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下野国 式内社 11座(大1座・小10座)について

下野国(しもつけのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 下野国 11座(大1座・小10座)の神社です

下野国(しもつけのくに)について

下野国Shimotsukenokuniは  令制国の一つ〈東山に属する
現在の栃木

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古代関東には「毛野(けの/けぬ)」と呼ばれた一大勢力があり
この毛野が「上毛野(かみつけの/かみつけぬ)」「下毛野(しもつけの/しもつけぬ)」二分され云われます

『日本書紀』には 下野国国造しもつけのくにのみやつこ)である下毛野君の祖は 第10代 崇神天皇長子 豊城入彦命紀元前50年(崇神天皇48年)東国の統治を任じられた〉とされています

国造本紀』には 第16代 仁徳天皇の御代〈古墳時代〉下毛野国造が分置されたと記されています

下野国(しもつけのくに) 11座(大1座・小10座)

大社1は1〈すべて名神大社
小社10は10
 11は11

※座は神の柱数 社は神社数

〈延喜式神名帳に記載〉
都賀郡(つか こおり) 3座(並小)
河内郡(かうち こおり) 1座(大)
芳賀郡(はかの こおり) 2座(並小)
那須郡(なすの こおり) 3座(並小)
寒川郡(さむかはの こおり) 2座(並小)

都賀郡(つか こおり) 3座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

大神神社(おほむわの かみのやしろ)

・大神神社(栃木市惣社町)

 

・太平山神社奥宮(栃木市平井町)

 

・太平山神社(栃木市平井町)

 

大前神社(おほさきの かみのやしろ)

村檜神社(貞)(むらひの かみのやしろ)

河内郡(かうち こおり) 1座(大)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

二荒山神社(貞・名神大)(ふたあらやま かみのやしろ)

宇都宮二荒山神社

・宇都宮二荒山神社の元の鎮座地 下之宮

元宮
宇都宮二荒山神社 下之宮(宇都宮市)

二荒山神社 下之宮は 宇都宮二荒山神社の旧 鎮座地に祀られる元宮です 御祭神の4世の孫 奈良別王が 第16代 仁徳天皇の御代(1600年程前)に下野の初代国造となり 国を治めるに当たり 御神霊を荒尾崎(現在の下之宮)の地に祀り合せたとされます その後 神社は 平安時代前半の承和5年(838)に臼ヶ峰(現在地)に還座しましたが 下之宮は発祥の聖地に鎮座するとして永く奉斎されてきました 1995年以後の再開発の際に現在地に再建されました

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・宇都宮二荒山神社

一緒に読む
宇都宮二荒山神社(宇都宮市)

宇都宮二荒山神社(うつのみや ふたあらやま じんじゃ)は 宇都宮市の中心部 明神山(臼ヶ峰、標高約135m)山頂に鎮座します 大変歴史が古く 創建は 第10代 崇神天皇の御代に遡ると云われます 戦災で多くの資料を喪失し 現存の社記には 第16代 仁徳天皇の御代(約1600年前)毛野国が下野国と上野国の二国に分割された時 下野国国造に任じられた奈良別王(ならわけのきみ)が 曽祖父・豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)を氏神として祀ったのに始まると記されます

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日光二荒山神社

・日光二荒山神社 本社の元の鎮座地 本宮神社

元宮
本宮神社(日光発祥の地)

本宮神社(ほんぐうじんじゃ)は 神護景雲元年(766年)勝道上人(shodo shonin)が「山菅の蛇橋」(現在の神橋)を渡りこの地(日光)に神仏を祀り 庵を結んだのが始まりとされています ここは日光の原点であり 二荒山神社発祥の地であり 開運の神社と言われます 古くは 新宮(現在の二荒山神社)と滝尾神社と共に 日光三社と呼ばれていました

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・日光二荒山神社 本社

一緒に読む
日光二荒山神社 本社(日光市山内)

日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は 標高2486m霊峰「男体山(二荒山)」をご神体として 古くから日光における信仰の中心となってきました 残存する最も古い記録には 767年に勝道上人(しょうどうしょうにん)が 日光山を開基したとあり 世界遺産「日光の社寺」(The World Heritage Shrines and Temples of Nikko)の一群で 日光東照宮(Nikko Toshogu)と日光山輪王寺(Nikkozan Rinnoji Temple)の中間の位置に鎮座します

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・日光二荒山神社 奥宮 中宮祠

奥宮 中宮
日光二荒山神社・中宮祠・奥宮(日光市)

日光二荒山神社・中宮祠・奥宮は 男体山の山頂にあるので奥宮と呼ばれ 奥宮と日光二荒山神社本社の中間にあるので中宮祠と呼ばれています 御祭神は日光二荒山神社と同じ・大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命の3神です 中宮祠の本殿右側には山頂の奥宮への登拝門があり 5月から10月に登山口の門が開き ここから男体山に登ることができます

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芳賀郡(はかの こおり) 2座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

大前神社(おほさきの かみのやしろ)

荒樫神社(貞)(あらかし かみのやしろ)

那須郡(なすの こおり) 3座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

健武山神社(たけむやまの かみのやしろ)

温泉神社(ゆのいつみ かみのやしろ)

・那須温泉神社(那須町湯本)

 

・大宮温泉神社(大田原市中野内)

 

三和神社(貞)(みわの かみのやしろ)

・三和神社(那珂川町三輪)

 

寒川郡(さむかはの こおり) 2座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

阿房神社(あはの かみのやしろ)

・安房神社(小山市)

 

胸形神社(むなかたの かみのやしろ)

・胸形神社(小山市寒川)

 

・網戸神社(小山市網戸)

 

東山道に鎮座する 382座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る   

一緒に読む
東山道に鎮座する 382座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています

このページは
「東山道」に鎮座する(382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340)神社の一覧表です

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています