大三王子神社(だいさんおうじじんじゃ)は 新島開拓の地主神 大三王子明神を祀り 始め能登男(のとお)山に鎮座 貞享三年(1686)現在地に遷座と伝わる 「テイサム王子社」弟三王子明神は廃し相殿に祀られます 『三代実録』多都美加賀ヒ神・延喜式内社 伊豆國賀茂郡 多祁美加々命神社(たけみかかのみことの かみのやしろ)です
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
大三王子神社(Daisan oji shrine)
【通称名(Common name)】
大三様(だいさんさま)
【鎮座地 (Location) 】
東京都新島村大三山1-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主祭神》大三王子明神(だいさんおうじみょうじん)
《相殿神》弟三王子明神(でいさんおうじみょうじん)〈大三王子の弟神〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史に記載される神社
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇實録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
大三王子神社
大三王子神社の祭神は、事代主命(ことしろぬしのみこと)の御子 大三王子明神(多祁美加々命 たけみかかのみこと)である。
古く能登男(のとお)山の西傾斜地に鎮座していたが、 貞享三年(一六八六)に現在地に転社した。
その後、享保十六年(一七三一)再興、さらに明治八年に社殿が改築された。社殿に及ぶ四百数段の石段は、近傍随一であり、社務所から本殿にいたる最後の石段は、土足で登らないことが慣習となっている。
境内からは本村の集落、前浜海岸、伊豆半島、式根島、神津島、そして能登男山方面と広角度に望むことができる。
神域には清流が流れ太鼓橋がかけられ、鬱蒼(うっそう)とした古木、神秘的で荘厳な境内は古社にふさわしい。
本社は、式内の名社として、また漁業の神として近傍の崇敬と島民の信仰を集めている。
新島村教育委員会
参道入口石碑案内板より
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【由 緒 (History)】
由緒
当島開拓の地主神にて、始め能登男山鎮座するを貞享3年現地に転社。享保6年社殿再興。明治8年再建。昭和50年社殿大改修。境内整備。神域広大。石段多数。風光絶佳。参拝者後を絶えない。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
『伊豆七島志』巻上〈明治34年(1901)に記される内容
《相殿神》弟三王子明神(でいさんおうじみょうじん)〈大三王子の弟神〉を祀る「テイサム王子社」について 今は廃している と記しています
【抜粋意訳】
新島 神祠 ○大三王子神社
本村大三(ダイサン)山鎮座 祭神 多祁美加々命なる可し
式内 多祁美加々命神社なる可し
三宅記に三島ノ神 新島に置給ふ后を「ミチノクチトノ大后とぞ申ける 其 御腹に王子二人ます一人を「ダイサムノ王子〔一本 大宮王子〕とある是りなり
本社 今は島の南西沿海に鎮座すれど往古は三十町許東方〔全島の南方〕に島山にありて旧址存せり 貞享三年遷祀すと傳ふ
三代實録に曰く 仁和二年十一月授に 伊豆國正六位上 多祁美加々神に正五位下と〇大三王子は 島を開きたる神故 島民特に尊信す 又 テイサム王子社もありたれも 今廃す
【原文参照】
秋山章, 萩原正夫 纂輯『伊豆七島志』巻上,萩原正夫,1901. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991431
秋山章, 萩原正夫 纂輯『伊豆七島志』巻上,萩原正夫,1901. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991431
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
【この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)】
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』〈延喜元年(901年)成立〉に記される伝承
「多都美加賀ヒ神」として 神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
仁和2年(886)11月25日 庚子 の条
授くに 伊豆国
正5位下 楊原神に 正5位上
正6位上 多都美加賀ヒ神に 正5位下を
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 多祁美加々命神社
[ふ り が な ](たけみかかのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Takemikakano mikoto no kamino yashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
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『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
伊豆國賀茂郡 多祁美加々命神社(たけみかかのみことの かみのやしろ)の論社について
・大三王子神社(新島村大三山)
大三王子神社(だいさんおうじじんじゃ)は 新島開拓の地主神 大三王子明神を祀り 始め能登男(のとお)山に鎮座 貞享三年(1686)現在地に遷座と伝わる 「テイサム王子社」弟三王子明神は廃し相殿に祀られます 『三代実録』多都美加賀ヒ神・延喜式内社 伊豆國賀茂郡 多祁美加々命神社(たけみかかのみことの かみのやしろ)です
大三王子神社(新島村大三山)〈『延喜式』多祁美加々命神社〉
・八幡神社(下田市吉佐美)〈境内 若宮〉
八幡神社(はちまんじんじゃ)は『平家物語』の鵺(ぬえ)退治の説話でも有名な源 頼政公〈1104~1180〉が知行国の伊豆国に石清水八幡宮を勧請して 地名を朝日里から吉佐美に改めたのが当社 合わせて配祀の若宮〈八幡若宮ではなく 三島神の若宮〉をこの地に遷座と伝わります 3つの式内社の論社で 本殿・相殿・右殿にそれぞれ① 加彌命神社〈本殿〉➁ 竹麻神社 三座〈相殿 三島神社〉➂ 多祁美加々命神社〈右殿 若宮〉が祀られています
八幡神社(下田市吉佐美)
・八幡神社(下田市河内)
八幡神社(はちまんじんじゃ)は 『南豆神祇誌 1928年』著者の足立鍬太郎氏によれば 大正6年(1917)の棟札には「八幡神社 旧称 王子神社」と記されていて 第三王子 則ち 多祁美加々命を祭った社と記しています 延喜式内社 伊豆國 賀茂郡 多祁美加々命神社(たけみかかのみことの かみのやしろ)の論社です
八幡神社(下田市河内)〈『延喜式』多祁美加々命神社〉
『三宅記(miyakeki)』に記される「伊豆諸島の命名・各島の后と御子」の伝承
〈『三宅記』は 原本は鎌倉時代末期に完成したと見られています〉
三島大明神によって 焼き出された伊豆諸島 各々の島の命名 又 三島大明神によって 各々の島に置かれたとする「后(きさき)」と その「王子(みこ)」の名 又 「随身(貴人の側近)」の名が記されています
【抜粋意訳】
三島大明神〔三嶋大社の祭神〕は 考安天皇の二十一年に島を焼き始めました
・・・
・・・明神は この島々に名前を付けられた
一番の島を はじめの嶋(はしめの嶋)〈初島〉と名付けて この島にタミの種を植えた
二番の島を 島々の中に焼き出した そこに神達が集まり 島々を焼き出す話しをしたので 神あつめ嶋〈神津島〉と名付けた三番の島を 大きい島なので大嶋〈大島〉と名付けた
四番の島は 潮の泡を集め焼いた島の色が白かったので あたら嶋〈新島〉と名付けた
五番の島をば 家が三つ並ぶ様子に似ており 三宅嶋〈三宅島〉 と名付けた
六番の島をば 明神の倉にすると作り 御倉嶋〈御蔵島〉と名付けた
七番の島を はるかな澳にあるので 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉と名付けた
八番の島をば 小嶋〈八丈小島〉 と名付けた
九番の島をば 嶋の姿が王の鼻に似ており わ(お)うこ嶋〈青ヶ島〉と名付けた
十番の島をば としま〈利島〉と名付けた大明神は この島に通って遊ばれた 中でも 大嶋 三宅嶋 あたら嶋 の三所に 常におられました
さもあらんと 三宅嶋〈三宅島〉に宮造りをされて大明神と申された
そして見目(みるめ)〔火戸寄神社の祭神〕と若宮(わかみや)〔若宮神社の祭神〕に申された
「后を作ろう 島々に一人ずつ置くとしよう」見目と若宮は 申し上げて「天竺の「大明神のご子息の母御前〕はいかがですか」
「それは父の王の妻 できない 」「それでは」と見目と若宮は出かけた どういう方かはわからぬが 五人の后を伴い 帰ってきたので
大明神は 大いに喜悦された
一人を 大嶋〈大島〉に置かれ その后の御名を はふの太后 と名づけた〔波布比咩命神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人は 太郎の王子 おほひ所 と名付けた〔大宮神社の祭神〕
一人は 次郎の王子 すくない所 と名付けた〔波治加麻神社の祭神〕また 一人の后をば あたら島〈新島〉に置來らせ みちのくの大后 と申された〔泊神社の御祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人を 大宮の王子 〔大三王子神社の祭神〕
一人を 第三乃(ていさん)王子と申した〔大三王子神社相殿の祭神〕
この二人の王子には 剣の御子 を添わせた〔差出神社の祭神〕神あつめの嶋〈神津島〉におさまる后の御名は 長濱の御前 と申し〔阿波命神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人をば たたなひ 〔物忌奈命神社の祭神〕
一人をば たふたい と申した〔日向神社の祭神〕
この王子には 天竺から来た左大臣を付け置かれた 名前をば ぬく嶋の大別当 と申された その女房を ふとおまゑ(仏御前) と申した又 三宅嶋〈三宅島〉に置かれた后の名をば 天笠いま后 と申し〔富賀神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人をば あん祢ひこ(安寧子) 〔飯王子神社の祭神〕
一人をば まん祢いこ(満寧子)と申した〔酒王子神社の祭神〕又 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉に置かれた后をば いなはゑ と申し〔優婆夷宝明神社の祭神〕
その御腹に 王子が五人あって
その后が亡くなると 長男と次男は手に手を取り合って思い死に終り 石となり おとあにの御子 として立っておられる
あと二人は まだ幼い頃に亡くなってしまった
それで 五郎の王子のみが 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉におられます〔優婆夷宝明神社の祭神〕
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F1000000000000040542&ID=&LANG=default&GID=&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F1000000000000040542&ID=&LANG=default&GID=&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1画像利用
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
新島 黑根海岸の新島港から参道の入口まで約400m 徒歩での所要時間5分程度
新島港に到着
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黑根海岸から北方向を望むと利島が見えています
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新島港のすぐ東側の駐車場から 階段があり 大三王子神社の参道入口に通じています
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大三王子神社(新島村大三山)の参道入口に参着
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本来は この参道入口から参道を進んで行くと「400段にもなる すり減り苔むした石段があり 社務所から本殿にいたる最後の石段は 土足で登らないことが慣習となっている」らしい
しかし 令和元年(2019)の台風被害で社殿が破壊されており 現在は社殿が撤去された更地の状態となっているので ここから遥拝をします
お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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帰りは 新島空港から40分ほどで調布飛行場へ
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
所在は 吉佐美村〈現 八幡神社(下田市吉佐美)〈境内 若宮〉〉であり 三嶋神社と 三嶋神に従いし若宮の事であると記しています
【抜粋意訳】
多祁美加々命(タケミカカノミコト)神社
三代実録 仁和2年(886)11月25日 庚子 の条 正6位上 多都美加賀ヒ神に 正5位下
旧事 天忍男命子建額赤命
志 吉佐美村に 三嶋明神坐す 白鬚を配祀す 源三位頼政の記あり
その客曰く
豆州17番の御神 神尾山 御蔵山の麓 多田美河の河上に坐ますは 当郷 朝日の里 月吉村のうぶすな大明神 人皇6代に当ら興津彦 興津姫と云い この神 必ず式社なるへけれ 氏祠典 何れの命なるか 或いは曰これ 多祁美加々命神社 多田美河と語 相類しを訛誤あるか又 三嶋明神とするは 昔 祠域に若宮祠あり これ三嶋神に従いし若宮なること 三嶋と称せしならむ 伊豆峯記
【原文参照】
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『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
所在は 吉佐美村〈現 八幡神社(下田市吉佐美)〈境内 若宮〉〉であり 三嶋神社と 三嶋神に従いし若宮祠があると記しています
【抜粋意訳】
多祁美加加命神社
多祁美加々は 仮字なり
〇祭神 明らかなり
〇在所 詳らかならず考証に 旧事紀 天忍男命子建額赤命
〇伊豆志に 吉佐美村に 三嶋明神坐す 白鬚を配祀す 源三位頼政の記あり
その略曰く
豆州17番の御神 神尾山 御蔵山の麓 多田美河の河上に坐ますは 当郷 朝日の里 月吉村のうぶすな大明神 人皇6代に当ら興津彦 興津姫 云々この神 必ず式社なるへけれ 氏祠典 何れの命なるか 或いは曰これ 多祁美加々命神社 多田美河と語 相類しを訛誤あるか と云えり」
伊豆峯記云う 三嶋明神とするは 昔 祠域に若宮祠あり これ三嶋神に従いし若宮なるゆえ 三嶋と称せしならむ
神位 三代実録 仁和2年(886)11月25日 庚子 の条 正6位上 多都美加賀ヒ神に 正5位下
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
所在は 吉佐美村〈現 八幡神社(下田市吉佐美)〈境内 若宮〉〉であり 三嶋神社と 三嶋神に従いし若宮祠があると記しています
しかし
゛新島鎮座 大三明神なるべし゛〈現 大三王子神社(新島村大三山)〉との説を挙げて これだとしています
【抜粋意訳】
多祁美加加命(タケミカカノミコトノ)神社
祭神 多祁美加加命
今按〈今考えるに〉
三宅記に三島神の御子神のことを新島に置きたまう后を云々 この御腹に たいさむの王子とあるは 古伝によりて云えるものとみゆれば この神は三島神の御子なることを知るべし
神位 光孝天皇 仁和2年(886)11月25日 庚子 の条 正6位上 多都美加賀ヒ神に 正5位下
祭日
社格所在
今按〈今考えるに〉
豆州志に 吉佐美村に 三嶋明神坐す 白鬚を配祀す 源三位頼政の記ありその略曰く
豆州17番の御神 神尾山 御蔵山の麓 多田美河の河上に坐ますは 当郷 朝日の里 月吉村のうぶすな大明神 人皇6代に当ら興津彦 興津姫 云々この神 必ず式社なるへけれ 氏祠典 何れの命なるか 或いは曰これ 多祁美加々命神社 多田美河と語 相類しを訛誤あるか と云えり
而るに
攷證に 新島鎮座 大三明神なるべし 三宅記に 新島に置きたまう后を はみちのくちのみとの大后と申しける この御腹に王子二人おはします 1人をたいさむの王子とみえ 古老遺説に たいさむ王子は この島の地主神にして 島を開きたる神なりと云いて 尊信するを思うべし今称の だいさむは多祁美の転訛にて タケのタキと訛りたるを 音便にタイと唱えしを三度転じてタイサムと申しならむも 知るべからずと云える拠ありて聞こえれば 今 これに従う
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
大三王子神社(新島村大三山)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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