実践和學 Cultural Japan heritage

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神明社(春日井市大留)〈『延喜式』乎江神社・大目神社〉

神明社(しんめいしゃ)は 創建年代等不明です しかし『式内社調査報告』に「根據が弱く説得力に乏しい」としながらも 二つの式内社〈①延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)〉の参考論社と記されています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

神明社(Shinmei sha

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

愛知県春日井市大留町5-27-5
〈旧住所 春日井市大留町字溝口1259〉

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天照大御神(あまてらすおほみかみ)
   豊受大神(とようけのおほかみ)
   栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)
   品田別命(ほんだわけのみこと)
   水破乃女命(みづはめのめのみこと)
   素盞嗚命(すさのをのみこと)
   宇賀魂命(うがのみたまのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『式内社調査報告第巻』昭和59年に記される内容

『式内社調査報告』に記される式内社 乎江神社の論社の一つとして 大留村説があり その説では篠木庄下大留村 神明社゛と記しています

大留村 神明社は2社〈子安神明社 ( E1 )・神明社 ( E2 )〉ありとされ

この神明社 ( E2 )が 神明社(春日井市大留)です

【抜粋】

尾張國 春日部郡 乎江神社

【所在】

未詳 (或いは廃絶したものと思はれる。)

當社については、江戸時代以降六社程議論されてゐるが、いづれも式内乎江神社とするには、根據が弱く説得力に乏しい。

〔E〕篠木庄下大留村 神明社(現在の春日井市大留町)

 先述の『尾張國神名帳追繼考』に、神明社の棟札にある乎止村・乎止邑の名がみられることから紹介された主張である。現在大留町には神明社が二社あるが、一社は舊村社の子安神明社 ( E1 )で、社傳では天文十五年 (一五四六) 村瀨氏が大留城内に祀ったのが創祀と傳へてをり、式内社とは言ひ難い。他の一社の神明社 ( E2 )は、創祀は不明と傳へられてゐるのみで、その他については由緖もはっきりしない。乎江神社に關する史料も傳へられてはゐない。又『愛知県の地名』によれば、古文書 (『高藏寺町誌』所収 )に乎止江村と記すものがあると傳へてゐるが、乎止江であって乎江ではない。

【原文】

『式内社調査報告第八巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

【由  (History)】

『式内社調査報告第巻』昭和59年に記される内容

『式内社調査報告』に記される式内社 大目神社の論社の一つとして 大留村説があり その説では下大留村天神を大目神社に比定した゛と記しています

【抜粋】

尾張國 山田郡 大目神社

【論社】

木立英世氏は「式内社大目神社 (山田郡 )の座地の問題」 ( 『郷土文化』40-2 )で、大目神社の候補地として西杉村・守山村・大留村・東志賀村・赤津村の五ケ所を挙げ、各々資料を紹介し説明する。以下それを参考に若干の説明を加へてみることとする。

③大留村説 (春日井郡大留村、現春日井市大御町 )

 津田正生が『尾張神名帳集説乃訂考』の中で 野々部茂富の意見として紹介する説である。大留(おほどめ)村は元大の目の轉聲と考へ、下大留村天神を大目神社に比定した。下大留村は春日井郡篠木庄に位置する村で、庄内川右岸にある。

 明治初年の『尾張國式社座地目錄』(名古屋市史資料本、名古屋市鶴舞中央図書蔵)では大目神社の候補地を赤津村、下大留村・守山村の三ヶ村を揭げ、赤津村と下大留村を實地に調査した赤丸印を附記する。『特選神名牒』は赤津村説を支持し、下大留村説は春日部郡である所より否定してゐる。

【原文】

『式内社調査報告第八巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・親王塚古墳

親王塚古墳(しんのうづかこふん)

 親王塚古墳は神明神社境内地(大留町5丁目27・5)にあり、庄内川右岸に臨む段丘春日井面の末端・標高約三二mに立地しています。

 昭和四四年に発掘調査が行われ、墳丘は直径約一五mの円墳と推定され、主体部として横穴式石室が確認されています。調査後は、原位置において復元保存されました。

 石室内からは、玄室奥壁際から奥壁付近を中心に頭骨の一部のほか、副葬品として須恵器(蓋杯五点・広口壺二点・平瓶一点)・金環三点・鉄鏃・刀子などが出土しています。出土遺物から古墳は六世紀中葉に築造され、後葉にかけて複数の人物が埋葬されたと推定されます。

 古墳の名称は宗良(むねよし)または護良(もりよし)親王(後醍醐天皇の皇子)の遺品を埋葬したとの地元伝承に由来していますが、古墳の築造時期とは一致しないため、直接の関連はなく、被葬者は不明です。

春日井市教育委員会

現地案内板より

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・神明神社元宮跡〈神明社(春日井市大留)旧鎮座地〉

庄内川の北岸にあります
洪水などの為に現在地に移転したのでしょうか?

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

神明社(春日井市大留)は 二つの式内社の論社となっています

①延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社
②延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社

①延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)春日部郡 12座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 乎江神社
[ふ り が な ](をえの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Woe no kaminoyashiro

②延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)山田郡 19座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 大目神社
[ふ り が な ](おほめの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ohome no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)〈廃絶〉の論社について

延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社は〈廃絶〉と伝わっていますが 江戸時代以降 6社程の論社が議論されています いずれも根拠が乏しく確定はしていません

・廃絶と伝えられ 祭祀を継承した神社は明らかではない

・〈参考論社〉八所社(小牧市本庄郷浦)

・〈参考論社〉熊野社〈熊野神社の五枚岩〉(小牧市岩崎独山)

・〈参考論社〉天神神社(小牧市三ツ淵宮前)

・〈参考論社〉八幡社(瀬戸市水北町)

・〈参考論社〉神明社(春日井市大留)

一緒に読む
神明社(春日井市大留)〈『延喜式』乎江神社・大目神社〉

神明社(しんめいしゃ)は 創建年代等不明です しかし『式内社調査報告』に「根據が弱く説得力に乏しい」としながらも 二つの式内社〈①延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)②延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)〉の参考論社と記されています

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・〈参考論社〉六所神社(名古屋市西区比良)
〈本殿の両脇に2つの式内論社・非多神社・ 大江神社〉

『延喜式神名帳』〈927年12月編纂〉に所載される「大目神社(おほめの かみのやしろ)」の論社について

延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)の論社について

・大目神社(瀬戸市巡間町)

一緒に読む
大目神社(瀬戸市巡間町)〈『延喜式』大目神社〉

大目神社(おおめじんじゃ)は 鎮座地が古くは「大目森」とも「御守塚」とも呼ばれていたので神社の名称が大目神社となったと云われています 創建年代は不祥ですが 奈良時代に遡るとも云い 延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)の論社となっています

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・神明社・八幡宮(明治39年(1906)合殿)杉の宮神社(名古屋市北区中杉町)
〈西杉村の大日堂が式内社の論社⇒現在の境内社 合殿の大日社〉

一緒に読む
神明社・八幡宮合殿(名古屋市北区中杉町)〈『延喜式』大目神社〉

神明社・八幡宮合殿(しんめいしゃはちまんしゃあいどの)は 神明社はこの地に寛永七年(1630)創建 八幡社〈天文一〇年(1541)杉村字八幡越に勧請〉は清水小学校開校に伴い敷地に充てるため明治39年(1906)奉還合祀 又 境内社合殿の大日社は 延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)の論社です

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・〈参考論社〉神明社(春日井市大留)
〈下大留村の天神が式内社の論社〉

一緒に読む
神明社(春日井市大留)〈『延喜式』乎江神社・大目神社〉

神明社(しんめいしゃ)は 創建年代等不明です しかし『式内社調査報告』に「根據が弱く説得力に乏しい」としながらも 二つの式内社〈①延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)②延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)〉の参考論社と記されています

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・天目社(尾張国春日井郡東志賀村)〈所在不明〉
〈現(名古屋市北区志賀町)だが 該当神社なし 所在不明〉『尾張志(1844年)』には記載あり

・社名不明(名古屋市守山区のどこか)〈所在不明〉

延喜式内社 佐渡國 羽茂郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)の論社について

・大目神社(佐渡市吉岡)〈佐渡國二之宮〉

一緒に読む
大目神社(佐渡市吉岡)〈『延喜式』大目神社・佐渡國二之宮〉

大目神社(おおめじんじゃ)は 延喜式内社 佐渡國 羽茂郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)で 佐渡國二之宮とされる由緒ある古社です 創建年代など不祥ですが 『佐渡志』に「徳治二年(1307)七月 吉岡地頭本間遠江守 この社を修理せし時の棟札は今も残れり」とあります

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR中央西線 神領駅から東方向へ約2.0km 車での所要時間は5~6分程度

庄内川の北岸から300m程 社殿 境内 社頭は南を向いています

神明社(春日井市大留)に参着

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一礼をして鳥居をくぐり抜けて白砂利の敷詰められた参道を進みます

拝殿にすすみます

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拝殿の奥には一段高い壇があり 拝所 その奥に本殿 両脇に境内社が祀られています

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石段を上がり拝所にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝所の向かって右側には〈境内社〉豊川稲荷の案内があります

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本殿の向って右側に〈境内社〉豊川稲荷が祀られています

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拝所の向かって左側には〈境内社〉津島神社の案内があります

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本殿の向って左側に〈境内社〉津島神社が祀られています

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 乎江神社について 祭神 所在は良くわからないと記しています

【抜粋意訳】

乎江神社

乎江は假字也

○祭神在所等詳ならず

 上田百木は、國帳魚江  一本宇江とあるに依るときは宇乎江にて、互に一字脱せるかと云り、〔連胤〕按るに、當國山田郡 別小江神社もあれば、必脱字にはあるべからず、

類社
 近江國淺井郡、但馬國城崎郡 小江神社、

神位
 國内神名帳云、從三位 乎江天神、 〔一本作ニ 宇江、又 作ニ 魚江、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

式内社 大目神社について 所在は゛祭神在所等詳ならず゛〈所在は不明〉と記しています

【抜粋意訳】

大目神社

大目は於保女と訓べし

○祭神在所等詳ならず

 考證に物部目連、』集大眞連云々と云る共に推當の

類社
 佐渡國 羽茂郡 大目神社

神位
 國內神名帳云、從三位大目天神、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 乎江神社について 論社とされているが難しいとして゛本庄村に八所明神あ゛〈現 八所社(小牧市本庄郷浦)〉を記しています

【抜粋意訳】

乎江(ヲエノ)神社、

〔○按 乎江、本書一本、宇江に作り、國内神名帳一本、魚江に作る、之に據、乎江疑らくは宇乎江の誤りならむ○又 本庄村に八所明神あ 山を宇江山と云ひ、社の左の小川を宇江川と云ふは、由縁あるに似たれど、社傳に建武中の建立と云へは、いと新しく証とし難し、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

式内社 大目神社について 所在は゛ 山田庄赤津村八王子社、即是也゛〈現 大目神社(瀬戸市巡間町)〉と記しています

【抜粋意訳】

大目神社、

 山田庄赤津村八王子社、即是也、〔尾張國式社確定○按 本社に本國神名帳古寫本一巻あり、抜文に奉納 大目八王子宮と云る、証とすべし

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 乎江神社について 所在は記されていません しかし 論社として推定できる幾つかを挙げています
本庄村 八所明神゛〈現 八所社(小牧市本庄郷浦)〉
下大留村なる神明社゛〈現 神明社(春日井市大留)〉
上水野字江山八幡社゛〈現 八幡社(瀬戸市水北町)〉

【抜粋意訳】

乎江(ヲエノ)神社

祭神
祭日
社格

所在

 今按 此社は本庄村 八所明神にて其山を宇江山社の左の小川を宇江川と云へど 社傳に建武年中 肥前 松浦讃岐守建立とあれば 式社にはあるべからず

 篠本庄 下大留村なる神明社と云るもなし
 上水野字江山八幡社と云説あれど は古への山郡なれば從ひがたし
姑く附て考に備ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 大目神社について 所在は゛山田庄赤津村〔今屬 春日井郡〕(東春日井郡赤津村)゛〈現 大目神社(瀬戸市巡間町)〉と記し

又゛下大留村神明ならんと云説もあれど この所は春日部郡なれば信がたし゛〈現 神明社(春日井市大留)〈下大留村の天神が式内社の論社〉〉も挙げています

【抜粋意訳】

大目(オホメノ)神社

祭神
祭日
社格 村社

所在 山田庄赤津村今屬 春日井郡(東春日井郡赤津村)

 今按 この地 往昔は山田郡なり邑民 大目森 又 御守塚と云ひ 内陣に本國帳の古冩卷物ー卷あり その奧書に奉納 大目八王子宮と記せるなど證とすべし 然るを下大留村神明ならんと云説もあれど この所は春日部郡なれば信がたしと云り

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

神明社(春日井市大留) (hai)」(90度のお辞儀)

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尾張国 式内社 121座(大8座・小113座)について に戻る

一緒に読む
尾張國 式内社 121座(大8座・小113座)について

尾張国(おわりのくに・をはりのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 尾張国には 121座(大8座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています