実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

大鳥北濱神社(堺市)

大鳥北浜神社(おおとりきたはまじんじゃ)は 大鳥五社とも呼ばれる いずれも「大鳥(otori)」を冠している五つの神社の1社です  和泉国大鳥郡(大阪府堺市周辺)の式内社で ご祭神は「日本武尊(yamato takeru no mikoto)」の后神の一柱「吉備穴戸武媛命(kibino anato takehime no mikoto)」を祀ります

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

  大鳥北濱神社(otori kitahama shrine)
 (おおとりきたはまじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

 【鎮座地 (location) 】

 大阪府堺市西区浜寺元町3丁239

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》吉備穴戸武媛命(kibino anato take hime no mikoto:日本武尊の妃)

【御神格 (God's great power)】

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
大鳥五社大明神

【創 建 (Beginning of history)】

社伝によれば 慶雲3年(706)社殿 造営
この時「五社大明神」の三后を祀る三社が同時に創建

【由 緒 (history)】

 場所の移転はないが、明治六年に大鳥鍬靭神社から改称した。

大鳥大社公式HP

【境内社 (Other deities within the precincts)】

 なし

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)和泉国 62座(大1座・小61座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)大鳥郡 24座(大1座・小23座)

[名神大 大 小] 式内小社 鍬(suki)靫(yugi)

[旧 神社名 ] 大鳥神社

[ふ り が な  ](おほとりの かみのやしろ)
[How to read ](ohotorino kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

御祭神「吉備穴戸武媛命(kibino anato takehime no mikoto:日本武尊の妃)」について

ご祭神は「日本武尊(yamato takeru no mikoto)」の后神の一柱です

「吉備」と冠することから吉備氏との関連が考えられますが
日本武尊の従者として蝦夷討伐に赴いた吉備(臣)武彦(キビノオミタケヒコ)の娘または妹です

日本武尊(yamato takeru no mikoto)の第2妃とされ 
「武卵王(take kaiko no kimi)」(讃岐綾君の祖)
「十城別王(tokiwake no kimi)」(伊予別の祖)を生んだとされています

吉備の里では
・「穴戸山(anatoyama)神社」(岡山県倉敷市真備町)に御祭神「穴戸武姫命(anato takehime no mikoto)」として祀られています
「穴戸山(anatoyama)神社」の記事もご覧ください

一緒に読む
穴門山神社(倉敷市真備町妹)

穴門山神社(あなとやまじんじゃ)は 日本武尊(yamatotakeru no mikoto)の妃「穴門武媛命(anato takehime nomikoto)」を御祭神としています 古代 児島半島の北側に広がる岡山平野にかつて存在した海「吉備の穴海」を「高山(koyama)」の頂上から見守り続けていたのでしょうか? 

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

浜寺公園駅から 約850m 徒歩11分程度
判り易い道順としては 駅南の28号を東へ 浜寺元町5丁交差点を左折約400m北上したあたり 右手の住宅街に鎮座します

大鳥北濱神社(otori kitahama shrine)に到着

境内の手前の道路(参道)に鳥居が建っています

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鳥居の先に道が横切っていて そこに境内の入口があります

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社号標「大鳥北濱神社」とあり 狛犬・灯籠とあり「注連縄柱」が配置されています

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境内入口「注連縄柱」横には 別の社号標が建っています「官弊大社大鳥神社御旅所(昭和5年5月5日建之)」とあります これは「戦前までは 現在の浜寺公園内の御旅所に建てられていたが 戦後 進駐軍が公園を接収したため この社号標のみをかろうじて移動させた」とあります

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境内入口の左側(西側)には「手水舎」がありますが 水はありません
一礼して「注連縄柱」をくぐります その先の参道正面には 南南西向きに社殿が建っています

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周囲は鬱蒼とした静かな杜になっています その中にある石畳の参道を進みます

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拝殿にすすみます 注連縄の先 御神紋は「鳳凰」と「菊花紋」があります

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の傍らの石板には「大鳥大社 摂社 北浜神社 御造営奉賛者 芳名 順不同」とあり 社殿造営に奉賛された方々が記されています

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御本殿は 御垣塀に囲まれてよく見えませんが 千木(内削ぎ)で水平です 女神だからと想いましたが 拝殿は千木(外削ぎ)です だから 御神紋も二つあるのだろうか? と悩みながら境内を後にします

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鬱蒼とした境内は 当地の神域としての古さが感じられ 参道を戻り「注連縄柱」をくぐり 振り返り一礼

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『古事記(kojiki)』「倭建命(yamatotakeru no mikoto)の子孫・系譜」にある伝承

「倭建命(yamatotakeru no mikoto)」の妃(hi)と子が記されています

御祭神の「穴門武媛命(anato takehime nomikoto)」は
    「大吉備建比売(okibi no takehime)」と記されています

意訳

「 また吉備の臣建日子(kibi no omi takehiko)の妹 大吉備建比売(okibi no takehime)を娶して お生みになられた御子は 建貝児王(takekaiko no miko)お一方です 」

【原文参照】『古事記』刊本 ,明治03年選者:太安万侶/校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブ
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『大鳥太神宮 并 神鳳寺縁起帳』に記される伝承

現在の「大鳥北濱神社(otori kitahama jinja)」が
   「鍬靫社(suki yugi no yashiro)」と記されています

【原文】『大鳥太神宮并神鳳寺縁起帳』(作成年)延喜22年 写本 [旧蔵者]編修地志備用典籍 国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000040485&ID=&TYPE=&NO=画像利用

大鳥五社(otori gosha)について

大鳥五社大明神とも呼ばれ いずれも和泉国大鳥郡(大阪府堺市周辺)の式内社で「大鳥(otori)」を冠する五つの神社の総称です
大鳥大社の御祭神「日本武尊(yamato takeru no mikoto)」を中核として 境内外の摂社で構成されます 残る4社の内 3社では「日本武尊の妃神を一柱ずつ奉斎」1社では祖神「天照大神」を祀ります

※それぞれの神社の記事をご覧ください

大鳥大社   【和泉國大鳥郡 大鳥神社 名神大 月次新嘗】
《主》日本武尊(yamato takeru no mikoto)

一緒に読む
大鳥大社(堺市西区鳳北町)〈延喜式内社 名神大社・和泉国一之宮〉

大鳥神社(おおとりじんじゃ)は 和泉国一之宮です 延長5年(西暦927年)に完成した『延喜式神名帳』所載の名神大社(霊験特に著しい神社)です ご祭神「日本武尊(yamato takeru no mikoto)」の御霊が 白鳥となり舞い降りた聖地として まさしく大鳥(otori)の由来をもちます

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➁大鳥美波比神社【和泉國大鳥郡 大鳥美波比神社】【和泉國大鳥郡 押別神社】
《主》天照大神(amaterasu okami)

一緒に読む
大鳥美波比神社(大鳥大社 境内)

大鳥美波比神社(おおとり みはひじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に所載され 又 大鳥大社を筆頭とした「大鳥五社大明神」の一つで 由緒正しい神社です 御祭神の天照大神(amaterasu okami)が 「鳳」と化して降臨をしたとする由来があり まさしく「大鳥(otori)」あるいは「鳳(otori)」にふさわしい伝承を持ち 大鳥大社 境内に坐ます

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大鳥北濱神社 【和泉國大鳥郡 大鳥神社 鍬靫】
《主》吉備穴戸武媛命(kibino anatotake hime no mikoto:日本武尊の妃)

一緒に読む
大鳥北濱神社(堺市)

大鳥北浜神社(おおとりきたはまじんじゃ)は 大鳥五社とも呼ばれる いずれも「大鳥(otori)」を冠している五つの神社の1社です  和泉国大鳥郡(大阪府堺市周辺)の式内社で ご祭神は「日本武尊(yamato takeru no mikoto)」の后神の一柱「吉備穴戸武媛命(kibino anato takehime no mikoto)」を祀ります

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大鳥羽衣濱神社【和泉國大鳥郡 大鳥濱神社 鍬】
《主》両道入媛命(futajino irihime no mikoto:日本武尊の妃)

一緒に読む
大鳥羽衣濱神社(高石市羽衣)

大鳥羽衣濱神社(おおとりはごろもはまじんじゃ)は 羽衣をまとう天女を連想させるような神社名を持ちます 御祭神は 大鳥大社に祀られている「日本武尊」の后神で 仲哀天皇の皇太后となる「両道入姫皇女」が祀られています また 当社は江戸時代には 井戸守明神といわれていて 社殿前にある井戸から上がる水は神水として尊ばれたと伝わります

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大鳥井瀬神社【和泉國大鳥郡 大鳥井瀬神社】
《主》弟橘姫命(ototachibana hime no mikoto:日本武尊の妃)

遷座
住吉 大鳥 両大社 宿院頓宮 (住吉大社・大鳥大社 両大社の御旅所)

住吉 大鳥 両大社宿院頓宮(sumiyoshi ohotori ryotaisha shukuintongu)は 摂津国一之宮「住吉大社」と和泉国一之宮「大鳥神社」の両大社(両社ともに 一之宮)の御旅所とされています 1つの社殿に・住吉大社に所縁のある「波除住吉神社」・大鳥大社に所縁のある「大鳥井瀬神社」が 両大社に所縁ある神社として祀られています 境内の飯匙堀(iigaibori)は 水のない空堀ですが 住吉大社の神功皇后にまつわる伝説などがあります 

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ご祭神は「日本武尊(yamato takeru no mikoto)」の后神の一柱「吉備穴戸武媛命(kibino anato takehime no mikoto)」を祀ります
大鳥五社とも呼ばれ 和泉国大鳥郡(大阪府堺市周辺)の式内社です いずれも「大鳥(otori)」を冠する五つの神社の1社です

大鳥北濱神社(otori kitahama shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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和泉国 式内社 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))について に戻る   

一緒に読む
和泉国 式内社 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))について

和泉國(いづみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている官社〈延喜式内社〉の事で 和泉国には 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))の神々が 坐します

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