実践和學 Cultural Japan heritage

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安房神社(小山市粟宮)〈『延喜式』阿房神社〉

安房神社(あわじんじゃ)は 社伝には崇神天皇の御代に創建され 仁徳天皇の御代に再建されたわります 又 遠い昔 安房神社千葉県館山市を祀る人々の一部が良き土地を求め この地に永住し神を祀り 粟の栽培をしたとも伝わる延喜式内社 下野國 寒川郡 阿房神社(あはの かみのやしろ)です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

安房神社(Awa shrine

通称名(Common name)

明神様(みょうじんさま)

【鎮座地 (Location) 

栃木県小山市粟宮1615

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天太玉命(あめのふとだまのみこと)
   菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)

《配》火産霊命(ほむすびのみこと)
   木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
   大己貴命(おなむちのみこと)
   天津神(あまつかみ)
   国津神(くにつかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

安房神社(あわじんじゃ)

 当社は、平安時代中ごろの「延喜式(えんぎしき)」に記されている古い神社で、崇神(すじん)天皇の御代に創建されたと伝えられています。また、遠い昔、千葉県館山市の安房神社を祀る人びとの一部が、良き土地を求めてここに永住し、神を祀り、粟の栽培をしたとも言われています。

 主祭神は、天太玉命(あめのふとだまのみこと)・莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)です。

 平安時代末期に平将門と戦った藤原秀郷が戦勝を祈願した神社と言われていて、小山氏や古河公方(こがくぼう)の信仰が厚く古河公方足利政氏、小山高朝らの古文書を所蔵しています。(市定文化財)境内のモミの群落は市天然記念物で、神社の西側には歴史の道「鎌倉道」が通っています。

祭礼
 歳旦祭 一月一日 神楽舞奉納
 神楽祭 四月第二日曜 神楽舞奉納
 例祭 十一月二十一日 大神輿渡御

間々田商工会
小山歴史研究会

現地案内板より

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延喜式内 安房神社 由緒

 崇神天皇の御代に創建され、仁徳天皇の御代に再建された。天慶二年、平将門下総猿島に拠って叛するや、俵藤太秀郷(藤原秀郷)が戦勝を祈願し、御宝前に汁器、供田を寄進して永世守護神と尊敬した。明治十年郷社に列せられ、大正二年拝殿を改築、昭和二十五年神楽殿新築、昭和三十五年拝殿銅葺にする。

一、主祭神
  天太玉命(あめのふとたたまのみこと)・莬道稚郎子命(うじのわけのいらつこのみこと)

一、境内神社
  雷電神社・稲荷神社・道祖神社・厳島神社
  琴平神社・天満宮・浅間神社・愛宕神社
  日吉神社・十二所神社・山神社

一、神紋 左二つ巴

一、社格 旧郷社

一、宝物
  古文書十通・俵藤太戦勝祈願文他
  小山市文化財・古文書・モミ群落

一、祭礼
 一月一日 元朝祭(午前零時)(当所神楽師による神楽舞奉納)元旦祭
 二月三日 節分祭
 二月十七日 祈年祭
 四月三日 大杉神社祭
 四月初旬 大々神楽祭(当所神楽師による神楽舞奉納)
 九月一日 風神祭(当所お囃子会によるお囃子奉納)
 十一月中旬 七五三祭
 十一月二十一日 例大祭(大神輿御祭)
 十一月二十三日 秋祭

延喜式とは、平安時代の延喜年中(西暦九〇〇年頃)醍醐天皇の命により撰定された国家の施行細則を延喜式といい、その延喜式の巻九・十神名帳の中に記載されている神社のことをいう。当神社はその中に「下野国寒川郡 阿(安)房神社」と記されている。

尚、栃木県に同様の神社は他に十一社ある。

現地案内板より

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【由  (History)】

『栃木県誌』に記される内容

【抜粋意訳】

○式内 安房神社

式內下野十一社の一なり、お鳥樣より二三町北にして國道より百間ばかり西方にあり、西南向にして馬場には古杉並列し神幽濃かなり、祭神は太玉命なり、藤原秀郷 平將門征討の時、戦勝を祈りしと云ふ

其後 佐野、小山、結城の三家も常に崇敬せしも、戰國の世となりて當社も其禍中に入り兵燹に罹りて衰徴せしも、徳川時代となりて舊観に復せり、明治十年郷社に列せらる、寶物中重なるものは藤原秀郷の寄進したる、太刀一振、錦鋸旗二旒、小山氏の奉納したる唐獅子二頭、其他秀郡が將門反運の時 三七日心願かけられし祈願書等あり、其文左の如し

安房神社 御寶前

此度朝鏑退治泰心願候
三七日丹精可仕者也

天慶二年 下野守
八月十一日 秀鄙花押 神主江

安房神社より南方五六町にして千駄塚に達す、千駄塚は有名なる圓形の古墳にして、境内に古墳より出掘せる石棺あり、西方の山林中には数多の古墳あり、俗に四十八塚と稱し、大小又は圓形、瓢形等の古墳群をなせり。

【原文参照】

田代黒滝 著『栃木県誌』,下野史談会,昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1191413

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

○栃木縣 下都賀郡 郷社

〇栃木縣 下野國 下都賀郡間々田村大字粟宮

郷社 安房(アハノ)神社

祭神
 玉太玉命 火產靈命 木花開耶姬命
 大己貴命 天津神  國津神

創建年代詳ならず、然れども延喜式内社にして 祭神「高皇産尊の兒 天太玉命也」(神祇寶典)
「寒川郡二座正一位粟宮大明神 都賀郡栗宮村神主 小野寺靭負」(舊神祠記)
阿房神社 天日方奇日方命 考證祭神 天太玉命粟宮村に在す、今 都賀郡に屬す、」(神社覈録
「今
 都賀郡栗宮村に在り、栗宮大明神と云ふ、蓋 天太玉命を祀なるなり、」(神祇志料)など諸書に見ゆる古社とす、

社傳に曰く、上略、藤原秀郷 崇敬の社にして、天慶二年八月十一日を以て當社へ心願を爲し、神職へは三七日丹誠を蓋し仕ふベき旨の命令狀を下し、今現に本社寶物第一位にありて、明治十五年内務省の鑑査済にて本社に下附せられたり、其他 藤原秀郷の奉納せる太刀一振、古獅子二頭、鋸形の錦旗二旒あり、下野國志に此邊は寒川郡なりしを、小山朝政の時に至りて小山庄と唱へし故に、都賀郡に改めたるものなり、當所より南の方三里許に野木驛ありて、是も和名抄に劣宜郷とある所なれども、同じく今は都賀郡に属したり、さて當社は奧道中の西の方一町許りに立てり、向拜柱に二巴の紋附たり、是れは小山家にて再建せし名殘なり (下略 )

明治の初年 郷社に列す、社殿は本殿・拜殿等を具へ、境内六百九拾坪 (官有地第一種 )あり、馬場東南二筋ありて、東は七十二尺奥羽國道に接し、南は長さ千二百尺あり、境内平地にして石の反り橋を渡り、十四階の石磴を踏り、四十二尺の敷石を歩めば、拜殿に至る、輪奐美を極めたり、是れ飛騨の工の作にして、國家に事あらんとする時には彫刻せる童兒の顔貌に、喜怒の情を顯すと土俗の傳ふる所なり、松杉鬱々社殿を・・・

境内神社
 雷電神社 嚴島神社 稻荷神社 琴平神社 道祖神社 菅原神社 山神社

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

安房神社 本殿

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安房神社 拝殿

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・安房神社 社殿・〈社殿向かって左 境内社〉合祀社

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・向って右から〈境内社〉合祀社・神輿庫・神庫

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・神楽殿・〈神楽殿の脇 境内社〉雷電神社

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・〈境内社〉6社

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6社の内訳

〔合殿〕栗作翁神社 船太郎神社
道祖神社
山神社
こぶとり神社
元上講中 三峯神社
元下講中 三峯神社

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・三の鳥居

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・手水舎

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・〈境内社〉水神社

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・二の鳥居

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・東側 一の鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)下野國 11座(大1座・小10座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)寒川郡 2座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 阿房神社
[ふ り が な ](あはの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Aha no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載「(あはのかみのやしろ)」の音を持つ神社

延喜式内社 山城國 綴喜郡 粟神社(あはの かみのやしろ)

・粟神社(城陽市市辺大谷)

一緒に読む
粟神社(城陽市市辺大谷)〈『延喜式』粟神社〉

粟神社(あわじんじゃ)は 『粟神社記』に「第6代孝安天皇の御代 平間山麓の百舌ヶ原に少彦名尊と高皇産霊尊が降臨し少彦名尊が祀られたのが粟神社 高皇産霊尊が祀られたのが兜神社(旦椋神社)とある」延喜式内社 山城國 綴喜郡 粟神社(あはの かみのやしろ)です

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延喜式内社 大和國 添上郡 率川阿波神社(いさかは あはの かみのやしろ)

・率川阿波神社(奈良市本子守町)〈率川神社 境内〉

一緒に読む
率川阿波神社(奈良市本子守町)

率川阿波神社(いさがわあわじんじゃ)は 創建について 社伝には「宝亀二年(771)藤原是公 夢のお告げ」によるとされ 当初は奈良市西城戸町に鎮座していましたが 時代と共に衰微し 大正9年に率川神社の境内に社殿を建立し その後 末社 春日社・住吉社と共に現在地に遷座 式内社の率川阿波神社とされます

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延喜式内社 和泉國 和泉郡 粟神社(あはの かみのやしろ)

・大津神社(泉大津市若宮町)
〈大津神社に合祀 粟神社(泉大津市式内町)〉

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大津神社(泉大津市若宮町)〈明治41年(1908)合祀『延喜式』粟神社〉

大津神社(おおつじんじゃ)は 鎌倉時代以来「若宮八幡宮」と称したが 明治41年(1908)宇多神社・神明神社・菅原神社の三社を合祀 事代主神社を境内社に合併 延喜式内社 和泉國 和泉郡 粟神社(あはの かみのやしろ)の旧鎮座地 粟神社跡(式内町)から境内に移築した際「大津」の総鎮守として「大津神社」と改称しました

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・粟神社跡(泉大津市式内町)
〈大津神社に合祀 粟神社の旧鎮座地〉

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粟神社跡(泉大津市式内町)〈『延喜式』粟神社〉

粟神社跡(泉大津市式内町)は 神社合祀令によって明治41年(1908)大津神社に合祀された 延喜式内社 和泉國 和泉郡 粟神社(あはの かみのやしろ)の旧鎮座地です 祭神は「天太玉命」を祀り「粟直」の祖と云われ安房國安房郡 安房坐神社〔名神大月次新嘗〕と同神であると伝えられています

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延喜式内社 伊賀國 山田郡 阿波神社(あはの かみのやしろ)

・阿波神社(伊賀市下阿波)

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阿波神社(伊賀市下阿波)〈『三代實録』阿波神『延喜式』阿波神社〉

阿波神社(あわじんじゃ)は 『三代實録』貞観三年(861)四月十日 伊賀國 正六位上 阿波神に從五位下を授け 同十五年(873)九月己丑 從五位上に進め給ふ」・『延喜式』伊賀國 山田郡 阿波神社(あはの かみのやしろ)と由緒ある古社で 中古は阿波大明神・杉尾白髭大明神と呼ばれました 明治15年に郷社に列しています

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延喜式内社 伊豆國 賀茂郡 阿波神社〔名神大〕(あはの かみのやしろ)

・阿波命神社(神津島村)

延喜式内社 安房國 安房郡 安房坐神社〔名神大 月次 新嘗〕(あはのます かみのやしろ)

・安房神社(館山市大神宮)〈延喜式内社 名神大社・安房国一之宮〉

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安房神社(館山市大神宮)〈延喜式内社 名神大社・安房国一之宮〉

安房神社(あわじんじゃ)は 日本神話「天の岩戸」では 天太玉命〈忌部氏の氏神〉が 天照大御神の出現を願い 祭祀を執り行いました 故に 古代の大和朝廷では 忌部氏が・祭祀に必要な鏡や玉・神に捧げる幣帛や織物・威儀物の矛や楯など武具・社殿の造営などを司っていました  日本における全ての産業の総祖神としても崇敬されています

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延喜式内社 下野國 寒川郡 阿房神社(あはの かみのやしろ)

・安房神社(小山市)

一緒に読む
安房神社(小山市粟宮)〈『延喜式』阿房神社〉

安房神社(あわじんじゃ)は 社伝には崇神天皇の御代に創建され 仁徳天皇の御代に再建されたと伝わります 又 遠い昔 安房神社(千葉県館山市)を祀る人々の一部が良き土地を求め この地に永住し神を祀り 粟の栽培をしたとも伝わる延喜式内社 下野國 寒川郡 阿房神社(あはの かみのやしろ)です

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延喜式内社 美作國 大庭郡 壱粟神社二座(いちあはの かみのやしろ ふたくら)

・二宮(真庭市社)式内社 四座が鎮座〈・壹粟神社二座・久刀神社・菟上神社・長田神社〉
〈二宮(真庭市社)境内に4社並んで鎮座する社の内 向かって右から2番目 壱粟神社〉

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR東北線 小山駅からR4号経由で南下 約4.3km 車での所要時間は8~10分程度

社殿 境内 参道は南南西向きです

一の鳥居を抜けて 参道を進みます

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参道沿いには安房神社幼稚園がありました

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社頭の駐車場に停めると 二の鳥居を少し 過ぎた辺りです

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〈境内社〉水神社が祀られています

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境内の向かって右手には 社務所

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安房神社のモミ群落(天然記念物)の案内板があります

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正面に南を向いて社頭があります

安房神社(小山市粟宮に参着

手水舎があり 清めます

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社頭の鳥居〔三の鳥居〕の扁額には「安房神社」と刻字されています

一礼をしてから鳥居をくぐり抜け境内に進みます

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向って右手には・社務所・神楽殿・〈境内社〉雷電神社

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正面の

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 覆い屋の中に本殿が鎮座しています

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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鳥居を抜けます

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参道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 阿房神社について 所在は゛粟宮村に在す、今 賀郡に属す、゛〈現 安房神社(小山市粟宮〉と記しています

【抜粋意訳】

阿房神社

阿房は假字也

○祭神 天太玉命

○粟宮村に在す、今 賀郡に属す、

類社
 大和國添上郡 率川阿波神社の下見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 阿房神社について 所在は゛今 都賀郡粟宮村に在り、粟宮大明神と云、゛〈現 安房神社(小山市粟宮〉と記しています

【抜粋意訳】

阿房(アハノ)神社、

 都賀郡粟宮村に在り、粟宮大明神と云、〔巡拝舊祠記、式社考神名帳

盖 天太玉命を祀る、〔古語拾遺、延喜式〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 阿房神社について 所在は゛粟宮村字宮内(下都賀郡間々田村大字栗宮)゛〈現 安房神社(小山市粟宮〉と記しています

【抜粋意訳】

阿房神社

祭神 天太玉命

祭日 九月九日 十一月初已亥日
社格 郷

所在 粟宮村字宮内〔明細帳下都賀郡に属す 由緒書に式の當時は寒川郡なれども小山朝政の時に至りて 小山ノ庄と唱へし故に都賀郡に云云とあり
(下都賀郡間々田村大字栗宮)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

安房神社(小山市粟宮 (hai)」(90度のお辞儀)

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下野国 式内社 11座(大1座・小10座)について に戻る

一緒に読む
下野國 式内社 11座(大1座・小10座)について

下野国(しもつけのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 下野国には 11座(大1座・小10座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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