実践和學 Cultural Japan heritage

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和多都美神社〈鷄知住吉神社 境内脇宮〉

和多都美神社(鷄知は 鷄知住吉神社本殿脇に鎮座する境内社です 但し 住吉神社の本殿に祀られる御祭神を考慮すると 本来は 住吉神の・上箇之男命・中箇之男命・底箇之男命「墨江之三前大神」筈ですが 和多都美神の系統である・鵜葺草葺不合尊・豊玉姫命・玉依姫命が 本殿に祀られていて 脇宮と本殿が入れ替わったのではないかとの説もあります

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

和多都美神社Watatsumi Shrine)
鷄知住吉神社 境内脇宮〉<Shrine beside the main shrine> 

(わたつみじんじゃ)けいだい わきみや 

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市美津島町鶏知甲1281  鷄知住吉神社境内

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)による

《主》底津綿津見神(sokotsu watatsumi no kami)
   津綿津見神(nakatsu watatsumi no kami) 

   表津綿津見神(uwatsu watatsumi no kami) 

この3柱の綿津見神は 『古事記』では 阿曇連が祖神として奉斎する神とし 阿曇連は綿津見神の子 宇都志日金析命の子孫であると記されています
この3の神 同時に生まれた上箇之男命・中箇之男命・底箇之男命の「墨江之三前大神」(住吉大社の祭神)と対称をなしています

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

参考

航海神・ツツノオ三神(住吉三神) 

【日本神話】 ツツノオ
 ツツノオ(筒男)はイザナギの禊により出現した海神です。瀬の深みで清めるとソコツツノオ(底)が、中間ではナカツツノオ(中)が、表面ではウワツツノオ(表)が誕生したとされます。

その際、同じく海神であるソコツワタツミ、ナカツワタツミ、ウワツワタツミも生まれています。(イザナギ・イザナミにより生み出されたオオワタツミとは別神であり、また宗像三神とも異なる系統の海神です) 
ツツノオ三神は、神功(じんぐう)皇后に神託を下した神として皇室において重要視され、また航海の守護神として、遣隋使や遣唐使の派遣の際にも篤く崇敬されていました。総本社は住吉(大阪)にあり、住吉三神とも呼ばれています。

【対馬の伝承】 

 延喜式に、対馬島下県(しもあがた)郡の名神大社・住吉神社の記録がありますが、対馬ではツツノオはほとんど活躍しません。対馬は大陸航路の拠点であり、国家神であるツツノオ三神を無視したとは考えにくいのですが、豊玉姫など異なる系列の海神信仰が濃厚で、その影に隠れてしまったのかもしれません。
 ツツノオの名前の由来は、航海の目印となる星を意味する古語「ツツ」、対馬南部の豆酘(つつ)などいくつもの説があります。

コラム 住吉神社の分布

 延喜式に記録された名神大社・住吉神社は、住吉(大阪府)、下関(山口県)、博多(福岡県)、壱岐、対馬(どちらも長崎県)に鎮座しています。 遣隋使や遣唐使の派遣の際には、まず大阪で安全祈願祭を行い、瀬戸内海を渡ると下関、外海に出て博多、玄海灘を越えて壱岐、そして対馬で最後の祈願祭を行い、はるかな中国へと旅立っていきました。 対馬近海は、自然の猛威や異国との緊張に満ち、神頼みをしなければ越えられない海域であり、住吉三神は朝鮮半島へとつながる大陸航路を守護すべく配置されていたのです。

 なお、対馬の住吉神社は古い時代に、鴨居瀬(対馬市美津島町)から鶏知(同町)に移祭したと伝わり、鴨居瀬を元宮、鶏知を新宮と呼びます。移祭の時期は不明で、どちらが延喜式に記載された式内社であるかは、古くから論争があったようです。

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋
〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉

http://blog.kacchell-tsushima.net/?eid=221 『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋1

【由  (History)】

参考

住吉神社 すみよしじんじゃ(鶏知)(けち) 

神社番号36 式内社(名神大社)境内社 和多都美神社(式内社)
アクセス
美津島町鶏知(けち)で国道382号線から県道24号線に入り、400m進んで信号を右折すると鳥居・駐車場が見えてきます。

周辺の雰囲気・環境など
美津島町鶏知(けち。正字は「雞」)は近年、国道382号線沿いに大型スーパーやホームセンターが立ち並び、商業地として発展しています。 古くは神功皇后が、鶏が鳴いたことでこの地に集落があることを知った(鶏知)という由来を伝える集落です。

神社のプロフィール
現在、社殿は内陸にありますが、傍を流れる鶏知川は対馬海峡東水道に面する高浜に注ぎ、北は浅茅湾につながる海上交通の拠点でした。
 住吉神社は本来、ツツノオ三神を祭るはずですが、ウガヤフキアエズや豊玉姫などの海神が祭られています。

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋
〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉

http://blog.kacchell-tsushima.net/?eid=221 『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋2

【境内社 (Other deities within the precincts)】

当神社は 鷄知住吉神社本殿脇に鎮座する境内社です 
鷄知住吉神社は『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の「對馬嶋 下縣郡 住吉神社 名神大です 

鷄知住吉神社(対馬 鶏知)

一緒に読む
住吉神社(対馬 鶏知)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「對馬嶋 下縣郡 住吉神社 名神大」の論社です 式内社の「住吉神社」は もともとは 鴨居瀬(カモイセ)に鎮座し それを後に 鶏知(ケチ)に遷座したのは確かです しかし 遷座の時期は古く 一説には〈延喜式(927年)制定の前とも伝わり 制定時はすでに鶏知(ケチ)に遷座していた〉ともあり 双方が式内社であるとしています

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD. 

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)県郡 13座(大4座・小9座)
[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 和多都美神社
[ふ り が な ]わたつみの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Watatsumi no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

式内社對馬嶋縣郡 和多都美神社」の論社は2つです

和多都美神〈鷄知住吉神社 境内脇宮〉

一緒に読む
和多都美神社〈鷄知住吉神社 境内脇宮〉

和多都美神社(鷄知)は 鷄知住吉神社の本殿の脇に鎮座する境内社です 但し 住吉神社の本殿に祀られる御祭神を考慮すると 本来は 住吉神の・上箇之男命・中箇之男命・底箇之男命「墨江之三前大神」の筈ですが 和多都美神の系統である・鵜葺草葺不合尊・豊玉姫命・玉依姫命が 本殿に祀られていて 脇宮と本殿が入れ替わったのではないかとの説もあります

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和多都美神社(対馬 仁位)

一緒に読む
和多都美神社(対馬 仁位)

和多都美神社(わたつみじんじゃ)は 伝承によれば 山幸彦(彦火火出見尊)がこの地にたどり着き 豊玉姫命を妃として 3年留まったワタツミノ宮の古跡され 古くから竜宮伝説が残されています 社殿の裏手の深い森には 磐座〈豊玉姫の墳墓〉があり 本殿正面は 海へと向かって続く5つの鳥居が特徴的で 外側の2つは海中に建ち 満潮時にはまるで海に浮かぶ竜宮城のような神秘的な光景が広がります

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

対馬空港から R382号経由 約1.7Km 車5分程度
鷄知住吉神社の社殿 向かって左側の一段高い境内地に鎮座します

和多都美神社Watatsumi Shrine)鷄知住吉神社 境内脇宮に参着

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脇宮境内地は 5段程の石垣が廻された 高い位置にあり 独自に鳥居を構えていて 社殿の大きさこそ違いますが 同格の風すら感じます

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石段を上がり鳥居をくぐります

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祠にすすみます 

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賽銭をおさめ お祈りをします 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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境内地に下りて 振り返り再度一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承

對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています

意訳

貞観12年(870)3月5日 丁巳の条

詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに

對馬嶋(ツシマノシマ)の
正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下

従5位上 
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)
並びに 正5位下

大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)
並びに 従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

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『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

貞観12年(870)の神階の昇叙
論社として「現 和多都美神社(対馬 仁位)」を下縣郡の和多都美神社としています

意訳

和多都美神社

神位 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上

仁位郷 仁位にあり
 今に至り 安曇氏 神主として仕える

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承

論社として 当社「現 和多都美神社(鷄知住吉社 境内社)」を下縣郡の和多都美神社としています

意訳

和多都美神社

和多都美は前に同じ
和多都美は 假(仮)字なり〉

〇祭神 また同じかるべきか 考証云う 海童神
〇今 住吉社 合殿に在す 玉勝間
当郡 和多都美神社 名神大
神位 三代実録 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容

論社として 当社「現 和多都美神社(鷄知住吉社 境内社)」を下縣郡の和多都美神社としています

意訳

和多都美神社
(明細帳に住吉神社へ合祭すとあり)

祭神 底津綿津見神
   津綿津見神
   表津綿津見神

神位 清和天皇 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上
祭日 2月4日
社格 村社
所在 鷄知村 住吉神社境内(住吉神社に合祭す)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

和多都美神社Watatsumi Shrine)鷄知住吉神社 境内脇宮
(hai)」(90度のお辞儀)

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『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る

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對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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