実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

岩山神社(船井郡京丹波町塩田谷岩山)〈『延喜式』辨奈貴神社・出石鹿いそ部神社〉

岩山神社(いわやまじんじゃ)は 元々は辨奈貴岩の上に鎭座する辨奈貴大明神と称し 延喜式内社 丹波國 船井郡 辨奈貴神社(へなきの かみのやしろ)の論社 又 往古から何鹿神社(曽根竿代)の奥宮と云い延喜式内社 丹波國 船井郡 出石鹿部神社(いつしかのいそへの かみのやしろ)の旧鎮座地とも云われます

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

岩山神社(Iwayama shrine

通称名(Common name)

奥宮(おくみや)

【鎮座地 (Location) 

京都府船井郡京丹波町塩田谷岩山1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大己貴命(おほなむちのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『船井郡誌』に記される内容

【抜粋意訳】

第八章 社寺 神社

京都府編築の式内神社考證により、此等式内社の沿革を見るに左の如し

辨奈貴神社

祭神不祥 在所不祥

 或ハ曰ク 舩井郡䀋田村 岩山神社欺

【原文参照】

船井郡教育会 編『船井郡誌』,船井郡教育会,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/95092

【抜粋意訳】

第十五章 須知町 四 社寺

村社 岩山神社

岩山神社は元 辨奈貴岩の上に鎭座し、辨奈貴大明神と稱せしを、實暦五年現今の社地遷祀して岩山大權現と稱したりき。維新の後 神佛混淆を禁じ、佛體を除却して岩山神社と改稱す。

 按ずるに延喜式に辨奈貴神社あり、京都府編纂の式內神社考證に辨奈貴神社、祭神不詳、在所不詳、或は云ふ 䀋田村岩山神社歟と記せること通誌第八章に引ける所の如し。明治初年當社より京都府に差出したる由緒書に曰く、

當社は 村内 村老の古傳説に 累世境内ニ在之辨奈貴石ノ上ニ鎭座候處 天正年中焼失シ 寶暦五年十一月十五日 當今ノ地所へ遷坐セシ由 社殿境内外ノ山ヲ 往古ハ辨奈貴山卜稱セシ處 中奥岩山トモ稱ヘ 一所兩名ニ相成候下 馬札二枚在之是ハ何レヨリ給リシヤ確書ナケレドモ 老人ノ傳説ニ南朝ヨリ勅許しナリシ由ト云 舊領主ヨリ高三石四斗餘免除地寄附ノ確書拜領罷在 是ハ龜岡城主菅沼織部正芳殿ヨリ寛永十八年給フ云々

當社を以て 式内 辨奈貴神社となすは至當の説なるべし。

 何鹿神社は延喜式 出石鹿倍神社なり、其考證通誌第八章に之を擧げたり。

【原文参照】

船井郡教育会 編『船井郡誌』,船井郡教育会,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/95092

船井郡教育会 編『船井郡誌』,船井郡教育会,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/95092

【由  (History)】

『京都府神社略記』に記される内容

【抜粋意訳】

村社 岩山神社 須知町大字鹽田谷

祭神 大己貴命

例祭 四月十五日

【原文参照】

京都府神職会 編『京都府神社略記』,京都府神職会本部,昭11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1228340

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

岩山神社 拝所 兼 本殿覆い屋

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・〈本殿覆い屋の向って左 境内社〉

Please do not reproduce without prior permission.

・神饌所

Please do not reproduce without prior permission.

岩山神社 拝殿

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

辨奈貴岩と社殿

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・鳥居

Please do not reproduce without prior permission.

・岩山神社のスギ

Please do not reproduce without prior permission.

・社頭の防獣柵

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・何鹿神社(船井郡京丹波町曽根竿代)

往古から 何鹿神社(曽根竿代)は里宮 岩山神社塩田谷)は奥宮 とされる関係にあります
岩山神社は「上の宮」
何鹿神社は「下の宮」と呼ばれていました

又 岩山神社(塩田谷岩山)は 何鹿神社の旧鎮座地とも云われ 
延喜式内社 丹波國 船井郡 出石鹿部神社(いつしかのいそへの かみのやしろ)の旧鎮座地との説あります

・何鹿神社(船井郡京丹波町曽根竿代)の記事を参照

一緒に読む
何鹿神社(船井郡京丹波町曽根竿代)〈『延喜式』出石鹿いそ部神社〉

何鹿神社(いつしかじんじゃ)は 創祀は白鳳十二年(672)と伝えられ 大寶二年(702)から出石鹿部神社と號して 延喜式内社 丹波國 舩井郡 出石鹿いそ部神社(いつしかの いそへの かみのやしろ)とされます 正和四年(1315)から何鹿神社と称したと云うことです

続きを見る

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

岩山神社(船井郡京丹波町塩田谷岩山)は 二つの式内社の論社です

①丹波國 船井郡 出石鹿部神社〈何鹿神社の奥宮 旧社地とも云う〉
②丹波國 船井郡 辨奈貴神社

①丹波國 船井郡 出石鹿部神社〈論社 何鹿神社の奥宮 旧社地とも〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹波國 71座(大5座・小66座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)舩井郡 10座(大1座・小9座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 出石鹿部神社
[ふ り が な ](いつしかの いそへの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Itsushikano isohe no kaminoyashiro

②丹波國 船井郡 辨奈貴神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹波國 71座(大5座・小66座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)舩井郡 10座(大1座・小9座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 辨奈貴神社
[ふ り が な ](へなきの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Henaki no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

丹波國 船井郡 出石鹿部神社(いつしかのいそへの かみのやしろ)の論社

・何鹿神社(船井郡京丹波町曽根竿代)

一緒に読む
何鹿神社(船井郡京丹波町曽根竿代)〈『延喜式』出石鹿いそ部神社〉

何鹿神社(いつしかじんじゃ)は 創祀は白鳳十二年(672)と伝えられ 大寶二年(702)から出石鹿部神社と號して 延喜式内社 丹波國 舩井郡 出石鹿いそ部神社(いつしかの いそへの かみのやしろ)とされます 正和四年(1315)から何鹿神社と称したと云うことです

続きを見る

・岩山神社(船井郡京丹波町塩田谷岩山)
〈出石鹿部神社の旧鎮座地との説あり〉

一緒に読む
岩山神社(船井郡京丹波町塩田谷岩山)〈『延喜式』辨奈貴神社・出石鹿いそ部神社〉

岩山神社(いわやまじんじゃ)は 元々は辨奈貴岩の上に鎭座する辨奈貴大明神と称し 延喜式内社 丹波國 船井郡 辨奈貴神社(へなきの かみのやしろ)の論社 又 往古から何鹿神社(曽根竿代)の奥宮と云い延喜式内社 丹波國 船井郡 出石鹿いそ部神社(いつしかのいそへの かみのやしろ)の旧鎮座地とも云われます

続きを見る

『延喜式神名帳』所載「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内社とその論社について

『延喜式神名帳』に所載される各々の「いそへのかみのやしろ」は 古代の氏族・「石邊公」「石部氏」に関係する神社 又は 海人族の「磯部氏」に関係する神社とも云われ 数多く分布しています

音は「いそへ」と同じでも その要因は 様々な要素から成り立っていて 特定は非常に難しく その為 各々の神社を検証してみます

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR山陰本線 園部駅からR9号経由で北西方向へ約14.5km 車での所要時間は26~30分程度

何鹿神社(船井郡京丹波町曽根竿代)の横の曽根川を渡り すぐに左折〈曽根川沿いに上流方向へ〉゛しゅうずの水゛と云う湧水の所で「塩田谷」という標識を左折していきます

Please do not reproduce without prior permission.

田の中を流れている曽根川を再び渡り 山の麓に向います

Please do not reproduce without prior permission.

山の麓近くまで来ると 道は狭まりますが 社頭には駐車場もあります

Please do not reproduce without prior permission.

社頭から振り返ると ここは棚田の一番奥手にあり 眼下に塩田谷の集落が見えています ちょうど写真の左の道を上がってきた事になります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

4月6日の参拝で 雨天でしたが山桜は満開でした

Please do not reproduce without prior permission.

往古から 塩田谷岩山神社曽根竿代の何鹿神社は奥宮・里宮の関係にあるとされ 社号標には゛奥宮 岩山神社゛と刻字されています

岩山神社(船井郡京丹波町塩田谷岩山)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

獣除けの柵があり 獣除け柵の門扉を開閉して 敷地内に入ります
以前2000年頃に社頭を写した写真では 正面の大杉の辺りは 鬱蒼とした森でしたが 今(2018年)はさっぱりとした感じになっています

Please do not reproduce without prior permission.

スギの横に参道が続いていて 鳥居をくぐり抜けて山肌へとすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

鳥居の扁額にはは゛奥宮 岩山神社゛とあります

Please do not reproduce without prior permission.

右手を見上げると 辨奈貴岩と社殿が見えています

Please do not reproduce without prior permission.

雨天で参道に水が流れていましたが なんと沢蟹(サワガニ)がいました
自然の豊かな場所です

Please do not reproduce without prior permission.

参道は折れていて 南向きに石段があり 上には拝殿が見えています

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿です 拝殿の先に再び 石段があり 本殿が納められている覆い屋が建っています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

本殿が納められている覆い屋の向かって左手には 境内社が一宇

Please do not reproduce without prior permission.

拝所は 本殿が納められている覆い屋に設置されています

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして 山を下ります

Please do not reproduce without prior permission.

参道の先に 社頭の鳥居と大杉が見えてきました

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 出石鹿部神社について 祭神・所在ともに詳らかではない と記しています

【抜粋意訳】

出石鹿部神社

出石鹿は以都志加、は伊曾倍と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕鹿

〇祭神在所等詳ならず

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

式内社 辨奈貴神社について 祭神・所在は詳らかではない と記しています

【抜粋意訳】

辨奈貴神社

辨奈貴は假字也

〇祭神在所等詳ならず

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 出石鹿部神社について 所在は゛今 曾根村にありて、何鹿神社と云ふ゛〈現 何鹿神社(船井郡京丹波町曽根竿代)〉と記しています

【抜粋意訳】

出石鹿(イヅシカノイソベノ)神社

今 曾根村にありて、何鹿神社と云ふ、即是也、〔丹波式社考証、久美縣神社調〕〔〇按 和名鈔 鹿郷あるに據 出石鹿出鹿にして、何鹿出鹿轉、曾根或はの訛歟、姑附て考に備ふ

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

式内社 辨奈貴神社について 社号のみが記されています

【抜粋意訳】

辨奈貴(ヘナキノ)神社

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 出石鹿部神社について 祭神・所在は無記入となっています

一説として゛曾根村 何鹿神社゛〈現 何鹿神社(船井郡京丹波町曽根竿代)〉があるが 憶測によるもので確証がなく 採用できないとしるしています

【抜粋意訳】

出石鹿(イヅシカノイソベノ)神社

祭神
祭日
社格

所在

 今按 式内神社考證に 曾根村 何鹿神社此欺 此社は粛然たる舊社にして數村の産土神  出石鹿神社たる確證はなけれど 何鹿は出石鹿の文字を轉したるにて曾根村と云はの訛たる如く 又 社傳にも正和中迄は出石鹿と稱せしと云ひ 舊藩に於てもしか考へたるをみれば疑なかるべしと云れど 何鹿を出石鹿の轉と云も 曾根はの訛りと云も臆測にて證なければとらす

式内社 辨奈貴神社について 社号のみが記されています

【抜粋意訳】

辨奈貴(ヘナキノ)神社

祭神
祭日
社格
所在

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

岩山神社(船井郡京丹波町塩田谷岩山) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

丹波国 式内社 71座(大5座・小66座)について に戻る

一緒に読む
丹波國 式内社 71座(大5座・小66座)について

丹波国(たんばのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 丹波国には 式内社 71座(大5座・小66座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています