小野神社(おのじんじゃ)は 社伝によれば 第3代天皇「安寧天皇」18年の創建とされていますので 2000余年の由緒を持つ古社となります 御祭神「天下春命(ameno shitaharu no mikoto)」は 思金神の御子神で武蔵秩父国造の先祖とされています 境内にある「小野宮廟碑」に詳しく語られています 古くは武蔵国一之宮とされています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
小野神社(ono shrine)
(おのじんじゃ)
[通称名(Common name)]
小野宮(おののみや)
【鎮座地 (location) 】
東京都府中市住吉町3丁目19-3
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天下春命(ameno shitaharu no mikoto)
瀬織津比売命(seoritsuhime no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・開墾の神 God of Pioneering
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
・ 武蔵国一之宮
【創 建 (Beginning of history)】
社伝によれば 第3代 安寧天皇18年
氏子代表の小野氏に頂いた由緒書きです
【由 緒 (history)】
住吉町三丁目にある本殿一間四方、拝殿二間四方の神社で、旧小野宮の鎮守です。
祭神は瀬織津比咩命(せおりつひめのみこと)・天下春命(あめのしたはるのみこと・稲倉魂命(うかのみたまのみこと)です。小野神社は多摩川をはさんで多摩市にもあり、「一之宮小野神社」といい、どちらが元の小野神社なのか古来から議論されています。
江戸時代の地誌によれば、「往古多摩郡本宿村の小野宮と云処に鎮座ありしを、水災に依て遷され、村を一宮と称す」とあり、小野宮にあったものが多摩川の氾濫により、南側の一之宮に遷座されたものと思われます。
しかし全ての村人が移ったわけではなく,残った人々が守りつづけたものと思われます。
府中観光協会HPより
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・稲荷社(Inari Sha)
《主》保食神(ukemochi no kami)
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多磨郡 8座(並小)
[名神大 大 小] 式内大社
[旧 神社名 ] 小野神社
[ふ り が な ](おのの かみのやしろ)
[How to read ](ono no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
氏子代表「小野氏」の話
土曜日の昼に 誰もいない境内での ご参拝でしたが
「お詣りですか?」と声を掛けて頂いた方が 氏子代表の小野さんでした
「はい 延喜式の神社をお詣りしていまして」と答えますと 色々と教えて頂けることになりました
小野氏いわく
「毎年の9月中旬 日曜日の例祭の日には 見慣れない顔の人に聞いてみると 全国から訪れた「小野さん」に出逢えるので もしかして あなたも小野さんかと想い声を掛けたのだ」と話されていました 小野姓に対する愛情を感じました
色々と話をうかがう中で
多摩(聖蹟桜ヶ丘)とこちらの小野神社の双方が「武蔵国一之宮」として名乗っていることについての談義をになりまして
私の意見として
天正年間(1573~1593)多摩川の氾濫で 小野神社の旧社地が流失して それから 暫くして 里人が現在の多摩市の小野神社付近に移住をして集落を形成したらしいこと その際に新たに造営したのが あちら(多摩市)の小野神社で
こちら府中の小野神社は 移住せずにこちらに留まった里人が 貞観3年(1686)頃に再建したとされているので やはり 本筋は当社ではないのだろうか とお伝えすると
小野氏は「色々と話はあるのですが こちらが本家筋だとは思っています」とのことでした
だだ 当社の神職は 太平洋戦争で亡くなられて その後は 里人で守っていらっしゃるとの事でした
小野氏によれば
「神事は「やぼてん」に任せています 「やぼてん」は谷保の天満宮の事です
朱印を欲しいという人もいるのですが「やぼてん」に預けてあります あちらのご神職からは いつでも返すよ とは言われているのですが こちらは神職もいないですし 預かってもらっています 」との事です
裏の石碑はみましたか と聞かれましたので 拝見しましたと応えると
「ちょっと待ててくださいね 家に石碑の内容を印刷した物があるから あげますよ」と車で取りに行って下さいましたので 皆様にご紹介します
「小野宮廟碑(ono no miya byo hi)」寛政7年(1795)について
社殿の裏手の民家と隣接位置に 石碑が置かれています
本宿村に居住した内藤重喬(ないとうしげたか)氏が 寛政7年(1795)9月望日 に建立と記されています
石碑は 判読が難しいのですが
「2000余年の創始について 志士碑に記して 不朽にこれを伝える」と後世に社史を伝えるべく この碑を建てたとあります
内容につきましては 氏子総代の小野氏から頂きました
「小野宮廟碑 おののみやびょうひ」の印刷物をご覧ください 良く判ります
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
京王線 中河原駅から 約650m 徒歩10分程度
境内の一画は児童公園になっていて 住宅街と一体化した様子です
小野神社(ono shrine)に到着
社号碑には「延喜式内郷社小野神社 多摩郡八座内」とあります
裏面には 大正十四年(1925)と刻まれています
一礼して鳥居をくぐります
参道右手に赤い柱が鮮やかな手水舎があります
奉納された狛犬が構えます
先に 拝殿が建ちます
拝殿にすすみます 神紋は三つ巴紋 扁額には『延喜式内 小野神社』と刻まれています
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿を真横からみます
本殿と朱塗の神門は 朱色の御垣で囲われています
社殿の裏手にはブロックの覆屋に「稲荷神社の祠」が鎮座します
「小野宮廟碑(ono no miya byo hi)」を拝見します
境内を後にしようとしたところで 氏子代表の小野氏に出逢いました
神社を維持するのも色々と大変です とお話になられていましたが
その他境内に至るまで 実によく整備されて居られます 頭が下がります
「神輿格納庫」
「幟旗竿の覆屋」
「本殿まわり」
境内を後にします 鳥居をくぐり 振り返り一礼
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』に記される伝承
平安時代(延喜元年(901年)成立)に編纂された歴史書 六国史の第六
第56代 清和天皇・第57代 陽成天皇・第58代 光孝天皇
3代の天皇の御代 天安2年(858)8月~仁和3年(887)8月の30年間を扱う
意訳
「 元慶八年(884)7月15日
武蔵国 小野の神に 従五位上から正五位上を授け(昇格) 」と記載されています
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=
『江戸名所図会(edo meisho zue)』に記される伝承
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『江戸名所図会』選者:斎藤長秋/画家:長谷川雪旦 20冊 刊本(後修) 天保05年 ~ 天保07年 旧蔵者 太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002802&ID=M2017051812072139297&TYPE=&NO=
小野神社は 武蔵国一之宮とされています 社伝によれば 第3代 安寧天皇18年とされ2000余年の由緒を持つ古社となります
小野神社(ono shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」は 律令時代に発生した制度・社格で 律令時代の国司の参拝に伴う制度・社格として生じました 全国各地に現在でも「一宮」の地名が沢山あり 呼び方については「いちのみや」は同じでも 標記の仕方は「一宮」・「一之宮」・「一の宮」「一ノ宮」など様々です
日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」について
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武蔵国(むさしのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 武蔵国には 44座(大2座・小42座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
武蔵國 式内社 44座(大2座・小42座)について