丸子神社(まるこじんじゃ)〈旧社地(現 御旅所)〉は 延喜式内社 駿河國駿河郡 丸子神社(まろこの かみのやしろ)の旧社地です 江戸時代の火災により焼夫し 現社地〈丸子神社 浅間神社(沼津市浅間町)〉に遷座しました 現在は 御旅所となっています
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
丸子神社(Maruko shrine)〈旧社地(現 御旅所)〉
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
静岡県沼津市丸子町740
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》金山彦尊(かなやまひこのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
御由緒
丸子神社の御祭神は金山彦尊と申し上げ、今日いう金属関係を主宰される神様であります。
旧記には「金山を主宰する神、伊邪那美神の御子也、荒金を土中に採り、これを以って或は剣、鏡をつくり、或は刀杖、鋤、鍬を鍛える等皆この神の幸へ護り給うところなり。」とあります。
第六十代醍醐天皇の延喜式神名帖に所載する「式内神社」で第十代 崇神天皇の御代この地に創建されたといわれている特別御由緒のある神社であります。
第六十二代 村上天皇の天暦年間には天下泰平御祈願所に 第九十六代 後醍醐天皇の建武二年には武運長久永代御祈祷所を仰付けられ、これより第百二代 後花園天皇の永享年間まで社運の隆昌を極めましたが 天正十年武田、織田両氏の戦で戦火のため社殿焼失の災に遭ってから一時衰微しましたが、後に復興 第百十七代 後桜町天皇の明和年間から第百十八代 御桃園天皇の安永年間に至る間は最も隆昌した時代で、境内も八町八反四方、社領五百三十石、社家八十六名を数えたといわれます。明治元年十月七日 明治天皇が当地を御通輦の折は、植松少将を官幣使として当神社に御差遣あらせられました。
明治六年三月には郷社に、明治十年十二月には現在の浅間神社に御遷座奉斎され、翌々年 明治十二年七月二十二日に県社に昇格されたのであります。
ここには旧社地として御分霊を奉斎してありますが、近時、小祠が老朽化し たため改築の議がなされ、氏子崇敬者の協力により、昭和五十三年六月新たに社殿の改築がなされました。なお改築に伴なって埋蔵文化財の発掘がなされ、その結果貴重な祭祀遺跡として由緒ある古い神社であることが確認されたのであります。現地石碑文より
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【由 緒 (History)】
由緒
丸子神社は沼津市内では由緒ある古い神社であります。当神社は第六十代醍醐天皇の延喜式神名帳に所載する『式内神社』であり第十代崇神天皇の御代に創建されたといわれております。
旧社地は駿河国沼津堂敷免(現 沼津市丸子町)に始めて奉斎鎮座されましたが、明治10年12月に現在の浅間神社に御遷座いたされ一扉二社となったのであります。
当神社は第六十二代村上天皇の天暦年間には天下太平御祈願所、第九十六代御醍醐天皇の建武2年には武運長久永代祈祷所を仰付けられ、くだって明治元年10月7日には明治天皇が当地を御通輦のみぎり官幣使を御差遣になされたご由緒があります。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
『駿河国新風土記』続編 第1輯〈昭和9年〉に記される内容
【抜粋意訳】
丸子神社
沼津驛の西田野の中に社あり、除地八故廿一步
此社昔頗大也と云、神樂殿 御供所 楼門の跡を見る、地名 田の名に残れり、延喜式駿河郡二座の一なるべし、
祭礼六月朔日、
神主 神尾大和兼帯(明治初年 浅間神社相殿となり 縣社に列せらる。舊地は沼津商業學校運動場の北にして、小祠を存せり)
【原文参照】
贄川良以 著 ほか『駿河国新風土記』続編 第1輯(駿東郡之部),志豆波多会,昭和9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1174498
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈現在の遷座先〉丸子神社 浅間神社(沼津市浅間町)
・丸子神社 浅間神社(沼津市浅間町)については こちらの記事を参照
丸子神社 浅間神社(まるこじんじゃ せんげんじんじゃ)は 2社の合殿 一扉二社で祀らます・丸子神社は 延喜式内社 駿河國駿河郡 丸子神社(まろこの かみのやしろ)で 江戸時代の火災により焼夫し旧社地〈現 御旅所〉から現在地に遷座・淺間神社は社家の傳に云く「當社は延暦年中 坂上田村麻呂東征の時の鎮座」と伝わります
丸子神社 浅間神社(沼津市浅間町)〈『延喜式』丸子神社〉
【この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)】
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)駿河國 22座(大1座・小21座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)駿河郡 2座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 丸子神社
[ふ り が な ](まろこの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Maroko no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 駿河國駿河郡 丸子神社(まろこの かみのやしろ)の論社
・丸子神社(沼津市本)〈旧社地(現 御旅所)〉
丸子神社(まるこじんじゃ)〈旧社地(現 御旅所)〉は 延喜式内社 駿河國駿河郡 丸子神社(まろこの かみのやしろ)の旧社地です 江戸時代の火災により焼夫し 現社地〈丸子神社 浅間神社(沼津市浅間町)〉に遷座しました 現在は 御旅所となっています
丸子神社(沼津市本)〈旧社地(現 御旅所)〉〈『延喜式』丸子神社〉
・丸子神社 浅間神社(沼津市浅間町)
丸子神社 浅間神社(まるこじんじゃ せんげんじんじゃ)は 2社の合殿 一扉二社で祀らます・丸子神社は 延喜式内社 駿河國駿河郡 丸子神社(まろこの かみのやしろ)で 江戸時代の火災により焼夫し旧社地〈現 御旅所〉から現在地に遷座・淺間神社は社家の傳に云く「當社は延暦年中 坂上田村麻呂東征の時の鎮座」と伝わります
丸子神社 浅間神社(沼津市浅間町)〈『延喜式』丸子神社〉
・二岡神社(御殿場市東田中)
二岡神社(にのおかじんじゃ)は 日本武尊東征の時 国司に命じて 二岡に木花之開耶姫命 四岡に天津彦火瓊々杵尊の社を造立したと云い その後一岡から七岡に分散していた7社の神々を合祀し 二岡七社大権現と号した 又 この地の川を丸子川と云い 延喜式内社 駿河國駿河郡 丸子神社(まろこの かみのやしろ)の論社とする説があります
二岡神社(御殿場市東田中)〈『延喜式』丸子神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR東海道本線 沼津駅から西へ約1.1km 車での所要時間は5~6分程度
沼津市立第一中学校の南に鎮座します
丸子神社(沼津市本)〈旧社地(現 御旅所)〉に参着
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社号標があり「延喜式内 丸子神社 旧趾」とあります
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拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 丸子神社について 所在は沼津驛に在す、゛〈現 丸子神社〈旧社地〉(沼津市本)〉と記しています
【抜粋意訳】
丸子神社
丸子は末里古と訓べし
○祭神 金山彦命、〔風土記〕
○沼津驛に在す、〔参考〕例祭 月日、
○惚國風土記五十六下残欠云、薦河国薦河郡、鞠込〔或丸子、或圓子、〕鞠込神社、去來穂別天皇御宇四年癸卯、所祭 金山彦也、神貢百束、
神位
國内神名帳云、正五位下 麻留天神、〔連胤云、當社なるべし、〕
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 丸子神社について 所在は゛今 駿東郡鞠子驛東門間村に在り、丸子大明神といふ、゛〈現 丸子神社〈旧社地〉(沼津市本)〉と記しています
【抜粋意訳】
丸子神社、
今 駿東郡鞠子驛東門間村に在り、丸子大明神といふ、〔神名帳考證、巡拝舊祠記、東海道名所圖會〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/81549
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 丸子神社について 所在は゛沼津本町〔字堂敷免 ○今屬駿東郡〕(駿東郡沼津町大字本町 縣社 丸子神社)゛〈現 丸子神社 浅間神社(沼津市浅間町)〉と記しています
【抜粋意訳】
丸子神社(明細帳になし)
祭神
今按 社傳 祭神 國常立命 金山彥命とあり 金山彥は惣國風土記の說なれば信難し 國常立命と云も疑はし 麻昌古王の御名に由ありけなれど 此國には此王の由緣(ミユカリ)なし 故考ふるに 丸子は わにこと訓しを 後に字によりて まりこと訛り 神階帳にも麻留天神など云りしなるべし 新撰姓氏錄に和仁古(ワニコ)大國主ノ神六世孫 阿太賀田須(アタカタスノ)命 之後也とあれば 祭神疑ふらくは大國主神ならん 姑附て考を俟つ
祭日 三月十五日 六月十七日
社格 郷社(明細帳、駿東郡沼津澤縣社とあり)
所在 沼津本町〔字堂敷免 ○今屬駿東郡〕(駿東郡沼津町大字本町 縣社 丸子神社)
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
丸子神社(沼津市本)〈旧社地(現 御旅所)〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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駿河国(するかのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 駿河国には 22座(大1座・小21座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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