実践和學 Cultural Japan heritage

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伊邪那岐神社(上牧町下牧)〈延喜式内社〉

伊邪那岐神社(いざなぎじんじゃ)は 延喜式内社 大和國葛下郡 伊射奈岐神社(いざなぎの かみのやしろ)です 上牧町下牧の山上に鎮座し 伊邪那岐命を主祭神に春日・八幡・住吉・稲荷の神を相殿に祀ります かつては忍山にあって「五社神社」と呼ばれていましたが 疫病の流行により静寂の地を求めて現在地へ遷ったと伝わります

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

伊邪那岐神社(Izanagi shrine)

【通称名(Common name)】

〈旧称・俗称〉五社神社(ごしゃじんじゃ)・五社神(ごしゃがみ)

【鎮座地 (Location) 】

奈良県北葛城郡上牧町下牧5-512

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神》
 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

《相殿神》
〈春日〉天児屋根命(あめのこやねのみこと)
〈八幡〉応神天皇(おうじんてんのう)
〈住吉〉住吉三柱神(すみよしみはしらのかみ)
〈稲荷〉倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

今回 調べた資料には特に記されていませんでした

【格 式 (Rules of dignity) 】

・ 国史に記載される神社の論社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇實録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社の論社

【創 建 (Beginning of history)】

現地案内板の原文

伊邪那岐神社 御由緒略記

一、鎮座地 下牧字田池(現在下牧五丁目五百十二番地)

一、御祭神 伊邪那岐命
  相殿に 春日、八幡、住吉、稲荷の神を祭る

一、延喜式内社

一、祭祀
  一月歳旦祭(一日) 二月祈年祭(十一日) 七月夏例祭(第一日曜日)
  十月秋例祭 宵宮祭(十六日) 十一月新嘗祭(二十三日)

一、由緒

 創建年代不詳、もと東田口(ひがいだぐち)の忍山(しのんやま)にあったが 疫病が流行したので静寂の聖地を求めて現在地に移したという。(移転の時期は不詳)
旧地は住宅化して(現在の片岡台三丁目あたり)その頃は五社神社といっていた。

 また足利時代の末期に片岡新助がここに城を築き春日、八幡の両神を守護神として祭ったという伝承がある。

 社殿は流れ造りで明治十二年の造営、昭和四十三年改築されている。

 「延喜式巻九」の神名帳に「葛下郡 伊邪奈岐神社」とある
 社号表に「延喜式内 伊邪那岐神社、春日大社宮司三条実謹書」裏に「昭和四十六年壱月吉祥日」と刻んである。

 「村誌」(明治十四年調べ)には「延喜ノ時 大社タリシニ 明治五年郷社トナリ 明治七年式内ノ村社ニ列セラル」とある。

 境内に石灯籠が数多く立ち信仰の篤さを示している
 その中に寛文年号のものもある。

上牧町史より抜粋

現地案内板より

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【由 緒 (History)】

『大和志料 下巻』〈大正3年(1914年)〉に記される由緒

【原文抜粋】

伊射奈岐(イザナギ)神社

上牧村大字下牧〈田池〉ニアリ、式内小社伊射奈岐神社ナリト云フ、俗ニ五社神ト稱ス、志ニ古ヘハ忍山ノ東ニアリト、遷座ノ由來詳カナラス、今村社タリ。

【現代語訳】

伊射奈岐神社

 上牧村大字下牧(字田池)にあります 延喜式内の小社である伊射奈岐神社であるといわれ 俗に「五社神」と呼ばれています 『大和志』には 古くは忍山の東にあったと記されていますが 遷座の由来は詳らかではありません 現在は村社です

【原文参照】

奈良県 編『大和志料』下巻,奈良県教育会,大正3年(1914年).国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/950814 (324頁)

上牧町役場HPより

伊邪那岐神社

下牧と金富との間に横たわる山の頂にあり、祭神は伊邪那岐命です。

主神の伊邪那岐命を中央にして、相殿とし春日、八幡、住吉、稲荷の神をまつっています。もと指定村社で、町内の神社では格式が高いとも言われていました。
神殿は流れ造りで明治12年(1879)の造営で昭和43年(1968)に改築されています。

もと東田口の忍山(しのんやま)にありましたが疫病が流行したので静寂の聖地をもとめて現在の地に移したといわれています。
旧地は現在住宅化している丘陵の中央で頂上が平地になっていました。そのころは五社神社と言われていたようです。

また足利の末期に片岡国春がここに片岡城を築いたときに春日、八幡の両神を守護神としてまつったという言い伝えもあります。

『延書式巻九』の神名帳には、「葛下郡伊邪奈岐神社」と書かれている神社がこれではないかといわれています。

また『大和国町村誌集』には「下牧、神社、伊邪奈岐神社」とあり、明治24年の『神社明細帳』にも「伊財奈岐神社」とかかれていますが、今は伊邪那岐神社と書いています。

境内に末社はありませんが石灯篭が数多く並んでいて、信仰の篤さを示しています。その石灯篭の中には寛文年号のものもあります。

※伊邪那岐神社へは車で行くことができません。

上牧町役場HPより
https://www.town.kanmaki.nara.jp/soshiki/machizukuri/gyomu/kanko_joho/meisho/773.html

奈良県公式HP「Nara iko」より
Katsuragi History & Culture

伊邪那岐神社 いざなぎじんじゃ

伊邪那岐命を主神に春日、八幡、住吉、稲荷の神を祀っている。もとは五社神社といい東田口にあったが、疫病が流行したので静寂の地をもとめ現在地に移したといわれている。また、足利の末期に片岡新助がここに城を築き、春日、八幡の両神を守護神として祀ったいう伝承がある。

奈良県北葛城郡上牧町下牧5-512

奈良県公式HP「Nara iko」より
https://naraiko.pref.nara.jp/en/spots/ibgs1pbloi

【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・伊邪那岐神社 本殿

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・伊邪那岐神社 拝殿

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・境内

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・社頭

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・旧鎮座地〈現在の片岡台三丁目あたり〉

伊邪那岐神社から 1km程東側を流れる滝川を越えた丘陵地帯

境内案内板には「創建年代不詳、もと東田口(ひがいだぐち)の忍山(しのんやま)にあったが 疫病が流行したので静寂の聖地を求めて現在地に移したという。(移転の時期は不詳)
旧地は住宅化して(現在の片岡台三丁目あたり)その頃は五社神社といっていた。」

史料に見える旧鎮座地の記し方

旧鎮座地について 『神社覈録』〈明治3年〉『神祇志料』〈明治9年〉『大和志料』〈大正3年〉の「伊射奈岐神社」の項は いずれも『大和志』を引いて「忍山の東」にあったと記しています
一方 現地案内板(上牧町史より抜粋)は「もと東田口(ひがいだぐち)の忍山(しのんやま)にあった」と記しています

旧鎮座地が忍山そのものか その東かは 史料によって記し方が異なっています

【この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)】

この神社について 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があれば 由緒(格式ある歴史)を紹介します

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

大和國 從五位下 伊射奈岐神に並從五位上と 諸国 267社の神々と共に神階の奉授が記されています

ただし この「伊射奈岐神」について『神社覈録』は「〈筆者の連胤〉考えますに 伊射奈岐神社は 大和国の添下郡・葛下郡・城下郡の三か所にあります しかし今回の位階昇叙の記事には郡名が記されていません そのため三社すべてにこの記事を掲げて 後の考証を待つほかありません」としています

【原文抜粋】

卷二 貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申

○廿七日甲申
 京畿七道諸神、進階及新叙。惣二百六十七社。奉授

淡路國
 无品勳八等伊佐奈岐命一品

備中國
三品吉備都彦命二品。

神祇官
 无位神産日神。高御産日神。玉積産日神。生産日神。足産日神並從一位
 无位生井神。福井神。綱長井神。波比祇神。阿須波神。櫛石窓神。豐石窓神。生嶋神。足嶋神並從四位上。

宮内省
 從三位園神。韓神並正三位
大膳職
 正四位下御食津神從三位
左京職
 從五位上太祝詞神。久慈眞智神並正五位下
大膳職
 從五位下火雷神。大炊寮從五位下 大八嶋竈神八前。齋火武主比命神
内膳司
 從五位下庭火皇神。造酒司從五位下大戸自神等 並從五位上
 无位酒殿神從五位下

山城國

 正二位勳二等松尾神從一位。
 葛野月讀神。平野今木神並正二位
 正四位下稻荷神三前並正四位上
 正四位下大若子神。小若子神。酒解神。 酒解子神並正四位上
 平野從四位下久度古開神從四位上
 正五位上貴布禰神。正五位下乙 訓火雷神。從五位上水主神等並從四位下
 正五位下合殿比咩神正五位上
 從五位下樺井月讀神。木嶋天照御魂神。和攴神並正五位下
 從五位下祝園神。天野夫攴賣神。 岡田鴨神。岡田園神。樺井月神。棚倉孫神。許波多神。出雲井於神。片山神。鴨川合神等並從五位上
 正六位上與度神。石作神。向神。簀原神。鴨山口神。小野神。久 我神。高橋神。雙栗神。水度神。伊勢田神。无位小社神並從五位下

大和國
 從一位大己貴神正一位
 正二位葛木御歳神。從二位勳八等高鴨阿治須岐宅比古尼神。從二位高市御縣鴨 八重事代主神。從二位勳二等神大物主神。從二位勳三等大和大國魂神。正三 位勳六等石上神。正三位高鴨神並從一位
 正三位勳二等葛木一言主神。高天彦神。葛木火 雷神並從二位
 從三位廣瀬神。龍田神。從三位勳八等多坐彌志理都比古神。金峰神並正三位。
 正四位下丹生川上雨師神從三位
 從五位下賀夜奈流美神正四位下
 從五位下勳八等穴師兵主神。片岡神。夜岐布山口神並正五位上
 從五位下都祁水分神。都祁山口神。石寸山 口神。耳成山口神。飛鳥山口神。畝火山口神。長谷山口神。忍坂山口神。宇陀水分神。吉 野水分神。吉野山口神。巨勢山口神。葛木水分神。鴨山口神。當麻山口神。大坂山口神。 伊古麻山口神並正五位下
 從五位下和爾赤坂彦神。山邊御縣神。村屋禰富都比賣神。池坐朝霧黄幡比賣神。鏡作天照御魂神。十市御縣神。目原高御魂神。畝尾建土安神。子部神。天香山大麻等野知神。宗我都比古神。甘樫神。稔代神。牟佐坐神。高市御縣神。輕樹村神。天高市神。太玉命神。櫛玉命神。川俣神。波多井神。坐日向神。卷向若御魂神。他田天 照御魂神。志貴御懸神。忍坂生根神。葛木倭文天羽雷命神。長尾神。石園多久 豆玉神。調田一事尼古神。金村神葛木御縣神。火幡神。往馬伊古麻都比古神。平群石床神。 矢田久志玉比古神。添御縣神。伊射奈岐神。葛木二上神並從五位上
 无位水越神從五位下

河内國
 從一位勳三等枚岡天兒屋根命正一位

・・・〈以下略〉・・・

【原文参照】

「日本三代実録」(特025-0003)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/file/12720804

「日本三代実録」(特025-0003)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/file/12720804

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています

・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(大128座(月次新嘗・就中31座預相甞)・小158座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)葛下郡 18座(大13座・小5座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 伊射奈岐神社
[ふ り が な ](いざなぎの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Izanagi no kaminoyashiro)

【原文参照】

[件名・細目]「延喜式 巻9」(特026-0001-0004)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/item/4028147

【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社の内「いざなぎの かみのやしろ」の名称を持つ神社

「いざなぎ」の名称を持つ式内社は
・大和國に三社・摂津國に一社・伊勢國に一社・若狭國に一社・淡路國に一社の計7社

又 阿波國には「いざなみの かみのやしろ」一社があります

 それぞれの論社を紹介します

延喜式内社 大和國 添下郡 伊射奈岐神社〔大 月次 新嘗〕(いさなぎの かみのやしろ)

・伊弉諾神社(生駒市上町)

延喜式内社 大和國葛下郡 伊射奈岐神社(いざなぎの かみのやしろ)

・伊邪那岐神社(上牧町下牧)

一緒に読む
伊邪那岐神社(上牧町下牧)〈延喜式内社〉

伊邪那岐神社(いざなぎじんじゃ)は 延喜式内社 大和國葛下郡 伊射奈岐神社(いざなぎの かみのやしろ)です 上牧町下牧の山上に鎮座し 伊邪那岐命を主祭神に春日・八幡・住吉・稲荷の神を相殿に祀ります かつては忍山にあって「五社神社」と呼ばれていましたが 疫病の流行により静寂の地を求めて現在地へ遷ったと伝わります

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延喜式内社 大和國 城上郡 伊射奈岐神社(いさなきの かみのやしろ)

・伊射奈岐神社(天理市柳本町)

・大己貴神社(宇陀市榛原柳)

延喜式内社 摂津國 嶋下郡 伊射奈岐神社二座(並大月次新嘗)(いさなきの かみのやしろ ふたくら)

・伊射奈岐神社〈五社宮〉(吹田市山田東)

・伊射奈岐神社(吹田市佐井寺)

延喜式内社 伊勢國 度會郡 伊佐奈岐宮二座(伊佐奈弥命一座・並 大 月次 新嘗)(いさなきのみや ふたくら)

・伊佐奈岐宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉(月讀宮境内)
・伊佐奈弥宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉(月讀宮境内)

一緒に読む
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉

月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 各々が皇大神宮(内宮)の別宮で 明治6年(1873)現在の四つ宮並列した形で鎮座しました 『皇太神宮儀式帳(804年)』には「月讀宮一院 正殿四区」と一宮に四殿と記し 『延喜式〈927年〉』には「伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院」「「月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院」と二宮であったと記されています

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延喜式内社 若狭國大飯郡 伊射奈伎神社(いさなきの かみのやしろ)

・伊射の森(小浜市飯盛)
〈式内社・伊射奈伎神社の旧蹟〉

・伊射奈伎神社(大飯郡おおい町福谷)

・伊弉諾神社(大飯郡高浜町小和田)

延喜式内社 淡路國 津名郡 淡路伊佐奈伎神社〔名神大〕(あはじいさなきの かみのやしろ)

・伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)

一緒に読む
伊弉諾神宮(淡路市多賀)〈淡路幽宮・淡路國一之宮〉

伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は 『記紀神話』の日本創成で 伊弉諾尊と伊弉冉尊が 日本の国土開拓に着手された時 「天沼矛から滴るしずく」で 最初に造り上げた島「淡路島(awaji shima)」に鎮座します 御祭神は 「国生み神話の地」にふさわしい「伊弉諾尊と伊弉冉尊」で神代のロマンを感じます 

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延喜式内社 阿波國美馬郡 伊射奈美神社(いさなみの かみのやしろ)

・高越神社(吉野川市山川町木綿麻山)

・伊射奈美神社(美馬市穴吹町三島舞中島)

・八幡神社(美馬市脇町大字猪尻)

・十二所神社(美馬市穴吹町口山尾山)

・伊射奈美神社(美馬市美馬町中鳥)

・伊射奈美神社原社跡(美馬市美馬町中鳥)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR和歌山線 畠田駅から東へ約900m 山へと上がって行きます 徒歩での所要時間は13~20分程度

この地図の通り 行けませんでした

グーグルマップの図示案内がうまくできないので 文章で補足します

とにかく 道が狭いので 車で行かないことをお勧めします

グーグルマップの図示案内の通りに行くと「金富公園」に行ってしまいました

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金富公民館があります

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ここからは 行けそうもない〔行けそうな感じがしなかった〕ので 葛下川に架かる鼻下橋まで戻って

葛下川に架かる鼻下橋を渡って まっすぐ細い道を山へと上がります
道が二手に分かれますので 車の進入禁止となっている左側の道を山へと進んでいきます

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地蔵堂があり 片岡城跡の案内板があります

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片岡城跡

 葛下川にのぞむ瓔珞山の先端を利用した標高九〇.二mの主曲輪を中心とする山城です。

 瓔珞山の西側を流れる葛下川とは急な崖で臨みさらに東側を流れる滝川と山の北側で合流するため山麓は湿地帯となり、片岡谷では屈指の天然の要害地でした。

 片岡城は十六世紀初頭に片岡氏の居城として築かれました。
 ここに城を築く以前の片岡氏の居城は送迎山城(香芝市)でしたが、片岡 国春がこの地に城を築き移り住みました。

 永禄十二年(一五六九)四月八日、河内を中心に近畿一円に勢力を保っていた松永 久秀の軍勢により攻撃を受けました。
 時の城主は八千石を領する片岡 春利です。
 松永の攻撃は九日間にもおよび、ついに十六日に落城。それ以後は信貴山に本城を置く松永の支城となりました。

 天正五年(一五七七)松永久秀は突如、主君織田信長に謀反を起こし信貴山城に立てこもります。松永久秀を攻めるため、信長の家臣である明智光秀・筒井 順慶ら、諸将が出陣し信貴山城の支城である片岡城を攻めました。
 天正五年 一〇月一日落城。

 片岡氏・松永氏と続いた片岡城はここに終焉を迎えました。

 (図)片岡城跡縄張図
 〈図中の表記〉現在地/至 下牧集落/至 JR畠田駅/至 伊邪那岐神社

上牧町教育委員会

現地案内板より

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〈図中の表記〉現在地/至 伊邪那岐神社が 参道にあたります

石燈籠が建ち ここが参道入口になっています
伊邪那岐神社からは北東の位置になります

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参道は 長くうねうねと曲がりながら続いています

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地蔵堂から 200メートル以上は歩いただろうか 行く手に玉垣が見えてきました

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社頭に出ました 境内は ほぼ東向きです

伊邪那岐神社(上牧町下牧)に参着

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社頭の案内板です

「創建年代不詳、もと東田口(ひがいだぐち)の忍山(しのんやま)にあったが 疫病が流行したので静寂の聖地を求めて現在地に移したという。(移転の時期は不詳)
旧地は住宅化して(現在の片岡台三丁目あたり)その頃は五社神社といっていた。」とあります

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延喜式内 伊邪那岐神社と刻字のある社号標 鳥居に一礼をして境内へと進みます

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拝殿にすすみます

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拝殿に掲げられた額文です

伊邪那岐神社(扁額)

【原文抜粋】

伊邪那岐神社

片岡祠屋瑞雲飛
五百年餘此地肥
日日萬民加護篤
伊邪那岐洽神威

  片岡里住清峰 芳倉清隆

【現代語訳】

伊邪那岐神社  芳倉清隆(号・清峰)作

片岡の地にあるこのお社には めでたい雲がたなびいている

五百年あまりにわたり この土地は豊かに実ってきた

日々 すべての人々に篤いご加護がもたらされ

伊邪那岐の神の御威光は あまねく行き渡っている

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 渡殿があり 御垣に囲まれて鳥居がある神域が一段高い社壇となっていて その内に本殿が祀られています

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社殿に一礼をして 東向きの境内を戻ります

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長い参道を戻ります

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猪 注意の立札がありました

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住宅地のすぐ傍ですが 辺りは 結構な山です

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西側へと降りて来ました

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この下の谷に葛下川が流れています 畠田駅の方面です

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 伊射奈岐神社について 所在は”下牧村に在り、〈大和名所圖會〉今 五社と稱す、其古宮趾在 忍(シノビ)山東”〈現 伊邪那岐神社(上牧町下牧)で 忍山東に旧鎮座地がある〉と記しています

【原文抜粋】

『神社覈録』伊射奈岐神社(348〜349頁)

伊射奈岐神社

伊射奈岐は假字也

○祭神明か也

 ○下牧村に在り、〈大和名所圖會〉今五社と稱す、其古宮趾在忍(シノビ)山東〈大和志〉

類社
 伊勢國度會郡伊佐奈岐宮の下見合すべし

神位
 三代實錄、貞觀元年正月廿七日甲申、奉レ授二大和國從五位下伊射奈岐神從五位上、
 〈此時ノ序次、皆月次新嘗ノ社ノミ、サレバ添下郡ノ社ナルカ、祭事記、比保古、添下郡ノ社一處トシテ、葛下城下ノ社ニヒカズ、〉

〈連胤〉按るに、伊射奈岐神社、當國添下郡、葛下郡、城下郡等三社あり、然るに此度の加階郡を載せず、故に皆三所に擧て後勘を俟のみ、

 

【現代語訳】

伊射奈岐神社

「伊射奈岐」は万葉仮名による表記です

○祭神は(社名のとおり伊射奈岐命であることが)明らかです

○下牧村にあります(『大和名所図会』による) 現在は「五社」と呼ばれています その旧社地は忍山の東にあります(『大和志』による)

類社
 伊勢国度会郡の伊佐奈岐宮の項をあわせてご参照ください

神位
 『日本三代実録』によれば 貞観元年(859)正月二十七日甲申 大和国の従五位下伊射奈岐神に従五位上が授けられました
 〈このときの叙位の順序を見ると いずれも月次祭・新嘗祭の幣帛にあずかる神社ばかりです そうであれば(これは)添下郡の社でしょうか 『祭事記』『比保古』では 添下郡の社を一社として挙げており 葛下郡・城下郡の社は引いていません〉

〈筆者の連胤〉考えますに 伊射奈岐神社は 大和国の添下郡・葛下郡・城下郡の三か所にあります しかし今回の位階昇叙の記事には郡名が記されていません そのため三社すべてにこの記事を掲げて 後の考証を待つほかありません

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 伊射奈岐神社について 所在は”今 下牧村にあり、五社と云ふ、舊址 忍山東にありしを、後 今地に移せり、”〈現 伊邪那岐神社(上牧町下牧)で 忍山東に旧鎮座地がある〉と記しています

【原文抜粋】

『神祇志料』伊射奈岐神社(巻之八・21頁)

伊射奈岐(イザナギノ)神社、

今下牧村にあり、五社と云ふ、舊址忍山東にありしを、後今地に移せり、〈大和志、名所圖會、〉天神伊弉諾尊を祭る、〈延喜式〉

【現代語訳】

伊射奈岐神社

 現在は下牧村にあり 「五社」と呼ばれています 旧社地は忍山の東にありましたが のちに現在地に移されました(『大和志』『大和名所図会』による) 天神(あまつかみ)伊弉諾尊(いざなぎのみこと)をお祀りしています(『延喜式』による)

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第8,9巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815494

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 伊射奈岐神社について 所在は”下牧村字大豆山(北葛城郡上牧村大字下牧)”〈現 伊邪那岐神社(上牧町下牧)〉と記しています

【原文抜粋】

『特選神名牒』伊射奈岐神社(大和國 葛下郡・65頁)

伊射奈岐(イザナギノ)神社

祭神 伊射那岐(イザナギノ)命

神位 清和天皇貞觀元年正月二十七日甲申奉レ授ニ大和國從五位下伊射奈岐神ニ從五位上
祭日 八月二十四日
社格 村社

所在 下牧村字大豆山(北葛城郡上牧村大字下牧)

【現代語訳】

伊射奈岐神社

祭神 伊射那岐命(いざなぎのみこと)です

神位 清和天皇の貞観元年(859)正月二十七日甲申 大和国の従五位下伊射奈岐神に従五位上が授けられました

祭日 八月二十四日です
社格 村社です

所在 下牧村字大豆山(現在の北葛城郡上牧村大字下牧)にあります

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

史料に見える鎮座地の字名

鎮座地の字名について 現地案内板(上牧町史より抜粋)と『大和志料』〈大正3年〉「伊射奈岐神社」の項は「字田池」と記し 『特選神名牒』〈明治9年〉「伊射奈岐神社」の項は「下牧村字大豆山」と記しています

同じ社の字名が史料によって異なって記されていますが どちらが正しいかを判断できる史料は今回確認できていません

伊邪那岐神社(上牧町下牧)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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大和國 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

一緒に読む
大和國 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)

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