実践和學 Cultural Japan heritage

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日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」について

日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」は 律令時代に発生した制度・社格で 律令時代の国司の参拝に伴う制度・社格として生じました 全国各地に現在でも「一宮」の地名が沢山あります 呼び方については「いちのみや」は同じでも 標記の仕方は「一宮」・「一之宮」・「一の宮」「一ノ宮」など様々です(List of "Ichinomiya" all over Japan)

「一之宮(ichi no miya)と 総社(so ja)の起こり」

平安時代になって律令体制は大きく様変わりしてきます

中央で二十二社の制度が成立する頃、地方の多くの国々では 一宮(いちのみや)、総社(そうじゃ)と呼ばれる神社が成立します。

地方の長官である国司(こくし)は、赴任するとまず国内に鎮座する諸神社を参拝するのが通例でした。
その国において尊い崇敬を集める神社を参拝し幣帛を捧げることは、地方政治の運営上欠かせない第一の「まつりごと」だったからです。

やがて これらの神社が序列化され、国内で第一位の地位を占めた神社を一宮と呼び、他の神社を二宮、三宮などとしたのです。

これを一般に「一宮制」と呼び、官社の制度にみられるような一種の社格(しゃかく)となっていきました。

さらに、国司は国内諸神社の巡拝の労を軽減するために、国府(こくふ)内やその隣接地に一宮・二宮以下の神様を勧請(かんじょう)し、一括して祀ることも行われました。これが総社(そうじゃ)と呼ばれるものです。

『神社のいろは』監修・神社本庁より

「諸国 一之宮(ichi no miya) 巡拝のはじまり」は?

諸国の「一之宮(ichi no miya)」への巡拝が 一般に広まったのは

「橘 三喜(tachibana mitsuyoshi)(1635~1703)」(江戸時代前期の神道家)が 延宝3年~元禄10年(1675年~1697年)23年間の歳月を費やして 諸国の一の宮を巡拝しながら
『諸国一宮巡詣記(shokoku ichinomiya junkeiki)』全13巻(現在 完本はなく 抜粋とされています)を著しました

これを契機に 庶民の間にも「一の宮(ichi no miya)」参拝の風が広まり
庶民の絵図(地図)にも記載されるようになっていき 多くの人々が 諸国「一の宮(ichi no miya)」巡拝の旅を始めるようになっていたそうです

『橘三喜 諸国一宮巡詣記抜粋 乾』国立公文書館デジタルアーカイブ

五畿・七道(Goki Shichido)の地域について

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五畿(Goki)・大和・山城・摂津・河内・和泉の地域

五ヶ国を畿内ともいいます
現在の奈良県、京都府中南部、大阪府、兵庫県南東部を合わせた地域

七道(Shichido)・東海道・東山道・北陸道・山陽道・山陰道・南海道・西海道の地域

地理的な行政区分という見方もあります しかし地域ごとに独立した行政府はない為 国の集合地域区分とも云われています
畿内から各道が放射状に伸びていて 所属する国の国府を順に結ぶ駅路の名称でもありました

東海道の地域

:現在の・茨城・千葉・埼玉・東京・神奈川・山梨・静岡・愛知・三重(熊野地方を除きます)の地域

東山道の地域

:現在の・青森・岩手・秋田・宮城・山形・福島の東北6県 ・栃木・群馬・長野・岐阜・滋賀の各県を合わせた地域

北陸道の地域

:現在の・新潟・富山・石川・福井の各県を合わせた地域

山陽道の地域

:現在の・兵庫県南西部・岡山・広島・山口の各県を合わせた地域

山陰道の地域

:現在の・京都府北部・兵庫県北部・鳥取・島根の各県を合わせた地域

南海道の地域

:現在の・香川・徳島・愛媛・高知の四国4県 ・三重県熊野地方・和歌山県・淡路島を合わせた地域

西海道の地域

:現在の・福岡・佐賀・長崎・大分・宮崎・熊本・鹿児島の九州7県の地域

全国一之宮の一覧 (List of "Ichinomiya" all over Japan) 

畿内(kinai)

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山城国(yamashiro no kuni) (京都府)

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉

・賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市)

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)〈山城國一之宮〉

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は 京都最古の歴史を有する一社です 往古この地を支配した古代氏族゛賀茂氏゛の氏神を祀る・上賀茂神社(かみがもじんじゃ)と・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉で 賀茂神社〈賀茂社〉と総称されます 平安京への遷都後は皇城の鎮護社として祀られてきた 山城國一之宮です

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賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉摂社・末社についての詳細は

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山の摂社・末社について

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賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)の境内・境外の摂社・末社について

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)は 御祭神を祀る「本殿(ほんでん)」と常設の仮殿である「権殿(ごんでん)」が国宝に指定されています 広大な境内には 多くの摂社・末社が鎮座しています 平成六年(1994)に境内全域がユネスコ世界文化遺産に登録されています 更に 境外にも摂社・末社が多数鎮座します

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賀茂御祖神社〈下鴨神社〉

・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市)

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賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)〈山城國一之宮〉

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は 本殿は東西二棟からなり 西本殿には 賀茂別雷神社の〈祖父神〉賀茂建角身命〈古代の京都をひらかれた神〉 東本殿には〈母神〉玉依媛命を祀り 賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉とともに賀茂縣主の氏神を祀り 平安京遷都以降は国家鎮護の神社として 皇室や朝廷からも篤い崇敬を受ける 山城國一之宮です

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賀茂御祖神社〈下鴨神社〉摂社・末社についての詳細は

・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)の境内・境外の摂社・末社について

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賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)の境内・境外の摂社・末社について

賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)の境内・境外は 境内の糺(ただす)の森は 鴨川と高野川の合流する三角州に山背盆地の植生を残す貴重な森林でその美しさは古くから物語や詩歌にうたわれます 多くの摂社・末社が祀られていますので その詳細について 現地の案内板を中心に見て行きます

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大和国(yamato no kuni) (奈良県)

大神神社

・大神神社(桜井市三輪)

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大神神社(桜井市三輪)〈三輪山を〈御神体〉とする大和國一之宮〉

大神神社(おおみわじんじゃ)は 『記紀神話』に創建に関わる伝承が記されており 『延喜式』には名神大社と所載される 大和国一之宮です 古来から本殿は設けず 拝殿の奥にある三ッ鳥居を通し 三輪山〈御神体〉に祈りを捧げる原初の神祀りで 我が国最古の神社と呼ばれています 神社の社殿が成立する以前の祭祀の姿を今に伝えています 

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・大神神社の別宮・攝社・末社についての詳細は

・大神神社(桜井市三輪)の・境内社・境外社・別宮について

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大神神社(桜井市三輪)摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)・別宮(べつぐう)巡り

〈三輪山を〈御神体〉とする大和國一之宮〉゛大神神社(おほみわじんじゃ)゛奈良県桜井市三輪に鎮座は 日本で最も古い神社の一つで 摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)の数も非常に多く 本社域と参道の南北に分けて表示して 分かりやすいように記載しています 各々の記事をクリックすると 各神社の詳細が確認できます

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河内国(kawachi no kuni) (大阪府)

枚岡神社

・枚岡神社東大阪市出雲井町

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枚岡神社(東大阪市出雲井町)〈河内國一之宮〉

枚岡神社(ひらおかじんじゃ)は 神武天皇の即位 三年前 勅命を奉じ・天児屋根命・比賣御神の二柱を霊地゛神津嶽゛に祀り創建されました 白雉元年(650)現在地に奉還 神護景雲二年(768)天児屋根命・比賣御神の二神が 春日大社に分祀され「元春日」と呼ばれた後・経津主命・武甕槌命の二柱が増祀され 現在の四殿となりました

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神津嶽本宮枚岡神社 創祀の地

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神津嶽本宮(東大阪市出雲井町)〈枚岡神社 創祀の地〉

神津嶽本宮(かみつだけほんぐう)は 枚岡神社 創祀の斎場であり 太古の聖地です 神武天皇の即位 三年前 勅命を奉じて天種子命が 天児屋根命・比売御神の二神を霊地・神津嶽に祀り創建されました その後 白雉元年(六五〇)神津嶽の霊地より現社地〈枚岡神社〉に社殿を造営〈中臣氏の平岡進等により〉奉遷しました

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片埜神社

片埜神社(枚方市)

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片埜神社〈一の宮〉(枚方市牧野阪)〈延喜式内社〉

片埜神社(かたのじんじゃ)は 社伝に 第11代垂仁天皇〈在位BC29~AD70年頃〉創建とある古社 延喜式内社 片野神社とされ 明治期に 延喜式内社 久須須美神社を合祀しています 戦国時代には兵火にかかり荒廃 天正11年(1583)豊臣秀吉公が大坂城の鬼門鎮護の社と定め 方位鬼門除けに霊験あらたかな社と世に知られます

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和泉国(izumi no kuni) (大阪府 )

大鳥神社

・大鳥大社(堺市)

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大鳥大社(堺市西区鳳北町)〈延喜式内社 名神大社・和泉国一之宮〉

大鳥神社(おおとりじんじゃ)は 和泉国一之宮です 延長5年(西暦927年)に完成した『延喜式神名帳』所載の名神大社(霊験特に著しい神社)です ご祭神「日本武尊(yamato takeru no mikoto)」の御霊が 白鳥となり舞い降りた聖地として まさしく大鳥(otori)の由来をもちます

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摂津国(settsu no kuni) (大阪府)

住吉大社

・住吉大社(大阪市住吉区)

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住吉大社(大阪市住吉区住吉)〈摂津國一之宮〉

住吉大社(すみよしたいしゃ)は 『日本書紀』に神功皇后が三韓征伐の帰路 住吉三神の神託を得て 住吉大神の和魂(にきみたま)を鎮めて祀ったのが創建と記される 全国に2000社余ある住吉神社の総本社で 摂津國一之宮です 延喜式内社 住吉坐神社四座(並 名神大月次相嘗新嘗)(すみのえにます かみのやしろ しくら)です

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・住吉大社の・攝社・末社についての詳細は

・住吉大社の・境内外・摂社・末社について

一緒に読む
住吉大社(大阪市住吉区住吉)・境内外・摂社・末社について

住吉大社(すみよしたいしゃ)の・境内・境外・摂社・末社と要所について 

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坐摩神社

・坐摩神社(いかすりじんじゃ)〈ざまさん〉

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坐摩神社(大阪市中央区久太郎町)〈摂津國一之宮〉

坐摩神社(いかすりじんじゃ)は 摂津国一之宮として格式高く 大阪では最も古い神社の一つです 神功皇后が三韓征伐の帰途 淀川の河口に神託により神社を造営されたと伝わります 旧鎮座地は 天満橋南詰の「坐摩神社行宮」にありましたが 太閤秀吉の大阪城築城にともない遷座して 現在地 大阪商人の町「船場」に鎮座します

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・坐摩神社行宮
(御旅所) (坐摩神社 旧鎮座地)

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坐摩神社行宮(御旅所) (坐摩神社 旧鎮座地)

坐摩神社行宮(御旅所)(いかすりじんじゃ あんぐう)(おたびところ)は 摂津国一之宮「坐摩神社」の旧鎮座地です 神功皇后(応神天皇の御生母)が 新羅より御帰還の折 淀川南岸の大江 田蓑島のちの渡辺の地「現 行宮の地」に奉祀されたのが始まりとされています 全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります

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東海道(tokaido)

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伊賀国(iga no kuni) (三重県)

敢国神社

・敢國神社(伊賀市)

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敢國神社(伊賀市一之宮)〈延喜式内社 大社・伊賀國一之宮〉

敢國神社(あえくにじんじゃ)は 社伝によれば第37代 斉明(サイメイ)天皇4年(658)に創建とされ『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に伊賀国の阿拝(アエ)郡の大社 敢國神社とされます・阿閉臣(アヘノオミ)の祖神 大彦命(オオヒコノミコト)・古代に伊賀を拓いた秦氏の信仰する少彦名命(スクナヒコナノミコト)を祀ります

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伊勢国 (ise no kuni)(三重県)

椿大神社

・椿大神社(鈴鹿市)

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〈伊勢國一之宮〉椿大神社(鈴鹿市山本町)〈地祇猿田彦大本宮〉

椿大神社(つばきおおかみやしろ)は 社伝には 垂仁天皇二十七年 倭姫命の御神託により御船磐座の邉に 伊勢開拓神として猿田彦命を奉斎のため社殿を創建 神主は 代々山本家の世襲で 山本家は猿田彦大神の神裔とされます 社殿は瓊瓊杵尊が船でここに到着された場所「土公神陵」は猿田彦大神の古墳だと伝える 由緒ある伊勢国一之宮です

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都波岐奈加等神社

・都波岐神社・奈加等神社(鈴鹿市)

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〈伊勢國一之宮〉都波岐神社・奈加等神社(鈴鹿市一ノ宮町)

都波岐神社・奈加等神社(つばきじんじゃ・なかとじんじゃ)は 社伝には 雄略天皇の勅により 現在地に2つの社殿を造営したのが起源 明治時代に2社を合併し 両社の祭神は1つの社殿に奉祀されます 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 奈加等神社(なかとの かみのやしろ)都波岐神社(つはきの かみのやしろ)の論社です

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志摩国(shima no kuni) (三重県)

伊雑宮(志摩市)

・伊雜宮(志摩市磯部町)志摩国一之宮

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伊雑宮(志摩市磯部町)〈皇大神宮(内宮)別宮〉

伊雑宮(いざわのみや)は 謎多き「志摩國 一之宮」とされています 伊勢の別宮としての高い格式も持ち「遙宮(tono miya)」と尊崇を集めます 「懸税(kake chikara)神事」の発祥の地として 御田植式(otaue shiki)があり 香取神宮・住吉大社とあわせて日本三大植祭の一つとされています

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伊射波神社

・伊射波神社(鳥羽市安楽島町)

一緒に読む
伊射波神社(鳥羽市安楽島町)

伊射波神社(いさわじんじゃ)は 稚日女尊(わかひめのみこと)を海の道から加布良古崎(かぶらこざき)へ祭祀したのが起源とされ 本来は海から参拝する社で 海に向かって鳥居が建ちます 昭和初期頃までは 社頭の海岸まで船寄せしてお参りしたとされ 現在は 縁結びの御神威でも知られ 志摩国一之宮の巡拝者も多くいます

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尾張国(owari no kuni) (愛知県)

真清田神社

・真清田神社(一宮市)

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〈尾張國一之宮〉真清田神社(一宮市真清田)〈尾張開拓の祖゛天火明命゛を祀る〉

真清田神社(ますみだじんじゃ)は 尾張国一之宮として2600有余年の歴史を誇ります 社伝によれば 尾張氏の祖神とされる「天火明命」が 大和国「葛城の高尾張邑」(現・奈良県葛城地方)を出て 神武天皇33年3月3日に 当地で鎮祭されたのが始まりとしています

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大神神社

・大神神社(一宮市)

一緒に読む
大神神社(一宮市花池)〈延喜式内 名神大社・尾張国一之宮〉

大神神社(おおみわじんじゃ)は 社伝によれば 大和系の人々が大神神社と同じ「三輪の神」を祀ったとされます 奈良時代には 尾張国司が赴任の際 国中の神社を代表する総社には 国府宮の尾張大国霊神社を指定し 次いで 花池の「大神神社」と「真清田神社」をまとめて「相殿・対の宮」として「尾張国一之宮」に指定したと伝えています

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参河国(mikawa no kuni) (愛知県)

砥鹿神社

・砥鹿神社 里宮(豊川市一宮町)

一緒に読む
砥鹿神社 里宮(豊川市一宮町)〈三河国一之宮〉

砥鹿神社 里宮(とがじんじゃ さとみや)は 約1300年前 大宝年中(701~704年)に本宮山の奥宮より分霊し 御祭神 大己貴命をお祀りしたのが 里宮の始まりと伝わります 社殿は荘厳な檜造りです また 摂社「三河えびす社」が並び建ち こちらには 本社の御子神「智徳の神・事代主命」と「体徳の神・建御名方命」を祀ります

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砥鹿神社 奥宮

・砥鹿神社 奧宮(豊川市上長山町)

一緒に読む
砥鹿神社 奧宮(豊川市上長山町)〈三河国一之宮〉

砥鹿神社 奧宮(とがじんじゃ おくみや)は 古くから「霊山」とされている海抜789mの本宮山の山頂近くに鎮座しています 1300年以上前には 麓にも社殿が造営されたと伝わり 山頂の社(yashiro)を奥宮 里の社殿を里宮(砥鹿神社)と称しています どちらも 三河国一之宮として 二所一体の崇敬をあつめています

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遠江国 (totomi no kuni)(静岡県)

小国神社

・小國神社〈遠江国一之宮〉

一緒に読む
小國神社(周智郡森町一宮)〈延喜式内社・遠江國一之宮〉

小國神社(おくにじんじゃ)は 遠江国一之宮で御霊顕(ごれいけん)あらたかな社として 大国主命を祀ります 社名の「小國(おくに)」の語源は 大國神を祀るきれいな場所と云われ 許当麻知神社(ことまち=願い事を待つ)・事任神社(ことのまま=願い事のままに)とも称されていました 

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事任八幡宮

・事任八幡宮(掛川市)

一緒に読む
事任八幡宮(掛川市)清少納言が書いた「枕草子」の中に「ことのまま明神いとたのもし」と書かれた項があります

事任八幡宮は 創建は一説に成務天皇(84年~190)の御代の創立と伝え聞き 大同2年(807)坂上田村麻呂東征の際 桓武天皇の勅を奉じ 旧社地の本宮山より現社地へ遷座したと伝わります 古代より街道筋に鎮座し 朝廷をはじめ全国より崇敬されており 多くの歌人が歌に詠んでいます 平安期の「枕草子」にも記載があります

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駿河国(suruga no kuni) (静岡県)

富士山本宮浅間神社

・富士山本宮浅間大社(富士宮市宮町)駿河国一之宮

一緒に読む
富士山本宮浅間大社(富士宮市宮町)

富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は 第7代 孝霊天皇の時 富士山の噴火で国内が荒れ果てた この山霊を鎮祭する為 第11代 垂仁天皇が 浅間大神を山足の地に祀ったのが創祀 第12代 景行天皇の時には 日本武尊が 山宮の地に大神を祀り 大同元年(806)には 坂上田村麿が勅命に依り 社殿を現在の大宮の地に造営し 神霊を遷座した東海最古の名社です

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〈奥宮〉富士山本宮浅間大社 奥宮(富士山頂上)

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富士山頂上 浅間大社 奥宮 & 富士山頂上 久須志神社

富士山頂上 浅間大社 奥宮(ふじさんちょうじょう せんげんたいしゃ おくみや)は 元は富士山興法寺〈現 村山浅間神社〉の大日堂「表大日」・富士山頂上 久須志神社は(ふじさんちょうじょう くすしじんじゃ)は 元は須走浅間神社の薬師堂「裏薬師」でした どちらも明治の神仏分離令により仏像が取り除かれ 富士山浅間大社の奥宮として管理されることになりました

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〈元宮〉山宮浅間神社(富士宮市山宮)

一緒に読む
山宮浅間神社(富士宮市山宮)

山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇の時 山足の地〈山麓全体〉に祀られた浅間大神を 第12代 景行天皇の時 日本武尊が 当地 山宮の地に 磐境を設けて大神を祀り 大同元年(806)坂上田村麿が勅命により 現在の富士山本宮浅間大社の地に社殿を造営し 遷座した富士山の山宮斎場の元宮です 今でも本殿はなく 溶岩を用いた石列が原始的な祭祀形態を留めています

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伊豆国(izu no kuni) (静岡県・東京都 伊豆諸島)

三嶋大社

・三嶋大社(三島市)

一緒に読む
三嶋大社(三島市大宮町)〈延喜式内社 名神大社・伊豆國一之宮〉

三嶋大社(みしまたいしゃ)は 古くから伊豆諸島の噴火・造島活動を司る神として 朝廷の尊崇を受ける 伊豆国一之宮です 平安中期以降に伊豆国賀茂郡から現在地に移ったとされ 平安末期には源頼朝が 源氏の再興を願い参詣祈願の後 治承4年(1180)旗挙げを果たし 鎌倉武家政権を樹立し 鎌倉幕府崇敬の神社となり 現在に至ります

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・伊古奈比咩命神社(白浜神社)
〈三嶋大社の元宮〉

旧鎮座地
伊古奈比咩命神社〈白浜神社〉(下田市白浜)

伊古奈比咩命神社(いこなひめのみことじんじゃ)は 三嶋大社の元宮とされ 神社の縁起に「この神 三宅島よりここに遷り 後更に 三島に遷座す」とあります 鎮座地 白浜海岸にある丘陵「火達山(ひたちやま)」は 古代から 伊豆半島から伊豆諸島に向けて神に祈り祀る祭祀遺跡で 祭神は伊豆諸島の開拓神「御島神=三嶋神」と その后神「伊古奈比咩命」が祀られます

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富賀神社(三宅島 阿古)
〈三島神の発祥地ともされます〉

一緒に読む
富賀神社(三宅島 阿古)〈延喜式内社 阿米都(和)氣命神社の論社〉

富賀神社(とがじんじゃ)は もともとは 峯富賀平(雄山の8合目付近)に鎮座するも 噴火により 二島ヶ山(新富賀山(二富賀山)古錆浜の荒島神社へ遷座し その後 現在地の富賀山(海抜60.4m)中腹に鎮座したと伝わります 古来より伊豆七島の総鎮守「三島大明神」として 伊豆の三島大社の祭神の発祥地だとする説もあります

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甲斐国(kai no kuni) (山梨県)

浅間神社

山宮神社(笛吹市一宮町)
〈浅間神社 旧鎮座地

旧鎮座地
山宮神社(笛吹市一宮町一ノ宮)〈浅間神社の〈本宮〉旧鎮座地〉

山宮神社(やまみやじんじゃ)は 浅間神社の゛創祀の地 本宮゛とされます  垂仁天皇の御代〈二千年以上前〉この地〈神山の麓〉に三柱の神を勧請〈現在は二柱・大山祇神・天孫瓊々杵命を祀る〉残る一柱 木花開耶姫命は〈貞観七年(865)遷座〉現在は 里宮〈現 浅間神社〉に祀られ 毎年3月に厳かに山宮神社へ神幸が行なわれています

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 浅間神社(笛吹市一宮町)

論社
浅間神社(笛吹市一宮町一ノ宮)〈甲斐國一之宮・延喜式内社〉

浅間神社(あさまじんじゃ)は 社伝には 第11代 垂仁天皇8年(約2000年前)山宮神社の地に3柱の神を祀り創始されます その後〈富士山〉貞観大噴火時〈貞観7年(865)〉鎮火神として木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)1柱を現在地に遷座し創建されたと云う 国府も近く 甲斐國一之宮とされる延喜式内社 名神大社です

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相摸国(sagami no kuni) (神奈川県)

寒川神社

・寒川神社(寒川町)

一緒に読む
寒川神社(寒川町)相模國一之宮

寒川神社(さむかわじんじゃ)は 約1600年以上の歴史を持つとされ 古くは朝廷から さらに歴代の武将〈源頼朝公 武田信玄公 徳川将軍家など〉や 民間からも幅広い信仰がありました 今でも 八方除の守護神〈全国唯一〉として 全国各地から参拝者が絶えない 相模國一之宮です

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武蔵国(musashi no kuni) (埼玉県) 

※771年 東山道から東海道に所属変更

氷川神社(さいたま市)

・大宮氷川神社(さいたま市)

一緒に読む
大宮氷川神社(さいたま市大宮区高鼻町)〈武藏國一之宮〉

大宮氷川神社(おおみや ひかわじんじゃ)は およそ2400年前から遷座せずにこの地に鎮座する勝運に添える太古の社です 古代 出雲族がこの地に移住して創建した神社です 現在の「大宮」(埼玉県)の地名は 「大いなる宮居」と氷川神社を称えたことに由来していると云われます

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氷川女體神社

・氷川女體神社(さいたま市)

一緒に読む
氷川女體神社(さいたま市緑区宮本)

氷川女体神社(ひかわにょたいじんじゃ)は 武蔵国有数の古社で 見沼に突き出た小舌状台地の上に鎮座しています 一説では 当社(女體社)と 大宮区高鼻町の大宮氷川神社(御祭神:須佐之男命・男体社)と 見沼区中川の中山神社(御祭神:大己貴命・王子社)の三社を合わせて 武蔵国一之宮と称されていたとも伝えられています

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小野神社(府中市)

・小野神社(府中市)

一緒に読む
小野神社(府中市住吉町)

小野神社(おのじんじゃ)は 社伝によれば 第3代天皇「安寧天皇」18年の創建とされていますので 2000余年の由緒を持つ古社となります 御祭神「天下春命(ameno shitaharu no mikoto)」は 思金神の御子神で武蔵秩父国造の先祖とされています 境内にある「小野宮廟碑」に詳しく語られています 古くは武蔵国一之宮とされています

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小野神社(多摩市)

・小野神社(多摩市)

一緒に読む
小野神社(多摩市)

小野神社(おのじんじや)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社で 武蔵国一之宮ともされています ただし 多摩川を挟んで南北に各々 小野神社が鎮座しており 当神社は南岸で もう一方は 北岸の府中市に鎮座します これは多摩川が氾濫を繰り返し 都度 遷座も繰り返されて2社に別れたとも 北岸には旧址があり本社であるとも 南岸は分祠であるとも云われています

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安房国(awa no kuni) (千葉県)

※718年に上総国より分立 741年に上総国に併合されるも757年再分立

安房神社

・安房神社(館山市)

一緒に読む
安房神社(館山市大神宮)〈延喜式内社 名神大社・安房国一之宮〉

安房神社(あわじんじゃ)は 日本神話「天の岩戸」では 天太玉命〈忌部氏の氏神〉が 天照大御神の出現を願い 祭祀を執り行いました 故に 古代の大和朝廷では 忌部氏が・祭祀に必要な鏡や玉・神に捧げる幣帛や織物・威儀物の矛や楯など武具・社殿の造営などを司っていました  日本における全ての産業の総祖神としても崇敬されています

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洲崎神社

・洲崎神社(館山市洲崎)

一緒に読む
洲崎神社(館山市洲崎)〈延喜式内 大社・安房國一之宮〉

洲崎神社(すのさきじんじゃ)は 古代氏族の忌部氏の開拓神「天富命(ameno tomi no mikoto)が 初代天皇 神武天皇の勅命を受けて 肥沃な土地を求めた時に 阿波忌部氏の一部を率いて房総半島に上陸しました そして 開拓を行う時に 忌部族の総祖神「天太玉命」の后神「天比理乃咩命」を祀ったのが当社と伝わります

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・洲宮神社(館山市洲宮)〈論社〉

一緒に読む
洲宮神社(館山市洲宮)〈延喜式内 大社・安房國一之宮の論社〉

洲宮神社(すのみやじんじゃ)は 元々は南側の魚尾山(とおやま)山上に鎮座しましたが 文永10年(1273)火災により古書などを焼失して現在地へ遷座します 明治5年(1872)教部省が式内社と認定しますが 翌6年(1873)洲崎神社を式内社であると覆し 式内社論争となります 両社とも近代社格制度では縣社に列格されました

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上総国(kazusa no kuni) (千葉県)

玉前神社

・玉前神社(一宮町一宮)

一緒に読む
玉前神社(一宮町)上総国一之宮

玉前神社(たまさきじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される名神大社で 上総国一之宮とされる格式高い由緒を持ちます しかし 永禄年間(1558~1570)大きな戦火にかかり 社殿・宝物・文書の多くを焼失しており ご創建の由来や年数また名称についてなど明らかにされていません 神武天皇の御代 あるいは景行天皇の御代の創立と伝えられます

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・玉崎神社(中原)
〈玉前神社(一宮町)の本宮とも伝わる〉《参考論社》

一緒に読む
玉﨑神社(中原)「玉前神社(一宮町)」の本宮であると云われます

玉﨑神社(たまさきじんじゃ)は 長生郡一宮町の玉前神社(一宮町)の本宮であると云われています 1200年以上前に 西方より渡ってきた物部氏一族が 和泉浦に創建した歴史ある古社で かつては安房神社 香取神社と並び房総の3大神社と称されたと伝わります 現在でも9月13日に行われる十二社祭りの本宮にあたります

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・神洗神社(一宮町綱田)
〈玉前神社(一宮町)の元宮とも伝わる〉

一緒に読む
神洗神社(一宮町綱田)

神洗神社(かみあらいじんじゃ)は 神代の昔 御祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)が海から上陸され その髪〈御体〉を洗われた処とされ 玉前神社(一宮町一宮)の元宮とされます 現在は その末社として奉 ...

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下総国(shimosa no kuni) (千葉県)

香取神宮

・香取神宮(香取市)

一緒に読む
香取神宮(香取市)下總國一之宮

香取神宮(かとりじんぐう)は 『延喜式神名帳927 AD.』の中で「神宮」の称号を持つ 3所〈伊勢大神宮・香取神宮・鹿島神宮〉の一つです その所載には 下緫國 香取郡 香取神宮(かとりの かむのみや)(名神大 月次 新嘗)と記され 古来国家鎮護の神としての官幣大社です 又 人々の崇敬を集める下總國一之宮です

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香取神宮 奥宮(香取市)
経津主大神の荒御魂(あらみたま)を祀る〉

一緒に読む
香取神宮 奥宮(香取市)

香取神宮 奥宮(おくのみや)は 御祭神として 経津主大神の荒御魂を祀ります 香取神宮の境内域は「亀甲山(かめがせやま)」と呼ばれる台地に鎮座していて その頂上付近を通る香取神宮の旧参道の中程に 奥宮は鎮座しています 現在の社殿は 昭和四十八年伊勢神宮御遷宮の折の古材に依るものです

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常陸国(hitachi no kuni) (茨城県)

鹿島神宮

・鹿島神宮(鹿嶋市)

一緒に読む
鹿島神宮(鹿嶋市宮中)〈延喜式内社名神大社・常陸國一之宮〉

鹿島神宮(かしまじんぐう)は 武甕槌大神(たけみかづちのおほかみ)を祀る鹿島神社〈全国に約600社〉の総本宮です 『常陸国風土記713AD.』には 香島天之大神(かしまのあめのおほかみ)・『延喜式神名帳927 AD.』には 名神大社 鹿島神宮(かしまの かむのみや)と記されています

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東山道(tozando)

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近江国(omi no kuni) (滋賀県)

建部大社

・建部大社(大津市)近江国一之宮

一緒に読む
建部大社(大津市)近江国一之宮

建部大社(たけべたいしゃ)は 近江国一之宮です 神社の東側では 近江国庁跡も発掘されています 社伝によれば 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の妃・布多遅比売命(フタジヒメノミコト)が神勅により 日本武尊を「建部大神」として 神崎郡 建部郷 千草嶽(現・東近江市の箕作山)に祀ったのが始まりとされ 天武天皇4年(675)近江の守護神として 現在地の栗太郡 勢多へ遷座しました  

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・建部神社(五個荘伊野部町)
〈建部大社旧社地伝承地〉

一緒に読む
建部神社(五個荘伊野部町)

建部神社(たてべじんじゃ)は 建部大社〈近江国一之宮〉旧社地の伝承地です 景行天皇46年(316)4月 神崎郡建部郷 千草嶽に 日本武尊の神霊を祀り建部大明神と崇めたのが起源とされ 天武天皇 白鳳4年(675)4月に近江国府のあった瀬田の地に遷座されたと伝わります

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美濃国(mino no kuni) (岐阜県)

南宮大社

・南宮大社(垂井町)美濃国一之宮

一緒に読む
南宮大社(垂井町宮代)

南宮大社(なんぐうたいしゃ)は 社伝によれば 神武天皇東征の時 金鵄を輔(たす)けて大いに霊験を顕された故を以て 不破郡 府中に鎮座したが 後に第十代 崇神天皇の御代 美濃仲山麓の現在地に奉遷された 古くは仲山金山彦神社と号したが 国府から南方に位するので南宮大社と云われる様になったと伝えます

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・南宮御旅神社(垂井町府中)
〈南宮大社の旧鎮座地〉

一緒に読む
南宮御旅神社(垂井町府中)

南宮御旅神社(なんぐうおたびじんじゃ)は 往古は 南宮大社が鎮座していたとも伝わり その境内は 美濃国府跡にあり 國府の宮〈美濃国総社〉ともされています 一説には 現在の南宮大社は 遷座の際 古宮の南方に位する「南の宮」の意から 南宮と云われる様になったと伝えます

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飛騨国( hida no kuni) (岐阜県)

水無神社

・飛騨一宮 水無神社(高山市一之宮町)

一緒に読む
飛騨一宮 水無神社(高山市一之宮町)【前編】

水無神社(みなしじんじゃ)は 飛騨國一之宮として 諸願成就を祈る人の姿が絶えず 飛騨高山一円の里人が「心の拠り所」として信仰しています  御祭神は 「水無大神(minashi no okami)」として 主祭神と十四柱の相殿神を奉祀しています 

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信濃国(shinano no kuni) (長野県)

諏訪大社 上社 前宮

・諏訪大社 上社 前宮(茅野市)

一緒に読む
諏訪大社 上社 前宮(茅野市)

諏訪大社 上社 前宮は 4つの諏訪大社の中でも 諏訪の祭祀の発祥地とされます 古来より諏訪明神の住まう所で 現人神とされた諏方の大祝(オオホフリ)の居舘があり 上社の祭祀の中心地でした 神長官(ジンチョウカン)の守矢氏が 神秘にして原始的なミシャグジ神を降ろして 諏訪明神の重要な祭祀・神事を取り行った聖地とされています

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諏訪大社 上社 本宮

・諏訪大社 上社 本宮(諏訪市)

一緒に読む
諏訪大社 上社 本宮(諏訪市)

諏訪大社 上社 本宮は 全国に1万以上の御分社をもつ諏訪神社の総本社です 諏訪湖を挟んで 南に上社「本宮・前宮」北に下社「秋宮・春宮」があり この4宮を諏訪大社と呼びます 上社本宮は諏訪湖の南東に佇む守屋山の麓に位置し 参道は 北と東から2つ参道がありますが 正式な参拝路は 前宮から続く東参道とされています

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諏訪大社 下社 春宮

・諏訪大社 下社 春宮(下諏訪町)

一緒に読む
諏訪大社 下社 春宮(下諏訪町)

諏訪大社 下社 春宮は 諏訪湖北側の下諏訪町に位置しています 下社は「春宮と秋宮」に分かれていて「半年ごとに神様が遷座して移る」という特徴があります ご祭神は 2月から7月まで春宮に鎮座し 8月1日の御舟祭で秋宮に遷座し 翌2月1日に春宮に帰座されます 又 厳冬の諏訪湖で見られる「御神渡り」では 上社の御祭神の男神(彦神)が 下社の女神に通った「神様の通り道の跡」とされています

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諏訪大社 下社 秋宮

・諏訪大社 下社 秋宮(下諏訪町)

一緒に読む
諏訪大社 下社 秋宮(下諏訪町)

諏訪大社 下社 秋宮は 諏訪湖北側の下諏訪町に位置しています 下社は「春宮と秋宮」に分かれていて「半年ごとに神様が遷座して移る」という特徴があります ご祭神は2月から7月まで春宮に鎮座し 8月1日の御舟祭で秋宮に遷座し 翌2月1日に春宮に帰座されます 又 厳冬の諏訪湖で見られる「御神渡り」では 上社の御祭神の男神(彦神)が 下社の女神に通った「神様の通り道の跡と」されています

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上野国(kozuke no kuni) (群馬県)

一之宮 貫前神社

・一之宮 貫前神社(富岡市)

一緒に読む
一之宮 貫前神社(富岡市一ノ宮)

一之宮 貫前神社(いちのみや ぬきさきじんじゃ)は 菖蒲(綾女・あやめ)谷といわれる渓間に南面して鎮座しますが ご参拝には 一度 南の参道をのぼって大鳥居をくぐります 平坦な参道が弧を描くように総門に至ります するとそこからは 急な下りの石段となっていて 真下に社殿が建っています  上って 平らになって 今度は下りになる 全国でも珍しい「下り参道」でお詣りする神社です 古くからの由緒格式を持つ 上野国一之宮として崇敬を集めています

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・咲前神社(安中市)
一之宮 貫前神社の 旧鎮座地

元宮
咲前神社(安中市鷺宮)

咲前神社(さきさきじんじゃ)は 一の宮貫前神社(抜鉾神社)の旧鎮座地(前宮)です その由緒はとても古く 遠く神代に 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)が 健御名方神(たけみなかたのかみ)を追って 上野国と信濃国の国境にある荒船山に御出陣をされた時の行在地であると伝わっています

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下野国(shimotsuke no kuni) (栃木県)

宇都宮二荒山神社

下之宮
宇都宮二荒山神社の元の鎮座地

元宮
宇都宮二荒山神社 下之宮(宇都宮市)

二荒山神社 下之宮は 宇都宮二荒山神社の旧 鎮座地に祀られる元宮です 御祭神の4世の孫 奈良別王が 第16代 仁徳天皇の御代(1600年程前)に下野の初代国造となり 国を治めるに当たり 御神霊を荒尾崎(現在の下之宮)の地に祀り合せたとされます その後 神社は 平安時代前半の承和5年(838)に臼ヶ峰(現在地)に還座しましたが 下之宮は発祥の聖地に鎮座するとして永く奉斎されてきました 1995年以後の再開発の際に現在地に再建されました

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・宇都宮二荒山神社

一緒に読む
宇都宮二荒山神社(宇都宮市)

宇都宮二荒山神社(うつのみや ふたあらやま じんじゃ)は 宇都宮市の中心部 明神山(臼ヶ峰、標高約135m)山頂に鎮座します 大変歴史が古く 創建は 第10代 崇神天皇の御代に遡ると云われます 戦災で多くの資料を喪失し 現存の社記には 第16代 仁徳天皇の御代(約1600年前)毛野国が下野国と上野国の二国に分割された時 下野国国造に任じられた奈良別王(ならわけのきみ)が 曽祖父・豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)を氏神として祀ったのに始まると記されます

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日光二荒山神社

・日光二荒山神社
本社の元の鎮座地 本宮神社

元宮
本宮神社(日光発祥の地)

本宮神社(ほんぐうじんじゃ)は 神護景雲元年(766年)勝道上人(shodo shonin)が「山菅の蛇橋」(現在の神橋)を渡りこの地(日光)に神仏を祀り 庵を結んだのが始まりとされています ここは日光の原点であり 二荒山神社発祥の地であり 開運の神社と言われます 古くは 新宮(現在の二荒山神社)と滝尾神社と共に 日光三社と呼ばれていました

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・日光二荒山神社 本社

一緒に読む
日光二荒山神社 本社(日光市山内)〈世界遺産「日光の社寺」〉

日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は 標高2486m霊峰「男体山(二荒山)」をご神体として 古くから日光における信仰の中心となってきました 残存する最も古い記録には 767年に勝道上人が 日光山を開基したとあり 世界遺産「日光の社寺」の一群で 日光東照宮と日光山輪王寺の中間の位置に鎮座します

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・日光二荒山神社 奥宮 中宮祠

奥宮 中宮
日光二荒山神社・中宮祠・奥宮(日光市)

日光二荒山神社・中宮祠・奥宮は 男体山の山頂にあるので奥宮と呼ばれ 奥宮と日光二荒山神社本社の中間にあるので中宮祠と呼ばれています 御祭神は日光二荒山神社と同じ・大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命の3神です 中宮祠の本殿右側には山頂の奥宮への登拝門があり 5月から10月に登山口の門が開き ここから男体山に登ることができます

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陸奥国(mutsu no kuni) (宮城県・福島県) 

※ 陸奥国は7世紀に常陸国より分立

鹽竈神社

・鹽竈神社(塩竈市)

一緒に読む
鹽竈神社(塩竈市)

鹽竈神社は 「塩土老翁神」が 東北を平定する「武甕槌命&経津主神」の両神を先導して この地に至った折に ここに留まり 里人に製塩を教えたことに始まると伝えられます 全国にある鹽竈(鹽竃・塩竈・塩竃・塩釜・塩釡)神社の総本社です 元々は当地には 鹽竈神社のみが鎮座していましたが 明治時代に志波彦神社が境内に遷座して 現在は正式名称を「志波彦神社・鹽竈神社」として1つの宗教法人となっています

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都都古別神社(馬場)

・都都古別神社(馬場)

一緒に読む
都都古和氣神社(馬場)

馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に所載される 又「陸奥国一之宮」とされる由緒ある神社です 歴史は古く 「日本武尊(yamatotakeru no mikoto)」が「都々古山(Tsutsukoyama)(江戸期までは入山禁足)」に鉾を立てて味耜高彦根命を祀ったことが創祀で その後 大同2年(807年)に坂上田村麻呂が 日本武尊を相殿に配祀した後 現在地(馬場)に遷座したのは寛永2年(1625年)と伝わります

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・都都古別神社(馬場)の奥宮 旧鎮座地

奥宮 旧鎮座地
都々古別神社(表郷三森 都々古山)

都々古別神社は 馬場都々古別神社の旧蹟です 第12代景行天皇の皇子「日本武尊(yamatotakeru no mikoto)」が 都々古山(福島県白河市表郷三森の建鉾山)に「鉾(hoko)」を立てて「味耜高彦根命(ajisuki takahikone no mikoto)」を地主神として祀った創祀の地です 「建鉾山(武鉾山)」別名を「都々古山(Tsutsukoyama)(江戸期までは入山禁足)」の山頂には梵天の祠があります 当社は 山麓にあり 延喜式の時代には 祭祀が行われていた奥院と伝わります

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都都古別神社(八槻)

・都々古別神社(八槻)

一緒に読む
都々古別神社(八槻)

八槻都々古別神社(やつきつつこわけじんじゃ)は 縁起では「日本武尊(yamatotakeru no mikoto)」が 八溝山の蝦夷を討った際に 守護として示現した3神が 建鉾山(福島県白河市表郷三森)に隠れた時に東方に矢を放ち 矢(箭)の着いた地を(箭津幾:やつき)として神社を創建したと伝わります 江戸時代頃には 「近津三社」〈上宮〉馬場都々古別神社〈中宮〉八槻都々古別神社〈下宮〉下宮近津神社(久慈川沿いに3社が並び鎮座)と呼ばれました 

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※【論社】都都古別神社(玉川村南須釜)

・都々古別神社(玉川村南須釜)

論社
都々古別神社(玉川村南須釜)

都々古別神社(つつこわけじんじゃ)は 第40代天武天皇の御代に常陸國の国司に任じられた 藤原鎌足(ふじわらのかまたり)公〈698-720年〉が この地に赴いた際に創建したとされ 往時には「奥州一の宮」と称され 48社の末社を四方に持ち 神領12ヶ村 氏子85ヶ村を誇ったと伝わります

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石都々古和気神社

・石都々古和気神社(石川町)

一緒に読む
石都々古和気神社(石川町)

石都々古和気神社は 約一万年位前から信仰されていたとされている古代の祭祀遺跡の跡地に鎮座しています これは全国的にも数少ない大変重要な遺跡といわれています その様子は 山には 全山に花崗岩の巨石が連なる多くの磐境が点在していて・屏風岩・船形岩・鏡岩(2基)・亀石・天狗石・石門(鳥居)更に 三種の神器と言われている・剣・玉(勾玉)・鏡岩等があります

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・石都々古和気神社の論社 近津神社(下野宮)

論社
近津神社(大子町下野宮)

下野宮近津神社は 奥久慈大子地方が 陸奥國 依上郷と呼ばれていた頃 久慈川沿いに並び鎮座する3神社を゛近津三社゛と総称していました・〈上宮〉馬場都々古別神社・〈中宮〉八槻都々古別神社・〈下宮〉下宮近津神社(当社)の三社で〈上宮〉〈中宮〉の2つの都々古別神社は 陸奥国一宮です 当社〈下宮〉は「石都々古別神社」であると自認し 陸奥国一宮を主張します 又 式内社 常陸國 稲村神社であるとする説もあります

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出羽国(dewa no kuni) (山形県)

鳥海山大物忌神社(吹浦口ノ宮)

・鳥海山大物忌神社(吹浦口ノ宮)

一緒に読む
鳥海山大物忌神社(吹浦 口ノ宮)

鳥海山大物忌神社 吹浦口ノ宮(ちょうかいざんおおものいみじんじゃ ふくらくちのみや)は 出羽国一之宮です 鳥海山を御神体として 3つの神社が鎮座しています 鳥海山の山頂には「本社(奥宮)」が鎮座します 鳥海山の麓の登山口には「口ノ宮」と呼ばれる里宮が 「吹浦(fuku ra)」と「蕨岡(warabi oka)」の2ヶ所に鎮座しています 創祀は 欽明天皇二十五年(1400年以上前)の御代と伝わる古社です

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鳥海山大物忌神社(蕨岡口ノ宮)

・鳥海山大物忌神社(蕨岡口ノ宮)

一緒に読む
鳥海山大物忌神社(蕨岡口ノ宮)

鳥海山大物忌神社 蕨岡口ノ宮(ちょうかいざんおおものいみじんじゃ わらびおかくちのみや)は 出羽国一之宮として 鳥海山の山頂に 本社(奥宮)が鎮座し 麓の登山口は「口ノ宮」と呼ばれて「吹浦(fuku ra)」と「蕨岡(warabi oka)」の二ヶ所に里宮が鎮座しています 鳥海山大物忌神社(蕨岡口ノ宮)の創祀は 欽明天皇25年(1400年以上前)の御代と伝わります

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北陸道(hokurikudo)

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若狭国(wakasa no kuni) (福井県)

若狭彦神社(上社)

・若狹彦神社 上社(小浜市)

一緒に読む
若狹彦神社 上社(小浜市)

若狹彦神社は 上社「若狭彦神社」と下社「若狭姫神社」の総称で 2つの神社で若狭国の一宮とされています 上社「若狭彦神社」は 和銅7年(714年)今の遠敷郡下根来村白石に創られたと云われ 霊亀元年(715年)に現在の地に遷座しました 下社「若狭姫神社」は 上社から北1.5kmの遠敷(onifu)の里にあり 6年の後の養老5年(721年)の鎮座と伝わります 

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若狭姫神社(下社)

・若狹姫神社 下社(小浜市)

一緒に読む
若狹姫神社 下社(小浜市)

若狹姫神社 下社は 若狭彦神社 上社と2社で一つの神社「若狭国一の宮」とされています 上社「若狭彦神社」は 和銅7年(714年)に今の遠敷郡下根来村白石に創られたと云われ 霊亀元年(715年)に現在の地に遷座しました 下社「若狭姫神社」は 上社から北1.5kmの遠敷(onifu)の里にあり 6年の後の養老5年(721年)の鎮座と伝わります

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越前国(echizen no kuni) (福井県)

氣比神宮

・氣比神宮(敦賀市)越前国一之宮

一緒に読む
氣比神宮(敦賀市曙町)

氣比神宮(けひじんぐう)は 太古 伊奢沙別命(いざさわけのみこと)〈氣比大神〉1柱を祀りましたが 大宝2年(702)文武天皇の勅命で 仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・玉妃命・武内宿禰命の神々が合祀され七柱の御祭神となりました 延喜式には「祭神七座並 名神大社」とあります

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土公(どこう)(敦賀市曙町)
氣比神宮 古殿地大宝2年(702)社殿造営以前神籬(ひもろぎ)氣比大神降臨の地

一緒に読む
氣比神宮 土公〈氣比大神降臨の地〉(敦賀市曙町)

氣比神宮 土公(どこう)は 氣比之大神 降臨の地とされます 御祭神 氣比之大神は 伊奢沙別命(いざさわけのみこと)とも 笥飯大神(けひのおほかみ)御食津大神(みけつおほかみ)とも称し 2千有余年 天筒の嶺に霊跡を垂れ 境内の聖地(現在の土公)に降臨したと伝わり 神籬磐境(ひもろぎいわさか)の形態を今に留めています

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加賀国(kaga no kuni) (石川県) 

※ 823年に越前国より分立

白山比咩神社

・白山比咩神社(白山市三宮町)

一緒に読む
白山比咩神社(白山市三宮町)【前編】

白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は 全国にある白山神社(約3000社)の総本宮とされ 御祭神は「白山比咩大神(shirayama hime no okami)」 境内にある「白山奥宮 遥拝所」からお詣りをすると 霊峰白山奥宮を参拝したのと同じご利益とされています 神体山として崇められる 白山(haku san)標高2,702 mは 日本三霊山(富士山・立山・白山)の一つで その山頂に奥宮は鎮座します

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石部神社

・石部神社(小松市古府町)

一緒に読む
石部神社(小松市古府町)加賀国 総社〈惣社〉

石部神社(いそべじんじゃ)は 加賀国の誕生にかかわる古社です 弘仁14年(823)3月 越前国から分割して加賀国ができた際 その国府庁の南に 当社が 府南社と称して すでに祀られていたと伝えられます ここから加賀国の一之宮であるとも 加賀国総社であるともされています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の論社です

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能登国(noto no kuni) (石川県)

※ 718年に越前国より分立 741年に越中国に併合 757年に再分立

気多大社

・気多大社(羽咋市)

一緒に読む
気多大社(羽咋市)能登国一之宮「入らずの森」の社

氣多大社(けたたいしゃ)は 北陸の大社として朝廷からの尊崇も厚く 文献に最初に登場するのは『万葉集』大伴家持が 越中国守として赴任の時〈天平20年(748)〉能登を巡行し「気太神宮」に赴いたとの歌がみえ 927年12月編纂の『延喜式 巻3 臨時祭』では名神大に列している由緒ある古社です 大正時代に国幣大社に列したことから 現在は「気多大社」として親しまれています

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・能登生国玉比古神社〈気多本宮〉(七尾市)

一緒に読む
能登生国玉比古神社〈気多本宮〉(七尾市)羽咋の氣多大社の本宮

能登生国玉比古神社(のといくくにたまひこじんじゃ)は 上古 第8代 孝元天皇の治世〈BC 214~BC 15年頃〉創祀され 第10代 崇神天皇の御代〈BC 97~BC 30年頃〉羽咋の竹津浦に祭神を分霊し これが現在の能登国一之宮 気多大社(羽咋市)の創祀 当神社は 元宮としてその頃から 氣多本宮とも称したと伝わり この古事から 羽咋の氣多大社から当神社まで 平国祭「おいで祭」の神幸祭〈毎年3月18日~3月23日 5泊6日 50余名で巡行する神事〉が 現在も執り行われています

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越中国(etchu no kuni) (富山県)

射水神社

射水神社高岡市古城 

一緒に読む
射水神社(高岡市古城)越中国一之宮

射水神社(いみずじんじゃ)は もともと霊山である二上山そのものを祀る社で 創祀は太古とされ 二上山の山麓に鎮座していました 明治4年(1871)に「国幣中社」に列格 その4年後 明治8年(1875)二上の地より高岡城跡の「高岡古城公園」へ遷座して現在に至ります 社伝によれば 創建は天武天皇の3年(675)正月奉幣に與られた伝承を以って 鎮座の年と定めたとある古社です

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二上射水神社

二上射水神社高岡市二上
 射水神社の旧鎮座地

一緒に読む
二上射水神社(高岡市二上)越中総社

二上射水神社(ふたがみいみずじんじゃ)は 二上山麓に鎮座しています 現在の射水神社〈明治8年(1875)高岡城跡「高岡古城公園」へ遷座〉の旧 鎮座地であり 元々は越中国一之宮でした 遷座後も氏子の信仰心と要請により この地には射水神社の分社として 二上射水神社が残され続けました 第二次大戦後 射水神社から独立して 現在では 正式名称を「越中総社 射水神社」と称しています

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気多神社

氣多神社高岡市越中国一之宮 

一緒に読む
氣多神社(高岡市伏木一宮)〈延喜式内社 越中国一之宮〉

気多神社(けたじんじゃ)は かつて越中国の国府の地があったとされる〈高岡市伏木〉に鎮座しています 故に越中国一之宮とも称して 境内には 越中国 総社跡(伝承地)もあります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)には 名神大社として所載される由緒ある古社です

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高瀬神社

高瀬神社(南砺市高瀬)

一緒に読む
高瀬神社(南砺市高瀬)

高瀬神社(たかせじんじゃ)は 越中国一之宮として格式高く 御祭神は 大己貴命(大国主命)を祀ります 近くには 当社の鎮座地とも伝わる「高瀬遺跡」もあり 農耕文化の芽生える弥生時代(紀元前10世紀頃~紀元後3世紀中頃)の頃の鎮座と推測されています

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雄山神社(峰本社)

雄山神社 峯本社(立山 頂上)

一緒に読む
雄山神社 峯本社〈立山大権現〉(立山頂上 雄山山頂)

雄山神社 峯本社〈立山大権現〉(立山頂上 雄山山頂)は 海抜一万尺(3003m)北アルプス立山の主峰雄山の岩頭に鎮座します 古来・富士山・白山と共に信仰される日本三霊山です 延喜式内社 越中國 新川郡 雄山神社(をやまの かみのやしろ)の峯本社です

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雄山神社(中宮祈願殿)

雄山神社 祈願殿立山町芦峅寺

一緒に読む
雄山神社 中宮祈願殿(立山町芦峅寺)

雄山神社 中宮祈願殿(おやまじんじゃ ちゅうぐう きがんでん)は 社伝に 文武天皇の大宝元年(701)景行天皇の後裔 越中国司 佐伯宿禰有若公の嫡男 有頼少年が白鷹に導かれ熊を追って岩窟に至り 雄山大神の神勅を奉じて開山造営された霊山と伝わります 雄山神社は 現在では・立山頂上峰本社・芦峅中宮祈願殿・岩峅前立社壇の三社殿から成り立つ宗教法人となっています

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雄山神社(前立社壇)

雄山神社 前立社壇立山町岩峅寺

一緒に読む
雄山神社 前立社壇(立山町岩峅寺)

雄山神社 前立社壇(おやまじんじゃ まえたてしゃだん)は 平安初期に開山造営され立山信仰の拠点となった霊山 立山寺(岩峅寺)で 立山に入山する者の身の穢れや罪を湯立ての神事にて祓い 道中の無事を祈願した神仏習合の地です 雄山神社は 現在では・立山頂上峰本社・芦峅中宮祈願殿・岩峅前立社壇の三社殿から成り立つ宗教法人となっています

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越後国(echigo no kuni) (新潟県)

彌彦神社

・彌彦神社(弥彦村)

一緒に読む
彌彦神社(弥彦村)越後国一之宮

弥彦神社(いやひこじんじゃ)は 創建から2400年以上であるとも云われ 万葉集にも詠われる由緒ある歴史を持つ古社です 御祭神は 天照大神の曾孫の天香山命(あめのかごやまのみこと)を祀り 人々からは「おや彦さま」と呼ばれ 信仰を集めてきた越後国一之宮です

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彌彦神社奥宮

・彌彦神社奥宮 御神廟(弥彦山頂上)

一緒に読む
彌彦神社 奥宮 御神廟(弥彦山頂上)

彌彦神社 奥宮 御神廟は 弥彦山の頂上に鎮座します 越後国開拓の祖神「天香山命 (あめのかごやまのみこと)」と その妃神「熟穂屋姫命(うましほやのひめのみこと)」が 祀られているとされる御神廟です  弥彦山は 7~8世紀の万葉集にも詠われている古くからの信仰の歴史を持ちます

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天津神社

・天津神社・奴奈川神社(糸魚川市)

一緒に読む
天津神社・奴奈川神社(糸魚川市一の宮)

天津神社(あまつじんじゃ)・奴奈川神社(ぬなかわじんじゃ)は ・天神を祀る「天津神社」・国津神を祀る「奴奈川神社」が すぐ横に並んで祀られています 鎮座している土地は 富山県との境に位置する新潟県最西端の糸魚川市です 縄文期よりのヒスイの産地として名高い地です 翡翠は古代は「玉」とされて大変貴重な神器でありました 「奴奈川神社」では ヒスイの神「奴奈川姫命(nunakawa hime no mikoto)」を祀ります

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居多神社

・居多神社(上越市)越後国一之宮

一緒に読む
居多神社(上越市五智)〈越後國一之宮・延喜式内社〉

居多神社(こたじんじゃ)は 延喜式内社で 越後国一之宮とされる由緒ある古社 日本海に面する地に鎮座したと伝わり 1207年 越後へ配流された親鸞聖人が最初に参拝した地で「片葉の芦」の伝説が残ります 慶應2年(1866)海岸侵食により社地崩壊のため 社殿を神官宅地内に遷し 明治12年(1879)現在地に遷座しています

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佐渡国(sado no kuni) (新潟県)

※ 743年に越後国に併合 752年に再分立

度津神社

度津神社(佐渡市)

一緒に読む
度津神社(佐渡市羽茂飯岡)〈佐渡國一之宮・延喜式内社〉

度津神社(わたつじんじゃ)は 御祭神に 五十猛命を祀り 陸上海上の守護神として 島民から篤く信仰されています 佐渡国の一之宮と格式高い神社です ただし 1470年に大洪水があり 社地や由緒や縁起など古文書等が悉く流失したため 現在地に遷座したと伝わり その為 創立年月 その他詳かではありません

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山陰道(sanindo)

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丹波国(tamba no kuni) (京都府)

出雲大神宮

・出雲大神宮(亀岡市)

一緒に読む
出雲大神宮(亀岡市千歳町出雲無番地)〈丹波國一之宮〉

出雲大神宮(いずもだいじんぐう)は 社伝によれば〈出雲大社の元宮〉「元出雲の社」と伝わり 古来より元出雲の信仰があります 『丹波国風土記』逸文にも「奈良朝のはじめ元明天皇 和銅年中 大国主命 御一柱のみを島根の杵築の地に遷す すなわち今の出雲大社これなり」とあります

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丹後国(tango no kuni) (京都府)

籠神社

・眞名井神社〈籠神社奥宮〉

一緒に読む
〈元伊勢〉眞名井神社〈籠神社 奥宮〉(宮津市字大垣小字諸岡)

眞名井神社(まないじんじゃ)は 式内社 丹後國 與謝郡 籠神社(このかみのやしろ)(名神大月次新嘗)の発祥地゛奥宮゛で゛眞名井原゛と呼ばれる境内には 御神水゛天の眞名井の水゛が滾々と湧き出て 神代と呼ばれる時代から の姿を残す゛磐座(いわくら)〈古代祭祀場〉゛が 社殿の奥に祀られ坐します

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・丹後國一之宮〈元伊勢〉籠神社(宮津市字大垣)

一緒に読む
〈元伊勢〉籠神社(宮津市字大垣)〈丹後國一之宮〉&天橋立

籠神社(このじんじゃ)は 宮司は83代も続く 海部(あまべ)家〈「国宝 籠名神社祝部海部直氏系図」あり〉その祖神゛彦火明命゛が゛籠船゛に乗り 海神の宮へ行かれた故事により゛籠゛の社名となります 正式名称は「丹後一宮 元伊勢 籠神社」一般呼称は「元伊勢籠神社」と呼ばれる由緒正しき古社です

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但馬国(tajima no kuni) (兵庫県)

出石神社

・出石神社(豊岡市出石町)

一緒に読む
出石神社(豊岡市出石町)〈式内社 伊豆志坐神社 八座(並名神大)・但馬國一之宮〉

出石神社(いずしじんじゃ)は 祭神は出石八前大神〈天之日矛が将来し 出石神社に安置した八種の神宝の神格化〉・天日槍命(あめのひぼこのみこと)です 社伝には 天日槍命が日本に渡来後 泥水が充満する当時の但馬の有様を御覧になり 円山川河口の岩石を切り開き泥水を日本海へと流し 現在の肥沃な平野を造られたとの伝承があります

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粟鹿神社

・粟鹿神社〈但馬国一之宮〉

一緒に読む
粟鹿神社(朝来市山東町粟鹿)〈但馬国一之宮〉

粟鹿神社(あわがじんじゃ)は 社伝によれば 粟鹿の名の由来として 鹿が粟をくわえて 粟鹿山から現れて 人々に農耕を教えたと伝えます その鹿が祀られているとも伝わる2000年以上の歴史とも云われる但馬国随一の古社で 但馬国一之宮・延喜式 名神大社に列しています

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因幡国(inaba no kuni) (鳥取県)

宇倍神社

・宇倍神社(鳥取市)

一緒に読む
宇倍神社(鳥取市国府町宮下)〈因幡国一之宮〉

宇倍神社(うべじんじゃ)は 因幡国一之宮です 鎮座する稲葉山(イナバヤマ)の麓一帯は・奈良・平安・鎌倉時代を通し因幡国府があり 政治経済・文化の中心地であり 大和朝廷が『名神祭』〈国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀〉を司る名神大社です

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伯耆国(hoki no kuni) (鳥取県)

倭文神社

・倭文神社(湯梨浜町)

一緒に読む
倭文神社(湯梨浜町)安産の神として崇敬される伯耆国の一之宮

倭文神社(しとりじんじゃ)は 云い伝えによれば 大国主命の娘神「下照姫命」が 一匹の海亀の導きによって 宇野の海岸に着船し この小高い丘からの眺めに癒され 住居を定め 農業指導や 医薬普及に努めたと云い 人々は敬い 古くから格式高く 伯耆国の一之宮として 湯梨浜町(ゆりはまちょう)に鎮座します 境内には「安産岩」と呼ばれる岩があり 安産の神様としても知られます

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出雲国 (izumo no kuni)(島根県)

出雲大社

・出雲大社(出雲市)

一緒に読む
出雲大社(出雲市)【前編】

出雲大社(いずも おおやしろ)は ”遠き神代に 国を譲られた”「大国主大神(おほくにぬしのおほかみ)」の偉業と その誠に感謝なさって 「天神(あまつかみ)」が 天日隅宮(あめのひすみのみや)を献上されたことに始まるとされています

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熊野大社

・熊野大社(松江市)

一緒に読む
熊野大社(松江市)【前編】

熊野大社(くまのたいしゃ)は 「日本火出初社(hinomoto hidezome no yashiro)」とされていて 火の発祥の神社です 神代から出雲國を守り続ける「出雲國一の宮」です

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石見国(iwami no kuni) (島根県)

物部神社

・物部神社(大田市)

一緒に読む
物部神社(大田市)〈延喜式内社・石見國一之宮〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷が出雲の勢力を牽制するために 御祭神の宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が 大和の地から物部氏の一族をひきいて尾張・美濃・越国を平定され さらに播磨・丹波を経て石見国に入り この地に宮居を築かれ 祖神として祀られたものと伝わります

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隠岐国(oki no kuni) (島根県)

水若酢神社

・水若酢神社の前宮 捧羽山神社 & 伊後神社(隠岐の島町伊後)

前宮
捧羽山神社 & 伊後神社(隠岐の島町伊後)

捧羽山神社(ぼうばさんじんじゃ) は 水若酢神社(隠岐の島後 一之宮)の元宮が鎮座していた所で 水若酢神社神社の由緒によれば「御祭神 水若酢命は 海中より伊後の磯島に上られ 山を越えてこの里に入られ・・」とあり
ここに記される 山(田畑の中の小丘)を捧羽山(hoba san)と呼び 現在ここに 捧羽山神社が鎮座します

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・水若酢神社

一緒に読む
水若酢神社(隠岐の島後 隠岐の島)

水若酢神社(みずわかすじんじゃ)は 創建は 第10代崇神天皇の時代と云われ 隠岐国の一之宮 隠岐の島町(島後)の五箇地区に鎮座し 老いた黒松の生える境内が美しい古社です 御祭神の水若酢命(mizuwakasu no mikoto)は 隠岐国の国土開発と日本海鎮護の神であったと伝承されています

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由良比女神社

・由良比女神社(隠岐の島前 西ノ島)

一緒に読む
由良比女神社(隠岐の島前 西ノ島)〈隠岐国一之宮〉

由良比女神社(ゆらひめじんじゃ)は 伝説では由良比女命が海を渡る時 海に手をひたすと 美しき姿を見て「いか」が噛みついた その非礼をわびて 毎年 由良の浜に「いか」が群れで押し寄せると伝わります 当社が〈西ノ島の由良の浜に神社が遷座後〉もとの鎮座地 知夫里島の「いか浜」には「いか」は寄らなくなったと伝えられます

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山陽道(sanyodo)

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播磨国(harima no kuni) (兵庫県)

伊和神社

・伊和神社(宍粟市)

一緒に読む
〈播磨國一之宮〉伊和神社(宍粟市一宮町須行名)

伊和神社(いわじんじゃ)は《社伝によれば》伊和の恒郷に「我を祀れ」とご神託があり 一夜のうちに草木生い茂り 空に多くの鶴が舞い 石上に大きな鶴が二羽眠っていた そこに社殿を造営したのが 成務天皇 甲申歳2月11日丁卯(144年) 或いは 欽明天皇25年甲申歳(564年)と伝えており『延喜式』名神祭の大社で 播磨国一之宮でもあり 由緒ある古社です

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美作国( mimasaka no kuni) (岡山県)

※ 713年に備前国より分立

中山神社(津山市)

・中山神社(津山市)

一緒に読む
中山神社(津山市一宮)〈延喜式内社 名神大社・美作國一之宮〉

中山神社(なかやまじんじゃ)は 古代の大和朝廷が「吉備国」を分割して 新たに「美作国(mimasaka no kuni)」を創設した際に「美作國 一之宮(ichi no miya)」となった格式と由緒を持ちます 多くの謎を残した太古の社でもあり 境内の奥には 今でも静かに「猿神(saru gami)」が坐ます

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備前国( bizen no kuni) (岡山県)

吉備津彦神社

・吉備津彦神社(岡山市備前一宮)

一緒に読む
吉備津彦神社(岡山市備前一宮)

吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)は 備前国一之宮で 備前国と備中国の境界ある吉備の中山(標高175m)の北東麓に東面して坐ます 太古の太陽信仰の形を留める場とされ 夏至の日に正面鳥居から差し込んだ朝陽が 祭文殿の御鏡に入る造りで 太陽を真正面から迎え鎮座するので朝日の宮(あさひのみや)とも称されます

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石上布都魂神社

・石上布都魂神社(赤磐市)

一緒に読む
石上布都魂神社(赤磐市)

石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)は 神話で有名な八岐大蛇を退治した剣「十握剣(totsuka no tsurugi)」に宿る神霊「布都御魂(futsu mitama)」を祀っていました 現在の御祭神は 素盞嗚尊(susanowo no mikoto)です

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安仁神社

・安仁神社(岡山市)

一緒に読む
安仁神社(岡山市)〈元 備前国 一之宮〉

安仁神社(あにじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の名神大社です 備前国の総鎮守とされ 備前国の 元 一之宮で(現 一之宮は吉備津彦神社)創建から2600年以上とも伝えられる岡山県内でも屈指の古社であり 格式の高い大社とされています

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備中国(bitchu no kuni) (岡山県)

吉備津神社

・吉備津神社(岡山市北区吉備津)

一緒に読む
吉備津神社(岡山市北区吉備津)〈備中国一之宮〉

吉備津神社(きびつじんじゃ)は 社伝によれば 第十六代 仁徳天皇が吉備国に行幸された時 ゛大吉備津彦命〈第七代 孝霊天皇の皇子〉゛(第十代 崇神天皇の御代に吉備国に下られ 鬼の温羅(うら)を平らげた)を祭神として御創建になられたと云う 後に延喜式では 名神大社に列し やがて最高位の一品の位になり 一品吉備津宮ともいう

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備後国(bingo no kuni) (広島県)

吉備津神社

・吉備津神社(福山市新市町)

一緒に読む
吉備津神社(福山市新市町)〈備後一宮〉

吉備津神社(きびつじんじゃ)は 神秘的な正中光〈ご神体〈御鏡〉が朝日を反射して 参道の正中を貫く現象〉が 年に二度〈2月と9月〉おこります 創建は 大同元年(806年)と古く 備後國一之宮として 一宮(いっきゅう)さんと呼ばれ親しまれています

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素盞嗚神社

・素戔嗚神社(福山市新市町)

一緒に読む
素盞嗚神社(福山市新市町)

素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)は 『備後国風土記(bingo no kuni fudoki)』逸文の「蘇民将来(somin shorai)」の説話の舞台となる伝説の地と伝えられています 説話に登場する「疫隈國社(eno kumano kunitsu yashiro)」が当社とされ もしくは 摂社の「蘇民神社・疱瘡神社」とされています 全国の「祇園社の始りの地」とされ 京都の八坂神社の源流もこの地と云われています『延喜式神名帳』所載社であり 「備後国一之宮」ともされる由緒ある格式の高い神社です

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安芸国(aki no kuni) (広島県)

厳島神社

・厳島神社(廿日市市)安芸国一之宮

一緒に読む
嚴島神社(廿日市市宮島町)〈安芸国一之宮〉

厳島神社(いつくしまじんじゃ)は 推古天皇元年(593)佐伯鞍職(さえきのくらもと)によって創建された 延喜式内名神大社(927)安囈国 佐伯郡 伊都伎嶋神社(いつきしまの かみのやしろ)です 平成八年(1996)世界文化遺産に登録された社殿群〈国宝及び重要文化財に指定〉は 仁安三年(1168)太政大臣 平清盛公によって造営された寝殿造りの様式が礎となっています

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嚴島神社(宮島)・摂社末社につい

一緒に読む
嚴島神社(宮島)・摂社・末社などについて

嚴島神社(いつくしまじんじゃ)の境内・境外の要所 摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)を記載しています

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速谷神社

※〈古くは 山陽道でも随一の官幣大社として神格を認められ 安芸国の一宮であり 厳島神社が 平安末期から平氏に崇敬されるにつれて 安芸国二宮と称されるようになった

・速谷神社(廿日市市上平良)

一緒に読む
速谷神社(廿日市市上平良)

速谷神社(はやたにじんじゃ)は 正史上に初見するのは古く『日本後紀』弘仁2年(811)7月 速谷神〈速谷神社〉と伊都岐嶋神〈厳島神社〉が名神例に預かったと記されます 古代 神祇官〈朝廷〉から毎年四度の幣帛を受ける官幣大社で 安藝一之宮でしたが 厳島神社が平安末期から平氏〈平清盛公〉に崇敬されるにつれて 衰頽し 安芸国二之宮と称されるようになっていったとされます

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周防国(suo no kuni) (山口県)

玉祖神社

・玉祖神社(周防国一之宮)

一緒に読む
玉祖神社(周防国一之宮)

玉祖神社(たまのおやじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に「玉祖神社二座」と所載されています 三種の神器の一つ 八坂瓊曲玉(yasakanino magatama)を造られた「玉祖命(tamanoya no mikoto)」が御祭神 他一座は不詳です また 社伝では『日本神話』でも有名な「天照大神の天の岩戸隠」の時に 集めて鳴かせた「常世 長鳴鶏」を 玉祖命が この地に この鶏をつれて留まられたとして「黒柏 発祥の地」としています 黒柏は 天然記念物に指定されて境内で飼育されています

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長門国(nagato no kuni) (山口県)

住吉神社

・住吉神社(下関市)長門国一之宮

一緒に読む
住吉神社(下関市一の宮住吉)長門国一之宮

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 『日本書紀』に記される 神功皇后が三韓征伐より凱旋の折 神託を得て 住吉三神の荒魂(あらみたま)を穴門 山田邑(現在地)に奉斎したとこれが住吉神社の起こりとされます 式内社 住吉坐荒御魂神社三座(並名神大)(すみよしにゐますあらみたまの かみのやしろ みくら)・長門国一之宮です

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南海道(nankaido)

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紀伊国(kii no kuni) (和歌山県)

日前神宮・國懸神宮

・日前神宮・國懸神宮(和歌山市)

一緒に読む
〈紀伊国一之宮〉日前神宮・國懸神宮(和歌山市秋月)

日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)は 『日本書紀』天石窟(あめのいわや)の段 一書に 日矛(ひぼこ)と日前神(ひのくまのかみ)記されます 三種の神器である伊勢の神「八咫鏡(やたのかがみ)」と同等とされる 2つの御神鏡「日像鏡(ひがたのかがみ)日矛鏡(ひぼこのかがみ)」を祀る崇高な神宮です

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濱ノ宮(名草郡 毛見郷
日前神宮・國懸神宮の旧鎮座地

一緒に読む
濱宮(和歌山市毛見)〈日前神宮・國懸神宮の元宮〉

濱宮(はまのみや)は 神武天皇が御東征のとき 神鏡及び日矛を天道根命に託し 斎祭せしめた日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)の元宮であり 豊鋤入媛命が斎祭った元伊勢 奈久佐浜宮(なくさのはまのみや)でもあります

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伊太祁曽神社

・伊太祁曽神社(和歌山市伊太祈曽)

一緒に読む
伊太祁曽神社(和歌山市伊太祈曽)

伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)は 紀伊国一之宮で『続日本紀』大宝二年(702)に記事が見える古社 木の国〈紀伊国〉のルーツとされ“木の神”五十猛命を祀ります 秋月(現在の日前宮鎮座地)より山東(現在の伊太祈曽周辺「亥の森」)に遷座されたと伝えられ 『延喜式神名帳927 AD.』には 紀伊国 名草郡 伊太祁曽神社〈名神大 月次 新嘗 相嘗〉と記されます

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・三生神社(和歌山市伊太祈曽)
〈亥の森:伊太祁曽神社 旧鎮座地〉

一緒に読む
三生神社〈亥の森:伊太祁曽神社 旧鎮座地〉(和歌山市伊太祈曽)

三生神社(みぶじんじゃ)は 亥の森(いのもり)とよばれる伊太祁曽神社の旧鎮座地の森に鎮座します 御祭神は本社と同じ 五十猛命(いたけるのみこと)大屋津比賣命(おおやつひめのみこと)都麻津比賣命神(つまつひめのみこと)を祀ります

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丹生都比売神社(天野大社)

・丹生都比売神社(かつらぎ町)

一緒に読む
丹生都比賣神社(かつらぎ町上天野)紀伊国一之宮

丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)は 創建は古く 少なくとも今から千七百年前のことと伝えられます 神功皇后の三韓征伐の時 丹生都比売大神の託宣によって 衣服・武具・船に朱砂〈丹〉を塗り戦勝されたので 応神天皇が 社殿と広大な神領を寄進されたとする 式内社であり 紀伊国一之宮でもあります

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淡路国(awaji no kuni) (兵庫県)

伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)

・伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)

伊弉諾神宮(淡路市多賀)〈淡路幽宮・淡路國一之宮〉

伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は 『記紀神話』の日本創成で 伊弉諾尊と伊弉冉尊が 日本の国土開拓に着手された時 「天沼矛から滴るしずく」で 最初に造り上げた島「淡路島(awaji shima)」に鎮座します 御祭神は 「国生み神話の地」にふさわしい「伊弉諾尊と伊弉冉尊」で神代のロマンを感じます 

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阿波国(awa no kuni) (徳島県)

大麻比古神社

・大麻比古神社(鳴門市大麻町)

一緒に読む
大麻比古神社(鳴門市大麻町)阿波国一之宮とされる由緒ある古社

大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は 〈初代 神武天皇の御代〉阿波国を開拓した天太玉命の御孫 天富命(アメノトミノミコト)が 忌部氏の祖神 天太玉命(アメノフトダマノミコト)を祀ったのに始まります その後 猿田彦大神が合祀され 平安期には延喜式の名神大社 中世以降は 阿波国一之宮とされる由緒ある古社です

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一宮神社

・一宮神社(徳島市)

一緒に読む
一宮神社(徳島市一宮町西丁)〈阿波国一之宮〉

一宮神社(いちのみやじんじゃ)は 元々は阿波国一之宮であった上一宮大粟神社(名西郡神山町)の分祠として 平安時代後期に国府の近くであったこの地に下一宮として祀られて 阿波国一之宮とされていました しかし 室町時代以降は 細川氏の台頭とともに 大麻比古神社が阿波国一之宮となっていきます

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天石門別八倉比賣神社

・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)

一緒に読む
天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)〈阿波国一之宮〉

天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)は 杉尾山(標高120m)の上に鎮座し 杉尾大明神と呼称されていました 明治3年(1870)に現号に改称していますが 地元では今でも「杉尾さん」と呼ばれて親しまれています 阿波一之宮とされる式内社「天石門別八倉比賣神社(大 月次 新嘗)」の論社でもあります

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上一宮大粟神社

・上一宮大粟神社(神山町)

一緒に読む
上一宮大粟神社(名西郡神山町神領字西上角)〈阿波国一之宮〉

上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)は 御祭神として 古事記に記載されている゛大宜都比売命(おほげつひめのみこと)゛を祀ります 粟国(阿波)を開かれた祖神で 五穀養蚕の神として 古代から農耕を守り生命の糧を恵みむ神で 式内社 天石門別八倉比売(あめのいわとわけ やくらひめの)神社(大月次新嘗)の論社です

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讃岐国(sanuki no kuni)(香川県)

田村神社

・田村神社(高松市一宮町)

一緒に読む
田村神社(高松市一宮町)

田村神社(たむらじんじゃ)は 社記によれば 古くは 定水井(さだみずのい)という深淵に水神〈龍神〉を祀っていた 和銅二年(709)に行基によって その深淵の上に社殿が創建されたと伝わります 讃岐地方は 雨が少なく農耕には溜池を必要とする地域で この地に枯れることなく湧き出る水は 信仰と祭祀の根源に繋がったとされます

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・天降神社(高松市香川町)
〈田村神社の御旅所 御祭神降臨の地〉

一緒に読む
天降神社(高松市香川町)

天降神社(あまくだりじんじゃ)は 田村大神示顕の地と云われ 往古 田村神社の御旅所とされていました 現在の神社は 享録年中(西暦一五二八~三二)大野北城内に神が降臨して霊異が現れ その啓示に基づき城の南東に天下権現(あまくだりごんげん)社(現在の天降神社)を建立したという

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伊豫国 (iyo no kuni)(愛媛県)

大山祇神社

・大山祇神社(今治市大三島町)

一緒に読む
大山祇神社(今治市大三島町宮浦)〈伊豫国一之宮〉

大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)は 社号を日本総鎮守・三島大明神・大三島宮と称し 歴代朝廷の尊崇篤く 延喜式 名神大社に列し 伊予国一之宮とされ 全国津々浦々に御分社が奉斎される四国唯一の大社 創建は 神武天皇御東征の時 祭神の子孫 乎知命(おちのみこと)が 瀬戸内海 芸予海峡の要衝 御島(大三島)に鎮祭したと云う

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土佐国(tosa no kuni) (高知県)

土佐神社

・土佐神社(高知市)

一緒に読む
土佐神社(高知市一宮)〈延喜式内大社・土佐國一之宮〉

土佐神社(しなねさま)は 土佐国一之宮として高い格式を持ちます 古代より 神が宿る自然石「磐座(iwakura)」をお祀りしていて「礫石(tsubute ishi)」と呼ばれるこの石が この地に落ちて止まった処に社を建てて祀られたのが始まりとしていて 創祀は古代に遡ると云われます  

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・鳴無神社(須崎市浦ノ内)
土佐神社の 旧鎮座地

元宮
鳴無神社(須崎市浦ノ内)

鳴無神社(おとなし じんじゃ)は 土佐神社(土佐国一之宮)の元宮とされています 伝説によれば 土佐に流されて浦ノ内湾に漂着した「一言主命」を奉斎したのが鳴無神社の始りです ここから祀り変える地を選ぶために「一言主命」が投げた大石が 落ちた所が 土佐神社境内の礫石と伝わります

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西海道(saikaido)

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筑前国(chikuzen no kuni) (福岡県)

住吉神社

住吉神社(福岡市博多区住吉)

一緒に読む
住吉神社(福岡市博多区住吉)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 延喜式神名帳に所載「筑前国那珂郡 住吉神社三座 名神大」とされ 筑紫国一之宮です 社伝には 伊弉諾尊が黄泉國から戻り祓い清めた地「筑紫の日向の橘の小戸の檍原の古蹟」〈住吉三神の御出生の地〉とされ神代より此地に鎮座 後に 神功皇后が三韓征韓の途中に祭祀を行ったので 住吉本社 又 日本第一住吉宮と伝えています

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筥崎宮

・筥崎宮(福岡市)

一緒に読む
筥崎宮(福岡市東区箱崎)

筥崎宮(はこざきぐう)は 筑前国一之宮で『延喜式神名帳』所載の名神大社であり 別称を「筥崎八幡宮(hakozaki hachimangu)」とも呼ばれます 宇佐神宮(大分県宇佐市)・石清水八幡宮(京都府八幡市)の2社に鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)or筥崎八幡宮(当社)のいずれかを合わせて三大八幡宮とも呼ばれます

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・大分八幡宮(飯塚市)
筥崎宮 の旧鎮座地

元宮
大分八幡宮(飯塚市大分)

大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)は 古代に神功皇后が三韓征伐から帰国して 当地で引率していた軍士を解隊し それぞれの故郷に返した時 その大分(オオワカレ)から大分(ダイブ)と称されるようになったと伝わります 筑前国一之宮の「筥崎宮(福岡市)」の元宮とされています

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筑後国(chikugo no kuni) (福岡県)

高良大社

・高良大社(久留米市)

一緒に読む
高良大社(久留米市御井町)

高良大社(こうらたいしゃ)は 久留米の高良山に鎮座し 社殿は北東を向いて祀られ そのはるか先を望めば 玄界灘を渡り 壱岐と対馬を向いて 大陸へと通じています 御祭神 高良玉垂命は 朝廷から正一位を賜る程の神ですが 記紀には記されぬ隠神で 古くから諸説あり正体は不明 かつて武内宿禰命とする説が有力でしたが 明治以降は特に比定はなく 謎の神とされます

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・高良大社 奥宮(高良山 山頂付近)

一緒に読む
高良大社奥宮〈奥の院〉(久留米市御井町)

高良大社 奥宮〈奥の院〉(おくみや)は 白鳳七年(687)高良山に仏教を伝えた隆慶(りゅうけい)上人が 毘沙門天(高良神の本地)を感見して 天竺〈インド〉の無熱池(むねつち)の清涼な水を法力で招き寄せたとする清水に 毘沙門堂を建てた 高良山信仰の原点となる聖地です 江戸時代には 高良大明神の御廟所「高良廟」「御神廟」〈別墅(別所)〉と称されていました 

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豊前国(buzen no kuni) (大分県)

宇佐神宮

・宇佐神宮(宇佐市)

一緒に読む
宇佐神宮(宇佐市南宇佐)

宇佐神宮(うさじんぐう)は 全国4万社余りの八幡社の総本宮です 豊前国一之宮でもあります 神亀2年(725)創建以来 皇室から「伊勢神宮」につぐ「第二の宗廟(sobyo)」としての崇敬を受けています 信仰の地となってから約1300年 境内に足を踏み入れれば 日本の息吹が伝わります

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・大元神社(宇佐市)
宇佐神宮 比売神 の 降臨の地

奥宮
大元神社(宇佐神宮 奥宮)

大元神社(おおもとじんじゃ)は 宇佐神宮の奥宮といわれ 神代の昔に 三柱女神の比賣大神が降臨された神山「御許山(omoto san)」の9合目に鎮座します 山頂近くには3つの巨石を祀る神籬岩があるらしく 古代の磐座信仰が当初の形態ともいわれています

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豊後国(bungo no kuni) (大分県)

柞原八幡宮

・柞原八幡宮(大分市上八幡三組)

一緒に読む
柞原八幡宮(大分市上八幡三組)

柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)は 天長四年(827)延暦寺の名僧・金亀和尚が宇佐神宮の参篭にて神告を蒙り 柞原山に勧請したのを 当宮の創設起源とします その後も 国司の厚い崇敬を受け 一方 皇室も厚く尊崇せられた豊後国一之宮とされます

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西寒多神社

・西寒多神社(大分市寒田) 

一緒に読む
西寒多神社(大分市寒田)

西寒多神社(ささむたじんじゃ)は 社伝によれば 第15代 応神天皇の勅命により 応神天皇9年(278)4月 西寒多山(本宮山)に 祠を建立したと伝わり その後 応永15年(1408)3月 南北朝~室町時代に守護大名 大友親世公により現在地に遷座されました 豊後国一之宮として信仰されています

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・本宮神社(大分市上判田)
〈西寒多神社 奥宮〉
 

 

・西寒田神社(臼杵市野津町西寒田)
 〈旧鎮座地〉

一緒に読む
西寒田神社(臼杵市野津町西寒田)

西寒田神社(ささむたじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載の式内社「豊後国大分郡 西寒多神社」の論社です・『豊後国志』・『太宰管内志』では こちらが本祠であって 応永15年(1408)3月に大友親世が現在地〈西寒多神社(大分市寒田)〉に遷座したと伝えています

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・西寒多神社(豊後大野市犬飼町西寒田)
〈旧鎮座地〉

一緒に読む
西寒多神社(豊後大野市犬飼町)

西寒多神社(ささむたじんじゃ)は 社伝によれば『延喜式神名帳927 AD.』所載の豊後國 大野郡一座大 西寒多神社であり 文化九年(一八一二) 白川神紙伯の「鎮國一宮 西寒田神社」の社号をうけていると伝えています 式内社の論社でもあり 豊後国一之宮の論社でもあります

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肥前国(hizen no kuni) (佐賀県)

千栗八幡宮

・千栗八幡宮(みやき町)

一緒に読む
千栗八幡宮(みやき町)

千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)は 1200年以上前から続くとても不思議な祭り「お粥だめし」(日本三大粥(かゆ)祭)が毎年3月15日にあり その年の吉凶を占います 大きな鍋でおかゆを炊いて 銅製の鉢に盛り 肥前・肥後・筑前・筑後の4カ国に国分けをするように 東西南北を定めて箸を十文字に渡します 2月26日に本殿に納め3月15日そのおかゆの表面のカビの生え具合によって 4カ国の天候や農作物のでき具合・台風・洪水・干ばつ・地震・火災などを占います 

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與止日女神社

・與止日女神社(佐賀市大和町)

一緒に読む
與止日女神社(佐賀市大和町)

與止日女神社(よどひめじんじゃ)は 景勝地の川上峡のほとりに鎮座して 欽明天皇25年(564)に創祀と伝わる由緒ある「肥前国一之宮」となります  御祭神は 海の神・川の神・水の神として信仰され 家内安全・交通安全などのご利益祈願でもにぎわいます 境内には 樹齢1500年近くの大楠をはじめ 子授かりや安産のご利益が伝わる「金精さん」もあります

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肥後国(higo no kuni) (熊本県)

阿蘇神社

・阿蘇神社(阿蘇市一の宮町)

一緒に読む
阿蘇神社(阿蘇市一の宮町宮地)

阿蘇神社(あそじんじゃ)は 社伝によれば 第7代 孝霊天皇九年(西暦前280年)健磐龍命(たけいわたつのみこと)の御子 速瓶玉命(はやみかたまのみこと)〈初代 阿蘇国造〉が 阿蘇宮を創建と傳う 神職家の阿蘇大宮司家は連綿として九十一代現宮司に至る日本屈指の名家です

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・阿蘇山上神社(阿蘇市黒川)
阿蘇神社の奥宮

一緒に読む
阿蘇山上神社(阿蘇市黒川)

阿蘇山上神社(あそさんじょうじんじゃ)は 阿蘇神社の奥宮〈奥の院〉とされ 古くから阿蘇火山を鎮める神社として朝廷の崇拝を受けてきました 社記には「欽明天皇十四年三月(552)阿蘇山火起って天に接す阿蘇宮の御三社を祀り社家の内笠忠基をして奉仕せしむ これを天宮祝と云う」と伝わります

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国造神社(阿蘇市一の宮町手野
阿蘇神社の本宮

一緒に読む
国造神社(阿蘇市一の宮町手野)

国造神社(こくぞうじんじゃ)は 阿蘇神社の本宮ともされ その北方にあるので北宮と云う 第十代 崇神天皇の18年(紀元581)初代 阿蘇国造の速瓶玉命(はやみかたまのみこと)を その御子 惟人命(彦御子神)が勅により 阿蘇国造の神として 御居住の地(現在地)に鎮祭したのが創建と伝わります

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日向国(hyuga no kuni) (宮崎県)

都農神社

・都農神社(日向国一之宮)

一緒に読む
都農神社(日向国一之宮)

都農神社(つのじんじゃ)は 初代天皇「神武天皇」が 宮崎の宮を発して 東征に向かう際〈即位の6年前〉に 此の地に立ち寄り 国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し 御祭神を鎮祭したことに始まると伝わります 日向国一之宮として 格式高く 由緒ある神社です

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三宅神社

・三宅神社(西都市)

一緒に読む
三宅神社(西都市)日向国の一之宮とも総社であるとも云われます

三宅神社(みやけじんじゃ)は 創建年月は不詳ですが 西都原古墳群が広がる かつての日向国府(ヒュウガコクフ)跡の一帯に鎮座地し 日向国一之宮であるとも総社であるとも云われます 第12代 景行天皇〈在位71~130年頃〉即位17年の条 西征紀に見える「丹裳小野(ニモノオノ)」の伝承地が隣接し 「第50代 桓武天皇〈在位781~806年〉の勅額と伝わるものがある」由緒ある古社です

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大隅国(osumi no kuni) (鹿児島県)

※ 713年に日向国より分立

鹿児島神宮

・鹿児島神宮(霧島市隼人町)

一緒に読む
鹿児島神宮(霧島市隼人町)

鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は 社伝によると 創始は 遠く神代とも「神武天皇の御代に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮」ともされます 和銅元年(708)現在地に遷座されて 高千穂宮跡の旧鎮座社地には 現在は 摂社 石体宮(石體神社)が鎮座しています

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石體神社
鹿児島神宮の元鎮座地

一緒に読む
石體神社(鹿児島神宮の元宮)

石體神社(しゃくたいじんじゃ)は 遠く神代の頃 天津日高彦穂穂出見尊が 築かれた都「高千穂宮」の正殿跡と伝わります 皇后の豊玉比売命のお産の故事にあやかり 古くから安産の神として 篤い信仰があります 飛鳥時代 和同元年(708)に この地から遷座したのが 現在の鹿児島神宮と云われていて その元宮であるとされます 

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薩摩国(satsuma no kuni) (鹿児島県)

※ 702年に日向国より分立

新田神社

・新田神社(薩摩川内市)

一緒に読む
新田神社(薩摩川内市)

新田神社(にったじんじゃ)は 薩摩国の総鎮守(薩摩国一之宮)として 古くから人々の篤い信仰があります 薩摩川内市街から322段の石段を登ると「亀の形をした神亀山(高さ70m)」の山頂に鎮座します 川内で崩御されたと伝わる御祭神の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の御陵「可愛山陵」が本殿の裏に坐ます 

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枚聞神社

・枚聞神社(薩摩国一之宮)

枚聞神社(薩摩国一之宮)

枚聞神社(ひらききじんじゃ)は 薩摩一之宮とされています 特に交通・航海の安全や 漁業守護の神として 人々から厚い信仰を寄せられる古社です 歴代の島津藩主からの崇敬も厚く 修理・改造・再建等は幾多に及んでいますので 優雅な朱塗りの社殿は見事な造りです 特に中央の勅使殿の向拝に彫られた彫刻は必見です 又 宝物殿には通称「玉手箱」が収蔵されています 正式名を「松梅蒔絵櫛笥一合」(国の重要文化財に指定)といいます

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多禰国(Tane no kuni) (鹿児島県大隅諸島(種子島・屋久島))

※ 702年から824年まで122年間存続

益救神社

・益救神社(屋久島町宮之浦)

一緒に読む
益救神社(屋久島町宮之浦)

益救神社(やくじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される 全国の式内社「2861社」の中で 最南端の屋久島に鎮座します 長い歴史を持ち 元々は屋久島中央部の三岳(宮之浦岳・永田岳・栗生岳)の神を祀ったものとも云われ 当神社の奥宮は 宮之浦岳の山頂に鎮座しています

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益救神社(屋久島町原)〈参考〉 

一緒に読む
益救神社(屋久島町原)

原益救神社(はるおやくじんじゃ)は 往古は旧県社 益救神社の末社であったとも 益救神社(やくじんじゃ)そのものであったとも伝わります 益救神社は 長い歴史を持ち 元々は屋久島中央部の三岳(宮之浦岳・永田岳・栗生岳)の神を祀ったものと云われます

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壱岐嶋(iki no shima) (長崎県)

天手長男神社

・天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町)

一緒に読む
天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町田中触)〈壱岐嶋一之宮〉

天手長男神社(あまのたながおじんじゃ)は 鎌倉時代の元寇により荒廃 その後廃絶し 所在も不明となっていました 延宝4年(1676)平戸藩主の命により藩の国学者 橘三喜が 現地の地名「たなかを」から(たながお)推定し比定したものです それ以前は 天手長男神社の由緒は無いとされていた 櫻江村 若宮と云われた式外社でした

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興神社

・興神社(壱岐市芦辺町)

一緒に読む
興神社(壱岐市芦辺町)〈壱岐国一之宮〉(元印鑰宮)

興神社(ko shrine)は 壱岐国が王制の時代であった頃の 一支国(壱岐国)の王都の跡「原の辻遺跡」のすぐ傍に鎮座します 官庫の鑰(かぎ)や国府政所の印かんを納める所として「印鑰大明神」の社号で呼ばれ 格式高い由緒を伝えます 里人の通称名は「一の宮」です 現在では 本来の式内名神大社「天手長男神社」で「壱岐国一之宮」は当社「興神社」とする説が有力です

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対馬嶋(tsushima no shima) (長崎県)

海神神社

・海神神社(対馬 木坂)

一緒に読む
海神神社(対馬 木坂)

海神神社(かいじんじんじゃ)は 八幡神が神風を吹かせたと伝わる 木坂の伊豆山の麓に鎮座します 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐より凱旋の折に 対馬で掲げたと伝わる 八旒の旗〈8本の旗〉「振波幡」「切波幡」「振風幡」「切風幡」「豊幡」「真幡」「広幡」「拷幡」ここから 八幡(ヤハタ)が発祥しているとして「八幡信仰の源流」とされ 江戸時代までは「八幡本宮」と号していました 対馬国一之宮であり 由緒正しき古社です

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・和多都美神社(対馬 仁位)〈有力論社〉

一緒に読む
和多都美神社(対馬市豊玉町仁位字和宮)〈延喜式内社 和多都美神社(名神大社)〉

和多都美神社(わたつみじんじゃ)は 伝承によれば 山幸彦(彦火火出見尊)が 豊玉姫命を妃として留まったワタツミノ宮の古跡され 古くから竜宮伝説が残ります 社殿裏手の深い森の中に 磐座〈豊玉姫の墳墓〉があり 本殿から正面へと海へ向かって海中に鳥居が建ち 満潮時にはまるで海に浮かぶ竜宮城のような神秘的な光景が広がります

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厳原八幡宮神社

・嚴原八幡宮神社(対馬  厳原)

一緒に読む
厳原八幡宮神社(対馬 厳原)

厳原八幡宮神社(いづはらはちまんぐうじんじゃ)は 文明8年(1476)の棟札に「当社は 雍州 男山八幡宮の原廟と記す」とあり 八幡信仰の中心 京都 男山の「石清水八幡宮の起源」とも云われ 社伝には 神功皇后(ジングウコウゴウ)〈第14代 仲哀天皇の皇后〉が  三韓征伐からの凱還の時 対馬の清水山に行幸し 神霊の止まるべき山であるとして 山頂に神鏡と幣帛を置き 天神地祇(テンジンチギ)を祀り 磐境(イワサカ)を設けた その後 第40代 天武天皇の勅命(677)により 清水山の麓に社殿を造営 5柱の神を祀り 八幡宮と称したと伝

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新一之宮(shin ichinomiya)

蝦夷国(ezo no kuni) (北海道)

北海道神宮

・北海道神宮(札幌市)

一緒に読む
北海道神宮(札幌市中央区宮ケ丘)〈蝦夷国新一之宮〉

北海道神宮(ほっかいどうじんぐう)は 明治2年(1869)明治天皇の詔により 東京の神祇官にて開拓三神〈大国魂神・大那牟遅神・少彦名神〉を祀る「北海道鎮座神祭」が執行 御霊代は明治3年 島義勇が背負い札幌の地に入る 明治4年「札幌神社」と改号 国幣小社に列し 円山の地に社殿を造営し鎮座されました

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津軽国(tsugaru no kuni) (青森県)

岩木山神社

・岩木山神社(弘前市)

岩木山神社(弘前市)〈津軽國一之宮・日本の北門鎮護〉

岩木山神社(いわきやまじんじゃ)は 宝亀11年(780)岩木山の山頂に社殿を造営したのが起源と云われ 延暦19年(800)征夷大将軍の坂上田村麿公が 蝦夷平定祈願達成の御礼に山頂の奥宮を再建した 本州最北の位置する青森県に鎮座する威容を誇る名社として 異名を「日本の北門鎮護」と呼ばれます

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・巖鬼山神社(弘前市)
岩木山神社の 旧鎮座地

元宮
巖鬼山神社(弘前市)

巖鬼山神社(がんきさんじんじゃ)は 津軽一之宮「岩木山神社」の元宮とされています その由緒は古く 延暦15年(796)岩木山北麓に巌鬼山西方寺観音院が建立され始まりました 大同2年(807)征夷大将軍 坂上田村麿が 蝦夷平定祈願のために再建したと伝えられます

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陸中国(rikuchu no kuni) (岩手県) 

※ 明治元年(1869)陸奥国から分立

駒形神社

・駒形神社 本社(陸中一宮)

本社
駒形神社 本社(陸中一宮)

駒形神社 本社(こまがたじんじゃ ほんしゃ)は 「陸中国一之宮」とされていて 駒ヶ岳山頂に「奥宮」が鎮座します 古代には 付近一帯が軍馬の産地であったと考えられていて 御祭神「駒形神」は「馬の守護神」ともされています 馬頭観音や大日如来と神仏習合して 東日本の各地に勧請されて 広く信仰されていきます

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・駒形神社 里宮(陸中国一之宮)

里宮
駒形神社 里宮(陸中国一之宮)

駒形神社 里宮(こまがたじんじゃ さとみや)は 江戸時代(1603年 ~1700年頃)に仙台藩側から駒ヶ岳山頂の奥宮に向かう参拝路口にあたる「金ヶ崎の里宮」になります 明治4年(1871)に 山頂の「奥宮」が 国幣小社に列する際に 奥宮・里宮とも参拝時の交通が不便であるので 当時の水沢県県庁に近い水沢の鹽竈神社の本殿が仮遥拝所とされました それが現在の駒形神社「本社」となります この「奥宮」と「本社」の中間なので「中宮」とも呼ばれています

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岩代国(iwashiro no kuni) (福島県)

※ 明治元年(1869)陸奥国から分立

伊佐須美神社

・伊佐須美神社(会津美里町)

一緒に読む
伊佐須美神社(会津美里町宮林甲)

伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)は 『古事記』第10代 崇神天皇の段に゛四道将軍派遣の時 建沼河別と 其の父 大毘古命が相津(あいづ)にて行き逢った゛と記され 社伝には この時 天津嶽に伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神を 国家鎮護の神として奉齋した事に始まると伝えます 延喜式内社 陸奥国 会津郡 伊佐須美神社 名神大(いさすみの かみのやしろ)です

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知知夫国(chichibu no kuni) (埼玉県)

※知々夫国造の支配領域

秩父神社

・秩父神社(知知夫国新一之宮)

一緒に読む
〈知知夫國新一之宮〉秩父神社(秩父市番場町)

秩父神社(ちちぶじんじゃ)は 秩父の武甲山(ブコウサン)を神奈備の山として遥拝する聖地で 第10代 崇神(スジン)天皇〈在位BC97~BC30年頃〉の勅命で 初代 知知夫国造(ちちぶくにのみやつこ)に任命された 八意思兼命の十世の子孫「知知夫彦(チチブヒコ)命」が 大神をお祀りしたのが創建と伝わります 武蔵国(むさしのくに)成立以前から栄えていた 知知夫国(ちちぶのくに)の総鎮守として 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される 関東でも屈指の古社に数えられています

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琉球王国(ryukyu okoku) (沖縄県)

波上宮

・波上宮(那覇市)

波上宮(那覇市)

波上宮(なみのうえぐう)は 古来琉球の信仰として 海神の国(ニライカナイ)の神々に祈りを捧げる 御嶽拝所(聖地・拝所)がある崖の上の場所に鎮座しています 琉球王朝(琉球國)時代には「琉球王国の無事安泰を祈願」する守り神として 王朝から特別の待遇を受け信仰された「琉球八社(官社)の制」の首座を占めた格式を持つのが「波上宮(naminoe gu)」です

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その他(Other)

渡島國(oshima no kuni) (北海道)

※ 明治元年(1869)に制定

姥神大神宮

・姥神大神宮(江差町姥神町)

姥神大神宮(江差町姥神町)

姥神大神宮(うばがみだいじんぐう)は 言い伝えによれば 約570年前の文安4年(1447年)に ニシンの漁法を伝授した「折居姥(おりゐうば)」の草創と伝わります このお陰で 江差は「ニシン漁」で蝦夷地(ezochi)きっての景気にわきかえり 人々は豊かに暮らしてきました 北海道最古の神社とされていて「蝦夷地(ezo chi)の一宮」として 人々に大切に祀られています

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています