実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

和多都美御子神社(対馬 仁位)

和多都美御子神社(わたつみみこじんじゃ)は 承和7年(840)11月 に官社となり 927年12月編纂『延喜式神名帳には「名神大」として所載される古社です 貞和5年(1349)大宰府より天満宮を勧請し合祀して「天神宮」と称していたので 明治初期に和多都美御子神社と改称したけれども 和多都美としての由緒は無いとしています 

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

和多都美御子神社Watatsumimiko Shrine)
(わたつみみこじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市豊玉町仁位字桜町1416

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(Hikonagisatake Ugayafukiaezu no mikoto
   神武天皇Jimmu tenno)
   應神天皇Ojin tenno)
   菅原道真Sugawara no michizane ko)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社(名神大)

【創  (Beginning of history)】

延喜式内 名神大社 和多都美御子神社

御祭神 鵜茅葺不合尊(うがやふきあへずのみこと)
    神武天皇 應神天皇 菅原道眞公

例祭 旧暦825

 
 当社は 仁明天皇の承和7年に官社となり 延喜式神名帳に名神大と記載された名社である
貞和5年(1349)筑前国大宰府より天満宮を勧請す 後当宮に合せ祭る

当社はもと「天神宮」と称していたもので 明治初期に和多都美御子神社と改称したけれども 和多都美としての由緒は無いのである しかし 天神宮時代の当社は 木坂八幡宮、府内八幡宮に次ぐ社格を有し、その祭禮には藩主の御名代が参詣する名社であった 往年の仁位祭とは和多都美宮でなく天神宮であったのである

境内社
宝満神社 祭神 豊玉姫命 玉依姫命 豊姫命
南護神社 祭神 道主貴命 瀧津島姫命 湍津島姫命 市杵島姫命
新霊神社 祭神 神武天皇御兄弟

境内神社である宝満神社 南護神社 及び 新霊神社の3社を昭和17年氏子の合意に基づき合祀し 社殿を新改築し3尺方1棟とせり

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

【由  (History)】

※参考

和多都美神社(対馬)2019年11月27日 

 
和多都美御子神社のオイリマセ(御入座)旧暦10月30日から旧暦11月1日に日付が変わる頃、先程、出雲から神様が還御されるオイリマセを斎行致しました。仁位には五社の神社が鎮座していますが、仁位でオイリマセを行うのは御子神社のみです。

五社祭11月27日 旧暦11月1日は五社祭が斎行されます。旧暦6月1日に嶽神神社→阿恵神社→和多都美御子神社→濱殿神社→和多都美神社へおくだりされた天神(彦火火出見尊)が、豊玉姫命と過ごされる期間を終えて、元の場所へお上りになる神事です。各神社をまわって大祭式を繰り返します。

和多都美神社 公式FBより
https://www.facebook.com/wamiya.nii/posts/2595969833829657

【境内社 (Other deities within the precincts)】

・宝満神社《主》豊玉姫命 玉依姫命 豊姫命
・南護神社《主》道主貴命 瀧津島姫命 湍津島姫命 市杵島姫命
・新霊神社《主》神武天皇御兄弟

Please do not reproduce without prior permission.

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

浜殿神社Hamadono Shrine)《主》豊玉彦尊Toyotamahiko no mikoto)

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
對馬嶋 上縣郡 波良波神社」の論社です 記事をご覧ください

一緒に読む
濱殿神社(対馬 仁位)

濱殿神社(はまどのじんじゃ)は 仁位川(にいがわ)の河口近くの畔丘にあり「豊玉彦命(とよたまひこのみこと)の御陵慕」との言い伝えがあります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「対馬島 上県郡 波良波神社(はらへの かみのやしろ)」の論社でもあります

続きを見る

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Myojin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Myojin sai)の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦) 

大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに 
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺 
絲(イト)1絇を 布1端に代える

和多都美御子神社 一座  と記されています

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

Please do not reproduce without prior permission.

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 和多都美御子神社(貞・名神大)
[ふ り が な ]わたつみみこの かみのやしろ)(みょうじんだい)
[Old Shrine name]Watatsumi no miko no kamino yashiro)(Myojin dai)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

Please do not reproduce without prior permission.

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

当神社は『延喜式Engishiki)』に所載の論社となっています
それぞれの論社を全てご紹介します

(對馬嶋上縣郡 和多都美御子神社 名神大)

・和多都美御子神社(対馬 仁位)

一緒に読む
和多都美御子神社(対馬 仁位)

和多都美御子神社(わたつみみこじんじゃ)は 承和7年(840)11月 に官社となり 927年12月編纂『延喜式神名帳』には「名神大」として所載される古社です 貞和5年(1349)大宰府より天満宮を勧請し合祀して「天神宮」と称していたので 明治初期に和多都美御子神社と改称したけれども 和多都美としての由緒は無いとしています

続きを見る

・和多都美神社(対馬 仁位)

一緒に読む
和多都美神社(対馬 仁位)

和多都美神社(わたつみじんじゃ)は 伝承によれば 山幸彦(彦火火出見尊)がこの地にたどり着き 豊玉姫命を妃として 3年留まったワタツミノ宮の古跡され 古くから竜宮伝説が残されています 社殿の裏手の深い森には 磐座〈豊玉姫の墳墓〉があり 本殿正面は 海へと向かって続く5つの鳥居が特徴的で 外側の2つは海中に建ち 満潮時にはまるで海に浮かぶ竜宮城のような神秘的な光景が広がります

続きを見る

・胡簶神社(対馬 琴)

一緒に読む
胡禄神社(対馬 琴)

胡禄神社(ころくじんじゃ)は 琴(キン)地区に鎮座し 伝説では 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐への出陣の際 琴崎東沖を過ぎて 御船の碇が海底に沈んだ時に 舵取りの「安曇磯武良(アズミイソラ)」=〈御祭神 磯武良(イソタケラ)〉が 海中に入って 御船の碇を取り上げたと伝わります まさしく海神(わたつみのかみ)を祀ります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社で 「胡禄御子神社」或いは「和多都美御子神社」であるとの説もあります

続きを見る

・海神神社(対馬 木坂)

一緒に読む
海神神社(対馬 木坂)

海神神社(かいじんじんじゃ)は 八幡神が神風を吹かせたと伝わる 木坂の伊豆山の麓に鎮座します 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐より凱旋の折に 対馬で掲げたと伝わる 八旒の旗〈8本の旗〉「振波幡」「切波幡」「振風幡」「切風幡」「豊幡」「真幡」「広幡」「拷幡」ここから 八幡(ヤハタ)が発祥しているとして「八幡信仰の源流」とされ 江戸時代までは「八幡本宮」と号していました 対馬国一之宮であり 由緒正しき古社です

続きを見る

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

対馬空港から 車で約30分程度
対馬市豊玉庁舎から 100m程西にある寶満山へ
境内の入口には 案内板があり 鳥居が建ちます

和多都美御子神社Watatsumimiko Shrine)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をして 鳥居をくぐると 山肌を上る石段が続きます

Please do not reproduce without prior permission.

暫くすると前方上に社殿が見えますが 参道はつづら折りの様に横から回り込みます 途中に鳥居が建ち 扁額には「和多都美御子神社」と刻まれています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

上の檀にも 鳥居が建ち その先に狛犬〈少し変わっています〉 左手には 手水舎 境内社〈3社合祀殿〉があり 再び狛犬〈通常の〉拝殿 本殿とがあります

Please do not reproduce without prior permission.

狛犬〈少し変わっています〉のアップです

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

殿にすすみ
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿の奥に 一段高く本殿が祀られます
深々と一礼をして 社域を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『続日本後紀(shoku nihon koki)』貞観11年(869)に記される伝承

対馬嶋の神々が 官社となると記されています

意訳

承和7年(840)11月 庚辰(8日)

對馬嶋(ツシマノシマ)の
和多都美御子神(ワタツミノミコノカミ)
波良波神(ハラハノカミ)
都都知神(ツツチノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)を 並びに (カンシャ)に (アズ)く 

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

Please do not reproduce without prior permission.

『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

「木坂村にあり 神功皇后の社〈現 海神神社〉の西にあり」と記しています
現在は その位置には祠は見あたりませんが「濱殿御子《合》草葺不合命」として祀られる海神神社の境内社のことかもしれません

意訳

和多都美御子神社

承和7年(840)11月 庚辰(8日) 官社となる

〇三根郷 木坂村にあり 神功皇后の社〈現 海神神社〉の西にあり 応神天皇

〇信友云う 海神(ワタツミ) 又 ワタノ神のこと 大山積の類 されとて タツミノ神社ともあり 渡ツ海の義もあり 

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

Please do not reproduce without prior permission.

『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容

祭神は もともとは 鵜茅葺不合命の一座であると記しています

意訳

和多都美御子神社 名神大

祭神
今 按〈考えるに〉

長崎県 式内式記に祭神 豊玉姫命 鵜茅葺不合命とあるが
もとは 鵜茅葺不合命一座にて坐ますを
和多都美の名によって 豊玉姫命を加えると云えば2座あるは 後人のしわざなり

按〈考えるに〉に 和多都美御子神とあるは 海神の御子神と云う事にて 葺不合命には おはさぬ なるべし
御母は 海神の女なれど その御母について 葺不合命を海神の御子と申すべき謂(イワレ)なければなり

官社 仁明天皇 承和7年(840)11月 庚辰(8日)官社に預かる

祭日 8月25日
社格 村社
所在 仁位村 字 寶満山

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』1 『特選神名牒』2

和多都美御子神社Watatsumimiko Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る

一緒に読む
對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています