実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

宅春日神社(奈良市白毫寺町)

宅春日神社(やけかすがじんじゃ)は 社伝では 天屋根命は神護景雲二年(七六八)河内国枚から大和添上郡山麓に移座〈高円山の社とは当社地のこと〉同年十一月九日に現 春日大社の社地に留まられたとあり かつて山の辺の道沿いの当地方は大宅郷と称し 物資豊かで古代豪族の大宅氏が北大和を領有していた要衝であったと伝えられている

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

宅春日神社(Yakekasuga shrine

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

奈良県奈良市白毫寺町116

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天児屋根命(あめのこやねのみこと)
   比賣神(ひめかみ)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

社伝によれば 神護景雲二年(768)「春日大社」が造営された直後の創建

【由  (History)】

宅春日神社の由来記

一、御祭神
本社 天児屋根命
   比賣神
末社 大山祇命(山の神)

二、由緒
 遠く奈良朝の昔、河内の枚岡から春日の神天児屋根命が御蓋山にお遷りになるとき、高円山下のこの地でしばらくお休みになったとの信仰伝承を、宅神社春日社では伝え継いでおります。
 第一回ご造営明和四年(一七六七年)以来約二四年間、由緒深いこの地に里人は神社を建て、天児屋根命、比賣神を祀り産土神と仰ぎました。
 山青く水清く平和な田園に囲まれて里人は久しくこの氏神さまを仰ぎ春日社禰宜が代々祭典に奉仕し氏子達が二十年目ごとに造営を重ねて昔の伝統を守り継いでまいりました。
 近くは昭和六十一年のご造営には、先人達の篤い信仰により春日若宮本殿の半分の大きさに本殿を新造し、末社山の神社を独立して祀り、神饌所、玉垣などを整備するなど、氏子の総力を挙げて旧観を一新し、祭礼もようやく盛儀となってまいりました。

 ところが永年の歳月と風雪のため社務所の朽損は特に激しく床や屋根建具まで修理不可能箇所が多く、また境内の整備全般が急がれる状況になっております。朝夕この古里の我々をお守り下さる氏神様に対し嘉例に依って伝統をまもりつつ改新を重ね、荘厳を更に添えていくことは、私共氏子一同の後世子々孫々に伝えてゆくべき責務と存じております。そして今回、第十三回のご造営を完成し現在の姿に成ったのであります。

平成十八年十月吉日 宅春日神社御遷宮委員
奉賛会長代表 田村 修
宅春日神社宮司 梅木 春雅
氏子総代代表 吉田 克己
同       氏子一同

現地案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

山の神社《主》大山祇命(山の神)

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)添上郡 37座(大9座・小28座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 春日神社
[ふ り が な ]かすかの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Kasuka no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式神名帳927 AD.所載の春日神社(かすかの かみのやしろ)の論社

春日に坐ます神とされます
大きく四説に別れます

①春日大社の創建以前から 春日山に坐ます地主神との説

・榎本神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)

一緒に読む
榎本神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)

榎本神社(えのもとじんじゃ)は 春日大社の境内社で 本社廻廊の南西の角に鎮座します 式内社 春日神社(かすかの かみのやしろ)の論社です 春日大社が 現在地(春日野)に創建される以前からの 当地の地主神で 一時安倍山(現奈良県桜井市)にお遷りになったが 承平5年(935)再びこの場所へ御帰座になったと伝えられています

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・浮雲神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)〈参考〉

一緒に読む
浮雲神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)

浮雲神社(うきぐもじんじゃ)は もと興福寺の子院・四恩院の鎮守社として祭祀されていましたが 明治の廃仏毀釈により現在地に遷座し 春日大社境内社となっています 「御蓋山(みかさやま)の頂上 浮雲峰(うきぐものみね)」に鎮座する本宮神社(禁足地内 一般参拝不可)と同体とされます

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➁〈建御雷〉が鹿島神宮から春日大社へ遷座の途 滞在した坐ました所

・春日神社(山添村春日)

一緒に読む
春日神社(山添村春日)

春日神社(かすがじんじゃ)は 平城京遷都に伴なって〈神護景雲二年(768)の「春日大社」創建の際〉鹿島神宮から武甕槌命の御神霊が奈良〈春日大社〉へ向かう際 立ち寄って一泊した所〈山添村春日〉と云う その跡地に春日神を祀った神社とされ 式内社 春日神社の論社でもあります

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➂〈天児屋根命比賣神〉が枚岡神社から春日大社へ遷座の途 滞在した坐ました所

・宅春日神社(奈良市白毫寺町)

一緒に読む
宅春日神社(奈良市白毫寺町)

宅春日神社(やけかすがじんじゃ)は 社伝では 天児屋根命は神護景雲二年(七六八)河内国枚岡から大和添上郡高円山麓に移座〈高円山の社とは当社地のこと〉同年十一月九日に現 春日大社の社地に留まられたとあり かつて山の辺の道沿いの当地方は大宅郷と称し 物資豊かで古代豪族の大宅氏が北大和を領有していた要衝であったと伝えられている

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櫟井臣同族なる春日朝臣の祖神なるを以て神社も櫟本(いちのもと)村に坐ます所

・春日神社〈奈良山の春日社〉・神明神社〈楢神社 上の宮〉〈参考〉

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR桜井線 京終駅から西へ2.6km 車9分程度
奈良教育大学のキャンパスの南側 能登川を 県80号 道奈良名張線の能登川橋を渡り 白毫寺方面に進むと 境内は山の辺の道に接して 三叉路になっている場所

宅春日神社(奈良市白毫寺町)に参着

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東を向く社頭には 鳥居が建ち 扁額には「宅春日神社」とあります
一礼をして 鳥居をくぐると すぐに割拝殿があり その中央を通って進みます

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すると すぐ目の前に幣殿があり こちらからするようです

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幣殿にある奉納歌

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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割拝殿 幣殿 本殿の位置関係です

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『五畿内志(Gokinaishi)』〈享保14年(1729~1734)編纂〉に記される伝承

江戸幕府による最初の幕撰地誌と見なされる『五畿内志(Gokinaishi)』

※著者の並河 誠所(Namikawa seisho)〈江戸時代中期に活躍した儒学者・地理学者〉は『五畿内志』を編纂する調査の過程で『畿内』の数々の延喜式式内社の比定も行こないました

式内社 春日神社について 山辺郡山添村春日の春日神社 も論社と記しています

【抜粋意訳】

五畿内志 中巻 大和志 山邊郡の条

春日神社

春日村 十三村の民 相共に祭祀 預る 式載 添上郡に在る
〈春日村及十三村の民が 相共に祭祀を預かる 延喜式に載る 添上郡にある 〉

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『五畿内志』著 並河永 著 編纂 享保14年(1729)[他] 出版 昭和4(1929年)日本古典全集刊行会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179429

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

式内社 春日神社について 春日地主 榎本社〈現 春日大社境内社 榎本神社〉であると記しています

【抜粋意訳】

春日(カスカノ)神社

姓氏 大春日朝臣出自 天帯彦国押人命 春日地主 今 榎本社

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 春日神社について 祭神は 春日地主神 所在は不明と記しています

【抜粋意訳】

春日神社

春日は加須加と訓べし、和名鈔、(郷名部)春日、假字上の如し
○祭神 春日地主神(考証)
○在所詳ならず
〇姓氏録(左京皇別下)大春日朝臣、出自孝昭天皇皇子 天足彦國押人命也、仲臣令家重千金、委糟為堵、于時大鷦鷯天皇、(諡仁徳)臨幸其家、詔號糟垣臣、後改為春日臣、桓武天皇延暦二十年、賜大春日朝臣姓、

考証云、今榎本社、春日記、依託宜景雲元年十一九日御鎮坐云々、
○大和志云、春日村、今属山辺郡、

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 春日神社について 所在は櫟本(いちのもと)村〈現 天理市櫟本町〉にある楢神社 上の宮〈神明神社〉と並列して鎮座する・春日神社〈奈良山の春日社〉と記しています

【抜粋意訳】

春日(カスカノ)神社

祭神
今按〈今考えるに〉
土人の説に当社を大和日向神社と云へれど他に證なければ信じがたし 又 祭神 天照大御神 春日大神い云るもいかが こは櫟井臣同族なる春日朝臣の祖神なるを以て神社も櫟本(いちのもと)村にますならん

祭日 九月十四日
所在 櫟本村字奈良山

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

 『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承

式内社 春日神社について 野田四恩院〈現在の奈良春日野国際フォーラムのあたりにあったとされる興福寺四恩院(こうふくじ・しおんいん)大和国にあった興福寺の子院で 若草山の南西麓〉の境内 浮雲宮〈春日大社末社 浮雲神社〉という説があるが 據なし と記しています

【抜粋意訳】

春日神社

延喜式神名帳に添上郡 春日神社と見ゆ
但し官幣大社の春日社にあらず

或いは云ふ 野田四恩院境内なる浮雲宮なりと 據なし

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承

社号の宅春日(やけかすが)と呼ばれるのは 昔この地を大宅(オオヤケ)郷と称していたので宅春日と名付けた 又 雷火にて社が焼けて故に焼春日(やけかすが)といふ説があるが これは宅を焼に付会せる俗説と 記しています

【抜粋意訳】

宅春日神社

奈良市白毫寺町谷田にあり 屋根命祭る 俗に宅春日(やけかすが)と称す
社記に「屋根命者神護雲二申年 自ニ河内平岡遷ニ御大和國添上郡高円山・・矣同年十一月九日遷ニ御笠山峰 其高円山旧社地者 往古添上郡大宅郷之地也 據之今号ス宅春日・・・」と見ゆ
然るに春夜神記に「大明神平岡より此所に影向ありて 其の後 本宮嶽に移らせ給ける也 遷宮の後 雷火にて社焼ぬ故に焼春日(やけかすが)ともいふ」とあるは 宅を焼に付会せる俗説にして道ふに足らず

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

『奈良県史 第五巻 神社〈平成元年 奈良県史編集委員会 編集〉』に記される伝承

式内社 春日神社について 春日大社の境内社 榎本神社を充てているが 一説として 山辺郡山添村春日の春日神社の説も記している

【抜粋意訳】

神社解説 一、奈良市 鼓阪地区

春日神社(榎本神社)

春日大社の境内摂社で、廻廊内西南隅に鎮座する。「皇代記断簡」(『奈良市史』書籍編)の応徳元年(一○八四)に榎本明神とみえるが、明治九年八月式内春日神社と改称、同十年三月摂社春日神社となる。文録二年(一六九三)の『春日御社記録』に「榎本、巨勢姫明神 猿田彦ト云説アリ」と記されているが、寛文三年(一六〇三)の「春日神社記」には猿田彦大神とある。一説にはまた山辺郡山添村春日の春日神社をあてる説もある。

天児屋根命〉が枚岡神社から春日大社へ遷座の途 滞在した坐ました所と記しています

 

【抜粋意訳】

宅春日神社

 山の西北山麓、能登川南鎮座する

 祭神は屋根命・比売

社伝では、屋根命は神護景雲二年(七六八)河内国枚から大和添上郡山麓に移座、同年十一月九日に現春日大社の社地に留まられたが、高円山の社とは当社地のことである。

 かつて山の辺の道沿いの当地方は大宅郷と称し、物資豊かで古代豪族の大宅氏が北大和を領有していた要衝であったと伝えられている。延宝十九年(一六八一)林宋甫の書いた「和州旧跡幽考」には「焼春日」として「平川明神御影向ましまして、後は本宮の嵩にうつり給ひき。遷宮の後、雷火に社焼しより、俗に焼春日といへり 春夜神記。当代、二座のやしろは、一社は春日明神、一社は法明房忍覚をいはひしとなり 社伝。」とある。例祭は十月十日。

 境内に大山祇命を祀る山の神があり、「松大明神」「杉大明神」と刻まれた燈籠がある。延宝三年の『南都名所集』に御田植祭に松・杉の葉を稲に代える由来が記されている。

宅春日神社(奈良市白毫寺町) (hai)」(90度のお辞儀)

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

一緒に読む
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)

大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです

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  • B!

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています