実践和學 Cultural Japan heritage

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六所神社(名古屋市西区比良)〈『延喜式』非多神社・乎江神社〉

六所神社(ろくしょじんじゃ)は 創建年代は不祥 本殿の両脇にある2つの境内社(・非多神社・ 大江神社)が式内論社とされていて〈①延喜式内社 尾張國 春日部郡 非多神社(ひたの かみのやしろ) ②延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ) 二つの式内社の論社となっています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

六所神社(Rokusho shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

愛知県名古屋市西区比良3-154

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

六所神社
《主》伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
   伊弉冊尊(いざなみのみこと)

《配》大日孁尊(おほひるめのみこと)
   (つつきよみのみこと)
   蛭児尊(ひるこのみこと)
   素盞嗚尊(すさのをのみこと)

六所神社 本殿の両脇にある2つの境内社(・非多神社・ 大江神社)が式内論社

大江神社
《主》木花開夜姫命(このはなさくやひめのみこと)

非田神社
《主》國常立尊(くにとこたちのみこと)
   天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
六所神社 本殿の両脇にある2つの境内社(・非多神社・ 大江神社)が式内論社

【創  (Beginning of history)】

『西春日井郡誌』大正12年(1923)〉に記される内容

【抜粋意訳】

第十二章 社寺 第二節 神社 村社 六所社

六所社、•山田村大字比良字宮裏二千六百七十六番地にあり、

祭神 伊弉諾尊伊弉冊尊大日孁尊素盞嗚尊蛭児尊を祀れる村社なり。

創始年月詳ならず、

大正八年四月十日境內に在りし津島社、同字飛多野に鎭座の非多神社、同安野市塲鎭座の山神社、帥勝村久地野に鎭座の無格社を合祀す、

境內二百十三坪老樹多く社殿と拜殿とあり。

現今 境內神社には、
非多神社(祭神 天御中主命、大八崎命、天香山命、菅原道眞。當社は明治十六年五月四日  天神社といひしを改稱す)
山神社(祭神 大山祇命、武雷命、伊弉諾尊
大江社(祭神 木花開夜姫)あり、
例祭は十月一日とす。

【原文参照】

愛知県西春日井郡 編『西春日井郡誌』,愛知県西春日井郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978660

【由  (History)】

沿革

この地は昔 非多とか呼ばれ 何時の頃からか比良となり 室町時代には尾張国山田郡山由庄に属し 江戸時代は春日井郡比良村と呼ばれ 明治十三年春日井郡は東西に分かれ 西春日井郡に属し 明治三十九年近村と合併し山田村大字比良となり 主として農業地帯であ
昭和三十月名古屋市に合併し 西区山田町大字比良となり宅地化が進み 無秩序な発展は将来に禍根を残す虞れがあり 地主三百三十余名相計り 建全なる市街化を図るため街路築造 公園設置 家屋移転 電気瓦斯水道の移設新設等の宅地整理事業を施行しました
昭和五十六日名古屋市の換地処分広告があり 山田町大字比良字渋池外三十三字が消滅し 比良一丁目 二丁目 三丁目 四丁目 花原 砂原 清里 玉池の八町と一部が大野木五丁目 宝地 二方の三町に分属し しい町名地番になりました

現地石碑文より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

六所神社 本殿

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六所神社 本殿の両脇にある2つの境内社(・非多神社・ 大江神社)が式内論社

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〈本殿向かって右 境内社大江神社《主》木花開夜姫命

延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)

『式内社調査報告第巻』昭和59年に記される内容

『式内社調査報告』に記される式内社 乎江神社の論社の一つとして 久地野大江神社説があり その説では久地野大江神社〔現在は名古屋市西区比良に鎮座する村社 六所・神社に合祀されてゐる。合祀は大正八年四月〕゛〈現 六所神社(名古屋市西区比良)〉と記しています

【抜粋】

尾張國 春日部郡 乎江神社
【所在】

未詳 (或いは廃絶したものと思はれる。)

當社については、江戸時代以降六社程議論されてゐるが、いづれも式内乎江神社とするには、根據が弱く説得力に乏しい。

〔F〕久地野大江神社〔現在は名古屋市西区比良に鎮座する村社 六所・神社に合祀されてゐる。合祀は大正八年四月〕

 『追繼考』に「比良村ゴンゲン社を乎江神社也といふ 社説ハ大江神社と申也」と紹介されてゐる。又 師勝町高田寺町田家所藏の『六郷神社由緖記 一卷』(元禄十年 町田利政著)には「比良 大江神社 村ヨリ五丁許リ北ノ方戌亥ニ坐ス南面ナリ當社 森ノ腰西ノ方ニ 江川有リ 此江ハ往昔 人皇五十一代平城天皇 大同年中ノ此ハ 此江木曾川筋ノ由 古老ノ申傳ナリ 此江ニ 附テ坐ス神社故ニ 大江ノ社卜云カ 又 云ク當社ノ森卜川卜合テ森川トモ云 古ヘ森川ノ庄名 是ヲ始トスルノ由 當社ノ舊キコト八百五十餘ニ成ノ由 當社ノ祠官 代々ノ傳ナリ    延喜式神名帳ニ載 春日部郡 乎江神社者是歟」とある。

この大江神社は御祭神に木花咲屋媛命を祀る富士浅間神社である。

當社勧請の由を『由緖記』は、「當社勧請之歳月未詳 傳テ云リ 人皇五十四代仁明天皇ノ承和年中 當社ノ祠官 町田某カ祖當郷 城主祈禱ノ爲メ故有テ 駿刕富士大明神ヘ参詣致シ故有テ 此地ニ浅間大明神ヲ勧請致テ 當郷城主並 近郷人民等 富士信仰ノ簞へ當社ノ牛王ヲ廣ハムルノ由 往昔ノ牛王板テ今在ス (以下略 )」と記してゐるが、 勧請の時期や由緖は、明らかに後世作られたものであり、中世あたりに浅間社を勧請したものと思はれ、式内呼江神社とは考へ難い。

・〈本殿向かって左 境内社〉非田神社《主》国常立尊,天御中主尊

延喜式内社 尾張國 春日部郡 非多神社(ひたの かみのやしろ)

『式内社調査報告第巻』昭和59年に記される内容

『式内社調査報告』に記される式内社 非多神社の論社として゛゛〈現 六所神社(名古屋市西区比良)〉と記しています

【抜粋】

尾張國 春日部郡 非多(ヒタノ)神社
【所在】

 名古屋市西區比良三丁目一五四番地 (西春日井郡山田村大字比良村字宮裏二、六七六番 )にある六所神社の境内社

【由緒】

 創祀等については不詳である。六所神社の舊社家 町田家古文書に、『六郷神社由緖ー卷』(元祿十年)、三十七世之祖 町田利政書との表紙がみられ、そのなかに、非田神社がみられる。
・・・
・・・〈中略〉
・・・

 非多神社は、現社地より別の場所に鎭座してをり、本殿・拜殿を備へてゐたらしい。現在は、名古屋市内に編入され、都市化が激しく、人々の流出入も多く、昔日の面影もみられない。德川林政史研究所の所藏の「比良村古繪圖」に、「天神ノ森」がみられる。しかし、大正八年に堤防改修の為に現在地に遷座された。「比良村古繪圖」を参考にすると、その地は、三〇二號國道の地蔵川原高架橋のあるあたりから北にー八〇メートルの地點と推定される。 

【原文】

『式内社調査報告第八巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

六所神社 拝殿・透塀

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六所神社 拝殿

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六所神社 祭文殿

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本殿向って右 境内社3社〈右から・金峯ノ社・社宮司ノ社・天王ノ社

・〈境内社〉金峯ノ社《主》安閑天皇
・〈境内社〉社宮司ノ社《主》保食神
・〈境内社〉天王ノ社《主》素盞嗚尊・稲田姫命・八王子

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本殿向って左 境内社2社〈右から・渕嶋神社(山ノ神社)・御嶽社

・〈境内社〉渕嶋神社(山ノ神社)《主》大山祇命・伊弉諾尊・建御雷命
・〈境内社〉御嶽社《主》大己貴命・少彦名命

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・蕃塀

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・鳥居

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

六所神社(名古屋市西区比良)本殿の両脇に2つ〈境内社〉があり それぞれ式内論社・非多神社・ 大江神社があります

①〈本殿向かって左 境内社 非多神社〉式内社 非多神社
②〈本殿向かって右 境内社 大江神社〉式内社 乎江神社

①〈本殿向かって左 境内社 非多神社〉式内社 非多神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)春日部郡 12座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 非多神社
[ふ り が な ](ひたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Hita no kaminoyashiro

②〈本殿向かって右 境内社 大江神社〉式内社 乎江神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)春日部郡 12座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 乎江神社
[ふ り が な ](をえの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Woe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 尾張國 春日部郡 非多神社(ひたの かみのやしろ)の論社について

・六所神社(名古屋市西区比良)
〈本殿の両脇に2つの式内論社・非多神社・ 大江神社 その内の・非多神社〉

一緒に読む
六所神社(名古屋市西区比良)〈『延喜式』非多神社・乎江神社〉

六所神社(ろくしょじんじゃ)は 創建年代は不祥 本殿の両脇にある2つの境内社(・非多神社・ 大江神社)が式内論社とされていて〈①延喜式内社 尾張國 春日部郡 非多神社(ひたの かみのやしろ) ②延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)〉 二つの式内社の論社となっています

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・〈参考論社〉三明神社(小牧市林北)

延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)〈廃絶〉の論社について

延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社は〈廃絶〉と伝わっていますが 江戸時代以降 6社程の論社が議論されています いずれも根拠が乏しく確定はしていません

・廃絶と伝えられ 祭祀を継承した神社は明らかではない

・〈参考論社〉八所社(小牧市本庄郷浦)

一緒に読む
八所社(小牧市本庄郷浦)〈『延喜式』乎江神社〉

八所社(はっしょ しゃ)は 鎮座地の本庄は味岡庄の中心という意味で 味岡庄の総氏神として祀られてきました 天正3年(1575)に平戸松浦肥前守の舎弟 松浦勝政が京都の御霊社を合祀して八所社と名づけて再建したと伝えられます 延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社となっています

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・〈参考論社〉熊野社〈熊野神社の五枚岩〉(小牧市岩崎独山)

一緒に読む
熊野社〈熊野神社の五枚岩〉(小牧市岩崎独山)〈『延喜式』乎江神社〉

熊野社(くまのしゃ)は 『式内社調査報告』に「神社明細帳によれば、社傳として創祀を景行天皇十四年と傳へ『尾張太古圓』(信憑性が極めて低い史料)に岩崎の名があるとして岩崎村の熊野社を乎江神社と主張してゐる」とあり延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社です 境内の〈熊野神社の五枚岩〉が有名です

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・〈参考論社〉天神神社(小牧市三ツ淵宮前)

一緒に読む
天神神社(小牧市三ツ淵宮前)〈『延喜式』乎江神社〉

天神神社(てんじんじんじゃ)は 以前は三淵の南方にあり 古來 菅生天神と稱されたが 水害の爲め移転 明治元年再び今の地に遷座 『式内社調査報告』に「『尾張國神名帳追繼考』(明治三年)三淵村天神社(現在の小牧市三ッ淵宮前)を乎江神社とする説」があり 延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社です

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・〈参考論社〉八幡社(瀬戸市水北町)

一緒に読む
八幡神社(瀬戸市水北町)〈『延喜式』乎江神社〉

八幡神社(はちまんじんじゃ)は 創建年代は不祥 延宝四年(1676)尾張藩主乙世光友の再建と伝わり 『尾張志』に「上水野村の八幡社は境内ひろく 其地を字江の山日呼ひ 東に隣れる藥師堂法松院の山號を上(ウヘ)之山といへるも宇江の轉したる由」と延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社としています

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・〈参考論社〉神明社(春日井市大留)

一緒に読む
神明社(春日井市大留)〈『延喜式』乎江神社・大目神社〉

神明社(しんめいしゃ)は 創建年代等不明です しかし『式内社調査報告』に「根據が弱く説得力に乏しい」としながらも 二つの式内社〈①延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)②延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)〉の参考論社と記されています

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・〈参考論社〉六所神社(名古屋市西区比良)
〈本殿の両脇に2つの式内論社・非多神社・ 大江神社〉

一緒に読む
六所神社(名古屋市西区比良)〈『延喜式』非多神社・乎江神社〉

六所神社(ろくしょじんじゃ)は 創建年代は不祥 本殿の両脇にある2つの境内社(・非多神社・ 大江神社)が式内論社とされていて〈①延喜式内社 尾張國 春日部郡 非多神社(ひたの かみのやしろ) ②延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)〉 二つの式内社の論社となっています

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR城北線 比良駅から北西方向へ約600m 車での所要時間は2~5分程度

社殿 境内 社頭は東を向いています
社頭には 市バス「比良(ひら)」のバス停があります

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六所神社(名古屋市西区比良)に参着

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一礼をして鳥居をくぐると すぐに蕃塀があり 祭神名が記されています

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回り込むと祭文殿があります

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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中央に本殿 その両脇には2つの境内社(・非多神社・ 大江神社)が式内論社〉が祀られています

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本殿と2つの境内社(・非多神社・ 大江神社)が式内論社〉は拝殿奥の透塀の内に祀られています
社殿の両脇には さらに境内社が祀られています

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 非多神社について 所在・祭神など不明と記し
論社として゛味岡庄林村有稱 卑田地゛〈現 三明神社(小牧市林北)〉とする説を挙げています

【抜粋意訳】

非多神社

非多は假字也

○祭神在所等詳ならず

○味岡庄林村有稱 卑田地、〔集

類社
 越後國頸城郡 斐太神社、出雲國秋鹿郡 日田神社、

神位
 國内神名帳云、從三位非多天神、(一非作卑、或作樋田、一作田)

式内社 乎江神社について 祭神 所在は良くわからないと記しています

【抜粋意訳】

乎江神社

乎江は假字也

○祭神在所等詳ならず

 上田百木は、國帳魚江  一本宇江とあるに依るときは宇乎江にて、互に一字脱せるかと云り、〔連胤〕按るに、當國山田郡 別小江神社もあれば、必脱字にはあるべからず、

類社
 近江國淺井郡、但馬國城崎郡 小江神社、

神位
 國内神名帳云、從三位 乎江天神、 〔一本作ニ 宇江、又 作ニ 魚江、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 非多神社について 所在は゛ 味岡庄林にあり゛〈現 三明神社(小牧市林北)〉と記しています

【抜粋意訳】

非多神社、

 味岡庄林にあり、
〔國内帳集説、式社考、○按 村中地名 稗田と云ふ處あり、即是なり、

式内社 乎江神社について 論社とされているが難しいとして゛本庄村に八所明神あ゛〈現 八所社(小牧市本庄郷浦)〉を記しています

【抜粋意訳】

乎江(ヲエノ)神社、

〔○按 乎江、本書一本、宇江に作り、國内神名帳一本、魚江に作る、之に據、乎江疑らくは宇乎江の誤りならむ○又 本庄村に八所明神あ 山を宇江山と云ひ、社の左の小川を宇江川と云ふは、由縁あるに似たれど、社傳に建武中の建立と云へは、いと新しく証とし難し、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 非多神社について 所在・祭神など未記入ですが
論社として゛本社所在 里人の申傳に林村字平野と云所に天神社ありしが  廃して三明神相殿にまして゛〈現 三明神社(小牧市林北)〉とする説を挙げています

【抜粋意訳】

非多神社

祭神
社格
祭日

所在
 今按 本社所在 里人の申傳に林村字平野と云所に天神社ありしが  廃して三明神相殿にまし 其趾に山神の小祠ありと云れど  村中に非多と地名もなく たしかなる證もあらねば 猶考へて決むべし

式内社 乎江神社について 所在は記されていません

しかし 論社として推定できる幾つかを挙げています
本庄村 八所明神゛〈現 八所社(小牧市本庄郷浦)〉
下大留村なる神明社゛〈現 神明社(春日井市大留)〉
上水野字江山八幡社゛〈現 八幡社(瀬戸市水北町)〉

【抜粋意訳】

乎江(ヲエノ)神社

祭神
祭日
社格

所在
 今按 此社は本庄村 八所明神にて其山を宇江山社の左の小川を宇江川と云へど 社傳に建武年中 肥前 松浦讃岐守建立とあれば 式社にはあるべからず

 篠本庄 下大留村なる神明社と云るもなし
 上水野字江山八幡社と云説あれど は古への山郡なれば從ひがたし
姑く附て考に備ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

六所神社(名古屋市西区比良) (hai)」(90度のお辞儀)

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尾張国 式内社 121座(大8座・小113座)について に戻る

一緒に読む
尾張國 式内社 121座(大8座・小113座)について

尾張国(おわりのくに・をはりのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 尾張国には 121座(大8座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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  • B!

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています