陸奥国(むつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 陸奥国 100座(大15座・小85座)の神社です
陸奥國(むつのくに)について
陸奥国(Mutsunokuni)は 令制国の一つ〈東山道に属する〉
現在の・青森県・岩手県・宮城県・福島県・秋田県北東部
平安時代以前は「道奥(みちのおく・みちおく)」と呼ばれていました
陸奥国(むつのくに) 100座(大15座・小85座)
大社15座は15社〈すべて名神大社〉
小社85座は85社
計100座は100社
※座は神の柱数 社は神社数
郡〈延喜式神名帳に記載〉
・白河郡(しらかは こおり) 7座(大1座・小6座)
・苅田郡(かりたの こおり) 1座(大)
・名取郡(なとりの こおり) 2座(並小)
・宮城郡(みやぎの こおり) 4座(大2座・小2座)
・黒川郡(くろかはの こおり) 4座(並小)
・賀美郡(かみの こおり) 2座(並小)
・色麻郡(しかまの こおり) 1座(大)
・玉造郡(たまつくりの こおり) 3座(並小)
・曰理郡(わたりの こおり) 4座(並小)
・信夫郡(しのぶの こおり) 5座(大1座・小4座)
・志太郡(したの こおり) 1座(小)
・磐城郡(いはきの こおり) 7座(並小)
・標葉郡(しねはの こおり) 1座(小)
・牡鹿郡(をしかの こおり) 10座(大2座・小8座)
・桃生郡(ものの こおり) 6座(大1座・小5座)
・行方郡(なめがたの こおり) 8座(大1座・小7座)
・栗原郡(くりはらの こおり) 7座(大1座・小6座)
・膽澤郡(いさはの こおり) 7座(並小)
白河郡(しらかは こおり) 7座(大1座・小6座)
都都古和氣神社(名神大)(つつこわけの かみのやしろ)
・都都古和氣神社(馬場)
馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に所載される 又「陸奥国一之宮」とされる由緒ある神社です 歴史は古く 「日本武尊(yamatotakeru no mikoto)」が「都々古山(Tsutsukoyama)(江戸期までは入山禁足)」に鉾を立てて味耜高彦根命を祀ったことが創祀で その後 大同2年(807年)に坂上田村麻呂が 日本武尊を相殿に配祀した後 現在地(馬場)に遷座したのは寛永2年(1625年)と伝わります
都都古和氣神社(馬場)
・都都古和氣神社(馬場)の奥宮 都々古別神社(表郷三森 都々古山)
都々古別神社は 馬場都々古別神社の旧蹟です 第12代景行天皇の皇子「日本武尊(yamatotakeru no mikoto)」が 都々古山(福島県白河市表郷三森の建鉾山)に「鉾(hoko)」を立てて「味耜高彦根命(ajisuki takahikone no mikoto)」を地主神として祀った創祀の地です 「建鉾山(武鉾山)」別名を「都々古山(Tsutsukoyama)(江戸期までは入山禁足)」の山頂には梵天の祠があります 当社は 山麓にあり 延喜式の時代には 祭祀が行われていた奥院と伝わります
都々古別神社(表郷三森 都々古山)
・都々古別神社(八槻)
八槻都々古別神社(やつきつつこわけじんじゃ)は 縁起では「日本武尊(yamatotakeru no mikoto)」が 八溝山の蝦夷を討った際に 守護として示現した3神が 建鉾山(福島県白河市表郷三森)に隠れた時に東方に矢を放ち 矢(箭)の着いた地を(箭津幾:やつき)として神社を創建したと伝わります 江戸時代頃には 「近津三社」〈上宮〉馬場都々古別神社〈中宮〉八槻都々古別神社〈下宮〉下宮近津神社(久慈川沿いに3社が並び鎮座)と呼ばれました
都々古別神社(八槻)
・都々古別神社(玉川村南須釜)
都々古別神社(つつこわけじんじゃ)は 第40代天武天皇の御代に常陸國の国司に任じられた 藤原鎌足(ふじわらのかまたり)公〈698-720年〉が この地に赴いた際に創建したとされ 往時には「奥州一の宮」と称され 48社の末社を四方に持ち 神領12ヶ村 氏子85ヶ村を誇ったと伝わります
都々古別神社(玉川村南須釜)
伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)
・伊波止和氣神社(古殿町田口戸神)
伊波止和氣神社(いわとわけじんじゃ)は 江戸時代には゛戸隠大明神゛と呼ばれていましたが 慶應年中(1865~1868年)に 神主の鎌田光雄が 兼務の時 この松尾社〈境内社か?合祀社か?〉を伊波止和氣神社と云ったとあり 延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社となっています
伊波止和氣神社(古殿町田口戸神)
・白河神社(白河市旗宿関ノ森)
白河神社(しらかわじんじゃ)は 社伝によれば 第13代 成務天皇五年(135年)白河國造命と天太玉命を奉祀し 勅命により鎮座 のち白河の関設置に当たり 関所南北に住吉 玉津島明神を祀る と伝わります 二つの式内社①伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)②白河神社(しらかはの かみのやしろ)の論社となっています
白河神社(白河市旗宿関ノ森)
・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)
〈旧鎮座地とも云う〉
磐戸別神社(いわとわけじんじゃ)は 白河の関山に鎮座します 延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の旧鎮座地とも 三鎮座の鼎(かなえ)〈三本足の青銅器・土器〉のように・白河神社(白河市旗宿関ノ森)・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)・都々古和氣神社(白河市表郷三森都々古山)〉の三社を以て 伊波止和氣神社とも云うと伝わります
磐戸別神社(白河市関辺丸沢)
・都都古和氣神社(馬場)の奥宮 都々古別神社(表郷三森 都々古山)
《三鎮座の鼎(かなえ)〈三本足の青銅器・土器〉のように・白河神社(白河市旗宿関ノ森)・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)・都々古和氣神社(白河市表郷三森都々古山)〉の三社を以て 伊波止和氣神社とも云う》
都々古別神社は 馬場都々古別神社の旧蹟です 第12代景行天皇の皇子「日本武尊(yamatotakeru no mikoto)」が 都々古山(福島県白河市表郷三森の建鉾山)に「鉾(hoko)」を立てて「味耜高彦根命(ajisuki takahikone no mikoto)」を地主神として祀った創祀の地です 「建鉾山(武鉾山)」別名を「都々古山(Tsutsukoyama)(江戸期までは入山禁足)」の山頂には梵天の祠があります 当社は 山麓にあり 延喜式の時代には 祭祀が行われていた奥院と伝わります
都々古別神社(表郷三森 都々古山)
《参考》・石都々古和気神社(石川町)
石都々古和気神社は 約一万年位前から信仰されていたとされている古代の祭祀遺跡の跡地に鎮座しています これは全国的にも数少ない大変重要な遺跡といわれています その様子は 山には 全山に花崗岩の巨石が連なる多くの磐境が点在していて・屏風岩・船形岩・鏡岩(2基)・亀石・天狗石・石門(鳥居)更に 三種の神器と言われている・剣・玉(勾玉)・鏡岩等があります
石都々古和気神社(石川町)
白河神社(しらかはの かみのやしろ)
・白河神社(白河市旗宿関ノ森)
白河神社(しらかわじんじゃ)は 社伝によれば 第13代 成務天皇五年(135年)白河國造命と天太玉命を奉祀し 勅命により鎮座 のち白河の関設置に当たり 関所南北に住吉 玉津島明神を祀る と伝わります 二つの式内社①伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)②白河神社(しらかはの かみのやしろ)の論社となっています
白河神社(白河市旗宿関ノ森)
・鹿嶋神社(白河市大鹿島)
鹿嶋神社(かしまじんじゃ)は 社伝によれば 光仁天皇の御代 宝亀年間(770~780)この地に祭られ 弘仁2年(811)坂上田村麻呂が東夷征伐の際 改めて常陸国鹿島大明神を勧請した神社〈白河以北を守る武神〉とされます 延喜式内社 陸奥国 白河郡 白河神社(しらかはの かみのやしろ)の論社でもあります
鹿嶋神社(白河市大鹿島)
八溝嶺神社(やみそみねの かみのやしろ)
・八溝嶺神社(八溝山 山頂)
八溝嶺神社は ・栃木・福島との県境にそびえ・茨城県内の最高峰(1,022m)を誇る「八溝山(Yamizosan)」の山頂に鎮座しています その歴史は古く 第12代景行天皇40年 日本武尊が東征軍を率い 当山の賊を打ち払い ここにおいて二神を祀られたと伝えられています 又 大同2年(807年)には 弘法大使が神殿を修営し 霊場とした際に山頂に立ち見渡すと 谷が8つに分れ 八方に湧水が流れ落ちる様を見て「八溝の嶺」と名づけられたと伝わります
八溝嶺神社(八溝山)
飯豊比賣神社(貞)(いひとよひめの かみのやしろ)
・飯豊比賣神社(白河市大信豊地日向)
飯豊比賣神社(いいとよひめじんじゃ)は 創建年代 由緒ともに不詳です 江戸時代には鹿島大明神と称されていたようです 大正十四年(1925)建立の社号標には 神名に鎮座地の飯土用村の名を用いて゛奉納 延喜式 飯土用姫命゛と刻字があります 延喜式内社 陸奥國 白河郡 飯豊比賣神社(いひとよひめの かみのやしろ)の論社です
飯豊比賣神社(白河市大信豊地日向)
永倉神社(貞)(なかくらの かみのやしろ)
・永倉神社(西郷村長坂)
永倉神社(ながくらじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 六国史『日本文徳天皇實録』の斉衡二年(855)官社に列したと記される゛陸奧國 永倉神゛又 延喜式内社 陸奥国 白河郡 永倉神社(なかくらの かみのやしろ)の論社とされています 江戸時代には神明宮と呼ばれていましたが 明治五年(1872)永倉神社に改称されました
永倉神社(西白河郡西郷村長坂)
石都都古和氣神社(貞)(いはつつこわけの かみのやしろ)
・石都々古和気神社(石川町)
石都々古和気神社は 約一万年位前から信仰されていたとされている古代の祭祀遺跡の跡地に鎮座しています これは全国的にも数少ない大変重要な遺跡といわれています その様子は 山には 全山に花崗岩の巨石が連なる多くの磐境が点在していて・屏風岩・船形岩・鏡岩(2基)・亀石・天狗石・石門(鳥居)更に 三種の神器と言われている・剣・玉(勾玉)・鏡岩等があります
石都々古和気神社(石川町)
・(論社)近津神社(下野宮)
下野宮近津神社は 奥久慈大子地方が陸奥國依上郷であった頃 久慈川沿いの三社〔〈上宮〉馬場都々古別神社〈中宮〉八槻都々古別神社〈下宮〉下野宮近津神社(当社)〕を゛近津三社゛と総称し〈上宮・中宮〉の都々古別神社は 陸奥国一宮で 当社〈下宮〉は「石都々古別神社」陸奥国一宮と主張します 又 式内社 常陸國 稲村神社とする説あり
近津神社(大子町下野宮)〈陸奥国一之宮 参考論社〉
苅田郡(かりたの こおり) 1座(大)
苅田嶺神社(名神大)(かむたみねの かみのやしろ)
・刈田嶺神社〈白鳥大明神〉(蔵王町宮字馬場)
・刈田嶺神社〈奥宮〉(刈田郡七ヶ宿町)
・刈田嶺神社〈里宮〉(蔵王町遠刈田温泉仲町)
名取郡(なとりの こおり) 2座(並小)
多加神社(たかの かみのやしろ)
・多賀神社(仙台市太白区富沢)
・多賀神社(名取市高柳下西)
佐具叡神社(さくちの かみのやしろ)
・佐具叡神社〈磐境地〉(名取市愛島塩手北野)
・佐具叡神社跡〈跡地〉(名取市愛島塩手北野)
・佐具叡神社〈佐倍乃神社境内社〉(名取市愛島笠島西台)
宮城郡(みやぎの こおり) 4座(大2座・小2座)
伊豆佐賣神社(いつさひめの かみのやしろ)
・伊豆佐比賣神社(利府町飯土井長者)
志波彦神社(名神大)(しはひこの かみのやしろ)
・志波彦神社(塩竈市)
志波彦神社(しはひこじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の名神大社として由緒ある國幣神社でしたが 社地狭隘の為に もとの鎮座地〈仙台市岩切の冠川〉から〈明治7年(1874)鹽竈神社の境内に〉遷座 現在は「志波彦神社・鹽竈神社」として1つの宗教法人となっています 御祭神は「鹽竈神(しおがまのかみ)」にご協力されたと伝わる「志波彦神(しはひこのかみ)」をお祀りします
志波彦神社(塩竈市一森山)
・志波彦神社(塩竈市)の旧鎮座地 冠川神社(仙台八坂神社 境内社)
冠川神社(かんむりがわじんじゃ)は 明治7年(1874)に塩竈市鎮座 一之宮 塩竃神社 の境内に遷座した国幣中社「志波彦神社」の元宮です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に名神大社として列する 朝廷から篤い信仰のある由緒ある古社です 御祭神「志波彦大神」は 記紀神話には登場せず この土地の土着神ともされている謎深き神です
冠川神社(境内社)& 仙台八坂神社
鼻節神社(貞・名神大)(はなふしの かみのやしろ)
・鼻節神社(七ヶ浜町花渕浜誰道)
多賀神社(貞)(たかの かみのやしろ)
・多賀城廃寺跡東塔基壇上〈多賀神社 旧鎮座地〉(多賀城市高崎)
・多賀神社(多賀城市高崎)
・陸奥総社宮(多賀城市市川字奏社)
・浮嶋神社(多賀城市浮島)
・多賀神社(多賀城市市川六月坂)
黒川郡(くろかはの こおり) 4座(並小)
須伎神社(すきの かみのやしろ)
・須岐神社(大衡村駒場下宮前)
・鶴ケ峯八幡宮(大和町宮床赤坂)
〈本殿合祀 賀茂明神〉
〈境内社 鳴上賀茂明神宮〉
石神山精神社(いはかむやまつみの かみのやしろ)
・石神山精神社(大和町吉田麓)
石神山精神社(いわかみやますみじんじゃ)は 七ツ森(ななつもり)山裾に鎮座します おそらくは 太古 蝦夷(えみし)が この大岩を石神として祀ったであろう聖地で その後に 蝦夷征伐 坂上田村麻呂将軍が植えた御手植え杉とともに 大和朝廷が崇める式内社 石神山精神社(いはかむやまつみの かみのやしろ)として この地を祀り治めてきたのでしょう
石神山精神社(大和町吉田麓)
・鹿島天足別神社(富谷市大亀)
鹿島天足別神社(かしまあまたりわけじんじゃ)は 二つの式内社〈・鹿嶋天足別神社・石神山精神社〉の論社となっています これは 明治42年(1909)同じ敷地内に鎮座していた吹上社を合祀しましたが この吹上社が 式内社〈鹿島天足別神社〉であり 本社は式内社〈石神山精神社〉であるとする説がある為です
鹿島天足別神社(富谷市大亀)
鹿島天足別神社(貞)(かしまあまたりわけの かみのやしろ)
・鹿島天足別神社(富谷市大亀)
鹿島天足別神社(かしまあまたりわけじんじゃ)は 二つの式内社〈・鹿嶋天足別神社・石神山精神社〉の論社となっています これは 明治42年(1909)同じ敷地内に鎮座していた吹上社を合祀しましたが この吹上社が 式内社〈鹿島天足別神社〉であり 本社は式内社〈石神山精神社〉であるとする説がある為です
鹿島天足別神社(富谷市大亀)
・行神社(富谷市志戸田字塩竈)
行神社(貞)(ゆくの かみのやしろ)
・行神社(富谷市志戸田字塩竈)
・船形山神社(大和町吉田字升沢)
賀美郡(かみの こおり) 2座(並小)
飯豊神社(いひとよの かみのやしろ)
・飯豊神社(加美町麓山)
・賀美石神社(加美町谷地森根岸)
賀美石神社(かみいしの かみのやしろ)
・賀美石神社(加美町谷地森根岸)
・飯豊神社(加美町麓山)
色麻郡(しかまの こおり) 1座(大)
伊達神社(名神大)(いたちの かみのやしろ)
・伊達神社(色麻町四竈字町)
玉造郡(たまつくりの こおり) 3座(並小)
温泉神社(ゆのいつみの かみのやしろ)
・温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)
荒雄河神社(あらをかはの かみのやしろ)
・荒雄川神社(大崎市鳴子温泉鬼首久瀬)
・荒雄川神社(大崎市岩出山池月字上宮宮下)
温泉石神社(貞)(ゆのいしの かみのやしろ)
・温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)
曰理郡(わたりの こおり) 4座(並小)
鹿嶋伊都乃比氣神社(かしまいつのひけの かみのやしろ)
・鹿島緒名太神社(亘理町逢隈小山)
鹿島緒名太神社(かしまおなたじんじゃ)は 当初は三門山山頂に『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 曰理郡の三社〈①鹿嶋伊都乃比氣神社(かしまいつのひけの かみのやしろ)➁鹿嶋緒名太神社(かしまをなたの かみのやしろ)➂鹿嶋天足和氣神社(かしまあまたりわけの かみのやしろ)〉が 鹿島神の苗裔神(びょうえいしん)として祀られていたとされ 当社は①➁の論社で 後に現在地に遷座されたと伝わります
鹿島緒名太神社(亘理町逢隈小山)
・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島)
鹿島天足和気神社(かしまあまたらしわけじんじゃ)は 当初は三門山山頂に祀られていたとされ 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 曰理郡の三社〈①鹿嶋伊都乃比氣神社➁鹿嶋緒名太神社➂鹿嶋天足和氣神社〉の論社で 創祀は 武甕槌神だけであったが 稜威雄走神(鹿島伊都乃比気神社)を左殿に 猿田彦命(鹿島緒名太神社)を右殿に奉斎して鹿嶋三社大明神と称し 後に現在地に遷座と伝わります
鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島)
・月山神社(亘理町吉田作田)
〈亘理町吉田字作田に鎮座の鹿島社を合祀〉
月山神社(つきやまじんじゃ)は 以前は月山大権現と称し下大畑の龍光寺〈現 亘理町立吉田小学校の地〉に祀られていた 文久元年(1861)6月に現社内に移転し 明治2年(1869)月山神社と改称 明治43年2月 作田の民有地に祀られていた小祠の鹿島社〈延喜式内社 鹿島伊都乃比気神社の論社〉と八幡神社を合併奉祀し現在に至ります
月山神社(亘理町吉田作田)
鹿嶋緒名太神社(かしまをなたの かみのやしろ)
・鹿島緒名太神社(亘理町逢隈小山)
鹿島緒名太神社(かしまおなたじんじゃ)は 当初は三門山山頂に『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 曰理郡の三社〈①鹿嶋伊都乃比氣神社(かしまいつのひけの かみのやしろ)➁鹿嶋緒名太神社(かしまをなたの かみのやしろ)➂鹿嶋天足和氣神社(かしまあまたりわけの かみのやしろ)〉が 鹿島神の苗裔神(びょうえいしん)として祀られていたとされ 当社は①➁の論社で 後に現在地に遷座されたと伝わります
鹿島緒名太神社(亘理町逢隈小山)
・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島)
鹿島天足和気神社(かしまあまたらしわけじんじゃ)は 当初は三門山山頂に祀られていたとされ 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 曰理郡の三社〈①鹿嶋伊都乃比氣神社➁鹿嶋緒名太神社➂鹿嶋天足和氣神社〉の論社で 創祀は 武甕槌神だけであったが 稜威雄走神(鹿島伊都乃比気神社)を左殿に 猿田彦命(鹿島緒名太神社)を右殿に奉斎して鹿嶋三社大明神と称し 後に現在地に遷座と伝わります
鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島)
安福河伯神社(あふかはの かみのやしろ)
・安福河伯神社(亘理町逢隈田沢字堰下)
鹿嶋天足和氣神社(かしまあまたりわけの かみのやしろ)
・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島)
鹿島天足和気神社(かしまあまたらしわけじんじゃ)は 当初は三門山山頂に祀られていたとされ 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 曰理郡の三社〈①鹿嶋伊都乃比氣神社➁鹿嶋緒名太神社➂鹿嶋天足和氣神社〉の論社で 創祀は 武甕槌神だけであったが 稜威雄走神(鹿島伊都乃比気神社)を左殿に 猿田彦命(鹿島緒名太神社)を右殿に奉斎して鹿嶋三社大明神と称し 後に現在地に遷座と伝わります
鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島)
・八雲神社(亘理町)
〈鹿島天足和気神社の旧鎮座地 三門山に祀られていた石祠が境内に祀られている〉
信夫郡(しのぶの こおり) 5座(大1座・小4座)
鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)
・鹿島神社(福島市鳥谷野宮畑)
鹿島神社(かしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 信夫郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)の論社です 社伝には 天明元年(1781)4月火災により 同2年鳥谷野羽田喜三郎氏が拝殿を建立し 同年7月光格天皇の御世 勅宣奉授し「正一位」を授けられたとあり この時古記録は焼失したとのこと
鹿島神社(福島市鳥谷野宮畑)
・鹿島神社(福島市小田鹿島山)
鹿島神社(かしまじんじゃ)は 社伝に その昔篠生(信夫)郷が湖沼であった時わずかに水上に出ていた鹿島の丘上に常陸国の鹿島神宮より蝦夷地経営の為分祀勧請されたと伝えられ 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 信夫郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)の論社でもあります
鹿島神社(福島市小田鹿島山)
・鹿島神社(福島市岡島竹ノ内)
鹿島神社(かしまじんじゃ)は 社伝に 第13代成務天皇の御代〈130~190〉 信夫国造 久麻直命(しのぶのくにのみやつこ くまのあたいのみこと)が東北開拓祈願の爲 常陸の鹿島大神宮を高松山に勧請し 後年 社地を源氏山に遷したとあり『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 信夫郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)の論社でもあります
鹿島神社(福島市岡島竹ノ内)
・鹿島神社(伊達郡国見町藤田町尻二)
鹿島神社(かしまじんじゃ)は 縁起に「常陸国より守護神として鹿島明神を勧請し当地〈古鹿島〉に安置す」とあり 享保十年(1725)古鹿島の地から現境内に遷座と伝わり 医薬神社(いやくじんじゃ)は 明け薬師縁起に「天長の頃 空海上人巡礼のおり 眼病流行に苦しむ里人を救わんと 霊石に薬師如来を刻し 現在地に祀った」とあり 明治元年(1868)明け薬師の名称を医薬神社と改称 鹿島神社に合祀されました
鹿島神社 & 医薬神社(国見町藤田町尻二)
黒沼神社(くろぬまの かみのやしろ)
・黒沼神社(福島市御山堂殿)
・黒沼神社(福島市松川町金沢宮ノ前)
・黒沼神社(福島市松川町浅川宮本)
東屋沼神社(貞・名神大)(あつまやのぬま かみのやしろ)
・東屋沼神社(福島市飯坂町平野明神脇)
東屋國神社(貞)(あつまやくにの かみのやしろ)
・東屋國神社(福島市飯坂町中野天沼)
白和瀬神社(貞)(しらわせの かみのやしろ)
・白和瀬神社(福島市大笹生折戸)
志太郡(したの こおり) 1座(小)
敷玉早御玉神社(しきたまはやみたまの かみのやしろ)
・敷玉早御玉神社(大崎市古川楡木諏訪)
・敷玉早御玉神社〈若宮八幡神社 境内社〉(大崎市三本木新沼若宮)
磐城郡(いはきの こおり) 7座(並小)
大國魂神社(をほくにたま かみのやしろ)
・大國魂神社(いわき市平菅波宮前)
二俣神社(ふたまたの かみのやしろ)
・二俣神社(いわき市小川町下小川地字梅ノ作)
温泉神社(貞)(ゆのいつみの かみのやしろ)
・温泉神社(いわき市常磐湯本町三函)
佐麻久嶺神社(さまくみねの かみのやしろ)
・佐麻久嶺神社(いわき市平中山宮下)
住吉神社(すみよし かみのやしろ)
・住吉神社(いわき市小名浜住吉)
住吉神社(すみよしじんじゃ)は 社伝に第12代 景行天皇の時に武内宿弥が勅命を奉じて東北を巡視した折 海陸共に要害の地であったこの地を東北の関門 総鎮守として航海安全と国家鎮護として祀ったとあり 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される”住吉神社 七社”の一つ 式内社 陸奥国 磐城郡 住吉神社(すみよし かみのやしろ)であり 東北一社とも称しています
住吉神社(いわき市小名浜住吉)
鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)
・鹿島神社(いわき市常磐上矢田町)
鹿嶋神社(かしまじんじゃ)は 神護景雲二年(七六八年)創建と伝わり 古より鬼人が出没し 人畜に被害を及ぼし 庶民は大いに苦しんでいた時 武甕槌命が天より現れ 鏑矢で悪鬼を退治し 国家安泰となり 以来 鹿島明神として この山上に鎮座と伝わる 『延喜式神名帳927 AD.』所載 磐城郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)とされます
鹿島神社(いわき市常磐上矢田町)
子鍬倉神社(こくはくら かみのやしろ)
・子鍬倉神社(いわき市平揚土)
標葉郡(しねはの こおり) 1座(小)
芻野神社(くさの かみのやしろ)
・苕野神社(浪江町請戸東迎 字東向)
牡鹿郡(をしかの こおり) 10座(大2座・小8座)
零羊埼神社(名神大)(ひつしさきの かみのやしろ)
・零羊崎神社(石巻市湊牧山)
・零羊崎神社(石巻市真野字内山)
香取伊豆乃御子神社(かとりいつのみこ かみのやしろ)
・香取伊豆乃御子神社(石巻市折浜竹沢)
香取伊豆乃御子神社(かとりいづのみこじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 牡鹿郡 香取伊豆乃御子神社(かとりいつのみこ かみのやしろ)とされます 御祭神は 香取神宮の苗裔神(びょうえいしん)〈香取伊豆乃御子神(阿佐比古命)〉とされます
香取伊豆乃御子神社(石巻市折浜竹沢)
・和渕神社(石巻市和渕町)
和渕神社(わぶちじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 牡鹿郡 香取伊豆乃御子神社(かとりいつのみこ かみのやしろ)の論社です 大古 香取神社の神船が 常陸より牡鹿郡 和渕山の西辺(船島)に着き その東方に船を留め(船澤)山頂に宮柱を立て神様を祭祀したとも 坂上田村麿将軍が 大同二年(806)遠田郡箆岳へ十一面観音を建立の節に和渕山本宮に「木船明神」を勧請したのがはじまりとも伝えられる
和渕神社(石巻市和渕町)
伊去波夜和氣命神社(いさりはやわけのみこと かみのやしろ)
・伊去波夜和氣命神社(石巻市大宮町)
・伊去波夜和氣命神社(石巻市水沼字平畑)
曽波神社(そはの かみのやしろ)
・曾波神社(石巻市蛇田字曽波山)
拝幣志神社(名神大)(をかみへしの かみのやしろ)
・拝幣志神社 ・箱崎八幡神社(石巻市八幡町)
鳥屋神社(とりや かみのやしろ)
・鳥屋崎神社(石巻市山下町)
・羽黒山鳥屋神社(石巻市羽黒町)
大嶋神社(おほしま かみのやしろ)
・大嶋神社(石巻市住吉町)
・金華山黄金山神社(石巻市鮎川浜金華山)
鹿嶋御兒神社(かしまのみこの かみのやしろ)
・鹿島御児神社(石巻市日和が丘)
鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)は 太古 関東の鹿島 香取の両神宮祖神の御子が共に命を受けて海路奥州へ下向し その乗船がたまたま石巻の沿岸に到り 停泊して錨を操作した際 石を巻上げたことから 石巻という地名の発祥をみたのだとの言い伝えがあり 石巻に上陸されたと伝わります
鹿島御児神社(石巻市日和が丘)
久集比奈神社(くすひなの かみのやしろ)
・久集比奈神社(石巻市高木字上品山)
計仙麻神社(けせまの かみのやしろ)
・五十鈴神社(気仙沼市魚町)
〈五十鈴神社の境内 龍神社〉
・朝日山計仙麻神社(石巻市北村字朝日山)
・羽黒神社(気仙沼市字後九条)
・計仙麻大嶋神社(本吉郡南三陸町歌津字樋の口)
・金華山黄金山神社(石巻市鮎川浜金華山)
桃生郡(ものの こおり) 6座(大1座・小5座)
飯野山神社(いひのやまの かみのやしろ)
・飯野山神社(石巻市飯野字宮下北)
・飯野山神社(石巻市飯野字外吉野戸場柄)
日髙見神社(ひたかみの かみのやしろ)
・日高見神社(石巻市桃生町太田字拾貫壱番)
二俣神社(ふたまたの かみのやしろ)
・二俣神社(石巻市三輪田字尾崎前)
・石上神社(東松島市浜市字東浮足)
石神社(いはかみのやしろ)
・石神社〈石峰山 山頂〉(石巻市雄勝町大浜字石峰大久保山)
・葉山神社〈石峰山里宮〉(石巻市雄勝町大浜)
・石上神社(東松島市浜市字東浮足)
・鹿石神社(東松島市矢本字上沢目)
・龍口神社(石巻市前谷地字龍口山)〈龍口神社の境内 石神社〉
・石神社(石巻市前谷地字 天王山)〈龍口神社に合祀の石神社の旧跡〉
・八雲神社〈八雲神社の境内 石上神社〉(石巻市桃生町倉埣人家)
・岩倉神社(気仙沼市本吉町菖蒲沢)
計仙麻大嶋神社(名神大)(けせまおほしまの かみのやしろ)
・大島神社(気仙沼市亀山)
・御崎神社(気仙沼市唐桑町字崎浜)
・計仙麻大嶋神社(本吉郡南三陸町歌津字樋の口)
小鋭神社(をとの かみのやしろ)
・賀茂小鋭神社(石巻市福地字加茂崎)
・柳津虚空蔵尊(登米市津山町柳津字大柳津)
〈賀茂小鋭神社の旧鎮座地であった〉
・大島神社(気仙沼市亀山)
・白鳥神社(石巻市桃生町城内字舘下)
行方郡(なめがたの こおり) 8座(大1座・小7座)
髙座神社(たかくら かみのやしろ)
・高座神社(南相馬市原町区押釜前田)
日祭神社(ひまつりの かみのやしろ)
・日祭神社(南相馬市原町区大甕舘)
冠嶺神社(さかみねの かみのやしろ)
・冠嶺神社(南相馬市原町区信田沢戸ノ内)
・冠嶺神社(南相馬市鹿島区上栃窪宮下)
・蛯澤稲荷神社(南相馬市小高区蛯沢広畑)
御刀神社(みとの かみのやしろ)
・御刀神社(南相馬市鹿島区南海老剱ノ宮)
鹿嶋御子神社(かしまみこの かみのやしろ)
・鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町)
鹿島御子神社(かしまみこじんじゃ)は 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)祭神 武甕槌命の御子神 天足別命(あめのたらしわけのみこと)を祀ります 奥州の地を統御する為 この地で〈鹿島の稚児沼に仮宮された時〉賊徒が ...
鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町)
・鹿島御子神社旧蹟碑(南相馬市鹿島区鹿島町)
鹿島御子神社旧蹟(かしまみこじんじゃ きゅうせき)は 大同元年(西暦806)に現在の社地に社殿を造営し遷座するまでの旧鎮座地です 社伝に「日本武尊命御東征の時 此の鹿島御子神社に武運長久の祈願ありて、其の霊験に依り、乱臣賊子は速やかに征服し得て、其后益々 御子神社は特に軍神として武人崇敬の神となれり」とあるのはこの旧蹟地になります
鹿島御子神社旧蹟(南相馬市鹿島区鹿島町)
益多嶺神社(ますたみねの かみのやしろ)
・益多嶺神社(南相馬市小高区大井宮前)
多珂神社(貞・名神大)(たかの かみのやしろ)
・多珂神社(南相馬市原町区高城ノ内)
・貴布禰神社(南相馬市小高区仲町)
押雄神社(貞)(をしをの かみのやしろ)
・押雄神社古社地(南相馬市原町区押釜)
・押雄神社(南相馬市原町区北新田諏訪)
栗原郡(くりはらの こおり) 7座(大1座・小6座)
表刀神社(うへとの かみのやしろ)
・表刀神社(栗原市築館字成田)
・表刀神社(大崎市古川小野字宮前)
・新山神社(栗原市栗駒泉沢新山下)
志波姫神社(名神大)(しはひめ かみのやしろ)
・志波姫神社(大崎市古川桜ノ目高谷地)
・志波姫神社(栗原市高清水字五輪)
・志波姫神社(栗原市志波姫姫郷字八樟新田)
・伊豆大権現(栗原市築館源光)
〈志波姫神社(栗原市志波姫姫郷字八樟新田)の古社地〉
・皇大神社(栗原市高清水字佐野丁)
雄鋭神社(をとの かみのやしろ)
・雄鋭神社(栗原市栗駒稲屋敷高松)
・御嶽神社(栗原市鴬沢袋持添)
駒形根神社(こまかたねの かみのやしろ)
・駒形根神社〈勅宣日宮〉(栗原市栗駒沼倉一ノ宮)
・駒形根神社 嶽宮(栗原市栗駒沼倉 栗駒山頂上)
和我神社(わかの かみのやしろ)
・和我神社(栗原市築館字萩沢木戸)
・和我神社(栗原市栗駒桜田小袋)
・御賀八幡神社(栗原市若柳有賀字八幡)
香取御兒神社(かとりみこ かみのやしろ)
・香取御児神社〈旧鎮座地〉(栗原市築館久伝)
香取御児神社(かとりみこじんじゃ)〈旧鎮座地〉は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 栗原郡 香取御兒神社(かとりみこかみのやしろ)の論社地です 『観跡聞老志區別帳』『登米縣の注進』に「所在は築館村 二尺程の石をたてて 香取神社と彫付ありと云る」と記されています
香取御児神社(栗原市築館久伝)〈旧鎮座地〉
・香取御児神社〈鹿島神社に合祀〉(栗原市築館黒瀬後畑)
鹿島神社(かしまじんじゃ)は 東夷征伐後の入植者により 常陸国鹿島より黒瀬向山(三峯山)に勧請 江戸初期に現在地に遷座 この時 香取御兒社(かとりみこしゃ)を相殿に合祀 香取御兒社は『延喜式神名帳927 AD.』所載 栗原郡 香取御兒神社(かとりみこかみのやしろ)の論社で 勧請は 第12代景行天皇の時とも 神護景雲元年(767)城生野 伊治城の造営時とも伝わります
鹿島神社〈香取御兒社を合祀〉(栗原市築館黒瀬後畑)
遠流志別石神社(貞)(をるしわけいは かみのやしろ)
・遠流志別石神社(登米市石越町北郷中澤)
・荒雄川神社(大崎市鳴子温泉鬼首久瀬)
・白山神社(栗原市築館富下熊川)
膽澤郡(いさはの こおり) 7座(並小)
磐神社(いはの かみのやしろ)
・磐神社(奥州市衣川区石神)
駒形神社(こまかた かみのやしろ)
・駒形神社 本社(奥州市水沢中上野町)
駒形神社 本社(こまがたじんじゃ ほんしゃ)は 「陸中国一之宮」とされていて 駒ヶ岳山頂に「奥宮」が鎮座します 古代には 付近一帯が軍馬の産地であったと考えられていて 御祭神「駒形神」は「馬の守護神」ともされています 馬頭観音や大日如来と神仏習合して 東日本の各地に勧請されて 広く信仰されていきます
駒形神社 本社(陸中一宮)
・駒形神社 里宮(金ヶ崎町西根雛子沢)
駒形神社 里宮(こまがたじんじゃ さとみや)は 江戸時代(1603年 ~1700年頃)に仙台藩側から駒ヶ岳山頂の奥宮に向かう参拝路口にあたる「金ヶ崎の里宮」になります 明治4年(1871)に 山頂の「奥宮」が 国幣小社に列する際に 奥宮・里宮とも参拝時の交通が不便であるので 当時の水沢県県庁に近い水沢の鹽竈神社の本殿が仮遥拝所とされました それが現在の駒形神社「本社」となります この「奥宮」と「本社」の中間なので「中宮」とも呼ばれています
駒形神社 里宮(陸中国一之宮)
和我叡登舉神社(貞)(わかえとこの かみのやしろ)
・廃絶し現在地不明
・和我叡登挙神社(奥州市衣川区松下)
〈月山神社 本殿の前 山頂の奇石〉
石手堰神社(いはてゐ かみのやしろ)
・石手堰神社(奥州市水沢黒石町小島)
膽澤川神社(いさはかはの かみのやしろ)
・於呂閇志胆澤川神社(奥州市胆沢若柳下堰袋)
止止井神社(ととゐの かみのやしろ)
・止止井神社(奥州市前沢古城野中)
・止止井神社跡(奥州市胆沢南都田字清水下)
〈止止井神社(奥州市前沢古城野中)の旧鎮座地〉
於呂閉志神社(をろへしの かみのやしろ)
・於呂閇志神社古社地〈奥宮〉(奥州市胆沢若柳)
・於呂閇志胆澤川神社(奥州市胆沢若柳下堰袋)
新田郡(にひた こおり) 1座(小)
子松神社(こまつの かみのやしろ)
・子松神社(大崎市古川新田鹿島西)
・子松神社(田村市常葉町常葉中町)
・大崎八幡神社(大崎市田尻八幡字御殿坂)
・荒神社・子松神社(登米市迫町新田狼ノ欠)
磐瀬郡(いはせの こおり) 1座(小)
桙衝神社(ほこつきの かみのやしろ)
・桙衝神社(須賀川市桙衝亀居山)
會津郡(あいづの こおり) 2座(大1座・小1座)
伊佐須美神社(貞・名神大)(いさすみの かみのやしろ)
・伊佐須美神社(会津美里町)
伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)は 『古事記』第10代 崇神天皇の段に゛四道将軍派遣の時 建沼河別と 其の父 大毘古命が相津(あいづ)にて行き逢った゛と記され 社伝には この時 天津嶽に伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神を 国家鎮護の神として奉齋した事に始まると伝えます 延喜式内社 陸奥国 会津郡 伊佐須美神社 名神大(いさすみの かみのやしろ)です
伊佐須美神社(会津美里町宮林甲)
蚕養國神社(貞)(こかひくにの かみのやしろ)
・蠶養國神社(会津若松市蚕養町)
小田郡(をだ こおり) 1座(小)
黄金山神社(こかねやまの かみのやしろ)
・黄金山神社(遠田郡涌谷町涌谷字黄金宮前)
・金華山黄金山神社(石巻市鮎川浜金華山)
耶磨郡(やま こおり) 1座(小)
磐椅神社(貞)(いはきの かみのやしろ)
・磐椅神社(耶麻郡猪苗代町西峰)
・磐梯神社(耶麻郡磐梯町磐梯並杉)
斯波郡(しはの こおり) 1座(小)
志賀理和氣神社(貞)(しかりわけの かみのやしろ)
・志賀理和氣神社〈赤石神社〉(紫波郡紫波町桜町本町川原)
氣仙郡(けせんの こおり) 3座(小)
理訓許段神社(貞)(りくこたの かみのやしろ)
・冰上神社(陸前高田市高田町西和野)
・尾崎神社 本殿(大船渡市赤崎町鳥沢)
・尾崎神社 拝殿(大船渡市赤崎町鳥沢)
登奈孝志神社(貞)(となかしの かみのやしろ)
・冰上神社(陸前高田市高田町西和野)
衣太手神社(貞)(きぬたての かみのやしろ)
・冰上神社(陸前高田市高田町西和野)
安積郡(あさかの こおり) 3座(大1座・小2座)
宇奈己呂和氣神社(貞・名神大)(うなころわけの かみのやしろ)
・宇奈己呂和氣神社(郡山市三穂田町)
飯豊和氣神社(貞)(いひとよわけの かみのやしろ)
・飯豊和氣神社(郡山市三穂田町下守屋妙見)
・飯豊和氣神社 遥拝殿(三穂田町下守屋上豊舘)
・安達太良神社(本宮市本宮舘ノ越)
隠津嶋神社(貞)(おいつしまの かみのやしろ)
・隠津島神社(喜久田町堀之内宮)
・木幡山隠津島神社(二本松市木幡治家)
・隠津島神社(湖南町福良)
柴田郡(しはたの こおり) 1座(大)
大髙山神社(貞・名神大)(おほたかやまの かみのやしろ)
・台の山遺跡(柴田郡大河原町金ケ瀬新開)
〈大高山神社の当初の鎮座地〉
・大高山神社(柴田郡大河原町金ケ瀬新開)
〈大高山神社の遷座地〉
・大高山神社(柴田郡大河原町金ヶ瀬字台部)
〈大高山神社の現在の鎮座地〉
宇多郡(うたの こおり) 1座(大)
子負嶺神社(名神大)(こひみねの かみのやしろ)
・子眉嶺神社(相馬郡新地町駒ケ嶺大作)
子眉嶺神社(こびみねじんじゃ)は 今から1300年の昔 「飛鳥(あすか)の都」から 遠く離れた「陸奥國(むつのくに)」に逃れてきた 美しく身分の高い姫君の物語「姫君と名馬」の伝承を持ちます 神社の格式は 大和朝廷に敬われ 延喜の制では最高の名神大社となった古社です
子眉嶺神社(相馬郡新地町)
伊具郡(いくの こおり) 2座(並小)
熱日髙彦神社(貞)(あつひたかひこの かみのやしろ)
・熱日高彦神社(角田市島田鳥内)
鳥屋嶺神社(貞)(とりやみねの かみのやしろ)
・鳥屋嶺神社(丸森町除北)
磐井郡(いはゐの こおり) 2座(並小)
配志和神社(貞)(はいしわの かみのやしろ)
・配志和神社(一関市山目館)
儛草神社(貞)(まひくさの かみのやしろ)
・儛草神社(一関市舞川大平)
江刺郡(えさし こおり) 1座(小)
鎮岡神社(しつめをかの かみのやしろ)
・鎭岡神社(奥州市江刺岩谷堂字五位塚)
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『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました 当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています このページは 「東山道」に鎮座する(382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340)神社の一覧表です
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