実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

大宮温泉神社(大田原市中野内大宮)〈『三代實録』温泉ノ神『延喜式』温泉神社〉

大宮温泉神社(おおみやおんせんじんじゃ)は 社記に貞観十一年(869)清和天皇の御下賜品と伝わる宝物゛古鏡一面゛とある古社で かつて祭神は高龗神で 文治二年(1186)那須氏が 本郡 温泉神社を城中の守護神として勧請の時 祭神が変更されたと云う 延喜式内社 下野國 那須郡 温泉神社(ゆのいつみ かみのやしろ)の論社です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

大宮温泉神社(Ohmiya onsen shrine)

通称名(Common name)

大宮

【鎮座地 (Location) 

栃木県大田原市中野内大宮1942

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大己貴命(おほなむちのみこと)
   少彦名命(すくなひこなのみこと)

《配》〈後に村内十八社合社〉名城入姫命 高日子根命 大山祇命 別雷命 木花咲耶姫命 稻倉魂命 素盞嗚命 高龗命 伊弉册命 訶遇槌命 火靈命 大日靈命

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

・家内安全、学業成就、諸願成就

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

・ 国史見在社(こくしげんざいしゃ)〈相殿に合祀 石作神〉の旧鎮座地
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』)に記載されている神社〉

【創  (Beginning of history)】

大宮温泉神社 社伝

 本社の主祭神は大己貴命である。那須の湯泉大明紳、三輪の神とも呼ばれた。
 今を遡ること八二八年前の元暦年(一一八五月、那須与一が源平屋の合戦で、平家が船上に掲げた神扇を一矢をもってく射落し、天下に武名を轟かせた。

 与一の祖 真信も、大治年(一一二七十二月、帝の命をうけて八溝山の怪鬼岩岳丸を退治したが、何れも那須湯本鎮座の温泉神社の大神、大己貴命の助けにによる武功であった。

 与一がその神恩に感謝して、那須の総領に任じられた文治年(一一八六)、大三輪山 高尾の森の居城高館城にこれを勧請した。領内の村々にもこの社を祀り、一〇六社に及んだと伝えられる。

 那須氏の後を継いでこの地を治めた大関氏もこれを信奉し、寛文年(一六六八月、黒羽藩主大関信濃守増栄が現在地に遷座した。この地を後郷高尾の森檀山と云う。
 増栄は、この社を那須郡惣社と定め、大宮の尊号を付して壮麗な社殿を造営し、代々氏の守護神として尊崇した。

 明治十二年(一八七九月、火災により社殿・宝物・古文書等悉く焼失したが、翌十三年(一八八〇十二月に氏子の浄財をもって再輿し、今日まで旧両郷村の郷社として、氏子、崇敬者の心の拠となっている。

 本社は那須氏大関氏の時代を経て、実に八二七年余の歴史を刻み、<郷八景>のうち「壇山の夜雨」として永く語り継がれている。画人 小泉斐は第四十九代宮司である。
 本年神宮の第六十二回式年遷宮に当たり、その記念事業としてこの碑を建立する。

平成二十五年(二〇一三吉日

現地石碑文より

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大宮温泉神社(おおみやおんせんじんじゃ)

神々の座す霊峰に鎮まる社。まつりの宝庫。那須余一が那須の温泉神社を分霊し、高館城内に建立。大関土佐守高増の代に現在地に移す。那須家より拝名した小泉家が代々神職を務めていたが、明治から池澤、中山、大野とかわり現在に至る。代々領主の加護を受け、旧両郷村の村社としてそのしきたりを継承し、氏子、崇敬者の心のよりどころになっている。

栃木県神社庁HPより
http://www.tochigi-jinjacho.or.jp/?p=711

【由  (History)】

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

大宮温泉神社(大田原市中野内大宮ついて 社号は゛温泉神社゛と記しています
祭神は もとは高龗神であったが 那須氏在城の時 本郡 温泉神社を勧請して城中の守護神として鎭め祀った時より 祭神が変更されたと社記に記されているとのこと
宝物として゛古鏡一面(貞観十一年清和天皇の御下賜品なりと傅ふ)゛とあるので 貞観十一年(869年)以前の相当な古社となります

【抜粋意訳】

〇栃木縣 下野國 那須郡郷村 大字 中野内村

郷社 溫泉神

祭神 大己貴(オホナムチノ) 少彦名(スクナヒコナノ)

高尾溫泉明神 (下野國志)神社(地名辞書)とも云ふ。

創立年代詳ならず、社記に據るに、「温泉大神 長尾市之所定社而大宮者其神地也大治二年八月再興、寛文八年八月同上、明治四年三月迄領主大關氏代々修繕祭典を執行し、社領五十石を充て置かる、廢藩置縣後 郷社となる』とあり、「祭神もと高龗神にして、後世 誤て高尾明神と稱するに至れり、那須氏在城の時 本郡 温泉神社を勧請して城中の守護神として鎭め祀りしより、祭神 變更せらると云ふ、又 或る傳に承和十年十二月晦日、下野國那須大領外從五位勲七等大部益歸 本社に奉る書に、大國主命を祭り、田二千段を增し云々、須藤權頌が奉納の鏡の裡に、野州那須原に野狐有り、民害を為す、那須の主貞信奏聞して、三浦介義純上總介廣常権頭貞信勅命を蒙り、云々〔中畧〕射果す、是全く温泉神の加護力なり、依て社殿を造営し實物等を奉りたる由見えたり、
社殿は本殿•拜般・神樂殿等にして、境内三百六十一坪 (官有地第一種)あり、社木亭々として、古色蒼然たり。

實物ー、古鏡一而 (貞観十一年清和天皇の御下賜品なりと傅ふ)
・・・
・・・以下略

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

大田原市/地域史資料デジタルアーカイブより
https://adeac.jp/otawara-city/text-list/d100070/ht030320

○温泉神社(通称大宮)

鎮座地 黒羽町大字中野内一九四二大宮

 祭神 大己貴命 少彦名命(後に村内十八社合社)

 祭日 四月十五日

 沿革

 社伝によれば、当社は那須余一宗隆が、屋島の戦に扇を射る時、那須湯本の温泉神社に祈願し、見事扇の的を射落して軍功を立てたので、帰国後 高館城下(大輪の温泉窪(ゆぜんくぼ))に勧請し創建した。後世現位置に移した。

 那須氏が衰いた後は、黒羽藩主 大関氏代々当社を崇敬し、社殿を造営したりして維持した。

 『下野国誌』によれば、当社の祭神はもと、高龗(たかおかみ)命、谷於賀美(くらおかみ)命の二柱であったが、那須氏が那須湯本の温泉神社を勧請して、城中の守護神として祀ったとある。また『下野神社沿革誌』には、本社創立は詳かでないが、再建は大治二年(一一二七)八月、須藤権守貞信の造営だと記されてある。

 明治十二年五月二十一日、火災により社殿、宝物、古文書等焼失した。

 神賑行事 獅子舞、流鏑馬(往昔天正三年領主大関家の黒羽城築城に当り、敷地の地鎮の儀式執行のために主君自ら獅子の衣装を備え地堅として獅子舞を演じ大関家の繁栄を祈った後金丸八幡宮、大宮温泉神社の両社へ寄進された。当社においては毎年例祭執行の時、午後御神輿渡御行にて御旅所仮宮に遷座し、大前にて獅子舞、流謫の術を氏子中の青年により祭典の行事として毎年変ることなく行う。

 建造物 本社、拝殿、神楽殿 木鳥居 石燈籠

 境内 二〇三九坪

宮司 中山邦

『黑羽町誌』黑羽町誌編さん委員会編 監修 阿久津正二〈昭和57年発行〉より
https://adeac.jp/otawara-city/viewer/mp000010-100070/kurobane/880

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

大宮温泉神社 社殿

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大宮温泉神社 拝殿

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・神楽殿・〈境内社〉天満宮

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・石燈籠

大田原市指定有形文化財(建造物)

大宮温泉神社の石灯籠(おおみやおんせんじんじゃのいしどうろう)

平成26年6月19日指定

所在地 大田原市中野内1942

所有者 大宮温泉神社

員数 2基
寸法 高さ約285センチメートル 竿直径約40センチメートル

 黒羽藩5代藩主大関増栄(ますなが)(1639~88)が寛文(かんぶん)9年(1669)9月19日付で大宮温泉神社に奉納したものです。藩主大関氏は、金丸八幡宮(現在は那須神社)とともに、この神社を特に崇敬していました。黒羽藩の体制を確立しつつあった時期に、「子孫繁昌」や「武運長久」を祈願するために奉納したものです。
 那須神社にある同様の石灯籠とともに、江戸時代前期における藩主大関氏の信仰のあり方を物語る貴重な建造物です。

大田原市教育委員会

現地案内板より

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・社殿の前の狛犬

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・天然記念物 温泉神社の杉〈樹齢500年

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・四の鳥居

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大宮温泉神社 社務所

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・二の鳥居・三の鳥居

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・二の鳥居前の狛犬

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・一の鳥居

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・石碑〈満州事変記念碑〉

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

温泉として 神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

卷七 貞觀五年(八六三)十月七日丙寅

○七日丙寅


下野 從五位上勳五等 温泉に 從四位下
上野 正六位上 若伊賀保神に 從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

温泉として 神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

卷十六 貞觀十一年(八六九)二月廿八日丙辰

○廿八日丙辰

野國
從二位勳四等 二荒(くらい)をに 正二位
に 從四位下勳五等 温泉に 從四位上

无品柔子内親王薨。不任縁葬諸司。以喪家固辭也。帝不視事三日。内親王者。仁明天皇之女。母參議正四位下滋野朝臣貞主之女。從四位上繩子也

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)下野國 11座(大1座・小10座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那須郡 3座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 温泉神社
[ふ り が な ]ゆのいつみの かみのやしろ
[Old Shrine name]Unoitsumi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社の内 「温泉」を祀る神社の論社について

「温泉」を祀る神社は 温泉地や温泉文化と深い関わりがあり 古くから信仰の対象となってきました

延喜式内社 攝津國 有馬郡 湯泉神社(大月次新嘗)(ゆのいつみの かみのやしろ)

・有馬山温泉寺(神戸市北区有馬町)有馬温泉
〈湯泉神社 旧鎮座地〉 
・湯泉神社(神戸市北区有馬町)

延喜式内社 伊豆國 田方郡 久豆弥神社(くつみの かみのやしろ)

・葛見神社(伊東市馬場町)〈伊東温泉〉

</strong><strong><b>一緒に読む</b></strong><strong>
葛見神社(伊東市馬場町)

葛見神社(くずみじんじゃ)は 葛見の庄の初代地頭 工藤祐高公〈伊東家次・・・伊東家の祖〉が社殿を造営し 守護神として京都伏見稲荷を勧進合祀して 伊東家の厚い保護と崇敬を受けて神威を高めてきました 境内の大クスは 樹齢約千年 目通り20mに及び全国でも有数な老樟として有名です

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・湯前神社(熱海市上宿町)〈熱海温泉〉

</strong><strong><b>一緒に読む</b></strong><strong>
湯前神社(熱海市上宿町)〈『延喜式』久豆弥神社〉

湯前神社(ゆぜんじんじゃ)は 熱海温泉の守り神として 少彦名命が祀られる 式内社「久豆弥神社(くつみの かみのやしろ)」の論社です 創建は 今から1200年程前 天平勝寶元年(749)と伝わり 伝説では その頃 熱海の海中に沸いていた熱湯を 高僧の萬巻上人が山腹に移し その近くに祠を祀ったのが始まりと伝わります 

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延喜式内社 上野國 群馬郡 伊加保神社(名神大)(いかほの かみのやしろ)

・伊香保神社(渋川市伊香保町)〈伊香保温泉〉

一緒に読む
伊香保神社(渋川市伊香保町)伊香保温泉の湯元近く石段街を登りつめた場所に鎮座

伊香保神社(いかほじんじゃ)は 元来は゛いかつほの神゛〈榛名山と地域の活火山の山々〉を信仰する山岳信仰であったとされます 社伝によれば 天長2年(825)創建され 平安期以降に伊香保温泉街へ遷座し 温泉の守護神となったと伝わります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の名神大社 伊加保神社(いかほの かみのやしろ)です

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・三宮神社(吉岡町大久保)
〈伊賀保大明神 里宮(旧本社)〉

一緒に読む
三宮神社(吉岡町大久保)〈伊賀保大明神 里宮〉

三宮神社(さんのみやじんじゃ)は 怒ツ穂(イカホ)と呼ばれた゛榛名山゛〈古墳時代後期の6世紀代に2回の大きな噴火〉を恐ろしい怒りの山 ゛いかつほの神゛として恐れあがめ信仰し 天平勝宝2年(750)伊賀保大明神 里宮として勧請したと社伝にあります ゛伊香保神社゛は 現在の伊香保温泉の地に遷座する以前は 里宮の三宮神社が祭祀中心地であったとされます

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・若伊香保神社(渋川市有馬)
〈伊賀保大明神 当初の鎮座地〉〈豪族・有馬氏が里宮・三宮神社を勧請した際に旧地に存続した社〉

一緒に読む
若伊香保神社(渋川市有馬)

若伊香保神社(わかいかほじんじゃ)は 渋川市有馬に鎮座する 豪族 有馬氏(阿利真公)によって奉斎された゛いかつほの神゛式内社 伊香保神社(いかほの かみのやしろ)が 三宮神社に遷座する以前に鎮座していた所とされ その社地跡に祀られたのが 国史見在社〈式外社〉゛若伊賀保神社゛だとされています

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延喜式内社 下野國 那須郡 温泉神社(ゆのいつみ かみのやしろ)

・那須温泉神社(那須町湯本)那須温泉

・大宮温泉神社(大田原市中野内)〈黒羽温泉〉

一緒に読む
大宮温泉神社(大田原市中野内大宮)〈『三代實録』温泉ノ神『延喜式』温泉神社〉

大宮温泉神社(おおみやおんせんじんじゃ)は 社記に貞観十一年(869)清和天皇の御下賜品と伝わる宝物゛古鏡一面゛とある古社で かつて祭神は高龗神で 文治二年(1186)那須氏が 本郡 温泉神社を城中の守護神として勧請の時 祭神が変更されたと云う 延喜式内社 下野國 那須郡 温泉神社(ゆのいつみ かみのやしろ)の論社です

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延喜式内社 陸奥國 玉造郡 温泉神社(ゆのいつみの かみのやしろ)

・温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)〈鳴子温泉〉

一緒に読む
温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)〈『續日本後記』玉造温泉神『延喜式』温泉神社〉

温泉神社(おんせんじんじゃ)は 承和4年(837)の大噴火により噴出した温泉 この湯を鳴声(なごえ)の湯と称し これを鎮めるために建立されたと伝わる 『續日本後記』承和10年玉造温泉神に従五位下が授けられ 『延喜式』には陸奥國 玉造郡 温泉神社(ゆのいつみの かみのやしろ)と所載されています

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延喜式内社 陸奥國 玉造郡 温泉石神社(貞)(ゆのいしの かみのやしろ)

・温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)〈鳴子温泉〉

一緒に読む
温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)〈『延喜式』温泉石神社(貞)〉

温泉石神社(ゆのいし/おんせんいし/じんじゃ)は 承和四年(837)この地に大噴火が起り 雷が響きふるえ昼夜止まず 周囲二十余尺の大石の根本から温泉〈その色水漿の如し〉が流れ出した この石を温泉石神社として祀ったのが始まりと云う 延喜式内社 陸奥國 玉造郡 温泉石神社(貞)(ゆのいつみのいしの かみのやしろ)です

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延喜式内社 陸奥國 磐城郡 温泉神社(貞)(ゆのいつみの かみのやしろ)

・温泉神社(いわき市常磐湯本町三函)〈湯本温泉〉

延喜式内社 出羽國 田川郡 由豆佐賣神社(ゆつさひめの かみのやしろ)

・由豆佐賣神社(鶴岡市湯田川字岩清水)〈湯田川温泉〉

一緒に読む
由豆佐賣神社(鶴岡市湯田川)〈『三代實録』由豆佐乃賣神『延喜式』由豆佐賣神社〉

由豆佐賣神社(ゆずさめじんじゃ)は 『三代實録』仁和元年(885)11月21日条に由豆佐乃賣神を篤く奉るように勅命が下され 『延喜式927 AD.』には式内社 出羽國 田川郡 由豆佐賣神社(ゆつさひめの かみのやしろ)と記載のある由緒ある古社です 和銅5年(712年)開湯 湯田川温泉の鎮護の神社として崇拝されてきました

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延喜式内社 出羽國 平鹿郡 鹽湯彦神社(しほゆひこの かみのやしろ)

・塩湯彦神社(横手市山内大松川字御嶽山)〈御嶽山の温泉〉

・塩湯彦鶴ヶ池神社(横手市山内土渕鶴ケ池)

延喜式内社 出雲國 意宇郡 玉作湯神社(たまつくりゆの かみのやしろ)

・玉作湯神社(玉湯町玉造)〈玉造温泉〉

一緒に読む
玉作湯神社(松江市玉湯町玉造)【前編】

玉作湯神社(たまつくりゆじんじゃ)は その名のとおり 古代から勾玉や各種玉類の一大生産地で 且つ・1300年を遡る「神の湯・美肌の湯」といわれる玉造温泉の地に鎮座しています 御祭神は・玉作の神「櫛明玉神( kushi akarutama no kami)」・温泉の神「大名持神(onamochi no kami) 少毘古那神(sukunahikona no kami)の2柱の神」を祀ります

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延喜式内社 伊豫國 温泉郡 湯神社(ゆの かみのやしろ)

・湯神社(松山市道後湯之町)〈道後温泉〉

延喜式内社 豊後國 速見郡 宇奈岐日女神社(うなきのひめの かみのやしろ)

・宇奈岐日女神社(由布市湯布院町)〈湯布院温泉〉

一緒に読む
宇奈岐日女神社(湯布院町川上)〈延喜式内社 豊後國 速見郡 宇奈岐日女神社〉

宇奈岐日女神社(うなぎひめじんじゃ)は 社伝には第12代 景行天皇〈日本武尊の父〉が 征西の際に速津媛に迎えられ 勅をして創祀と伝り 又 由布院の盆地の開拓神話として゛蹴破伝承゛〈太古には湖であったとする伝説〉もあります 『六国史』に神位の奉授・『延喜式神名帳』に豊後國 速見郡 宇奈岐日女神社と所載されます

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延喜式神名帳に記載されていないが 温泉に関わる神社として 特に挙げれば

湯殿山神社 本宮(鶴岡市田麦俣字六十里山7番地)

 湯殿山の泉源を神体山として祀り 「語るなかれ」「聞くなかれ」修験道の霊地・湯殿山は 標高1500m 月山南西山腹に連なる なだらかな稜線の山
 出羽三山の奥宮とされる湯殿山神社本宮は 写真撮影禁止 参拝は土足厳禁という厳しい戒めで知られる神社

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR東北新幹線 那須塩原駅から県道182号・34号経由で東方向へ約15.6km 車での所要時間は25~30分程度

黒磯駅からは県道34号経由で約15km 車での所要時間は22~25分程度

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大宮温泉神社(大田原市中野内大宮に参着

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参拝日は8月20日でした 社頭にアマガエルがいて 鳥居の前まで私の前をピョンピョンと飛びながら まるで神社に誘うよう 御祭神の少彦名命の神使いがカエルとされているので楽しかったです

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社頭の案内板には「那須郡惣社 温泉神社 那須与一宗隆公勧請社」と記されています

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一礼をして鳥居をくぐり 石段を上がります

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石段を上がると狛犬が座し 次に二の鳥居 三の鳥居 四の鳥居が続いています

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参道の脇には゛羽黒トンボ゛がいました

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すると゛羽黒トンボ゛は 鳥居の下まで飛んできて 石段にとまり

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三の鳥居と四の鳥居の間は 平地になっていて社務所などが建てられています
振り返ると 社前の田圃より上がってきたことがわかります

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四の鳥居の先は 再び石段となっていて 石段の上の境内地には社殿が建てられています

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四の鳥居をくぐり抜けて 石段を上がると参道の脇には天然記念物 温泉神社の杉〈樹齢500年〉があります

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 本殿が祀られています

現在の社殿は 明治十二年五月二十一日 火災により社殿 宝物 古文書等焼失した翌十三年(一八八〇十二月に氏子の浄財をもって再輿したものとのこと

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社殿の向かって左手の境内には・神楽殿・〈境内社〉天満宮

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社殿に一礼をして 温泉神社の杉〈樹齢500年〉がある参道の石段を戻ります

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四の鳥居から三・二・一の鳥居と戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 温泉神社について 所在は゛湯本村に在す゛〈現 那須温泉神社(那須町湯本)〉と記しています

【抜粋意訳】

温泉神社

温泉は由と訓べし

〇祭神 大己貴命 少彦名命、〔地名記〕

〇湯本村に在す

〇平家物語〔那須與一の的を射る條〕に、別テハ我國ノ神明 ,日光権現 ,宇都宮、那須ノ溫泉大明神、願ハクハ アノ扇ノ眞中射サセテタハセ給ヘト、心中ニ祈念シテ、云云、

類社
 攝津國有馬湯泉神社の下見合すべし

神位
 三代實錄、貞観五年十月七日丙寅、授ニ下野國 從五位上勲五等 温泉 從四位下、同十一年二月廿八日丙辰、授ニ從四位下勲五等 温泉神 從四位上、

雑事
 當社 神寶 那須資隆所納琵琶一面あり、裏面の彫銘曰、高尾溫泉神社寶、我先君遺愛琵琶一面、納以□祈ニ武運名譽、元曆□歳七月日、資隆、とあり、此神社の在地を高尾と云へり、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 温泉神社について 所在は゛ 那須山の 湯本村に在り那須温泉大明神と云ふ゛〈現 那須温泉神社(那須町湯本)〉と記しています

【抜粋意訳】

温泉(ユノ)神社

 那須山の 湯本村に在り、〔林塘集、神名帳考、〕那須温泉大明神と云ふ、〔源平盛衰記、平家物語〕

 大己貴命 少彦名命を祀る、〔本社傳説〕

清和天皇 貞観五年十月丙寅、從五位上勲五等 温泉從四位下を授け、
同十一年二月丙辰、從四位上を加ふ、〔三代実録〕

後鳥羽天皇 元曆 中屋島の戰に那須宗隆か祈る所即此神也、〔源平盛衰記、平家物語〕

每年九月廿九日、魚鳥神饌を供ふ、〔林塘集〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 温泉神社について 所在は゛湯本村〔那須嶽麓〕(那須郡那須村大字湯本)゛〈現 那須温泉神社(那須町湯本)〉と記しています

【抜粋意訳】

温泉神社

祭神 大己貴命 少彦名命

神位
 清和天皇 貞観五年十月七日丙寅  下野國從五位上五等 温泉神 從四位下 十一年二月廿八日丙辰  從四位下勳五等 温泉神 從四位上

祭日 九月二十九日
社格 郷社

所在 湯本村〔那須嶽麓〕(那須郡那須村大字湯本)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

大宮温泉神社(大田原市中野内大宮 (hai)」(90度のお辞儀)

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下野國 式内社 11座(大1座・小10座)について

下野国(しもつけのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 下野国には 11座(大1座・小10座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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