伊射奈美神社(いざなみじんじゃ)は 延喜式内社 阿波國美馬郡 伊射奈美神社(いさなみの かみのやしろ)の論社です 吉野川と妙蓮川に挟まれた舞中島の 竹林に囲まれた小高い森に鎮座し 土地の人々から「十二社はん」と呼ばれてきました 応永3年(1396)の棟札は穴吹町最古とされ 昭和に現在の社名へ改められました
※本記事にはアフィリエイト広告(PR)を含みます。
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
伊射奈美神社(Izanami shrine)
【通称名(Common name)】
・十二社はん〈土地の人々の呼び名〉
・十二社大権現〈藩政時代の呼称〉
・十二所神社〈明治以降 昭和に伊射奈美神社と改称するまでの社名〉
【鎮座地 (Location) 】
徳島県美馬市穴吹町三島字舞中島52
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主祭神》
伊射奈美命(いざなみのみこと)
《配祀神》
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
猿田彦命(さるたひこのみこと)
明治四十三年(一九一〇)に舞中島の武田神社 若宮神社 横野神社 大柳神社 稲荷神社 建神社を合祀
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
確認した資料にはみあたりませんでした
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史に記載される神社
〈六国史(『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)927 AD.』所載社の論社
【創 建 (Beginning of history)】
伊射奈美神社拝殿・並殿新築碑
祭神
伊射奈美命(いさなみのみこと)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
猿田彦命(さるたひこのみこと)
明治四十三年(一九一〇)に舞中島の武田神社 若宮神社 横野神社 大柳神社 稲荷神社 建神社を合祀した由緒沿革
延暦七年(七八八)に国司の奉幣があったと伝えられている(以上徳島県神社誌)
当神社は岡本監輔著「名神序頌」によれば貞観中(八五九〜八七七)に創建されたと記され
また 三代實録に貞観十年(八六八)三月十二日 阿波国正六位伊奘冉神に従五位下を授くと載すとある
延長五年(九二七)式内伊射奈美神社に比定された
藩政時代に十二社大権現と称し 明治十二年(一八七九)に十二所神社と称したが 昭和になって伊射奈美神社と改めた
応永三年(一三九六)、天文元年(一五三二)など棟札が収蔵されており応永三年の棟札は穴吹町最古の棟札である
なお尾山十二所神社は当社の奥社である(穴吹町誌)
今回社殿・並殿老朽化が激しく氏子約二百十戸のご理解をいただき浄財参千参百萬円余が寄せられて 拝殿・並殿を新築竣工した
平成十五年四月吉日 伊射奈美神社 氏子総代一同 宮司 小倉克巳現地石碑より
Please do not reproduce without prior permission.
※石碑の「三代實録に貞観十年(八六八)三月十二日 阿波国正六位伊奘冉神に従五位下を授く」
正しくは 『日本三代実録』では貞観11年(869)3月12日庚午の条で 位階は「正六位上 伊佐奈美神 從五位下」と記されています〈『日本三代實録』の項を参照〉
【由 緒 (History)】
『式内社調査報告第二十三巻』昭和59年に記される内容
『式内社調査報告』は 〔A〕高越神社 〔B〕舞中島の伊射奈美神社 〔C〕脇町の八幡神社の三社を記しています
【抜粋原文】
阿波國美馬郡 10 伊射奈美(イサナミノ)神社
【社名】
内閣文庫本に「イサナミノ」の訓がある。『神名帳考證』には「イザナミノ」と「射」を濁音で訓んでゐる。この社名は、その祭神である「伊射奈美命」からきてゐる。
【祭神】
『特選神名牒』に「伊射奈美命」とし、三代實錄をひいて「清和天皇貞觀十一年(八六九)三月庚午授阿波國正六位上伊射奈美神從五位」と神階を記してゐる。記紀によると、天津神の詔命をうけ、伊邪那岐神(淡路の國または近江の多賀に鎮り給ふ)と相計りて國土を修理固成せんと婚を結び、大八洲國を生み、また神々を生み給ふこと三五神、最後に火の神を生んでつひに崩ぜられた神で、書紀の一書には「紀伊國の熊野の有馬村に葬しまつる」とある。
【論社】
伊射奈美神社の所在について、
〔A〕麻植郡山川町字木綿麻山四に鎮座する高越神社、
〔B〕美馬郡穴吹町三島字舞中島五二に鎮座する伊射奈美神社、
〔C〕美馬郡脇町猪尻字西上野四二に鎮座する八幡神社など諸説がある。『特選神名牒』には「今按阿波志に口山村尾山名にある社恐是ならん」と云ひ、式社略考には「美馬麻植兩郡に跨れる高越權現と云へれど疑はし能く尋ぬべし」とし、所在を決しかねてゐる。一方、岡本監輔が『名神序頌』で美馬郡舞中島の十二社權現(現、伊射奈美神社)に比定し、また脇町猪尻の上野八幡神社や、美馬町中鳥の伊射奈美神社も式内伊射奈美神社の故地と傳へるが、いづれも確證がない。以下〔A〕〔B〕〔C〕の神社について述べる。
〔A〕麻植郡山川町の高越神社の記述は略す
〔B〕 美馬郡舞中島の伊射奈美神社
【所在】
徳島本線穴吹驛から一・二キロメートルのところにある。吉野川とその支流妙蓮川にはさまれた舞中島は、もと南岸の三谷と地つづきで「大島郷」に屬した。ところが、天正十年(一五八二)の洪水で川中島となり、その後も度々洪水に見舞はれた住民は、その經驗から高石垣を築いて家を建て、島の周圍には竹林を育てて洪水に備へた。その竹林に圍まれた小高い森に鎮座して、土地の人々に「十二社はん」とよばれてゐる社が、伊射奈美神社である。『阿波志』が式内社に比定した尾山の十二所神社は、今は當社の奧宮となつてゐる。
【祭神】
伊射那美命を主神とし、武甕槌命・經津主命・猿田彦命を配祀する(神社明細帳)。
【由緒】
創立年代不詳。應永三年(一三九六)以降の棟札十數枚を存し、尾山古墳出土の鏡・勾玉・劍・土器などを存す。藩政時代、十二社大權現と稱した。『阿波志』に「十二社舞中島に在り」と記し、『寛保御改神社帳』には「舞中嶋村十二社大權現 神主舞中嶋・岩山信濃」とある。
明治以降、十二所神社と改稱、明治四十三年村内の武田神社・若宮神社・横野神社・大柳神社・稲荷神社・御崎神社・建神社を合併合祀した。
當地出身の岡本監輔が、『名神序頌』において、この神社を式内社に比定した所説に從つて、伊射奈美神社と改稱したのは昭和になつてからである。その論據は『名神序頌』に「伊射那美神社在ニ美馬郡舞中島、舊傳貞觀中興造 文祿三年上梁牌題云 妙蓮十二社大權現 旁書云式内伊奘冉尊……」とあるやうに、この社に存する文祿三年(一五九四)の棟札に式内伊奘冉尊と記されてゐるところからである。もと村社。
【神職】
逸見智明氏(兼務)。『寛保帳』にも記されてゐる社家の岩山家は近年後繼者が絶えた。
【祭祀】
例祭 十月二十二日。
【氏子】
舞中島二二〇戸。
【境内地】
一、四七五坪。拜殿前にある古風な小燈籠には文化四年(一八〇七)、石段下の大燈籠には文化十二年(一八一五)の銘がある。
【社殿】
本殿 流造、間口一間・奥行一間。幣殿 五坪。拜殿 一五坪。
〔C〕美馬郡脇町の八幡神社の記述は略す
(岡島隆夫)
【現代語訳】
阿波国美馬郡 10 伊射奈美(イサナミノ)神社
【社名】
内閣文庫本に「イサナミノ」の訓があります 『神名帳考証』では「射」を濁音で読み「イザナミノ」としています この社名は 祭神である「伊射奈美命」に由来しています
【祭神】
『特選神名牒』は祭神を「伊射奈美命」とし 『日本三代実録』を引いて「清和天皇の貞観11年(869)3月庚午に 阿波国の正六位上伊射奈美神に従五位を授けた」と神階を記しています 記紀によると 天津神の命を受けて 伊邪那岐神(淡路国または近江の多賀に鎮まる神)と相談して国土を整え固めようと夫婦の契りを結び 大八洲国(日本の国土)を生み また35柱の神々を生み 最後に火の神を生んでついに亡くなられた神で 『日本書紀』の一書には「紀伊国の熊野の有馬村に葬った」とあります
【論社】
伊射奈美神社の所在については
〔A〕麻植郡山川町字木綿麻山4に鎮座する高越神社
〔B〕美馬郡穴吹町三島字舞中島52に鎮座する伊射奈美神社
〔C〕美馬郡脇町猪尻字西上野42に鎮座する八幡神社 などの諸説があります『特選神名牒』は「『阿波志』によると口山村尾山名にある社がおそらくこれであろう」と述べ 『式社略考』には「美馬・麻植両郡にまたがる高越権現というが疑わしく よく調べるべきである」として 所在を決めかねています 一方 岡本監輔は『名神序頌』で美馬郡舞中島の十二社権現(現在の伊射奈美神社)に比定し また脇町猪尻の上野八幡神社や 美馬町中鳥の伊射奈美神社も式内社伊射奈美神社の故地と伝えていますが いずれも確かな証拠はありません 以下〔A〕〔B〕〔C〕の神社について述べます
〔A〕麻植郡山川町の高越神社の記述は略します
〔B〕 美馬郡舞中島の伊射奈美神社
【所在】
徳島本線(現在のJR徳島線)穴吹駅から1.2kmのところにあります 吉野川とその支流の妙蓮川にはさまれた舞中島は もとは南岸の三谷と陸続きで「大島郷」に属していました ところが天正10年(1582)の洪水で川中島となり その後もたびたび洪水に見舞われた住民は その経験から高石垣を築いて家を建て 島の周りには竹林を育てて洪水に備えました その竹林に囲まれた小高い森に鎮座し 土地の人々に「十二社はん」と呼ばれている社が 伊射奈美神社です 『阿波志』が式内社に比定した尾山の十二所神社は 現在は当社の奥宮となっています
【祭神】
伊射那美命を主祭神とし 武甕槌命・経津主命・猿田彦命を配祀しています(神社明細帳)
【由緒】
創立年代は不詳です 応永3年(1396)以降の棟札十数枚と 尾山古墳から出土した鏡・勾玉・剣・土器などを所蔵しています 藩政時代には十二社大権現と称しました 『阿波志』には「十二社は舞中島にある」と記され 『寛保御改神社帳』には「舞中嶋村 十二社大権現 神主 舞中嶋・岩山信濃」とあります
明治以降は十二所神社と改称し 明治43年(1910)に村内の武田神社・若宮神社・横野神社・大柳神社・稲荷神社・御崎神社・建神社を合併合祀しました
当地出身の岡本監輔が『名神序頌』でこの神社を式内社に比定した説に従って 伊射奈美神社と改称したのは昭和になってからです その根拠は 『名神序頌』に「伊射那美神社は美馬郡舞中島にある 旧伝では貞観年間に中興造営された 文禄3年の上棟の棟札には「妙蓮十二社大権現」と題し 脇書きに「式内伊奘冉尊」とある……」とあるように この社に所蔵される文禄3年(1594)の棟札に「式内伊奘冉尊」と記されていることによります もとは村社でした
【神職】
逸見智明氏(兼務)です 『寛保帳』にも記されている社家の岩山家は 近年後継者が絶えました
【祭祀】
例祭 10月22日
【氏子】
舞中島の220戸
【境内地】
1475坪です 拝殿前にある古風な小燈籠には文化4年(1807) 石段下の大燈籠には文化12年(1815)の銘があります
【社殿】
本殿は流造で間口1間・奥行1間 幣殿5坪 拝殿15坪
〔C〕美馬郡脇町の八幡神社の記述は略します
(岡島隆夫)
※ここでは〔B〕伊射奈美神社の記述を抜粋し 「〔A〕〔C〕の記述は略す」として省いています
〔A〕高越神社(吉野川市山川町木綿麻山)の記事を参照
〔C〕八幡神社(美馬市脇町大字猪尻)の記事を参照
-
-
八幡神社(美馬市脇町大字猪尻)〈『延喜式』伊射奈美神社〉
八幡神社(はちまんじんじゃ)は 延喜式内社 阿波國美馬郡 伊射奈美神社(いさなみの かみのやしろ)の論社です 古い町並みを残す脇町の高台に鎮座し 「上野の八幡さん」として知られています 天文2年(1533)の洪水で土佐国から流れ着いた八幡神を 脇城主武田信顕が祀ったのが始まりとされます
【原文】
『式内社調査報告第二十三巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・伊射奈美神社 社殿
本殿覆い屋の向かって右脇に境内社の石祠が複数あり
Please do not reproduce without prior permission.
・伊射奈美神社 拝殿
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
・狛犬と石段
Please do not reproduce without prior permission.
・伊射奈美神社 社頭
Please do not reproduce without prior permission.
・境内に置かれていた古い扁額
〔十二社〕
「十二社」と記された扁額です 当社は藩政時代に十二社大権現と称し 明治以降は十二所神社と称していました 昭和に伊射奈美神社と改称する前の社名を記した扁額です 『式内社調査報告』(昭和59年)にも 土地の人々から「十二社はん」と呼ばれているとあります
Please do not reproduce without prior permission.
〔伊射奈美神社〕
Please do not reproduce without prior permission.
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・奥宮 十二所神社(美馬市穴吹町口山尾山)
『阿波志』が式内社に比定した尾山の十二所神社で 現在は当社の奥宮となっています〈『式内社調査報告第二十三巻』より〉 現地の石碑にも「なお尾山十二所神社は当社の奥社である(穴吹町誌)」と刻まれています
【この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)】
この神社について 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があれば 由緒(格式ある歴史)を紹介します
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記』に記すべきとされた五つの内容
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
伊佐奈美神に神階 從五位下の奉授が記されています
【原文抜粋】
卷十六貞觀十一年(八六九)三月十二日庚午
○十二日庚午
授く
陸奧國
從五位上 宇奈己呂別神 正五位下
從五位下 大高山神 從五位上阿波國
正六位上 伊佐奈美神 從五位下
【原文参照】
「日本三代実録」(特025-0003)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/file/12720804
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134[旧 国 名 ](Old province name)
(神様の鎮座数)阿波國 50座(大3座・小47座)[旧 郡 名 ](Old district name)
(神様の鎮座数)美馬郡 12座(並小)[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 伊射奈美神社
[ふ り が な ](いさなみの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Isanami no kaminoyashiro)
【原文参照】
[件名・細目]「延喜式 巻10」(特026-0001-0005)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/item/4028148
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 阿波國美馬郡 伊射奈美神社(いさなみの かみのやしろ)の論社
『延喜式神名帳』で「伊射奈美 いさなみ」の名を社名とする式内社は 阿波國美馬郡 伊射奈美神社 の1社のみです
※『延喜式神名帳』では伊勢國度會郡に「伊佐奈岐宮(いさなきのみや)二座」割注に「伊佐奈弥(いさなみの)命一座」があります ここでは伊佐奈弥命は伊佐奈岐宮の二座のうちの一座として記されており 当サイトでは 延喜式内社の内「いざなぎの かみのやしろ」の名称を持つ神社に含めています
現在の伊勢では 伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮はそれぞれ独立した社として 月讀宮の境内に どちらも皇大神宮(内宮)の別宮として並んで祀られています
・高越神社(吉野川市山川町木綿麻山)
・伊射奈美神社(美馬市穴吹町三島舞中島)
伊射奈美神社(いざなみじんじゃ)は 延喜式内社 阿波國美馬郡 伊射奈美神社(いさなみの かみのやしろ)の論社です 吉野川と妙蓮川に挟まれた舞中島の 竹林に囲まれた小高い森に鎮座し 土地の人々から「十二社はん」と呼ばれてきました 応永3年(1396)の棟札は穴吹町最古とされ 昭和に現在の社名へ改められました
伊射奈美神社(美馬市穴吹町三島舞中島)〈延喜式内社〉
・十二所神社(美馬市穴吹町口山尾山)
〈伊射奈美神社(美馬市穴吹町三島舞中島)の奥宮〉
・八幡神社(美馬市脇町大字猪尻)
八幡神社(はちまんじんじゃ)は 延喜式内社 阿波國美馬郡 伊射奈美神社(いさなみの かみのやしろ)の論社です 古い町並みを残す脇町の高台に鎮座し 「上野の八幡さん」として知られています 天文2年(1533)の洪水で土佐国から流れ着いた八幡神を 脇城主武田信顕が祀ったのが始まりとされます
八幡神社(美馬市脇町大字猪尻)〈『延喜式』伊射奈美神社〉
・伊射奈美神社(美馬市美馬町中鳥)
・伊射奈美神社原社跡(美馬市美馬町中鳥)
延喜式内社の内「いざなぎの かみのやしろ」の名称を持つ神社
「いざなぎ」の名称を持つ式内社は
・大和國に三社・摂津國に一社・伊勢國に一社・若狭國に一社・出雲國に一社・淡路國に一社の計8社
それぞれの論社を紹介します
延喜式内社 大和國 添下郡 伊射奈岐神社〔大 月次 新嘗〕(いさなぎの かみのやしろ)
・伊弉諾神社(生駒市上町)
延喜式内社 大和國葛下郡 伊射奈岐神社(いざなぎの かみのやしろ)
・伊邪那岐神社(上牧町下牧)
延喜式内社 大和國 城上郡 伊射奈岐神社(いさなきの かみのやしろ)
・伊射奈岐神社(天理市柳本町)
・大己貴神社(宇陀市榛原柳)
延喜式内社 摂津國 嶋下郡 伊射奈岐神社二座〔並大月次新嘗〕(いさなきの かみのやしろ ふたくら)
・伊射奈岐神社〈五社宮〉(吹田市山田東)
・伊射奈岐神社(吹田市佐井寺)
延喜式内社 伊勢國 度會郡 伊佐奈岐宮二座〔伊佐奈弥命一座・並 大 月次 新嘗〕(いさなきのみや ふたくら)
・伊佐奈岐宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉(月讀宮境内)
・伊佐奈弥宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉(月讀宮境内)
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 各々が皇大神宮(内宮)の別宮で 明治6年(1873)現在の四つ宮並列した形で鎮座しました 『皇太神宮儀式帳(804年)』には「月讀宮一院 正殿四区」と一宮に四殿と記し 『延喜式〈927年〉』には「伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院」「「月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院」と二宮であったと記されています
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉
延喜式内社 若狭國大飯郡 伊射奈伎神社(いさなきの かみのやしろ)
・伊射の森(小浜市飯盛)
〈式内社・伊射奈伎神社の旧蹟〉
・伊射奈伎神社(大飯郡おおい町福谷)
・伊弉諾神社(大飯郡高浜町小和田)
延喜式内社 出雲國出雲郡 同社神伊佐那伎神社(おなじきやしろ かん いさなきの かみのやしろ)
・阿須伎神社(出雲市大社町)〈合祀先〉
阿須伎神社(あずきのかみのやしろ)は 由緒ある神社です 御祭神は 大国主大神と宗像の女神「多紀理比売命」との間にお生まれになりました長男神にして 別名を「迦毛大御神(kamo no oomikami)」と呼ばれる貴い国つ神を祀ります
阿須伎神社(出雲市)
延喜式内社 淡路國 津名郡 淡路伊佐奈伎神社〔名神大〕(あはじいさなきの かみのやしろ)
・伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)
伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は 『記紀神話』の日本創成で 伊弉諾尊と伊弉冉尊が 日本の国土開拓に着手された時 「天沼矛から滴るしずく」で 最初に造り上げた島「淡路島(awaji shima)」に鎮座します 御祭神は 「国生み神話の地」にふさわしい「伊弉諾尊と伊弉冉尊」で神代のロマンを感じます
伊弉諾神宮(淡路市多賀)〈淡路幽宮・淡路國一之宮〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR徳島線 穴吹駅から西へ道のりで約1.3km 車での所要時間3~5分程度
穴吹駅を出発します
Please do not reproduce without prior permission.
『式内社調査報告第二十三巻』〈昭和59年(1984)〉には
鎮座地の穴吹町三島舞中島は 天正10年(1582)の洪水で川中島〈吉野川と妙蓮川に挟まれた中州〉となり その後もたびたび洪水に見舞われた住民は 高石垣を築いて家を建て 島の周りに竹林を育てて洪水に備えたとあり 現在もその様子が残っています
Please do not reproduce without prior permission.
社殿のすぐ東隣に駐車スペースがあり 洪水に備えた竹林に囲まれた小高い森に鎮座しています
伊射奈美神社(美馬市穴吹町三島舞中島)に参着
Please do not reproduce without prior permission.
社殿の建つ位置から 一旦表に出て つまり下に見えている南側の鳥居 社頭へ出て お詣りを始めようと思います
この位置から見ると 随分下の方に 正面に妙蓮川の対岸が見えていて この場所は 確かに洪水に備えた竹林に囲まれた小高い森である事がわかります
Please do not reproduce without prior permission.
社殿 境内 社頭の鳥居は南を向いています
Please do not reproduce without prior permission.
一礼をして鳥居をくぐり抜けて 境内へと進みます
Please do not reproduce without prior permission.
参道の両脇には 寄付額が刻まれている石が立ち並んでいます
Please do not reproduce without prior permission.
狛犬が両脇に座す石段を上がって
拝殿にすすみます
Please do not reproduce without prior permission.
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
Please do not reproduce without prior permission.
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870)〉に記される伝承
式内社 伊射奈美神社について 所在は詳らかではないと記されています
【原文抜粋】
伊射奈美神社
伊射奈美は假字也
〇祭神明か也
〇在所詳ならず
類社
伊勢國度會郡伊佐奈岐宮二座、〈伊佐奈彌命一座、並大月次新嘗、〉神位
三代實錄、貞觀十一年三月十二日庚午、授阿波國正六位上伊佐奈美神從五位下、
【現代語訳】
伊射奈美神社
伊射奈美は仮字(漢字の音を借りた表記)です
祭神は明らかです
所在は詳らかではありません
類社
伊勢国度会郡 伊佐奈岐宮二座〈伊佐奈弥命一座 いずれも大社で 月次祭・新嘗祭の幣帛を受けます〉神位
『日本三代実録』貞観11年(869)3月12日庚午(かのえうま)に 阿波国の正六位上 伊佐奈美神に従五位下が授けられました
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される伝承
式内社 伊射奈美神社について 所在は記されていません
【原文抜粋】
伊射奈美(イサナミノ)神社、
蓋伊弉冉尊を祭る、
清和天皇貞觀十一年三月庚午、正六位上伊射奈美神に從五位下を授く、〈三代實錄〉
【現代語訳】
伊射奈美(いさなみの)神社
伊弉冉尊(いざなみのみこと)をお祀りしていると考えられます
清和天皇の貞観11年(869)3月庚午(かのえうま)の日に 正六位上の伊射奈美神に従五位下の神階が授けられました〈『日本三代実録』〉
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される伝承
式内社 伊射奈美神社について 所在は記されていません
しかし 諸説を挙げています
”口山村尾山名にある社”〈現 十二所神社(美馬市穴吹町口山尾山)〉
”美馬麻殖兩郡に跨れる高越權現”〈現 高越神社(吉野川市山川町木綿麻山)〉
【原文抜粋】
伊射奈美神社
祭神 伊射奈美命
神位 清和天皇貞觀十一年三月十二日庚午授阿波國正六位上伊佐奈美神從五位下
祭日
社格所在
今按阿波志に口山村尾山名にある社恐是ならんと云ひ式社略考には美馬麻殖兩郡に跨れる高越權現と云へれど疑はし能く尋ぬべし
【現代語訳】
伊射奈美神社
祭神 伊射奈美命
神位 清和天皇の貞観11年(869)3月12日庚午(かのえうま)に 阿波国の正六位上 伊佐奈美神に従五位下の神階が授けられました
祭日 (記載なし)
社格 (記載なし)所在 (記載なし)
今考えると
『阿波志』には 口山村尾山名にある社が おそらくこれであろうとあり
『式社略考』には 美馬・麻殖の両郡にまたがる高越権現であるとしていますが 疑わしく よく調べるべきです
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
伊射奈美神社(美馬市穴吹町三島舞中島)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
Please do not reproduce without prior permission.
阿波国 式内社 50座(大3座・小47座)について に戻る
阿波国(あわのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 阿波国 50座(大3座・小47座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
阿波国 式内社 50座(大3座・小47座)について
(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;
b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript
||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};
c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,
d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})
(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");
msmaflink({"n":"開運に結びつく神様のおふだ 神社別おふだのごりやく [ 桜井識子 ]","b":"","t":"","d":"https:\/\/thumbnail.image.rakuten.co.jp","c_p":"","p":["\/@0_mall\/book\/cabinet\/1012\/9784802401012.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/item.rakuten.co.jp\/book\/16394401\/","t":"rakuten","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/item.rakuten.co.jp\/book\/16394401\/","a_id":5854131,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":1}],"eid":"epH4O","s":"s"});