実践和學 Cultural Japan heritage

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飯野山神社(石巻市飯野字宮下北)〈『延喜式』飯野山神社〉

飯野山神社(いいのやまじんじゃ)は 社伝に「景行天皇の御宇 日本武尊 東夷征伐の折 この郷に本陣を定めた時 粮食欠乏して憂いた時に 三人の老翁が現れ 粮米を炊き尊に奉ると御感悦され 夷賊を平定して後 祠を建て之を祀る 飯野の地名これより起ると云う」延喜式内社 陸奥國桃生郡 飯野山神社(いひのやまの かみのやしろ)です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

飯野山神社(Iinoyama shrine

【通称名(Common name)】

【鎮座地 (Location) 】

宮城県石巻市飯野字宮下北134

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神
 稚産神(わくむすびのかみ)
 大山津見神(おほやまつみのかみ)
 保食神〈うけもちのかみ〉

合祀神》天水分神少彦名神国水分神倭健命那良皇太子加具土命火産霊命大名持命
明治40年飯野の水分ー皇子秋葉出雲愛宕(無格社)の各神社を合祀

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

衣食住の守護神

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創 建 (Beginning of history)】

延喜式内 飯野山神社

一、 祭 神 稚産霊神 大山津見神 保食神

一、 御神徳 衣食住の守護神

一、 神紋は菊花紋なるも明治二年大政官布告により使用を禁止さる、依って山崎家の家紋なる四菱紋に改む。

一、 由緒 沿革

 日本武尊 東夷征伐の折此の郷に御本陣を定め給うた時、粮食欠乏し、尊憂給いし時に三人の老翁が現れ、粮米を炊き、尊に奉る、尊御感悦あつて夷賊を平定して後、祠を建て之を祀る、飯野の地名これより起ると云う、潘汁の流水至るを飯野川と云ひ 碓を以て粮米を搗きし処に、碓神社を祀る、地頭山崎氏 藩命を承り松前に出陣せし折り指小旗の徽章に飯野山大権現と記し 文化四 年無事帰郷せしに依り奉賽として拝殿を新築して奉る、寛政年間の棟札には飯野山大権現とあり、中古 山頂より中段なる現在地に遷座し奉ると云伝へあり。

一、 明治四拾年参月壹日 神饌幣帛供進神社に指定さる。

 平成元年三月十五日 宮司 及川 
 奉納 建設者 伊藤正章 柳田新一 伊藤盛雄 小出新吾

現地石碑文より

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【由 緒 (History)】

由緒

当社の創建は、第12代、景行天皇第二皇子、日本武尊東夷征代の時、この郷に本陣を定めた時、陣中に糧食欠乏して軍士の殆んど飢に至る。
日本武尊、甚だ憂い給いし時、忽然と3人の老翁現れ、飯を炊き以って之を奉る。日本武尊、大いに御感悦あって夷賊を平定して後、祠を建て之を祀る。故に、現在もこの地を飯野と呼び、とき汁の流れるを飯野川という。又、炊飯した処を碓と云い、現在も碓の地名あり、碓明神として氏子三軒にて崇敬せり。
寛政年間の棟札には、飯野山大権現とあり。「社伝、風土記」往古は飯野山頂にありしが文化4年、地頭山崎氏の信仰厚く、七代の山崎源左衛門、藩命により北辺 (北海道松前)警備の任了えて帰るや社殿を中腹に造営して神霊を遷し奉る。明治5年3月村社に列し、明治40年飯野の水分、ー皇子、秋葉、出雲、愛宕(無格社)の各神社を合祀する。ついで幣帛供進社に指定される。延喜式内社。

宮城県神社庁HPより
https://miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310030755

【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

飯野山神社 社殿

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飯野山神社 拝殿

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・〈境内社〉熊野神社《主》伊邪那岐神 伊邪那美神

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『封内風土記』には 元々は 当地には熊野社が鎮座していた 後に飯野山神社社殿が建てられたと伝えています

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・〈境内社〉3社〔・八幡神社・稲荷神社・天神社〕の覆い屋

・〈中央〉八幡神社《主》応神天皇
・〈向って右〉稲荷神社《主》宇賀御魂命
・〈向って左〉天神社《主》菅原道真公

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・神門〈長床〉

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・稚児による「やぶさめ」復活記念碑

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・〈境内社〉飯野山 七福神

〔恵比寿神・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老尊・布袋尊〕

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・祓所

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・二の鳥居

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・参道石段

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・御神木

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・社頭・一の鳥居

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・飯野山山頂〈飯野山神社の旧鎮座地

社伝に「寛政年間の棟札には飯野山大権現とあり 中古 山頂より中段なる現在地に遷座し奉ると云伝へあり

現 飯野山神社(石巻市飯野字外吉野戸場柄)の辺りと伝わる

・飯野山神社(石巻市飯野字外吉野戸場柄)について別記事を参照

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)陸奥國 100座(大15座・小85座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)桃生郡 6座(大1座・小5座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 飯野山神社
[ふ り が な ](いひのやまの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ihinoyama no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 陸奥國桃生郡 飯野山神社(いひのやまの かみのやしろ)の論社

・飯野山神社(石巻市飯野字宮下北)

一緒に読む
飯野山神社(石巻市飯野字宮下北)〈『延喜式』飯野山神社〉

飯野山神社(いいのやまじんじゃ)は 社伝に「景行天皇の御宇 日本武尊 東夷征伐の折 この郷に本陣を定めた時 粮食欠乏して憂いた時に 三人の老翁が現れ 粮米を炊き尊に奉ると御感悦され 夷賊を平定して後 祠を建て之を祀る 飯野の地名これより起ると云う」延喜式内社 陸奥國桃生郡 飯野山神社(いひのやまの かみのやしろ)です

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・飯野山神社(石巻市飯野字外吉野戸場柄)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR気仙沼線 和渕駅から県道21号経由で東へ約7.7km 車での所要時間は12~15分程度

北上川の西岸 飯野山の西麓 県道30号沿いから鳥居が見えます

飯野山神社(石巻市飯野字宮下北)に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けます

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永い石段の下には 招魂碑 その手前には赤屋根の〈境内社〉猫神社が祀られています

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石段を上がって行きます
石段脇の杉の大木に注連縄が廻されています 御神木でしょうか

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二の鳥居の建つ場所は 踊り場の様になっていて 向かって右手には 石碑や〈境内社〉飯野山七福神が祀られていて 向かって左手は 祓い所となっていました

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石段の途中に 二の鳥居があり くくり抜けると又石段と神門〈長床〉があります

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神門〈長床〉をくぐり抜けると 境内の上の壇には 社殿が建ちます
中央に 飯野山神社拝殿
直ぐ隣 熊野神社の覆い屋
右手に 〈境内社〉3社〔・八幡神社・稲荷神社・天神社〕の覆い屋

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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飯野山神社拝殿の直ぐ隣 熊野神社の覆い屋があり
2社が並び祀られています
『封内風土記』には 元々は 当地には熊野社が鎮座していた 後に飯野山神社社殿が建てられたと伝えています

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして境内石段を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 飯野山神社について 所在は゛飯野村に在す、今 熊野権現と稱す、゛(現 飯野山神社(石巻市飯野字宮下北))と記しています

【抜粋意訳】

飯野山神社

飯野山は伊比乃夜麻と訓べし

○祭神 大山祇命歟

○飯野村に在す、今 熊野権現と稱す、〔参拝録、参考〕

連胤〕按るに、三代實錄、貞観五年十月廿九日戊子、陸奧國 勲九等飯大島神、云々、並授ニ 從五位下とあり、恐らくは飯の下に野山の二字脱たるにて、此時當社も加り給ふなるらん、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 飯野山神社について 所在は゛ 本吉郡飯野村飯野山に在り、゛(現 飯野山神社(石巻市飯野字宮下北))と記しています

【抜粋意訳】

飯野山(イヒヌノヤマノ)神社、

 本吉郡飯野村飯野山に在り、〔奥羽観迹聞老志、巡拝舊祠記、宮城縣神社調、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 飯野山神社について 所在は゛飯野村〔飯野山○今屬 陸前國〕(桃生郡大谷地村大字飯野)゛(現 飯野山神社(石巻市飯野字宮下北))と記しています

【抜粋意訳】

飯野山神社

祭神 大山祇命

祭日 三月九月十五日
社格 村社

所在 飯野村飯野山○今屬 陸前國〕(桃生郡大谷地村大字飯野)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

飯野山神社(石巻市飯野字宮下北) (hai)」(90度のお辞儀)

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陸奥国 式内社 100座(大15座・小85座)について に戻る

一緒に読む
陸奥國 式内社 100座(大15座・小85座)について

陸奥国(むつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 陸奥国には 100座(大15座・小85座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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