実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

和多都美神社(対馬市豊玉町仁位字和宮)〈延喜式内社 和多都美神社(名神大社)〉

和多都美神社(わたつみじんじゃ)は 伝承によれば 山幸彦(彦火火出見尊)がこの地にたどりき 豊玉姫命を妃として 3年留まったワタツミノ宮の古跡され 古くから竜宮伝説が残されています 社殿の裏手深い森には 磐座〈豊玉姫の墳墓〉があり 本殿正面は 海へと向かって続く5つの鳥居が特徴的で 外側の2つは海中に建ち 満潮時にはまるで海に浮かぶ竜宮城のような神秘的な光景が広がります

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

和多都美神社Watatsumi Shrine)
(わたつみじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市豊玉町仁位字和宮55

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》彦火火出見尊Hikohohodemi no mikoto)
   豊玉姫命Toyotamahime no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社(名神大)
・ 対馬一之宮Tsushima no kuni ichinomiya)〈論社〉

【創  (Beginning of history)】

・創建年代不詳

名神大社 和多都美神社

鎮座地 /長崎県下県郡豊玉町大字仁位字和宮55番地

祭神
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)

御由緒
 当社の所在地表示は現在「下県郡(しもあがたぐん)」であるが、以前は「上県郡(かみあがたぐん)」であった。平安時代の律令細則である『延喜式(えんぎしき)』の神名帳(じんめいちょう)」の中に「対馬国 上県郡 和多都美神社(名神大)」とあるのは当社である。
 貞観元年(859年)に清和天皇から従五位上の神階を賜り、また、
『三代実録』によれば、永徳元年(1381年)に、更に従一位を叙せられ、往古より島内は言うに及ばず わが国の名社大社の一つに数えられた。

 縁起を辿れば、神代の昔、海神である豊玉彦尊(とよたまひこのみこと)が当地に宮殿を造り、宮を「海宮(わたつみのみや)」と名付け、この地を「夫姫(おとひめ)」と名付けた。
 その宮殿の大きさは、高さ一町五反余り、広さ八町四方もあったという。
そして神々しい神奈備(かんなび)「夫姫山(おとひめさん)」のさざ波によるこの霊地に 彦火火出見尊と豊玉姫命のご夫婦の神を奉斎したと伝えている。

 豊玉彦尊には 一男二女の神があり、男神は穂高見尊(ほだかみのみこと)、二女神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)・玉依姫命(たまよりひめのみこと)という。
ある時、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は、失った釣り針を探して上国より下向し、この宮に滞在すること3年、そして豊玉姫を娶り妻とした。この海幸彦・山幸彦の伝説は当地から生れたものである。

 満潮の時は、社殿の近くまで海水が満ち、その様は龍宮をを連想させ、海神にまつわる玉の井伝説の御遺跡や満珠瀬(みつたませ)、干珠瀬(ひるたませ)、磯良恵比須(いそらえびす)の磐座など旧跡も多く、また本殿後方に二つの岩がある。これを夫婦岩と称し、この手前の檀が、豊玉姫命の墳墓(御陵)である。

 また、西手の山下に、石があり、それが豊玉彦尊の墳墓(御陵)である。 このように当社は古い歴史と由緒を持ち、時の国主や藩主の崇敬も篤く、たびたびの奉幣や奉献それに広大な社領の寄進があった。
現在でも対馬島民の参拝は勿論のこと全国各地からの参拝が多い。

境内案内板より

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【由  (History)】

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋

わたつみじんじゃ
和多都美神社 式内社(名神大社)

境内社 波良波神社・濱殿御子神社

古式大祭 旧8月1日

アクセス 豊玉町仁位の国道382号線の分岐点から川沿いに2.9㎞進み、赤い大鳥居の先の海辺に鎮座

周辺の雰囲気・環境など
対馬市豊玉町仁位(とよたままちにい)は、対馬の中央に広がる浅茅湾北岸に位置する、同町の中心部です。仁位川沿いに古くから集落が形成され、弥生時代後期には対馬の中心地だったと考えられています。また、室町時代にも宗家の館が置かれ、栄えました。 和多都美神社から1.6キロ南下する(坂道を登る)と烏帽子岳展望所です。 展望所から波穏やかな浅茅湾を一望すれば、古代の海人族が、この地こそが海神に守られた竜宮だと考えたことが納得できます。

神社のプロフィール
和多都美神社は、浅茅湾北西岸の最奥部に鎮座しています。この地に大海神・豊玉彦の海宮(わたつみの宮=竜宮)があり、祭神の山幸彦と豊玉姫はここで出逢ったとされています。 秋の大潮の満潮時、海の女神の力が文字通り「最高潮」に達するころ、古式大祭が催行され、中世に起源をもつ、女性が舞う神楽「命婦(みょうぶ)の舞」が奉納されます。 拝殿前にならぶ5つの鳥居のうち2つは海中にあり、満潮時は海中に、干潮時は干潟の上に基台まで露出し、また秋の大潮の満潮時には拝殿近くまで海面が上昇するなど、海神を祭るにふさわしい雰囲気です。

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋1〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉
https://www.tsushima-net.org/wp-content/uploads/2020/08/tsushima_shrine_guidebook.pdf

和多都美神社 社叢

和多都美神社(わたつみじんじゃ)は、「延喜式(えんぎしき)」の神名帳(じんめいちょう)にのせられている和多都美神社(わたつみじんじゃ)に比定(ひてい)されている名神です。その社殿(しゃでん)は、広大(こうだい)で深い原始林(げんしりん)に囲まれており、社叢(しゃそう)の全体的景観は、規模の大きな照葉樹林(しょうようじゅりん)で成っています。
 この原始林に加え、北方系、大陸系あるいは 高地性の植物が 海岸近くに混成していることも、この社叢を特徴づけています。
 多様な植生を持つ社叢は、渓流の水場にも恵まれ、鳥の種類も豊です。
(昭和51年県の天然記念物に指定)

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

本殿向かって右横
波良波神社Haraha Shrine)

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『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の

式内社「対馬島 上県郡 波良波神社の論社です 詳しくは別記事を参照してください

波良波神社(和多都美神社 境内)

一緒に読む
波良波神社(和多都美神社 境内)

波良波神社(ハラハジンジャ)は 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に「対馬島 上県郡 波良波神社(Harae no kamino yashiro)」と所載されている古社です もともとは 仁位(ニイ)の波浪(ハロウ)と呼ばれた場所に鎮座したか もしくは 濱殿神社の場所であったとも 言われています いつの頃か 和多都美神社(対馬 仁位)の境内に移し祀られたと云い伝わります

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本殿向かって左横
濱殿御子神社(ハマドノミコジンジャ)

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濱殿御子神社(はまどのみこじんじゃ)

本殿左の脇宮は二社共に「濱殿御子神社」であり、三嶋和多都美(仁位の濱地区にある三つの島の事。現在は陸続きとなった)の祭神を移し祀ったと伝えられている。
「濱殿」は 豊玉彦命(大綿津見神)であり、その御子神を祀ることから「豊玉姫命」とその夫となった「彦火火出見尊」を御子として祀ったともいう。ただし、三嶋和多都美とは「上」「中」「底」を表す三柱の綿津見神であったという説もあり、書物として残る記録もなく定かではない。

境内張り紙より

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社殿向かって左手
・亀甲石(キッコウセキ)

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亀甲石(きっこうせき)

その昔、亀卜(キボク)が行われた磐座と伝わっています。古代律令制下に於いて設置された神祇官(じんぎかん)には対馬10人、壱岐5人、伊豆5人の卜部が在籍していました。
《卜部の代表的な唱え詞》吐と 保ほ 加美かみ 依身えみ 多女ため

※東西南北中央、水火木金土などを表すコトバで、亀甲を焼いて その線や割れ目を見て占ったそうです。

境内張り紙より

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本殿裏手の原始林内に鎮座する磐座
・豊玉姫御陵(トヨタマヒメノゴリョウ)〈墳墓〉

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境内入口 入り江の中
・磯良恵比寿(イソラエビス)

干潮 満潮 満ち引き中で姿を変えます

阿曇磯良の墓とした伝説があります

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磯良恵比寿

背面に鱗状の亀裂が見られるこの岩は今もなお 神聖に霊場として祭られている、これを磯良の墓とした伝説があるが、これは社殿が営まれる以前の古い祭祀において霊座か、それとも御神体だったのではないかと思われる。

和多都美神社

現地案内立札より

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

・濱殿神社Hamadono Shrine)

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の
対馬島 上県郡 波良波神社」の論社です

濱殿神社(対馬 仁位)

一緒に読む
濱殿神社(対馬 仁位)

濱殿神社(はまどのじんじゃ)は 仁位川(にいがわ)の河口近くの畔丘にあり「豊玉彦命(とよたまひこのみこと)の御陵慕」との言い伝えがあります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「対馬島 上県郡 波良波神社(はらへの かみのやしろ)」の論社でもあります

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』に所載の4つの神社の論社となっています

①〈對馬嶋 上縣郡 和多都美神社 名神大
②〈對馬嶋 上縣郡 和多都美御子神社 名神大
對馬嶋 上縣郡 嶋神社
對馬嶋縣郡 和多都美神社名神
祭の条 に記載あり

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Myojin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Myojin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦) 

大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに 
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺 
絲(イト)1絇を 布1端に代える

① 和多都美神社 一座〈上縣郡〉
➁ 和多都美御子神社 一座〈上縣郡〉
④ 和多都美神社 一座〈下縣郡〉

上記3つの名神大社の論社となっています

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

当神社は『延喜式Engishiki)』に所載される4つの神社の論社てす

①〈對馬嶋 上縣郡 和多都美神社 名神大

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 和多都美神社(名神大)
[ふ り が な ]わたつみの かみのやしろ)(みょうじんだい)
[Old Shrine name]Watatsumi no kamino yashiro)(Myojin dai) 

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

②〈對馬嶋 上縣郡 和多都美御子神社 名神大

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 和多都美御子神社(貞・名神大)
[ふ り が な ]わたつみみこの かみのやしろ)(めいじんだい)
[Old Shrine name]Watatsumi no miko no kamino yashiro)(Meijin dai)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

對馬嶋 上縣郡 嶋神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)

[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 嶋神社
[ふ り が な ]おほしまの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ohoshima no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

對馬嶋縣郡 和多都美神社

(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)県郡 13座(大4座・小9座)

[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 和多都美神社
[ふ り が な ]わたつみの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Watatsumi no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

当神社は『延喜式Engishiki)』に所載される4つの神社の論社てす

①〈對馬嶋 上縣郡 和多都美神社 名神大
②〈對馬嶋 上縣郡 和多都美御子神社 名神大
對馬嶋 上縣郡 嶋神社
對馬嶋縣郡 和多都美神社名神
祭の条 には記載

各々の論社をご紹介します

①〈對馬嶋 上縣郡 和多都美神社 名神大

・和多都美神社(対馬 仁位)

一緒に読む
和多都美神社(対馬市豊玉町仁位字和宮)〈延喜式内社 和多都美神社(名神大社)〉

和多都美神社(わたつみじんじゃ)は 伝承によれば 山幸彦(彦火火出見尊)が 豊玉姫命を妃として留まったワタツミノ宮の古跡され 古くから竜宮伝説が残ります 社殿裏手の深い森の中に 磐座〈豊玉姫の墳墓〉があり 本殿から正面へと海へ向かって海中に鳥居が建ち 満潮時にはまるで海に浮かぶ竜宮城のような神秘的な光景が広がります

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・海神神社(対馬 木坂)

一緒に読む
海神神社(対馬 木坂)

海神神社(かいじんじんじゃ)は 八幡神が神風を吹かせたと伝わる 木坂の伊豆山の麓に鎮座します 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐より凱旋の折に 対馬で掲げたと伝わる 八旒の旗〈8本の旗〉「振波幡」「切波幡」「振風幡」「切風幡」「豊幡」「真幡」「広幡」「拷幡」ここから 八幡(ヤハタ)が発祥しているとして「八幡信仰の源流」とされ 江戸時代までは「八幡本宮」と号していました 対馬国一之宮であり 由緒正しき古社です

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②〈對馬嶋 上縣郡 和多都美御子神社 名神大

・和多都美御子神社(対馬 仁位)

一緒に読む
和多都美御子神社(対馬 仁位)

和多都美御子神社(わたつみみこじんじゃ)は 承和7年(840)11月 に官社となり 927年12月編纂『延喜式神名帳』には「名神大」として所載される古社です 貞和5年(1349)大宰府より天満宮を勧請し合祀して「天神宮」と称していたので 明治初期に和多都美御子神社と改称したけれども 和多都美としての由緒は無いとしています

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・和多都美神社(対馬 仁位)

一緒に読む
和多都美神社(対馬市豊玉町仁位字和宮)〈延喜式内社 和多都美神社(名神大社)〉

和多都美神社(わたつみじんじゃ)は 伝承によれば 山幸彦(彦火火出見尊)が 豊玉姫命を妃として留まったワタツミノ宮の古跡され 古くから竜宮伝説が残ります 社殿裏手の深い森の中に 磐座〈豊玉姫の墳墓〉があり 本殿から正面へと海へ向かって海中に鳥居が建ち 満潮時にはまるで海に浮かぶ竜宮城のような神秘的な光景が広がります

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・胡簶神社(対馬 琴)

一緒に読む
胡禄神社(対馬 琴)

胡禄神社(ころくじんじゃ)は 琴(キン)地区に鎮座し 伝説では 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐への出陣の際 琴崎東沖を過ぎて 御船の碇が海底に沈んだ時に 舵取りの「安曇磯武良(アズミイソラ)」=〈御祭神 磯武良(イソタケラ)〉が 海中に入って 御船の碇を取り上げたと伝わります まさしく海神(わたつみのかみ)を祀ります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社で 「胡禄御子神社」或いは「和多都美御子神社」であるとの説もあります

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・海神神社(対馬 木坂)

一緒に読む
海神神社(対馬 木坂)

海神神社(かいじんじんじゃ)は 八幡神が神風を吹かせたと伝わる 木坂の伊豆山の麓に鎮座します 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐より凱旋の折に 対馬で掲げたと伝わる 八旒の旗〈8本の旗〉「振波幡」「切波幡」「振風幡」「切風幡」「豊幡」「真幡」「広幡」「拷幡」ここから 八幡(ヤハタ)が発祥しているとして「八幡信仰の源流」とされ 江戸時代までは「八幡本宮」と号していました 対馬国一之宮であり 由緒正しき古社です

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對馬嶋 上縣郡 嶋神社

・和多都美神社(対馬 仁位)

一緒に読む
和多都美神社(対馬市豊玉町仁位字和宮)〈延喜式内社 和多都美神社(名神大社)〉

和多都美神社(わたつみじんじゃ)は 伝承によれば 山幸彦(彦火火出見尊)が 豊玉姫命を妃として留まったワタツミノ宮の古跡され 古くから竜宮伝説が残ります 社殿裏手の深い森の中に 磐座〈豊玉姫の墳墓〉があり 本殿から正面へと海へ向かって海中に鳥居が建ち 満潮時にはまるで海に浮かぶ竜宮城のような神秘的な光景が広がります

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・元嶋神社(対馬 唐洲)

一緒に読む
元嶋神社(対馬 唐洲)

元嶋神社(もとしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「對馬嶋 上縣郡 大嶋神社(おほしまの かみのやしろ)」の論社です 写本によっては「大嶋(オホシマ)」が「本島(モトシマ)」と書かれている場合があり ここから当社が論社となっています

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・那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社(三社合祀)

一緒に読む
那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社〈三社合祀〉

那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社〈三社合祀〉は もともとは 豊(トヨ)の村人たちが 豊漁港の北東にある 椎根島の白水山(シロミズヤマ)に鎮座していた「島大国魂(シマオオクニタマ)神社の遥拝所」としていた処であったとされます ここに 旧 藩政時代 国主により「那祖師(ナソシ)神社」が建立されます やがて 島大国魂神社と 北東にあるナンガ浦〈豊と泉の中間辺り〉に鎮座する若宮(ワカミヤ)神社も合わせ 豊(トヨ)に鎮座する3社が合祀されて 現在に至ります

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・島大國魂神社(対馬 豊)

一緒に読む
島大國魂神社(対馬 豊 白水山)〈旧 鎮座地〉

島大國魂神社は かつて 上対馬 豊(豊漁港)の北東にある 椎根島の白水山(シロミズヤマ)に鎮座していました〈旧 鎮座地〉 この白水山に続く海岸沿いは 不通浜(トオラズガハマ)と呼ばれて 神聖ゆえに近づくことすら許されず 禁足地としての掟が厳しく 立ち入ると大風が吹く 腹痛に見舞われる 災害が起きる さらに 白水山には老人が住んでおり そこで見聞きしたことを他言すると死んでしまう という伝承もあります 決して近づいてはならない神域です 下の写真は望遠にて撮影

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對馬嶋縣郡 和多都美神社名神祭の条 に記載あり

和多都美神社(鷄知住吉社 境内社)

一緒に読む
和多都美神社〈鷄知住吉神社 境内脇宮〉

和多都美神社(鷄知)は 鷄知住吉神社の本殿の脇に鎮座する境内社です 但し 住吉神社の本殿に祀られる御祭神を考慮すると 本来は 住吉神の・上箇之男命・中箇之男命・底箇之男命「墨江之三前大神」の筈ですが 和多都美神の系統である・鵜葺草葺不合尊・豊玉姫命・玉依姫命が 本殿に祀られていて 脇宮と本殿が入れ替わったのではないかとの説もあります

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和多都美神社(対馬 仁位)

一緒に読む
和多都美神社(対馬市豊玉町仁位字和宮)〈延喜式内社 和多都美神社(名神大社)〉

和多都美神社(わたつみじんじゃ)は 伝承によれば 山幸彦(彦火火出見尊)が 豊玉姫命を妃として留まったワタツミノ宮の古跡され 古くから竜宮伝説が残ります 社殿裏手の深い森の中に 磐座〈豊玉姫の墳墓〉があり 本殿から正面へと海へ向かって海中に鳥居が建ち 満潮時にはまるで海に浮かぶ竜宮城のような神秘的な光景が広がります

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

対馬空港からR382号経由 約27km 車35分程度
382号から 仁位沿いに海へ向かうと 河口付近に 朱色の大きな鳥居があり扁額には「神話の里」と記されていて 観光用の鳥居が建っています

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すぐに海に建つ鳥居が見えてきます 干潮時は砂地に鳥居が見えます

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白砂境内があり
和多都美神社Watatsumi Shrine)に参着

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振り返ると 海に浮かぶように鳥居が建ちます 但し 潮の干満により 姿を大きく変えます

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干潮時には 先端の鳥居あたりまで 歩いて行けます
〈令和になって 一の鳥居が台風で倒壊し 再建途中です〉

なるべく先の鳥居から 参拝を始めます

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今回は二の鳥居から 一礼をしますが 鳥居の基礎があり くぐりますとはいかず迂回します 扁額には「一ノ宮 和多都美神社」とあり 本来は 対馬一之宮だとする説に頷きます

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三の鳥居は 満潮時にも沈まない鳥居です 扁額には「和多都美神社」とあり 一礼をして 浜から上がり 境内へと進みます

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浜から境内へと進むと 左手の入り江には磯良恵比寿(イソラエビス)が祀られていて 干潮 満潮 満ち引き中で その姿を変えます 参道から遥拝します

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自然石が社号標になっていて「和多都美神社」と記され 四ノ鳥居と並んでいます 鳥居の先には やはり自然石の手水舎があり 清めます その後ろには屋根付きの立派な土俵があります

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白砂の境内に 燈籠が並び 参道が築かれています その先には 漆喰の御垣が回されて 社殿が建ち 神域となっています ここまでの境内の様子が 境内図になっていて判りやすいのでご覧ください

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一礼をして 最後の鳥居 五ノ鳥居くぐります 直ぐに拝殿が建ち その左脇には 御神木「龍松(タテマツ)」が生えています 

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御神木「龍松(タテマツ)」の根は社殿の横を這うように 本殿から這い出ている竜の姿である伝わります

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龍松(たてまつ)

「根上の松」と呼ばれる松の木の一種です。全国に「根上の松」は存在していますが、直線的に長く龍の尾の様に伸びる松の木は大変珍しく、その根は神様のご神体が鎮座する本殿の下まで伸びています。
「豊玉姫命が白蛇の姿をしてこの松の木で遊んでおられた」という逸話が社家に伝えられています。もしかするとこの松の木は豊玉姫命の父神「大綿津見神(豊玉彦命)の化身なのかもしれません。

境内張り紙より

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拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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本殿の左右の境内社にお詣りをして 本殿裏手の原始林内に鎮座する磐座「豊玉姫御陵〈墳墓〉」に向かいます
原始林の中を 白砂の参道がうねるように続いています

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木々の中に 鳥居が建っています 鳥居をくぐると 柵に囲まれた参道の先に大きな磐座があり その前に「豊玉姫之墳墓」と刻まれた墓標石が置かれています 磐座は古からのようですが 豊玉姫之墳墓は 社家によって 別の場所から遷座したとも伝わります

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白砂の参道をそのまま森の奥へと進むと 鳥居が建っていて 境内から出てしまいます もしかすると裏参道なのかもしれません
大正13年に建てられている鳥居の扁額には「一宮 和多都美神社」と一之宮であるとしています

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境内に戻ると 社務所の下あたりまで 潮が満ちていて 水に囲まれた竜宮と云われる由縁が分かるような感です

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鳥居を抜けて 参道を戻り 狛犬に別れを告げながら 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

対馬の伝承では 日本神話「海幸山幸」の「ワタツミの宮」とされます

日本神話の「海幸山幸(ウミサチヤマサチ)」の舞台が 対馬であったことが良くわかると思います

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋

海の女神・トヨタマヒメ

【日本神話】 海幸山幸
兄・海幸彦(うみさちひこ)は 海の漁師、弟・山幸彦(やまさちひこ)は 山の猟師です。ある日、弟の要望で、弓矢と釣竿を交換して猟・漁を行いますが、山幸彦は兄の大事な釣針を無くしてしまいます。兄に責められた山幸彦は、釣針を探す旅に出て、潮の神シオツチの案内で海底の海宮(わたつみのみや)に辿りつき、そこで大海神の娘・豊玉姫(トヨタマヒメ)と結ばれます。大海神の力を借りて釣り針を見つけた山幸彦は地上に戻り、豊玉姫の助力を得て兄を屈服させます。

 この後、豊玉姫は出産のため山幸彦のもとを訪れ、「海神の一族である自分は、出産の際に本来の姿に戻ってしまうので、決して覗かないように」と伝えます。山幸彦が産屋を覗くと、巨大なワニ(鮫)あるいは竜の姿に戻った豊玉姫が出産の苦しみでのたうちまわっていました。

 約束を破られ、恥じた豊玉姫は子神ウガヤフキアエズ(以下ウガヤと省略)を置いて海宮へ帰り、通路を閉ざしてしまいますが、夫と子を忘れられず、妹の玉依姫(タマヨリヒメ)を乳母として送ります。ウガヤは、叔母・乳母である玉依姫と結ばれ、初代天皇となるカムヤマトイワレビコ(神武天皇)が誕生する場面で、古事記の上巻(神話編)は終わります。

【対馬の伝承】
対馬の伝承では、釣針を探す旅の途中、山幸彦がまずたどり着いたのが美津島町鴨居瀬(かもいせ)で、しばらく隠れ住んだのが同町濃部(のぶ)とされています。濃部には、潜(しのぶ)の里=濃部という地名伝承があり、集落奥にある天神神社(番号48)には山幸彦が祭られています。

 山幸彦と豊玉姫の出逢いの場は 豊玉町仁位の和多都美神社(番号63)で、子神であるウガヤが誕生したのは鴨居瀬。豊玉町千尋藻の六御前神社(番号78)にはウガヤと6人の乳母が祭られています。

 上記の地域を並べると、鴨居瀬(放浪)→濃部(隠棲)→仁位(出逢い)→鴨居瀬(子の誕生)→千尋藻(子の養育)となり、山幸彦の人生を辿るように神社が点在していることに気づきます。

 また、兄の海幸彦は 九州南部(鹿児島・宮崎)の隼人(はやと)の祖先とされており、対馬をふくめた九州北部の海洋民が信仰していたのが海神・豊玉姫だとすると、天皇家の祖先である山幸彦の一族と、九州北部の海洋民が手を結び、九州南部の隼人勢力を征服したという歴史物語が見えてきます。

 山幸彦と豊玉姫の別離の物語は、力をあわせて九州を平定した2つの部族の間で、なんらかの抗争が発生したことを暗示しているのかもしれません。孫にあたるカムヤマトイワレビコは東征を行い、磐余(奈良県)で、初代天皇・神武天皇として即位することになります。

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋2〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉
https://www.tsushima-net.org/wp-content/uploads/2020/08/tsushima_shrine_guidebook.pdf

『続日本後紀(shoku nihon koki)』貞観11年(869)に記される伝承

遣唐使の祈りを捧げた2月に 対馬の神々(上縣・下縣)とともに 神階無位から昇叙が記されています

【意訳】

承和4年(837)2月甲午朔 戊戌の条

伯耆国(ホウキノクニ)川村郡 无〈無〉位 伯耆神 大山神 国坂神

及び

對馬嶋(ツシマノシマ)の
上縣郡(カミツアガタ)の 无〈無〉位

和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶御子神(ヤナクイノミコノカミ)

下縣郡(シモツアガタ)の无〈無〉位
高御魂住吉神(タカミムスミスミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
多久都神(タクツノカミ)
大調神(ヲオツキノカミ)

並びに 奉(たてまつ)り 従5位下 を授(サズ)く

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承

對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています

【意訳】

貞観元年正月27日の条

・・・・・
對馬島(ツシマノシマ)従5位下 
和多都美神(ワタツミノカミ)

高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
並びに 従5位上

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【意訳】

貞観12年3月5日 丁巳の条

詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに

對馬嶋(ツシマノシマ)の

正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下

従5位上
和多都美神(ワタツミノカミ)

胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)
並びに 正5位下

大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)
並びに 従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

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『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

六国史の神階の昇叙が記され 所在は 木坂村にある「神功皇后の社」〈現 海神神社〉であると記しています

【意訳】

和多都美神社 名神大

承和4年2月甲午朔 戊戌 對馬上郡 无〈無〉位 奉授 従5位下

三実 貞観元年正月27日 従5位下 従5位上
   同12年3月5日  正5位下

〇三根郷木坂村にあり 今 云う 神功皇后の社なり 八幡本記 巻2 引用

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876年)に記される内容

式内社「和多都美神社 名神大」は 仁位村であるとの説もあると載せています

【意訳】

和多都美神社 名神大

祭神 豊玉姫命
神位 〈六国史を記す・・・〉

祭日 8月5日
社格 國幣中社
所在 木坂村 伊豆山
  (仁位村の方なりと云う説あり)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』出版(1925) 大正14年 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

和多都美神社Watatsumi Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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