実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

大鳥羽衣濱神社(高石市羽衣)

大鳥羽衣濱神社(おおとりはごろもはまじんじゃ)は 羽衣をまとう天女を連想させるような神社名を持ちます 御祭神は 大鳥大社に祀られている「日本武尊」の后神で 仲哀天皇の皇太后となる「両道入姫皇女」が祀られています また 当社は江戸時代には 井戸守明神といわれていて 社殿前にある井戸から上がる水は神水として尊ばれたと伝わります

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

  大鳥羽衣濱神社(otori hagoromohama shrine)
 (おおとりはごろもはまじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

 【鎮座地 (location) 】

大阪府高石市羽衣5-2-6

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》両道入姫皇女(futaji irihime no mikoto)

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【御神格 (God's great power)】

・安産祈願 Healthy childbirth
・初宮詣  Baby prays at shrine for the first time
・七五三詣 7 year old 5 year old 3 year old celebration
・成人報告祭 Report of becoming an adult
・厄祓 Prayer at an age considered a milestone in life
・地鎮祭 Festival to Pray to the god of the ground
・上棟式 Celebrate the built pillars
・家内安全 Safe and comfortable home life
・厄井戸清祓い I would like to thank the god of the well for giving me the precious water of nature's bounty, and I would like to report that I will break the well.
・車の祓い Please pray for road safety and pledge safe driving to your heart.
・家祓い Clean the house and pray for the safety of your family
・等 etc

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
大鳥五社大明神

【創 建 (Beginning of history)】

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謹みておもんみるに創祀せられしは
文武天皇の御代にして慶雲3年に鎮座せられ
今日に至るまで実に1,300年以上を経たる延喜式内の古社であります

古くより井戸の守大明神と申し上げ尊崇せられてまいりました
境内手水舎の井戸水は 古来霊泉として近郷近在より拝載せられておりました

境内案内板より

【由 緒 (history)】

謹しみて惟みるに創祀せられしは 
文武天皇の御代にして慶雲三年に鎮座せられ 
今日に至るまで実に、一,二六〇年有余年を経たる延喜式内の古社であります。

古くより井戸の守大明神と申し上げ尊崇せられてまいりました。
境内手水舎の井戸水は古来霊泉として近郷近在より拜戴せられて居りました。

例大祭 十月第二土曜日

※当社が大鳥五社明神の一社として大鳥神社と結びついたことからの御祭神「両道入姫皇女」と思われます。
当社が大鳥五社成立以前からあったとすれば、本来の祭神は、由緒に記すように涸れることのない神水(井戸)への崇敬対象としての水神であったと思われますが、それを証する資料は今のところ見つかっておりません。

大鳥羽衣濱神社 公式HPより

【境内社 (Other deities within the precincts)】

参道途中の右側(北側)
・井戸守稲荷社《主》井戸守稲荷大明神

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稲荷大明神は五穀豊作・商売繁昌の神として尊崇せられ地元氏子民の昭和三十七年新た鎮祭せしものなり

例大祭 初午

境内右手の疎林中に稲荷社がございます。末社・“井戸守稲荷”(井戸守稲荷大明神)、昭和37年勧請。

元禄4年(1691)の寺社改帳より
 「泉州大鳥郡今在家村  井戸守明神社
   右井戸守明神社勧請年号不分明に御座候へ共、云々」
和泉志(1736)より
 「大鳥浜神社 今在家村に在り、井戸森明神と称す。・・・村中先祖代々の氏神に御座候」 とあります。当地・今在家村(字井戸森)には、江戸時代以前から創建時期不詳の古社・井戸守(森)明神社との氏神社があったと言われております。
 この井戸守明神社と大鳥浜神社との関係は不詳ですが、神社明細帳(1879・明治12)で、これを式内・大鳥浜神社の後継社に比定し(式内社調査報告)、現在に到ります(その根拠は不明)。

 ただ、当社が古く“井戸守”と称したこと、社前に深い“井戸”があり(現在の手水槽がその跡)、海辺にあって眞清水を湧き出すことから、式内社調査報告に
 「この井戸水は神水として尊崇され、これが当社への信仰として受け継がれたのであろう」
と記されております。この井戸(あるいは井戸水)に対する信仰が当社の始まりと考えられております。

大鳥羽衣濱神社 公式HPより

・金刀毘羅宮《主》大物主神

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古く当地方は半農半漁の處として営なまれ、
舟神様である金比羅さんを崇拜現国道脇に 奉斉されしを昭和四十年御遷座申し上げ鎮祭せられしものにして
この燈籠に大神様の 御霊を籠らるものとして拜する燈籠は文化年間のものなり

社殿はなく、当燈籠を以て末社・金刀比羅宮(大物主命)としております。

燈籠正面に“金毘羅大権現”とあります。側面の刻文により文化年間(1804--18)の建造とありますが、文字が摩耗していて判読困難です。

大鳥羽衣濱神社 公式HPより

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)和泉国 62座(大1座・小61座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)大鳥郡 24座(大1座・小23座)

[名神大 大 小] 式内小社 鍬(suki)

[旧 神社名 ] 大鳥濱神社

[ふ り が な  ](おほとりのはまの かみのやしろ)
[How to read ](ohotori no hama no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

大鳥五社(otori gosha)について

大鳥五社大明神とも呼ばれ いずれも和泉国大鳥郡(大阪府堺市周辺)の式内社で「大鳥(otori)」を冠する五つの神社の総称です
大鳥大社の御祭神「日本武尊(yamato takeru no mikoto)」を中核として 境内外の摂社で構成されます 残る4社の内 3社では「日本武尊の妃神を一柱ずつ奉斎」1社では祖神「天照大神」を祀ります

※それぞれの神社の記事をご覧ください

大鳥大社   【和泉國大鳥郡 大鳥神社 名神大 月次新嘗】
《主》日本武尊(yamato takeru no mikoto)

一緒に読む
大鳥大社(堺市)

大鳥神社(おおとりじんじゃ)は 和泉国一之宮です 延長5年(西暦927年)に完成した『延喜式神名帳』所載の名神大社(霊験特に著しい神社)です ご祭神「日本武尊(yamato takeru no mikoto)」の御霊が 白鳥となり舞い降りた聖地として まさしく大鳥(otori)の由来をもちます

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➁大鳥美波比神社【和泉國大鳥郡 大鳥美波比神社】【和泉國大鳥郡 押別神社】
《主》天照大神(amaterasu okami)

一緒に読む
大鳥美波比神社(大鳥大社 境内)

大鳥美波比神社(おおとり みはひじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に所載され 又 大鳥大社を筆頭とした「大鳥五社大明神」の一つで 由緒正しい神社です 御祭神の天照大神(amaterasu okami)が 「鳳」と化して降臨をしたとする由来があり まさしく「大鳥(otori)」あるいは「鳳(otori)」にふさわしい伝承を持ち 大鳥大社 境内に坐ます

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大鳥北濱神社 【和泉國大鳥郡 大鳥神社 鍬靫】
《主》吉備穴戸武媛命(kibino anatotake hime no mikoto:日本武尊の妃)

一緒に読む
大鳥北濱神社(堺市)

大鳥北浜神社(おおとりきたはまじんじゃ)は 大鳥五社とも呼ばれる いずれも「大鳥(otori)」を冠している五つの神社の1社です  和泉国大鳥郡(大阪府堺市周辺)の式内社で ご祭神は「日本武尊(yamato takeru no mikoto)」の后神の一柱「吉備穴戸武媛命(kibino anato takehime no mikoto)」を祀ります

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大鳥羽衣濱神社【和泉國大鳥郡 大鳥濱神社 鍬】
《主》両道入媛命(futajino irihime no mikoto:日本武尊の妃)

一緒に読む
大鳥羽衣濱神社(高石市羽衣)

大鳥羽衣濱神社(おおとりはごろもはまじんじゃ)は 羽衣をまとう天女を連想させるような神社名を持ちます 御祭神は 大鳥大社に祀られている「日本武尊」の后神で 仲哀天皇の皇太后となる「両道入姫皇女」が祀られています また 当社は江戸時代には 井戸守明神といわれていて 社殿前にある井戸から上がる水は神水として尊ばれたと伝わります

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大鳥井瀬神社【和泉國大鳥郡 大鳥井瀬神社】
《主》弟橘姫命(ototachibana hime no mikoto:日本武尊の妃)

遷座
住吉 大鳥 両大社 宿院頓宮 (住吉大社・大鳥大社 両大社の御旅所)

住吉 大鳥 両大社宿院頓宮(sumiyoshi ohotori ryotaisha shukuintongu)は 摂津国一之宮「住吉大社」と和泉国一之宮「大鳥神社」の両大社(両社ともに 一之宮)の御旅所とされています 1つの社殿に・住吉大社に所縁のある「波除住吉神社」・大鳥大社に所縁のある「大鳥井瀬神社」が 両大社に所縁ある神社として祀られています 境内の飯匙堀(iigaibori)は 水のない空堀ですが 住吉大社の神功皇后にまつわる伝説などがあります 

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

羽衣駅から 約700m 徒歩8分程度
大鳥羽衣濱神社(otori hagoromohama shrine)に到着

道路に面して 社号標「羽衣濱神社」とあり 一の鳥居が建ちます 一礼してくぐります

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参道は 短い距離ですがジグザグに石畳が敷かれ 古社では良く見られるのですが 設計者の意図で 人が正中を歩かないようにする配慮がなされています

右手に境内社「金刀毘羅宮《主》大物主神」があり お詣りします
社殿はありません 灯籠に御祭神が祀られているとの事 珍しいです

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続いて右手に 由緒書き その先に 社殿正面の鳥居があります

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一礼して鳥居を後くぐり 境内奥へ進みます

 

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赤い前掛け(エプロン)を掛けた「狛犬」と石灯篭が参道に構えます

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すぐ右手に「奉納 正一位 井戸守稲荷大明神」の朱色の旗竿が 参道に立ち並ぶ境内社「井戸守稲荷社《主》井戸守稲荷大明神」にお詣りします

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続いて「手水舎」があり 脇の井戸から汲み上げた清水で 清めます
この井戸は 古来霊泉(つまり海辺でありながら真水を出すこと)として近郷近在より御神水として拝載されていたと伝わり この井戸(あるいは井戸水)に対する信仰が当社の始まりと考えられているそうです

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手入れされた参道に ツツジの花が咲き その先に拝殿が建ちます

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拝殿前の右手には 「奉献酒」の樽が見事に並びます

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拝殿の左手前には「神木大神」とされている 鳥居が建つ御神木があります
神社では 今も残る神籬(ひもろぎ)信仰としています お詣りします

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拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿左手の境内が広がっていて 「神木大神」の御神木と社殿を仰ぎます
そのまま 社殿の真横に回ります かつてこの辺りは 海浜の地であって 漁業集落だったようです

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境内右手の駐車場側には かつての浜辺の名残の白砂と松原の後がしっかりと残っています

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その中にあります「羽衣砂丘遺跡」では 漁具が大量に出土したそうです

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丁度 本殿の真後ろ側になります

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羽衣のだんじり小屋もこちらにあります

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再び 拝殿前に戻り 参道を戻り 振り返り一礼

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『古事記(kojiki)』「倭建命(yamatotakeru no mikoto)の子孫・系譜」にある伝承

「倭建命(yamatotakeru no mikoto)」の妃(hi)と子が記されています

御祭神の「両道入姫皇女(futaji irihime no mikoto)」は
 「布多遅能伊理毘賣命(futaji irihime no mikoto)」と記されています

意訳
「 この倭建命(yamatotakeru no mikoto)が
  垂仁天皇の娘「布多遅能伊理毘賣命(futaji irihime no mikoto)」とご結婚されて お生みになられた御子は 帯中津日子命(tarashi nakatsuhiko no mikoto)=仲哀天皇 お一方です 」

【原文参照】『古事記』刊本 ,明治03年選者:太安万侶/校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブ
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『大鳥太神宮 并 神鳳寺縁起帳』に記される伝承

現在の「大鳥羽衣濱神社(otori hagoromohama shrine)」が
   「大鳥濱社(otori hama no yashiro)」と記されています

【原文】『大鳥太神宮并神鳳寺縁起帳』(作成年)延喜22年 写本 [旧蔵者]編修地志備用典籍 国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000040485&ID=&TYPE=&NO=画像利用

御祭神は 「日本武尊」の后神「両道入姫皇女」が祀られ 江戸時代には 井戸守明神といわれていて 社殿前にある井戸から上がる水は神水として尊ばれたと伝わります

大鳥羽衣濱神社(otori hagoromohama shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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和泉国 式内社 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))について に戻る   

一緒に読む
和泉国 式内社 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))について

和泉国(いづみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 和泉国の 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))の神社のことです

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