実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

熱海 來宮神社(熱海市西山町)〈『文徳實録』『延喜式』阿豆佐和氣命神社〉

熱海 來宮神社(きのみやじんじゃ)は 江戸時代には「木宮明神」明治維新後「阿豆佐和気神社」その後「来宮神社」現在は「來宮神社」と称しています 延喜式内社 伊豆國賀茂郡 阿豆佐和氣命神社(あつさわけのみことの かみのやしろ)の参考論社でした 本殿横には国の天然記念物にも指定された樹齢二千百年の大楠の御神木があります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

熱海 來宮神社(Kinomiya shrine)

【通称名(Common name)】

来宮明神(きのみやだいみょうじん)

来宮明神(きのみやみょうじん)

【鎮座地 (Location) 】

静岡県熱海市西山町43-1

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》日本武尊(やまとたけるのみこと)
   五十猛命(いたけるのみこと)
   大己貴命(おほなもちのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

殖産興業 温泉守護 縁結び 禁酒 交通安全等

【格 式 (Rules of dignity) 】

・ 国史に記載される神社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創 建 (Beginning of history)】

来宮神社の由来

御祭神
 大己貴命(商売繁盛・縁結び・温泉の神)
 五十猛命(樹木の神)
 日本武尊(決断の神)

社伝によると、およそ三千有余年前 大己貴命(大国主命)が国を治めるため、遠い西の国(現在の島根県)より諸神を率いて海を渡り伊豆の国のこの地に(現在の熱海の海岸)に上陸 されて此の地方をお治めになり、ここは温泉に恵まれ気候風土よく、その上諸物資の豊かな所なので、非常にお喜びになり、ここに居を定められ、当神社は其の跡と伝えられている。
その後 第十二代景行天皇の御代に御東征になられた日本武尊をおまつりし、第四十三代 元明天皇の御代に(約千三百年前・和銅三年)五十猛命をお祀りしたと伝えられている

大楠の由来

大昔の大楠を御神体として、よろずの人が信仰していたもので、いわゆるひもろぎ神社であった。樹齢は二千年以上と謂われております。古くからそのまわりを一周廻る毎に一年間生き延びると伝えられ、廻った人は医者いらずといい、一名不老の楠とも呼ばれている。此の大楠の由来は宮地直一・加藤玄智 両博士の著書にも明かである。
昭和八年二月二十八日に文部省より国定の天然記念物に指定された。

願事の由来

一、縁結びの神 縁結びの神として古くから知られ今も遠近の人より良縁の幸福のご利益があるので、信仰が厚い。

一、商売繁盛・宅地造成・温泉守護の神 昔から商売繁盛・宅地造成・温泉守護の神として信仰が厚く、御家繁盛の為ここを詣でる人の絶え間がない。

一、酒断ちの神 古くから酒断ちの神として近くは関東・遠くは関西に至る迄大神の御神徳が拡まり、酒の為 家庭を破壊し病に悩む身を滅ぼさんとする人は、期間を定めて酒を断ち、大神の御利益により数多くに人が救われている。その他諸々の願事を大神にすがり、大願成就して日夜詣でる人は絶え間がない。

平成十四年一月吉日 別表神社 来宮神社 牧野鳳仙謹書

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

祭神

大己貴命(おほなもちのみこと)
五十猛命(いたけるのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)

由緒沿革

 来宮神社は太古・大己貴命(別名 大國主命)が海上遙か西方より詰を率いて海を渡り伊豆の國の此の地に着かれるや氣候温暖にして温泉湧出し 更に海山の幸にも恵まれているので此処に居を定められ当神社が其の跡地と伝へられている 当社及附近からは古代の土器が多数出土する

 人皇第十二代 景行天皇の御代に御東征になられた日本武尊をおまつりし 第四十三代元明天皇の御世 和銅三年(約千二百有余年以前)に五十猛命をおま

つりした 現代になってからは畏くも大正二年二月に 今上天皇には皇太子殿下の御時 御参拜に相成り幣帛料を御下賜下され 尚三笠宮 久迩宮 両殿下より金一封を賜わり更に 三笠宮寛仁親王殿下には御榊を植樹

 伊勢神宮祭主 北白川房子様より 来宮神社神額を御染筆下され畏き極みである

神徳

 伊豆の国には古代から来宮信仰が拡まっていたが 当社はその中でも最も著名にして諸願成就の神として広く神徳を慕われている 即ち御祭神の御事蹟にあやかり 殖産興業 温泉守護 縁結び 禁酒 交通安全等を祈念する人々にて踵を絶たない

はるはると尋ねて此こに来の宮の神さみしくも幾代へぬらん 織田從四位待從

来宮は樹令二千年の樟のもとに御國の栄へ永久に守らん 佐佐木信綱

大樟(おおくす)の由来

此の大樟は来ノ宮大神の寄代(よりしろ)とされた御神木であつて樹令二千年を数え 之を一周すると一年寿命が延びると伝へられている

大正八年に文部省から國の天然記念物に指定された

現地石碑文より

Please do not reproduce without prior permission.

【由 緒 (History)】

由緒

 古くから来宮大明神と称し、熱海郷の地主の神であって来宮の地に鎮座し、福の神・縁起の神として古くから信仰され祭神は、左の三柱である。

日 大已貴命は素盞嗚命の御子であって又の名を、大国主命、俗に「ダイコク様」と云われ古代出雲の神々が海、山を渡られて伊豆地方に進出されたときに、此の熱海の里が海、山に臨み、温泉に恵まれ風光明美にして生活条件の整っていることを愛し給い此処に住居を定めた時祀られたと伝えられています。

月 五十猛命は素盞嗚尊の御子であって、尊と共に朝鮮に渡られ、樹種を持ち帰り日本国土に播種した神であります。当社へは和銅3年6月にまつられました。今から凡そ1300年前和銅3年6月15日に熱海の海へ漁夫が網をおろしていたところ、お木像らしい物が之に入ったので不思議に思っていたところ、ふとそこに童児が現れ我は五十猛命である。此の地に波の音の聞へない七本の楠の洞があるからそこへ私をまつれ、しからば村人は勿論当地へ入り来る者も守護するからと云うと同時に童児は地に伏してしまったので、村人一同で探し当てた所が、今の此の地であり、毎年6月15日(新暦の7月15日)になると海岸へ出て当時を偲ぶお祭を行う。(7月の例大祭。こがし祭)当時海辺で神に麦こがしを神に供えて、尚、国の天然記念物に指定されている此の大楠は、当社の御神木(ヒモロ木)であって、太古は此の楠へ神の霊をお招きして神をまつっていました。いわゆるヒモロ木神社である事は故宮地直一、加藤玄智両博士の著書にも述べられています。

火 日本武尊は人皇第十二代、景行天皇の御代、御東征に出陣せられ、箱根路から、此の地に軍を進められた時、住民を労り、産業を奨励した功績と、武勲を称えたゝめまつられたと伝えられる。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

『熱海の栞』(大正10年)に記される内容

熱海 来宮神社が 式内社 阿豆佐和氣命神社と称していた頃の祭神が記されます

【抜粋意訳】

神社佛閣

□來宮神社

 熱海の西北に當れる森閑(しんかん)たる幽境(いうきょう)にあり。

阿豆佐和氣命(あづさわけのみこと)、五十猛神(いそたけるのかみ)、大己貴神(おほなむちのかみ)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、相殿(あいどの) 稲荷(いなり)、天満宮(てんまんぐう)、柿本紀僧正(かきのもとのそうじょう)を、合祀す。社前に故 乃木将軍揮毫の忠魂碑あり。

【原文参照】

神保弥三郎 編『熱海の栞』,神保弥三郎,大正10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/963699

【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

來宮神社 社殿

Please do not reproduce without prior permission.

・〈御神木〉第一大楠

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

日本最樹齢の樟
 国指定天然記念物

大樟

文部大臣指定 昭和八年二月二十八日

樹齡 二千年以上
周囲 二十三.九米
高さ 二十六米以上

御由緒

古代においては此の樟へ神の御霊〈みたま〉をお招きしてお祀りしておりました。現在は当社の御神木〈ごしんぼく〉となっております。

此の大楠は二千年の間、世の天変地異(てんぺんちい)を経て今の世に至りましても その樹勢(じゅせい)は衰(おとろ)えず いよいよ旺(さか)んにして 根は深く大地をふまえ 巌石の如き様相を呈し「延命長寿(えんめいちょうじゅ)」の象徴(しょうちょう)とされています。

世の貴顕紳士をはじめ あらゆる方々が訪ねて来られ、此の大楠の前にたたずみ何物かを感得(かんとく)されて帰られます。

平成十二年五月吉日 別表社 来宮神社 牧野鳳仙 謹書

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

・〈境内社〉來宮弁財天

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

開運出世 辨財天のいわれ

 安永三年八月(約二百年前)江戸に住いして大久保将監という徳川家の武臣は自分の立身出世の為 奥州の金華山にもあらたかな弁財天が鎮座されていると聞き はるばるこの辨財天をめざして供侍一人を連れて江戸を立出でました。
 千里の道を遠しとせず 漸く金華山に着き江戸からはるばる奥州路を下って祈願に来た由を当社の別当に告げるや 別当は大いに将監殿の熱意にほだされ神を拝する種々の修法を授けられました。

 それより将監殿は二十一日間の水洉をとり熱心に祈願をこめられ最後の満願の日になると滝壺から宝殊の石が現れました。
 その霊体には「軍を破る七つの星」の姿がけんじされていたので別当の言われるまま七ヶ年の間 日夜信心 これ怠りなく務めたところ宝殊の玉の威徳があらわれ諸願が成就し 遂には官位 豊前の守にまで出世されました。(原文には奇なる哉、妙なる哉と記してあります。)
 其の後 天明四年四月(約二百年前)滝川殿という武臣は信心常に怠りなく務めたので 之又 大願成就して不思議にも老中の職にまでも出世されたと古記には記されてあります。

 その後、寛政八年九月(約二百年前)先の大久保豊前守は斯様な霊験あらたかな御神体を俗家(ぞくが)に安置しておいては恐れ多いというので、秩父霊場(今の秩父神社)へお預けして祀られてあったが 文政七年九月(約百六十年前 今の八月)に熱海本陣「今井半太夫」の所に東武秩父山八十一翁万国僧庵という人が滞在された時 以上のような話をされたので 幕末に於ける世の中は騒然とさわがしく飢饉が続き、又 疫病が慢延したので これらを鎮める為「熱海郷の役人村民一同が熱海郷の霊場 来宮神社の地を卜(ぼく)して安置し 永代の鎮守として仰ぎ奉る」と記されてあります。

 以後、明治、大正、昭和と時代を経るに当たり 遠近よりこの霊験を聞き伝えて祈願に来られる方々が後を絶ちません。

願い事 芸能上達、立身出世、営業繁昌、身体強健など、その他祈願多し

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

・〈境内社〉來宮稲荷社

Please do not reproduce without prior permission.

・〈境内社〉末社七社

〔○小童社○秋葉社○神武天皇社○八坂神社○雷電社○床浦社○柿本社〕

Please do not reproduce without prior permission.

・第二大楠

Please do not reproduce without prior permission.

・〈境内社〉三峯神社

Please do not reproduce without prior permission.

・大鳥居御社号額奉納記念碑

Please do not reproduce without prior permission.

・大鳥居

Please do not reproduce without prior permission.

・社頭

Please do not reproduce without prior permission.

・トンネルからの社頭

Please do not reproduce without prior permission.

【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『日本文徳天皇實録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

卷一 嘉祥三年(八五〇)六月庚戌

○庚戌

伊豆國
 阿米都和氣命 伊太和氣命 阿豆佐和氣命 佐岐多麻比
伊賀國
 佐佐神 津神等 並授從五位下

壹岐嶋
 角上神  於官社

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

齊衡元年月己卯の條にも「 伊豆國 阿豆佐和氣命神 從五位上」と同文があります

【抜粋意訳】

卷四 仁寿二年(八五二)十二月丙子十五

○丙子

ふ 伊豆國
 三嶋大神 從四位下

 阿波命神 物忌寸奈命神 伊古奈比命神 正五位下

 阿米都和氣命神 伊太豆和氣命神 阿豆佐和氣命神 波布比命神 從五位上

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)

[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 阿豆佐和氣命神社
[ふ り が な ](あつさわけのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Atsusawake no mikoto no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 伊豆國賀茂郡 阿豆佐和氣命神社(あつさわけのみことの かみのやしろ)の論社

・阿豆佐和気命神社本宮(利島村)

一緒に読む
阿豆佐和気命本宮・阿豆佐和気命陵墓(利島村南御神山)〈『延喜式』阿豆佐和氣命神社〉

阿豆佐和氣命(あずさわけのみこと)本宮(ほんぐう)・陵墓(みささぎ)は 太古に陵墓を神社として祀る時代があり 命の陵墓が元々の阿豆佐和氣命神社旧跡であった 後 本宮の地に遷座し 更に 六百年程前この地が氏子の参拝に不便の為 現在の利島村一番地の阿豆佐和氣命神社(明神様)に遷座 この地は〔本宮〕となったと口碑に云う

続きを見る

・阿豆佐和気命神社(利島村)

一緒に読む
阿豆佐和気命神社(利島村一番地)〈『文徳實録』『延喜式』阿豆佐和氣命神社〉

阿豆佐和気命神社(あずさわけのみことじんじゃ)は 利島の山の南側に阿豆佐和気命〈本宮〉 東側に姫神の下上命が鎮座しています 参拝の不便から村落内に夫妻を祭神として分祀遷座したとされます 『文徳實録』には「阿豆佐和氣命神」『延喜式』に伊豆國賀茂郡 阿豆佐和氣命神社(あつさわけのみことの かみのやしろ)と所載されます

続きを見る

・熱海 來宮神社(熱海市西山町)〈参考論社〉

一緒に読む
熱海 來宮神社(熱海市西山町)〈『文徳實録』『延喜式』阿豆佐和氣命神社〉

熱海 來宮神社(きのみやじんじゃ)は 江戸時代には「木宮明神」明治維新後「阿豆佐和気神社」その後「来宮神社」現在は「來宮神社」と称しています 延喜式内社 伊豆國賀茂郡 阿豆佐和氣命神社(あつさわけのみことの かみのやしろ)の参考論社でした 本殿横には国の天然記念物にも指定された樹齢二千百年の大楠の御神木があります

続きを見る

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR伊東線 来宮駅から約270m 徒歩での所要時間4~6分程度

Please do not reproduce without prior permission.

来宮駅前から200m程 東側の伊東線 東海道線のトンネル 東海道新幹線の高架下を抜けると社頭になります

Please do not reproduce without prior permission.

熱海 來宮神社(熱海市西山町)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

向って左に〈境内社〉稲荷社

Please do not reproduce without prior permission.

向って右に 第二大楠

Please do not reproduce without prior permission.

参道を進みます

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

本殿向かって右に〈境内社〉辨財天社

Please do not reproduce without prior permission.

社殿の向かって左奥には 御神木 第一大楠

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして 境内を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

鳥居を抜けて 来宮駅に戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 阿豆佐和氣命神社について 所在は゛利島に在す、゛〈現 阿豆佐和気命神社〉と記しています

【抜粋意訳】

阿豆佐和氣命神社

阿豆佐和氣は假字也

○祭神明か也

○利島に在す、例祭 月日、

神位

 文徳實録、嘉祥月庚戊、伊豆國 阿豆佐和氣命 授從五位下、
 仁寿十二月丙子、加 伊豆國 阿豆佐和氣命神 從五位上、
 又 齊衡元年月己卯、加 伊豆國 阿豆佐和氣命神 從五位上、同位重出不審

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 阿豆佐和氣命神社について 所在は゛今 利島にあり、阿豆加明神といふ゛〈現 阿豆佐和気命神社〉と記しています

【抜粋意訳】

阿豆佐和氣命(アズサワケノミコトノ)神社

 利島にあり、阿豆加明神といふ、〔豆州志、南方海道志〕

文徳天皇 嘉祥三年六月庚戌、從五位下を授け、齊衡元年六月巳卯五位上を加ふ、〔文徳実録〕

凡 十二月二十七日祭を行ふ、〔南方海道志〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 阿豆佐和氣命神社について 所在は゛(利島)゛〈現 阿豆佐和気命神社〉と記しています

【抜粋意訳】

阿豆佐和氣命(アズサワケノミコトノ)神社  阿豆加大明神

祭神 阿豆佐和氣命

神位
 文德天皇 嘉祥三年六月庚 伊豆國 阿豆佐和氣命 從五位下
 仁壽二年十二月丙子 伊豆國 阿豆佐和氣命神 五位上
今按 齊衡元年六月巳卯 同位階を授ることあるは何れか桁文なるべし 故今 本文を存して彼を冊る

祭日
社格 (郷社)

所在 (利島)

 今按 豆州志 式社攻證ともに利島鎭座 阿豆加大明神とみえて異説なし
 攻證に舊社地は南の御神山と云 山岳上にて小祠存在す 按に今稱の阿豆加は阿豆佐和氣の約と聞ゆるが 此神稱の訛り乍らも本稱の儘に唱へ來れるは珍しく貴とぶべきこと也かしと云るもの證とすべし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

熱海 來宮神社(熱海市西山町) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る

一緒に読む
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について

伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています