黒瀬後畑)

鹿島神社(かしまじんじゃ)は 東夷征伐後の入植者により 常陸国鹿島より黒瀬向山(三峯山)に勧請 江戸初期に現在地に遷座 この時 香取御兒社(かとりみこしゃ)を相殿に合祀 香取御兒社は『延喜式神名帳927 AD.』所載 栗原郡 香取御兒神社(かとりみこかみのやしろ)の論社で 勧請は 第12代景行天皇の時とも 神護景雲元年(767)城生野 伊治城の造営時とも伝わります

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遠流志別石神社(貞)(をるしわけいは かみのやしろ)

膽澤郡(いさはの こおり) 7座(並小)

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磐神社(いはの かみのやしろ)

駒形神社(こまかた かみのやしろ)

・駒形神社 本社(奥州市水沢中上野町)

一緒に読む
駒形神社 本社(陸中一宮)

駒形神社 本社(こまがたじんじゃ ほんしゃ)は 「陸中国一之宮」とされていて 駒ヶ岳山頂に「奥宮」が鎮座します 古代には 付近一帯が軍馬の産地であったと考えられていて 御祭神「駒形神」は「馬の守護神」ともされています 馬頭観音や大日如来と神仏習合して 東日本の各地に勧請されて 広く信仰されていきます

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・駒形神社 里宮(金ヶ崎町西根雛子沢)

一緒に読む
駒形神社 里宮(陸中国一之宮)

駒形神社 里宮(こまがたじんじゃ さとみや)は 江戸時代(1603年 ~1700年頃)に仙台藩側から駒ヶ岳山頂の奥宮に向かう参拝路口にあたる「金ヶ崎の里宮」になります 明治4年(1871)に 山頂の「奥宮」が 国幣小社に列する際に 奥宮・里宮とも参拝時の交通が不便であるので 当時の水沢県県庁に近い水沢の鹽竈神社の本殿が仮遥拝所とされました それが現在の駒形神社「本社」となります この「奥宮」と「本社」の中間なので「中宮」とも呼ばれています

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和我叡登舉神社(貞)(わかえとこの かみのやしろ)

石手堰神社(いはてゐ かみのやしろ)

膽澤川神社(いさはかはの かみのやしろ)

止止井神社(ととゐの かみのやしろ)

於呂閉志神社(をろへしの かみのやしろ)

新田郡(にひた こおり) 1座(小)

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子松神社(こまつの かみのやしろ)

磐瀬郡(いはせの こおり) 1座(小)

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桙衝神社(ほこつきの かみのやしろ)

會津郡(あいづの こおり) 2座(大1座・小1座)

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伊佐須美神社(貞・名神大)(いさすみの かみのやしろ)

・伊佐須美神社(会津美里町)

一緒に読む
伊佐須美神社(会津美里町宮林甲)

伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)は 『古事記』第10代 崇神天皇の段に゛四道将軍派遣の時 建沼河別と 其の父 大毘古命が相津(あいづ)にて行き逢った゛と記され 社伝には この時 天津嶽に伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神を 国家鎮護の神として奉齋した事に始まると伝えます 延喜式内社 陸奥国 会津郡 伊佐須美神社 名神大(いさすみの かみのやしろ)です

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蚕養國神社(貞)(こかひくにの かみのやしろ)

小田郡(をだ こおり) 1座(小)

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黄金山神社(こかねやまの かみのやしろ)

耶磨郡(やま こおり) 1座(小)

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磐椅神社(貞)(いはきの かみのやしろ)

斯波郡(しはの こおり) 1座(小)

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志賀理和氣神社(貞)(しかりわけの かみのやしろ)

氣仙郡(けせんの こおり) 3座(小)

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理訓許段神社(貞)(りくこたの かみのやしろ)

登奈孝志神社(貞)(となかしの かみのやしろ)

衣太手神社(貞)(きぬたての かみのやしろ)

安積郡(あさかの こおり) 3座(大1座・小2座)

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宇奈己呂和氣神社(貞・名神大)(うなころわけの かみのやしろ)

飯豊和氣神社(貞)(いひとよわけの かみのやしろ)

・飯豊和氣神社(郡山市三穂田町下守屋妙見)

・飯豊和氣神社 遥拝殿(三穂田町下守屋上豊舘)

・安達太良神社(本宮市本宮舘ノ越)

隠津嶋神社(貞)(おいつしまの かみのやしろ)

・隠津島神社(喜久田町堀之内宮)

・木幡山隠津島神社(二本松市木幡治家)

・隠津島神社(湖南町福良)

柴田郡(しはたの こおり) 1座(大)

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大髙山神社(貞・名神大)(おほたかやまの かみのやしろ)

宇多郡(うたの こおり) 1座(大)

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子負嶺神社(名神大)(こひみねの かみのやしろ)

・子眉嶺神社(相馬郡新地町駒ケ嶺大作)

一緒に読む
子眉嶺神社(相馬郡新地町)

子眉嶺神社(こびみねじんじゃ)は 今から1300年の昔 「飛鳥(あすか)の都」から 遠く離れた「陸奥國(むつのくに)」に逃れてきた 美しく身分の高い姫君の物語「姫君と名馬」の伝承を持ちます 神社の格式は 大和朝廷に敬われ 延喜の制では最高の名神大社となった古社です

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伊具郡(いくの こおり) 2座(並小)

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熱日髙彦神社(貞)(あつひたかひこの かみのやしろ)

鳥屋嶺神社(貞)(とりやみねの かみのやしろ)

鳥屋嶺神社丸森町除北

磐井郡(いはゐの こおり) 2座(並小)

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配志和神社(貞)(はいしわの かみのやしろ)

儛草神社(貞)(まひくさの かみのやしろ)

江刺郡(えさし こおり) 1座(小)

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鎮岡神社(しつめをかの かみのやしろ)

東山道に鎮座する 382座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る   

一緒に読む
東山道に鎮座する 382座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています

このページは
「東山道」に鎮座する(382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340)神社の一覧表です

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています