八幡神社(はちまんじんじゃ)は 延喜式内社 阿波國美馬郡 伊射奈美神社(いさなみの かみのやしろ)の論社です 古い町並みを残す脇町の高台に鎮座し 「上野の八幡さん」として知られています 天文2年(1533)の洪水で土佐国から流れ着いた八幡神を 脇城主武田信顕が祀ったのが始まりとされます
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
八幡神社(Hachiman shrine)
【通称名(Common name)】
・八幡様(はちまんさん)
【鎮座地 (Location) 】
徳島県美馬市脇町大字猪尻八幡神社下南121-5
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》誉田別命(ほんだわけのみこと)
《配》気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
姫大神(ひめのおほかみ)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
軍神(いくさがみ)として 戦国時代には脇城の守護とされました〈手水舎の脇に設置された案内板より〉
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史に記載される神社
〈六国史(『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)927 AD.』所載社の論社
【創 建 (Beginning of history)】
手水舎の脇に設置された案内板
洪水で土佐から流れて
猪尻のセンダンの木にかかった八幡神を祀ったものとされる。
戦国時代、脇城主武田信顕が創建し、軍神でもあるこの神を脇城の守護とした。
明治・大正期には八幡下で農具市が盛大に開かれた。現地案内板より
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『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
郷社 八幡神社について 天文2年(1533)の洪水で土佐国から流れ着いた八幡神を祀ったと記されています その一方で 当社はもとより伊邪那美命を祀り 延喜式(927年)に載る式内社 伊射奈美神社であるという伝えも記しています
【原文抜粋】
〇徳島縣阿波國美馬郡脇町大字猪尻(ヰノシリ)
郷社 八幡神社
祭神
息長足媛(オキナガタラシヒメノ)命
媛(ヒメノ)大神
伊弉那岐(イザナギノ)命創建年代詳ならずと雖も、舊と土佐國山分某村に鎮座せり、後奈良天皇天文二年洪水あり、山岳崩壊し、社殿また漂流して、神靈當村の東川邊に着き給ひしも、人之を知らず、土人林崎林之助なるもの乘馬にて來り、此地に至るや、忽馬より落ちて息絶ゆる事須臾、時に神告ありて、武田上野守領内脇の城内に鎮祀せしが、其後夢告によりて現社地に遷すと(社記)、當村の産土神なり、明治六年郷社に列る。
社殿は本殿、幣殿、拜殿あり、相傳ふ、當社もとより伊邪那美命を祀る、清和天皇貞觀十年三月十二日正六位上より従五位下に叙せられ(三代實錄)、醍醐天皇延喜の制小社に列す(延喜式)と、祖志に上野八幡宮其實伊邪那美命を祀るといひ、地名辭書にも、延喜式伊邪那美神社即ち是となすとあり、然れども神名帳考證、神社覈錄、神祇志料共に其の所在を明示せず、猶考ふべし、此地高陽爽塏、西南友内山を望み、東南高越山を望む、山勢嵯峨、樹木千章、吉野川其の下を流る、水光瀲灔、山と相映して其景畫くが如し。
境内神社 山(ヤマノ)神社
例祭日
會計法適用指定年月日神饌幣帛料供進指定年月日 明治四十一年五月十五日告示第二百五十五號
氏子戸數 千四百七十九戸
崇敬者員數 未詳
【現代語訳】
〇徳島県阿波国美馬郡脇町大字猪尻(いのしり)
郷社 八幡神社
祭神
息長足媛命(おきながたらしひめのみこと)
媛大神(ひめのおほかみ)
伊弉那岐命(いざなぎのみこと)創建年代は詳らかではありませんが もとは土佐国山分の某村に鎮座していました 後奈良天皇の天文2年(1533)に洪水があり 山が崩れて社殿も流され 御神霊は当村の東の川辺に流れ着かれましたが 人々はそれを知りませんでした 土地の人で林崎林之助という者が馬に乗ってやって来て この地に至ると たちまち落馬してしばらく息が絶えました そのとき神のお告げがあり 武田上野守の領内の脇城の城内にお祀りしましたが その後 夢のお告げによって現在の社地に遷したといいます(社記) 当村の産土神(うぶすながみ)で 明治6年(1873)に郷社に列しました
社殿は本殿・幣殿・拝殿があります
伝えによると 当社はもとから伊邪那美命を祀っていて 清和天皇の貞観10年(868)3月12日に正六位上から従五位下に叙せられ(三代実録) 醍醐天皇の延喜の制で小社に列した(延喜式)といいます 『祖志』には上野八幡宮は実は伊邪那美命を祀るとあり 『地名辞書』にも延喜式の伊邪那美神社はすなわちこれであるとしています しかし『神名帳考証』『神社覈録』『神祇志料』はいずれもその所在を明らかにしておらず なお考えるべきです この地は高く明るく開けた土地で 南西に友内山を望み 南東に高越山を望みます 山の姿は高く険しく 樹木がよく茂り 吉野川がその下を流れ 水面は光り輝いて山と映り合い その景色はまるで絵に描いたようです
境内神社 山神社(やまのじんじゃ)
例祭日(記載なし)
会計法適用指定年月日(記載なし)神饌幣帛料供進指定年月日 明治41年(1908)5月15日 告示第255号
氏子戸数 1479戸
崇敬者員数 不詳
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313
【由 緒 (History)】
『式内社調査報告第二十三巻』昭和59年に記される内容
『式内社調査報告』は 〔A〕高越神社 〔B〕舞中島の伊射奈美神社 〔C〕脇町の八幡神社の三社を記しています
【抜粋原文】
阿波國美馬郡 10 伊射奈美(イサナミノ)神社
【社名】
内閣文庫本に「イサナミノ」の訓がある。『神名帳考證』には「イザナミノ」と「射」を濁音で訓んでゐる。この社名は、その祭神である「伊射奈美命」からきてゐる。
【祭神】
『特選神名牒』に「伊射奈美命」とし、三代實錄をひいて「清和天皇貞觀十一年(八六九)三月庚午授阿波國正六位上伊射奈美神從五位」と神階を記してゐる。記紀によると、天津神の詔命をうけ、伊邪那岐神(淡路の國または近江の多賀に鎮り給ふ)と相計りて國土を修理固成せんと婚を結び、大八洲國を生み、また神々を生み給ふこと三五神、最後に火の神を生んでつひに崩ぜられた神で、書紀の一書には「紀伊國の熊野の有馬村に葬しまつる」とある。
【論社】
伊射奈美神社の所在について、
〔A〕麻植郡山川町字木綿麻山四に鎮座する高越神社、
〔B〕美馬郡穴吹町三島字舞中島五二に鎮座する伊射奈美神社、
〔C〕美馬郡脇町猪尻字西上野四二に鎮座する八幡神社など諸説がある。『特選神名牒』には「今按阿波志に口山村尾山名にある社恐是ならん」と云ひ、式社略考には「美馬麻植兩郡に跨れる高越權現と云へれど疑はし能く尋ぬべし」とし、所在を決しかねてゐる。一方、岡本監輔が『名神序頌』で美馬郡舞中島の十二社權現(現、伊射奈美神社)に比定し、また脇町猪尻の上野八幡神社や、美馬町中鳥の伊射奈美神社も式内伊射奈美神社の故地と傳へるが、いづれも確證がない。以下〔A〕〔B〕〔C〕の神社について述べる。
〔C〕 美馬郡脇町の八幡神社
【所在】
脇町の猪尻字西上野にあるもと郷社の八幡神社は、「上野の八幡さん」として知られてゐる。徳島本線穴吹驛より北へ約二キロメートル、古い町並みを殘す脇町のほぼ中央、上野の高臺に古風なたたずまいをみせてゐる。
【祭神】
譽田別命・息長足媛命・媛大神・伊弉那美命。
【由緒】
創建年代不詳。『明治神社誌料』には「相傳ふ當社もとより伊邪那美命を祀る。清和天皇貞觀十年(八六八)三月十二日正六位上より従五位下に叙せられ(三代實錄)醍醐天皇延喜制小社に列す(延喜式)と、祖志に上野八幡宮其實伊邪那美命を祀るといひ、地名辭書にも延喜式伊邪那美神社即ち是となすとあり、然れども神名帳考證・神社覈錄・神祇志料共に其の所在を明示せず、猶考ふべし」と記してゐる。また明細帳には「天文二年(一五三三)九月大風水あり、このとき土佐國幡多山に鎮座せる八幡大神、吉野川を流れて猪尻に漂着、當時の脇城主武田信顯公城内に鎮祀せしが、のち更に現社地に遷し上野八幡宮と號した」とある。明治六年郷社となる。
【祭祀】
例祭十月二十三日。一名上野まつり。農具市がたち、山車(だし)人形(ヤネコジキといふ)を飾りつけてにぎはふ。
【神職】
淺野欣一氏(兼務)。
【氏子】
一、三〇〇戸、脇町全域に及ぶ。
【境内地】
二、九九七坪。寶暦十四年(一七六四)の石燈籠をはじめ、數多くの燈籠・狛犬があり、神馬舎(木馬)もある。
【社殿】
本殿 流造、間口二間・奥行一間四尺。神饌舎二坪。幣殿 一〇坪。拝殿 一八坪。ほかに社務所(六坪)。
〔A〕麻植郡山川町の高越神社の記述は略す
〔B〕美馬郡舞中島の伊射奈美神社の記述は略す
(岡島隆夫)
【現代語訳】
阿波国美馬郡 10 伊射奈美(イサナミノ)神社
【社名】
内閣文庫本に「イサナミノ」の訓があります 『神名帳考証』では「射」を濁音で読み「イザナミノ」としています この社名は 祭神である「伊射奈美命」に由来しています
【祭神】
『特選神名牒』は祭神を「伊射奈美命」とし 『日本三代実録』を引いて「清和天皇の貞観11年(869)3月庚午に 阿波国の正六位上伊射奈美神に従五位を授けた」と神階を記しています 記紀によると 天津神の命を受けて 伊邪那岐神(淡路国または近江の多賀に鎮まる神)と相談して国土を整え固めようと夫婦の契りを結び 大八洲国(日本の国土)を生み また35柱の神々を生み 最後に火の神を生んでついに亡くなられた神で 『日本書紀』の一書には「紀伊国の熊野の有馬村に葬った」とあります
【論社】
伊射奈美神社の所在については
〔A〕麻植郡山川町字木綿麻山4に鎮座する高越神社
〔B〕美馬郡穴吹町三島字舞中島52に鎮座する伊射奈美神社
〔C〕美馬郡脇町猪尻字西上野42に鎮座する八幡神社 などの諸説があります『特選神名牒』は「『阿波志』によると口山村尾山名にある社がおそらくこれであろう」と述べ 『式社略考』には「美馬・麻植両郡にまたがる高越権現というが疑わしく よく調べるべきである」として 所在を決めかねています 一方 岡本監輔は『名神序頌』で美馬郡舞中島の十二社権現(現在の伊射奈美神社)に比定し また脇町猪尻の上野八幡神社や 美馬町中鳥の伊射奈美神社も式内社伊射奈美神社の故地と伝えていますが いずれも確かな証拠はありません 以下〔A〕〔B〕〔C〕の神社について述べます
〔C〕 美馬郡脇町の八幡神社
【所在】
脇町の猪尻字西上野にある もと郷社の八幡神社は 「上野の八幡さん」として知られています 徳島本線(現在のJR徳島線)穴吹駅から北へ約2km 古い町並みを残す脇町のほぼ中央 上野の高台に古風なたたずまいを見せています
【祭神】
誉田別命・息長足媛命・媛大神・伊弉那美命です
【由緒】
創建年代は不詳です 『明治神社誌料』には「伝えによると 当社はもとから伊邪那美命を祀っている 清和天皇の貞観10年(868)3月12日に正六位上から従五位下に叙せられ(三代実録) 醍醐天皇の延喜の制で小社に列した(延喜式)という 『祖志』には上野八幡宮は実は伊邪那美命を祀るとあり 『地名辞書』にも延喜式の伊邪那美神社はすなわちこれであるとしている しかし『神名帳考証』『神社覈録』『神祇志料』はいずれもその所在を明らかにしておらず なお考えるべきである」と記されています また明細帳には「天文2年(1533)9月に大風水があり このとき土佐国幡多山に鎮座していた八幡大神が 吉野川を流れて猪尻に漂着した 当時の脇城主 武田信顕公が城内に鎮め祀ったが のちにさらに現在の社地に遷して上野八幡宮と号した」とあります 明治6年(1873)に郷社となりました
【祭祀】
例祭は10月23日で 別名を上野まつりといいます 農具市が立ち 山車(だし)に人形(ヤネコジキという)を飾り付けてにぎわいます
【神職】
浅野欣一氏(兼務)です
【氏子】
1300戸で 脇町全域に及びます
【境内地】
2997坪です 宝暦14年(1764)の石燈籠をはじめ 数多くの燈籠・狛犬があり 神馬舎(木馬)もあります
【社殿】
本殿は流造で間口2間・奥行1間4尺 神饌舎2坪 幣殿10坪 拝殿18坪 ほかに社務所(6坪)があります
〔A〕麻植郡山川町の高越神社の記述は略します
〔B〕美馬郡舞中島の伊射奈美神社の記述は略します
(岡島隆夫)
※『明治神社誌料』の引用にある「清和天皇貞觀十年(八六八)三月十二日正六位上より従五位下に叙せられ(三代實錄)」
正しくは 『日本三代実録』では貞観11年(869)3月12日庚午の条で 位階は「正六位上 伊佐奈美神 從五位下」と記されています〈『日本三代實録』の項を参照〉
※ここでは〔C〕八幡神社の記述を抜粋し 「〔A〕〔B〕の記述は略す」として省いています
〔A〕高越神社(吉野川市山川町木綿麻山)の記事を参照
〔B〕伊射奈美神社(美馬市穴吹町三島舞中島)の記事を参照
伊射奈美神社(いざなみじんじゃ)は 延喜式内社 阿波國美馬郡 伊射奈美神社(いさなみの かみのやしろ)の論社です 吉野川と妙蓮川に挟まれた舞中島の 竹林に囲まれた小高い森に鎮座し 土地の人々から「十二社はん」と呼ばれてきました 応永3年(1396)の棟札は穴吹町最古とされ 昭和に現在の社名へ改められました
伊射奈美神社(美馬市穴吹町三島舞中島)〈延喜式内社〉
【原文】
『式内社調査報告第二十三巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社にお詣り】を参照してください
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
今回確認した資料には該当するものはありませんでした
【この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)】
この神社について 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があれば 由緒(格式ある歴史)を紹介します
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記』に記すべきとされた五つの内容
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
伊佐奈美神に神階 從五位下の奉授が記されています
【原文抜粋】
卷十六貞觀十一年(八六九)三月十二日庚午
○十二日庚午
授く
陸奧國
從五位上 宇奈己呂別神 正五位下
從五位下 大高山神 從五位上阿波國
正六位上 伊佐奈美神 從五位下
【原文参照】
「日本三代実録」(特025-0003)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/file/12720804
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134[旧 国 名 ](Old province name)
(神様の鎮座数)阿波國 50座(大3座・小47座)[旧 郡 名 ](Old district name)
(神様の鎮座数)美馬郡 12座(並小)[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 伊射奈美神社
[ふ り が な ](いさなみの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Isanami no kaminoyashiro)
【原文参照】
[件名・細目]「延喜式 巻10」(特026-0001-0005)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/item/4028148
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 阿波國美馬郡 伊射奈美神社(いさなみの かみのやしろ)の論社
『延喜式神名帳』で「伊射奈美 いさなみ」の名を社名とする式内社は 阿波國美馬郡 伊射奈美神社 の1社のみです
※『延喜式神名帳』では伊勢國度會郡に「伊佐奈岐宮(いさなきのみや)二座」割注に「伊佐奈弥(いさなみの)命一座」があります ここでは伊佐奈弥命は伊佐奈岐宮の二座のうちの一座として記されており 当サイトでは 延喜式内社の内「いざなぎの かみのやしろ」の名称を持つ神社に含めています
現在の伊勢では 伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮はそれぞれ独立した社として 月讀宮の境内に どちらも皇大神宮(内宮)の別宮として並んで祀られています
・高越神社(吉野川市山川町木綿麻山)
・伊射奈美神社(美馬市穴吹町三島舞中島)
伊射奈美神社(いざなみじんじゃ)は 延喜式内社 阿波國美馬郡 伊射奈美神社(いさなみの かみのやしろ)の論社です 吉野川と妙蓮川に挟まれた舞中島の 竹林に囲まれた小高い森に鎮座し 土地の人々から「十二社はん」と呼ばれてきました 応永3年(1396)の棟札は穴吹町最古とされ 昭和に現在の社名へ改められました
伊射奈美神社(美馬市穴吹町三島舞中島)〈延喜式内社〉
・十二所神社(美馬市穴吹町口山尾山)
〈伊射奈美神社(美馬市穴吹町三島舞中島)の奥宮〉
・八幡神社(美馬市脇町大字猪尻)
八幡神社(はちまんじんじゃ)は 延喜式内社 阿波國美馬郡 伊射奈美神社(いさなみの かみのやしろ)の論社です 古い町並みを残す脇町の高台に鎮座し 「上野の八幡さん」として知られています 天文2年(1533)の洪水で土佐国から流れ着いた八幡神を 脇城主武田信顕が祀ったのが始まりとされます
八幡神社(美馬市脇町大字猪尻)〈『延喜式』伊射奈美神社〉
・伊射奈美神社(美馬市美馬町中鳥)
・伊射奈美神社原社跡(美馬市美馬町中鳥)
延喜式内社の内「いざなぎの かみのやしろ」の名称を持つ神社
「いざなぎ」の名称を持つ式内社は
・大和國に三社・摂津國に一社・伊勢國に一社・若狭國に一社・出雲國に一社・淡路國に一社の計8社
それぞれの論社を紹介します
延喜式内社 大和國 添下郡 伊射奈岐神社〔大 月次 新嘗〕(いさなぎの かみのやしろ)
・伊弉諾神社(生駒市上町)
延喜式内社 大和國葛下郡 伊射奈岐神社(いざなぎの かみのやしろ)
・伊邪那岐神社(上牧町下牧)
延喜式内社 大和國 城上郡 伊射奈岐神社(いさなきの かみのやしろ)
・伊射奈岐神社(天理市柳本町)
・大己貴神社(宇陀市榛原柳)
延喜式内社 摂津國 嶋下郡 伊射奈岐神社二座〔並大月次新嘗〕(いさなきの かみのやしろ ふたくら)
・伊射奈岐神社〈五社宮〉(吹田市山田東)
・伊射奈岐神社(吹田市佐井寺)
延喜式内社 伊勢國 度會郡 伊佐奈岐宮二座〔伊佐奈弥命一座・並 大 月次 新嘗〕(いさなきのみや ふたくら)
・伊佐奈岐宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉(月讀宮境内)
・伊佐奈弥宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉(月讀宮境内)
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 各々が皇大神宮(内宮)の別宮で 明治6年(1873)現在の四つ宮並列した形で鎮座しました 『皇太神宮儀式帳(804年)』には「月讀宮一院 正殿四区」と一宮に四殿と記し 『延喜式〈927年〉』には「伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院」「「月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院」と二宮であったと記されています
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉
延喜式内社 若狭國大飯郡 伊射奈伎神社(いさなきの かみのやしろ)
・伊射の森(小浜市飯盛)
〈式内社・伊射奈伎神社の旧蹟〉
・伊射奈伎神社(大飯郡おおい町福谷)
・伊弉諾神社(大飯郡高浜町小和田)
延喜式内社 出雲國出雲郡 同社神伊佐那伎神社(おなじきやしろ かん いさなきの かみのやしろ)
・阿須伎神社(出雲市大社町)〈合祀先〉
阿須伎神社(あずきのかみのやしろ)は 由緒ある神社です 御祭神は 大国主大神と宗像の女神「多紀理比売命」との間にお生まれになりました長男神にして 別名を「迦毛大御神(kamo no oomikami)」と呼ばれる貴い国つ神を祀ります
阿須伎神社(出雲市)
延喜式内社 淡路國 津名郡 淡路伊佐奈伎神社〔名神大〕(あはじいさなきの かみのやしろ)
・伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)
伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は 『記紀神話』の日本創成で 伊弉諾尊と伊弉冉尊が 日本の国土開拓に着手された時 「天沼矛から滴るしずく」で 最初に造り上げた島「淡路島(awaji shima)」に鎮座します 御祭神は 「国生み神話の地」にふさわしい「伊弉諾尊と伊弉冉尊」で神代のロマンを感じます
伊弉諾神宮(淡路市多賀)〈淡路幽宮・淡路國一之宮〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR徳島線 穴吹駅から北へ吉野川を渡り うだつの町並み で有名な脇町にある八幡神社を目指します
道のり約4km 車での所要時間8~10分程度
県道12号〔川北街道〕を西へ進むと 道路沿い山側の斜面に玉垣が現れます
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長い石段があり 石段の途中に鳥居が建っています
八幡神社(美馬市脇町大字猪尻)に参着
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しかし県道12号〔川北街道〕沿いには 駐車スペースは無いので 車で迂回して 社殿の前に向うと 数台分の駐車スペースがありました
すぐ隣には「旧長岡家住宅」がありました
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ちょうど 先程の鳥居から続く石段を上がってきた所になります
上から鳥居が見えます
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すぐ横に神輿庫があり 神輿修理の寄付金の町名が記されています
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拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿に一礼をして 境内を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870)〉に記される伝承
式内社 伊射奈美神社について 所在は詳らかではないと記されています
【原文抜粋】
伊射奈美神社
伊射奈美は假字也
〇祭神明か也
〇在所詳ならず
類社
伊勢國度會郡伊佐奈岐宮二座、〈伊佐奈彌命一座、並大月次新嘗、〉神位
三代實錄、貞觀十一年三月十二日庚午、授阿波國正六位上伊佐奈美神從五位下、
【現代語訳】
伊射奈美神社
伊射奈美は仮字(漢字の音を借りた表記)です
祭神は明らかです
所在は詳らかではありません
類社
伊勢国度会郡 伊佐奈岐宮二座〈伊佐奈弥命一座 いずれも大社で 月次祭・新嘗祭の幣帛を受けます〉神位
『日本三代実録』貞観11年(869)3月12日庚午(かのえうま)に 阿波国の正六位上 伊佐奈美神に従五位下が授けられました
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される伝承
式内社 伊射奈美神社について 所在は記されていません
【原文抜粋】
伊射奈美(イサナミノ)神社、
蓋伊弉冉尊を祭る、
清和天皇貞觀十一年三月庚午、正六位上伊射奈美神に從五位下を授く、〈三代實錄〉
【現代語訳】
伊射奈美(いさなみの)神社
伊弉冉尊(いざなみのみこと)をお祀りしていると考えられます
清和天皇の貞観11年(869)3月庚午(かのえうま)の日に 正六位上の伊射奈美神に従五位下の神階が授けられました〈『日本三代実録』〉
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される伝承
式内社 伊射奈美神社について 所在は記されていません
しかし 諸説を挙げています
”口山村尾山名にある社”〈現 十二所神社(美馬市穴吹町口山尾山)〉
”美馬麻殖兩郡に跨れる高越權現”〈現 高越神社(吉野川市山川町木綿麻山)〉
【原文抜粋】
伊射奈美神社
祭神 伊射奈美命
神位 清和天皇貞觀十一年三月十二日庚午授阿波國正六位上伊佐奈美神從五位下
祭日
社格所在
今按阿波志に口山村尾山名にある社恐是ならんと云ひ式社略考には美馬麻殖兩郡に跨れる高越權現と云へれど疑はし能く尋ぬべし
【現代語訳】
伊射奈美神社
祭神 伊射奈美命
神位 清和天皇の貞観11年(869)3月12日庚午(かのえうま)に 阿波国の正六位上 伊佐奈美神に従五位下の神階が授けられました
祭日 (記載なし)
社格 (記載なし)所在 (記載なし)
今考えると
『阿波志』には 口山村尾山名にある社が おそらくこれであろうとあり
『式社略考』には 美馬・麻殖の両郡にまたがる高越権現であるとしていますが 疑わしく よく調べるべきです
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
八幡神社(美馬市脇町大字猪尻)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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阿波国(あわのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 阿波国 50座(大3座・小47座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
阿波国 式内社 50座(大3座・小47座)について